はてなキーワード: ライフラインとは
「単純なミスを二度繰り返す」
なんだか吉高由里子ちゃんの出てる映画のタイトルみたいじゃないかしら?
「ロシアより愛を込めて」に通ずる映画のサブタイトルに使ってもいいわよ。
いまなら早い者勝ち!
あーあ、
私も寝て起きたら
あのさ、
私またやってしまったわ。
私の傾向としては、
単純なミスを間隔を置かずむしろ直近にまた再び起こすってこと。
そうまた郵便局よ。
宛名間違えちゃって出しちゃって郵便局の人に探してもらいました。
さすがにこの時ばかりは
この間のようにすぐに見つからなくて、
局員の人も見つかったら連絡しますねって言ってくれたの。
凹むわー。
一応さ、
郵便も社会インフラの一部として活躍しているお手紙の用事はなんだったっけって黒ヤギさんが言うほど今じゃ欠かせないライフラインでしょ。
社会のリソースを私が申し訳ないほど10分ほど手を取らしてしまったわ。
結果的には事務所に戻ってからしばらくして電話があって郵便物見つかりましたって連絡があったから、
そっと胸をなで下ろしたところよ。
こないだ、こないだって言っても先週よ直近の先週!
一度ならぬ二度までも。
ほんと凹むわー。
私を慰めてくれるのは
中条あやみちゃんが苺イチゴしておいしいでお馴染みのハーゲンダッツイチゴ味しかないのよね、って
まだ冷凍庫から出したてでカッチカチやぞ!ってスプーンが入らないけど、
ギュッと抱きしめるか、
そのイチゴイチゴしたハーゲンダッツイチゴ味でお馴染みの中条あやみちゃんばりにそれを食べるのよ。
それが癒やし。
でもさよく考えてみると、
木べらのスプーンで挑んで戦えと!
文字通り歯が立たないわよね。
だから私は、
こういう時って日本語でどういうのかしら?
それが癒やし。
でもさ、
中条あやみちゃんがもっとイチゴイチゴしてる!ってそれを越えるもっとイチゴイチゴしてる驚きを、
あのイチゴイチゴしてるのもっと苺を感じさせるものって無いのかなーって思うのよ。
最強の苺探しの旅に出たいところだけど。
じゃー一周してイチゴ狩りに行けばいいじゃん!って思ったワケなのよ。
半袖でいる人がいたら要注意よ。
意気込みが違うのよ意気込みが。
あと、
えーイチゴ狩りタイムたったの30分なのー?ってしょんぼりしなくても安心よ。
まあ
そんなわけで、
うふふ。
お腹が満たされると研ぎ澄まされる感覚が無い感じがしないかしら?
よく分からないけど、
最近は朝これ試みているところよ。
ちょっと暖かくなってきたと言えども、
いかに私たちはイキフンで言葉を巧みに使っているってことなのかもしれない、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
連日の雪かきでへとへと、除雪してもしても降り続く雪、埋まった車をなんとか掘り出しても、道路でこぼこで当然走らせられない。スーパー、ドラッグストアも品薄、近所のコンビニですら店閉めるレベル。
それでもお店開けなきゃいけないから、連日徒歩出勤。半ライフラインだから営業は100歩譲ってやむなしとしても、来店するお客様、どうか従業員もこの雪の被害を受けている人間だということを忘れないでください。
私たちも自宅の除雪をしなければいけない中、本社から営業指示が出ているからやっとのこと出てきているんです。
ましてや徒歩出勤しているのに、暗くなる前に帰れないのは命にかかわります。
(アドベントカレンダーからのリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)
はい、そういうわけで、ですね!TUTのちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!
東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!
今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!
ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。
(この記事は12月に23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。
だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)
都会度というか、その辺りは
で、私自身技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。
あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。
◆環境◆
・豊橋のさらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた
・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション
・イオンに初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的な風景
・最低でも原付は欲しいところ。なので学内で原付の売買がお盛ん
・それでも鋼の意思でチャリと徒歩で生き抜くならば毎日がエクササイズという特典が
・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった
・車に全員載らない場合は車と単車、原付、場合によってはチャリで編隊されて行軍する
・大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ
・貧乏学生のライフライン、業務スーパーは普段生活のみならず学園祭の仕入れにもお役立ち
・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね
・ブレーカーを数部屋で共用する男子寮。ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル
・当然クーラーなんてないよね~、あんな貴族の嗜好品。夏の猛暑はアイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル
・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか?
・貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ
・バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような
⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和の貧乏学生」生活が送れる素敵な場所です。
◆勉学回り◆
・学生のほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい
・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど
・中学からの受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ
・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいか、いかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクターの学生がいたとかいないとか
・自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウントの個人領域のディレクトリに学生番号出来られていて、他からも見ることができた
・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか
・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポートが教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける
・院試は自分の苗字名前をケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度
・先生はダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。
・他と比較できてないからわからんけど変人の比率は高かった、と思う
⇒背景、状況から「普通ではない」ふいんき(なぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ
◆サークルとか◆
・そんなわけで、高専からの入学がほとんどの技科大サークルはちょっと関係が難しい
・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ
・とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる
・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。
・そもそも、サークル活動的なのはあまり活発ではなかったイメージ
・ほぼ男子校の技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携で女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか
・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学と連携していて、確か愛知大学の図書館も使えたはず
・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大の図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!
⇒陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンとかに出ているのかな。出ているといいな。
なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。
うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。
なんか思い出して行きたくなるくらいには。
リスク管理を理解しないバカ「10年間使ってるが落としたこと無いし」
生命保険は何十年も死んだことがない人が入るもの。シートベルトや救命艇などは、ほとんどすべてがその役割を果たすことはなく寿命を迎えるが、無駄だと評価さることはない。
世の中、モノの金額で解決しないことは多い。軽く破損した場合、使い続ける場合は愛着が薄れるなどの心理的コストが生じ、買い換える場合はまだ使えるものを廃棄することへの心理的コストが生じる。買い替えのタイミングを新製品登場時期に合わせたり、セットアップ作業を時間に余裕のある時期に割り振ったりできないリスクもある。また、重要な情報源でありライフラインでもあるため、外出中などは軽度の破損でも思わぬ不自由が生じる可能性もある。
スマートフォンのメーカーは買い替え需要促進のため、寿命を短くすることに熱心だ。カバーなしで使いたくなるようなデザインや、ストラップなどどこにも取り付けられないようなデザインを採用する。見た目は高級感があるが、滑りやすい材質、落とすと「壊れはしないが愛着が薄れる程度に破損する」材質が選ばれる。裏面がガラスだったりするのは典型。
自分が一般的でないこと理解しないバカ「スマホは毎年買い換えるモノ」
スマートフォンの買い替えやセットアップを楽しんでいる。それ自体は結構だが、それが一般であるかのような語り口は、顰蹙を買う。なぜかキモオタは、世間とズレた価値観に基づく行動を自慢気に語る。
情弱のくせに他人を見下したいバカ「カバーをつけるのは貧乏人」
今や、「金持ちはケチ」が常識なのを知らない。金は有り余っていても、無駄に時間をかけたり、心理的な負担を増やすことを極力さけるため、保守的な行動をとる金持ちが一定数いることを知らない。
よくわかんってなったので購入しておらず中身をちゃんと読んでいないのだけど
HSP:なんであの人はイヤなことを言うんだろう
HSP:そう思ったら気が楽になりました
あの人にイヤなことを言われて傷ついたこともイヤだったけど、
それ以上に、あの人にイヤなことを言わせている自分が迷惑を掛けていないか気になったってこと???
HSP:イライラするから(SNSのフォローを)ブロックしたいけど出来ない
回答:みんな気軽にブロックしてるよ
HSP:(買ってないので読めず)
食料などのライフラインのブロックじゃないぞ???SNSブロックしてもなにも誰も困らんぞ
自分がブロックしたことで相手に心労を与えないか気になるってこと???
HPS:Aに嫌いだけど嫌いって言えない
回答:(買ってないので読めず)
HSP:(買ってないので読めず)
言えばいいのでは???「あっそ」で終わる話だぞ
買ってないので読めなかったが、嫌っているAに「嫌い」と言われても傷つくんだろうか?
「あっそ」で終わらないのだろうか?
