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はてなキーワード: 春休みとは

2022-03-29

anond:20220328180154

昨日は上司が奢ってくれるって言うから同僚と3人でメシ食いに行って、終電までエルデンリングの話で盛り上がって帰ってそのまま寝ちまった

遅くなってすまんね

論文だっけ?

研究者じゃないから最新追いかけたりはしないかあんまり良く知らんね

https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=104364&item_no=1&page_id=13&block_id=8

少し前にチート検出ツール依頼されたときにこの学習モデルが利用できないか試してみたけど、誤検出が多くて使えなかったな。

データに合わなかったんだろう。形式だけ似てても駄目だという勉強になった。

https://cedec.cesa.or.jp/2021/session/detail/s6049c42d69590

こっちのCEDECの講演で紹介されてたモデルがドハマリして、最初から検出率90%超え、誤検出も1%くらいだった。

自律型にしたから日々精度を上げながら今日も元気に動いてるよ。

パラメータ変更が出たときの組み換えコストも低くて最高。

逆に最近読んだの何?

全然ソースさないよね、そっち。

英語なら読めるからオススメ教えてよ。

使えるかどうかはこっちで判断するから

使う予定はないけど

https://storage.googleapis.com/deepmind-media/alphago/AlphaGoNaturePaper.pdf

これは面白かった。

総当たりをローコストでやれるの凄い。囲碁知らなくてルールから調べたし、変態的労力だから自分では組みたくないけど。

で、スタンドアローンか。

独立したネットワーク内のシステム」をスタンドアローンと呼ぶだっけ。

「ない」ことを証明するのは悪魔の証明から断定したこと謝罪しよう。

例えば隣の席の〇〇くんがそう呼んでました!だって間違いなく「呼ばれている」ことになるもんね。

私はそんな呼び方する人に会ったことがないので例に挙げられていた軍事システム原子力発電所を調べてみた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/C4I%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0

ここで挙げられている各種システムはすべてそちらの言うスタンドアローンになるはずだけど、スタンドアローンなんて言葉は一度も出てきていない。

最新の自衛隊共通システム最適化計画資料も見つけたが

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/cio/dai19/19siryou10_08.pdf&ved=2ahUKEwiKspHvven2AhUPGKYKHZ5MBNcQFnoECBUQAQ&usg=AOvVaw0gVqYTILRzXjcrdoG_PPrl

クローズ系のネットワークという言葉はあるが、そこで使用されているシステムスタンドアローンとは一切書いていない。

さすがに不自然すぎる。

原子力発電所は苦戦したがドイツ原発システム内でウイルスが見つかったというニュース記事が見つかった。

https://www.reuters.com/article/us-nuclearpower-cyber-germany-idUSKCN0XN2OS

USBを介して感染したらしいが、isolated from the Internet記載はあれどstandaloneなんてどこにも書いてない。

当然あなたの言うスタンドアローンのはずなのにね。

自分経験で恐縮だが、秘密保持契約署名させられ、入口ですべての電子機器を取り上げられ、金属探知機みたいなのを通らされ、書いたメモ検閲される某所の社内ネットワークにすら繋がらない隔離ネットワーク内の基幹システムの開発現場に入ったことがあるが、仕様書概要欄にもネットワークシステム文字はあれどスタンドアローンなんて記載はなかった。中の開発者の口からも出たことはない。

ついでに好きそうなWikipediaも貼っておこう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%B3

以上のことから独立したネットワーク内のシステムスタンドアローンと呼ぶのは、少なくとも一般的ではないと判断したけど、どうだろう。

なお、Windowsにはスタンドアローンサーバーという概念があるけど、それは主にワークグループ内でファイルサーバーとして使用されるサーバー呼称で、何ならそのスタンドアローンサーバーから普通にインターネットにも繋がることも多い。未だに使ってるとこがあるかは知らん。

これは「独立したネットワーク内のシステム」とは完全に別物だというのはご理解いただけるだろう。

https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2021/20211019_01/

ソフトバンクが気になる記事を出していたけど、これは無線版専用ネットワーク構築サービス呼称のようだから記事をよく読めば「独立したネットワーク内のシステム」とは別物なのがわかる。

とりあえず、スタンドアローン定義ソースをもらえないだろうか?

