はてなキーワード: イエローカードとは
そもそも要介護の酩酊状態になるまで飲む奴は一切の被害を訴える資格がないし、飲ませたやつには何かしら刑法上の罪を構成してほしい。
それができないならせめて行政法上の罰則を設けてほしい。具体的には
①本人の許容量をきちんと会社で測って登録するようにしろ。映画「ジョーカー」であーさーがやってたみたいにすぐにカードで「私はこのくらい飲めます。それ以上は無理です」って出せるようにしろ。
②それ以上飲んだ結果要介助状態になったら罰金。それ以上飲ませた人間は罰則およびイエローカード登録だ。イエローカード累積やレッドカードがでた人間は3か月飲むことも飲ませることも禁止しろ。
いまって本人の許容量を超えてるのを知っててそれ以上飲ませるのが当たり前になってるだろ。 アルハラって言っても立場が弱い人間が訴えられるわけないんだから無意味だ。 ちゃんと行政で規制しろ。
③前後不覚になるような状態になったやつが出た場合、その場の人間の負担でタクシーを呼んで自宅まで送り届けなければいけないなどの規則を作れ。
④公共交通機関で吐いたやつはその場で身分証明書を提示させて後日保護者や会社に報告が行くようにしろ。公共交通機関は何回か同じ会社がやらかしたらその会社を公表できるようにしろ。
なんで調子に乗ってゲロはくような人間を、駅の職員がボランティアで救護して、ゲロの片づけを無償でやらされなきゃいけないわけ? おかしいだろ。ほんと駅員さんが河合荘。
ゲロ吐くまで飲むような奴は寒空で放置して死んでも駅員が責めらないようにしてあげて。
駅員に介護の義務を求めるなら、その分について社会がちゃんとそのコストを負担しないとだめじゃん。
「前後不覚になるまで酔ってる人間は、即座に保護されるべき」(ただし有償で)
あの事件でドアマンがなんでその場で声をかけなかったんだと責められてるのは
世間の認識が酔っぱらいに対して寛容すぎるからっでしょ。ドアマンさんほんとかわいそう。
伊藤さんを追い詰めたのは社会の酒飲みに対する過剰な寛容さが大きな原因だ。
1件目か2件目かで前後不覚になるほど酔っぱらっていたなら、
「たとえ合意があろうとも」絶対に自宅にタクシーで送る。そうしなければギルティ。
同意うんぬんとか抜きにして許容値以上酒が入った状態でセックスしたらどっちもギルティ。
ってなってれば誰も不幸にならなかった。伊藤さん本当に可哀そう。
男だろうが女だろうが酩酊するまで飲むような事態が簡単に発生する世の中はクソ。
なおほかの国のことなんかまったく知らんもよう。
まずライブハウスで近くにいたおっさんが調子こいて踊ったり仲間と騒ぐので、
近くで見ていた俺としては身体がぶつかったりアーティストを見る邪魔になったりで、非常にウザかった
ロックに生きるアウトサイダーな自分がアイデンティティなのか知らないが非常に見苦しい。法律で死刑にしてほしい。
俺の身体にがんがんぶつかるは、つり革掴んだ手が頭に当たるわで、一発殴ってやろうかと思うぐらいウザかった。
世の中の人は普通の務め人として40年間満員電車に乗りつづけるわけだが、
面白おかしくでも高クオリティに作られたコラがいつの間にかホンモノの画像って事でばら撒かれるようになった。
今ツイッターで起きていることと基本は一緒なんだよ。
ある事象についての一部分だけが切り取られて、それに対して別の意見が付け足されて拡散され、いつの間にか事実の側が意見からの逆算によって推察され本来の物とは別のものに変わっている。
それで私は何が言いたいのかって言うと2つあって
だってもう面倒くさいじゃん。単なるネタがいつの間にか一部の人間に武器として利用されるのって。
土木工事のために作ったダイナマイトが戦争の道具になって金持ちになったノーベルが最後は病んで「人類の未来に貢献した人を偉人として祀ろう」とかFGOみたいな事言いだしたのと同じ状況よ。
やめよう。
その流れは面白くない
まあココに関しては最初からゴールポストが「ガチの政治議論」「単なるネタ」っていう両端の中央に置いてあって、状況に合わせて動かせるようにされているんだろうなって気がするからこっちもマジメに取っ組み合う気はないかな。
どうせ状況に合わせてユラユラ動かすんでしょ?
