はてなキーワード: メモ帳とは
なんというか最近、本業と外れてオマケ的に文章を書く仕事があったりする。
本業というのはまぁ、はてなにはよくある人買い人売りのSIer業務なんだけど。
で、社内報の原稿とか、忘年会の台本だとかをお願いされることがこのところ増えてきた。
これらは人と人のつながりで、彼らの言う「あいつにお願いしたら?」というのが行き着いて私に来ているんだろう。
で、まぁそれは私も業務の合間にメモ帳でそれらをしたためるほどには器用に立ち回れるし、負担ではないんだ。
要望に合わせてなんか文章を書く、それはそれで余裕でやれるし、お題があればそれそこに即興で立ち回れる。
そういうことからすればコピーライターとか、なんか文章発表するフリーランサーとかいうかっこいい響きのそれもできなくはないのかな、と。
日々の人買い調整とか、糞ベンダーと糞客の間に立って「まぁまぁ・・・」という非生産的な業務にも嫌気はさしている。
そんな中で、会社向けの文章を書いてねなんて依頼は面白いし、実質的には佐村河内守グラサン的な立ち居地でも書いていれば面白いし、なんか好評って聞くとあぁ、よかった。
って、感情が沸く訳だ。
とは言え、フリーランサーの厳しい状況を聞くと、
今の会社で言う所の本業を、テキトーにこなしつつ、横のつながりでの作文をしつつ、趣味で何打アレあれだと作文をしつつ、暮らしていくのが安牌なんだろうねって。
正直周りがGAFAとかに行ったりすることを二度三度ではなく、結構見送っていたりする。
自身の短所として、アイキャントスピークイングリッシュではあるので、その手の外資は無理だなとは思いつつ、
あの、あのその…しかいえないあいつがgoogleさん?学生時代は週2で職質されていたあいつがAWS???
なんてのは、にちじょうちゃはんじだ。
今の業務に対する収入って、成果時給換算的には最強なんですよね。
そこからすれば、他を見る必要も無い特権階級のようにも思えるんだけど。
とはいえ、日々脳死で良いのか、もっとやれることはあるんじゃないか、なんて思ったりするわけだ。
結局のところ、今もらっている温い立場は享受しつつ生きていくのが最適解なんだと思うんだけどね。
周りがGAFAとか、そういう年収アップアップ名ところにいっているのを見ると、「じゃあ俺も・・・。」
なんて夢見るんだけど、理系院卒なのに、認められるのは文系的なアレ、という悲しみに今日も向き合っているわけだ。
特にいろんな手帳が文房具屋や本屋に並ぶ季節はわくわくする。いろいろなノートを見てどれを買うか考えるのも好き。
が、実際問題としては仕事のスケジュールはどこかからもらった卓上カレンダーに書き込み、プライベートな予定はGoogleカレンダーかスマホのアプリに入れる。そもそもプライベートな予定が少ないので、頭で覚えておけるものは入力すらしない。
メモ帳やノートは必需品だが、仕事で使うときは雑な字で書きなぐるのであまり大事なノートには書きたくない。たとえ100円ショップで買ったノートでもいったん「可愛すぎる」と認定したものは業務用に使いたくない。一番気楽に書きなぐれるのは無印良品のシンプルなノートだ。そしてプライベートで丁寧な字で可愛いノートに書きたくなるような内容はほとんどない。日記でもつければいいのかも知れないけど、編集や文章の順番の入れ替え自由のパソコンに慣れてしまうと手書きが面倒になる。
最近は万年筆に凝ろうかなと思っているのだが、実用的な安い万年筆一本とそれよりちょっと高級なのを一本買ったところですでにこれ以上買う必要はない気がしている。結局黒インクのとブルーブラックのインクしか使わないから三本目の必要がない。万年筆屋のtwitterなどで「こんな素敵な新色インクが出ました~」と言われても、その素敵で珍しい新色を何を書くときに使えばいいのか分からない。しいていえば高級な方はやや字が太目になるやつなので、細字バージョンを買うのはありかも知れない。
結局手帳はシンプルで薄いマンスリー型のものを買い、可愛いノートは死蔵される。100円ショップのものなら保存用と使う用に二冊買うという手もあるが、いったん可愛い認定したノートを私の汚い字で埋めることに耐えられない。万年筆コレクションはせいぜいあと一本か二本でコンプリートしたことになってしまうだろう。