あなたが呼んでいる時点で確かに「呼ばれている」のは事実なので、そこは謝ろう。

長く書いたけど、どうせ最初論文はあまり知らんあたりを抜き出して、お話にならないとか言い出すんだろうなあw

春休みっていいなあ

2022-03-25

離任式って行かなくてもよかったのかな?

中学校の離任式って行かなくてもよかったのかな?

春休みの1日わざわざ登校してたけど、お世話になった先生以外、只の公務員の異動じゃん。

2022-03-23

大学時代日中韓三国交流をしていたんだが

大学時代ファミレスバイトしてたんだけど、深夜帯の時間でよく被る韓国人中国人留学生と仲良くなった。高校時代ネット嫌韓嫌中に毒されてて当初、キッツイな、レジの金なくなったら俺も疑われんのかな、とか申し訳ないが思ってしまっていた。しかし話すと良い奴らだった。大学も同じだったため、すぐに仲良くなった。客のこない時間帯は事務所コーラタバコを楽しみながらダベるのが定番だった。

中国人ジェイ。なんでも中国では英語名自分友達同士でつけ、それで呼び合うのが一般的だそうだ。中国やばい倍率の大学受験に落ち、日本留学してきた。俺らの通ってた大学都内私大だが、中国では東大に次ぐ大学として見られており箔がつくとのこと。親父が共産党員国営企業幹部で超ボンボンだった。ただ金の使いみちにうるさいため自由に使える金が欲しくてバイトしていた。大食いだったが、生物が無理で寿司が食べられなかったのをよく覚えている。

韓国人はジフナ。逆に貧乏だった。母子家庭ソウルでは半地下暮らし韓国大学入試も壮絶で、仮に名門大を出てもコネがなく背が低い(平均だったが)から就職が厳しいと言っていた。奨学金をもらってうちの大学留学しており、卒業したら日本総合商社に入りたいと言っていた。

中国人韓国人プライドが強いと聞いていたが、国の話になると彼らは自国をことごとく嫌っていた。学校のことや経済政治のことで自国がどれだけ悲惨競争のように語って聞かせた。そしてそれ以外は流行っているドラマ音楽、女の話で盛り上がった。また彼らは一度自分の仲間と認識すると、日本ではお節介になるほど親切だ。風邪をひいてバイトを休めば、2人とも大量の飲み物食べ物を持ってきてお見舞いに来てくれた。

バイトでも大学でも3人で過ごした。大学ジムで3人で筋トレ大学日本女子たちと合コンし、日本会社で働いている韓国人OLたちと合コンし、台北駐日事務所台湾大使館的なとこ)にインターンに来ていた台湾女子たちと合コンした。本土ジェイ台湾の子普通に仲良くしてて驚いた。成果が悪かったときは3人で新大久保で浴びるようにチャミスルを飲んで青い顔をして始発で帰った。印象的だったのは彼らは彼女ができると飲み会や遊びに絶対連れてきた。彼らの彼女は大抵台湾韓国の子だったが着いてくるのが当たり前という感じだった。俺も当時ジフナの彼女友達韓国の子と付きあっていたため、後半は6人で飲むのが当たり前だった。もちろん金は男持ちで、送り迎えまでするのが当然だったためそこはきつかったが。春休みには6人で中国に行き、ジェイの親父から高級ホテルのめちゃくちゃ豪華な食事でもてなされるという良い思いもした。

大学卒業し俺は地元公務員になった。ジフナは一度休学して兵役に行き、卒業後は日本商社に入り韓国から母親を連れてきた。ジェイ中国国営企業に入るため帰国した。なかなか三人で会うことはなくなったが今でも連絡は取り合っている。

2022-03-22

若い時の失敗は場合によって取り返しがつかないことになる

たまたま匿名ダイアリーを知り、早朝に寝ぼけ眼で書いてみたが誤字・脱字がひどかったため改めて投稿

中学は最高だった。成績は常にトップ部活では部長生徒会本部役員モテてたし彼女もいた。高校は厳しいぞと親や中学担任から言われたが、結局中学立ち位置は変わらなかった。現役で東大文一に受かり、「ノルウェイの森」の永沢という男を気取っていた。ただここまでが人生ピーク。下らない理想モデルで失敗した。僕の理想モデルは「司法試験在学中合格→国1トップ外務省事務次官駐米大使→定年後に国際関係論の権威として駒場教授」だった。