こうやって言われたら今度は「レッテルを貼ってきたな!さすがはクソ共だ!」とトラップカード発動ってなるように仕組まれてる気もするけど乗っかりました。
何だろうね……そもそもネットにある政治活動のほぼ全てがこの「ゴールポストをガチとネタの中間地点に置いて状況に合わせて動かす」をやりまくっているのを散々見てきたんだけど、そろそろイエローカードを叩き込まれる時期に来てると思うよ。
これは別にネットで政治議論を刷るなって話じゃなくて、ガチで話してるのかネタで話してるのかは自分の中で切り分けておくべき時期に来たっていうのと、自分はネタだと思っても相手はガチだと捉えられるリスクの高まりがヤバい時期だから「ネタだから許される」っていうラインを超えるのは、個々人の生存戦略としてはもう止めた方が良いんだろうね。
前回、オーストラリア×ウェールズの試合をパブリックビューイングの模様とともにお伝えしたが、1日遅れのレビューもたくさんの人に読んでもらえて嬉しい。
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先週、プール最大の強敵アイルランドを下してどこか祝祭的ムードが漂う日本だが、体重100kgオーバーでありながら50m・6秒台を叩き出す「巨漢超特急」を並べる今夜の相手、サモアは決して侮れない。
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4年に一度のW杯、増田としても全試合を追えれば最高なのだが、サモアに関しては実際の試合を見たのは24日のロシア戦のみ。
その試合のサモアは、スコアだけ見れば34-9の圧勝なのだが、内容といえば両軍合わせて3枚のイエローカードが乱れ飛ぶ乱戦で、サモアは1時期13人で戦っていた。
また、トライを積み上げたものの、それは個々の突破力で取ったものであり、キックを織り込んだりセットプレーのような準備が必要な高度な戦術は取れていない印象があった。
おそらくその荒さが、30日に戦ったスコットランド相手には格好の付け入る隙と写り、0-34という結果を呼んだのではないだろうか。
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ちなみに出なきゃ最高のイエローカード、出てしまうと10分間の退出となり、当該選手はペナルティーボックスに送られ、チームは1人少ない状態で戦わなければいけない。
Sin-binと呼ばれるそれは直訳すると「罪の箱」、意訳なら「留置所」とでもいうのだろうか、全く身も蓋もない表現である。
直前のイングランド×アルゼンチンでは、イエローどころか、わずか17分で試合からの完全退場となるレッドカードが飛び出した。
フィジカルに要求される強度が高いラグビーでは、長時間少ない人数で戦うのは危険が伴うと思う。
日本はいろんな意味で「『当たれば』デカい」サモアを封じ込めて、プール突破に前進できるだろうか。
ここで個人的な趣味を挟むと、増田はどことなくかりゆしを思わせるサモアコーチ陣の衣装がなんか好きだ。
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国歌斉唱に続いて、サモアによるウォークライ・シバタウが演じられる。
先週の敗戦からチームを作り直さないといけないサモアだが、それがうまく運んだようにも映る一糸乱れぬ見事なパフォーマンスだった。
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日本はその後の攻防で攻め込み、後手を踏むサモアの反則を誘ってペナルティーゴールを獲得。
これを決め3-0。
6分には自陣のスクラムから一気に深く攻め込む日本、またもサモアのディフェンスの反則を誘い、再びペナルティーゴールで6-0。
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13分にもサモアはマイボールスクラムからペナルティーを獲得し、前進。
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20分、キックから始まる攻防のプレッシャーの掛け合いで、日本は敵陣ラインアウトを獲得し、セットプレー。
ここからディフェンスの反則を誘い、ペナルティーゴールで9-6。
リードこそしている日本だが、今日のサモアはいい集中力を発揮し、ペナルティーゴールの応酬で振り切ることができない。
地上戦のレフェリングの解釈と、サモアの集中力で、密集戦での冷静さと我慢が鍵を握る試合になってきた。
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24分、フォワード、TJ・イオアネが松島に対する、遅すぎてかつ相手をしっかり掴んでいない危険なタックルでイエローカード。
シンビンだ、サモアはこの試合でも14人での戦いを強いられる。
27分、この数的優位を活かし、最終的に大幅に攻守の人数差を作り出したプレーで日本はトライを獲得。
コンバージョンも決まって16-6。
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離されたくないサモアは、33分、キックオフから反則がらみの展開でペナルティーゴールを獲得、16-9として前半を終了。
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その結果、ハイボールのコンテストからの攻守の入れ替わりが激しい。
常にリードはしているものの、攻守のキワでのペナルティーが多く、サモアにキックでついてこられているのは気がかりだ。
後半どう修正していくのだろうか。
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後半の修正に注目していた増田だが、後半の日本は前半に増して徹底的に蹴る。
前への圧力が強いサモアだが、そのせいかラインの後ろが大きく開いていて、今日の日本のキックはそこに蹴って走らせるのを狙っているのかもしれない。
これがいつ効いてくるか。
試合の均衡は突如崩れるかもしれない。
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43分、密集で反則を獲得したサモアはペナルティーゴールで16-12に迫る。
50分、今度は反則がらみからの攻防で、密集戦に手を突っ込んだ日本FW・姫野がサモアの「ボールを置けない」反則を誘い、ペナルティーゴールを獲得し19-12。
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サモアは脚が止まってきて、日本のランに完全に後手を踏み始めた。
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ここでキックでサモアを撹乱していた山中にかえ福岡堅樹を投入、この時間から走りあいを挑む気だ。
対するサモアはここで、37歳の大ベテラン、トゥシ・ピシを投入して流れをもっていかれないようにする。
59分にはキックオフから大きく攻めたサモアだが、これを力負けで押し返されてしまう。
サモアにとってはリソースも少ない中、嫌な時間で押し切れなかった。
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60分すぎ、日本はSH流に変わって田中史朗を投入、体力もメンタルも追い込まれている今のサモアにとっては、流れを読んだ上で一番してほしくないことをしかけてくる、最悪に近いいやらしさを持つ男がピッチに現れた。
続く67分、接点でも押し負けはじめているサモアに対して日本が投入したのが重機のように前進するヘル・ウヴェ。
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なんとか試合を蘇らせたいサモアは70分、日本陣深くのセットプレーからついに待望のトライを獲得。
コンバージョンも決まって26-19。
しかし75分、日本はもう蹴る時間じゃない、キックオフからの連続攻撃でロケットのように加速する福岡堅樹にボールが渡りトライ!
