はてなキーワード: 春休みとは
首都圏在住の小学校低学年の子どもを持つ親の悩みのひとつに「中学受験をさせるか、させないか」というのがあります。首都圏で中学受験をするのは6万人超で5人に1人、つまり20%くらいが中学受験をすると言われています。
この文章は、私が「中学受験をさせるか、させないか」について相談されたときに、どのように考えるべきなのかという判断材料をお渡しするために書いています。なるべく客観的なデータに基いて記述をするために、偏差値といった数値的なデータを中心に取り上げることが多くなります。いわゆる学歴主義のように感じられる部分があるかと思いますが、そのような意図はまったくないということは強調させてください。私自身も中学受験を経験し、偏差値だけでは表現しきれない私学教育の魅力や中高一貫教育のメリットというのを肌で感じています。判断材料として主観的な記述を減らす都合で、このような記載になっているとご理解ください。
中学受験をさせると決めたら、一般的には新4年生の春休みから進学塾に通わせることになります。通塾費で200〜300万かかり、私立中学に無事に進学したとしても公立以上の費用がかかります。3年間の学習時間は2,000時間以上になるとも言われ、親はそのサポートに追われることになります。中学受験は、並大抵のものではありません。金銭的にも時間的にも親の「覚悟」が必要になります。特に金銭面での負担は大きく、私学中学に通う家庭の世帯年収は約800万円以上がほとんどだというのも事実です。
「小学校の頃から塾通いなんてかわいそうだ、うちは『普通』でいい」
そう考える家庭も多いでしょう。中学受験をするには、多額の費用と労力がかかります。「そんなのは『普通』ではない」そう考える気持ちは分かります。分かるのですが、ちょっと待ってほしいのです。中学受験をしなかった「普通」はどういうものなのか、それを理解した上での結論でしょうか。中学受験をしないと決めたら、地域の公立中学校に進学します。そこで3年間を過ごし、ほぼ全員が高校受験をします(高校進学率98.8%)。ですから、実のところ「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題になります。
もし、中学受験ではなく高校受験を選択し、平均的な学力の高校、つまり高校受験の偏差値50前後に進学したとします。進学先はどうなるのでしょうか。たとえば、都立S高校では、6割くらいが大学へ進学、3割が短大・専門学校へ進学をしています。大学進学先も、いわゆる大東亜帝国に入学できれば成功の部類で、GMARCHは学年トップ数人だけが入学できる存在です。口コミ掲示板を見ると、数年前に上智に合格をした先輩が伝説的な存在として語られているのが分かります。
難関大学と呼ばれるGMARCHを狙える高校に進学したいのであれば、都立高校では高校偏差値65以上の進学指導特別推進校や進学指導特別推進校が選択肢になります。早慶以上を目指すのであれば、高校偏差値70以上の進学指導重点校です。地元の中学から、進学指導重点校や進学指導特別推進校、進学指導推進校を目指すことを想像してみましょう。地域によって差がありますが、東京都区内の公立中学校の生徒数は、学年あたり100〜150人くらいの規模であることが多いようです。ですから、偏差値65以上(上位6.68%)の学校に進学できるのは、学年で10名くらいになります。都立高校への進学には内申点も大きく影響してきますから、主要教科だけではなく副教科も含めて学年でトップクラスになる必要があります。これって「普通」でしょうか?
