はてなキーワード: 十字架とは
狐狸庵先生原作の沈黙という映画を観た。逆吊りに呻く人たちがびくんびくん跳ねるのを観て、EXTRAVAGANZAというエロゲを思い出して不覚にも勃ったあたりで少し飽きてたんだと思う。
建前と本音の使い方に悩む自分にとっては、自分の信条が宗教になった途端に厚顔かましく外で全裸になるその性が全く信じられん。隠せよ、その汚えブツを。
内面に踏み込む井上さんの行為はなるほど、不快だったが、フェレイラの話には説得力があった。パライソに行けるとしか言わねえ、信者達に苛立ち、アミニズムを信じる原始人共が遠回しに貶す彼は本当にポルトガル人なんだろうか。イングランド人じゃないのか?
社会人が世間体や収入で評価する中、僕だけは違うんだ、本当はこんなんじゃないんだと拗らせるのと何が違うんだろう。転びポーロという言葉を聞いて心の声に逃げたのか?みっともない。
人は誰しもキチジローだと思う( ・ิω・ิ)
彼女はコートなのかワンピースなのか何なのかよくわからない物を着ていた。
セーラー服のように肩から背中に垂れ下がった布切れには両側の隅に十字架の切り抜きがなされていた。
素材はフェルト。そのモコモコ感を童貞はガーリッシュだと思い込む。
こんな不穏なオーラを発する服を着込んで街を闊歩する輩など童貞殺し以外にはいないだろう。
頭頂部から肩にかけて華厳の滝の如く真っ逆さまに降ろされた童貞殺しの髪は、
僕は漆黒のその髪からちらと見える顔から目が離せなくなっていた。
化粧っ気のない、地味な顔。
いや化粧をしていてもパッと目立つようなタイプではない。あっさりとした顔立ちである。
だがしかし均整の取れた造形ではある。
僕はまじまじと彼女の顔を観察する自分に気がつき驚きおののく。
童貞殺しは童貞に飽き足らず素人童貞である僕まで魔の手にかけようとしているのか?!
駄目だ。このままこの人を見つめていては駄目だ。
そう言い聞かせ僕は目線を逸らして下車する駅まで待った。
視線の先には190cmはあろうという長身に女子中学生のそれ程の大きさしかない頭部がのっかった、
それまで自分が乗っていた車両は童貞殺しを乗せたまま隣町のほうへ発車してしまった。
童貞殺しは多分明日も童貞を殺し、オタクどもが集ったサークルという名のまやかしを崩壊させる。
Aesthetics of Destroy
そんなことを思いはせながら改札を通ろうとすると横から割り込む若い男が。
何だと舌打ちしてその姿を見て僕はこう思った。
映画「沈黙‐サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。
私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教の最大公約数を目指して当たり障りのない範囲で解説をしていきたい。
ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックがベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。
私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。
キリスト教の神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈で問題ないと思う。
神様は世界を作った後で、エデンの園って場所(地球上のどこか)に最初の人間を作った。アダムとイブ(宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様は人間を絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分の意志で神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。
で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪の知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間と約束した。
元々、神様は人間を「不老不死」で「罪」も犯さない存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。
「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類は100%罪人ってこと。
そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。
※余談だけど「神様は全知全能なんだから、アダムとイブが約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすいツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。
人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様は人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト。
このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇な存在。しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする。
とにかくイエス・キリストは、人間として生まれて大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解しやすいだろうか。
そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様はあくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから、人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様に宣言する必要がある。
何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼(バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。
人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから、神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。
じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。
まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せに暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通。
とまあ、後半は特に曖昧な表現が多くなったけど、キリスト教の最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。
本当は、これを踏まえて「一般的な日本人とクリスチャンの意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。
マリオは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
マリオには政治がわからぬ。マリオは、京の土管工である。茸を食べ、花を摘んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明マリオは京を出発し、野を越え山越え、二千百九十里はなれた此のサンフランシスコの市にやって来た。