単純な話だが司法試験で失敗した。高校卒業した春休みから伊藤塾に通い詰め、3回連続受けたもの論文が通らなかったのだ。普通なら2年生、3年生と2連続不合格なら諦めて国1に専念する。しかし僕は往生際が悪く、国1と司法試験を並行した。4年になる4月頃にはメンタル崩壊。そのまま国1と短答を迎えるが前日も彼女や友人と遊び歩いていた。東大には本番の朝まで駒場麻雀やって司法試験に受かる基地外がいるが僕は凡人だった。結局国1は受かったもの外務省含め希望省庁からオファーは来なかった。司法試験はやはり論文落ち。万一のために「官僚にはなりません」と嘘をついて内定をもらっていた会社入社することとなった。

僕は今、霞ヶ関官僚になれずにコンプレックスを抱えながら丸の内三菱村の社内官僚として生きている。仕事が終わるとたまに行幸通りを通って日比谷公園を歩き霞ヶ関散歩する。そして「外交官として働いているもう1人の自分」を妄想して帰宅する。

休み明けしょっぱなから暗い気持ちになってしまった。

anond:20220322034701

まあそうね。

ネット全体なんて人間では追いかけきれないけど

増田(当然notツイッター)に限ればまさにそういう感じ。

基調は「かまってくれる女のいない高齢独身男の傷のなめ合い」(に春休み高校生がまじったりフェミおばさんが勉強しろとつつきにきたり、そのおばさんが本当に女とみると原住民クンニだのパンティと白雉めいたことを叫んだり)する場所増田

人間から隔離された檻の中に理性を期待するほうが間違いよね。

2022-03-21

anond:20220318093648

なんか釣りくささどころか自演くささまで感じるんだけどそろそろ通報したほうがいいんじゃねえかなぁ

春休みにしてもちょっとおかしいぞ

2022-03-09

春休みに観ておいた方が良いアニメ

とりあえずクロムクロ観た。面白かった。見て損はない。

超絶おすすめしたいのは「宇宙よりも遠い場所」。これ観てない人はホント見てほしい

テスラノートは酷いけど一応最後まで見た。おススメしない

超攻速ガルビオンOPカッコいいけど予想通りそれだけ。半分行かずに切った

えいがのおそ松さんは不覚にもウルっと来たな。俺も老い

宇宙よりも遠い場所ももちろん泣ける

未見の方は是非!

はてな過疎ってない?

なんで?期末だから春休みから

2022-03-08

小説が苦手になった

要約

小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?

