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はてなキーワード: 動物園とは

2016-07-17

神社仏閣に興味が無い

なのにタイ旅行することになった。何見ればいいんだろう。

とりあえず現地の水族館とか動物園あたりが無難なのかな。

神社仏閣に興味が無いってあんまり言えないからなあ。

言うと「日本人なのに〜」とか「ゲージュツとは〜」なんて言い出す人が結構いるから。

2016-07-15

お里が知れるなんて言ってるけど、

こっちからしたら一挙一動不愉快さが凄いよホント

まともな教養のある人間の会話じゃないもん

ゴリラマウンティング動物園っていうか

2016-07-05

匿名相手なら殴ってもいいという風潮

増田作品を放流すると、ただ殴りたいだけとしか思えないブクマ一定数必ず付く。

匿名相手しか偉そうな顔をできないほど現実世界では隅へと追いやられているのだろう。

ところが当然こちらも匿名だ。

作品いくらけなされようが、わたし名前に傷がつくことはない。

こちらはこちらでガラスを一枚隔てた安全場所からそんな彼らを眺めているのだ。

常日頃、動物園動物達は檻の外にいる愉快な人間たちを観察できて羨ましいと思っていたが、増田の楽しさはまさにそれだ。

動物が入れられた檻はガラスのむこうなのかこちらなのか。

これからも手の届かぬ相手に向かっていくらでも殴りつづけるといい。

そんな人間の惨めな姿を見ることが今のわたしの楽しみなのだ

果たして動物園の檻は中の動物を守るためにあるのか、それとも見ている人間を守るためにあるのか考えたことはあるだろうか。

いつかインターネットの檻を越えてあなたの手がわたしに届くとき、それはつまりわたしの手もあなたに届く時だということを忘れてはならない。

2016-07-04

世のアニメ業界女性主義に走るのは男がお金を落とさなくなったのが原因

そうとしか思えない。

から昨今のアニメ業界ではBL系や乙女系を率先的に作り始めている。

男性向けの美少女動物園ラブライブなどの世界ヒットメーカーであるサンライズアニメを除けば悲惨な売上なのも分かる。

男性向けを作って来たアニメ会社が一旦女性向けに転じると大ヒットした例があるように

多分男性側の購買意欲が下がって女性側に期待する向きがあるのも事実かもしれない。

女性主義に走るのは自然の摂理だという事だけは動かない事実なのだ

2016-06-29

なぜ同じ都合のいい妄想なのに異世界転生俺Tueeは叩かれて美少女動物園日常系は叩かれないのか

http://anond.hatelabo.jp/20160629010749

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627174419

ところがびっくりいっぱいある。

俺も学生の頃は「社会ってのは最低限理性的物事合理的だろ。じゃなきゃみんなが損するわけだし」と思っていたが、びっくり、社会はまさにそんな場所だったのだ。

学生社会人は、サファリパークの閲覧者の車内からサファリのものへ出ることであり、ここは動物園よりも未開なようこそアニマルランドだよ!

毎朝起きて牛乳飲んで「いくぜガオー!」って言わないと満員電車に乗る元気も出てこないんだぜ。

彼女ズートピア気になるっていうからよこはま動物園ズートピアに連れていったらふられた

みたいな文書いて創作日記デビューしようと思って、リアリティ出すためにぐぐったら、ばっちりしっかりコラボしてたらしくて、こりゃ彼女さん案外喜んじゃうなと思ってやめた。架空彼女さんお幸せに。

2016-06-24

リテラシー

ほら、また始まった。

ゆとり教育のせいで「動物園」が読めないんだと。

失読症と見紛うばかりの無知ゆとりカリキュラムのせいにするなんて、お前こそ再教育必要だ。小学生いじめっ子並みの低劣な批判展開すんな。

というかマジで学習障害とか、そういうのを疑うべきだ。

漢字なんてものは、幼児であればテレビを見ているだけで十分理解できるからだ。

大人だろうとある程度同じなはずだ。いくらテレビが買えないほど貧しい家に生まれ育ったとしても、街を歩くだけで漢字を目にすることはできるからだ。

そうやって人を馬鹿にするだけ馬鹿にして、同情心を懐いたり、考察をして問題を探したりできないのは、科学の世紀における文明人として、十分リテラシーの欠如と言えるんじゃないか