好きだから買うという行為と、買ったものを使い倒すという行為は全くの別物で、それだから私は気に入った文房具でも手当たり次第買わないように注意しながら暮らしている。
華奢で、シンプルなニットやタイトスカートを高校のうちから着こなして、大学では大学院まで行って英語を学んで海外で仕事をしたいと語る、耳で綺麗に揃えられたショートヘアの彼女は、私の自慢の友人だった。
高校を卒業して大学に入っても、彼女とは頻繁に連絡を取り合っていたし、お酒を飲めるようになってから月に一度は私たちには少し敷居の高いお洒落なお店で近況報告をした。ふたりで丸一日ディズニーランドで過ごすことなんて何度もあったし、初めての海外旅行は彼女とだった。つまり、かなり仲が良い女友達だったのだ。
本気で好きになった人に秒でやり捨てされた大学1年の夏、男がダメなら女と付き合うことにしたと言っていた(私はその日初めて彼女がバイだったことを知った)翌月、親のために結婚をしたいと言われ振られたと泣いていた2年の春。
もはや自暴自棄になった彼女が手を出したのは出会い系アプリだった。
そこで出会った10個上の男性は、彼女曰く「完璧な人」だったらしく、彼女はわかりやすくその男性にのめり込んでいったし、あっという間に付き合うことになった。
それはおめでたいと飲み会を取り付け、肉を焼きながら話を聞くのだが何かがおかしい。
「家が2つあるらしくて、ひとつの家にはお邪魔させてもらったけどもう一つの家には社員さんとルームシェアしてるから行けない」
「付き合って3ヶ月経つけど、未だにおうちデート以外したことがないし、写真も撮らないでねって言われてる。そういえば苗字も知らない」
「あと、完璧主義で私にもそれを要求してくるんだけど、それは全部私のためになることなんだって。」
………いやいやいや。いやいやいやいやいや。
どう考えてもおかしい。麻雀のことはよくわからないけど、「役満」ってたぶんこういうことだろう。ダメ男役満。どう考えても奥さんか、それか本命の女と一緒に住んでるオチだろうし、完全に遊び相手にされてるだろ。喉まででかかった言葉を飲み込んで、
と一番突っ込みやすそうな部分を笑い混じりで指摘してみたところ、彼女の顔色が変わった。
「でもね、彼と私は、今のままの私じゃ釣り合わないんだって。だから彼は強く言ってくれるし、私が気づかないような部分まで指摘してくれるの。伝えてくれたところを頑張って直すと、自分がとてもいい女になった気がするの」
「それよりね、こないだ彼と〜」
あれ、彼女、こんな子だったっけ?
最初に抱いた違和感はそこだった。一瞬言葉に詰まったのを覚えている。
無我夢中で彼の「いいところ」を並べ立てる彼女は、可愛らしいというより少し不気味だった。
そんな別人のような友達と喋ることが辛くなり、その日は早めにお開きにした。
それからは恋は盲目、あばたもえくぼ、そんな自分に気づかない彼女は周りを蹴散らしてどんどん彼に猪突猛進。そんな状態が続いた。
「ベッドに長い髪の毛が落ちていた。でも大丈夫。私は彼を信じているから。」
「彼の通知画面に出会い系アプリの通知があった。でも大丈夫。私は最後には幸せになるから。」
「彼には何年も付き合っている彼女がいて、その人と同棲していた。でも大丈夫。私が一番愛されているから」
私はそのたび彼の矛盾している部分を何度も何度も指摘したが、私の言葉は彼女には何も届いていないようだった。
友達が出会い系アプリで彼と出会ってから、もう一年半が経とうとしていた。
私は就活をしながら、めっきり会う頻度が減った彼女の裏アカウントのツイートを眺めていた。いつのまにかラインもしなくなった私たちが、お互いの近況を知るためのツールはツイッターとインスタグラムだけだった。
基本的には、彼のどんなところが好きだとか、自分には何が足りないのかとか、そんなことを綴っていた裏アカウントに、衝撃の言葉が綴られていた。
「彼の会社に就職することにした♡面白そうだし、楽しみだなあ。」
頭がくらくらした。たしか、彼の会社はベンチャー企業で少なくとも海外で働けるような環境ではない。
いやお前、、、あのさあ、、、
海外で働く夢は?進学予定だった大学院は?その夢を応援してくれていたご両親は、、??
