はてなキーワード: 十字架とは
とてもいいことを言っているなと思いました。
ただ、育児・家事に関する負荷は、おそらく一昔前と比べるとかなり小さくなっていると思います。
育児に関していうとオムツの性能も良くなっているし、レトルトの離乳食も充実している。
世間の子育てに関する関心も上がっていてどこへ行っても優しくしてもらえるし、
家事に関しても、食洗器や全自動選択乾燥機もあるし、外食も中食も発達していて
楽しようと思えば楽できます。
じゃあなんで「育児は大変!」とか「夫が協力してくれない!」みたいな話が出るかというと
シンプルに『共働きがムリゲー』というだけだと、私は思っています。
そして、子供というのは、時間があればあるだけ全部吸い取ってしまう存在なのです。
仕事と子育てを両立するということは、並大抵のことではありません。
というか、そもそも子育ては「片手間」にできるレベルのタスクではないのです。
人生、何かをやるということは、別のなにかをやらないということなのです。
子供を持つということは、その代わりに何かを支払わなければいけないということだと思います。
私は、私か妻か、どちらかが「専業主婦(主夫)」になろうと提案しましたが、却下されました。
妻としては、専業主婦になることは仕事のキャリアアップを諦めることになるからです。
また、夫が専業主夫になることは、生理的にまったく受け付けないということだったのです。
現代社会の男は、「家事・育児を手伝わないのは DV」ぐらいの重い十字架を背負わされておりますが、
それと同時に「一人前に稼げない男は、夫としての価値はない」ぐらいの認識なのです。
ということだと実感しております。
二次創作の同人誌即売会で、「マタニティマークのパロディ」のノベルティが頒布された件が大炎上しました。
この文章では、
について、できるだけ詳しく書きたいと思います。
なお便宜上、グッズを頒布した当人を「Sさん」という仮名で記述します。(「S」は彼女のイニシャル等とは関係ない全くの仮名です)
彼女は現在、すでに二度に渡る謝罪文を出し、グッズの外での使用を控えるよう呼びかけていますが、
その補足になればと思います。
1.Sさんが、新刊のノベルティ(無料のおまけ)に、某アニメ関連の「犬」のグッズが好きな人向けの「バッジ」を作成
2.そのイラストを「マタニティーマーク」のパロディにし、アニメのキャラクターが犬を抱いている構図にした
3.このことを問題視し、ノベルティの頒布を中止すべきといったメッセージが、Sさんのところに複数届く
この文章では、「グッズ自体の何が問題だったのか」を詳しく解説します。
マタニティマークは、周囲が妊婦さんに配慮しやすくするための公共マークです。
それを模した構図・色合いのイラストは、やはり、ぱっと見て周囲の人に誤認される可能性もある、と言わざるを得ないでしょう。(補足※1)
また、たとえ誤認しなくても、「公共マークのパロディ品」の存在自体に不快感を覚える人がいたり、
せっかく配慮したのにパロディだと分かったら、今後はそのマークへの配慮を躊躇してしまう人もいるかもしれません。
そもそも、マタニティマークや妊婦自体に反感を覚える人もいるそうです。(ここまで来ると、もはや今回の件以前の問題かとは思いますが)
ただし、Sさんのイラスト自体は、二次創作としてはよくあるような「可愛い」絵柄のもので、
だからこそ、今後も誰かがやってしまう危険性があり、注意していくべきことだと思います。
さらに、その絵がアニメ(およびアニメの公式グッズ)のキャラクターの二次創作であるため、
「このアニメ公式が、公共マークと紛らわしいグッズを出した」と誤認される可能性もあります。(補足※2)
もちろん、1サークルの新刊ノベルティとしての頒布数程度、ということを考えても、
ただ頒布しただけであれば、そこまでいく可能性は決して高くありません。
ただ、この1件のリスクが低くても、同じ事をたくさんの人がやったらどうなるか。
また今回のように、不特定多数にまで情報を拡散されてしまったらどうなるか……
ということを考えると、頒布数がどうということではなく、
「皆で守るべきマナーの問題」として考えなくてはならない、と思います。
しかし、これは「バッジ」であり、他人に見えるように身につけることを前提としたものでした。(補足※3)
現在は「痛バ」文化が浸透するなど、公式グッズと同人グッズを一緒にして、
他人に見えやすいように身につけることも、一般的になっています。
グッズは、同人誌と比較して、公式のものと混同される可能性が高く
また公式側からも「海賊版」とみなされて注意を受ける可能性もあります。
