「女郎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 女郎とは

2020-09-07

anond:20200907102931 anond:20200907103159

ポルポトなの?

ガチメンヘラが考えることはマジやべぇは

 

ジャップランド子どもは親の拡張臓器扱いで

児童福祉よりも親の権利・娯楽で

挙句子どもを育てた分だけ年金額をあげろとき

 

奉公女郎子どもを売り払った親たちもそうは言わなかっただろうよ

2020-08-25

anond:20200825184447

できなかったら、子供女郎屋にでも打って、全額弁償するつもりか?できるなら、できると営業に言ってるに決まってるだろ?

営業のいこうが、技術を妨げることはない。できるものはやってやる。

物理現象とか、コロナに、営業意向から総理大臣意向から今日感染するなと営業が言って、発言をしたということを。どうしておれが、怪我しなきゃいけないんだ?怪我をしたぞ。子供もまぁ、結婚がなくならや真だってことでいいだろ?

ほら、コロナに、営業意向って言ってきてくれ。ありがとう営業意向でとまるんだ、よかった。

2020-07-22

anond:20200722173654

紺屋高尾とかみてるとそうだよなー

今の芸能界みたいなもんかな

地下アイドルみたいな女郎もいたけど

2020-07-20

新社会人だけど負債を抱えて生きている気がする

憂鬱な気分で仕事をしていると、ふと思うことがある。

俺は負債をかかえているんじゃないかって。

別に奨学金を抱えているとか、リボ払いをしなければいけないわけじゃない。

銀行口座には実家暮らしで貯めた数十万円がある。

なぜ負債を抱えている気分になるかというと、残りの人生をただ生きるだけの金勘定をしてしまうからだ。

毎年200万円使うとしたら、あと単純計算で1億4000万円程度の金が必要だ。

俺はその金を稼ぎきるまで働き続けなければならない。いわば借金を抱えて吉原に売られた女郎と同じなのだ

まともな人間なら働きながら自由に生きればいいじゃないか、と言うかもしれない。

でも俺は働きたくない。働かない自由謳歌したい。自由謳歌できない以上、借金を返すために働き続ける奴隷だ。

ローマ奴隷みたいに脚に鎖をはめられたまま結婚して、奴隷候補の子供を作って、

奴隷なりの幸せを築くことが良いことなのだろうけど、負債を抱えたまま結婚恋愛もする気になれない。

負債をチャラにする方法は一つだけある。死ねば生きるための費用は掛からない。けれど働きたくないか死ぬ勇気はない。

できることな自由に生きたい。

ああ、また働くために、早起きをするために、寝なければいけない。寝たくもないのに。

2020-07-09

anond:20200708230108

>よくネトウヨ勘違いしているが、日本という国は歴史が浅い。

実際ネトウヨが思い描いている日本という国は

1.国家神道もっとも主要の宗教

2.みんな天皇を崇拝

3.夫婦同姓が伝統

4.専業主婦が成人女性のあるべき姿

5.男女はみな結婚すべき

6.結婚するまで童貞処女であるべき

7.みんな清潔で善良

かいう特徴があるみたいだけど、以上すべて明治維新以降、下手すりゃ昭和以降の、それも旧武士階級のような一定以上の階層のみの習慣

実際には大多数の日本人(農民町人は)

1.仏教神道ちゃんぽん信仰神道の方がエラいという意識はない)