もう、私が知っている彼女はどこにもいないのだとその時痛いほど突きつけられた。私が大好きだった彼女は、出会い系で出会った32歳の男性によって全て塗り替えられて、まったくの別人になってしまったのだ。
大体、出会い系で20歳の女の子を引っ掛けて会社にまで入れちゃう30代社長って何?最初から最後まで地雷物件じゃねえか。
そんな気持ちで裏アカウントのフォローも外さず、監視を続けていくと、彼女の様子はどんどんおかしくなっていった。
「仕事が辛い。けど、頑張らなきゃ。」「大学辞めたい。仕事に集中したい。」「仕事に集中したいのにゼミの人たちが邪魔をしてくる。」
「こんなの、やりたい仕事じゃない。」
このままだと、大学中退の就活未経験のフリーター、プライドだけが高いバケモノが出来上がってしまうのかな。でもまあしょうがないか。もはやエンターテインメントのひとつとしてしか彼女を見ていなかったが、それも長くは続かなかった。
彼女が裏アカウントを消してしまったのだ。理由は確か、仕事の愚痴をここに吐いてしまって甘えてしまうとかだった気がする。
これで完全に彼女との深い友人としてのつながりは切れてしまったと思った。あとはうわべだけのインスタグラムしか残っていない。インスタグラムのストーリーで、彼がついに本命女と別れて、彼女とちゃんとした同棲を始めたことを知った。(ふつうにすごい。健気さと執念と若さの勝利だと思った。)(本命女は30前半だったらしい。)
ただ、すでに私の中で、心からおめでとうと言える段階ではなかった。
私は大好きだった友人が変わっていくのが悲しかったのかもしれない。私の話も聞かずに彼のことばかりを上の空で話し続ける彼女から目を逸らしたくて、連絡する頻度も少なくなっていったのかもしれない。ただ、今となってはそんなことはどうでも良くて、彼女は私にとって「どこからどうみても地雷の男に溺れて忠告も聞かず自分との友情を切った女」でしかなかった。そんな女を今でも大好きな親友♡と思えるほど、私はお人好しではない。
彼女が同棲を始めて少し経った時くらいだろうか、彼女から急にインスタグラムのDMが来た。(驚きすぎて、その日の夜は彼女と彼と私の3人で遊ぶ夢を見た。悪夢だった。)
2日間ほどぽつぽつとやりとりをしていると、送られてきたのは「彼が浮気していて辛い。自分の思い描いてた幸せはこんなものじゃなかったのかもしれない」というメッセージだった。
「今更気づいたのか」以外の感情が沸かなかった。ていうか彼との関係が不安定になってきたから私に擦り寄っているようにしか見えないんですけど…。
私たちってまだ友達なのかな。私がもっと優しい人だったら、今でもあなたの悩みに寄り添えるのかなあ。そう思いながら、興味本位で話を聞き続けた。彼女はいつのまにかポエマー気質になっていて、文章はとても読みづらかった。(彼も清水翔太の書く歌詞のようなLINEをすると話していたことを思い出した。)
ついきのう、彼にもう無理かと思ってると言われた、辛いけど離れようと思うと彼女から連絡が来た。これを伝えるためにライン1スクロール分くらい使って送ってきた。
ねえ、もう大学四年生の冬になるよ。失ったのは、たぶん彼に費やした時間だけじゃないんじゃないかな。学校での信頼とか、ご両親の信頼とか、私との友情とか。あなたはこれから、どうやって過ごしていくの?
あ、お願いだから、私にだけは頼ってこないでね。
そんなふうに思いながら自分の心の整理のためにメモ帳のアプリに書き起こしてみたら、想像以上に大長編になってしまった。とりあえず残しておこうと思う。
〜後日談〜
結局彼女はのこのこ彼と復縁をして、また頑張ってみると抜かしやがった。2時間電話して別れたのは正解だったよとテープレコーダーのように繰り返し声をかけ続けた私の虚しさを返してほしい。
怒り半分、悲しさ半分。気付いたら「なんでもいいけど彼の言うことしか聞けないならもう私に連絡してこないでね」とラインしていた。完全に友達を失ってしまった瞬間だった。
426 : FR-F2(東京都) 2010/09/30(木) 23:39:58
「どうだった?」と聞かれたので正直に「美味かった」と前置きしてから、
・具は全部みじん切りにしろ
・ローリエくらい入れろ。苦味が出る前に取れ
・なぜ辛くした
・ミートソースを1.4mmのスパゲッティーニにかけた理由を言え
・今後一切、これをスパゲッティミートソースと呼ぶ事は俺が許さん
泣いて実家へ帰られた。俺が悪いのか
447 : H&K MSG-90(東京都) 2010/10/01(金) 01:05:20
おそらく、俺の言い方も悪かったのだろう。嫁はよかれと思って作ったはずだ
すっかり反省した俺は嫁の実家へと足を運んで非礼を詫び、なんとかなだめて家へ連れ戻した
嫁も挽回しようと思ったのだろう。翌日の夕飯はペペロンチーニだった
「自信があるの。大丈夫でしょ?」と聞かれたので「ああとても美味かったよ」と前置きしてから、
・なぜニンニクを焦がした
・醤油かけんな
・お前の育った村ではこれをペペロンチーニと呼ぶ風習があったのか
義母から、「涙で顔をぐちゃぐちゃにした娘が突然戻ってきた。心当たりは無いか」という電話が入った
俺が悪いのか
昔勤めていた会社での話だ。
「ちょっと、作ってもらいたいの、あるんだけど。」
いや、絶対間に合わんだろ。
それの旨を伝えたが、ダメだった……。
仕方なく私は更に連泊することに……。
一応数日おきに自宅に戻ってはいた。
しかし洗濯とシャワーをし、次連泊に備えて着替えを持って会社戻るだけだった。
いつから家で寝てないのだろうか?
最早わからない。
その時、私は会社の床で寝ていた。
元々泊まり込むことが多く、以前より寝袋と枕とキャンプ用のマットを会社に置いていた。
床冷えを防ぐため、しっかりとキャンプ用マットも敷いていた。
夜中の5時くらいだろうか?
作業にひと段落がつき、「よし数時間仮眠とろう」と寝袋に潜り込んだのは?
