はてなキーワード: チケットとは
乗り換えで使ってる駅でポケモンGoのジムがあったので落としに行った。
寒くなって途中で止めて帰ることにした。
すると、ぼんやりと薄暗い4人がけ+補助席の観光バスが停まっていて(路駐)、中は満員だったらしく人が周りにたむろしている。
今年初めから突如現れた新型コロナの脅威の中、大規模クラスター発生をきっかけに当初から何かと注目されてきたライブハウス業界で、長くなるが、今回は自分の身の回りで起こったことについて。
まずは自己紹介。筆者の私はコロナ以前から楽器奏者としてとあるバンドに参加していて、普段から自主イベントを企画したりなど、月に何度もライブ公演の予定が入っているような生活だった。
といってもメンバーは音楽で生計を立てているわけではなく、普段は自営業をやったり会社員をやったり自宅で庭を眺めていたりなど色々で(これは主に私)、基本的にはその合間での活動のため、一般的にはアマチュアバンドと呼ばれる存在になると思う。
コロナが蔓延し始めた3月にもライブの予定は入っており、それはコロナ前に企画されたイベントのため、会場代とライブチケットのバランスなどから狭い会場にキャパギリギリまで客を入れるというスシ詰め状態で計画されていたものであった。
イベントを開催するに当たって、広い会場への変更か人数制限、検温などなんらかの対策が必要なのではないかと、イベント主催者でバンドのリーダー格の人間に提案してみたのだが、なんと必要ないと突っぱねられ、他のメンバーも問題視せずに、そのまま開催されてしまったのだ。
1人でもコロナ陽性者が紛れ込んでいたらクラスター確定の今考えると恐ろしい状況であるが、クラスター発生以前の 3月時点では、ほとんどのライブハウスはそこまで対策が必要とは認識していなかったのだ。
3月を思い出してみてほしいが、公共空間でのマスク着用や、ドアノブのアルコール消毒など今では当たり前に行われていることも、品物入手がそもそも困難だったりなどもあるが、そこまで浸透していなく、それはおそらく音楽以外の他の業界でも似たり寄ったりであったであろうし、そこは後になって責めることはできないだろう。
ただ、何も有効な対策をしないまま、密な空間で来場者同士お酒を飲みながら至近距離で相互に喋るというコロナ前と変わらないスタイルのイベント開催が乱立していた3月〜4月の状況でのクラスター発生は不可避だったと言える。
その後の全国的なコロナ蔓延と緊急事態宣言、クラスター連続発生で、業界全体の危機感、空気感はかなり変わり、配信や少人数での観客を入れてのかなり気をつけて運営していく方向に変わっていった。
夜の街と一緒に何かと槍玉に挙げられ、聞いた話では楽器を持って電車に乗っているだけでコロナをばら撒いていると差別を受けたりなど、そういったこともあったよう。再びクラスターを起こさないために、感染症対策を万全な状態で運営しつつ、国に業界全体の補償が必要と訴えていくような運動も自然に起こっていった。
ただ同時期に、「国が不安を煽っていて実際コロナは大したことがない、本当は大したことはないことで自粛すると経済が死んでしまう」「インフルエンザの死者数の方がコロナより多いので恐れる必要はない 指定感染症か外すべき」などといった楽観論というよりかは陰謀論に近いような説に傾倒してしまう人も現れはじめ、なんと自分の所属しているバンドのリーダー格の人間もそういった説を支持するようになってしまったのだった。
対話を試みるにも、極端な考えに取りつかれてしまった人間との対話は困難であり、自然とそのバンドとは距離を置くようになってしまい、演奏活動にも参加しなくなっていった。
メンバーの一人から報告があり、先ほど書いたバンドのリーダー格の人間から当日熱があるのに、熱があったことは秘密にしてライブに出てくれないかと出演を説得され、不安を感じつつ迷ったが、当日熱が下がったこともあり出てしまった。
その後、しばらく経ってから別件で40度近く熱が出てPCR検査に回されたこともあり、やはり冷静になってあの時のあの対応は不味かったんじゃないかと思い始めたと。
あろうことかそのライブ企画とはライブハウスからの無観客配信とはいえ、ライブハウス支援プロジェクトという名目で行われる自主企画だったのだ。
もしコロナだった場合、客を入れての営業も配信ライブと並行して行われているそのライブハウスの店員にまず感染し、クラスターが起きる可能性も考えられるだろうし、そもそもライブハウス支援企画との名目で自主的に行われるイベントで、主催者側がルールを破るというありえない行為が行われてしまったのだ。
勿論知らされないでテロを決行されたライブハウス側や、他の出演者には落ち度は一切ないし、むしろ被害者であるだろう。
当時この件を表沙汰にするべきかどうかとても迷ったのだが、結果的に何もなかったこともあり、迷った末、今後こういうことが起きない抑止力にはなるだろうから、周りの親しい知人やイベント主催者などにのみ起こってしまった惨状を伝えることだけにとどめることにした。