2.帝というのがいるらしいことは知ってるが見る機会はゼロだし拝んでもいない

3.庶民には姓がなく武士階級以上の女性結婚後も実家の姓を名乗る

4.農家商家では奥さんも亭主と一緒に働いていた(家業から

5.江戸大坂のような大都市は恒常的に男の人口が女の倍以上だから、一人身で女郎屋通いとかしてるうちに死ぬ方が多数

6.女子は家が貧しければ10代で遊郭に売られ、男子10から地元の悪い兄貴分に誘われて夜這い女郎買いが普通

7.上下水道が不充分な土地では常に道も川も臭くて汚くポイ捨て普通貧困が原因の暴力犯罪少年犯罪もすごく多かった

――そんなんが実態やで

そういう意味においては「みんなが思ってるような日本」は

実際に1945年以降と考えても極論ではない気がする

2020-06-13

お前の娘を女郎屋にたたきうって、その金子はおれがもらっておく、お前には恨みも、借金もないけど、俺今金がないんだ

という交渉相手に対して

話ぐらい聞いてやれよ、交渉に応じろという、増田を始め、周囲にも話は聞いてやれという人が増えました。

他方、そういうのを警戒してか、金額感の問い合わせに応じないメーカもむかしからいます

どうしたら良いでしょうか?

2020-06-09

anond:20200609212708

この差別野郎が!

 

野郎じゃなく、女の可能性があるな。

 

この女郎が!

 

ああああ、あかん俺も差別野郎なっちまう

 

いや、私も差別女郎なっちまう、だ!

2020-06-06

anond:20200606092043

おお、オタクイジメられてたのかあーゆークソ野郎女郎クソ文化に!

(´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ

2020-04-28

風俗で働きたくなかったら土方でも警備員でもやればいい

貧困に苦しむ女性風俗で働くことを「強いられる」という言い方はおかしい。強いられていないじゃないか。昔の女郎屋に身売りされるわけでもないんだから

スキルがなくても、土方でも警備員でも清掃員でもやれるだろ。それをやらずに短時間高収入が得られる風俗を自ら選んで、バニラ仕事さがしてるだけじゃないか

貧困に苦しむオッサン最初から選択肢なしで土方や警備員や清掃員やってんだぞ。それでも食えなくなったらホームレスになるだけ。

あぶく銭稼ぐ選択肢があるだけまだマシなんだよ。

2020-04-27

困窮したからといって風俗で働くことを「強いられる」訳ではない

返しきれない借金を抱えたなら自己破産することもできるし、生活水準を最低限に下げられるなら生活保護を受けることもできる。

他にも選択肢はいろいろあるけど、風俗で働かなければ飢え死にするような状況ではない。

それでも風俗で働くのは、様々な選択肢比較した上で自らそれを選択した結果としか言えない。

戦前みたいに親の借金返すために女郎屋に売られるわけではないんだから、「強いられる」というのはおかしい。

2020-02-19

吉原江戸文化の中心!とか持ち上げる人さぁ

https://japanknowledge.com/articles/edomeijitokyo/?i=2

>やはり吉原で遊びたいのは人情というもの吉原は常に江戸文化の中心であった。

吉原の遊びを一律にただの女郎買いと思っては誤りである



もう2020年だってのに、それなりにちゃんとしたサイト小学館系列が出してる学校向けツール)にもこういう文章が載る。

吉原システムって性奴隷じゃん。

当時ですら娘を吉原に売るのは可哀そうって認識はあったんでしょ。

それなのに客=搾取する側の視点で語られた吉原を無批判に受け入れて、江戸文化とか持ち上げるのさ、物書きとしてバランスが悪すぎる。

文化の発信地の一つだったのは事実としても、貧乏の子供が人身売買されて売春させられてて、吉原から出られないまま若死にした人間がわんさかいました!ってとこもちゃんと書かないと。

自分のひみつの日記帳に書くならいいけど、学校向けのサイトで公開する文章なんだからさ。

その2でちゃんとそこ書いたら謝るわ。

2020-02-17

anond:20200217174040

そのうち娘が女郎屋に身売りして葬式代稼ぐ時代が来そうだな。ひとりそれらしい女 複数人AKBにいたな

2020-01-27

[]ミケちゃんシロちゃんの性知識問題

増田を見ている皆さん、こんにちは。皆さんは1月18日から劇場公開されている『劇場ハイスクール・フリート』を何回見ましたか? 私はまだ4回しか見ていないのですが、きっと皆さんはそれ以上に『はいふり』を堪能しているのでしょうね! 羨ましいことです。