マリオには父はあるが、母は無い。女房も無い。歳の同じ、内気な弟と二人暮しだ。この弟は、サラサランドの或る律気な一姫君を、近々、花嫁として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。マリオは、それゆえ、花婿の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。マリオには竹馬の友があった。キノピオである。今は此のサンフランシスコの市で、探検家をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。
歩いているうちにマリオは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなマリオも、だんだん不安になって来た。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。マリオは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ嫌がらせをするのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの嫌がらせをしたのか。」
「はい、はじめはスーパーマリオブラザーズで。それから、スーパーマリオブラザーズ2で。それから、スーパーマリオブラザーズ3で。それから、スーパーマリオワールドで。それから、ヨッシーのロードハンティングで。それから、スーパーマリオヨッシーアイランドで。挙げればきりがありません。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。キノコ王国のピーチ姫と結婚したいだけだ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、嫌がらせされます。きょうは、六人嫌がらせされました。」
マリオは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏のヘイホーに捕縛された。調べられて、マリオの懐中からは花が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。マリオは、王の前に引き出された。
「この花で何をするつもりであったか。言え!」暴君クッパは静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とマリオは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはマリオが嘲笑した。「罪の無い人に嫌がらせをして、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、マリオは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の弟に、女房を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は京で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」マリオは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。弟が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にキノピオという探検家がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を煮るなり焼くなり好きにして下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に嫌がらせしてやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を大砲飛ばしの刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りに、きっと嫌がらせしてやるぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
竹馬の友、キノピオは、深夜、王城に召された。暴君クッパの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。マリオは、友に一切の事情を語った。キノピオは無言で首肯き、マリオをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。キノピオは、縄打たれた。マリオは、すぐに出発した。初秋、満天の星である。
こんばんはメリークリスマス。これは残念な発達障害アラサー喪女のしんどいクリスマスの話。
私の険しいスペック
・家族と不仲
・腐った方のオタク
一人暮らしは5年前からで、家族が私に辟易して半ば追い出される形でする事になった。
投薬治療と婚活費用、自分の生活費と出費が重なり正直元々貧乏なのに更にここ1年程苦しくなって来年実家に帰る事を親に相談していた所。
最近将来が後ろ暗い事で悩み、更にうつが酷くなり部屋はぐちゃぐちゃ、部屋にいても孤独感でしんどいのもあった。
クリスマスに食事を誘われたのをきっかけに発達障害の事を親に告白しようと思ってた。
少しでもお互い理解出来たら、楽になるかなって思って。
昨日から実家に帰って過ごした。鼻風邪と生理の貧血で頭は働かずぼーっとしてたせいで発達の症状は酷く出ていた。
母とは終始折り合いが悪かった。我慢してたけど口撃が凄くて終始頭がガンガンした。
私が発達障害でずぼらなとこもあるかもしれないけど、それでも昔よりは失敗を糧にしてかなり気を使って生きてる。
それでも足りないのか母はどこか異常に神経質で細かくて。
他人や私のミスやちょっとした不器用さにもそこまで言わなくてもというとこまで執拗に口撃する。
寛容さがなくて、許容値が狭い。
身内で、私が発達で何も期待に応えなかったグズで嫌いな子供だからつい口が出るのかもしれないけど。
…やっぱり母と私は合わない。
発達の事を話すつもりだったけど、、、辞めた。
私は存在否定と肯定感を得られず更に苦しむ。
そもそも、大して心から褒められたりそのままの私を認めて肯定してくれた事が殆ど記憶にない。
「お前には何度も裏切られた」ってわざわざクリスマスに言われた。
母も人間だから、頑張った事(子育て)に対して見返り(子の人間的成長や報酬)が欲しい、その気持ちは解る。
けれど、発達の私にはそれがどれも上手く出来なかった。
私も周囲の成長に合わせられず何故「普通に」出来ないのか、わからなかった。吐くほど苦しんだ。
母や父の眼差しが曇りいつしか弟にしか目を向けないのを私は黙って見てるしか出来なかった。
弟は私を当然蔑視し、中高生当時学校も家庭も人間関係が上手くいかず苦しんでいた私を容赦なく罵倒した。
血の繋がった家族に、守られるどころか心の傷を更にえぐられたショックで私は弟と口が聞けなくなった。
今年で15年近く喋ってない。
年明けに弟とその彼女と食事をするので出席して欲しいと母に言われた。
という私も今年婚活して付き合った人が居たが別れた。改めて男女付き合いにも疲れた所だった。
弟には家庭の癌みたいな私をもう気にしなくていいよと思っている。私の事嫌いつってたし。
もう、お互いの為にも自分の幸せだけ考えてくれればいい。そこに私が介入する必要ない気がする。
ていうか、彼女に姉が発達障害ですなんて言うの?それ彼女的にはすげー悪条件なんじゃないの?
