はてなキーワード: fra-foaとは
通勤の道すがら、いつも同じ時間に反対側に向かって歩いてくる女子中学生がいる。
力強い眼差しで真っ直ぐ前を見て、いつも少し早めの歩調を崩さずに歩く。
僕はもうすっかりおじさんで、彼女くらいの娘がいてもおかしくない年齢だ。
運動には気をつけているので歳の割には若く見られる方だが、彼女からすれば醜い生き物にしか見えないだろう。
彼女が中学生であることはその着ている制服でわかる。近くにある公立中学のものだからだ。
一見不機嫌そうな無表情で、前だけをみて歩いている。
顔立ちは今時のアイドルといった可愛らしさではなく、マニアックなシンガーソングライターのような大人びた雰囲気を持っている。
回りくどい言い方をしないのであれば、私が好んでやまなかったfra-foaという解散したロックバンドのヴォーカルにそっくりなのだ。
ただ顔立ちが似ているというだけではない。
彼女の視線や歩調から感じる意志の強さや、それでいて身にまとう儚げな空気感のようなものまでが生き写しといっていいほどだった。
僕が彼女の存在を意識するようになったのは、そのことに気付いてからだ。
間違っても間違いを起こす訳にはいかないし、そんな汚れた目で彼女のことを見ているつもりもない。
だから僕は、僕の存在が彼女の人生の汚点にならないように、彼女とすれ違う時はできるだけ彼女を意識していないように、彼女の印象に残らないように振舞っていたつもりだった。
そこは500mくらいの真っ直ぐな一本道で、僕はいつも左側を歩くのだが、彼女ははじめのうち向かって右側を歩いている。
そうしてその道を100mほど進むと、彼女は決まって左側に道路を渡ってくる。
彼女が右側から左側へと毎回渡ってくる理由は、彼女がその道に入るのに右に伸びる側道から入ってくるからで、その道を抜けた先にある学校は左に伸びる側道の先にあるからだ。
ただ、なぜか理由はわからないが、彼女はいつも決まって同じタイミングで道路を渡った。
長い一本道でなので、多少出発時間が前後しても大体どこかしらですれ違うことになる。
つまり、すれ違う場所によって、彼女は右側だったり左側だったりするのだ。
はじめは彼女を少しでもそばで感じたいという気持ちに負けて、彼女が左側を歩いている時にすれ違えるようにとタイミングを見計らったりしたこともあった。
しかしそんなことが続けばいらぬ疑いをもたれかねない。
そのために、むしろ早すぎたり遅すぎたりして彼女とすれ違わない日も作るようにもした。
彼女と同じ左側ですれ違える時は、正直に胸が高鳴ることを感じていた。
そんな自分が彼女にとっておぞましい存在であることは自覚しているつもりだった。
そんなことを半年ほど繰り返したある日のこと。
その日、彼女はまだ僕と反対側、道の右側を歩いていた。
いつものように彼女の存在を気づかないふりをしようと歩いていたのだが、距離が近づいてくるとふと違和感を覚えた。
彼女の顔がこちらに向けられているような気がしたのだ。
気のせいかもしれない。そう思い込みたいだけかもしれない。相手に見られてる気がするだなんてよくあることだ。
自分にそう言い聞かせようとしてみた。
しかし、あっけなく好奇心に負けた僕は、とうとう彼女のほうに視線を送ってしまった。
するとどうだろう。
驚いたことに僕の陰鬱で卑屈な視線は、彼女の真っ直ぐな視線と真正面から衝突を起こしたのだ。
彼女の記憶に、おぞましいものをおぞましいものとして残してしまったかもしれない。
それでもまだ感じる視線を払いのけるように、僕は前だけを見てひたすら歩き続けた。
次の日、昨日のことは何だったのか考えながら再び僕はまっすぐな道に差し掛かった。
すると、僕はいつもの様に真っ直ぐ前を見ながらこちらに向かってくる彼女を見つけた。
その時彼女はまだ道の右側を歩いていた。
そんな彼女の顔に何気なく視線を向けてみると、その視線はまたしても彼女の視線と真正面から衝突することになった。
僕はすぐに視線を逸らした。
まだ近いとは言えない距離にも関わらず、彼女の視線は間違いなく僕に向けられていたのだ。
もうすぐで彼女が左側に渡ってくるポイントに差し掛かった時のことだ。
僕は視線を動かさないようにしているつもりだったが、今度は彼女の方から僕の視線に入ってきたのだ。
そうして今度は明らかに、はっきりと彼女が僕を見ていることが分かった。