31-19。
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80分すぎのラストプレー、サモアがゴールラインを背にしてマイボールスクラムという、1週間前のカーボンコピーのような展開になったが、予選突破の望みをつなぐため、ここで試合を終わらせる合理性はないサモア、予選突破に向けもう1トライ欲しい日本。
似た状況で全く違う意味を持つ状況となった。
お互い試合を切れないスクラム合戦の中、この攻防で日本がスクラムを獲得、最後の最後まで相手に我慢を押し付けて、ここからの攻めで松島がインゴールに飛び込んだ。
日本は80分の試合を大きく捉えたゲームデザインで、しっかりとチームを立て直してきたサモアをさながら詰将棋のように沈めた。
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さて、第3戦目も終わり、そろそろ星取り勘定も気になってくる。
今日の結果でノックアウトラウンド進出がなくなったサモアとロシアを除けば、勝ち点状況は日本14、アイルランド11、スコットランド5。
水曜日に行われる試合で、スコットランドがロシア相手に敗戦するとは考えづらく、仮にこの試合を大勝して勝ち点5を獲得すれば、日本14、アイルランド11、スコットランド10となる。
スコットランドにしてみればロシア、日本の両方相手に大量得点を積み上げて勝ち、ボーナスポイントも取りこぼさず、かつ日本のトライを封じないといけなくなった。
「オープンなプール」と目されていたプールAは、その突破をかけ、目を離せない緊迫した状況のまま最終戦を迎えることになる。
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前回W杯、3勝しながらボーナスポイントの不足で涙を飲んだ日本。
沈めたのはスコットランドだった。
そこからの4年で大きく進化し、今夜獲得したボーナスポイント1は非常に大きな意味を持つ。
はたして13日のプール最終戦、日本とスコットランドにどんな結果がもたらされるのだろうか。
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すわ予選1位通過なら相手はニュージランドで17-145の屈辱を注ぐ再戦だ、いやもしかしたらリベンジに燃える南アフリカと戦うことになるかもしれないぞ、という声もし始めたが、その話はまだ早い。
1週間後、極上のドラマが待っている。
日曜に行われたアイルランド×スコットランドのレビューも望外のブクマ数をいただいて嬉しい。
W杯が開催された最初の3連休で増田が書いたレビューが多くの人に読まれ、ラグビーを楽しもうとするみんなの時間に少しでも価値を付け加えることができたのは、増田にとっていい休暇だった。
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そんな3連休最後の夜、豊田スタジアムでウェールズ×ジョージア戦が行われた。
随分と放送時間を割いてくれたNHKと日テレだが、現段階で日本と関わりの薄い両国の対戦は、さすがに地上波放送されず、ラグビー中継の楽しさに華を添えたい増田としてもレビューで価値を提供できるのか迷った。
しかし増田が個人的に両国に思い入れがあり注目しているのと、地上波放送がある29日のウェールズ×オーストラリア戦が当日の所用でおそらくリアルタイム観戦できないので、それならば「プレビューがあれば」との声に応えて、この試合を解説して今大会のウェールズがどうなのかという視点から29日のプレビューのような役割を果たしたいと思う。
また、異様に個性的な対戦国のジョージアが今大会どういったラグビーをするのかも観戦して確かめたい。
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ところで、前レビューで、おそらくより北半球事情に詳しいブクマカがアイルランド×スコットランドの通算対戦成績に関して教えてくれたが、増田は通常、南半球のラグビーを中心に追っており、北半球に関しての知識は主に近年のテストマッチから得ている。
TOP14などのクラブレベルでの情報はますます少なく、大型移籍くらいしか語れない。
なので、通年追っていれば、そういった素養として当然染み付いてくるはずの知識の分厚さが心もとない。
せっかく褒めもてくれたのだから、もっと知識があれば北半球の魅力を伝えられたのになぁと思う。
オールブラックス×スプリングボクス戦でモウンガの切なさについて語ったのに、22日のレビューでは選手でなく豪出身レフェリーのニック・ベリーさんの筋肉を取り上げたのはそのためだ。
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今日の出場する選手でも小ネタを知っているのは、前回W杯に第1スタンドオフの怪我で第2スタンドオフから繰り上がり、今回もまた怪我のガレス・アンスコムの繰り上がりで第1スタンドオフになったウェールズのW杯男ダン・ビガーと、増田が仕事の情報収拾でウェブサイトを見ていたらワイルドなイケメンとしてスーツの宣伝キャラクターに起用されていたダン・ビガーと、プレースキックの前に文字で表現するのが難しい独特のプレ・パフォーマンス・ルーティンを行うダン・ビガー位だ。
誰か、北半球について追っている人がいれば、みんなでより楽しくW杯を見られるのになあと思う。
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さて今日の話題、大相撲の力士、栃ノ心の出身国という以外、日本ではあまり馴染みのないコーカサスの国ジョージアだが、ジョージアの男は伝統的に体が強く、相撲だけでなくラグビー、レスリングなど取っ組み合いを伴う競技やパワーが決する競技を得意としている。
かつてはその異常なパワーを最大限に生かしてひたすら縦に前進する「幅5mでやるラグビー」などど言われていたが、近年はそれだけでは勝てないと展開ラグビーにも力を入れ、それが功を奏してランキングを上げてきていた。
それでもこの国の最大の強みは「スクラム」だ。
ジョージアにとっては、スクラムでの勝敗が自分たちのアイデンティティに直接関わってくる。
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正真正銘の優勝候補、ウェールズと並んで入場してくるジョージア代表。