破談の責任取れないよ?もし破談になったら弟に刺されて殺されるか私が自殺するかのどっちかかな。
ああ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、頭痛くなってきた。
もし穏やかに食事して結婚も済んだとしても、弟の彼女が私に次に会うのは私の葬式かもしれないよ
それ最悪に寝覚め悪いでしょ。会わない方がいいよ
アスペルガーって40歳の誕生日を迎えられない事が多いらしいね
そりゃね、こんなクソみたいな人生死にたくなるよ
やべークリスマスなのにほんとしにたくなるね
しぬまえになんとなく、思いつきで、リトアニアの十字架の丘を見に行きたい
しあわせになりたい
ただそれだけでうまれてきたはずなのに
弟の事を考えると発達の事は黙秘してしんだほうが皆しあわせになれるだろう
オランダ人のふりして日本に立ち寄ったガリバーが「踏み絵は勘弁な」と言って「お前ほんとにオランダ人?」と疑われる場面があった。
で、次のお話「馬の国」を読む前に考えた。
殉教するより踏んで生き延びて信仰を広めた方がいいと思うけど違うのかな。
異教徒に強制されて十字架を汚したとしても、信仰心が本物であれば構わないと思うのは甘いだろうか。
ちょっと検索したら二十六聖人のルドビコ茨木は「信仰を捨てたら命は助けてやる」と言われて、
「この世の一瞬の命と天国の永遠の命を取り替えることはできない」って返したみたい。
昔読んでびっくりした遠藤周作「沈黙」ももう一度読んでみるか。
というかあれ、もっと早く主人公の前に出て来いよキリストさんよ。
マグロ食べに行くか。
https://twitter.com/i/moments/796417517157830656
より。
@ManikRathee
今朝、ガソリンスタンドに寄ったら、知らん奴らがこう叫んでいた。
(アプーとは『シンプソンズ』に出てくるインド系移民のキャラクター)
@mehreenkasana
@amyharvard_
@AlexGale
@wagamonster
@Chris_Weatherd (大学アメフトの元黒人スター選手)
誰だろうとこんなことやった野郎はぶちのめしてやる。
@shaunking
南イリノイ大学の白人学生が顔を黒塗りにして南部連合旗を掲げて、トランプの勝利を祝った。
(その画像)
@jaaezu
ドナルド・トランプが選挙に勝って、白人たちは早くも自分たちがどうふるまうべきを忘れてしまった。
この白人のガキはオレを「ニガー」と呼び、「綿摘みでもしてろ」とほざきやがった。
@harryonmen
@ShaunKing
ペンシルバニア大の白人学生たちが「綿摘み野郎。おまえはニガーだ。ハイル・ヒトラー」と喚きまわっていた事実を同大学の学長が認めた。
@Mcbrownie
今までヒジャブを取った姿を見たことなかったムスリムの友達のうち三人が、今日ヒジャブなしで学校に着ていた。
怖いから、って。
今日、私がメキシコ系だって知っている白人のオジサンからこう言われたの。
「トランプが、おまえらをレイプしてこれから建てる壁の向こうへ送り返せと号令するのが待ちきれないよ。
そう言うと、彼はカップの水をわたしにぶちまけて、中指を立てて去っていったわ。
@sunnysayed_
やっとアメリカのクソさ加減がわかったよ。
ダウンタウンにいったとき、白人男性のグループが一人で出歩いている女性に目をやっていた。
彼女がグループのいるところから離れようとすると、男の一人が「おい、あの女のマ◯コを掴んでみろ」と中mをけしかけた。
すると、別の男がかなり無礼な態度で女性に触れようとしてきた。
女性が嫌がって叫ぶのを男たちは笑っていた。
(ノースカロライナにあるウェイク・フォレスト大学の学生に対する公式アナウンス)
昨晩、複数の人々が南キャンパスで「ニガー」と叫びまわる事案が発生しました。
ガソリンスタンドで給油していたら白人の男が四人づれで取り囲んできて、大統領選のことについて話した。