グッズを中心に活動されているサークルさんは、すでに気をつけてらっしゃることだと思います。(補足※4)
ただSさんの場合、新刊につける無料ノベルティとしてのグッズであり、いつもグッズを頒布しているわけではなかったことも、
ノベルティでグッズを付けるサークルさんが増えている中、このことは改めて注意すべきことだと思います。
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以上、この3点については、今回の件から学べることとして、
ジャンル問わず、同人活動をする多くの方が改めて認識した方がよいと考えます。
同人誌だと、冒頭や奥付等に、以下のような趣旨の注意書きが入っていることがあります。
「この作品は同人誌です。個人が私的に作成したもので、公式の制作会社様等とは一切関係がございません。
同人に対する理解のない方の目には触れませんよう、ご協力をお願い致します」
でも、「グッズ」を手渡すだけだと、この手の注意書きすら書くことができません。
二次創作のキャラクターを使って、他人に不快感を与える可能性のある図案で、
他人に見える場所に身につける前提のグッズを作ることには、リスクがあります。
全くの他人が見たときの不快感の可能性まで、なかなか想像が及ばないかもしれません。
そういう二次創作ではよくあるモチーフも、図案によっては問題になり得ます。
ただ「マタニティマークのパロディはまずい」、ということだけではなくて、
「全くの他人が見たらどう思うかな?」
「この二次創作のキャラクターを全く知らない人が見たらどう思うかな?」
ということを、特に身につけるグッズについては、
◆補足※1
「厚生労働省のマタニティマーク規定に違反している」、つまり著作者が明確に禁じている、という指摘も多くありました。
確かに、マタニティマークの改変、特に一部を変えるような改変は、厚生労働省の規定で禁止されています。
ただし、これは「マタニティマークとして使用する場合」のことで、それを目的としない「パロディ」については言及されていません。
つまり、パロディについては「規定がない」というのが、正確なところだと思います。
もちろん、だからといって許可されているわけではありませんし、そもそも改変を禁じる理由は、認識時の混乱を防ぐためだと思うので、
◆補足※2
※1とも関連して、「著作権に違反している」という指摘も多くありました。
しかし、著作権はあくまで親告罪であり、これを持って他人が人を訴えたり、裁くことはできません。
Sさんが謝罪文で述べている通り、イベント主催者さんへの通報があり、ノベルティをチェックされたときも、
「イベントの頒布禁止の対象には当てはまらない(ただし何かあれば個人の責任で対応して下さい)」と言われたそうです。
ですから、このグッズが即違法性があるというものではありません。
ただし、アニメ等と異なり、公共マークはパロディや二次創作の文化がないこと、
またダブルパロディなので、権利者がこれを問題とみなすリスクも二倍あること
そうみなされた瞬間に違法な物になってしまうということは、改めて注意すべきことだと思います。
◆補足※3
その後、Sさん本人は、謝罪文で外での使用を控えるよう呼びかけています。
にも関わらず、「付けている人がいるのを見た」というツイートが拡散されたこともありました。
ただし、その方のアカウントは現在削除されており、この件の真偽のほどは分からないことは補足しておきます。
いずれにせよ、外で付けることは思わぬトラブルを呼ぶ可能性もあるため、絶対にしないことをお薦めします。
また、たとえ家の中で所有しているだけでも、同人や二次創作に対して理解のない方の目に触れる可能性があるならば、
念のため破棄した方がよいと思われます。(これは、全ての二次創作物について言えることですが)
◆補足※4
もともと同人グッズが同人誌と比べて規制が厳しいのは、同人誌で書かれる内容が、まず公式が出すことはないものが多いことに対して、
シンプルなデザインからなるグッズは、公式および公式からライセンスを購入した企業が販売するものと、似通ったデザインになる可能性が高いからです。
そうすると、著作権侵害を黙認された同人グッズであるにも関わらず、「公式のグッズより同人グッズを買おう」となってしまい、
「権利者の利益を侵害するモノ」(=いわゆる海賊版)となってしまうため、注意が必要なのです。
一方今回の件は、公式が出したかのように見える「公共の利益を侵害するモノ」となる可能性があったという点で、
まとめますと、今後の教訓として、
少なくとも、この3点だけは肝に銘じていけたらと思います。
できれば劇的に人生がマシになると思うんだよな。
まず「キモイ」を取ると「キモくなくて金が無いオッサン」になる。