さて、『ハイスクール・フリート』で多くのカプ厨を沸かせたシーンといえば、やはり「本屋晴風」でモモちゃん……もとい青木先生薄い本を読んだときシロちゃんとミケちゃんの反応の差が挙げられます(それにしてもナマモノ本を当人たちに見せるってなかなか肝が据わってますよね青木先生)。

青木先生薄い本を読んだシロちゃんが真っ赤になる一方で、ミケちゃんは「シロちゃん、これって何してるの」などと尋ねており、明らかに内容を理解していない様子です。

しかし2人は同じ高校1年生のはずなのに、どうして青木先生漫画理解度に差が生じているのでしょうか。ミケちゃん無知すぎるのでしょうか、それともシロちゃんが性知識豊富すぎるのでしょうか。

この増田では、いくつかの仮説を検討して結論を出したいと思います

ミケちゃんは保健の授業で居眠りしてた説

青木先生薄い本の内容がエッチではあるがさして突飛でもない常識的プレイだった場合シロちゃんの性知識は年相応のものだがミケちゃんのそれはそうではない、という仮説が導かれます

おしべとめしべも知らずに艦長が務まるのかという疑問はあるでしょうが別に航洋艦女郎宿でも何でもないわけで、船の動かし方についてよく知っていてさえいれば子供ができる仕組みについては理解していなくても問題ないということなのでしょう。

ミケちゃん魔性の女説

ミケちゃんはあえて理解した上で無知を装ってシロちゃん質問することで天下の大通り羞恥プレイを楽しんでいるという解釈ももちろんありえます

しかしだとすればミケちゃん性格的にはむしろ

漫画の中だと、わたしたちここまで進んでるんだね……現実には、まだ××もやってないのにね。ね、シロちゃんちょっと△△してみよっか?」

みたいな感じでシロちゃんに仲良しすることを誘った挙げ句家族しそうですよね。好意ストレートに伝えてきそうというか。なのでこの説も惜しくはあります却下です。

シロちゃん恋する乙女

別名、青木先生少女漫画がお好き説。

そもそもモモちゃんが描いていた内容には特に性的描写はなく、いたって普通恋愛漫画に過ぎないのだが、恋する乙女シロちゃんが過剰に興奮してしまった……という仮説です。

正直シロちゃんはかっこいい表情でシロちゃんに迫るミケちゃんイラストを見てドギマギちゃうレベルシャイガールだと思うので、青木先生ちょっと気合の入った全年齢ミケシロイチャラブシーンを描いただけでも真っ赤になってしまうのはもう火を見るより明らかです。

この場合、ミケちゃん別に知識が極端に乏しいとかではなく、特殊な生育環境ゆえにポッキーゲームを知らなかったとか壁ドン意味がわからなかったとか、そういうレベル無知だった可能性があるのではないでしょうか。

このレベル無知ならありえる話じゃないか個人的には思います

シロちゃんはムッツリ説

別名、青木先生エロ同人がお好き説。

青木先生の描かれたシチュエーションもといプレイがあまりにも特殊であった場合、あるいは同じ業界の人にしかからないような隠語メタファーが散りばめられていた場合、平均的な性知識しか持っていなければ内容を理解できない、という可能性は十分にありえることでしょう。

もしもミケちゃんが保健の授業をちゃんと聞いていたにもかかわらず青木先生薄い本で描かれているもの理解できなかったとするならば、その内容は極めて特殊性癖リーチした内容のものである可能性があります

ではそれをどうしてシロちゃんが知っていたのか? という問いに対し、「それはシロちゃんがムッツリだから」と答えるのがこの仮説です。

ムッツリであるシロちゃんは日頃から特殊性癖隠語に親しんでおり、それゆえに青木先生の描かれる特殊な内容の薄い本完璧理解することができてしまったのでしょう。

しかシロちゃんがムッツリだとするならば頬を赤らめながら熟読するはずで、正視に耐えないとばかりに目を逸らしているあたり別にムッツリではないのではないかという疑念が湧いてきます