それから私は寝落ちて、次に気がついたのはおねしよ真っ最中の時だった。
『ジョボ…ジョボボボ…』
え?ちょっなに?
え?え?えーーーーー!?
『ジョボボ…ボ…』
まさか30過ぎて、おねしょをするなんて、しかも会社でおねしょするなんて、思いもしない。する筈がない。
現状の理解を脳が拒む。
うわ、待てよ、待ってくれよ…!
数秒、おそらく5秒弱ほど経って、おねしょが止まった。
数十ccはでだろうか?
気が動転していて良く覚えてはいないが。
確実にちょっとした島を描く量は出ていた。
パンツと寝袋に確実な湿り気を感じた。
私は時計を見た。
まだ朝の7時前くらいだ。
今から家に戻ってすぐ会社に出れば、2、3時間で戻ってこれる。定時に間に合う。
帰りはノーパンでもいいや。
寝袋も洗わねば……。
うわ、若干キャンプ用マットも湿ってる……。
よし、片付けはこの辺でいいだろう。
うん、大丈夫…かな?
そして私は、汚れたパンツと寝袋をジプロックに詰めて、さらには「それら」をバッグ詰めた。
超コンパクトに畳める寝袋を買った自分を褒めたい。そう思いながら、私はノーパンで駅は向かった。
出勤してくるサラリーマンをよそ目に駅へ向かう。
気にするな。
堂々としてれば良いのだ。
駅につき、電車に乗りこむ。
イスに座っても隣は空席だ。
この時ユ○クロのEZYデニムを履いていた。
もし、これが満員電車なら、スウェット地越しに誰かにMy sonを押し付けるハメになっていただろう。
危うく事件になるところだった。
しかし、バッグ詰めたおねしょで汚染されたパンツと寝袋が気になる。
気にしても仕方ない。
堂々としていろ。
私は自分に言い聞かせて、イヤホンから大音量で音楽を鳴らした。
丁度THE BLUE HEARTSのTRAIN-TRAINが流れたいた。
「ブルースは加速していく」のフレーズに合わせて、私の何かが加速していくのを感じた。
なんとか自宅についた。
そして大急ぎでシャワーを浴びた。
シャワーを浴びて、こんなにも清々しい気持ちになれたのは初めてだった気がする。
私は念入りに洗った。
なにせ、ジプロックに詰めた汚物から、柑橘類の香りの奥から微かにアンモニア臭が香ったからだ。
シャワーを浴び終えた私は、同時に回していた洗濯機から柔軟剤の優しい香りがするパンツと寝袋を回収し、物干しラックに掛けた。
まだ心が騒ついている。
落ち着きを取り戻した私は出社をすることにした。
眠い……。
一気に眠気が襲ってきた。
電車に乗り込み、席に座ることができたが、今度はここでおねしょをするんじゃないかと恐怖が過ぎる。
大丈夫、息子は無事だ。
安堵し、会社最寄りまで戻った。
良かった、いつも通りだ。
すると上司が「あれ?早くないですか?いつもなら昼過ぎに出社か泊まりなのに。」と言ってきた。
なので普段、私は昼過ぎ出社することが多く、定時の10時にいるときは大体泊まり明けだったのだ。
「いやー、たまたま朝帰宅して今来ただけですよ」と震えた声で私は話を濁した。
上司は「そうなんですね。」とあまり興味がなさそうな感じで返事をした。
一瞬、普段私に必要最低限にか話しかけてこない上司が話しかけてきたことに緊張したが、どうやらただの世間話だったようだ。
私はこの日、個人的につけている業務日誌に「おねしょをした」と書いた、記憶がある。
今でもiPhoneのメモ帳に残っているはずだが、今となっては見つからない。
もしかしたら、おねしょしたことも私の思い違いなのかもしれない。
そう思いたい自分がいるのだろう。
しかし、このおねしょの他にこの時期2回ほど自宅で漏らしているのを記憶している。
働き過ぎると泌尿器に確実にダメージが行く。
それを実感した。
思うに、あの会社を辞めて、本当に良かった。
まぁおねしょの話なんですけどね。
人はそう簡単に変われないとはいうけれど、弟から言わせれば楽勝らしい。
事の発端は数週間前、俺たち兄弟は課題のために最寄の図書館へ行ったんだ。
今日び資料集めをそこだけで済ませるってのもどうかと思うが、あながちバカにできるものでもない。
偏狭な馬面教師を満足させるのに、こういう場所にある本は都合が良いのさ。
「『社会科学における価値判断と、その真理妥当性』だ。著者は忘れたが、そんなことを言及している本があったはず」
「うげえ、テーマを聞いただけで吐きそう」
「慣れれば吐かないさ。或いは吐くこと自体に慣れる。船酔いと一緒でな」
「そこまでして乗りかかった船にいたくねーよ」
だが、そこで降りてしまえば、後で確実にコウカイするだろう。
少なくとも壊血病は避けられない。
「ところで、お前の船はどうなんだ。まさかテーマすら決めてないのか?」
「見くびるなよ。テーマは『この国が抱える借金を誰が払うべきか?』だ」
「ほう、如何にも大人が喜びそうなテーマだな。だが、お前的には“吐きそうな話”じゃないのか、それ」
しかし弟は学校も学年も違うので、教師は偏狭でもないし馬面でもない。
「弟よ、お前さっきから“ま”の段落ばかり探しているが、パソコンで調べたりしないのか?」