要約終わり

小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。

ちょっとまでは、めちゃめちゃ小説を読んでた。

小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域図書館の本をかなり読んだ。

中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。

高校の頃は、「国語勉強」と言い訳して読書受験勉強を1対1ぐらいでしていた。

でも大学に入って、小説を読むのが苦手になった。

小説を読んでいるとき楽しい

登場人物気持ちに思いっき感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。

とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。

悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。

ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。

でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。

小説を読み終えると、小説世界現実との違いに驚く。

頭の中は小説世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。

でも現実はそうじゃない。

今は春休みから勉強ぐらいしかすることがない。

友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。

悩みや困っていることを真剣相談できる友達はいない。

逆に相談してくれるような友達もいない。

頭がぐらぐらする

本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。

本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。

そしてその出来事を、確かに主人公自分経験にできている。

主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。

そして何より、物語は都合がいいとこしか書かれてない。

高校生が主人公小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。

友達と何を話していいかからずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。

自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。

現実はそうじゃない。

楽しいことも辛いこともある。

でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。

本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。

いつまでも終わりが見えない道が続いてく。

本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。

そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。

もっと友達と遊んでいたら。

面倒くさがらず行事とか習い事かにいっていたら。

後悔というよりは、諦めだ。

どうしようもない。分かってる。

その時の自分にできる最善の選択だった。分かってる。

でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚人間だ。

でもその事実に、どう向き合えばいいかからない。

今後どう振る舞えばいいかすら分からない。

結局憂鬱になって終わっちゃうだけだ。

その感覚とどう向き合っていけばいいかからない。

今日は重松さんの「一人っ子同盟」を読んだ。

小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。

男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。

物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子引っ越しが決まり卒業式を迎える。

最後に二人で一緒に夕焼けを見て感傷に浸って、物語は終わる。

きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」

本の中で女の子はいう。

本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。

でも、本の中では男の子がこうつづけている。

「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」

この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。

幼馴染はいなかった。本当はいたのかも知れない。

でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。

本の中と違って、現実はどうにもならない。

どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。

私は本の中から、その答えを読み取れなかった。

皆さんはどうやって、簡単に変えることができない現実と向き合ってますか?

2022-03-07

anond:20220307201900

その「名の知れた進学校出身だけど、先生が「野球場行ったら生徒会長ビール売ってた」と話していたり、

生徒が「春休み社会勉強のため引っ越し屋のアルバイトをした」と作文に書いていたのが普通に通る程度には禁止されていなかったぞ。

…なお後者の生徒が「風俗に行く金が欲しくて」だったのは生徒間では公然の秘密だった。(実際に行ったらしいが、20世紀の話なので年齢確認ガバガバだったのだろう)

2022-03-06

anond:20220306214124

春休みで暇な学生が混じってるから

今の増田の年齢層多分低いよ

2022-03-05

なんかブコメとか増田とか全体的に幼稚な感じになってるのは

わかもの春休み突入

しより→年度末で増田とかでサボってられん

からなのか?

2022-02-11

中2の妹が学校を休んでカラオケ配信アプリに夢中、騒音ストレス

実家暮らし大学三年生、春休み突入しました

現在妹は中2で反抗期真っ只中

物凄く態度も悪いし、私の友人達と混ざっている時も「ヒヤッ」とする発言が多い。学校でもなかなか馴染めていないだろう。

悪い子ではないが、最近心臓の持病が発覚したり、アトピー持ちだったり、親も頭が悪いので何度行っても意地悪な叱り方・怒鳴り散らすのみでメンタルもきていると思う。

その拠り所がカラオケ配信なのだろう。フォロワー結構いるらしい。

だが、学校に行かず寝転がりながらそればかりやらせるのはありなのか。あの年代の子供、しかも色々問題がある子のデリケートさはよくわかっている。携帯没収したら逆効果か?

私の予想だが、単に寝不足で朝起きるのが辛いのでは?と思っている

そして、正直に言って騒音ストレスすぎる。歌声もそうだし、一日中喋っているのでうるさい。

どう対処すべきかわからない。

頭も悪い。本当に。私はガリ勉だったので妹に勉強を教えたいがそれも拒否される。

素直に何かを受け入れられない、プライドが高い、努力ができない、勉強もできない

どうしたらいいんだ

2022-01-31

大学生だけど社会で働ける気がしない

春休み入ってバイトの日数増やしたんだけど、週3で合計10時間くらいなのにきつい

世の大人たち本当にすごいな

あ〜働きたくないな〜……

賃金の高さより労働の楽さで仕事を選びたい

2022-01-10

おかしいよね,いい大人なのに

理系学部4年なんだけど,引きこもりなっちゃった

学部単位はなんとか全部落とさずに取れたし,一夜漬けではあったけど,テスト結構普通に乗り越えられてきた.

友達も少ないけど何人かいて,たまにゲームしたり旅行いったりしてた.


研究室配属がちょっと思ったように行かなかったけど,比較的興味はある方の分野だったし,むしろ選択肢の中では悪くないと感じた.


おかしくなり始めたのは,春休みあたりから

顔合わせとかコロナで無くて,先生たちにだけ挨拶しに行ったら,「研究テーマ5月までに決めれば,8月までは院試に集中していいよ」って言われた.

院試は夏だったし,同期もあんまり研究室行ってなさそうだったから,居室にはあんま行かなかったんだ,

ゼミほとんどオンラインで,たまに寝坊しちゃったりしたこともあったけど,参加はしてた.

ただ,このへんから一日のうちほとんどをベッドの上で過ごすことが増えた.学校は1年以上オンライン授業で行ってなかったし,生活習慣は結構終わってたと思う.