昨日のアイルランドもどこかただ事でない空気をまとっていたが、ジョージアはジョージアでシャレにならない男臭さを放っている。
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試合は開始早々、ウェールズのキックオフをジョージアが落球し、いきなり注目のスクラムとなった。
ここからウェールズがくり出した攻撃を止めたジョージアだが、その過程で前に落球してしまい、再びウェールズボールのスクラム。
この後ろのディフェンスラインに隙間があり、ウェールズがそこをめがけて、さながら赤いロケットを発射するように大男を3人走り込ませる。
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コンバージョンキック前のルーティンが話題になったSOダン・ビガーだが、真ん中の超イージーな場合まではやらない。
5-0。
ウェールズは6分にもペナルティを得てダン・ビガーがペナルティキック。
流石にこれはルーティンをやったが、以前よりルーティンが小さくなっている。
独創的すぎる動きのせいで前回W杯以降、世界中であまりに弄れらたので修正が入ったのかもしれない。
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11分、今後はジョージアが得意のマイボールスクラムで崩しにいったがウェールズが動かなく、その後の処理を誤って相手にラインアウト与えてしまう。
そこから準備されたセットプレーにふり切られたジョージアはトライを食らう。
続く18分にもウェールズはラインアウトからの攻防で、またもスッポリ開いたディフェンスラインの穴を突きトライ。
ジョージアはセットプレーから一発の攻防で3連続のトライを許した。
ダン・ビガーがもうちょっと動きが大きくなったルーティンから正確なキックを放ち、22-0。
ウェールズは39分にもラインアウトから次々とランナーを走り込ませてトライ、最後のコンバージョンを沈めて29-0とした。
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ジョージアのパワーを跳ね返してセットプレーから前半だけで4トライをあげたウェールズ。
パワーで押しきれなかったことが点差以上に屈辱的だったジョージアはどう修正するか、このままでは引き下がれない。
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後半、キックオフ直後の41分、偶発的に起こったようなウェールズの反則で、ジョージアはラインアウトを獲得、そこからのモールの攻防を押し込んで初トライを奪う。
このトライは点差だけでなく「力押しで勝った」ことでジョージアに面目を取り戻させた。
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46分、ウェールズのラインアウトのタイミングでジョージアは一列目の3人を変更。
ラインアウトからモールを形成して押すウェールズにジョージアはたまらず崩してしまうが、この崩し方がよくなかったということで、イエローカードが提示され、いきなり投入した3人のうち1人、ジャバ・ブレグバゼを一時的に失った。
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54分にはウェールズが持ち込んで形成された密集を交代で入ったジョージアの18番レバン・チラチャバがパワーで捲り上げてボールを取り返し、続くスクラムでも押し勝って優勝候補に自分たちの強みを見せつける。
会場の雰囲気はジョージアへの期待に溢れ、点差は開いているのに感情の熱量が上がっていく。
62分の攻防でも再びウェールズのボールをチラチャバが密集から引っこ抜き攻守逆転。
ハーフタイムのジョージアロッカールームで一体何があったのだろうか、豊田スタジアムには球技というよりまるで決闘が行われるコロシアムのような歓声が上がった。
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すぐに切り返したウェールズがディフェンスラインの裏に蹴ったキックを走力でトライ、36-7とするが、68分、またもスクラムで押し勝ったジョージアはそこからの攻防で三度現れたチラチャバがボールを地面にねじ込んでトライ。
豊田スタジアムの観客はスタンディングオベーションで、あまりのことに勝っているウェールズのウォーレン・ガットランドヘッドコーチはお通夜のような顔になってしまった。
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完全にジョージアホーム状態の会場の中、なんとかジョージアの息の根を止めたいウェールズは75分、鋭いランで次々とジョージアのディフェンスをかわしてトライ。
この後点は動かずノーサイドとなった。
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43-14、数字だけ見れば完敗のように見えるジョージアだが、後半だけ見れば14-14。
列を作ってウェールズの選手の拍手で送られるジョージアの選手は3万人を超える観客に漢を見せつけた。
前3戦で戦術の話をして面白さを伝えようとした増田だったが、それをしようにも、今夜はなにかそれを超えるものの存在感が大きな試合だった。
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さて、この試合で若干の不安を見せた優勝候補のウェールズ、次はオーストラリアとの大一番に臨む。
今日後半に度々食らった密集でのターンオーバーは修正できるだろうか。
オーストラリアにはこのプレーの名手、デービット・ポーコックがいる。
29日の試合では、ウェールズがここを修正できたのかにも注目してほしい。
若い頃に比べてやらかす頻度は激減したけどつい先週久しぶりにやらかしてしまった。
彼の頼んだホットコーヒーがテーブルにきたとき、俺がストロー(その場で開けた未使用品)をカップに入れて吸い始めるフリをしたら、後輩君の顔色が一気に変わった。
一瞬間を置いて「いやいや」とか苦笑いでつっこんでくれたけど、最初は明らかにキレかけてた。
怖かったもん。8つも下なのに。
油断したとき、機嫌いいときこういう風に相手がキレかねない悪ふざけやっちゃう人いる?