彼らは「もうニガーに譲歩しなくていいことになって喜ばしい」というようなことを話した。
「怖いだろ? ブラック・ビッチ?? 今すぐ殺してやったっていいんだぜ。お前がいると酸素の無駄だからな」
オレは何も言えなかった。ただ頭をたれてじっとしていた……
すると、男はこう言った。
「お前はツンボなのか? ニガー?」
別の男が銃をオレに見せて、
「おまえはラッキーだな。
ここには目撃者がいる。さもなくば今すぐ撃ち殺してやっていたところだ」
涙が溢れてきた。大粒の涙だ。
怒りや戸惑いや恥ずかしさが入り混じって……
@TRmariasanchez
部屋に戻ったら心臓がズキンと痛くなった。
(二枚の画像。ハンガーや人形で部屋に「壁」が作られている。もう一つには
(Facebookより)
すると高校生ぐらいの子どもたちが私に「アフリカへ帰れ!」と叫んできた。
子どもがよ!
@sannakim
私のいとこが(アメリカ生まれのアメリカ育ち)が彼女の住んでいるNYでトランプ支持者の集団に出くわして、
「おまえの国へ帰れ、中国人が」と言われたらしい。
ガソリンスタンドで、小柄なアジア系の女性が白人男性に詰め寄られているのを見た。
彼は「俺たちが勝ったんだ。だからとっとと俺たちの国から出て行け」
私は彼女のもとにかけよって、肩を貸した。
「ごめんなさい」という言葉しか出てこなかった。彼女はずっと泣き通しだったわ。
無力さを感じた。
酒屋にタバコを買いにいったんだ。
そしたら、白人男性の集団が、俺に英語は話せるかと聞いてきやがった。
俺が無視しているとやつらは俺をセブンイレブンまでつけてきて、
「シナ野郎はみんなこの国から出ていくべきだ。なぜなら純粋なアメリアがついに戻ってきたんだからな」
だと。
セブイレの店員が奴らに出ていくよう言うと、やつらは笑いながら店員をビンラディン呼ばわりし、いつ十字架にかけて焼き殺してやると言って出ていった。
オレは奴らに「クソどもが、出て行けよ」と言った。するとやつらは
「あい、こいつ英語を喋ってやがるぜ」と言って、ホワイトパワーだの叫びながらまたオレを付け回した。
@luxia_gasano
(メッセンジャーでの会話。体中にあざができた子どもの裸身の画像)
「トランプ支持者のこどもたちが私の息子にやったことよ」
「なんてこと、何が起こったの?」
「息子はクソメキシコ人と呼ばれて、トランプがメキシコへお前を送り返すまで待てない、と言われたそうよ。
「警察には言った?」
「警察には『学校の喧嘩じゃないですか、おかあさん』と言われた」
「ほんとに!?」
これでまとめの大体半分まで。
黒人・ヒスパニック・アジア系と割とまんべんなく被害にあっていること、
それは何の代わり映えもしない初夏のある日だった。家に帰ると母が首を吊って死んでいた。私はその死体を見て、ただ、「母が死んでいる」と思った。ひょっとするとそれほど珍しいことではないと思う、そうだ、自殺はよくあることなのだし、それを家族が見つけることだって、探せばよくある話なのかもしれない。それでもよくあるかないかが問題なわけではないのは明らかだった。私は人の死体を見たのは初めてだったけれど、それが死体だということはなぜか、痛いほどに分かった。最早生きていない。生気というのか、生き物のその残滓すら感じなかった。リビングの横の部屋で暗がりに紛れてひっそりと死ぬ母は、こちらを向いていなくてその顔を見ることは出来ない。触れたわけでもない。それでも直感と肌で感じる全てが母の死を物語っていた。ロープの絡まる首の肌は引きつれて、項垂れた頭は重力に負けている。足先は赤黒く変色して、1ミリたりとも心臓が動いていないことは明らかだった。その右手だけがまるで意志を持つほどに強く支柱を握り締めていて、そこだけをみると一瞬私は母が生きているのではないかと思う。死後硬直が、そんなにも硬いなんて、私は知るよしもない。そこまで見て、私はやっと母から目を逸らした。全ては救急と警察に任せ、遺体安置所で再会するまで、もう二度とその自殺した死体を見ることはなかった。