そうであるならば、いったいどうやって彼女特殊な性知識を得たのでしょうか。その疑問への答えとして、次の説が提出されます

真冬姉さんは下級生男子から尊敬されてそう説

劇場版でのシロちゃん回想シーンで、ご幼少のみぎりに部屋に入ったところ真冬姉さんがホラーを鑑賞していたため、怖くて一人で寝られなくなってしまったというエピソードが語られます

姉の見ていたホラー映画をうっかり見てしまうことがあるのなら、姉の持っていたエロ本をうっかり読んでしまうこともあるのではないでしょうか。

しかし、真冬さんはTVアニメ漫画はいふり』の描写では尻! 胸! という感じのなんというか非常にわかやす即物的性癖の持ち主であり、そこまで特殊性癖をこじらせているようには見えません。

ですが、姉ならもう一人います。それについて次で説明します。

真霜姉さん腐女子

この件について友人と熱く討論をしていたところ出てきた説です。

劇場版などでかなりのSっ気の持ち主であることが衆目に晒された宗谷三姉妹の長女宗谷真霜さんですが、彼女が実は割とディープ腐女子であり、その蔵書をうっかりシロちゃんに見られてしまったと考えれば、色々なことの説明がつきます

漫画版を見る限りでは、彼女私生活はかなりだらしなく、シロちゃんはしばしば彼女の部屋に立ち入っています。そのような関係姉妹ですから、うっかり秘蔵の薄いブックを目にすることもままあったのではないでしょうか。

そして真霜さんの蔵書によって植え付けられた一般の方があまりご存知ないような営みについての知識を持っていたからこそ、おそらくは真霜さんの同好の士であろう青木先生のミケシロナマモノ本に反応することができた、と考えれば辻褄が合います

個人的には宗谷真霜さん腐女子説に一番説得力を感じるのですが、はてなの皆さんはいかがでしょうか。

他にも、「モカちゃん上下関係を叩き込まれた説」「ココちゃんブルーレイを見せられた説」「クロちゃん夜這いしてる説」「ミーちゃんダンダンケされた説」「リンちゃん下剋上された説」「タマちゃんに撃ち抜かれた説」「メイちゃん魚雷発射された説」「サトちゃんにピロピロされた説」「まゆちゃんどん底に堕とされた説」「まりこおじさんの薙刀が一閃説」「実はシロちゃんマッチの女説」「みなみさんの保健体育実習説」「古庄薫は夜の教官説」「真雪母さんが4人目に向けて活動中説」「宗谷家に伝わる因習説」など様々な説がありますが、蓋然性が低いことからここでは採用しませんでした。

なお、増田はミケモカ前提のミケシロと宗谷真霜×古庄薫を応援しています。いやだってモカちゃんはどう見てもシロちゃんナチュラルに見下してるしシロちゃんシロちゃんでミケちゃんモカちゃんがいちゃつくのを眺めながら「まあ正妻さんですから仕方ないですね」みたいな一歩引いた二号さんの表情をしてたじゃないですかそんなんだから正妻戦争で敗北するんですよわかってるんですかシロちゃん! リンちゃんにも岬さん呼びでマウント取られてるの理解してるんですかシロちゃん! 仕方ないかシロちゃんのことは大親友心の友であるわた納沙幸子さんに面倒を見てもらうといいと思います

2019-12-25

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kasuga391/status/1209391339239985158

女房を質に入れても初鰹」とか人身売買してるとかい江戸時代質屋への熱い風評被害だなと思ってたけど、

なんか日本江戸時代人身売買していなかったという事になってるけど、普通にしてたよね?