授業はないから,院試に集中しなきゃとは思っていたんだけど,なかなか手を出せなかった.気がつくと,院試までは1ヶ月しかなかった.ちょっと焦ってペンを持ったら,全然出来なくて嫌になった.

やらなかったことだけ後悔して,でも手を出そうにも範囲も広いし難しいしでパニックになって,泣きそうになって一日が終わった.どんどん時間は過ぎていって,結局院試ほとんど無勉強で落ちた.


勉強に集中できないなんていう幼稚な理由ほとんどの人が受かる内部の試験に落ちたのが恥ずかしくて,この辺から強い劣等感を感じ始めた.

幸い後期院試がある学校だったから,親には頑張ったのに落ちちゃった,次はもっと頑張るっていう嘘をついた.本当は頑張ってないのにね.

久しぶりに学校に行ってみると,周りは院試間中卒業研究を取り組み始めていて,自分けが研究室落ちこぼれだった.

気分がすごい落ち込んだ.


研究室に行かなきゃいけないのに,どうしてもいけなくなった.

朝起きて,昼から行こう.二度寝しちゃって,夕方だけど行かなきゃ.もう夜になっちゃったから明日は流石に行こう.

そう思うんだけど,なんか,いけなくなった.ぼんやりと,考えるのをやめて,スマホをいじって過ごす一日が増えた.


結果,卒論ほとんど何も進んでないまま11月になった.

さすがにまずいと思ったかカウンセリングを受けてみたりして,卒論をすすめることにした.週に2,3日だったけど,学校には行けるようにはなった.

先生自分のペースに合わせて手助けしてくれたし,周りの先輩も優しくしてくれたんだけど,劣等感は深まっていった.


とにかくなんとか書くテーマは決まって,研究と並列して論文を書き始めて,12月中に結果以外は形にしようっていう方針になった.

冬休みに入って,家で卒論を書こうとしてワードを開いたら,全然自分が何書いたらいいのかわかんなくなって,パニックになって,サボり癖がまた出てきた.

後期院試も近づいてきて,全然この勉強もしてない状態だったから,また夏みたいになってきた.

明日が近づいてくると焦るんだけど,結局机の上でほとんど何もせず何時間もぼーっと過ごして,突然ものすごい不安に襲われて,ベッドに飛び込んで,毛布をかぶって,動悸を感じながら目をつぶる.

結局なかなかねれずに昼に起きて,喪失感でまた嫌になって,次の日が近づいてくる.繰り返し.


先輩とりあえずみせることになってたけど,結局全然かけなくて,まだ出せてない.

出せなかった申し訳無さから少しでも進めて学校に行こうと思うんだけど,やっぱり進まなくて,先輩にも先生にも合わせる顔がない.

研究結果も間に合わない気がしてきて,どんどん恥ずかしさから学校にいけなくなってしまった.


今,卒論提出期限・院試まで一ヶ月切ってる.

多分,このままだと院試に落ちて,留年もする.

恥ずかしいとかいってないで,人に頼らなきゃもう始まらないんだから,はやく学校にいって手を動かしてみないとだめなのは理屈としてわかってる.

でも,しんどさだけで家から出られない.どんどん頭が,手足が鈍くなっていく.

もう,いろいろ間に合わないんじゃないだろうか.


ここに書いて少しスッキリしたけど,明日学校いけるかな.

世話になってる先輩に謝らなきゃ.はやく年内に出す予定だった分だけでも完成させて持ってかなきゃ.


やらなきゃいけないことから逃げてばっかりで,どうすればいいのかな.

何を他の人に期待してるんだろう.なんでこんなに無気力なんだろう.