私は自殺した母の顔を見なかった。だからこそ余計にどれほど苦しみ恐ろしい顔をしているかと異形を想像しては眠ることも出来ず、また背を何か、布団や壁に押し当てていないと自分の見えない後ろ側が恐ろしく、ベッドに仰向けに寝転がって天井をただ見上げながらこれから自分はどう生きるのだろうかと思った。
母が死んで分かったことは、思っていたよりずっと私は悲しくないということだった。肉親を亡くせば悲しかろう、寂しかろうとも思う、そんな気持ちは全くなく、ただ母のことを想うと鉛を飲まされたような気持ちになる。憎しみとか負の感情があるわけではないけれど。母が死んでから私は母のことを思い出さない日はない。思い出すことは、それは母の死体のあの背中で、首で、足で、手なのだ。仕事中も、電車の中でも、風呂でも、とにかく何度も何度も思い出しては、時間だけが過ぎていく。普段は誰の前でも、平静に安穏に元通りの生活を手にしているように見せているし、自分でもそう、思っている、つもりなのだけれど、その時間だけは、なくなることはない。涙もない。悲しいことなんて少しもない。本当にただ、人が死ぬということはどういうことなのだろうかと考えてしまう。
私は母が死ぬのではないかと思っていた。自殺すると思っていたわけではもちろんないのだけれど、近いうちに逝ってしまう気がしていた。その日も、家に帰って扉を開けるそのときに、母が死んでいるのではないか、死んでいたらどうしようかという不安が過った。それは間違いない、嘘ではない。それでも自分の悪い予感というのは当たった試しがなかったし、まさか――まさか、と思っていた。皆そう思っていた。おそらくは、本人も。だから母は死んだのか、そうでなくても死んだのかは今はもう分からない。母が死ぬのかもしれないと思っていたのであれば止められたはずだという気持ちと、どうしようも出来なかったと諦める気持ち。死を、察していた。それでも自分の母が、まさか自分の母が死ぬはずないと思っていたその背反を抱きしめたまま私はずっと立ち止まっているのだと思う。後悔しているのか、自責なのか、何度も問答を繰り返している。兄弟が、「きっと母は楽になれたはずだ」と自身を納得させるように言ったとき、私も肯諾したけれど、「でもたぶん違う」ということは、皆腹の中で思っていたはずだ。母は絶望して死んだのだ。その絶望は、はかることは出来ないけれど、どれほどのものだったのだろうか。遺書もなく、語る言葉もなく死んだ母の、本当に望んだものだったのだろうか?物言わぬ人形になり果てた母の背を思い出すたびに、私はアレが自分の将来の姿なのかもしれないと思う。幸せだったはずだ、母は、幸せだったはずだ。それなのに、すべて、失われてしまった。私も今は、何一つ不自由なく暮らし、学び、働き、誰かを愛し、愛され、若く、健やかなわけだけれど、いつかそれは失われる。そうすれば、絶望の中に、死ぬのだろうか。30年後の私は、また、同じように私の娘の前で、死んでいるのだろうか。そういう思いを、拭えないままでいる。胸に刺さった十字架、というのか、そういうものである。たぶんこれが、自殺遺族として生きるということなのだと思う。果てない問答を己のうちで繰り返し、深く傷ついたこころを癒すことも出来ないで、何度も死を舐めては、胸に積もりゆく砂のような何かの重みに耐えられず、這いつくばってそれでも生きるしかない。私はいま生きているのだと思う。この文字を書き連ねることで少しでもその砂の重みが軽くなればいいのにと思う。悲しみではないその空虚を受け止めて、受け入れて生きていくのだと思う。それが自殺遺族なのだ。悲しむことも憐れむことも、憎むこともできないままでいる。そうやって過ぎていく時間を、何とか耐えている。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成天皇と来たけど、ほとんどはずれのない天皇ってすごくね? 京都御所での天皇Sってそんなに仕事できるイメージないんだけど。公家とかより華族が戦後日本作ったよな?