実際この癖直さないでいて社会生活送る上でえらい目にあったりした?
あとこういう悪ふざけやられちゃう人の話も聞きたい。
https://note.mu/satonao310/n/nd7256bae4a27
この記事とブコメが酷いのと、サッカーのファウルについて勘違いしている人が多い。
まず、サッカーは審判の言うことを聞かない、とかいうこの記事は何か勘違いしていて
サッカーでレフェリーを欺くようなプレー(シミュレーション)をすると、一発でレッドカード退場になります。
有名どころではかの有名な2002年ワールドカップのイタリア・韓国戦で
当時のイタリアのエースだったトッティがペナルティエリアで倒れたのをシミュレーションとして一発退場になりました。
(まぁアレが本当にシミュレーションだったと思ってる人はほぼ居ない気がするけど)
ともあれ、審判に口答えしたら基本的にはイエローカード、もしくはレッドカードなので
審判の言うことを聞かないとか欺くとかいうことは誰もしません。
というか、残念ながらほぼ全てのスポーツで審判の言うことを聞かない奴なんかいません。
ベースボールも審判の言うことは絶対で、昔の日本の野球では審判の言うことを聞かないことが多く、外国人助っ人が驚いたっていう話はよく聞きました。
で、ごくごくたまーにそういう奴がいて、たいていの場合はレッドカード退場とかになるんだけど
「あんなんで転ぶなよwwww」
みたいなのをよく見ますが、全力で走ってる人の足を引っかけたら転びます。当たり前です。
歩いてるときならリカバリできたとしても、全力で走ってる人間は転びます。
しかもだいたい後ろから引っかけられるので気付かずに転びます。
そもそもスライディングに来るのが見えたら避けようと無理な体勢になるので場合によっては転びます。
野球のボールなんてスローなら打てるでしょ、とか、イレギュラーバウンドも捕れるでしょ、とかいうぐらい意味が無いです。
てか、ラグビーも転んでるよね?そりゃタックルされたら転ぶけど、ちょっと触られただけで転んでるよ。
ラグビーは転んでラックに持って行くから誰も指摘しないけどね。
倒れた後になかなか起きないとか、イタイイタイしているのはどうかっていうのを聞くけど
で、しばらくしたら元気に走ってて「なんだあいつは!」みたいに言われることもあるけど
痛いのに頑張ってピッチに戻って「本当は痛くないんじゃ無いの?」とか言われることほど悲しいことは無いよね。
ただ、サッカーファンからしても中東の時間稼ぎ作戦は本当に見るに堪えなくて
FIFAは本当にどうにかして欲しいと思う。最近はマシになってきてるけれど。
どちらにしろ、スポーツのチーム同士や選手を批判することは百歩譲っても
スポーツそのものを批判するのはいい大人のやることじゃないよね。
昨日のオールブラックス×スプリングボクスの試合レビューも好評で、なによりラグビー観戦が楽しくなったというブコメが嬉しくてたまらない。
増田としては、「わかりづらい」と言われたり、「興味ない」と言われたり、そうかと思えばどうも変な話題が注目されたりするラグビーの、その競技自体の楽しみを分かち合いたかった。
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今日22日は、日本と同じプールでやがて相まみえるスコットランド×アイルランドの試合が行われた。
もうすぐ戦う相手がどんなチームかを知れば、単純に「日本頑張れ、すげー、なにやってんだ」以外にもうちょっと違う楽しみ方を提供できるかも知れない。
この対戦のキーワードは「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」、そして「雨」だ。
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「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」は、敵味方の状況に応じた陣形の状態で、「ストラクチャー」とは攻守双方、準備万端ラインが整っている状態をさす。
対する「アンストラクチャー」は、ライン状態がグチャグチャで、攻めようにも綺麗にできないし、守ろうにも予測不能な状態を指す。
「ストラクチャー」はスクラムやラインアウトから、「アンストラクチャー」はハイパントの落下点の競り合いや、相手の攻めからボールを引っこ抜くなどターンオーバーから起こりやすい。
「ストラクチャー」は準備がモノを言い「アンストラクチャー」はしばしばアドリブ合戦になってしまう。
両国の関係でいうと、アイルランドは「ストラクチャー」に強く、スコットランドは「アンストラクチャー」に強い。
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ただここに要素を加えるのが雨で、アンストラクチャーからスピーディーなアドリブを仕掛けようと思うと、パスが速かったり複雑になりやすく、雨でボールが滑ると厄介なことになる。
ストラクチャーでも複雑なことはできるが、短いパスや力押しで極限まで単純に、遅く、確実にもできる。
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両国の力関係でいうと、アイルランドが圧倒的に強く、スコットランドといえばUK陣の中では身体が小さく、常に相対的弱者、いつでも工夫と諦めない姿勢でサバイブしてきた。
しかし今日の天候いかんで自分たちの強みを出しづらくなる可能性がある。
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キックオフ、試合の入りはスコットランドがキックを執拗に蹴って自分たち好みのアンストラクチャーゲームを演出、しかし5分、逆にその混乱から抜け出したアイルランドがパワーでねじ込んでトライを奪った。