その後、発熱者に出演強要を迫った本人に連絡し、一体どういうことかと問いただして見たところ、なんと「発熱者が会場にいても、マスクを付けていれば感染しない」専門家もそう言っていると、とあるウイルス学者の書いたネットに上がっている文章を引用して反論してきたのだった。
調べてみると、どうやらそのウイルス学者がいわゆる反自粛派と呼ばれる人たちの理論的根拠となっているようで、発言もよく掘り下げて調べてみると他にも、「老人はコロナにかかっても寿命で死ぬようなものなので、気にせず自粛しないでどんどん活動していけ」などちょっと考えられないことを言っている方で、そしてどうやらライブハウスの新型コロナ感染対策ガイドラインもそのウイルス学者の方が監修に関わっていることがわかり、ライブハウス関係者で反自粛と言われる考えに傾倒してしまう人間少なからずいることに関係しているのかもしれないと考え始めるようになった。
元から反自粛と呼ばれる考えの人が、このウイルス学者の発言を自分の考えの正当性の根拠に使ってるのか、有名大学の教授でウイルス学の専門家という肩書きなのでこの人の発言に妥当性があると本気で信じてしまっているのかは判断できないところがあるが、どちらにせよこのウイルス専門家の言っている「陽性者が隣にいてもマスクしてれば大丈夫」などの発言はまるで現実的とは思えない。そして結構支持している人が周りにいるのが、やばい。
それから数ヶ月、全体的にはかなり気をつけて運営している人が多いにしろ、とある地方で感染対策に不備がある大規模イベントが行われてしまったりと、そういった事例も目にするようになってしまった。なんとなく大丈夫という楽観論も増えてきているよう。
当方、コロナ治療とは関係ないが医療従事者の家族を持つ地方在住のオタクです。家族の職場では医療従事者の当人もその家族も県外への行き来を制限されている。仕方のないことだとは思うし理解もしている。
今日推しのイベントのチケット当落があった。上記のため私は応募すらしなかったんだけどTwitterで当選してるフォロイーを見ていたら羨ましくて涙が出てきた。
おそらくみんな関東在住だから応募したんだろうし、感染症対策しっかり整えて観に行くっていうのはわかってるけどあまりにも悔しくて羨ましい。
みんな口々に「きっといつかは」「コロナが収まれば」と言うけれどそれっていつよ?
緊急事態宣言後の緩和された時期だって医療従事者は移動を制限されていた。
都内感染者数が毎日更新されているのを見ていると、好き好きに遊んでいる都内のフォロワーに怒りすら湧いてしまう。
いつまで我慢すればいいんだよ。もう推しを見に行けなくて1年になる。なんのために残業して土曜出勤してまで金を稼いでいるんだろう。
はっきり言って外出自粛要請を出せばなんとかなると思ってる人々は、本当に馬鹿なんだろう。
とはいえ何もしないよりかは要請を出した方がまだ『マシ』だとは思うけれど、結局『マシ』レベルなのであって、本当に、国が、国民が、コロナ収束を本気で望むのであるならば、正直に言って選択肢としてはロックダウンしか無いだろう。
しかし、強制力を有する都市封鎖を行うとなると、おそらくゆるふわサヨクの人々が、補償だの人権だの色々と現実について何も考えずに、ただ批判のためだけにいちゃもんをつけてくるだろうから、もう正直どうにもできないだろう。
この国の国民は馬鹿が大多数なんだから、本当に日本を良くしたいと思っている人々は、こんな強制力もない要請なんて誰も従わないという現実にちゃんと向き合った方がいい。
僕は基本的には安倍政権に関してはあまり支持しない考えではあるが、ここ1ヶ月の人々の動きやグズグズした状況を見ていて、当時、アベノマスクやコロナ対応の後手後手感、コロナ対策における議論不足感は否めないが、コロナを有事だと結果的に判断し、国難として先陣を切って国が責任を持って緊急事態宣言を出したことに関しては、きちんと評価されるべきだと思っている。
ではGoToはどう思ってるんだと言われるかもしれないが、個人的に経済立て直しは必須であるから基本的には賛成派ではあるが、ちゃんと状況を判断しながら、止めるときは止めるという運用しないと駄目だと思うし、トラベルやイートだけではなく、もっと身近な普段の買い物にも適用できるような制度もあったほうが良かったのでは?と思っている。
ただ、もうこの国や国民はどうしようもないんだから、マスク着用はエチケットとして必須だけれど、外出自粛要請なんて無視して、みんなコロナ前のように、今まで通り生活したほうが、気持ち的には楽になるよ。
観覧車の中で仕事をすると楽しいって何かラジオで誰かがしゃべってるのをチラッと聞いたんだけど、
実際やってみたらやってみたで楽しいかも知れないし
何かは捗るかも知れないし、
あれって、
観覧車料金って1周ごとの精算になるのかしら?