・実家(戸建てがベスト、借家やアパートだと大家都合で追い出される懸念あり)
・自分の部屋(六畳間で十分)
・空になったペットボトルは捨てずに備蓄。部屋でおしっこしたいときに活用出来る。
・親の銀行口座はなるべく1つにまとめてもらう。相続手続きの際に便利。
・ネット決済専用のクレジットカード(親名義)を1枚作ってもらう
朝起きたら
・アニメを見る
・ゲームを楽しむ
その日の気分で1日過ごそう
何が良いかっていうと
・自炊をしなくていい(親が準備してくれる)
・仕事をしなくていい(最低限のライフラインは親が維持してくれる)
・外出したり人に会ったりしなくていい(買い物は全てネットで完結)
私は都内に住む、都内勤務のOLです。趣味はアイドルの追っかけで、会社は割と大きめのメーカーです。正社員で事務をしております。
さて、今回の記事は今年に入ってから猛威を振るっております、新型コロナウイルスに関する記事です。
まず、何から書いたものでしょうか……弊社はライフラインに一切の関わりを持ちません。いきなり世間からふっとなくなっても、関連する従業員以外に困る人はおおよそいないと言っていいでしょう。
2月、3月と新型コロナウイルスが猛威を振るうにつれ、周りの会社がまたひとつ、またひとつと在宅勤務になってゆきました。しかしながら、弊社はそうはなりませんでした。
緊急事態宣言が出てもなお、在宅勤務にはなりませんでした。システム的に無理とかそういうわけではありません。古いのです。ただひたすらに上層部の考えが古く、社長の考えが古く、出社しろ、それだけです。
周りの方々が感染予防に気を使い、健康に気を使い、家で勤務をなさっている中、私は行くしかなかったのです。
決して、医療従事者さまや、スーパーの店員さま、インフラ関係のかたがたのように、世の中の役に立ち、必要不可欠な仕事ではございません。
周りの取引先も、ライバル企業もコロナの影響で縮こまっており、仕事も目減りし、会社に行ってもトイレでスマホを覗き見るくらいしかやることのない、事務員です。
それでも私は、会社に行かねばなりませんでした。
電車に乗り、感染リスクに身を投じ、行かねばなりませんでした。
誰にも褒められませんとも、誰にも感謝されませんとも、ただ会社が来いというだけで、仕事もないのに出社をしました。毎日毎日、出社をしました。
すっかり書き損じていましたが、最初に示したとおり、私はオタクです。いわゆるアイドルオタクです。
ここまで書いてお察しの通り、私は平日粛々と会社に向かう間、どんどんと休日の楽しみであるライブは中止になってゆきました。
行こうと思っていた花畑は休園となり、私や、数多くの人々に愛でられるはずだったネモフィラは、讃えられることもなく刈り取られました。
頭がおかしくなりそうでした。
仕事を辞めて、在宅勤務できるところに転職しろとお思いかと思います。私もそう思い、転職活動をしておりました。しかしながら、このご時世もあり当然芳しい成果は上げられず、ならば退職だけでもと思いましたが、このご時世、首を切られたでもないのに安定した正社員の地位を捨てる覚悟は、私にはございませんでした。
今、巷では第二波だとと言われる、再びの感染者数の増加が見受けられます。しかしながら、私は毎日満員電車で出社しているので知っていますが、電車は満員です。
その一方で、三月からずっと在宅勤務の方もおるわけです。会社に健康を重んじられ、愛された方々は、今何をどう感じておられるのでしょうか、私には想像もつきません。
きっとその方々は、旅行に行くな、帰省をするなと言われても、当然のことと受け入れられるでしょう。感染拡大を防ぐ、そのために自宅で仕事をしているんですから。
でも、どうでしょう。私はどうなんでしょう。
大してない仕事のために、毎日満員電車での出社を義務付けられ、休みの日は外に出るなと。
受け入れられるでしょうか?