2016-06-23

AV女優自分語りほど寒いものはない

いわば動物園の猿が人間言葉を話し出して周囲の人間が驚いている程度のことなのに、本人たちは本気で語るだけの価値があるみたいな口ぶりなところが。

どんなに壮絶な過去があったり、あるいは逆に意外なほどビジネスに徹していたりしても、所詮は同じサル山の猿。

そういう自分語りAV作品と同じ使い捨ての消費対象に過ぎないわけで。

あの元AV女優にして元日記者女性、まあまあ賢い人なんだからそれに気付いていないはずがないのに、

そういう寒いことをやってしまうあたり、やっぱり元AV女優肩書では日経に出入りしにくかったから仕方なく辞めたんだろうな。

そして自分の経歴を切り売りして身銭を稼ぐ、と。ああ、寒い

もっとアホな人気AV女優なんか、喜々として自分語りしてしまうところ、やっぱり一般人感覚から逸脱している証拠なんだろう。

女子中学生が眩しすぎる

通勤の道すがら、いつも同じ時間に反対側に向かって歩いてくる女子中学生がいる。

力強い眼差しで真っ直ぐ前を見て、いつも少し早めの歩調を崩さずに歩く。

僕はもうすっかりおじさんで、彼女くらいの娘がいてもおかしくない年齢だ。

運動には気をつけているので歳の割には若く見られる方だが、彼女からすれば醜い生き物にしか見えないだろう。

彼女中学生であることはその着ている制服でわかる。近くにある公立中学のものからだ。

彼女学校に向かう時はいつも一人だ。

一見不機嫌そうな無表情で、前だけをみて歩いている。

顔立ちは今時のアイドルといった可愛らしさではなく、マニアックシンガーソングライターのような大人びた雰囲気を持っている。

回りくどい言い方をしないのであれば、私が好んでやまなかったfra-foaという解散したロックバンドヴォーカルにそっくりなのだ

ただ顔立ちが似ているというだけではない。

彼女視線や歩調から感じる意志の強さや、それでいて身にまとう儚げな空気感のようなものまでが生き写しといっていいほどだった。

僕が彼女存在意識するようになったのは、そのことに気付いてからだ。

だが相手中学生だ。

間違っても間違いを起こす訳にはいかないし、そんな汚れた目で彼女のことを見ているつもりもない。

から僕は、僕の存在彼女人生の汚点にならないように、彼女とすれ違う時はできるだけ彼女意識していないように、彼女の印象に残らないように振舞っていたつもりだった。

そこは500mくらいの真っ直ぐな一本道で、僕はいつも左側を歩くのだが、彼女ははじめのうち向かって右側を歩いている。

そうしてその道を100mほど進むと、彼女は決まって左側に道路を渡ってくる。

彼女が右側から左側へと毎回渡ってくる理由は、彼女がその道に入るのに右に伸びる側道から入ってくるからで、その道を抜けた先にある学校は左に伸びる側道の先にあるからだ。

