はてなキーワード: 女郎とは
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おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
なんでみんなが叩いているのかさっぱりわからん。むしろ叩くことによって、あの時代の文化の中心点だった花魁を女郎と同格にしてるんだよ。叩いて救ってんのかなんかしらんが、あの当時生きた花魁が蔑まされてんの。
吉原は本当に華やかで、大名であっても花魁にフラれることがあった。金さえ積めば一夜を共にとかじゃないんよ。身売りへの同情のみで無理解に叩くことは、吉原が必死で作り上げてきたブランドとプライドをズタズタにする行為。文化への冒涜。今の尺度で語って、わかった気になって同情するのは、もはや花魁が不憫。彼女らからプライドすらも奪う気なのか?花魁なんだぜ。他と一緒にすんな。
吉原は憧れの世界。お前らがセコセコ行くその辺の風俗店を想像しながら叩いてんじゃねーよ。
こんなことはっきり言って古典落語をかじった人なら当たり前に知ってる。50年前から聞いてきた。まず紺屋高尾でも聞いてこいよ。いい話で面白いから。
この遊行女婦は宮仕えの男性を相手にした、教養を持った売春婦とされている
もともと、遊行女婦は女性だけで組織されていたのだが、いつの間にか男性に支配され、今で言う管理売春組織になった
なので、管理売春された売春婦を当時遊女と表現していても、現代人が遊女と呼ぶのは間違いだと考えている
言葉は悪くとも、吉原などの遊郭や飯盛旅籠で働いていた女性は淫売とか女郎の方が適切だろう
ただ、残念なことに世の中そんなことを知っている人はあんまりいない
吉原で太夫とか花魁という言葉がいつ使われていたのかも知らないと思う
知らないなら使うな、とは言わないけれど、知ろうとしてほしいと考えている
そして、知ろうとするきっかけは沢山あった方がいい
弱者中年女性で生きづらいけど、いつの時代に生まれてても自分は生きづらかったろうなと思う
最初のうちはドラマとかで見た「リンがあれば肥料になりますよ!」「ペニシリンって抗生物質があるんですよ!」「建築には釘使うといいですよ」とか現代知識で無双しようとするけど、その作り方は?と言われれば答えられない
せめて測量でもできたら役に立ちそうだけど、三角関数は覚えてるけど微分は最初のとこだけ、積分は知らない
途方に暮れてたまたま出会ったちょっと面倒見のいいおばさんにどうやって生きていこうと相談して
「ちょっとトウが立ってるけど女郎屋なら雇ってくれると思うけどねぇ」と言われて内心比較的若く見えるのかしらと喜んでたら
「あそこは50すぎでも働いてるのもいるし」と言われてしょんぼりする自分が目に見える
言葉もうまく通じないんで外国(ペルシャとか)生まれですって適当に言ったらお坊さんが大勢駆けつけてきて教えてくれと言うんですいません一般人なので知らないですって言って帰ってもらい
最終的に肩身狭くしながらどこにでもいる謎の河原者として生きてそう
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リアルな転移もの読みたいって人もいたので、その後の末路を思いつくところまで書いてみた
ロビンソン・クルーソーにはならなかったよ…
江戸時代にタイムスリップして早々、どうやって生きていくかが最大の悩みになった。
女郎屋なら雇ってくれるという話だけど、この時代の性風俗といえば本番つまり射精。
年齢的に妊娠する可能性は低いけど、いつ病気をもらうかわからないロシアンルーレットの毎日になる。
想像するだけでげんなりする。
今日は無事だったけど明日はわからない不安が毎日続いたら、いずれ死にたくなりそうだ。
実際に女郎さんはうつにかかる人(気病みと言うようだ)や自殺を試みる人が多く、女郎屋の井戸には何人もの身投げがあったらしい。
私は死ねるだろうか。
生活保護もないこの時代、女郎もいやで他にできる仕事もなければ生きてはいけない。
寒さに凍え、病気にかかったり凍傷を負って不具のまま死を待つよりは、ひと思いに自決したほうが楽のように思える。
でも深くて暗い井戸を覗き込むと、怖くてとても身投げなどできる気がしない。
度合いで言えば樫の木のような太い枝で首をくくったほうが楽だろうけど、これまたかなりの勇気がいる。
結局みんな思いきれず、死にたい気持ちを抱えたまま女郎を続けていくことになるんだろう。
これまでは「楽に死ねないかな」だったのが「どの死に方が一番苦しくないか」になった。
リスクで言えば本番のほうが高いけど、物珍しさで案外人気になるんじゃ?