僕はできるだけ動揺をさとられないように、あたかも別のものに興味を示したかのようにして視線を泳がせるのが精一杯だった。
一体どういうことだろう。
誰かと勘違いしているのだろうか。
いくら冷静に理由を考えようとしても、彼女の真っ直ぐな視線に矢のように射抜かれてしまった心臓は落ち着きを取り戻せないままでいた。
その時、遠い昔に忘れていたような感覚が、どす黒く薄汚れた内臓をかき分けてこみ上げてくることが分かった。
自らのおぞましさを恐れずに言うなら、これは恋だ。
その言葉が僕の口から発せられることが、どれだけ気持ち悪いことなのかは承知しているつもりだ。
まぎれもなく目覚めてしまったのだ。僕の奥底で息絶えたはずの甘酸っぱくも苦々しい感情が。
とうの昔に、薄汚れた性欲によって噛み殺されたはずの純粋な気持ちがまだ僕の中に生きていたのだ。
勘違いだと思い込ませようとしながらも、好奇心に負けて彼女に視線を向ける度に、真っ直ぐな眼差しが僕を射抜いた。
彼女は何を思って僕のことを見ているのだろうか。
動物園の動物を見ているような感覚なのか、それとも万人に対し同じように興味を持ち合わせているのだろうか。
どちらにしても僕のようなこんな醜い生き物にしてみれば、彼女の存在も視線もあまりに眩しすぎるのは確かだ。
僕はとうとう堪え切れず、出発時間を大幅に早めることで彼女とはもうすれ違わないことを選択した。
誓って言えることは、彼女に対して性的な興味は一切持ち合わせていないということだ。
自分でも不思議と、いやらしい目で見ようと言う思いすら浮かばないのだ。
もし彼女と何がしたいのかと聞かれれば、僕はただ一緒の時間を楽しみたいと迷わずに答えるだろう。
夕暮れの土手に座って、ただ何もせず色を変えていく空をみあげているだけでいい。
二人の間を同じ風が通り過ぎていく切なさを噛みしめたいだけなのだ。
ただ、もし贅沢を言えるなら、せめて手だけはつなぎたい。
それ以上のことは一切望まないし、望もうとも思わない。
目の前にある美しさに、ただひれ伏して打ちのめされたいだけなのだ。
どうしてこんなにも醜くおぞましい生物に成り下がった僕から、こんなにも純粋で苦しい想いを成長は消し去ってくれなかったのだろうか。
彼女が近づくことも遠ざかることも、今の僕にとっては苦しみでしかないのだ。
色々なことに慣れ、無感動で欲望だけに突き動かされている獣と化している今の僕には、あまりにも耐え難い苦痛だ。
ただ、一つ理解して欲しいことはこれは僕の欠陥ではないということだ。
人間がもともと持っている欠陥に、僕は振り回されているだけなのだから。
会わない日が続けば、いつか必ずこの苦しみからは開放されるはずだ。
そう信じていた。
今朝、僕は大幅に寝坊をした。
彼女は進級したはずだし、もしかしたら中学を卒業してしまったかもしれない。
もしそうならば、僕はまた以前と同じ時間に出勤ができるし、彼女の視線から身を隠す生活を続ける必要ももうなくなるのだ。
そうしていつものように長い一本道に差し掛かると、僕の視線には道路の右側を歩いている見間違いようのない彼女が真っ先に飛び込んできた。
期待していなかったといえば嘘になる。
遠くから少しずつ近づいてくる彼女を、視線の芯に捉えないように、それでいて視線から外さないように注意深く追い続ける。
視線をさとられないように、それでいて不自然にならぬよう、僕は傘を前に傾けると少し顔を隠した。
歩調にあわせては時折上下する傘によって、お互いの顔は見え隠れを繰り返した。
前よりも少しほっそりと、色白になったように見えた気がした。
それによって、彼女が持つ儚げな雰囲気はより美しさを増したかのようだった。
しかし、そうしてすれ違おうという時だった。
突然牙を剥いた抑えていたはずの好奇心によって、僕の決意は湿気たクッキーよりも容易く噛み砕かれてしまった。
僕は傘を上げると、堪えきれずに彼女に視線を送り、今の姿を焼き付けようとした。
そして、それを待っていたかのように彼女の顔を隠している傘がふわりと跳ね上がった。
気付いた時にはすでに、透き通るような輝きの瞳から迷いなく向けられた真っ直ぐで力強い眼差しによって、しかもこれほどまでに間近かな距離から今だかつてないほどの強烈さで 、僕は脳天を射抜かれていたのだ。
一瞬の出来事だった。
彼女は何事もなかったかのように、いつも通り学校への道を急ぐ。
すでに遠く後ろを歩いている彼女には知られることはない。