敗戦責任は公式にはなくても十字架しょったまま長生きしてくれて、上からにしろ人間になって全国行脚した昭和天皇。生きてた時から伝説。
宮中祭祀を完璧こなしながら、災害後復興を各地で祈りまくる平成天皇。国家地鎮を地で行きながら、完璧夫婦、何も知らない偏差値40のJKたちに存在だけでモテるじいちゃん。
まさに二足の草鞋。天皇の仕事を現代風に変えていくという、どう考えても無理ゲ~を、『やりたいことあるなら、仕事完璧にしながら、やる。これ、ジョーシキ』という凡人が鬱になるパターンをしかも55歳から行うという、、、。
ほんと生前退位してください。すみませんでした。安心できる余生になるよう、本気で取り組んでくれだれか。。
てか、仕事厳しいからって部下に当たり散らすやつら、天皇は部下をののしるか? でも天皇のためにきっと命がけで仕事するだろ。お前、命がけで仕事したいと思わせてんのかよ。
ここは2020年夏の東京、新国立競技場では観客たちがこれから始まるスポーツの祭典に期待に胸を膨らませていた…
「変態、凡人、年を取れ…シニタイヤツハシネ…シニタイヤツハシネ……」
最初に登場したのはグラミー賞など名だたる賞を総舐めにした国民的バンド、Theピーズだ。この突然のサプライズには会場も大歓声を上げた。スクリーンには様々な言語で映し出された「増え続ける若年層の自殺率」「止まらない少子高齢化」凶悪犯罪…ブラック企業…テロの脅威…国の借金などの文字が映し出されては消えてゆき、最後に「この国はもうお終いだ!!!!」と赤文字で大きく映し出され、会場は拍手喝采だ。それに合わせステージを取り囲むように垂らされたロープで大槻ケンヂ、五十嵐隆、鬼束ちひろ、木下理樹等、錚々たる鬱ミュージシャン達が首を吊って次々と自殺してゆく。やがて彼らは動かなくなり、日本の情念を映し出すエキゾチックな演出に誰もが息を飲んだ。
演奏が終わり大木温之が遺書を書きはじめると「Neko Mimi Mode」が爆音で流れ出す。七色の光線やLEDライトが目まぐるしく点滅し、新国立競技場はダンスホールと化した。なんとなく呼ばれたDJのTeddyroidは投石で死亡、会場のボルテージはマックスに達した。全方位に設置されたハイビジョン4Kスクリーンには日本が誇るサブカルチャーであるアニメが映し出される。作品は勿論『鬼父~小生意気なホットパンツ』だ。
煙幕が白い光とに照らされ、入場門からは会田誠に四肢を切断された千体を超える幼女たちがワラワラと這って登場、その中から遂に選手団が入場する。セーラー服の少女達が会場を囲い、日本刀で自ら腹を掻っ捌き鮮血が噴き出す。内臓もボロボロ飛び出している。(この際会田は町田ひらくとキングオブコメディ高橋をエグゼクティブマネージャーとして招集、全国から人材を手配した)
「HARAKIRI女子校生だああああああああああ!!!!!!」
日本のカルチャーを愛する台湾の文系大学生とロンドンのゴス少女が抱き合って喜びを爆発させた。台湾の大学生は初めての女子との接触に勃起が止まらない!まさにCOOLJAPAN。