ただ、なぜか理由はわからないが、彼女はいつも決まって同じタイミング道路を渡った。

長い一本道でなので、多少出発時間前後しても大体どこかしらですれ違うことになる。

まり、すれ違う場所によって、彼女は右側だったり左側だったりするのだ。

はじめは彼女を少しでもそばで感じたいという気持ちに負けて、彼女が左側を歩いている時にすれ違えるようにとタイミングを見計らったりしたこともあった。

しかしそんなことが続けばいらぬ疑いをもたれかねない。

そのために、むしろ早すぎたり遅すぎたりして彼女とすれ違わない日も作るようにもした。

彼女と同じ左側ですれ違える時は、正直に胸が高鳴ることを感じていた。

そんな自分彼女にとっておぞましい存在であることは自覚しているつもりだった。

そんなことを半年ほど繰り返したある日のこと。

その日、彼女はまだ僕と反対側、道の右側を歩いていた。

いつものように彼女存在を気づかないふりをしようと歩いていたのだが、距離が近づいてくるとふと違和感を覚えた。

彼女の顔がこちらに向けられているような気がしたのだ。

気のせいかもしれない。そう思い込みたいだけかもしれない。相手に見られてる気がするだなんてよくあることだ。

自分にそう言い聞かせようとしてみた。

しかし、あっけなく好奇心に負けた僕は、とうとう彼女のほうに視線を送ってしまった。

するとどうだろう。

いたことに僕の陰鬱で卑屈な視線は、彼女の真っ直ぐな視線真正から衝突を起こしたのだ。

僕はその視線に押されてすぐに顔を背けてしまった。

彼女記憶に、おぞましいものをおぞましいものとして残してしまたかもしれない。

僕は好奇心に負けてしまったことを強く後悔をした。

それでもまだ感じる視線を払いのけるように、僕は前だけを見てひたすら歩き続けた。

次の日、昨日のことは何だったのか考えながら再び僕はまっすぐな道に差し掛かった。

すると、僕はいもの様に真っ直ぐ前を見ながらこちらに向かってくる彼女を見つけた。

その時彼女はまだ道の右側を歩いていた。

そんな彼女の顔に何気なく視線を向けてみると、その視線はまたしても彼女視線真正から衝突することになった。

僕はすぐに視線を逸らした。

まだ近いとは言えない距離にも関わらず、彼女視線は間違いなく僕に向けられていたのだ。

理由もわからず僕は真っ直ぐ前を見て歩き続けた。

もうすぐで彼女左側に渡ってくるポイント差し掛かった時のことだ。

僕は視線を動かさないようにしているつもりだったが、今度は彼女の方から僕の視線に入ってきたのだ。

そうして今度は明らかに、はっきりと彼女が僕を見ていることが分かった。

僕はできるだけ動揺をさとられないように、あたかも別のものに興味を示したかのようにして視線を泳がせるのが精一杯だった。

一体どういうことだろう。

誰かと勘違いしているのだろうか。

いくら冷静に理由を考えようとしても、彼女の真っ直ぐな視線に矢のように射抜かれてしまった心臓は落ち着きを取り戻せないままでいた。

その時、遠い昔に忘れていたような感覚が、どす黒く薄汚れた内臓をかき分けてこみ上げてくることが分かった。

自らのおぞましさを恐れずに言うなら、これは恋だ。

その言葉が僕の口から発せられることが、どれだけ気持ち悪いことなのかは承知しているつもりだ。

しかし他に説明のしようがないのだ。

まぎれもなく目覚めてしまったのだ。僕の奥底で息絶えたはずの甘酸っぱくも苦々しい感情が。

とうの昔に、薄汚れた性欲によって噛み殺されたはずの純粋気持ちがまだ僕の中に生きていたのだ。

それからというもの、すれ違う度に彼女視線を強く感じた。

勘違いだと思い込ませようとしながらも、好奇心に負けて彼女視線を向ける度に、真っ直ぐな眼差しが僕を射抜いた。

彼女は何を思って僕のことを見ているのだろうか。

動物園動物を見ているような感覚なのか、それとも万人に対し同じように興味を持ち合わせているのだろうか。

どちらにしても僕のようなこんな醜い生き物にしてみれば、彼女存在視線もあまりに眩しすぎるのは確かだ。

僕はとうとう堪え切れず、出発時間を大幅に早めることで彼女とはもうすれ違わないことを選択した。

誓って言えることは、彼女に対して性的な興味は一切持ち合わせていないということだ。

自分でも不思議と、いやらしい目で見ようと言う思いすら浮かばないのだ。

もし彼女と何がしたいのかと聞かれれば、僕はただ一緒の時間を楽しみたいと迷わずに答えるだろう。

夕暮れの土手に座って、ただ何もせず色を変えていく空をみあげているだけでいい。

二人の間を同じ風が通り過ぎていく切なさを噛みしめたいだけなのだ

ただ、もし贅沢を言えるなら、せめて手だけはつなぎたい。

彼女の体温、皮膚、骨の感触を確かめてみたいのだ。

それ以上のことは一切望まないし、望もうとも思わない。

目の前にある美しさに、ただひれ伏して打ちのめされたいだけなのだ

どうしてこんなにも醜くおぞましい生物に成り下がった僕から、こんなにも純粋で苦しい想いを成長は消し去ってくれなかったのだろうか。

彼女が近づくことも遠ざかることも、今の僕にとっては苦しみでしかないのだ。

色々なことに慣れ、無感動で欲望だけに突き動かされている獣と化している今の僕には、あまりにも耐え難い苦痛だ。

ただ、一つ理解して欲しいことはこれは僕の欠陥ではないということだ。

人間がもともと持っている欠陥に、僕は振り回されているだけなのだから

会わない日が続けば、いつか必ずこの苦しみからは開放されるはずだ。

そう信じていた。

今朝、僕は大幅に寝坊をした。

からは大粒の雨がアスファルトを叩く音が響いていた。

すれ違わないという決断をしてからもう数ヶ月は経っただろう。

彼女は進級したはずだし、もしかしたら中学卒業してしまたかもしれない。

もしそうならば、僕はまた以前と同じ時間に出勤ができるし、彼女視線から身を隠す生活を続ける必要ももうなくなるのだ。

それを確かめるべく、僕はあの頃と同じ時間に家を出た。

そうしていつものように長い一本道に差し掛かると、僕の視線には道路の右側を歩いている見間違いようのない彼女が真っ先に飛び込んできた。

期待していなかったといえば嘘になる。

喜びと焦りが同時にこみ上げては僕の呼吸から自由を奪った。

遠くから少しずつ近づいてくる彼女を、視線の芯に捉えないように、それでいて視線からさないように注意深く追い続ける。

そうして彼女は、いつもの様に左側へと渡ってきた。

視線をさとられないように、それでいて不自然にならぬよう、僕は傘を前に傾けると少し顔を隠した。

歩調にあわせては時折上下する傘によって、お互いの顔は見え隠れを繰り返した。

前よりも少しほっそりと、色白になったように見えた気がした。

それによって、彼女が持つ儚げな雰囲気はより美しさを増したかのようだった。

それ以上覗きこみたくなる好奇心を理性で必死に抑えた。

これまでもう会わないという決断を守り続けてきたではないか

そのまま、あと少し耐えれば今日までの努力は報われるのだ。

しかし、そうしてすれ違おうという時だった。

突然牙を剥いた抑えていたはずの好奇心によって、僕の決意は湿気たクッキーよりも容易く噛み砕かれてしまった。

僕は傘を上げると、堪えきれずに彼女視線を送り、今の姿を焼き付けようとした。

そして、それを待っていたかのように彼女の顔を隠している傘がふわりと跳ね上がった。

気付いた時にはすでに、透き通るような輝きの瞳から迷いなく向けられた真っ直ぐで力強い眼差しによって、しかもこれほどまでに間近かな距離から今だかつてないほどの強烈さで 、僕は脳天を射抜かれていたのだ。

一瞬の出来事だった。

彼女は何事もなかったかのように、いつも通り学校への道を急ぐ。

歩きながらも、僕の目から理由もわからず涙がこぼれた。

すでに遠く後ろを歩いている彼女には知られることはない。

僕は、何か言いようのないもの支配されていく恐怖と喜びとが、同時に全身を蝕んでいくのに身を委ねることしかできなかった。

2016-06-21

劣等感が消えたってか、劣等感自体妄想だった。

俺は、リア充への劣等感が超絶激しかったんだけど。

いざリア充になれる立場になったら、霧散した。

  

というか、マッタク楽しくない。

合コンだの、友達たくさんだの、週に何回も飲み会だの、バーベキューだの旅行だの。

あれ?と言う感じ。

金も社会的立場も、女も手に入れたが、全然楽しくない。

  

というのも、俺が持っていた「スクールカースト的?」な劣等感なんてなかった。

スクールカーストはあって、俺はそれが『うらやましいもの』と思い込んでたけど。

俺は多分、「なれない」んじゃなくて、「ならなかった」側だったんだわ。

勉強ばっかりしてたから。将来研究医になることしか興味なかったから、そもそも周りに興味なかった。

これってAVとかエロ漫画の見すぎなんだわ。

よく、ドラマとかで王子キャラが、「セバスチャン」的なノリで出てくるけど、あれがリアルだと思う奴はいない。

少女マンガ白馬王子なんてのも、流石にリアルでいたらアホ。

しかし、俺は、信じてしまった。同人エロ漫画なりを。

  