質屋が関わってたかどうかは知らんが、女房女郎として売っぱらうってのはあったはずだが。

んで金が出来ると買い戻してまた仲良く暮らしたりとかもあったらしい。現代人だといまいち理解できんが。

2019-12-24

吉原江戸文化の中心!とか持ち上げる人さぁ

https://japanknowledge.com/articles/edomeijitokyo/?i=2

>やはり吉原で遊びたいのは人情というもの吉原は常に江戸文化の中心であった。

吉原の遊びを一律にただの女郎買いと思っては誤りである



2020年にもなろうかというのに、それなりにちゃんとしたサイト小学館系列)にもこういう文章が載る。

吉原システムって性奴隷じゃん。遊女寿命、短かったっていうし。

当時ですら娘を吉原に売るのは可哀そうって認識はあったんでしょ。

なのに客の立場で見た吉原だけを無批判に受け入れて、江戸文化とか持ち上げるのさ、物書きとしてバランスが悪すぎるよ。

遊女人身売買されて売春させられてた貧乏人で、吉原から出られないまま死んだ人間がわんさかいたってとこもちゃんと書きなよ。2020年だし、もう。

その2でちゃんとそこ書いたら謝るわ。

2019-11-02

anond:20191101232510

「とぼとぼ」は江戸時代初期から使われはじめた近世語のようだ。

https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame114.html

大言海

とぼ‐とぼ〔副〕老人などの、よろぼひ歩む状、又、歩みのはかどらぬ状に云ふ語。よぼよぼ。よろよろ。よぢよぢ。よたよた。

博多女郎波枕(享保近松作)中「姥が出れば惣左衛門、こりゃ姥、何をとぼとぼする、今の銀(かね)は隣の道具賣ッた銀(かね)」〔三-576-2〕

https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8%E3%81%BC%E3%81%A8%E3%81%BC-584747

精選版 日本国語大辞典

[1] 〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)

ぼんやりしているさま、元気なく、疲れたさまなどを表わす語。しょぼしょぼ。〔続無名抄(1680)〕

浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)下「ろくに寝ぬ夜の目もとぼとぼとほこりまぶれの髪かたち」

② (「とぽとぽ」とも) 力なく緩慢に行なう動作特に歩くさまを表わす語。

たけくらべ(1895‐96)〈樋口一葉〉一一「少しうつむいて居るらしくとぼとぼと歩む信如の後かげ」

[2] 〘名〙 (形動) ぼんやり、うす暗くおぼつかないこと。また、そのさま。

浮世草子好色産毛(1695頃)五「ある夕暮のとぼとぼより、誰やら我につき添て目にありありとみゆる」

ちなみに「よぼよぼ」も近世語で、1628年の「醒睡笑」に出ているらしい。

その元になったのが「よろばう」で、これは「あちらに寄ったりこちらに寄ったりする」=「よろよろする」という古語

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%88%E3%82%8D%E3%81%BC%E3%81%B5

「しょぼしょぼ」は15世紀には見られた言葉で、その語源古語の「そぼつ」らしい。

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%9D%E3%81%BC%E3%81%A4

「そぼつ」は「濡れる」という意味で、今だと「濡れそぼつ」とか「雨がそぼ降る」とかに残っている。

「大雨でずぶ濡れ」というよりは「小雨がずっと降り続く」ようなイメージで、そこから「雨がそぼそぼと降る」→「しょぼしょぼ」になっていったわけだ。

「とぼとぼ」は単純に「よぼよぼ」や「しょぼしょぼ」から転訛という可能性もあるけど。

この二つには「よぼける」「よぼくれる」「しょぼつく」「しょぼくれる」みたいな動詞形があるので

そうすると「とぼとぼ」も「とぼける」「とぼつく」「とぼくれる」などと結びつけたくなるよな。

日本国語大辞典の「ぼんやりしている」という説明からすると「惚(とぼ)ける」と関係なくもないのかな。

ところで「とぼける」は「惚(ぼ)ける」に語調を整える「と」がついた形らしいけど(遠惚る・言惚るなどの異説あり)この変化が起きたのはいつなんだろう。

「そらとぼける」の用例が1420年にあったなら大丈夫か、というかもしかして「とぼける」より「そらとぼける」のほうが古いのか。

https://kotobank.jp/word/%E7%A9%BA%E6%83%9A-2057783

2019-09-22

anond:20190922112731

慰安婦にかかわる欺瞞がいくつかある。

1.戦前日本も貧しく、恐慌時には農村の娘を女郎屋に売る、その際に女衒と呼ばれる人身売買業者が介在していた。(「おしん」などでもエピソードが出てくる)