「必要ないよ。こういう本は『マンガで分かる~』で統一されてるんだから」
「……まあ、お前の課題だ。好きにするがいいさ」
弟は結局、目ぼしい本がなかったようだ。
或いは見つけたものの読む気力が失せたのか。
「トイレに行く」と図書室を出て行き、しばらく戻ってこなかった。
「本、借りたんだ」
「外国の本だから読み解くのに時間がかかりそうでな。翻訳の問題なのか、随分とクドい書き方をしてあるんだ」
「なんでもいいから、用が済んだなら早く帰ろうよ。あそこの肉屋でハムカツ食ってからね」
「お前の小遣い事情なんざ知らん」
急かす弟に促され、俺はゆるりと帰り支度をはじめる。
「バイトしてるんだしさ、ハムカツ位おごってくれてもいいじゃんか」
「お前にハムカツをおごるためにバイトしてるわけじゃ……ん?」
ふと弟の手元にある小さな本が目に留まった。
いつの間に借りたんだろうか。
「お前は、その本を借りるのか?」
「えーと……これは買ったんだ」
「なんだそりゃ」
俺たちが利用した図書館はビルに備え付けられた一角であり、他にも様々な施設が存在した。
間借りできる部屋もいくつかあり、そこで何らかのカルチャースクールだとかセミナーがよく開かれている。
つまり弟は本探しに飽きて、トイレに行くと言いながら辺りを散策していたんだ。
で、やっていたセミナーに体よく引き込まれ、挙句に講師の自著まで買わされた、と。
「いくらしたんだ、それ」
「……1000円」
「ハムカツを腹いっぱい、レモンソーダと一緒に味わえただろうな」
本のカバーは無地で飾りっ気がなく、淡白なフォントで『誰でも出来る自己改革』と書かれていた。
紙質は粗悪ではないようだが、安価なメモ帳よりはマシってレベルである。
こんなもの買わされる弟も情けないが、ガキ相手に売りつける方も大概だ。
「あ、でも近いうちにまたセミナーやるらしくて。その時に返してくれるらしいんだ」
「ふーん……ん?」
弟がそう言った時、俺はそのセミナーの言い知れない違和感を覚えた。
だが俺は自分の課題で手一杯だったのもあり、そのことを深く考えなかったんだ。
あの状況で、弟におごるのが癪だったってのも勿論ある。
「えー!?」
いま思えば、ハムカツ代を半分くらい出してやるべきだった。
FGHIがあるか調べる
→Dのときもある。ソースを直すのが面倒なのでDをFに変えて実行。
shellでメモ帳を起動して、コピペ、名前を付けて保存をsendkeysで送る。
→マクロ実行中にマウス触ったらエラーになった。windows10でメモ帳の文字コードがUTF8にかわってえらい目にあった。
・ACCESS1件更新するのに1分かかる
全件selectしてキーが一致したら更新。更新しても最後まで回す。
→時々古いデータを消すように言われた。
・VBmodlessを知らない
何かするとフォームを消すようになっている
・配列を並び替える
配列はワークシートにあるからrank関数とindex関数で別のワークシート領域に並び替え後のリストを作る。
→処理速度は早い
ポスターのやつ、いろいろな記事を読みつつ、自分の考えを整理するために書き出していたら、結構な量になってしまった。論点が多くてあまりまとまっていないが、せっかくなのでここに置いておく。少しずつメモ帳に書いてたら気がついたらめちゃくちゃ長文になっていてビビったというか、途中で切らられちゃうので分割するはめになった・・・・。
ポジショニングを先に述べておくと、私は男で、オタク、宇崎ちゃんポスターはギリセーフかな?ぐらいの認識だ。
いきなりだが、ポスター擁護側の反応が過剰である、という意見がある。これは、ポスター擁護側の危機感の強さに由来するものと考えている。「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という有名な言葉があるが、ポスター擁護派にとって、オタク表現に対する段階的な譲歩は、最終的にはすべてのオタク表現が認めらない未来につながる、という危機意識があるのではないだろうか。この危機意識を補強する要素として、これまでの事例(NHKにおけるキズナアイや人工知能学会の表紙など)も存在する。一方で、ポスター批判派にとっては、あくまでも自分の信じる妥当な指摘をしているし、これまでの個別の事例は必ずしも自らによるものでないので、ここまで反発を受ける理由が分かりづらいのかもしれない。
ここで問題となるのが、ポスター批判派と擁護派の間に信頼関係が無いことである。ポスター擁護派にとって、ポスター批判派とは、個々人の「常識」に基づいて、それぞれ微妙に異なる理由でポスターの問題点を指摘する存在に見えている。特に共有されたガイドラインがない状況でこうなってしまうと、ポスター擁護派は最終的にどこまで譲歩すればいいのかわからない以上、一歩たりとも引くことができなくなってしまう。ポスター擁護派が「お気持ち案件」と言うのはこういう理由からであろう。両陣営の間に紳士協定が存在しない以上、お互いに譲歩は難しい。