アイルランドは世界最強のフィジカル軍団などと言われて、確かにそうなんだが、反応速度も個人のスキルも、戦術眼も高い。
スコットランドはそれでもキックで不確実性からチャンスを探すプランを変えない。
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両チームもスプリントが爆発的に早いので何が起きるかわからないスリリングな展開の中、14分、アイルランドがペナルティーを得て必殺のモールを繰り出し、2トライ目。
アイルランドの恐ろしいところは1人でも強いが、固まるともっと強いところ。
スクリングボクスはフィジカルこそ凄いが、どこかナイスガイみたいな素朴な感じがあるのに対し、アイルランドは暴力的なほど圧倒的なフィジカルで迫る上に、顔がシリアスでなんか怖いのだ。
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12点差を追うスコットランドは17分、自陣でモールをやり返す。
モールで前進できるのはいいとこ7〜8mほどなので、こんなにトライから遠いところからちょっと前進しても一見合理性がなさそうなんだが、そういうのがしばしば冷静になるきっかけだったりする。
それに、集団での力押しは合戦はラグビーでは自信や意地という面で象徴的な意味を持つ。
膂力で勝てないのが明らかでも、それを簡単に認めてはいけないのだ。
ここで一瞬流れを取り戻しかけた。
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しかし24分、ファンブルからアイルランドが大きく前に蹴り出したキックが、アイルランド陣ゴールポストに当たって、結局不利なリスタートが適応される状況になる。
スコットランドは攻めは決して悪くないのに、運が悪く、猛スピードで台風のように迫る怪力男だけでなく、運とまで戦わないといけない。
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その後、何度もスリリングな展開があったが、スコットランドは必死の抵抗でギリギリのところで踏みとどまる。
16点差をつけられたスコットランドは2トライ以上とらないと逆転できない。
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試合開始から双方蹴りまくるハイパントだが、その目指すものがアイルランドとスコットランドで違う。
アイルランドはハイボ後にタックルを食らって停止しても、ゆっくり前進すればいいし、落球してスクラムで力勝負になっても崩していける。
しかしスコットランドはできれば再獲得して、プレーを切らずに抜け出したい。
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雨という状況もあるが、キックの精度自体も全体的にアイルランドの方が高く、スコットランドは自分たちにうまくボールが入るキックを蹴れない。
スコットランドは、主にキックを蹴っていたSHレイドローを下げ、キープする戦術に変更した。
しかし、そもそもが展開でアイルランドのディフェンスを突破できないからのキック戦術であり、キープして走ってもやはり突破できない。
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それでも諦めないスコットランドは70分ごろ、FBスチュワート・ホッグがぬけだし、それを止めようとしたアイルランドが悪質な反則でイエローカード。
10分間退出で数的優位を得る。
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その後点は動かず、27-3でノーサイドとなった。
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パワーで勝り、技術も高く、ストラクチャー状況でも勝てるアイルランドだが、結局ほとんどの得点はスコットランドが仕掛けるアンストラクチャーからの切り返しであげた。
スコットランドとしては自分たちが賭けた不確実性をモノにできなかったのと、雨、そして爆発的なスプリント能力を誇る飛び道具のスチュワート・ホッグが完全に封じられたのが痛かった。
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この試合を通して、両軍が蹴りまくったハイパント、ブコメで「古典的な戦術だ」という意見があった。
慧眼のファンがいて嬉しい。その通りだと思う。
ただ、あの瞬間に何が起きているのか、みんながもっと楽しむために、増田にさらに解説を付け加させてほしい。
確かにハイパントは昔からあるプレーで、「弱者の戦術」と言われていた。
20年ほど前の大学選手権では明治や早稲田に挑む慶應大学がよく使っていた記憶がある。
ただ、近年活用方法が変わってきて、増田の記憶に残っている観測では前回のW杯直後にオールブラックスが採用し出した。
不確実性では同じだが、ハイパンを相手がとって着地した瞬間にタックルを見舞って止める、あわよくば誰かが落下点に走り込み競って直接再獲得、相手がファンブルした場合、プレーが止まればノックオンという反則で自軍スクラムだが、笛を待たずに自分たちで拾って継続すれば、自軍有利なのでプレーは継続される、その瞬間はディフェンスが崩れきっていて最大のチャンス!という確立された戦術に変化した。
これは、選手のアスリート能力の向上と、戦術分析を背景に、地上戦だけのディフェンス突破が難しくなった事に対する対応だった。