口でだってやりたくないけど、他にどうしても職がなかったらこれでいくか……。
おばさんが心配そうに顔を覗き込む。
「うちのこと手伝ってくれるんならいてくれてもいいけど」
「ぜひ、お願いします」
これは嬉しかった。
家に住める。このおばさんなら嫌な仕事は断ったり交渉もできそうだ。
おばさんは家をぐるりと見回して、「じゃあ……」と言った。
子守は一番簡単な仕事のようで、十そこらの女の子でもやっている。
どうやら無能そうな私でもできそうな仕事を考えてくれたようだ。
情けなくもあるけど、赤ちゃんは大好き。
喜んで抱こうとすると、背中側におぶされた。
おばさんはそう言って帯をぐるぐると巻きつけた。
え……赤ちゃんと遊べるんじゃないの……。
「じゃあアタシらは野良仕事に行ってくるんで、日暮れまでよろしくね」
唖然とする私をよそにそう言うと鋤やクワを持って行ってしまった。
この時代は、赤ちゃんに情操教育が必要だとか誰も思ってないんだなぁ。
それどころか大の大人が野良仕事もせず子供にかまけてると、さぼりだとか楽してると思われるらしい。
あのおばさんだって、産まれたばかりのかわいい我が子のそばについててやりたいだろうに。
まあ、仕方ない。
せめて役に立ちたくて、おじさんがやりかけで放置されてるわらじを編んでみる。
編み方自体は単純だ。
両足にわらを固定して巻いていくだけ。
1からやれと言われたらまだできないけど、すでにある程度できているものをかさ増しするならできる。
なかなか面白い。けど、腰が!腰が痛い!
おろしたいけど帯はかなり固く巻かれてるし、一回ほどいたら自分じゃ巻けない。
みんなが帰ってきたとき帯がなくなってるとほっぽいて遊んでたんじゃないかと思われそう。
気のせいかもしれないけどここの人たち話が通じないというか、気持ちがわかってもらえないというか、
何を言っても全部甘え、人間失格って言われそうな雰囲気あるんだよなぁ…。
なんとか楽な体勢を探していると、生暖かい感覚が背中に広がった。
赤ちゃんがおもらしをしたようだ。
あー……やるよねえ。
家を出て井戸のある村の中央に向かうと、ところどころで泣きっぱなしの赤ちゃんを背負ったまま座り込んでいる女の子がいる。
かわいそうに小さな身体に帯を何重にもまきつけられて、自分では外せないようだ。
女の子の目は年齢に見合わぬ苦労がにじみ出ていた。
こういうのって、よくないと思うんだよな。
だから帯でぎゅうぎゅうにしないで、赤ちゃんや自分の体をこまめに洗えるようにしましょうと言いたい。
けど、幼い子守娘が赤ちゃんをずっと見ておけるのかとすごまれたら何も言えない。
そもそもこんな小さい子に赤ちゃんの命を預けるべきじゃないんだよね……。
豊かになって子供が働かなくて済む社会にする、くらいしか思いつかないもの。
ため息を付きながら井戸で帯をほどくと、むせ返るような悪臭が漂った。
気づかなかったがウンチもしていたようだ。
しかも、カピカピ具合を見るにおばさんたちが家を出る前にしたみたい。
替えていきなよ、親ならさあ……。
桶に水をザブザブ入れ、赤ちゃんのお尻を洗うと汚物が浮き上がってくる。
気持ち悪いなあ。
子供を持ったことのない弱者中年女性はこの程度で目をそらしたくなる。
何度も水をかえてようやくきれいになったが、かえのおしめがないので裸の赤ちゃんを抱えて急いで家に戻る。
さらしを巻いて囲炉裏のそばで体を温めるけれど、赤ちゃんは泣き止まない。
おなかでもすいてるんだろうか。
赤ちゃん大好きだと思ってたけど、かわいくて興味深いたからもの、というよりも片付けなくてはいけない存在に思えてくる。
なんでも山を一つ越えなくてはならないらしい。
わらじはすり切れるし足場は悪いしで足に傷ができてしまい
「すいません、私この靴だと歩けないです……」
おばさんの肩をそっとつついた。
見ればどの人の足も傷だらけだ
「どこの殿様の姫さんじゃろうねえ。辛抱がたらんよ」
まあしょうがない。
やっぱ女郎しかないのかなぁと死にたくなるが、出ていけとは言われず子守をしてるだけで家に置いてもらえた。
意外と人情が残ってるんだろうか。
それからしばらくは子守で暮らすゴクツブシだったが、あるとき仙台の大店の下働きを募集してるとかで口利きがあり、そちらに紹介してもらえることになった。