地元の工業高校卒の工場勤めや現場職のマイルドヤンキーなどがこの人種だろう。
金は無くともキモくないのでとりあえず適齢期前後で嫁は捕まえられる。
ダブルインカムで「金が無い」という問題はある程度カバーできる。
コミュ力も問題ないので旧来の友人や快活な同僚たちと狭く深く付き合うこともできる。
派手な暮らしはできないだろうが嫁と粛々と働くことで人並みの幸せは手に入れられるだろう。
ただし地方に蔓延するパチンコ沼や風俗沼に嵌ると生活が瓦解するので注意が必要。
次に「金が無い」を取ってみよう。
「キモくて金のあるオッサン」、中小企業の成金社長やB級病院長などだな。
このタイプは人格破綻しているパターンが大半だが、いかんせん金だけはある。
東南アジア出身の若くて可愛い娘を囲うなど醜悪な金の使い方をする。
ダサい高級セダンを乗り回し、コンクリ張りの要塞に住む。厳つい玄関に自動開閉シャッター、セコムのロゴ。
キモイので身の丈にあった幸せは掴めずに壮年期で悲惨な最期を迎えることが多い。
ただ金に物を言わせてやりたいことはすべてやるので案外楽しそうに暮らしている。人生に一片の悔いなしだろう。
そして「オッサン」、3つの要素のうちで最も重い十字架である。老いとは不可逆であるからだ。
「キモくて金が無い若者」、なんというありふれた響きだろう。こんなの理系界隈ならゴマンといる。
正直「若さの持つバイタリティーとポテンシャル」+「行動力」があれば「キモさ」も「金が無い」も超克できる。
KKO諸兄は若い時分にここに気が付けなかったからみっともないKKOに落ちぶれてしまったのだ。
ということでKKO予備軍の皆さんはKKのいずれかを全力で除去することに注力されたし。
体力・気力・精魂が残っていれば、の話だけどね。
妄想でなく、リアル集団ストーキングをされてる。いまは田舎の実家にいるけれど、大阪にいた2年前、毎日のように行っていた書店で不気味な嫌がらせをされていた。いつも本を読んでいた机に、おれが読みそうな本がピックアップされたみたいに数冊まとめて置かれている、ということが定期的にあった。いつも本を立ち読み(座り読み)していたからけしからんやつがいる、嫌がらせをしてやれ、そんなところだったのだろうか。他にも、おれが手に取りそうな本の数々が棚から突き出されているのが毎日のようにあった。
立ち読みしていたのもアレだけど、一番の心当たりはやはりネットだ。
某大学の掲示板の雑談スペースで、1人かぶれたような演説をぶっていた。たまに小説も書いていたのだけど、背の高い男に押しのけられて背の低さを嘆いて、最後は背が低いけれど親近感の湧くあなたに出会えてよかったと彼女に言われ”それでも彼は、母(=彼女)の膝元を離れようとはしなかった。”と終わる小説を書いたからか、ある日アパートの自分の部屋へ向かうと階段に背の低い男が座っていた(反射的に引き返そうとするも気合いですり抜ける)。
もともとネットでは暴れていて、10年ほど前に愚かにも調子に乗って本名を名乗った(リンク先に本名があるレスをした)。すると2ちゃんのおれが使っていたコテ名を集めてそこにおれの名前と大学名を冠したコピペをばらまかれた。そのときから「ネットで馬鹿やってたやつ」という十字架を一生背負って生きていくことが決定した。
そんなおれの昔のカキコを見て怒ってるのか、単に面白がってるのかわからないけれど、1年前くらいからいたずら電話が鳴り止まない。大阪から帰ってほっとひと息、これでストーカーたちともお別れだと思ったら、ある日無言電話がかかってきて切れた。以後、2,3回の、ときには1回のコールの電話が断続的にかかってくるようになった。非通知設定が多かったけれど、何者かのスマホや、九州の健康食品会社や大阪の家具販売会社からかかってきたこともあった。不気味なのは父や母がいないときに限ってかかってきたこと。そんなことが可能なのかと思うけれど、ネットの人たちがちょっと本気を出せば、1家族を監視することなんてわけないことなのかもしれない。
大阪での嫌がらせが影響したとは信じたくないけれど、1年ちょっと前から頭の興奮が収まらなくなりどうにかなってしまいそうな症状が出てきて、駆け込むように精神科に行くことになった。病院前のすぐ横に電話がものすごく大きく道路まで鳴り響く会社があるんだけど、おれがその前を通るときに、また帰りのバスを待っているときに、毎回のように電話が鳴り響くようになった。バスを待っているときは、2,3回や1切りのコールが10回ほど鳴らされることもある。