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今日の結果を見れば、アイルランドには隙がなく、スコットランドの方が相対的に与し易くも見える。
しかし、じゃあ、スコットランドをターゲットにして、アイルランドは負けても仕方ないよね、という損得勘定でスコットランドに臨んで勝てるだろうか。
理屈で言えばそうかもしれないが、増田はこの絶望的な状況でも諦めないクソ意地を見せつけたスコットランドに、そんな半端な精神性で挑んで勝てるとは思えない。
そもそもスコットランドは「相対的な弱者」であって、日本にとっては「強者」だ、「弱者の戦術を知り尽くした強者」ほど困った敵もいない。
「アイルランドを抜いて戦う分、スコットランドで必勝」などというヌルい精神状態を利用されない訳がない。
今日わかったのは「アイルランドは引くほど強い」「スコットランドはどんな状況でも諦めない」という事だ。
さて、日本はこの2国にどう挑むだろうか。
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最後に、レフェリングへの絡みについて質問があったので少ない知識でも答えられることを答えたいと思う。
ラグビーにおいて、レフェリーに対して長く会話ができるプレーヤーは双方のキャプテンのみ。
それも、レフェリングに対して「抗議をする」というより、レフェリングへの「解釈を聞く」というもの。
なぜそうなるかというと、そもそもラグビーはレフェリー不在で始まったスポーツであり、「ラガーマンとして恥ずかしくなく振る舞おうぜ」って具合に選手同士の話し合いで反則の適応を決めていたのだが、あまりに速く激しく複雑になりすぎて、「これちょっと選手同士じゃ無理だね、誰かに頼むか」と「判断をお願いする」形でレフェリーが登場した。
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そして「解釈」なんだが、ラグビーではあまりにもカオスなことが起こりすぎて、反則などについてきっちりしたルールを文字通りに適応すると、しばしば「あれ、反則もらったけど逆に損じゃん」という矛盾した状況が起きてしまう。
また、外から見るとわかりづらい状況でレフェリーによって、反則のラインが異なったりする。
典型的なのがスクラムで、あれは「故意に崩すと反則」なのだが、何をもって「故意」とするか、それにどっちが「崩したか」が非常にわかりづらい。
その判断はレフェリーに委ねられ、プレーヤーが「そりゃねーよ」と感じても「抗議」はできない。
せめて「あれアリですか?」「アリ」「どこでアリです?」「さっきのアレ」という感じで「解釈を聞いて活かす」ことしかできない。
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レフェリーはフィールドでは絶対権威なので、じゃあレフェリーは好き勝手に笛を吹いて選手は従うしかないのかとなるが、そこで問題になるのが「解釈の一貫性」で、解釈の線がブレると選手はレフェリーに振り回されることになる。
そうなると、「あのレフェリーって笛に一貫性がないよね」となり、あんまいい評価をされない。
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でも、多分、問題は「評価が下がる」ことじゃなくて、「そんな笛を吹いて自分に恥ずかしくないのか」という事だと思う。
他者が律するとこができない権威なら、自分で自分を律するしかないのだ。
選手がレフェリーのせいにしないように振る舞うなら、レフェリーもまた自分の笛に責任を持たないといけない。
ラグビーに関わるなら、選手もレフェリーも、すべての人が「あいつがああいった」とか「自分が偉い偉くない」とかそういうことではなく、それに「ほかの奴はああじゃん」とかそういうことでもなくて、「自分がどうなのか」ということなのだ。
あんなにクソ走るスポーツについていきながら、不可解な状況を判定し、その上一貫性についても責任を持たないといけない、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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ちなみに地上波放送されなかったイタリア×ナミビア戦では、スクラムを真横で見ていた豪出身のレフェリー、ニック・ベリーさんが、持ち出したボールでスクラムの真横を急襲しようとしたイタリアの8番に激突されるという一幕があった。
まあベリーさんは元ラガーマンで、レフェリーに転身してから現在も「その筋肉、いる?」って位にムキムキなので事なきを得たが。
もう一回いうけど、ラグビーのレフェリーというのはスゲーと思う。
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日本からは今回、アシスタントレフェリーとして、久保修平さんが参加している。
中継で名前を見つけたら探してみてほしい。
中学生の頃、僕は好きだった子に告白をした。恥ずかしさが勝って直接言うことはできなかった。授業中や放課後にやり取りしていたメモ書きの延長線上で、思いの丈を書きつづった手紙をこっそり渡した。
その翌日、下校しようとしていた僕はその子から手紙を受け取った。
「じゃあね」
間違いない。告白の返事だろう。結果は何も分からないのに、勢い余った嬉しい気持ちが胸にこみ上げてきた。
下校するのを止めた僕は、滅多に人が来ない最上階の踊り場に駆け上がると、すぐに手紙を読み始めた。
「好きになってくれてありがとう。」
手紙はそんな言葉で始まっていた。天にも昇るような気持ちになったものの、読み進めていくうちに徐々に冷静さを取り戻していく。