一方で中学受験の「普通」はどのようなものでしょうか。中学受験生の平均的学力の中学、つまり偏差値50前後(日能研)の中学校に進学したときの、大学進学の実績を見てみましょう。たとえば、T中学であれば、ほぼ全員が大学に進学し、そのボリュームゾーンもGMARCHになります。S中学のように大学付属ながら、内部進学の資格を保持したまま難関大学にチャレンジできる学校もあります。中学受験をする層というのは全体の20%で、経済的余裕があり教育熱心な家庭になります。そこでの平均となりますので、全体から見たら上位の学力になります。
もちろん、中学受験をしたからといって、ただちに学力が上がったり、しないという選択で学力が下がるというわけではありません。あくまでもデータからみると、こうなっているということを示しています。生存バイアスだという指摘もあるかもしれませんが、中学受験から離脱する割合が高いというわけではありません。
ここまで、データが示す「普通」がどれくらいなのかを示してきました。ご家庭で暗黙的に考えている「普通」とのギャップはあったでしょうか。「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題であり、親としての子どもにどのくらいの学歴や学力、教育を期待しているかという問題になります。子どもの能力と比べて過大な期待を抱くと、良好な親子関係への障害となってしまいます。かといって、過少な期待をもって「縛りプレイ」をさせるというのも違うと私は考えます。子どもの能力に対して親としてどのような環境を提供できるのか、この文章がご家庭で考えるきっかけになれば幸いです。
別にフェミニストが弱者男性を叩こうが電動車椅子の障碍者が駅員を晒し上げようが、死んだり重篤な後遺症が残ったりしないだろうにな。
大阪で感染爆発してるやつ、あれ感染力が強くて若年層の重症化率も高いN501Y変異株でしょ。
マンボウとやらでブレーキかけられるレベルとも思えないんだけど。
その上、春の就学就職異動シーズンで大阪から全国に変異株がお届けされるし、学校も春休み終わるし。じきに日本全国が大阪みたいになるし、その頃には大阪は更に阿鼻叫喚かな。
なのにワクチン接種率は相変わらず韓国にも劣る1%未満。イスラエルや英国を見ればアホでもワクチンの効果は分かるよね。でも日本は確保に失敗したし接種体制もどうせ整わない。
ここからが地獄の始まりだろうね、もう諦めたけど。もうみんなも諦めたからこそ、コロナは直視せず弱者男性だの車椅子だので盛り上がってんのかな。
今日5ちゃんねるのエロゲ板(正確にはBBSPINKだけど)のとあるマイナージャンルスレ見てたんだが、
「XXXみたいに描いてる作品は信者も作り手も両方レベル低すぎだろw」みたいにちょっと荒れそうな話題をぶっこむ荒らし?が湧いちゃって、
んで案の定それに反論する人が結構出てきてその荒らし vs その他大勢の名無しで100レスを超えるレスバで盛り上がったんだよね。
レスバ自体は超不毛な内容だから詳細は省くけど、荒らしに反応する名無しさんの反応の多くが
「春だなぁ」「まあ春休みだし仕方ないかー」「春休み終わればこの流れも終わるかな…」
っていう感じで、なんか冷笑気味に頭おかしい奴=春休みの中学生みたいに認定してる奴がやたらいて、自分はその荒らしよりもそっちの方になんか引っかかってしまった。
いや俺からしたらその荒らしって十中八九割と古参の古き良き(悪しき?)こじらせエロゲーおじさんにしか見えんかったからその指摘がすげー的外れに感じたのよ。
スマホの普及率が一定率に達した辺りが転換期なのかな?学校で掲示板やSNSに書き込むくらい当たり前の世の中になったしね。
学生もみんなスマホ持つようになったくらいからあんまり見なくなったような気がする。
ニコニコ動画がオワコンでなかった時代くらいまではよく見た記憶があるけど、最近は5chの主要板ですら『春厨』なんて言葉ほぼ見ない気がする。
逆に思考停止の定型文しか書けない脳死っぷりと荒らしを放置できない害悪さがやり玉にあげられて「夏だなぁ厨うぜぇ」みたいな批判も昔はあった気がする。
もう両方とも一周した上で死語化したけど。
2ちゃんねるは5ちゃんねるに名前を変えて、時代が進むごとに住民の平均年齢は年々上がってると言われている。
エロゲーというサブカルチャー自体も、高齢化や新規ユーザー獲得失敗による市場縮小がずっと業界全体で問題視されている。
BBSPINKのエロゲ板の更にマイナージャンルスレなんてネットの僻地、間違いなく相互作用で高齢化は相当に酷い状態だろう。