勘定計算は苦手だし計算間違いもしょっちゅうだが、接客が丁寧だとかで評判が良かったらしく、普通に暮らしていけるようになった。
ときどき、現代知識があればもう少し楽に暮らせるんじゃないかと思うことがある。
大通りで瞽女さんや芸人がやかましい歌やたいして面白くもない芸を披露しているのを見ると、自分だったらもっといい歌や面白いネタも知ってるのにと思う。
思うだけでやらないのだが。
ケアレスミスだらけの無能だけど謙虚で真面目な前垂れというキャラが壊れるのが怖いのだ。
そもそも芸って人を引き込むぐらいの思い切りや自信が必要で、社会が怖すぎる私にはその一歩が踏み出せない。
「弱者男性版フェミニストやるわ」と発奮するキミが被害を受けてたかは知らないが、かつて萌えオタクの領域を中心に、フェミニストによる焼畑が行われてたんだよ。公共の広告がどうの、性的強調がどうの、性的消費するな、などなど…。
萌えに興じる同好のオタクたちは、フェミニスト連中の炎に怯えた。
表現の自由の戦士を知ってるなら聞いたことがあるだろう。ニーメラーの詩を。広告表現だけだからと甘んじていれば、コンビニを焼き、書店を焼き、最後にはネットさえもクリーンにしてしまうかも知れない。萌えエロを知らない次のオタク世代は、ゾーニングで闇に追いやられた夢の、その存在さえも気付かないのだから、当然汚らわしいものとして扱うようになる。そしていつか、萌えは消える。
2、3年前は毎月のように戦々恐々としていたのに。これは、実は、ひとえに一人の士のおかげなんだ。彼が勇気を出して全力で戦ってくれたおかげで、世間は反省し始めた。いにしえから続く女性差別から女性を守る正義の使者たるフェミニストは、絶対に正しいのか、と。いつの間にか彼女らの暴走を許してしまっているのでは、と。時を同じくして、いくつかのフェミの失態になる事件が起こり、現在の小康状態に至る。
すべては敵から身を守るために、必要なことだった。おそらくキミは知らないだろうが、忘れてしまうほど昔にある事件があり、一時期オタクは邪悪な魑魅魍魎として社会から見られていたんだ。ウソではない。本当のことだ。俺は正直あの時代のことは悪夢だと思って早く忘れたい。だけど、状況次第では再び暗雲が空を覆うかもしれない。今、生成AIが爆発的に進歩している。それについては俺の仲間内でも賛否両論があるし、普通に戦争状態なのだが、何にしてもコンテンツは大きく前進するだろう。しかし例えば架空のロリ絵などは、大手サイトでも扱いが揺れている。リアル過ぎる少女の絵は、実在被害者を参考にした恐れがあるから禁止だそうだ。馬鹿馬鹿しいロジックだが、サイト運営の苦労もわかる。
思い出してほしい、かつての非モテ、続いてキモくてカネのおじさん、今で言う弱者男性は、フェミに対抗するために俺たちアンチフェミが作り上げてきた概念だったろう。フェミ連中は、自分らのロジックを自分たちには適用しないダブルスタンダード女郎どもだ! 奴らは嘯く。
おそらくキミも聞いたことがあるだろう。フェミの結束力に叶う相手はいないと知っていながら、それを言うのだから、本当に強かな連中だと思う。だから俺らはフェミのロジックを適用しながらも、差別から救われない便宜的なペルソナをぶち上げる必要があった。フェミの欺瞞を浮き彫りにするために。救われる差別者を決めるのはロジックではなく実は「可哀想ランキング」なのだと。見た目で可哀想に思えないキモいおじさんたちを救えるような、聖者の論理ではない、すべてはそれを世間に示すため。
実在の弱者男性の存在は知っているし、俺らとて見過ごしてるわけではない。彼らを救おうとするキミの意思は立派だと思う。
現状、これがどこにもない。はてな匿名ダイアリー内に確保するつもりだ。協力よろしく。
だがな、その「恋愛における差別」とかいう概念は到底受け入れるわけにはいかないぞ。どうせダブルスタンダードのそしりを逃れるために男女対称にして、
・男は女性の年齢が少し高いくらいで不合理に排除しないとか、・ルックスを理由に排除しないよう努めるとか、・オッパイのデカさで選ぶのは差別とか、
……そういう性の不自由を男にも強いる気だろ?