なぜ信じてしまったのか。

それは、見た目がクソブサメンチビデブハゲふけ顔だったから。

でもさ、関係ないんだよ。

動物園不細工動物がいても、別にたんなる動物じゃん。

からしても男ってそういう動物園動物なんだよなあ、リア充世界では。

というか、リア充世界に入った瞬間、女も動物園見世物

そういうクッソ淡白な世界だわ。リア充世界って。

漫画ドラマで見るような、「ウフフ、オホホ」なことは一切無い。

小学生カードゲームや家でゲームやってる時のほうがよっぽどリア充

キモオタコミケ集団同人買い占めてるけど、あっちのほうがよっぽどリア充

カースト上位のリア充集団なんて、女は金持ちペット、男はパズドラ並のクソゲーをやってる気分。

そういうゴミノリ、ゴミ文化にすぎないよリア充集団なんて。

これは、せいぜいパズドラ程度しか楽しめない層のための、ゴミゲーなんだわ。

  

一方で、キモオタ集団カードゲーマーラブライバーみたいなのが本当の面白さ。

こっちのほうがよっぽどリア充

なんで、キモオタ馬鹿にされるって、結局女とやれるやれないの差だけ。

女は、結婚とか恋愛脳みそ馬鹿になってるってか、カワイイとか雰囲気いいみたいなノリじゃないと楽しめないかパズドラばっかりやってるわけ。

女は、『ワンピース』みたいな、まったく戦略もしっかりしてないのにノリや仲間感で敵を倒せたりみたいな、ドキュンノリのファンタジー的なカワイイ系のりしかからない。カワイイ系ノリで問題解決するわけがないんだけど、『ワンピース』では、カワイイ系ノリの絵で雰囲気だけで話が成立している。

リア充ってのは、そういうワンピースノリそのもの馬鹿らしい。

一方で、キモオタはスグ文学に走る。文学なんて、学校図書館でホコリまみれだったでしょ。誰も読まないけど、クッソ面白い

  

結局、この程度のものなんだけど。

キモオタ文学的に考えちゃうから、「キモオタ視点エロ漫画」とかになると、すぐリア充を『勝者、人生楽しんでる』と設定したがる。

二次元絵でメン球やおっぱいを巨大にかいしまったり、体重を30キロ台に設定してしまうような、極端な抽象化をしてしまう。

そういうエロ漫画に俺は騙された。勝手劣等感持っていた。

ドストエフスキーが『地下室の手記』で劣等感まみれの男を書いたり、『賭博者』ってので女に貢ぐ男を書いたりと煽られたのもある。

とにかく、文学が言うんだし、エロ漫画も読みまくって刺激受けまくって。

「これぞ真実だろう、死ねリア充堕胎いじめを産んでるクソ文化死ね他人犠牲にしてリア充とか本当に人間性ねーなバーカ」

と本気で思ってた。

しかし、当のリア充は、「精神的に貧困」な人達ばかりだ。特に女。こんなクソゲーに女はガチでやんないとだめなんだなとアホらしい。

男はこんなんを降りても余裕でキモオタ文化で楽しめるわけで、むしろキモオタ文化のほうが高度なわけだし。

  

う~ん。劣等感消えましたなあ。

キモオタ文化抽象化された「リア充うらみ」をそのままトレースして遊んでいたんだなあ俺は。

まあ、楽しいよね劣等感つのって。

好きだったアイドルAV落ちしたときに泣きながらオナニーしてる奴がうらやましくって、そのアイドルアイドルしてたとき動画必死に漁りまくってファンだった設定で泣きながらオナニーしてるようなもの

そして、その、最初の、「アイドルAV落ちして悲しんでいるオタク」ってのを抽象化して、二次元キャラみたいに物凄い劣等感を抱かせて神格化して。そういう神格化された非実在キモオタトレースして気持ちよくなってたんだなあ俺は。

2016-06-15

はてな動物園

id:nenesan0102です。

猫(猫科含む)のアイコンの人ばかりをお気に入りに追加していったら、なんと400を超えました。

いやー驚きました。はてなに猫がこんなに生息していたとは…。

余談ですが以下雑記

・猫族が圧倒的に多い。

・犬族はそこそこいますが、猫族の半分以下

・ちらほら鳥族がいる

・牛、羊、鹿、馬族は少ない

もっと少ないのが猿族

カエル昆虫類はたまにいるが非常に少ない

魚介類アイコンは珍しい。あまりいない。

それにしても猫というのは本当にフォトジェニックですね。小さいアイコンでも丸みを帯びたフォルムとあの特徴的な二つの突起(耳ですよ!おぱいではない)でわかりますね。

たまに灰色の煙の写真を長毛種の灰色猫と見まがったり、テラコッタ茶色の床を茶虎と見まがったりしましたがね。。。

こんなに集めたのに1つとして同じ子いないんですよすごくないですか猫!

お気に入りの欄にずらりと猫写真が並ぶさまは大変よい。いつもニヤニヤしてる。

猫は良いですね。最高ですね。モフモフ!


*追記*

なんと499匹に達しました。柴さん合せて500人になった。

それでやっと気づいたんですけどお気に入りできるのは500ユーザーまでなんですね。

これはしまった。上限が500なんて知らんかった。

そういえば同じ写真の猫がいました。ギター持ってる子猫のコラのやつですね。これ同じ子2匹いました。

あと、ウサギがけっこういますね。

猫は顔立ち(目の位置)と丸顔で判断してることが多いのですが、フェレットが非常に似ていることがわかりました。

ただフェレットはあまりいない。

あと象がいないねほとんど見かけませんでした。2ユーザーくらいしかいない気配がします。

げっ歯類は身近なのかそこそこいますね。リスとかハムスターはよく見ました。

猫は良いですね。最高ですね。モフモフ!