この春厨認定には「この高齢化したコミュニティに若者が居着いていて、そして自分達と本気でレスバトルでぶつかってくるほどのエネルギーを注いでくれている」という思い上がりが含まれていて、
この人達の頭の中の5ちゃんねるは未だに十数年前の「VIPからきますたwwww」とかやってた頃の2ちゃんねるなんだろうなぁとか、
この人達はSNSどころかなんJや嫌儲すら見てないんだろうなぁとか、
昔ながらの”2ちゃんねる”に取り残されたおじさんたちになんだか共感性羞恥みたいなものを覚えてしまいましたという話でした。
天気が悪いし、暇な日曜日になるかなあ~と思ったら、全然そんなことはなかった。先週みたいに、近くのあちこちでスポーツ関連の何かがあって、夕方は大勢の子連れ客が押し寄せるなんてことにはならなかったものの。
お客様が絶え間なく来店する上に、1会計辺りの商品の量が半端なく多くてたまらなかった。何で今日はこんなに食品を買い込むお客様が多いのか? 春休みとはいえ、子供のいそうな家庭っぽくないお客様も多いし、なんなん本当になんなん! と思っていたけど、20時を過ぎた頃に気づいた。大量買いのお客様達の多くが一見さんではないことに。しばらく見かけなかった、かつての常連さん達だということに。もしかして、真面目に自粛生活を営んでいた人達なのだろうか! そういえば、以前ご来店していた頃も、いつも籠一杯お買い物するのが普通だったお客様達だなぁ。
籠てんこ盛りの商品は特大袋5円には入りきらない。なので今日は「商品の数が多いので、袋を二枚にしてもよろしいですか?」って何度も聞いた。自粛明け(?)のお客様達が普通に来店していた時期にはまだ、レジ袋が有料ではなくて、無言で特大袋二枚に商品を入れていたよなぁ、なんて思い出した。
今日じゃないけど、AさんとDさんがシフトの時に、『キンキーブーツ』的なファッションのお客様が来店した。キンキーブーツなお客様は、Aさんを一目見て「あら素敵じゃなぁい!」と言ったらしい。
で、キンキーブーツなお客様はかなり遠い所から来たのだけど、ここまで来て今夜泊まるホテルの場所がわからなくなったと、Aさんに言った。Aさんは「そこの道を道なりに行けば分かります。他にでかい建物とかないんで迷わないっすよ」と答えた。そしたらキンキーブーツなお客様は「そうじゃないのうよ! あなた、あたしはそういうこと聞いてんじゃないのよ!」と怒り出した。それでDさんがキンキーブーツなお客様に応対することになったんだけど、Dさんは要約すると「そこの道を道なりに行けば着きます」という感じのことを言ったらしい。なのにキンキーブーツなお客様は「それよ! あたしが聞きたかったのはそれなのよ!」と言ったらしい。解せぬとAさんは先週のシフトの時に私に言った。まあたぶん、AさんとDさんの言ってることは同じでも、Dさんはフレンドリー接客を極めてる人だし、Aさんはぶっきらぼうなので、だいぶ印象が違うんだろうなあと思う。
Aさんは、「一目見て素敵っていうくらいならもうちょっと僕に優しくしてくれてもいいと思いません?」なんて言っていたけど、キンキーブーツなお客様は素敵な殿方には素敵な接客をして欲しい方だったんじゃないだろうか。
本当にどうでもいいんですが、アイヌに対して差別があったかどうか。差別ではなく村八分かどうか、という本当にどうしようもないことをイキっていた増田がいました。
彼は他の人達から「差別と村八分の定義くらいしっかり確認してこい」と言われても、一切それを改めることなくジャップやイエローモンキーなどの幼稚なアオリ文を繰り返すばかりでした。
最終的に私の出した簡単なソースに対して「こき下ろしてやるから覚悟しろ」と豪語しつつ、一週間経ってもなんの音沙汰もなく逃げてしまう有様。自分が「逃げたな」「逃げたから俺の勝ちだ」と言っているのですから、本当に彼に向けた言葉はすべて無駄でしたね。増田なので何をどうしようが勝手ですし、逃げようとも私には無関係なのですが。
美容院→イケイケの美容師に圧倒されて「あっあっ」とコミュ障を発揮し、「大丈夫?(苦笑)」と言われて死にたくなる。6,000円
焼肉→家族連れとカップルに囲まれて一人肉を焼く。バイトの女子高生と男子大生が笑いながらこちらを見ているのは嘲笑か?疑心暗鬼になり死にたくなる。4,000円
綺麗なスパ→じいさんとおっさんばかりの銭湯の光景を求めてスパに出向くも、春休みとあって子連れパパと学生の集団が騒がしく死にたくなる。隅っこで頭を洗いながら死にたくなる。2,000円