キミら弱者男性はそりゃいいよ、選択肢がそもそも無いのだろうから。いいからハローワークに行ってくれ。仕事があるなら空いた時間でバイトでもしろ。収入的には食いつなげてるが、性的に不自由なら、………萌えを享受しろ。性的消費の罪悪感に遠慮することはない、表現の自由がそこにあるのだから。頼むから「恋愛における差別」とかいう怖ろしい概念を発明するな。実在してる誰にも迷惑をかけずに、性を自由に謳歌できる人生を楽しめ。
埼玉で行われる予定だった水着撮影会が中止になって、その元凶がどうも共産党だったらしいことが解ってから大炎上している。論調(実際大半がお気持ち表明)をみていると、だいたい二つの主張に分かれる。表現の自由に拘った主張と、女性の社会進出を阻む、要は女の敵は女じゃんって主張。クソ喰らえな主張だ。まずは後者の方で話を進める。女性の社会進出とはそもそも、女性自身が社会の内部に入っていくことを言うのだ。性を売り物にするような売女が社会に増えることとは違う。水着撮影会なんてのは、ファッションショーじゃねぇんだ、要はカメコ共がてめぇらがマス搔きてぇからやってるだけだろう。それで女郎共は承認欲求を満たしたいだけだろう。生まれる利益なんざ何もない。水着の売り上げも何も変わらない。それが本当に女性の社会進出と言えるのかって話だ。百歩譲って女の活躍の場を奪われるってのは、女郎からすりゃ精々自分の性しか売り物にならねぇからそこに汲々としているだけじゃねぇか。グラビアアイドルだろうがAV女優だろうがなんだろうが、結局あんたら性を売り物にしとるだけやろ。それで自分は社会進出してますって胸張って言えるんか?何を高尚ぶってんじゃ阿婆擦れの売女共が。そんな風俗嬢、下手すりゃパパ活女子と同レベルの存在がなにをほざくか。そんなに女性の権利を主張するんなら、まっとうなサラリーウーマンになってから言え。観阿弥世阿弥の時代から芸人ってのはお布施で成り立ってんだよ。社会の外部から抜かすな、ボケ。
表現の自由がどうこうってのもふざけてる。表現の自由を抜かすんなら小林多喜二寸前になってからほざけ。かなり前の、月曜のたわわがどうこう、とかそう言う漫画キャラに対する規制を表現の自由と格好いい言葉で飾るな。そんなのてめぇらのオナニーじゃねぇか。そんなにエロを書きてぇなら快楽天にでも行けや。ほんま、てめぇらのエロ書きたい欲を表現の自由とかって、それこそ表現の自由に失礼だろうが。そりゃ、共産党も怒り心頭になるわな。自分らの党が昔受けた表現の自由に対する弾圧、労働者の現実を、ただの思想を表現するだけで特高に捕まって拷問された人々が過去に実際にいるのに、彼等と便所の落書き程度の表現しか持ち合わせない低俗な馬鹿どもを同じように表現の自由の名の下に扱わなけりゃならんのには。ほんま、正義の味方気取りの馬鹿ども、権利ばかり主張して何もしない野郎女郎共には反吐が出る
ただ、家族から切り離して老人の集落を作る・日中はフツーに農作業して老人集落へ帰っていく地域の方が多かったのでは?と言われているがな
あたおかは捨てるよりも殺した方が合理的とかいうが、兵士ですらPTSDになるっつーのに、自分の両親・家族を殺せるわけねーっつーの
金あるのに棄老している人たちのことを、食うものがなく、泣く泣く山や谷に母を捨てた先人はどう思うだろうな
まぁ地域ごとに特色が違うらしくて圧倒的に殺意が高い地域(棺桶に入れて投げ落とすなど)もあれば、
老人の足腰でも登り降り出来る山に連れてって、昼は山から降りて農作業を手伝い食事をもらい、山に帰っていく地域もあったそうだが