アルバイトに行き始めるようになると、ぱたりと実家への電話は途絶えたものの、今度はバイト先にかかってくるようになった。バイト先の人たちもいたずら電話がかかってくることを認識していて、電話にかかるときはいつもおそるおそるどこからかかってきているか確認するようにして受話器をとっている(あぁ、申し訳ない)。
実家の父母と共有のパソコンはおれがログインするときだけ遠隔操作みたいなことをされていて、文字を勝手に消されたり、いきなりaxzbxx~みたいな打ち込みをされたりするんだけど、もう一生パソコンはできないんだろうな。どこかに移っても、その住所が知られたらまたやられそうだ。
言いそびれていたけれど、大阪にいるときにスマホを書店に忘れて、2日後に戻ってきたらばっちりウイルス仕込まれていて、やはり遠隔操作をされた。でもそのときおれは愚かにも、彼は(彼らは)「罰しつつの救済」をしようとしてくれているのだ、と考えてしまった。いきなり意図しない音楽を流されたり写真を撮られたりしても、それらには何か意味があるかもしれない、あるいはそういう辱めに耐える義務があり、それに耐えた暁には現惨状への処方箋を与えるという算段なのだ、みたいに思ってしまった。軽く洗脳されていたのかもしれない。
いまは洗脳は解けた(つもり)。
でもストーキングは止まない
もう半ばあきらめムードで、日々の苦痛に耐えながら、たまにバスで見かける子が可愛いとか、雨上がりの野山の緑が美しいとか、そんなささやかな出来事を支えに生きていくのが人生だ、みたいな悟ったような感慨に打たれることも多くなってきた今日この頃。はぁー、でもやっぱやだこんな人生。
【前提】
セクハラは悪い
【疑問】
元次官の受けている罰は、女性記者が受けた被害と比べて過大なのではないかと思っている。
したことは当然悪いことだが、世界中に実名で晒され叩かれ、家族が後ろ指さされたりというのは、働いた罪の大きさにバランスしてるのか疑問がある。
もっと言うと、女性記者がテレ朝の上司に報道することを訴えた、というのはペンの暴力じゃないかと思える。
会社を通じて内々に抗議してくれ、ではなく、記事にして報じたいというのは、報じ方によっては人死にが出てもおかしくない。
いや、もちろんセクハラを受けて女性記者の人格や自尊心が傷ついたのは分かる。だから相応の罰を受けるべきだと思う。この相応というのが難しい。
罰は、罪を働いた元次官、それを許し続けた財務省と、放置したテレ朝が受けるべきだ。
ところが実際のところ、元次官の家族まで罪人の妻みたいな十字架を背負わされ、痛めつけられる。今回は元次官に子供がいないようなので、そこだけはよかった。
家族には罪がないのに元次官の家族だと後ろ指を指して石をぶつけるのは醜悪だ。
報道の仕方として、相手の実名割れにつながるような情報を避けて、セクハラをなくすための啓蒙を図るよう報じることはできるわけで、週刊新潮のように実名あげて「売らんかな」でセンセーショナルに報じる必要はあったのか。
女性記者がここまで相手やその周辺を痛めつけるために報じることを望んでいたのか、それはわからないが、新潮に持って行ったことで、そういう意図が一つもなかったとは言えなくなったと思う。元次官や彼の家族がめちゃくちゃに叩かれるのを見越した上で、ペンの暴力を自覚的に振るったんじゃないか。
逆にそんな意図がなかったというなら、こんな風になることを意図してなかったというなら、想像力がなさすぎる。
一番悪いのは当然元次官。でも、だからといって、国民の敵のように報じ、この人相手ならどこまで叩いてもいいんだみたいに扇動するやり方はおかしい。
平昌五輪、下町ボブスレー土壇場で不採用の真相 http://diamond.jp/articles/-/159946
この記事、真相と銘打っておきながら他で報道された以外の事実なんて上等なものはなく、ただの意見表明程度だ。しかも肩書きは「ITジャーナリスト・ライター」。自動車関連の記事も書くそうなので微妙に繋がっているといえば繋がっているのだが、それより気になるのが1ページ目でいきなり飛び出してくる「アベノセイダーズ」とかいう単語だ。安倍のせいだのもじりなんだろうが自己紹介ご苦労様ですといいたくなる単語である。
グーグル様にきくと2015年ごろから使われ出した単語で、ネトウヨ聖地の一つニコニコ大百科でも2016年初頭に項目が作られている。
クルセイダー 十字軍とも引っ掛けてあるんだろうが、クルセイダーとは元々十字架をつけた集団の意。アベノセイダーといえば宗教的シンボルであるアベを掲げて戦うネトウヨにこそふさわしいのではないかというのがここで言いたい事なのである。
ああー。返信含め全文読んでなんとなくわかったような気がするけど、自分の中の「面白い」の定義が狭くて、相手もその定義で使ってると考えていて、だから必要以上にバイアスがかかっちゃうってこと?なの?