個々人の嗜好や常識が異なる以上、必要となるのは各陣営の同意が得られたガイドラインになるであろう。現時点で即効性があるガイドラインは恐らく法律のみであり、法律に基づくのであれば、法的な「わいせつ物」でなければ問題ない、ということになる。もちろん、「TPOやマナーをわきまえろ」という意見もあるだろうが、TPOやマナーへの遵守はベストエフォートであり、必ずしも守る必要がない。法律のみを基準として考えた場合、件のポスターが「わいせつ物」とは言えない以上、それ以上の規制を求めることは「過剰な要求」と映ることもあるだろう。ポスター擁護派には、恐らく規制派の意見が法律を超えた「過剰な要求」に映っている。
では、みんなが納得するようなガイドラインを、批判派と擁護派が一緒になって作ることは可能だろうか。残念だが、私の印象としては、そのようなことは難しいように感じられる。各人それぞれ譲れない線があるらしく、すり合わせは容易ではない。しかし、後述するが、私はそのようなガイドラインは「表現する側」が作れば良いと考えている。
安易なポスターの取り下げ要求は、表現への萎縮につながるという説もある。これは一理あると同時に、必要な行為でもある。私自身は、自由はなるべく保証されているべきだと考えているので、ポスターへの批判をTwitter上で放言することは、それがどのような理由に基づくとしても、認められるべきだと考えている。たとえそれが、個人的な心情に基づいたものだとしてもだ。また、赤十字に対して直接的に取り下げを求める行為についても、特に問題はないと考えている。なぜなら、圧力、あるいはロビイングは、自分の信じる世界を作るための戦術の一つであると考えているからだ。批判派も擁護派も、お互いにやればいい。
さて、赤十字にも、表現の自由がある。赤十字が公的団体か私的団体かに関わらず、赤十字にはどのような表現を行うかを自発的に決める権利がある。もし、赤十字が、批判に対して「なるほどそういう考え方もあるのか」と考えてポスターを取り下げるのであれば、それは赤十字の自由だ。一方で、批判を受けた上でポスターを取り下げないのも、赤十字の自由だ。赤十字がインターネット上でどちらの意見が多いかを見定めで、それに基づいて判断を下したとしても(統計的な正確性の問題を別として)、問題ないだろう。決めるのは赤十字である。
前述のとおり、私は、批判派と擁護派が意見をすり合わせて統一ガイドラインに至ることは難しいと考えている。となれば、最終的には、どのような表現が認められるかどうかは、その表現の発信者が決めるしかない(この場合は赤十字だ)。この前提に立つ場合、両陣営は、発信者を説得するために最善を尽くすのがミッションとなる。つまり、ロビイング合戦だ。実際のところ、自治体はもちろん出版業界や放送業界などを始めとして、様々な企業や業界には、表現者として独自のガイドラインがある。これらは過去のロビイングによって少しずつ構築されてきたものであり、それぞれの価値観をすり合わせた結果とも言える。そして、このような自主規制ルールを作る上では、表現の自由は関係が無い。
ところで、何人たりともリソースの限界というものがある。特に赤十字にとっては両陣営からの意見を受け付けて適切に判断を下す、という非常にリソースを消費する作業が求められる。結果的に、赤十字は、問題が起こりにくい表現のみを使うようになる、つまり表現の萎縮が起こるという懸念が残る。しかし、究極的に言えば、私はこれは問題が無いと考えている。ポスターなどの表現は結局はコストパフォーマンスの問題であり、クレーム対応へのコストと得られる利益(この場合は血液量だろうか)のバランスを鑑みて、最終的には収束するであろう。コスト削減のために無難な表現を選ぶ、というのも戦略の一つであるし、多少苦情が来るのを受け入れつつ、血液を大量に集められる方向に舵を切るのも赤十字の判断だ。赤十字には自由がある。
しかし、ここで注意しなければいけないのは、必要リソース量には非対称性があるということだ。たとえば、赤十字に対して長時間苦情の電話をかけ続けるといった手法は、ロビイングの方法としては好ましくないと、私は考えている。表現者のリソースを飽和させることによって、半ば強引に要求を飲ませる手法は、私の目には品が良く映らない。人によっては、この手法自体を、不当な手段による「表現の抑制」と見なすこともあるであろう。意見の伝達は、なるべく相手のリソースを消費しないように心がけたい。もちろん、あなたがどうしても相手に飲ませたい要求であれば、多少強引な手法を取ることは(法律で禁止されていない範囲で)可能でもある。しかしその場合、まさにその行為自体が非難の対象となり、結果的に周囲からを理解も得られない結果になることもあるだろう。私自身は、Twitter上で意見をつぶやくぐらいが、相手にとって負担の少ない範囲だと考えている。