しばらくして対向から巨大なローラー車で騒音をまき散らしながら登場したのは山塚アイだ。国旗を笑顔で振っている選手団を「ブチブチブチブチブチ!!!」と踏みつぶしていく。会場は血の海と化し、観客席は闘牛のように湧きたち、山塚は爆死した。続いて、桜井誠率いるネトウヨ、ほなみん率いるSEALs、薄ら笑いを浮かべるアルファツイッタラー、打倒シンゴジラを掲げる増田、中田考率いるアル・カイーダ、又吉直樹を十字架で磔にし燃やす文学賞ワナビ、Hikikomori、ゆ虐絵師、モバゲーの掲示板に入り浸る派遣社員などがそれぞれプラカードを持って入場し、また我々を感動させた。最後には酒鬼薔薇聖斗氏、ネオ麦茶氏、加藤智弘氏、片山ゆうすけ氏が登場、奇跡の世代が共演を果たした。彼らが手を繋ぎ国際社会に世界平和の実現をアピールしたことは歴史に残る名場面となるだろう。
選手入場(九割が死亡)が終わると暗転し、スポットライトに照らされて松任谷由実が「ひこうき雲」を歌い、上空から二機の飛行機が登場。そこには手を広げた庵野秀明と宮崎駿が吊るされていた。思わぬ大物ゲストに会場は大盛り上がり。しかし「空をおおお、かっけぇえええっ↑てぇっ↑↑」に合わせ二人は落下するもパラシュートが開かず地面に激突、冷笑的な雰囲気が会場を覆い駿と庵野は無駄死にとなった。
開会式もとうとうクライマックス。緊張感に包まれる中、遂に最後の聖火ランナー折部やすなさんが到着した。バラード『キルミーのベイベー!』がしっとりと流れる中、あぎりさんがガソリンを頭からかぶせ、燃え盛る炎の中「助けてソーニャちゃあぁあぁぁぁ!!!いやだあああぁぁあぁ!!!」と絶叫しのた打ち回るやすなをソーニャが斬り、生首は聖火台まで飛び見事点火、会場は感動の涙に包まれた。
小澤征爾指揮するNHK交響楽団に合わせ背後の床が開き、原寸大の福島第二原発オブジェが登場する。サビを迎え登場した、世界的映画監督である北野武扮する火薬田ドンはこの日最大の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられた。フガフガと手を振って応え、不敵な笑みを漏らしレバーを押す。原発は核爆発を起こし競技場の7割が焼け野原となり、火薬田は突如クレーン車で吊るされ触手プールに落下し一人よがり狂った。少しブラックなジョークに生き残った数少ない観客は最後の盛り上がりを見せた。嬌声が響きわたる中中継は終わり、フジテレビのスタジオでは肉塊となった岡村隆史が弾け飛び、大盛況のうちに開会式は終了した……
――――ちょうどその頃、精神病棟のテレビでこれを見ていたtehuくん。
車椅子から立ち上がり、「これ僕が作ったんだ!ほんとだよ!全部僕が作ったんだ!」と叫び、裸になって踊りだした。彼が言葉を発したのは3年ぶりの事だった。彼を心配し、これまで暖かく見守っていた看護師さんたちは歓声を上げながら抱き合い、喜び合った。涙を流している者もいる。他の患者もみんなニコニコと楽しそうだ。男性器がペチペチする音が病院中に響き渡った。
「今日はケーキを買ってお祝いしなきゃね。だって、tehuくんの演出した開会式が大成功した日なのですから」
僕たち、よかったね、うれしいねって、言われたかっただけなんだ。ただそれだけなのに、何故こうも人の運命は分かれていくのだろう。何故闇に飲まれるかもしれないと分かっていながら何かを求め、苦しみ、そして死んでいくのだろう…
だけど今は、ただtehuくんの回復を喜ぼう。だってそれは、僕らが生まれてきた意味を知る数少ないチャンスなのかもしれないのだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。