もう立派な大人の年齢なのに,おかしいよね.どうしよう・・・

こんなので両親に迷惑かけたくなかったよ・・・

2021-12-23

anond:20211223213132

からないです。バレたというか友達2人が春休み包茎手術するらしいから一緒にやりなさいの一点張りだったような気がします。そのとき友達はすでに手術の日まで予約していたんですが友達が事前の検査をする日に俺も病院につれて行かれて検査してもらうことになって、検査のあと手術してもいいかもしれないと言われたので俺もやることになりました。

2021-12-21

小5のとき受けた包茎手術と母親ブログ

友人が『包茎手術させよっかな』なるブログ発見した。「これ書いたのお前の母ちゃんじゃないの?絶対これお前のことでしょ」と友人はいう。ひとまずリンクを貼っておく。

https://anond.hatelabo.jp/20150212234301

読んで驚いた。ざっと要約してみた。

・うちの息子は包茎

・息子は小学5年生のサッカー少年である

・息子の親友2人(R、T)が春休み包茎手術をするらしい

・息子に包茎手術を受けさせたい

・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)

・息子はR、Tをライバル視しているので、その2人が手術を受けると言って説得したらいいか

いやはや、冒頭の親バカ部分はさておき、手術関連の話はほとんど俺の実体験と一致しているではないか。改めて確認してみよう。

・うちの息子は包茎

←たしかにそうでした(というかガキはみんなそうだろ!)

・息子は小学5年生のサッカー少年である

←うーん小5のときマジでサッカーばっかやってたなあ(今もやってるけど当時ほどでは)

・息子の親友2人(R、T)が春休み包茎手術をするらしい

←その春休み包茎手術を受けた友人2人は心当たりが大いにある。イニシャルも完全一致。

・息子に包茎手術を受けさせたい

母親に手術しろと言われたのは事実父親単身赴任なのであまり絡んでいなかった気が。

・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)

←平均を知らんけど普通に怖かったので全力で嫌がった(けど強制的に受けさせられた。てかガキはみんな手術なんてビビるだろ。麻酔かけるとき絶叫したぞ?)

・R、Tが手術を受けると言って説得したらいいか

←説得というか既成事実化されていた。母親は「一緒にやりなさい!」の一点張りライバル視というより2人の手術は決定っぽい雰囲気だったので俺だけ怖いっつって逃げるのはズルいと思った。それで3人一緒に近所の病院で手術を受けることになった(子供包茎手術で有名なところだったらしい)。ガチで痛かった。死ぬかと思った

読みながら俺は件のブログを発掘したRと顔を見合わせた。俺はイケメンでもなんでもないが、それ以外はほぼ我々の6年前の経験と同じであるまさかこんな偶然の一致があるだろうか。もう一度読み返したがやはり俺の母親が書いたとしか思えない。事実完全に一致しているし、おまけに俺の母親は実際かなりの親バカらしいのである。面と向かっておだててきこそしないのだが、父親祖父母によると俺がいないときには相当な親バカ発言を連発しているらしい。怖いのでやめてほしい。

しかしそれにしても息子をイケメンとか言っているのは普通にキモい。術後は痛すぎて1週間ぐらいまともに歩けなかったのだが、その発端がこんなキモい親心だったとは。まあおかげで包茎は治ったが、それにしても苦痛が大き過ぎたというのが現時点でのR、Tとの共通見解だ。

彼女?残念ながらいない。感情のやり場に困るので、とりあえず同じサイトコメントしておく。

2021-11-02

今回の選挙3.11を思い出した

3.11当時自分学生春休みだったけど地震の影響でバイトもなく遊びに行くこともできずずーっとテレビ見てた

原発トラブルが表ざたになってから枝野氏が毎日テレビに出て状況説明の会見してた

色々説明してる枝野氏は堂々としててなんとなく安心感を覚えた、この人たちならなんとかしてくれるだろうみたいな感覚

ネットでも肯定的意見が多くて「枝野がんばれ」「枝野少しは寝ろwww」みたいな意見が多かった記憶がある

だけど事態が進行するにつれてだんだん旧民主党はまともに対応ができていないことがわかってきて「枝野はとりあえず疲れた顔してそれっぽく会見してるだけないんじゃないか?」みたいな意見が増えてきた