2016-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20160609010504

君の卒業した小学校世界一ではないにしろ初恋男の子や、楽しく喋った友達がいたんじゃないか

君の卒業した学校の素晴らしさはスペックがすべてか?学力がすべてか?思い出やそこにしかない季節の事物

あるいは、君が昔住んでた家でもいいよ。

そういうものへの愛着ってあるだろう。

たまたままれた町のたまたままれ学校といえを体験した自分って存在特別じゃないか

自分にとって自分特別なように、他人自分にとっての特別に思えるはずだけどな、スペックで視なきゃ。

スペックだけで視るからだめ。

確かに、東大卒ってスペック面白いけど、そのスペックに恋なんてできない。

  

動物園で、「動物」っていう動物を見に行くようなものだろそれじゃ。

お金で何を買いたいじゃなく、「お金」がほしいとか言い出すのと同じ。

スペックじゃなくて、その人そのものを見る。

  

理解できないなら、ちょっとやっぱ文学読もうぜ。

2016-05-21

[]

今日千葉市動物公園に行きましたわ。

象のうんこは一日に60kgらしいですわ。ブリブリブリ、こいつ今までこんな重い装備をつけたまま・・・ですわ。

園内のこどもどうぶつえんにヤギふれあいコーナーがありましたわ。わたくしは見に回りますわ。このマンガはこども向けじゃありませんでしたわ。

今日デトックスペンギンケープペンギンフンボルトもいましたわ。

動物園に鯖はいませんわ!動物園に鯖はいませんわ!

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-04-26

ヴァルキリードライヴ異性愛規範を壊した素晴らしいアニメ

そ、そういう見方もあるのか(呆)

スケベを拗らせすぎた結果起こる、よくある動物園アニメじゃないか(呆)

2016-04-24

[] 上野

上野に行ったら

ゲイバー

と書かれた大きな電光看板があって、

「うおっこんなにあけすけに商売してるのか!」

と思ったら

サイバースパーク

だった。


トラバで指摘された「男ビデオ高価買取り」も確認してみたらかなりでかかった。

さすがゲイ御用達トイレで有名なだけある。

パンダ口付近のトイレに入ったらやたら広かった。

何であんなに広いの。

結構綺麗で臭いも少ない他と比べてみたらどちらかと言うと臭う方だ。大便器の方はちょっと汚なかった。

まあおすすめ。なんたって広いし。

天気がいい日は動物園行きの子供で混雑したりするのかな?

結婚後悔論

やっぱりさ、結婚なんてするもんじゃねえよ。

まれも育ちも風習も違う人間死ぬまで毎日一緒にいる生活を送るなんてーのは俺には無理なんだよ。

良かった事と言ったら親族縁者に家庭をもてるだけの男になったか安心させられたことくらい。

果たして俺の人生はその縁者関係を満足させるために使い果す事になってしまったのか、

それとも自分勝手自由気ままに生きていた方が人生謳歌できたんじゃないかと今更後戻りできないながらに考えるよ。

そもそも俺の場合は生まれて初めて付き合った彼女喧嘩もしないまま3ヶ月で結婚してしまったもんだから

お互いの意見をすり合わせるとか、お互いが実際にはどんな人間なのかとか、どこまで遠慮しているのかわかんないまま結婚したのが大失敗。

結婚してから半年女房妊娠して男の子が生まれたんだけど、やはり育児方針全然違いすぎる。

そもそも男3人兄弟の真ん中の俺と母子家庭の一人娘じゃ境遇が違いすぎる。痛感する。

ちょっとぐらい変なとこ舐めたり外に出て遊んだりしてもそうそう悪くはならねえよと考えている俺と、

時間通りにミルクをあげてちょっと床を触ったらすぐに除菌シートで手をふいたりしてるくらい神経質な女房とではそら毎日もめるわな。

それがお互いが「自分の行動は子どものためを思っているんだ」っていう正義感をふりかざすからたちが悪い。

でもさあ、ちょっと過剰じゃないの?

7ヶ月目にもなるのに動物園に連れて行きたいと言ったら感染症が怖いと言い、

祖父急逝して俺の実家に連れ帰ったら兄夫婦が咳をしていたもんだから子ども風邪感染ったと言い、

ショッピングモールベビーベッドは他の子がどんな使い方してるかわからないから不潔だと言い、

それお前どんだけ世間のことを信用してないのよ?いくら赤ちゃんとは言え過保護すぎやしないかい

そもそもミルク母乳なんだし、母乳飲んでる間は風邪をひきにくいと言われているこのタイミングを逃していつお出かけに行くのさ。

育児家事が大変なのはわかるよ。だから俺も休みの日は積極的散歩に連れてったり料理作ったり重いもの運んだりしてるじゃない。

それなのに「育児24時間休みなしでやってる」「育児を甘く見すぎてるんじゃない?」って言われた日にはさ。

俺も育児以外の時間会社仕事をしているよ、わかっておくれよ。ここんとこ土日はどこにも行けず3人で食料品買出しに行っておしまいじゃない。非効率な。

そこまで言うならせめて最低限の家事はしてくれよ。

葬式で使ったスーツを平日の昼間にクリーニングに出せないかと頼んだら「子どもをだっこしながらスーツは重くて持てない」と言い、

じゃあせっかく買ったベビーカーを使ったらと聞いたら「この辺は車通りが激しくて怖くて無理」と言い、

それなら日中何しているのと聞けば「子どもが膝の上で3時間寝てしまって動けなかった」と言い、

起きてたら起きてたで寝返りうつから家事ができないってそれせっかくエルゴ買ったんだからおんぶしたらええやんけ!