さて、私自身の考えはさておいて、私と同じ立場におかれる、私と共に朝の満員電車を作り上げるあの大勢の人々は、どうでしょうか。
私は、受け入れられなくて当然と考えています。
在宅勤務の人間が休みに出かけないのと、強制出社の人間が休みに出かけられないのでは、天と地ほどの差があると、私は考えます。
ここまでダラダラと書きまして、結局何がいいたいのかといいますと、在宅勤務の人間が死ぬほど羨ましく妬ましいということです。
私が少しでも人の少ない電車に、と5時に起きて仕度する中、8時50分に起きて9時から仕事をすることができる人間が、恨めしくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて恨めしくて仕方ありません。
矛先はそこに向けるべきではないと当然わかっています。会社に向けるべきで、在宅勤務できない会社にしか勤められない自分に向くべきです。しかしながら、人間そう器用には生きられませんとも。
手の届かない会社の上層部より、認めたくない自分の愚かさより、Twitterでいくらでも目につく在宅勤務の人間が、憎くて憎くて、憎しみやすくて仕方ありません。
在宅勤務になった影響で●●できたなんてツイートがバズってタイムラインに流れてくるたび、歯を食いしばって流血しそうです。
在宅勤務がマウントにしか取れず、今回のことで在宅勤務が出来た人間と心の中で完全に距離が開いてしまったことが、私の中でのコロナの最も大きい影響でした。
きっと……これは私だけじゃあないはずです。
世の中に同じような会社はいくつもあるでしょうし、弊社だけでも似たような境遇の社員はたくさんいます。
在宅勤務してるだけで、もしかしたらすごく恨まれてるのかもって思うと、怖いですよね。
でも、たぶん、みーんな恨んでます。
飲み会風俗禁止を我慢できないリア充・老害・性欲異常者、コロナになる前に死んじまえ!
ずっとそう思って生きてきた。
でもふと気づいたんだよなあ。
もしも、自分たちの人生のライフラインが突然失われたとして、何ヶ月も耐えていけるのかと。
インターネットが突然禁止されたら、はてなーは我慢できるのだろうか?
仕事中もずっとはてなを見ていて、仕事もインターネットに依存しきっているはてなー達、彼らはネットのない世界で生きられるのだろうか?
どういう状況だよクソワロタwwwwで誤魔化さないで真面目に答えて欲しい。
我々は我慢できるのか。
ぶっちゃけな、コロナが始まる前からリア充も老害も性欲異常おじさんもみんな死んで欲しかったよ。
飲み会で自慢話に突き合わされるのも、おっパブなんて気持ち悪くて行かないことを伝えるたびにからかわれるのもいつも殺意を持ってた。
でもそれが実際起こるべきと言われると違うんだよなあ
一度出た筈の内定が取り消しになりました。
学生ではないです。
来年、彼氏との同棲するに当たって住居が遠くなる為、転職を考え、現在の仕事と同じ職種を選びました。
コロナ禍ではありますが、ライフライン従事の資格職なので、内定取り消しに当たってコロナの影響はありません。
理由は「同棲ということは結婚や予定外の妊娠で仕事をすぐに辞めるのではないか、別れた際に仕事を辞めるのではないか」という点だそうです。
開いた口が塞がらないとはこの事でした。
私は自分のライフステージの過程で結婚や出産を選択することも出来ないのでしょうか。
今の仕事を最後までやり遂げたいので4月からの入職で、と言っているにも関わらず、別れた程度で仕事を投げ出すと思われたのでしょうか。
私は子どもを育てる余裕も資格も今の自分にはないと考えています。
故に彼氏と付き合ってからは常にピルを飲み、予定外の妊娠はほぼ0です。
面接でこのようなセンシティブな話をすることはないのでその点は向こうに伝わらないのも仕方ないと思うのですが、1度出した内定を取り消すにはあまりにもモラハラすぎる理由だと感じました。
もう書くことないしここみることもないです
仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校の同級生で、今も一緒に暮らしてる。
彼女は大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。
ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。
めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。
その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。
常連のクレーマーとかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。
多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那の会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。
お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっと、クリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。
バイト始めてからは仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達も不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。
ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。
行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。
そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)
その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達も自分のことみたいに喜んでくれた。
今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロのライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。
転職先はインフラ系IT企業。警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!