自信たっぷりにしゃべってるだけで実際は何もしてないんじゃないかってね

結局このあと色々な不手際が重なって旧民主党は支持を失い自民党政権に戻った

今回も選挙前には自信たっぷりに色々言ってたけど結果は微妙な感じ

でも本人は空中戦うんぬんって言ってなんか成果はあったみたいな発言してるよね

2021-10-27

anond:20211027222417

もうしばらくテストが続いて、その後は研究室通いが始まるんだ

でもなんとか春休み作れるようにしたいな、バイト入れられそうだけど…

2021-10-23

彼女のことをイニシャルで呼ぶとすればCになる

だけど、そういう呼び方はどうも馴染まない。

彼女は、僕らが小学生の頃から知り合っていたと主張していたが、その頃の僕は彼女あくまでも集団の一部として捉えていた。

小中学生の交友関係はあまりにも広く、そして浅い。


そういうわけで、僕が初めて彼女のことを個として認識したのは高校一年生の時だった。

彼女とは、ある授業がきっかけで近しい関係となった。その授業は、どこの学校にでもあるような、他の人と相談しながら進行する授業。

そうは言っても、彼女積極的に話し合うことで親交を深めたというわけではない。まずもって、彼女はカモクなのだ

僕と彼女コミュニケーションは、会話というよりは問答に近かった。それでも、授業を通して彼女に一歩近づける、それだけで彼女の魅力を知るには十分だった。


後に続く彼女との関係の基礎はこの時期に形成された。一年間にわたる彼女とのささやかな交わりを経て、僕は彼女のことを意識するようになった。

しかしながら、その後1年にわたって、彼女との関係は進展しなかった。

高校2年生という期間は、他の生徒にとってもそうであるように、高校生活の中でもとりわけ忙しい時期だ。

授業のような特別な機会が与えられなければ、彼女を顧みることさえ忘れてしまうほどに。


高校3年になって再び出会った彼女は、少しばかり気難しくなっていた。それは、1年間彼女に見向きもしなかった僕に対するささやかな反抗であるようにも感じられた。

僕らは1年に渡るブランクを埋め合わせるために、2人で過ごせる時間場所を求めていたが、快適な居場所は多くはなかった。

学校には僕らの関係を冷やかすような人間はいなかったが、それでもやはり居心地が悪かった。また、駅前喫茶店などといった場所では、僕らのような客が長居すること自体が歓迎されていなかったし、僕としても周りの目があると純然たる彼女との時間に集中できなかった。

そういった理由から必然的彼女との時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。親も僕が彼女を引き連れて自室に籠っていることを容認していたし、ともすれば応援していたように思う。僕らの関係は親にとっても都合のいいものだった。


彼女と長い時間をかけて向き合うと、段々と彼女の心の内が見えてきた。

例えば、彼女はムキになると素っ気ない態度を取るようになった。今になって考えると、彼女のそういった部分にも理解を示すべきだったのだが、当時の僕はそれができるほど賢くはなかった。

彼女の新たな魅力にも気づかされた。それは、彼女ユウキだった。僕が見向きもしなかった間に彼女が手に入れた新たな武器。それは僕にとって、彼女の全てのように感じられたし、それはまさしくCそのものだった。高校生という多感な時期に彼女毎日のように向き合うことができたのも、彼女のそういった部分が僕の心を引き付けて離さなかったからだ。


高校3年の冬に、僕らは一度だけ同衾したことがあった。あの時は単純な好奇心から彼女をベッドに連れ込んだのだが、どうにもやる気が出なかったのでそのまま寝てしまった。僕らにとっては、机を挟んで向き合う方が遥かに適していたのだ。そういう観点から言えば、僕らの関係はどこまでもプラトニックだった。


それからほどなくして、僕らは高校卒業して、そして同じ大学に通うことになった。

僕らの関係に変化が訪れたのは、大学生になってからのことだ。


長い春休みが明けて久しぶりに彼女に会いに行くと、彼女はすっかり変わり果てていた。

知り尽くしているとさえ思っていた彼女はすっかり豹変してしまった。


大学に入ってからは、彼女真意を読み解くことが途端に難しくなった。

彼女のことをより深く知るにつれて、以前にも増して彼女のことが分からなくなった。

僕は、高校時代のように彼女真摯に向き合うことができなくなってしまった。


それからほどなくして、彼女と別れることを選んだ。

彼女と長い人生を共に歩んでいたら、自分がどうなっていたのか知る由もない。

彼女に関する記憶も日々薄れていくのだが、今日のような記念日には彼女のことを思い出す。

今日10月23日化学の日。




受験でお世話になった化学恋人見立て恋愛話をでっちあげようと考えたけど、青春というものを一切知らないので上手くいきませんでした。

2021-09-08

[]