そしたらおんぶは怖くてできないってなんだよそれ!

そしたら他の家のお母さんはどうやってるんでしょうね!みんなウチと同じかな!

でもこの辺でお母さん一人で赤ちゃんだっこしながら買い物してる人見るけどね!

それに休日俺が料理するのもさ、ぶっちゃけ君は料理するとき味見をしないからご飯がおいしくない事が多いんだ。

俺も早く結婚したいと言っていたクチではあるが、

やはり自分相手の本性を受け容れられる人同士が結ばれるべきであって、

俺みたいに人と衝突するのが怖いからって言ってケンカもろくに出来ない奴は結婚する資格が無いよ。

それが無理なら俺みたいに残りの人生妥協するしかないな。

だが果たして俺の本性をさらけ出しても尚付き合ってくれる友人は果たして今まで何人いたかな?

2016-04-21

猫が轢かれていた

朝、自転車通勤通り道道路のわきで動かなくなっていた。

a. かわいそうに。車が思ったより速くて避けられなかったのかな。弱っていたのかな。もうちょっと気をつけて運転していればこんな事にならずに済んだかもしれないのに。のら猫っぽいけど、誰かお墓を作ってあげられるんだろうか。

b. 弱ってたのかもしれない。人も、疲れているとき事故を起こすものだ。すこし前まではやや元気がないなりに猫として日常を生きていたのが、ほんの一瞬のうちに遺体になってしまった。自分がもし事故にあって死ぬとしても、同じ過程をたどるのだろう。衝突のショックで意識を失い、骨や各部が損傷した痛みで気がつき、体の中の出血で完全に不可逆的に動けなくなる。意識がどうなるのかはわからないが、少なくとも外から見た生き物としての反応性が全てなくなり、しばらく硬直したあとで体が崩れていく。さっきの猫は、個体としてはもう死んでいたし、機能を保った臓器もたぶんない。細胞はどこか一部だけなら生きているかもしれないし、体に住まう細菌はたぶんまだ生きてる。これが死の過程。頭の中で、自分死ぬときの演習をしているみたいだ。

から見れば、そしてドライに言えば、個々の生き物の命にも実質的には替えが効く。誰かがいなくなっても同じ仕事をできる人は配置できるし、動物園であるライオンが死んでも新しいライオンが同じ役割を果たし、同じようにその日来た子どもたちはキャッキャと楽しんで帰っていく。ぱっと見たところは。でも、その1匹の生き物に近づけば近づくほど話は違う。隣の席にいた〇〇さんがいなくなるのは寂しいし、特有のしぐさでみんなの人気だった△△と同じことができるライオンはいない。大好きな歌手の代わりは誰にもできないし、ある友達に代われるひともいない。家族に代われるひともいない。自分は猫を飼ったことはないけど、猫の家族は、帰りを待っているのだろうか?猫の習性では、母子関係以外では、誰がいなくなってもどうってことないのだろうか?それでも、猫社会の中で、この辺でよく鉢合わせした気に入らないアイツ、かわいいの子、いなくなっちゃったな・・どうしてるのかな・・とは思うんじゃないかな。

あの猫の生涯はあそこで閉じたわけだけど、彼/彼女死ぬ前に一瞬考える時間があったなら、自分の一生をどう感じるのだろう。やり遂げたと感じるのだろうか?やり遂げた/やり遂げてないって、猫なら何を基に感じるのだろう?メスと交尾した/産み育てた子猫が立派に大きくなった、おいしいものをたくさん食べた、居心地のよい住処を見つけて暮らした、よくご飯をくれるおじさんと仲良くなった、優しい飼い主に拾ってもらえた、嫌いなヤツと喧嘩して勝った、兄弟といっぱい遊んだ、触るだけでおもしろい草とたくさん遊んだ、、、、 人がよく生きたかどうか、ややこしい評価軸がいろいろ組み上がってるけど、正直に言えば結局のところ、猫と何が違うのか?同じだと言ってしまったら、人間特別さ・"尊さ"みたいなものが薄まるんじゃないかと思ってるのかな。難しく言えばそうかもしれない。でも、猫と同じだとしても、自分は尊さが減るとはほとんど思わない。生き物としての楽しみや、生きることへの期待や希望を日々追求して、達成して失敗して喜んで悲しんで、、それだけでとても素敵だし、尊い。猫も尊い。ただ、自分人間なので、人の尊さ、温かさや冷たさにひと回りふた回り敏感なだけ。と言って、蚊が体にとまったらこからも叩くし、ゴキブリが出たらこからも全力で追いかける。蚊とゴキブリの命が尊くないとは思わない。でもやっぱり嫌なもの排除してしたいことをする。それが生き物。みんな同じ。

とうとう休んでしまった

毎日毎日行きたくなくて、吐き気と闘いながら出勤していた。

今日、とうとう会社の少し前で引き返してしまった。

会社電話して休みますと言い、家へ帰り動物園へ行った。

少しは気が晴れるかなと思ったけど、胸のざわざわは治まらない。

明日仕事へ行けるのだろうか。

2016-04-09

[]

エキスポティにあるNIFRELに行ってきましたわ。去年新設されたおしゃれな水族館ですわ。

大きな水槽は少なかったけれどどれも綺麗な水槽ばかりでしたわ。

チンアナゴの砂が透明なやつでグヘヘ中まで丸見えだぜ~でしたわ。

生き物たちが放し飼いのコーナーがあって間近を歩く動物達にわたくし大興奮でしたわ!今考えるとあれは水族館じゃなくて動物園でしたわ。ペンギンもいらっしゃいましたけど区切られたところにいましたわ。ペリカンもいらっしゃいましたけど出ちゃうおじ様はいらっしゃいませんでしたわ。

スッポンモドキが産卵のときしか陸に上がらないのをすごいことのように書いてありましたわ。

鯖は産卵の時すら陸に上がりませんのに!鯖は産卵の時すら陸に上がりませんのに!