研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社で研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリで彼氏と出会ってお付き合いに至る。
なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするときは絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。
私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。
年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイトな現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……
初めての夜勤で最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。
夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナが流行りだしてからも通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。
それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。
夜勤は広いフロアに20人しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。
通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。
日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。
この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手に解釈して片付けてた。
食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。
これが、5月20日頃の話。
私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。
今までにないくらいの満員電車、職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。
コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所の現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。
6月10日の夜。
気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去の自分に言いたい。
痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。
そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社をメンタル病んで辞めた人だった。
日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINEの自殺相談チャットとか、自殺相談の電話とかを週に2、3回してた。
6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手に会社の中で泣きそうだった。
15日以降は通勤の電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。
確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。
22日はコロナの抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。
自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。
その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。
突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。
流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホームの椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。
先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。
その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。
やっと自分が限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科に電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。
最初に看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。
カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。
私は今までの人生、母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。
お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事を社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。
私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。
他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。
その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。
心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。
そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病の一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなたの場合はお母さんからの言葉があるのかも」と言われハッとした。
「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識に解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。
元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすいタイプなこと。今回は後者がきっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職の診断書を書いてくれた。
私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。
会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。
一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。
最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。
でも、彼氏や友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給や祝日は存在しない」と言われた。
そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。
薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。
何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏の言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!
今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。
外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。
当面の課題は電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。
徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。
最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。
●多分まず報道が死ぬ。東京地域以外のメディア社が情報を得ようとすると思うけど、東京支局に繋がらなくて同じ情報のループしかできない。仮に大阪が発信できたとしても大阪の報道は岩手で見れないから情報伝達は鈍化、各地のテレビラジオが情報ループする。
●官邸は東京のことしかまず対策できない。関東近県の情報は入らないので、東京3区と湾岸沿いくらいしかまずは手当されない。
●災害直後は小エリアごとに対応を頑張る。地域病院に患者は運び込まれるし、消防も出動する。でもやがて満床になり破綻する。指示系統も機能しない。超重症者以外は自力でなんとかするしかない。
●避難所が開設される。しかし東京は住民以外の滞在者が多いため、その地域に根付いていない人を避難所は受け入れることになる。治安悪化、差別、猜疑心も高まる。避難所の受け入れ拒否も多発する。暴徒化。
●食料品店は早い段階で空になる。道路が駄目になるので補充も効かない。購買や物流担当者も多くは東京で被災しているので破綻する。援助物資を待つことになるが、上記の理由で家の外は危険度が高くなる。
●道路が使えないならば、線路を歩いて帰宅しようとする人々が発生する。本屋コンビニから早い段階で東京近郊の地図がなくなる。諍いも起きる。横浜、大宮、柏あたりで一晩過ごす場所を求め個人宅を訪問する人が現れる。
●TwitterはじめとするSNSが一瞬大騒ぎになり、お祈り、情報(デマ含む)、人探し、助けて、災害ハウツーで満ち溢れる。やがて充電の残りを気にして静まり、情報は古びて流れなくなる。人々は孤立する。
●知的障害、身体障害者、施設入居老人、病児、ペットなどの声は消える。東京が全体的に被災した場合、彼らを助けられる人材もいなくなり、助けを呼ぶ声もあげられなくなる。
●コロナウイルス対策は無と化す。その場で痛みを引き起こすような伝染症でもないコロナウイルスに対して対策をする余裕はなくなる。人々はマスクを脱ぎ捨て、近距離で接触しあい、飛沫は飛ぶ。3密対策は現実性を失う。
●恩を売るため、または統治目的で、諸外国は介入を試みる。アメリカ軍基地にはオスプレイが離着陸し、大型船が東京湾に続々と入る。官邸はそのやりとりを行うものの、政治的な駆け引きをする余裕は残されておらず、なすがままに各種前例を作らされたり恩を売られたりする。国民向けの発信は弱まり、人々は国を恨む。
●被災地以外の道府県の首長が手を差し伸べる宣言をする。ただし実際はどこに何をするべきなのかがわからず、情報収集中と言ったり、発信力が残された被災者への救助が重複したりと混乱をきたす。維新が勇ましく振る舞い大阪府民は誇りを感じる。
●被災しなかった地方でも、数日経つと商品が流通しなかったり、テレビ番組がローカルニュースばかりになったりと実生活でも東京不在の影響を感じるようになる。やがて東京を避けて各地方ごとの繋がりでライフラインが再建され始める。発電所の電力は供給過多に陥る。
●各地から東京へのボランティアが旅立つ。しかし規模が大きすぎ、また交通が壊滅していて、東京への入口である関東近県から始めることになる。都心は取り残される。タワーマンション内で餓死リスクが高まる。