まーた大学単位たりない系の夢、久しぶりにみた

春休みの補習にいったとおもったらそれが実は補習じゃなくてずっとあるやつだとあとからわかった

講義の内容が数学だったりアニメーターだったりめちゃくちゃだった

あと瀬戸口廉也犬憑きさん名シーン集みたいな豆本レビューみてたら、ノリがブチャケラスのテキストと同じってあった

エロ助の情報みたら、むかーしにだした個人名義CG集でレビュ^が1件だけあって、しょせん個人名義CG集みたいにあった

絵柄はむかしの絵柄でとくにひかれなかった

あと増田最近かいたやつが全部50-80ブクマもらってた

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服仕事に捧げた。

年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。

広島田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。

4月はあっという間に過ぎた。入学式オリエンテーションサークル勧誘学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動

楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。

アルバイトである大学生アルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画アニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。

早速、求人情報掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。

その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。

何分間か話した後、「土曜日シフトはいます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。

その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中ガラケー通話ボタンを押す直前に着信が切れた。

もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。

増田処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。

それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなた電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。

私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。

ある日、京都御所の近くにあるコンビニ求人雑誌を持ち帰った。

パラパラと中を覗いてみる。飲食店小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。

大学生場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識言動知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業官公庁NPO法人就職した連中は、リクルート株式会社はてな高島屋アルバイトをしていた。

当時の私は、リクルートはてな高島屋も知らなかった。私の出身広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京府中市出身だったら、リクルートはてな高島屋も知っていたのかもしれない。

さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックキャバクラバーのページが出ていた。

あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。

「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。

あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。

でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。

5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。

マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。

当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。

おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。

扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメン黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。

ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。

さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。

体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。

店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトル緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファ腰かけた。

「飲んでよ」

ありがとうございます

店長とどんな話をしたかはあまり覚えていない。

思い出せる限りだと、こんな感じだった。

広島出身? 俺の叔父さんが広島なんだ」

「いい高校行ってたんだね」

「18才か。若いね~」

柔道強いんだ。2段だって

「いつから来れる? できれば明後日がいいな」

こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。

ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。

①単純な労働力として

多くのお店では、ホールキッチン仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。

②肉壁として

態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。

※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。

お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費請求しないことが多い。

レアドロップ枠として

一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ京都俗情掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。

私が採用された店というのは、実は特殊タイプだった。

当時の木屋町祇園にあったスナックラウンジキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社経営していた。

私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業経営母体だった。モデル女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。

※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーション母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社存在自体を知るはずもなく。

そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。

以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。



大学回生

 キッチンホール仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。

 最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。

 キッチン仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生最初に覚えた仕事は、社会に出てから仕事の縮図だった。

・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く

・途中で別の仕事に移らない

・雑多な仕事はまとめておいて後でやる

 こういった原則ひとつずつ身に着けていった。

 より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチお盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。

 当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。

 最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初トレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。

 でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。

 このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロタイプ人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記もっと細かくつけておけばよかった。

 今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。

 めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます



大学回生

 この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。

 本来大学生アルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくま代打的に割り振られる。原則社員キッチンアルバイトホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホール担当になったかというと……。

 私の社歴が、スタッフ内で真ん中あたりになってきたからだ。

 信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。

 ホールを回る仕事について、思い出せる範囲優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草女の子だとストッキング生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。

 重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。

 思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。

 その主任にこっぴどく怒られたことがある。

 真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。

 さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコース説明した。金額うろ覚えだ。たぶん違う。

 3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。

 その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。

 主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。

 数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補トークを始めた。

「こんばんは。これから何件目ですか」

「2件目」

「どこ行ってきたんです」

居酒屋

「どちらにいらしたんです」

和民

「次は女の子のいるお店にしましょう」

「この店は高いからいい」

「安くしときます

 こんなやり取りだった。話すうち、だんだん相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。

はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口警官だった。

 その場で2名の警察官サンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。

(続きます

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220543

追記

ところどころやたらと鮮明なのは、当時の日記を見返しながら書いているからだ。

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