ホテル→ホテルのフカフカなベッドでチューハイを飲み一服。テレビカードで課金しアダルトビデオを見る。どこにいても何をしても孤独な自分と向き合い死にたくなる。8,000円
大学は春休みが超長くて暇だから、朝から晩まで2週間、駅でカップルの容姿を観察してみたけれど、男のほうが女より容姿にこだわらないという説は大嘘だな。
アンケートの類いを真に受けて、実際に苦労して観察することを怠るからそうなる。
そこで卒業にあたって、情報共有と備忘録を目的に6年間の系譜をここに記そうと思う
【高校生】
・プログラミングに興味を持つ
ゲームが大好きで当時は家に帰ると深夜3時までネットゲーム、寝不足で授業爆睡という感じだった
ゲーム作りたいという意識が芽生えて見様見真似でプログラミングを始め、理系志望になった
親から埼玉の家から通える国立に行けといわれ、不幸にも電通大に進学を決めてしまう
【電通大1年】
最初から新入生合宿があって北関東に知らない奴らとバス旅行した
これで友達ができるかと思ったが、なんと陽キャグループとそれ以外が自然と分かれる
俺は自然と陰キャ側へ、しかし守備範囲がバラバラでオタクトークが盛り上がることはなかった
1年はだいたい全員同じ授業で履修の自由度は皆無だった
散り散りになった陰キャ達に居場所はないし、後から仲間に入れてとも言えない雰囲気だった
大学生活終わったと思った
・助け合わないと生き残れない
意外と授業は簡単で過去問も大学が公開するなどぼっちに優しかった
時間割も高校に比べるとスカスカで暇すぎて時間を持て余していた
もう精神さえ保てば大学ぼっちでもいいかなと思い始めたところで
体育と実験が始まった
[体育]
電通大には体育がある(必修)
中学の「はいペア組んで〜」が大学でも発生するとは思わなかった
やめろ
[実験]
2人1組でペアを組む
協力が大事
やめろ
そういうわけでいくら勉強がどうにかなっても知り合いを増やさないと精神が摩耗するのは明らかだった
俺は早急に単独行動者に声掛けを行ってなんとか生きるための知り合いグループを作った
・無慈悲な別れ
なんとか1年間過ごしてみたが
頑張って繋いだ薄い人間関係は専攻分けでズタズタに寸断された
【電通大2年】
・慣れた
開始直後に生きるための知り合いグループを作った
このタイミングにグループに入る重要性は去年痛いほど学んでいた
授業は相変わらず楽だが、面白くもなかった
内容としてはプログラミングを少しやるかぐらいで基本的には数学の勉強が続いた
2年からだがサークルに入ってみたところ利害関係のない友達ができた
精神的な安定感や大学への通学欲が増したのは確かで人間関係の重要性を再認識した
【電通大3年】
・楽しくなってきた
そうだよこれを待ってたんだよ俺は
・研究室配属
電通大では3年生のうちに学生が行きたい研究室の希望を出し、成績と面接で教授から選ばれる
有名企業に行くために大学に通っているんだから、就職の悪い研究室なんて行きたくない
ずうずうしく質問して回り徹底的にサーチした
研究室配属が希望通り決まるとまともな学生生活はこれで終わりなんだと実感した
【電通大4年】
研究室に配属が決まると
興味のあることでもずっとやるのは気が滅入るなと思った
・何かに追われている
研究室は1週間に1回、進捗報告があった
大学でも家でも研究成果を出さないといけないという気持ちになり
俺は大学院に進む前提で将来を考えていたため3年生で就活をしていない
院試に落ちたらどうしようと思った
結果的には2月頃から早めに勉強していたのが功を奏し、危なげなく院試に合格した
・何も変わらない
大学院に進むと授業がほぼない
ただ研究をやるという日々が変わることはなかった
自分との戦いになってきた
・学会で発表
そんなの無理に決まってると思っていたが
俺の英語が下手だとわかると英語話者も優しい英語で話してくれた
・就活がある
でもだいたい知ってくれていて良かった
第一志望だったので満足
・何も変わらない…だがコロナ
・そして卒業
とくに何も起きずに卒業を迎えた
【総括】
Q. 電通大で良かったのか
A. 分からない
後半は貴重な友人もできた
しかし自業自得でもあるが、一般の大学生のような学生生活は送ってこなかった
生まれ変わったら文系に進んでもっと別の大学生活を送ってみたいとも思う
A. 研究室選び
男女がつき合ってないって言ってるのに、それをねちねちtwitter上(鍵ではない)で「○○と△△、同棲している説?」やわざわざ男女両方にメンションして確認とる男、人間として大丈夫か?