だあとすると、
5周セットとか10周セットみたいな回数券があると、
観覧車で仕事したい人もお得にチケット買えるんじゃないって思うけど、
そこが問題なのよね。
そもそもとして観覧車にずっと乗っていてもいいものかしら?の従量制課金でしょ?
回ったら回った分だけ運賃払わなくちゃいけないわけで、
だとするとやっぱり5周パックや10周パックも
そうなると
あとWi-Fiさえ繋げれば、
そう思うけど
都会のサラリーマン達が通うところの大都会の中心で相変わらず叫べそうなほど、
そんな都合のいい観覧車ってないわよね。
そうなると、
結構新たなビジネスチャンスとして観覧車作ってビジネス用!って謳えば
物書きも捗りそうよ。
1周だいたい何分かは観覧車によるだろうけど、
恐怖の観覧車!って触れ込みで出てきて紹介される高速回転の観覧車ではあんなの仕事で来っこないわよね。
エクストリーム出社とかってのもあるなら、
そう言った意味でデンジェラスなエクストリーム観覧車仕事捗りサラリーマンも
うふふ。
カブが安かったので買ってみたけど、
あんまり美味しいとは言えないぐらいなのかどうかは分からないわ。
まあとりあえず、
と言うのがとりあえずの結論ね。
ないかしらデトックスウォーターには向いているのかも知れないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これ、あからさまに実感と違うんだが…。で、調べたら鬼滅の刃の方がおかしい。
鬼滅の刃の経済効果2700億円の内訳は、関連書籍850億、映像500億、タイアップ商品の販売額1300億。
…これ、完全に売上じゃねぇか! 経済効果じゃねえだろ!
例えばイベントがあったら、イベントのチケット売上だけを経済効果なんて言わない。
そこに行くための交通費、宿泊費、食事代、そういうもやっとした全部ひっくるめて経済効果と呼んでいたはず。
つまり売上の数倍で当たり前。下手すると100倍1000倍試算するケースもある。
現にふなっしーの経済効果、詳しく調べるとグッズの売上は8億6800万円とあって、いきなり経済効果は8000億と、1000倍に跳ね上がっている。
突然ですが皆様、昨年末から続くコロナ禍の中、マスクはしていますか?
昨今のコロナ禍での世界の感染者数は6295万人、死者146万人という生きているうちに一度お目にかかれるか否かのパンデミックですね。
おそらくこのコロナウィルスは一生消滅することはなく、流行と収束を繰り返しながら人類の体の中で徐々に抗体が出来上がりいつしか死ぬほどの病気ではなくなるのではないでしょう。例えば現在のインフルエンザのように100年後は流行期に予防接種をする程度で死のリスクを避けられる病になるのだと思います。
まぁ、私は医学者でもなければ研究者でもないただの一般人なので、有識者は「違う!」とおっしゃるかも知れませんが、今回のエントリでそこは重要ではありません。
皆様マスクはしていますか?街を歩いて交通機関を利用すれば、皆一様にマスクをしております。
マスクをせず外に出歩いたせいでトラブルになった事例もよく聞きます。
ですが、この記事の筆者はコロナが流行してから今の今まで一度もマスクをしたことがありません。
いや、一度もは大袈裟ですね。ポージングとしてコロナの予防をしている体が必要な場面、例えば仕事で会社に出社する時は上司などへの体面を保つため会社に入る直前だけマスクをします。それ以外の地下鉄などの公共交通機関を利用する時などは一切マスクをつけておりません。そのせいで周囲の人から避けられたり、通りすがりに「マスクしろよ」と吐き捨てられたこともあります。しかし私は極力マスクを“しない”様に心がけています。それはなぜか。
よくある理由としては、煩わしいからとかマスクに予防の効果がないとか。
正当な理由では健康上の理由で物理的にマスクができない人などもいる様です。
変わったところでは宗教上?信じている人が「コロナはただの風邪」と言ったからとかでしょうか。
思い返せばここ10年ほど、ずっと病気や不慮の事故による「死」を毎日祈りながら生きてきました。
にもかかわらず健康に生きたらまだ50年以上人生が残っているのです。
これはなかなか辛い道のりです。この人生の苦行を後50年続けなければいけないのです。
しかしながら私の中で自殺という手法は最後の手段です。その手段もないわけではありませんが、私の最も理想の死に方は30代のうちに病死か不慮の事故により死亡することです。
なぜなら、病死や事故死といった死に方なら身内や周囲の人間も「避けられない運命だった」と諦念を持ってくれますが、自殺となると少し具合が違うからです。だって自殺者の周囲の人たちは当事者の死後、「なぜ死を選んだのか?」「死ぬ前に誰かに相談できなかったのか?」その様な考えから私の自殺理由を“墓あばき”よろしく、詳にして開陳しようとするでしょう。死ぬまで抱えてきた思いを、死んだ後に晒されて慰めの道具にされるなんてたまったものではありません。
その様な理由から、死ぬなら病死か事故死がベストだと考えています。
だから、私はこのコロナ禍というパンデミックを病気で死ぬための絶好の機会だと捉え、大気中のコロナウィルスを肺に取り込むことを目的にマスクをせずに今日も街を出歩くのです。
コロナ禍でマスクをしないことに憤慨する皆様。どうぞ石を投げてください。たとえ見ず知らずのあなた方に石を投げられても私は明日も明後日もその先もマスクを“しない”ことをやめません。だってマスクをしてない私を救ってくれるのはそれに憤慨するあなた方ではなく、今まさに蔓延っているコロナウィルスなのですから。
2月の下旬、全公演のチケットを取るくらい楽しみにしていた舞台が半ばで公演中止になって、呆然としたまま突然の大千秋楽を迎えることになった。
3月、友達が死んだ。東京から遠く離れた地元へは帰れなかった。小学校のころから一緒に趣味の絵を描いて遊んできた友達だった。
4月からこれまで、エンタメが消えた世界は本当に寂しかった。楽しみにしていたことが全部なくなってカレンダーはスカスカになった。これまで楽しくやってたはずの仕事も全然楽しくなくなった。在宅勤務で昼間から家にいると時間が止まったような気がした。そのうち仕事もほとんどやらなくなって、毎日散歩して空ばっかり見てた。なんにもなかった。
ずっと寂しかった。ひとりはさみしい。実家は飛行機の距離で、仕事はフルリモートで同僚と顔を合わせることはなくなった。それが楽だという人もいると思うけれど、それが辛いと思う人もいて、自分は後者だったという話だ。
劇場では一般的に十分と言われるであろう感染症対策をしてはいるけれど、伝染るときは伝染るんだろうなと思った。一週間の行動履歴は観劇で埋まったし、まあまあのトンチキ感がある作品タイトルで、これいま感染したら一時期の舞台クラスタみたいに晒し上げられたりめちゃくちゃアクティブな人みたいに叩かれそうだななんて思いながら、それでも劇場に通った。
病気で死ななくても、心が先に死んでいく。心が死ぬのはとてもつらかった。病気でもなんでも、死んでも別にいいと思ってしまうくらい。友達が死んでから先に行かれてしまったなという思いがずっとあった。少し前にやっと手を合わせる機会をいただけて、なんとなく、残された側はそれでも生きていくしかないんだなと感じた。生きていかなきゃいけない、そう思っていても、からっぽのまま空を見上げていた時期、うっすらとした希死念慮はずっとすぐそばに漂っていた。楽しいことがないのに生きていくのはつらかった。
やっぱりこの人生には舞台が必要だった。春からからっぽになってなんにもなかった心が一気に満たされて、楽しい、好き、幸せ、久しぶりにそういう気持ちがぶわっと溢れてきた。大事なものにやっと再会できて、ああ、自分には必要なんだって思った。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
学生時代に仲が良かった子がいる。仮にAとする。色々あっていつの間にか疎遠になってしまった。
色々というのは共通の友人Bのことだ。Bは遠方に住んでいて、年に1回会うか会わないかの友人だ。AとBでSkypeだかメッセンジャーだかのやり取りで盛り上がって、今度Bが遊びに来るという話になったらしい。Aは既婚で、ゲストルーム付きのマンションに住んでいるから、そこに泊まる…という事になったらしい。
らしい、というのは全てあとから知った話だから。私はBがいつ遊びに来るのか等全く知らず、全てはAB間で進んでいた。
にも関わらず、なぜかAから「今度Bさんが遊びに来ることになったんだけど、〇日Bさんを泊めてあげてくれない?うちのゲストルーム1泊しか泊められなくて、Bさん泊まるところないんだよね」という連絡が入った。正直ハァ?と思った。
Aは専業主婦だけど、私は当時共働き既婚。〇日は平日。私が住んでるマンションは狭い2DKで人を泊められる余裕はない。夫は朝早く夜遅い仕事。友達を平日泊めることなんて無理。
てかABで遊ぶ約束してて私全く関係ないのになんで唐突に…お前が責任もって何とかしろよ…と思ってメールをしばらく放置してたら、「そろそろ返事貰える?Bさん飛行機のチケット取れなくて困ってるんだけど」ってきた。知らんがな…。
なんて返事したのかは覚えてない。多分「泊められる部屋ないし、私だけでなく夫もいるから平日は無理。ごめんね!」みたいに返したような気がする。Aからの返事はなかった。
AからBにどうやって伝えられるかわかないので、Bにはその後私から連絡した。
「なんかいきなりAからBを泊めてって言われたんだけど、本当に突然で難しくて断った。ごめんね。土日なら事前に教えてもらえれば大丈夫だと思う。遊びに来るなら日を改めて来て貰えるかな」みたいなことを言ったら、Bが「えっそうなんだ。。てっきりAから日程とか予め連絡いってたのかとおもったよ。急な話でごめんね」と謝罪があり、その後改めてBは我が家に遊びに来た。ちなみにABの遊ぶ話はそこで途絶え、ABの友情もそこで終わった模様。※私はBと今でも連絡とっている
Aってこんな人だったっけなぁと思ってるところに、今度は私自身の離婚話が持ち上がり、しばらく自宅に帰らなかったらAからきた年賀状を2年くらいスルーしてしまうことになり、もうそこから完全に音信不通。
AにはAの言い分があるんだろうな、そんなつもりではないんだろうなと思うところもある。でも本当に何度思い返しても失礼だよなと思うんだよね。
Aは社会に出て1年くらいですぐ授かり婚で専業主婦だったから、周りにもそういう人しかいなくて、みんな忙しく働いているということを忘れてしまったんだろうか。
子供や家族にコロナが広がってるのは鬼滅の刃劇場版の可能性あるだろ。興行収入260億円って、チケット代1500円で考えたら約1700万人だぞ?それもみんな映画館。
なんで誰も指摘しないんだろうか。陽性者にgotoトラベル使ったか聞くなら、鬼滅の刃見に行ったかも聞いてみれば?— じょー (@no9875) November 24, 2020
GoToトラベルの利用人数って3300万人くらいなんだよね。しかもこれ延べ人数。しかも数か月分でね。
しかも密。
映画館ごった返し。
でも誰も言わないよね。鬼滅たたきすると怖いから。
真実なんかもともと大事じゃなくて、たたきやすいものをたたくことでストレス解消したいだけで何にも考えてない。
アホじゃないの?
2年前の冬、私は死にたかった。
別に大した理由じゃない。大学での人間関係やそこでの自分の存在価値に絶望し、ただただ死にたいと漠然と思いながら酒を飲んでいた時期だった。そんな時、高校の時から好きだったバンドがライブを行うと知った。好きになった時には活休していたからそれまで1度もライブに行ったことがなかったけれど、活動再開したしもう大学生だから自分のお金で好きなところへ行ける、せっかくなら行ってみるかとチケットを取り会場へ行った。
ライブはすごく楽しかった。音源でしか聴けなかった大好きな曲が生で聴ける。身体の奥底まで響く音、ファンの歓声、ぎゅうぎゅうの会場。コロナ禍の今じゃ考えられない光景だ。そしてステージの上で輝くギターのメンバーに一目惚れした。なんて楽しそうに演奏するんだろう、MCで一生懸命話すんだろう。この人をもっと見たい。本気でそう思った。
そこから頻繁にライブに行くようになった。とは言え私は学生だし夢のためにお金も貯めなきゃだから全通はできない。学校やお金の都合で行ける時に行ける場所に行く。でもそれだけでも毎日が楽しくなった。相変わらず学校はしんどかったけれど推しに会えるんだからと思ったら全然辛くなかった。死にたいと思うより推しに会いたいことを考える方がよっぽど有意義で幸せだなと思うようになった。
ダイエットも始めた。CDの特典会で好きなメンバーと写真が撮れるという企画があって、もちろん推しと撮った。今はコロナ禍で、写真を撮る時はシールドカーテンみたいなのを挟んで撮影だけど、コロナ禍以前はそういったものがなく2人で並んで撮影できた。その時に推しの肩が私の肩に一瞬触れた。そのあまりの薄さに驚いたと同時に自分の分厚い肩にショックを受けたことを今でも覚えている。その時の私はまあまあどすこいな感じで、痩せているファンが多い中、正直チケット代2人分くらい払った方がいいんじゃないかと思うくらいには幅を取っていたように思う。このままじゃまずい、並んだ時に恥ずかしくないようになりたいと感じ痩せることを決意した。
コロナでしばらくライブも中止になり、その間に10キロ体重を落とし、化粧も変えた。どうせブスには似合わないと諦めていた可愛い服も着るようになった。そうしたら周りから見た目を褒められるようになった。お世辞かもしれないけれど、そんな風に褒められたことがなかったから嬉しかった。バイト先の男の人にご飯に行こうと誘われるようになったし、駅で声をかけられることも何度かあった。これも今までなかったことだ。まあナンパなんて良いもんじゃないことは分かっている。けれどそういった今までなかったことが突然やってくることで、多少の自信に繋がったと思う。
推しと出会ったことで毎日が楽しくなったし少しは自分に自信が持てた。もうじき久しぶりにライブに行く。自信を持って推しに会いに行きたい。
興味はあるけど、何かに集中していたり眠気が酷くて「今は」見たくなかったり参加したくないことが昔から多かった。
例えばテレビ番組を録画本数の関係でリアルタイム視聴しなきゃならない時や、
チケット取ったライブや、季節のイベント、友人と約束して球場に行かなきゃならない時。
ただテレビ番組や野球やサッカーの試合や競馬やモータースポーツは、
ネタバレや結果がすぐ分かってしまうのが嫌で、かつツイッターで感想を共有しながら見るのが一番楽しいと思ってる。
そしてリアルタイム視聴が醍醐味なのが分かってるからこそ、見る気分じゃない時が余計に辛かった。
特にその時間に確実に帰って見なきゃいけなくて、かつネット配信してないテレビ番組がきつかった。
各放送局が用意してるTverやAbemaやDAZN、ネトフリやアマプラのような動画サービスというプラットフォームで配信されてるならまだいいけど、
いちいち開き直すのが少し面倒ではある。
ここ最近、ステイホーム推奨という事もあって色んな分野や公式がYoutubeに参入してきてる。
お陰で買うまではいかなかった公式のライブ動画を好きな時に見てBDを買ったり、
芸人が毎日上げてる動画や、テレビ局が上げた過去のアーカイブ動画を好きな時に見て印象が上がったり。
生放送やライブではなく収録という体も増えてきたのも、リアルタイム実況に縛られなくて正直ほっとした。今はまた元に戻ってきてるけど。
そして好きな時にSNSに感想を書いて各々好きな時に共感できる。いい事尽くめだ。
コロナはもちろん収まって欲しい。
こんな事をグダグダと書いてるけどどちらかと言えばアウトドア派だし、見たい気分とリアルタイムで進んでる物事が合致すれば最高なのだ。
でもリアルタイムに縛られずにその時の気分に合ったワードを検索欄に打ち込むだけで全ての動画が出てくる状況、
結婚相談所でいつからか相性マッチングシステムみたいなものができた。
相性の合う相手として表示される人でも、相手の希望条件が自分と合わない人も多かったので、お遊び的なシステムだなと思っていた。
本気で相性なんか割り出すつもりは無いが、ある程度統計データらしいもの使ってそれっぽい候補出して、本人の希望から検索している以外の人とも積極的に会える機会を増やしていく…のが目的なんだろうなと。
当初は検索だけだったが、性格分析マッチングができて、システム内SNS・簡単な日記と写真にイイネ付ける機能が出来て、相性の合う相手システムは3つ目くらいの大型アップデートだったと思う。
相性システムでは、紹介される相手が同い年から年下が不思議と多かった。
お見合い市場では女性は一般的に5歳から10歳上とマッチングする事が多い、とカウンセラーから説明されていた。で、そういうお見合いが多かったが、なかなか続かず。
そんな中でも交際が続いた相手は同い年付近が多かった。そういったここまでの成績なども相性システムには加味されていたのだろうか。
毎月、チケットを使い切るためにあれこれの方法で検索して申し込むのだが、相性システムでのマッチング結果で申し込む事も多くなった。
そんな中で申し込んで当たって結婚した夫は同じ学年、9ヶ月ほど下だ。
相性システムがどうやって割り出しているのか知らないが、案外バカに出来ないなあと思う。
結婚してから行きつけの美容院で報告すると、相手は年下ですか?と聞かれた。同い年ですと返したけど、そういう風に見えるものがあるんだろうかと思った。
そう思うと相性システムのロジックが今更に気になる。システム上で自分からは相手の希望年齢を設定した事が無かった。検索も自分の年齢プラマイ5歳で検索していたし。
性格判断は、性格傾向だけで他の条件が全く考慮なしだったので10歳20歳違う相手がマッチングされたりした。同年代に絞って確認するも、向こうの希望条件から自分が外れたりして、あまり使えなかった。
写真とコメント投稿のSNSは風景や料理など投稿し楽しく使えはしたものの、イイネをくれる相手とマッチングは無関係だった。イイネをよくくれる相手にお見合い希望を出してもお断り、ということがほとんどだった。実際、私も写真やコメントにイイネを付けるのにいちいち相手を見たりしなかった。ただ、会った人の中には写真を見て申し込んでくれた人もいるので、なにがしかのアピールにはなっていたのだとは思う。
それいうと思ったわ
そんなんじゃなくてね
これは元増田みたいな人のプライドや私益と引き換えに後進の門戸を閉ざしファンコミュニティに冷や水をぶっかける側面が少なからずあるってことなんだよ
他に置き換えてみて、場末のライブハウスで友達相手にのんびりやってるコピーバンドに「俺の曲を下手な演奏で汚すな、しょーもないギターソロとか勝手なアレンジすんな」とか言ってたら
流石にそれはおかしいと思うだろ?
勝手にCDにしてうっさばいてたとかならまだしもチケットの利益もほとんどないような奴相手にいうことではないよね
結局法的措置とかにでたらファンが白けたり不快な思いすることは理解してるから元増田も何もしないんでしょ
業界内外で人気がなくなるのが一番怖いんだもん
それから元増田の言い分っていうのは文化資材としての公益を損なうって事例や、コンテンツの品格や設定・世界観を棄損させるような事例、金銭的な損害を被る事例、単に作者個人の情緒の問題がごちゃ混ぜにして語られてるから
(というかそこらへんどうにでも読み取れるように曖昧な表現になってしまっている)
ブクマカはいつもどおりカリカチュアされた弱者のお気持ちを汲んでさし上げるっつポージングで学級会めいたことやってるけど
元増田がそれがいいたかったのかそういう流れになることを意図していたのか将又そんなつもりは毛頭なくて真意は別のところにあるのか
誰にも知られず、あなただけがこっそりやるぶんなら問題なかったのですが、ネットに
「私はこんな良いことをしてるのよ?」
「私と同じように(見もしない)チケットを買いなさい」