ロビイング合戦となると、「声が大きいほうが勝つのかよ」という非難もあるかもしれない。そうなのだ、声が大きいほうが勝つのだ。こればっかりは民主主義の必要コストなのか、いわゆる自由のための「不断の努力」というものなのか、各人が自分の信じる事を唱え続け、みんなを説得するしか無い。しんどいが、そういうものみたいだ。もちろん、弊害もある。「米国はNRAがロビイングを続けているせいで、いつまで経っても銃乱射事件が無くならない」という人もいるだろう。しかし、ではNRAの発言権を強制的に奪うことができるかというと、そうはならない。あなたにできるのは、あなたの意見で周りを説得して、支持者を増やすことだけだ。でも、しんどい。できれば相手に静かにしておいて欲しい。きっとお互いに「またかよ」と思うこともあるだろう。不毛に見えることもあるかもしれないが、自由とはそういうものなのだろう。
さて、表現の萎縮を懸念する材料として、一度決まったルールは安易に緩和されないという指摘も考慮する必要がある。
たとえば、知っている人にとっては「定番の話」であり、それ以外の人には「なんでそんなことに」と思われがちな自主規制として、「4本指のイラストは禁止」という決まりがある。これは、自主規制ルールとしてそれなりに広く運用されているはずのルールだ。このルールは部落開放同盟からの意見が由来らしいのだが、私自身(関東出身)は最初に聞いたときは「なんじゃそりゃ」と感じた。今現在も、「そろそろ無くしてもいいんじゃないの」と思っている。
一般に、規制というものは強くなる方向に圧力がかかる。形骸化したルールが、それを理由に削除されることは、傾向としては少ない。そのため、理由はどうであれ、細かいルールを積み重ねていくと、最終的には非常に厳しい規制が完成する。この傾向は、表現の自由度を求める陣営にとっては脅威である。一度決まりができてしまうと、それを覆すのは難しい。もちろん、ロビイングや社会の変化によって緩和が行われることもあるだろうが、できるならば規制が生まれる事自体を避けたい。この非対称性を考慮した場合、ポスター擁護派が過敏に反応することは、ある程度理解できる。譲歩の積み重ねが厳しい規制につながることを懸念するのであれば、今がまさに踏ん張りどころだと言える。
日本赤十字は半ば公的な機関であるので、より安全なルールを運用するべきではないのか、という指摘は、私自身は一理あると考えている。赤十字を公的機関と見なすかどうかについてはここでは議論しないが、公的機関がなるべく安全な表現を使う、というのは、すべての人へのサービスを提供する以上必要なことである。たとえば、政府がセクハラを是とした表現を行うことは望ましくない。なぜならば、セクハラは良くない行為であるという、社会通念上の合意が得られているし、法律という形で明文化もされている。あるいは、政府が過度に性的な表現を行うのもまた、望ましくないであろう。これは、公の場では性的なものを隠すという社会通念上の認識が共有されているからだ。
では、どのような表現が「望ましくない」ものとして社会で共有されているか、となると、全くもって難しい問題である。法的に認められていない行為は当然「望ましくない」し、差別を助長するような表現も、おそらくは「望ましくない」。しかし、社会の大部分は実際のところ未定義エリアとなっており、個別の案件ごとに勘案することになる。すでに広く指摘されている通り、たとえどのような表現でも人を傷つけることは往々にしてある。その前提に立つ場合、単純に「私(や私の周りの人々が)が傷ついたから」という理由だけで「望ましい」かどうかを定義することはできない。たとえば、単に子供が掲載されているポスターがあるとして、どうしても子供を授かることができない夫婦が傷つくからといって、そのポスターを取り下げるべきだろうか。この例に対する答えはない。もし、そのような人が日本で大多数を占める状況であれば、きっと日本政府はそのポスターを取り下げるべきであろうし、あるいは、その傷つき方が非常に強いものであれば、少数のために取り下げることもありえるだろう。(なお、この例示自体が、そのような人を傷つけているだろうという指摘も当然ある)
今回のポスターは、擁護派にとっては、このような未定義エリアの問題であり、どちらかといえば問題がないものとして想定されている。一方で、批判派は「望ましくない」ことが確定したもの、具体的には性差別の問題として認識している。この前提が異なる以上、公的機関が今回のポスターを掲示することの是非について議論するのは、あまり意味がないように考えられる。極端な話、件のポスターがポルノであれば、赤十字が掲示するのは不適切であろう。しかし、そもそもポルノかどうかという点が両陣営の間で確定していない状態では、それ以上の話はしようがないのである。
ところで、公的機関にとっての表現のコストパフォーマンスとは何だろうか。恐らくは、どれだけ全体を幸福を最大化できるか、という観点になるだろう。そして、なるべく多くの人が傷つかない、ある意味では無難な表現を用いるという戦略は、単純にコストパフォーマンスに優れるであろう。そういう意味では、公的機関を特別視するというよりも、彼らは単にコスパがいいから無難な表現を好む、と考えるのが妥当なのかもしれない。