2016-04-05

去年書いたかもしれない感想

http://anond.hatelabo.jp/20160321120853

↑の日記を書いた元増田です。

トラバで1期2期本放送当時の空気や、それ以前のにこの扱いについてツッコミをいただいたが、これについては今以て反論エビデンスが見つからないので、ここでは否定しないことにします。

今回また筆を執ったのは、それでもなお熱心なファンが、先日のファイナルドームを埋め尽くすほどのマスを何故獲得したか、思うところがあったからだ。

きっかけは、元のエントリを書いてからいよいよ続きが待ち遠しくなって、程なくしてDVDレンタルで2期をチェックし、その勢いで劇場版も再チェックしたところ、久しぶりに心動かされるインプレッションに直面したことである


今回もまた結論から書かせてもらう。

エントリで、自分は「あれだけの人気が出たのが不思議で仕方がない」と書いたが、これは撤回せざるを得ない。

今はもう「こりゃ人気出るのは道理だ」という感想である


我ながらこんなふざけた掌返しは、いわば「北風と太陽」を味わってしまたかである

それくらい、2期のクライマックス(9話以降)から劇場版に至るまでの盛り上がりは熱く、そして眩しかったのだ。

今までこんなにやる気・前向きの熱気に溢れ、眩しすぎるくらい眩しい作品があっただろうか。

そりゃ話の筋書きだけ見たら全くパーフェクトではない。

てか2期だって、8話までは基本ほぼ早送りで見てもいいくらい退屈だった。

それこそ「1期でヘマやらかし批判を受け、制作側が必要以上に萎縮した結果、2期は美少女動物園」という、ありがちな体たらくじゃん・・・正直ゲンナリしていた。


でも話が終わりに近づいた所で大きな軌道修正が入ったのだろうか、そこからが本当に凄かった。

上に書いたようなツッコミや、その他シニカル見方(例えば「ずっと一緒にいると、お互いの考え分かっちゃうんだよね」とかホントか?と思わなくはなかったり)を軽く吹き飛ばすくらいの、超ポジティブ展開で畳み掛けてきやがったと。

勿論「この1期があったからこそ、2期があった」と思わせるようなニクい演出キッチリ作ってきてたし。あと神田明神痛絵馬だらけになる事まで見越した話も挟むとかもヤバい

そして、その勢い冷めやらぬまま突入していく劇場版は、2期まで見た後だと全く違って見えた。

まさに一面パーッと花が咲いた感じというのだろうか、目を見開かされたのは間違いない。

最初自分が見ていたのは一体何だったんだと恥じ入った。

そして、この目の回るような展開が、少なから視聴者の心を捉えて離さなかった結果の大ブレイクだったのだと、確信した次第である


結局、TVアニメ劇場版という流れで示されたメッセージ

「皆が一生懸命頑張って頑張って、そしたらどこまでも飛べる、そして花は咲き続ける」

という、素晴らしく力強く、明快直截で、そして純粋ものだった。

そもそも「どこまでも飛べる」と何か1つでいいから思えるメンタリティこそが青春なので、ある意味では青春の輝きを体現したアニメなのかも。

しかしそれにしても、中高生以上がコアターゲットアニメで、こういうメッセージをここまで最前面に打ち出し、押し通した作品自分は他に知らない。

しかしたら、こういうラブライブ!のような直球勝負作風ブームになるレベルウケるくらい、アニメカジュアル化したということだろうか。


てか、もしそれを見越して本企画を思いついたのなら、考えた奴は神だと思う。

だってこれ、大本

アニキャラでアイドルユニット作ってPVもどきの形でアニメにして、アニメと全く同じパフォーマンス中の人ライブ披露する」

と、要するに

二次元から三次元に、熱狂的にアプローチさせる」

ことがオリジナリティの核という、とんでもないイロモノ企画だったわけで、実際

声優に何やらせてんのよ?」

と当時は思ったものだ。

それがこんな化物コンテンツに成長したのだ。

それこそ「どこまでも飛べ」たことを証明してしまった。

恐ろしい。

2016-03-30

草食系ってつまり負け組じゃね?

恋愛勇気を持てない男が、草食系になるパターンってあると思うんだよ。

ってか俺なんだけど。27歳、チビデブハゲブサメンの満貫。

  

で、なんとなーく、草食系って言葉があるから、俺は草食系なのかーって思ってたけど。

イヤイヤ。ちょっとまて。

  

本当に性欲が無くて、彼女作れるけど作らない奴が草食系なら、まあそれも戦略だろうってなるけど。

元々彼女いない歴どころか、頑張ってもできない俺みたいなのが、草食系なんだーってもう完全に終わってるじゃねーか。

しかも、性欲はあるからAVだの風俗だの。

これ単なる負け組じゃねーかw

  

ちょっと言葉分けてほしいよね。

モテうる奴が性欲少なくて草食系ってのは、そのまま分かる。

でも、負け組無気力になって諦めてるのは、ちょっと違うじゃん。絶食自殺してるのに近い。即身仏男子って感じか?