朝鮮半島もまた同様に人身売買業者朝鮮人が多い)が、時としては強引に連れて行ったこともあるかもしれない。

さすがにそれは日本政府や軍の責任というには無理がある。

2.慰安所第二次大戦時だけではなく朝鮮戦争時にもあった。

存命の慰安婦と称する方の証言には、ジープで連れていかれたなどのものもあり、また年齢から推察するに朝鮮戦争時の米軍相手慰安婦がかなり含まれていると思われる。

これには、朴クネ前大統領父親である朴正熙が深くかかわっていたとの情報もある。

米国韓国保守派も都合が悪いので、このことは黙殺している。

2019-06-24

anond:20190623221719

女に生まれても、高収入男と結婚できるかの前に

1.容姿ガチャ

2.性格ガチャ

3.出会いに恵まれ職場ガチャ

などなどがあってだな

うっかり未婚のまま歳を取ると、男で未婚の場合よりもっと世間体は辛い

からの孫が見たいプレッシャーとか

高望みせず結婚できた同年代の友人との格差とか

歳を経る内にどんどん深刻になる

男で独り身というモデル像は女の場合比較すれば古くからある

江戸なんか男女比3対1ぐらいだから女郎屋通いとかしながら独身で死んだ奴は大勢いた

30代、40代、50代と歳を経るうちに、結婚できないと世間体が辛い問題は女の方がきつい

しか就職求人も歳とるとますます女の方は少ない

非モテ男は平然とデカい声で自分被害者のようにわめき立てるが

低スペ女の方は粛々と縮こまってるから世間の目に付きにくいだけだよ

でも数の上では容姿にも出会いにも恵まれラッキーな女よりずっと多数いる

と、アラフォー独身女の兄(妹よりもっとダメアラフィフ男)が言ってみる

2019-05-20

原作しか知らんけど、DBキャラって友達いないやつ多くない?

まともに友達付き合いしてるのは悟天トランクス位だろ。

野郎どもは地球の危機とかだと一応共闘してるけど、日頃は友達付き合いしてないっぽいっつーか、天下一武道会でもなきゃ顔合わせるのも少なそうだし、

女郎どもはチチブルマは一応ママ友っぽいけど、趣味全然違いそうだし。

原作世界危機の場面しか描写してないから大して孤独な感じはしてないけど、平和時にはかなり生きづらくないかあの連中。

元々別にバトル好きじゃなくて学校にも行って職も得てる悟飯例外的に社交的だからまだマシかもしれないけど、

他の武闘派の面々は、日頃は周りから白い目で見られながらくそ孤独筋トレやってて、世界危機とか来ると「待ってました!」って感じじゃないかね。

2019-03-13

anond:20190313130619

10年育休産休挙句復帰してパートより仕事せず子供の熱だの何だので休みまくる

より大分マシだと思う

つか女子アナって(NHKもそうなのかは知らんが)

基本アナウンス室にいる中から番組ディレクターが選んで仕事させるシステムから

選ばれなければ仕事がなくアナウンス室にいるだけ、で

アナウンス室は女郎置屋とか言われてると聞いたが

だとしたら育休で居ないのは仕事なくてアナ室で茶挽いてるのと同じ事で、別に同僚に迷惑はかからないんじゃね

強いて言えば他の女子アナ志望者はさっさと辞めて席空けろよ!って思っているであろう、って事くらいで

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん