はてなキーワード: ショッピングモールとは
例のコラムから興味持って無料で読める部分とか、ツイッターのやつとか、皆の考察ずっと読んでた。
コロナのせいでなんとなくショッピングモール内の本屋行きたくなくてうだうだ無料分だけ読んでウオー!ってなってたんだけど、今日ハロワで失業保険の認定に行かないといけなくて、ハロワ内のこもった空気でもうコロナは諦めたのでその足で本屋に行った。
イトーヨーカドー内の本屋は小さくて、横のちゃちい飴とるゲームは少し子供いたのに本屋コーナーには子供寄り付いてなかった…漫画コーナーも小さくて「ネット連載の漫画あるかな…」と少しどんよりした気持ちで漫画コーナーにIN!
まず新刊コーナーにシメジシュミレーションを発見!しかし同時発売の少女終末旅行アンソロ2巻がない!別の日にそっちは買うかって思ってシメジシュミレーション持ったら店員が背後から少女終末旅行アンソロ2巻を補充してくれた!見透かされてる!!
しかも小さいのに邦キチ!映子さんが全巻平積み!欲しかったけど見つからなかったやつ!
店員のオススメコーナーに自分が今一推ししてる魔女と野獣があってちょっと怖かった。
肝心の僕の心のヤバイやつが見つからない…てか秋田書店とか少年チャンピオンコミックが異様に少なかった…少年漫画も青年漫画も棚一つずつしかないので3回ウロつけば見つかるはずなんだけどな…人気あるみたいだし売り切れかな?とレジに行こうとしたら
人気漫画コーナー
そんなわけで待望の僕ヤバを2巻全部読みました。
ツイッターほど仲良くないんだ!?ってちょっと驚いた!山田ってチョロめだと思ってたんだけど攻略難度めっちゃ高いね!即バッドの選択肢けっこうあったよね!
山田だけ見てると高校生の漫画みたいだけどしっかり中学生なのすごいし、ヒロイン一人固定ものなのにサブキャラもめちゃめちゃ好きになっちゃう…すごい。
足立は市川からしたらクソウザイしちょっと怖いけど意外と悪いやつじゃないし、変態の神崎が原さんと上手くいってたり女子の好感度高かったり、萌ちゃんはビッチっぽいけど山田を守ってたりテスト良かったり漫画読んでたり(ニワカっぽいけどバキの生原稿にめっちゃ喜んでた)、小林さんが一番チョロそうだったり、吉田さんは怖いけど山田のために怒ったり、原さんもけっこうムッツリスケベっぽそうだし勘づいてるし優しいし…先生も担任もちゃんと市川のこと見てるし保健室の先生は普通にいいし…ナンパイセンがいい人そうなのもリアル感ある。おねぇっていいね。
あとなんで何回も何回も読み返しちゃうんだろ。とにかくヤバイ。ずっと二人を見てたい。自分になかった青春を二人は謳歌してほしい。
怖い想像なんだけど市川は「僕は頭がおかしい」って思ってたり、保健室で休まないといけない程の頭痛持ちって…脳に物理的に爆弾抱えてたりしないよね?脳腫瘍とかくも膜下出血とかないよね?勝手に心配になった…
2020-01-02
フードコートで飯食う家族「「「おいしいねー!」」
たまたま横を通りかかった上級国民ぼく「恥ずかしいからやめて!フードコートだからそんなにおいしくないよ!」
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そういう事考えてる方が下層っぽい感じ
金持っててもガキはうるさいからな
そ。
フードコートなら親が食いたいものと子供が食いたいものが一致しない時もそれぞれ好きなもの食えるしな
離乳食とか持ち込むのも気を遣わないし
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行かんやろ
フードコートで食べたいのあるの?(直球)
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それはないやろ…
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飲食業ってだけなら他に良い店も行けるだろうけど
子連れで良いレストランなんか行ったら子供黙らせるのに必死で味なんかしないんだよ
それより気楽なフードコートの方がよっぽど美味い
(つーかフードコートを「そこで飯食うために行く場所」と思ってる時点で相当下層だよな
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世知辛いやで
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わざわざフードコート行くという手間かけて買い物がサブなわけないだろ!
単に貧しいだけなら買ってきて家で食う方が安いのにな…
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だって来る前に食べても良いし
↓
どーでもいいけどうち年収1500万くらいあるけど普通にフードコート行くわ
先日「4月まで本社はテレワーク勤務になります」という案内が来て
対応の早さに感心した。
その案内に加えて、期間中できない業務がいくつか提示されたけど
優先順位は比較的低くて、ちょっと工夫すれば在宅でもできない?という
内容ばかり。
オフィスワークはあまり経験がないけど、事務所に集まって仕事する
意義ってあるのかなー、とこの度うっすら思った。
そして私がそうだけど、在宅ワークを知ってしまうと、快適さから
最初は人恋しくなったけど、今は猫三匹&犬一匹&実家だし、テレビ電話で
しょっちゅうやりとりはしてるので、すぐに慣れた。
懸念すべきは、身嗜みに気を使わなくなることと、運動不足による体重増加。
これは、毎日近所のショッピングモールでいくつかウォーキングして
運動しているのでなんとかセーフ。
必然的におしゃれはするしね。
近所をただ歩くのは苦痛だけど、商品みながらだとつるっと5、6千歩は歩いてるものだから。
外で働いていた時は、ストレスで本当に毎日すり減っていて、精神科を受診したり
カウンセリングを受けたりしてた。
仕事ができない私が悪いんだとずっと思ってたけど、在宅に転職して、
同じような人はきっとたくさんいるはず。
接客業は難しいのはわかるけど、テレワークができる業種は積極的に取り組んで
いけば良いのに、と本気で思う。
私はオフィス系の仕事が無理で、ずっと接客業をしてて、心病みかけたけど、
在宅で事務職以外にも仕事があると知ってから、今の仕事について、天職だと
思ってる。
床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや
中学生のころ、スゴい山奥暮らしだったので、今でいう都市郊外のショッピングモール(当時はショッピングセンターといってた)でさえ親に頼んでクルマ出してもらって隔週で週末に行けるかどうかだった頃。なにせ本屋もなく週ジャンが一週遅れでやっと雑貨屋に並ぶぐらいの山奥だったので、インドア思春期男子としては常に本やマンガに飢えていた、センター唯一の書店で最大6時間!の立ち読み記録を作ったくらい(書店員さんスミマセンでした!!)。まあ今から30年から40年ちかく前なんで、雑誌はおろか本もマンガもテープ貼り・ゴムバンド掛け・ラップ包み・紙帯留め、一切なく棚や台に放ってあった時代である、さすがにエロコーナーの物品は袋綴じ?してあったようだけど・・・(寡聞にして知らぬ)まあとにかくフツーのは全て読み放題だ!!なんて思ってた。
で、そんなインドア思春期男子欲望全開~!な中学生なんですが、盆暮れとかにたまに、極々まれに、親戚連中の住む政令指定で県庁所在な都市に連れてかれて、退屈な挨拶回り終えてお目当ての、百貨店の中の全国規模展開な超有名書店に放逐されたら、そりゃもうパラダイス~!!あの冷暖房のガッツリ効いた妙にマッタリした空調にヤラレて若干キモチわるくなるまで、それこそ死ぬまで趣味の情報(カメラ、クルマ、バイク、アニメ、プラモ、etc.)に囲まれていたいド田舎に戻りたくない!と、親がウンザリして連れ戻しに来るたび悲観に暮れたものである。
さてさてそんな初な男子も思春期だから関心は当然あるがインドアなんでムッツリだから遠巻きに、しかし何とか気取られず情報を得ることは出来まいか、と画策しだすエロ分野。とくに、花の都とか絵描きが憧れて渡るとか焼かずに喰うと固いし皮は粘るし食べづらいしやたら屑の散らかるパンとか東京タワーの元ネタがあるとかでお馴染みのアノ国、そうなんでかあの国名が付けられた文庫、コイツの棚というか什器はどの書店でも大概一般とエロの境界線上にあり、気になって仕方がないのだがムッツリゆえ逆に不自然に遠ざかるくらいのスタンスで過ごしておった。
だがしかし!いまオレは、地元から遠く離れたこの場所に、そう知の大図書館である百貨店の中の全国規模展開の巨大書店に居る、素知らぬフリして手に取り、ヤバい装飾の什器から可能な限り離れて、かつ覗かれぬよう背伸びして、ブツも開角度を狭角に(笑)すれば気付かれぬ!(爆)
・・・読み耽ってたら数才ほど年下くらいな顔と背格好の神経質そうな顰めっ面の女子が足元に近づいて来て(来んな!!)、
『・・・ヤらしい』(ボソッ)
な・ん・で・わかった?!
そそくさとその場所を離れたボクでした。(クッソあいつ来なけりゃもっと読めたのにぃっ!)
なんか昨今のふぇみのぽりこれさわぎ見て、そんな昔を思い出した今年五十路のKKOより。
天災でなにもかも壊れたとかメインの農産物や観光資源が無くなったとかじゃ無いしな
【例1:】
あるところに、私設警備員や自家発電機やアンテナを置けるくらいの金持ちが別荘をぽんぽん構えている地域があった
そこいらは何も無い。何故なら金持ちは『何も無い』を買っているからだ。土地を膨大に買って庭にし何も作らない
しかしスーパーすら無くそこに昔から住んでいる住人は疲弊して若者から出て行ってしまう
【例2:】
ある地域は畑と放置された畑しかなかった。そこにギラギラした不動産屋がいた
どんなものを呼び込んだのかは差し控えるが人口は増えたし非常に生活が便利になった
ショッピングモール風の大型スーパーと飲食店くらいはなきゃダメだよなぁ
【例3:】
魚業と農業で成り立っている地域だが18時過ぎたら懐中電灯を持たねば外が歩けない。何故ならほぼ街灯が無いからだ。加えて学校も無い
中国からの団体旅行制限が発表される直前、都心のホテルでアジア系の一行がN95マスクを着けて荷物を運び入れるのを見かけた。武漢から避難してきた家族かもしれないと思った。
武漢からやってきた人たちには、東京で地下鉄に乗ってきてほしくない。ショッピングモールや商店街にも来てほしくない。感染が怖い。
だからといって、そんな思いを口に出したり、行動に表しては、たんなる人種差別とどこが違うのだろうか。
武漢からやってきた中国人も、上海人も、香港人も、台湾人も、私には見分けがつかない。
かりに武漢からやってきた人たちが東京でひっそりと避難生活を送っていたとしても、彼らは自分たちがコントロールできない要因によって、もう十分に恐怖を味わい、苦しんだはずだ。差別されるいわれなど毛頭ない。
検診は受けてほしいし、症状が出た場合は自発的に医療機関を受診してほしいと思うが、「あなたは武漢から来たのですか。ところで検疫はお済みですか?」と尋ねるのは、差別とどこが違うのだろうか。
ウイルスが引き起こす感染症の実態がまだよくわかっていないために、感染者や感染地域の出身者にたいして、魔女狩り的な恐怖と攻撃心が自分のうちにもあるなと思う。
いま武漢で起こっていることは、これから世界中のどこでも、日本でも起こりうるのではないか。
これだけ国境を越えた人の往来が日常的になった時代には、逃げ場はないという前提で物を考えた方がよいのではないか。
「肺炎がうつるから中国人は日本に来るな!」と思っている人は、東京発、大阪発の新型肺炎が発生した際に、差別されることを受け入れられるだろうか。
明日は我が身、もはや逃げ場はないという前提で、最悪の事態を想定して、感染しないようにするにはどうすればよいか、もし感染、発症した場合は、どこに助けを求めればよいか、という知識を持っておく方がましではないだろうか。
ビラが入っていた。主催は「カジノ誘致反対横浜連絡会」とのこと。反対派が「住民投票しよう!その署名(目標50万)をしてくれ!」と。
俺はカジノ賛成だが、住民投票も賛成なので、この署名はしたいと思う。(ただしカジノ誘致で賄賂もらう議員は片っ端から辞めろ)
で、反対派のビラなので「要らないですよ!」と説得する内容が書いてある。6つの理由とのこと。それに思うところを書きたい。
てかHPに行っても文字データなくてチラシを手打ちするという。我という暇人ここにあり。
カジノを誘致すれば市の収入が800億~1200億円増えるといいます。
同意できない。
そういうなら、パチンコや宝くじ等のギャンブルからの税収もすべて否定すべきである。
すでに長いこと”人の不幸”から利潤を得ておいて「長続きしない」は詭弁では?
ふるさと納税で勝てない今、**増収して保育士が増えるなら歓迎です。**
てか6000円の入場料払って入る人で不幸になるレベルのツッパするのってどれだけおるのか。パチンコのほうがよっぽどヤバいでしょ。
カジノは「横浜のイメージにそぐわない」(9月17日神奈川県新聞世論調査)というのが市民の多数の声。
韓国のカンウォンランド・カジノの周辺の町は、質屋・金貸し業、風俗店が立ち並び、依存症、自殺、犯罪の増加で人口減少が止まりません。
すでに徒歩圏内に「曙町」があるのに横浜のイメージもなにもなくね。
あとイメージダウンは横浜外の人から見た話しだろうが、ぶっちゃけ、「ヨコハマ」に酔ってるのってほとんどが横浜市民でしょ。俺も横浜市民だけど。
横浜外の人でヨコハマに憧れてる人ってすでにそんなにいなくね。
いや「日本人の財産」とかじゃなくて行きたい奴が行くだけだろ。
いや1.で増収するって言ってるやん。ペイするってことでしょ。
確かに40年はなげーな。15~20年くらいの契約に変更してもらうべき。
IR内のわずか3%の面積で、収益の78%を占めるカジノ(例:シンガポール)。
まあかわいそうではある。でもイオン誘致やめろ!と同じに感じる。
魅力的な店しか残らないサバイバルが始まるのは確かだと思うが、市場原理でもあるのでは。
てか周辺住民のどれだけがIRに入るのだろう?「IRの生鮮市場のほうが野菜が50円安いわ~」と行く人が多くなるということなのだろうか。
言うほど周辺衰退するか?
転勤族の子で、各地を転々とし、両親は最終的に東京に家を買った。親は、本人達は認めないが平均より裕福で、たくさんのことをさせてくれた。大学に通わせてくれたし、海外経験もさせてくれた。
私は地方都市に就職する。鉄道使うより飛行機の方が東京に早く着く街だ。就職する街には東京と直通便がある空港がある。
なぜ地方に就職するかというと、混雑が向いてないし、東京という街を活用できてないからだ。繁華街に行くとどうも体調が悪いなと思ったら、軽いが感覚過敏であることが分かった。特に音と光。ノイズキャンセリングイヤホンをしないと疲労がすごい。IMAXで映画を観ると耳が遠くなる。薬を飲む前はあらゆる待機ランプに目張りをしていた。冬でも日差しの強い日はサングラスをかけている。あと色。教材の色がうるさくて集中できないという理由で進研ゼミからz会に変えたことがある。香水もだめ。においのする柔軟剤のことを恨んでいる。WAISでは自閉症スペクトラムとは言えないと診断されたので、感覚過敏だけがあるスペクトラム者なのか、全く違うのかよく分からない。HSPなる概念にめちゃめちゃ当てはまるが、あれは今のところ精神医学の概念とは言えないし、私の嫌いなスピ系と界隈が近いので自分がそうだとは言いたくない。とりあえずエビリファイで症状?は緩和されたので、なんでもいい。症状があって対策がある。それでいい。それでもサングラスはするし渋谷は歩けないし人酔いはするしノイズキャンセリングイヤホンは手放せないので23区を離れるけれども。
満員電車も嫌いだ。実家は日本で1番混んでる路線が最寄りだ。昨日久しぶりに満員電車に乗って視界が真っ暗になり何も聞こえなくなって車内で座り込んだ。つくづく向いてないんだなと思った。
地方を転々としていたので、地方とひとくちに言っても本当に色々あることを知っている。私の基準としては大学のある街は人の行き来があるせいか排他性が薄い。ということで国立大学のある街の、中心街から電車で20分の空の広い郊外に住むことにした。家は職場から徒歩5分のとこを借りる。近くに本当にでかい、なんでもあるショッピングモールがある。映画館もある。
同級生、特に生まれも育ちも東京の人からはあまり理解されなかったが(というか東京生まれ東京育ちの人は東京京都大阪以外はみんな村だと思っている傾向がある)、悪くない選択だと思う。いや、大都市でどれだけいい会社に就職しても通勤や生活がつらくてすぐ辞めるのが目に見えているので、地方に就職するしかなかった。地方の、大都市に支社や支店がある会社に勤めるとそちらに飛ばされる可能性があったので、そういうののない地方の中小企業に決めた。英語が人よりできるので海外と取引する部署。営業も事務も向いてない自覚があるが、壊滅的に数学ができないので理系に進めなかったのだ。理系になりたかったな。
自分なりにいい所を選んではみたつもりだが、内定式で直属ではないが上司にセクハラ野郎がいることが分かった。「色気が足りない、お酒を飲むともっとセクシーになれるよ」と若い女性社員に酒を注いだり、若い女性社員が上着を脱ぐと「僕のために脱いでくれてるのかと思った」などと言う。社長もそれに対して笑ってるので、私は早々に辞めるかも知らんと思っている。大学の先輩にこの話をしたら「セクハラに対して絶対に笑わないこと」と教えてくれた。他にできることあったら教えてください。飲み会は強制参加ではないらしい。学歴はそこそこあるしTOEICは900とったし転職は難しくはないと思うけれど、就活もう一回はしばらく嫌だなあ。
小説を書いている。たまに土曜出勤がある職場だが、勤務時間に通勤時間を加えたものを拘束時間として考えると、通勤時間がドアツードアで往復90分の大手企業と余暇時間はそんなに変わらない計算になる。小説を書く時間にあてたい。職場から帰ったら即寝て、2時から3時頃起きてすっきりした頭で小説書いて、出勤して寝る。休日は映画観る。初めてのボーナスで実家の猫にキャットタワーを買う。できそうだったらだけど、取引先のある国に転職するのもありかなと思っている。
生きていきたい。
たくさん助言を頂けてびっくりしています。ありがとうございます。
セクハラを録音しておくというアドバイスを複数いただいているのですが、社長がセクハラを容認する態度をとっている場合、どのようにして録音を活用すれば効果的か教えていただけると嬉しいです。
飲んでる薬――エビリファイ1mgです。これが感覚過敏用で、冬季の気分の落ち込みにジェイゾロフトを、眠りやすくするために頓服でロラゼパムを処方されています。
海外で困りごとはなかったか――気楽な語学留学だったこともあり、特になかったです。自分に3食餌付けするのが大変といえば大変だったかな。自炊してたので。某国の静かな地方都市に滞在したのですが、そこでなぜか異様にストレスなく暮らせたことで自分の感覚過敏に気付けました。親に感謝しています。自分に語学力か学力がもっとあれば真剣に移住を考えていました。
子供の頃に周りの大人に怒鳴られていなかったか――怒鳴られたことはおそらく1度もないです。怒られたこともほとんどないです。長女なのもあってか、ずっと優等生でした。成人付近で崩れましたが。7歳頃に周りの子からいじめを受けていた経験はありますが、当時のことはよく思い出せません。
旦那以外は誰も知らない。かろうじて旦那の同期と少し面識があるくらい。
ここには徒歩で行けるデパートもショッピングモールもないし、好きだったチェーン店のカフェも気分転換によく行っていたスーパー銭湯もない。大きな本屋さんやロフトや無印もない。
関西の大都市までは3〜4時間かかるし、電車やバスに乗るのは苦ではないが往復3000円以上はかかるしなんだか旦那に申し訳ない。
毎日ネットサーフィンをして、それぞれ楽しそうに仕事をして友達と遊ぶ友人達の近況を垣間見て虚しい気持ちになる。
つい数ヶ月前まで私も同じように仕事をして自分の給料で好きなものを買い好きなものを食べていたのに。飛行機に乗って彼氏に会いに行くのがとてつもなく楽しかったのに。
仕事をしようにも、再来年にはここを出てどこかへ行くし今年は数ヶ月単位で職場の変わる旦那についてきて欲しいと言われては正社員にもパートにもなれない。ここでは車がないと職場へ通うのも難しい。言い訳がましいな。
旦那に不満はない。休日はどこかへ出かけようとしてくれるし、観劇にも付き合ってくれ旅行にも行く。ちょっと寂しいのは帰ってきたらすぐ寝てしまうことくらいか。
大学時代はいつもつるむ友達はいなかったし、連絡を取る人はいない。Instagramでフォローしている人が数人。新卒で入った職場の同期は半年で全員辞めた。高校時代の友達はなんだか連絡しづらくなってしまった。私以外にももっと気の合う人がいるのだろうしオタクでなくなった今なにを話せばいいのか…。
好きな芸能人やミュージカルやファッションやコスメや美容の話をしたい。もしもこのまま子供ができたらそんな話は一生できないのだろうか。まだママにはなりたくないしもう少し私個人でいたい。そもそもママ友なんてできなさそうだし、そうなったら子どもによくないだろうけど。
あと少し我慢すればいいのは分かっているし贅沢な悩みなのだろうけれどしんどい。
札幌に飽き飽きしていたけれどここはもっとつまらない。つまらなくなるような努力をできない自分もつまらないし嫌い。結婚したって引っ越したってなにもなかった人間は結局なにもないまま。
一人でどこかに出かけたい。
読み返したら住んでるところもわかりそうなもんだけど別にいいや。