献血を推進するためであれば、ポスターが引き起こす問題は無視されても構わない、という考え方が観測される。これは是でもあり非でもあるだろう。
ここで重要となるのが、ポスターが引き起こす問題とは何なのか、である。仮に、その問題が差別問題であると判断される場合、たとえ献血目的であろうとも、その表現は認められないと考えられる。例えば、「白人は慈愛に満ちているので、どんどん献血に行こう」と書かれたポスターは、現在の社会通念上認められないだろう。一方で、「差別とまではいかないけれど、傷つく人もいる」表現の場合、献血の重要性を理由に、多少の問題は無視されることもあるだろう。先程の例を再び使うのであれば、献血ポスターに子供を掲載することは、おそらく現在の日本では問題となることはない。
さて、ここまで来るとまた同じ話になるのであるが、今回の文脈において、ポスター擁護派は今回の問題を差別問題であると認識していない。一方で、批判派は、これは性差別の問題であると認識している。そのため、両者の話は噛み合わなくなる。結局の所、この論点もあまり意味がない。件のポスターがポルノであれば、それを公の場に掲示するのは、女性差別になるであろうから、献血のためとはいえ認められないであろう。一方で、ポスターがポルノでない場合、献血のためであれば、多少のことは無視される可能性はある。
続くよ
ADHD・発達障害、いわゆるコミュ障って奴でした。治るものではないから今もそうだけど、一応人には迷惑かけないレベルでストレス溜まらないくらいにはなっている
自分も「許容しろ!」「ゆとりがない!」って風潮は嫌い。100歩譲っても「自分達も努力するから、も少し見守って」なら分かるが、さすがに人間の本質みたいな面するのは違うと思う
ADHD、発達障害で苦しんでいる人は恥ずかしがらずに医者に行って欲しい。ジョギングや瞑想、野菜じゃ治らないし今のままじゃどれも準備して実行はしない(やって1~2回)
ヤブ率は都心でもなきゃ低いし、保険適用内で最初は済ませればいい。重要なのはカッコつけずに弱みや心配を吐露すること。ちゃんと薬飲むこと。医者に通うこと
そうすると日常生活で今まで考えたことなかった選択肢とかが出てきて、何か変わった感じがする。最初は薬飲んだときくらいにしかならないけど、徐々に普段でも出てくるようになる
そしてもう一つ。メモ帳を持つ。とにかくメモる。その場で。清書いらない。期限も書く。あと読める字で書く
アプリのtodoリスト?立ち上げないし打ち込まないしその場で入力しにくいので諦めろ。メモなら嫌がられることもないし、年上には好印象持たれる
あとでカレンダーに清書がベターだが、どうせしないから、終わったらマーカーで消すで充分。あとはしょっちゅう見直す
これで金関係とか約束は忘れにくくなる。手帳はデカくて交通系ICカードを付けとくと忘れない。単体だと忘れるから外出の必需品にしよう。家の鍵でも良いけど流石にかっこ悪い
とりあえずこの2つやれば自分でその後を考えれるようになるので、本屋とかで各種関連書籍読んで自分にあった方法でより良くしていけばいい。
ADHD、発達障害はとりあえず落ち着いて自分の周りを見直す事から始めよう。これが本当の自分とか言って開き直っちゃ40代で知り合いに陰口叩かれるこどおじ・おばになってシングル貧困老後決定だぞ。そして制度変わって本当に最低限しか生活できない生活保護で寂しく生きるんだよ
関東に台風が直撃した次の日、彼が暮らしている県が被害を受けたってニュースで見て送った。
一ヶ月ぶりの連絡にしては童貞臭すごかったかないやそもそも一ヶ月連絡取ってないってやばいなとか反省しながら返事を待っても待っても来ない。
そもそもずっと未読。見られてすらいない。
むしろブロックされているのかな~一ヶ月経った今でも怖くてブロックされているかどうか確認できていないけれど。
結婚を前提に付き合ってなんて初めて言われたから舞い上がってしまった。
大切にするって言われて信じてしまった。
みんなのもので有名な凪のお暇のゴンさんの洗面台、もうね、めちゃくちゃ既視感あった。
合鍵貰ったときは本当に嬉しかった。合鍵貰うなんて憧れだったし、信用されてるのかなって思ったから。合鍵はさすがに彼女しか持ってないだろうなって思ってた。そんなことなかった。
思えば付き合って1ヶ月後にはインスタのストーリー見れないようにされたしなんならフォロー外されてるし。
でも、未来のことを話されるとさ、この人とずっと一緒にいれるんだろうなって思ってしまって、ずっと好きだった。
好きだったというか今も嫌いになれてないし、だからこそこうしてぐだぐだグダグダ書き連ねてる
こうして夜中に彼のことを思い出してうだうだするのも今日でもうおしまいにしたい。さようなら。
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そしておとといと昨日、若手俳優がキャッキャしている姿を観て、今までうじうじしてたのがもうど~~~でもよくなりました。