例えば増田自身がストーリーに興味があるタイプで、これ面白いよってすすめられたら(大体ひとが面白いと思うストーリーがわかるから)台無しだって思うってこと?
でも、実際は面白いって言葉はもっと広い意味で使われてて、逆に増田のようなバイアスがかかるものじゃないと思うけどなあ。
例えばジャニ好きのひとが言う面白い映画って、推しメンがたくさん映ってたとかそういう意味だったりするし、ミリオタとか鉄道オタとかもそうだし、特にオタクじゃない普通の人でも結局は個人の好みなので同じ。
普通は自分の好きなものを「面白い」と表現するだけで、別にストーリーがとか描写がとか言わないから、逆に増田的にはノーカンなんじゃないかなあって気がするけど。他人が面白いと思うものが増田の面白いものなわけじゃないんだし。
ホラー映画ファンなら、ロメロゾンビの絶望感とか悪魔のいけにえの狂気とか、人体破壊とか不快感とか暴力描写とか、一般的にはネガティヴでしかないものを「面白い」と言うし。具体的な箇所を言うとネタバレになるから、ただ面白いよって勧める場合もある。
で、つまらない作品もオススメしろって話になってくると、それはオススメの大前提が崩れるので意味がない気がする。それはもう目隠しして探せば?って感じでは。
オススメって、結局勧めてくれた人との交流が前提とか目的にあるわけで、だから「面白いよ(自分が好きだと思ったものを友人と共有したい)」という文句になる。だけど、増田の文章を読んでると作品と自分との関係を一番に考えてるから、オススメ文化そのものが向いてないってこともあると思うんだけど。
それでも交流もしたいんなら、面白さとかじゃなくて今月読んだ作品を友達に聞くとか。
「「何か面白いやつ教えて」と聞いてくるやつには自分が面白いと思うものを教えてやればいい」って書いてるように、逆に面白いか不明なものをオススメされたいなら、自分からそうやって工夫して聞くしかない。果たしてそれに意味があるのかわからないけど。。
またあえて「面白くない作品」を聞いた方が、面白いか面白くないかの期待と不安のドキドキ感は逆に高まる気がする。あんまそういうことしてると友達減りそうだけど。
あとは、当たり外れも欲しいけどなるべく質を高めて外れの確率を小さくしたいなら、機械的に名作を選べばいい気がする。
名作とされる作品って時代遅れだったり難しかったり逆に簡単だったり皆が見て面白いわけじゃないし、名作である理由も技巧とか思想とか時代性とか歴史とか、ちゃんと勉強しないとわからない面倒くさい部分も多いから、当たり外れはよくある。でも読んでる人口とか話題に上る確率は高いから、他人と共有もしやすいと思う。
でも名作だと「以前にどこかで話題になっていたことがすでにバイアス」とまで考えるなら、やっぱりランダムに探すしかない。
そうなってくると「自分が名前を知っている作品は全て内容に対して余計なバイアスがかかっている」から未知の作品しか読まない、とかいうことになりそうだけど。
あと、結局作品との関わりを何が何でも大事にするなら、友人とかとそのジャンルについて話すのはやめた方がいいよ。うっかりネタバレとか変な対抗意識が生まれたりとかは絶対あるし。
「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午
「最後まで行く」
「羅生門」
「L.A. コンフィデンシャル」
「アフタースクール」
「情婦」
「八つ墓村」
「トールマン」
「告白」
「手紙は憶えている」
「双生児」
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
.
うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
.
モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
.
と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
.
もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
.
■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
.
俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
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ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
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うむ。ノーコメントなり。
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というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
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■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
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神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
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ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
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■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
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■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
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■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
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石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
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子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
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■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
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鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
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んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
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私もさっきレイトショーで見てきたところ。
二時間美人を観る映画でもあったし、性差の役割や善悪を個人がどう使うかの難しい映画でもあった。感想、ほとんど同じ。すっきり復習できてよく眠れそう、ありがとう。(教育の意義のところだけひねくれてるように思うけど、たしかに隙はあった)
個人的には、彼女が最後まで使う武器が、武器っていうか縄だっのが興味深かった。痛めつけもするけどつなぎ合わせたり引っ張り上げたりもする。事実は一つかもしれないけど、受け止め方によって善悪/信じる疑う/苦楽と二面性を持つ。あと、最後の攻撃のシルエットが十字架だったことも、私にはわからない西洋キリスト文化のコンテクストがあるのかな、なんて。