まだ、小学生や中学生なら分かる。からかいたいお年頃だもんな。
でもな。これやってるの難関とか言われてる東京一工の大学生だぜ。
せっかくの春休み期間に勉強もせず、バイトもせず、ただただtwitterに張り付いて、
FFの発言には即リプ!知り合いの動向を逐一キャッチするぞ!みたいなことするだなんて、
もうそろそろ大学院を目指したり社会人になるような人間がするわけないよね?
絡みに行くだけ行って、それで顔が広いとかそんなバカなこと思ってないよね??
中学生の時からシムシティをプレイするのが夢だった(今は大学生です)。
どうやら今どきはCities:Skylinesというゲームの方が盛んらしい。
春休みで暇になるしやってみたい。
しかし問題がある。「手持ちのパソコンでは多分スペックが足りない」ということと、「パソコン用語が全然分からない」と言うことだ。
パソコンは「office全般とyoutubeが使えればいい」と言って父(家電メーカー勤務で色々と詳しいのでお任せした)に選んでもらった。
マシンスペックの用語が全然分からなかったのだが、おそらくスペックは足りないだろう。
本当に全く何言っているか分からなかったのでググって出てきた最小と推奨のwindowsマシンスペックをそのまま載せます。
OS : Microsoft Windows XP/Vista/7/8/8.1 (64-bit)
CPU(プロセッサー) : Intel Core 2 Duo, 3.0GHz / AMD Athlon 64 X2 6400+, 3.2GHz
グラフィックボード : nVIDIA GeForce GTX 260, 512 MB / ATI Radeon HD 5670, 512 MB
OS : Microsoft Windows 7/8 (64-bit)
CPU(プロセッサー) : Intel Core i5-3470, 3.20GHz / AMD FX-6300, 3.5Ghz
グラフィックボード: nVIDIA GeForce GTX 660, 2 GB / AMD Radeon HD 7870, 2 GB
OS: Microsoft Windows 10 (64-bit)
CPU(プロセッサー) : Intel Core i5-6200U CPU 2.30GHz 2.40 GHz
(追記)
グラフィックボード:Intel(R) HD Graphics 520 2130 MB
まーじで何を言っているか分からん。これでスペックが全然足りないのかよく分からない。
私のPCのスペック情報はそれっぽいのを写経したが、これで情報が足りているのかもよく分からない。
そして推奨スペックのPCを新規で買うとすればいくらになるのだ…?諦めるべきか…
でもせっかくの休みなのにコロナでどこにも行けないんだぞ!!おうち生活を楽しみたい!!!
PS4やSwitchを買ってそちらでやるという方法もあるが、それらも持っていないし、やはりMODが色々と入れられるPCでやれたらいいよなぁ…。
でもこのIT音痴じゃ厳しいか…。どの知識からつける必要があるのかすら全然分からん…
もしものすごく親切な人がいたら、諦めろとか何かコメントをください。
【追記】
呪文のごとき数字を見比べたが、おそらくCPUが最小3.0GHz必要なところ自分のPCは2.30GHzしかないから、これはダメそうなのかな?
フリーズカクカクでも動きはするかな?
うーん。とりあえずもう少し考えます。似たようなスマホゲーでお茶を濁しておきます。
お返事くれたひとありがとう。
記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます
朝から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります。
「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。
合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。
「■■(弟)、死んじゃった」
涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において
「え??????????本当????????マジで?????????は???????????」
ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。
弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。
自殺未遂をしていたことから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。
なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。
親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。
薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。
お昼を食べたあとは、前から見たかった時をかける少女のアニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。
(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白い作品を摂ることも、生きている人間の特権です。
実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間の活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。
ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。
ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せを放棄しているから。
ただまぁ、私はまだ人生に幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。
だから、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています。
後から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います。
親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しかし感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。
仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装は私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでからお洒落しても何もないです。
親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。
整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまり好きじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれてしかも折り目つけて返されたり、DSのソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。
ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観を確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。
遺書はなく、スマホのデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。
それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。
独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方を自分もするのでしょうが、さらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。
弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います。事故物件作りやがって……と私は思いました。
しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。
私が教官に監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。
もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。
あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。
火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。
いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。
結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。
ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。