  

そうじゃん。俺、即身仏男子じゃん。チーン・・・

  

底辺高校とかだと、昔は不良化してたけど、最近では不良が少なくなって無気力系が増えてるらしいね。不良する体力すらなく、アニオタキモオタになるらしい。

高学歴から、そういう奴らの意味が分からなくて、ちょっとでも勉強しろよって思ってたけど。

恋愛に関しては簡単に無気力になるもんだな。

元の頭が悪い努力すらしない。元の顔が悪いと努力すらしない。

  

草食系って、大学受験でいうと、コスパマーチとかのウエイ系かねえ。

  

俺が底辺無気力相手にどういうアドバイスをするだろうか。う~ん。学問の楽しみを少しだけでも味わってもらう?無理くさいな。

努力すればニッコママーチ狙える?そんな無責任なこと言えないなあ。不可能ではないだろうけどさあ。かなり厳しい。

じゃあ。目標下げて動物園大学に行くか?う~ん。。。そうだなあ。看護とか、専門学校とかそういう感じを進めるかなー。多少勉強の喜びとその後の社会生活コミで。

無気力底辺ニートになってドキュンにもなれずにフリーターにすらなれないよりは、そのほうがよっぽどマシだぞって。

  

じゃあ、俺はどうだ。恋愛。無理だろ。少なくともAV二次元みたいなレベル絶対無理だし、普通ちょい上の女(ニッコママーチレベル)も無理だろ。

よっぽど子供の頃からリガ努力してればかなり馬鹿でもニッコマギリギリ目指せるかもしれないが、もう余りにも周りから遅れをとったし才能も相当ヤバイ

う~ん。どうしましょう。う~ん。。。ドキュンメンヘラとかの底辺女狙い)に移行できるかなあ。。厳しいよねえ。

看護専門学校に該当するのって。あれかな。婚活パーティーアラフォーくらいの後が無い女と子供ができるかどうかもわからない結婚とかかねえ。それすら難しいかな。

ゲー。どうしよ。

  

普通の性欲無いだけの草食系なら、マーチレベルの女と妥協しつつ多少努力した結婚とかなんだろうね。

俺みたいな即身仏男子はどうなんだ。専門学校かねえ。それってまったくの無気力ニートよりかマシって言えるんだろうか??

わかんねえ。努力のしかたもわかんねえ。メンズノンノは違うんかなー。とりあえず服とかダイエットとかかね。身長と髪の無さはもう変えられないしなあ。

2016-03-08

ドキュンってもしかして学歴社会へのアンチテーゼなのでは?

結婚して楽しいぞーwwwwww系の2chまとめを見てて違和感を感じた。

なぜ楽しい説明がマッタク無い。子供かわいいとか、家に人が居て幸せとかだ。

  

多分、嘘は言ってないんだろうけど、なぜ楽しいかがマッタク説明されない。

こいつ、頭が悪いドキュン家族の奴か?って第一感で感じた。

だって、そういう奴が炎天下パチンコとかやってんだろ?脳タリンから幸せだけを見れる。

  

俺はこういうのが実際理解できない。

というのも、多分俺に感性が無い。

俺みたいな奴は結構いるんじゃなかろうか。小中高大学とまったく人付き合いが面白くも無く、まったく学校生活面白くなかった奴。

映画漫画みたいな青春ジョークだとしても、その100分の1も面白くもない。友達ゲームのしたこともなく。休み時間も一人で読書してたような奴。

そういう奴は多分もとから理解する感性が無いんじゃなかろうかと思う。

  

で、俺は高学歴になってエリート職になってみて。8割くらいはまともな奴だけど、2割くらいは俺みたいな奴が居ることに気がついた。

いや、その8割って奴も半分くらいは「リア充的な感性を持っているフリ」している奴らだと思った。

皆頭がいいし心も根はいい奴ばかりで、なるほどこれが知的エリートの当然だよなって思うんだけど。

この人達がはたして小中高と楽しめたのか疑問だった。

高校は一応全国トップレベル高校だったが、それでも一部のドラマとか見ない陰キャラしか友達になれなかった。

正直、小中の頃のクラスメート動物園動物もっと悪くいうと、障碍者学級に正常な人が突っ込まれた気分だった。

まわりが障碍者っぽすぎて苦痛だったって感じだった。

  

でも、ドキュン楽しいそうだ。俺に無い感性だ。

少なくとも日本社会はそういう中流から下流の層にマッチした社会が作られている。

高学歴には高学歴社会があるが、世の本流はドキュン用、いわゆるマイルドヤンキーってやつか。そういう層に向けた社会だ。

俺みたいなダイブ知能の高い奴にとっては、動物園管理みたいで生き辛い。

でも、世のボリューム層がマイルドヤンキーなら、マイルドヤンキーに都合のいい社会になっていく。

高学歴へのドキュン圧とでもいうべき淘汰圧がかかる。

  

これって、ある意味ドキュンの勝ちなのかなって思った。

  

特に、女がドキュン大好きだからドキュンがいい女を若い内抱きまくって、ドキュン繁栄する。

まるで、民族浄化占領した国の女を妊娠させまくって民族を追い出す的な)みたいだ。

この淘汰圧がここ数十年で圧倒的になっちゃったのかねえ。

  

世の学歴社会に乗ってなんとか俺みたいな奴らはサバイバルしてるけど。

次の世代さらにきつくなるだろう。

そうだよなあ。自然にとっては、俺みたいな馴染めない奴は不自然から、なんらかの淘汰があるべきだわ。

俺みたいなのが世の大半になったら滅ぶわ人類

これを代償する圧力って当然あるわけで。

それがドキュン圧なのかな。

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