日本の女がなぜかぜんぜん働かないし働く意思もない教育しちゃってるのは、少女漫画の悪影響以外に、
こういう先人の願いがあったのかもな
https://anond.hatelabo.jp/20230327232309
ピカピカの新社会人の皆さまに向け、コミュ力低めの中堅社員からのアドバイスです。
まず、元増田はクソの役にも立たないので速攻で忘れましょう。
そもそも元増田は自分の会社というローカルルールの話をさも一般的に語っていますね。
それは悪魔の所業です。生存者バイアスを助長するものであり、言ったことが違ったら「そんなブラックに勤めてるお前が悪い」などと掌を返すだけのカスです。
じゃあ何を知るべきか、最低ランクの職場を学びましょう。話はそれからだ。
「報連相」をちゃんとしましょうとよく言われると思いますが、まず、報告連絡相談というのは相手が人間でないと成立しません。
あなた達がこれから行くのは、モンスターとクリーチャーが蠢く魔界です。人間はいません。そこからわかりましょう。あなたたちがするべきは報連相ではなく二フラムを唱えるか、黒マナ払って殺害を唱えることです。
そして前提から考えてください。
そもそも仕事、任されたいですか?任されたくないですよね。『いや仕事をガンガンして…』なんて妄想は捨てましょう。それは魔界では通じません。
入社前に描いているやりがいなどという感情は半年もしないうちに霧となって消えます。これは人間界ですらよくあることです。
底辺エッセンシャルワーカーはやりがいのあるクソみたいな単純作業を、そこそこの企業では自分が何をやっているのかもわからないブルシットジョブを繰り返すのが魔界です。あなたたちの行くところです。
人間界と違って魔界では、仕事を任される=出世という公式は存在しません。仕事は任されるけど出世しない、仕事はしてないのに出世する、という世界観をまず共有してください。
出世するとどうなるかというと、管理職になります!やったね!管理職になるとどうなるかというと、残業代がでません!やったね!
出世=給料が上がる、というナイーブな発想は捨てろとどっかのハゲも言ってますね。ちなみに弊社は出世すると残業代の関係で新入社員より給料が下がります。そんな会社はザラです。
給料、本当に高い方がいいですか?それって「どの程度」高い方が良いと思っていますか?手取り20万と30万なら30万の方がいいでしょう。
じゃあ、手取り40万と50万だったら?
高額の税金を引かれた後に残る手取りは、責任の重さに見合うものですか???それを考えてから仕事しましょう。いや、仕事をするのを諦めましょう。ここは魔界です。
そもそも、会社組織というものは儲けを産む一部のヒーロー、あるいはヒーロー部署を支えるための組織です。「誰でも稼げるようにするスキームがある組織」ではありません。
そして、貴方は自分がヒーローではないことに気づくでしょう。では、残りの人達は何をやっているか。
簡単で、ヒーローを崇め奉る仕事か、ヒーローが自尊心を満たすための仕事か、ヒーローから吸血するための仕事のどれかをやることになります。これを読んでいる貴方の仕事です。
そして、勘違いしないで欲しいこと。それは、上司には、ヒーローとヒーローではない人間がいて、
稼ぎ頭系の上司は性格が終わっているモンスターであり、性格がいいタイプの上司は金を稼げない吸血鬼です。
この前提を頭に入れたうえで問います。
上司と上手くやるってなんですか?
「指令」なんて言われて、「荷物を地点Aから地点Bまで運んでくれ」だとか、「この郵便物を届けてくれ」なんて言われる会社だといいですね。
単純作業でひたすらストレスを貯め、劣等感に塗れながら生きる人生が確定します。
そこそこ以上の職務に勤めるあなた達に降りかかってくるのは「先輩Aと先輩Bで言う事が違い、上司Aと上司Bで言う事が違い、さらに客Aと客Bでどちらを優先するべきか悩む」といったクソのような選択肢の数々です。
これは技術系でも必ずそうなります。魔人上野千鶴子が言うように、貴方たちが直面するのは「答えのない問題の数々」ではなく「正解のない問題の数々」です。
選択には常に責任とストレスが伴います。指令通りにやる、という言葉の中に込められた責任と丸投げの精神を貴方達は知るべきです。
「出来ることは出来ないと言う」
「出来ないことは出来ると言う」
です。
何故かって?出来ることが出来ても貴方達のスタミナゲージは減る一方です。どんどん仕事は増える一方です。
魔界では仕事が増える=死です。寄生虫と吸血鬼を活かすためにヒーローになることを否定はしませんが、貴方はそういう人間ですか?
違いますよね。出来ることも出来ないといいましょう。
ただし、出来ないことは出来ると言いましょう。これで貴方は、挑戦的な人間でありつつ、上司にケツを拭かせることが可能です。
上の二つを実践してみてください。何言ってんだ、と思うかもしれませんが一番QOLが上がります。
報告とは何か、なんて最早語る必要ないですね?
「オレはお前に確かに言ったぞ!」なんて言ってくる怪物相手に、何を報告する必要があるんでしょうか?
貴方が言うべきは「すみません忘れていました」の言葉だけです。そもそも、上司は自分の言ったことなんて覚えてません。
文章でやりとりしろと思うかもしれませんが、そういう人間達に限って文面でのやり取りを非常に嫌います。
弊社はslackやメールやsharepointを活用していますが、それでも尚、です。
貴方達の頭の中には「最強のやり取りの仕方」があるのかもしれませんが、そんなものは魔界では通じません。
最初に文明の利器を捨てましょう。次に感情を捨てましょう。最後に、倫理を捨てましょう。それが魔界で生き残る術です。
相談とは、何か。もうおわかりですね。
つまりチクりです。魔界において、コミュニケーションとは他人の足を引っ張る時に限り、十全の力を発揮します。
「アイツ、○○さんの悪口言ってましたよ!」レベル、そう、小学生レベルで構いませんので、とりあえずチクってみましょう。
意外と、効きます。
これができるかできないかで、大きくサバイブの確立は変わってきます。
特に、喫煙所や居酒屋といった、密室かつ瘴気が多い場所は地形効果が乗るのでチクり効果も絶大になります。
気に入らない人間を排除するのは二流です。一流たらんとする者は、とりあえず対象を選ばずチクってみましょう。ただし、お局、可能なら女性をターゲットにするのはやめましょう。
彼女達は恐怖のスパイダー・ネットを張り巡らせた妖怪女郎蜘蛛の集まりと心得ましょう。
社内人事から浮気まで、上司なんかよりはるかに速い速度で彼女たちは情報を伝達します。とにかく、女子には媚びておきましょう。マジで。死ぬから。
まあ冗談は置いておいて。
そもそもコミュニケーション能力なんてものは、測れないんです。
土方とIT技術者と芸能人の集団で、必要な能力が一切異なるのは自明の理なのに、我々は「コミュ力」という一言に全てをまとめすぎなんです。
会社で何であんなやつ採ったんだと言われても、「面接のときは上手くしゃべっていたのになあ。あれなら誰にも見抜けないよ」と言い訳することが可能ですし、
自分の好みでない学生にはわざと挑発的な質問を浴びせて、「あの程度の質問で腹を立てているようでは組織人としての能力に欠けてるよ!」なんて言えるんです。
だから、まず自分がコミュ障なのかコミュ障じゃないのかは、その所属集団によって決まるということを良く知りましょう。なんでそんなことがわかるのかというと、私がそこそこ大きい企業の採用担当者だからです。
上の会話も、私自身がよくやっているものです。私も魔界に住まう1人だったんですね。
さて、それでは君達はどう生きるべきか。
それはタイトルに書きました。
全てを諦めて魔族になりましょう。