雲行きが怪しい。手紙の最後は「ごめんね。」という言葉で括られていた。
じわじわと別の波が押し寄せてくる。悟った。ふられた。
優しい彼女は、言葉を選びに選びつくして、僕ができるだけ傷つかないように手紙をしたためてくれたのだろう。彼女の真意にすぐに気づくことができず、それだけ失恋の反動は大きかった。
しばらく独りになりたかった。日の当たらない最上階の踊り場は、陰鬱な気持ちに拍車をかける。ここではないどこかへ行きたくなった。
僕の通っていた学校は、最上階の渡り廊下から校舎の屋上を眺めることができた。そして廊下の付け根から手すりを乗り越えると、屋上まで歩いて渡ることができた。もちろん、そんなことをしてはいけないのは明白だった。
それでも、好きな子から手紙を受け取った高揚感とふられてしまった喪失感が妙に入り混じったその日の僕には、冷静な判断ができなかった。
人生で初めて屋上に立ち入った僕は、屋上の床が見た目と違って意外とふかふかしていることに感動した。いつもは教室や渡り廊下からしか見下ろせなかったグラウンドを見渡してみる。部活中の生徒が小さく見えた。周囲には学校以上に高い建物はなかった。空が広かった。
ふかふかの屋上に寝転がって、ポケットに突っ込んだ手紙を広げてみる。何度読んでも結末は同じだった。
いつの間にか日も暮れかかって、少し肌寒くなってきた。下校時刻だ。屋上に侵入したときと同じ手すりを乗り越えて、渡り廊下に戻ってきた。
その時、死角にいた初老の先生と目があった。普段は高等科の担当で、週に一回は中等科でも授業を受け持っている数学の先生。お互い顔は見知っていた。
血の気が引いていく。どう言い繕ってもごまかすことはできない。叱られる。終わった。
そんな絶望感に苛まれた僕に、先生がかけた言葉は意外なものだった。
そう言うと先生は、何事もなかったかのように渡り廊下を抜けて職員室の方へと歩いていった。
何が起こったのか、しばらく頭の中で整理がつかなかった。
何となく落ち込んでいる雰囲気を察して、今回は見逃してくれたのかもしれない。先生のちょっとした優しさが、今の僕には嬉しかった。
ポーランド戦、スタメンを6人変えた時点で少なくとも西野監督の目標は「決勝トーナメント初戦突破」なのだと思った。
もし、決勝トーナメント出場であれば、スタメンをあそこまで弄る必要はなかったに違いない。言葉は悪いが、1戦目2戦目に比べ非常に不安のあるスタメンを選んだのは、あくまで決勝トーナメント初戦を突破することを目標にしており、ではその目標を達成するためにはポーランド戦を如何に余力のある状態で突破するか、というのが目的となる。
勿論勝利、もしくは引き分けに持ち込むことが出来ればそれが最上だった。
しかし、残念ながらそのようにはならなかった。1点取られたことにより、日本は他会場の試合結果に運命を委ねるという方法を選択した。
1つは、決勝トーナメント初戦突破のため、最悪の方法で最良の結果を手にした、ということだ。
西野監督は賭けにかった。もっと良い方法で決勝トーナメント進出を決められれば良かったのだが、しかし世界はそんなには甘くなかった。それでも、西野監督の第一目標である「決勝トーナメント進出」は果たせたのだから、その点は評価すべきである。
それも「決勝トーナメント初戦突破」のため、恐らくは主力になるであろうメンバーに休息を取らせることにも成功しているのだから、これは弱者である日本にとっては最良の結果であると言うべきだろう。
しかし、それはこの判断をした西野監督、それに従った選手が、ではない。
そのような選択をしなければならなかった「日本代表の弱さ」が、だ。
ポーランド戦で引き分け以上に出来ていれば、このような批判を浴びる必要はなかった。あるいはセネガル戦に勝利していれば。
しかし、現実にはそうではなかった。このような選択をすることになったのは、日本代表が3戦目までに決勝トーナメント進出を確実に決めることが出来なかったからだ。その弱さを、私は批判すべきだ、と思う。
日本にそれは高望みだ、と思う人もいるかもしれない。けれど、私はやはり日本代表が強いサッカーをするところが見たい。例えそれがどれだけ可能性が低く、どれほど時間が掛かるか分からないようなことだとしても、私は一人のサッカーファンとして、日本代表のファンとして、それを望む。
あの終盤は酷い試合だったし、酷い内容だった。けれど、それはあのような選択をしなければならない弱い日本が悪いのであり、あのような姿を見ないためには、日本が強くなるべきだ。
同時に1つ認めるべきでもある。
弱者であった日本代表は、「あのような選択が出来るほどに強くなった」のだ。
1戦目のコロンビア戦で勝利し、2戦目のセネガル戦で引き分けた。
更にイエローカードの数では、同成績のセネガルよりも少なく済んだ。見方を変えればそれは、よりリスクを少なくして相手のチャンスを潰してきた、とも言える。
1戦目、2戦目の戦いがあったからこそ、3戦目にあの選択肢が生まれたのであり、今まではそれすらも許されなかったことを、きっと私たちは忘れてはならない。
まだまだ日本は「勝ち方」にこだわれるような強さを持たない。W杯のような遥か格上のチームばかりが相手では尚更だ。
狭く言えばシミュレーションとかダイブとかいうやつ(わざと倒れて審判を騙すこと)なんだけど、
あれがどういう扱いなのか簡単にまとめておく。
まず言っておくと、シミュレーションは反則だ。
バレればイエローカードだ。
擁護するあまり「ダイブは許されている」とか言ってしまうサッカーファンもいるけど、
この選手は世界屈指のストライカーであると同時に最悪のダイバーでもある。
(逆にメッシなんかは倒れないことで有名)
今回のW杯でも注目してくれよな(しなくていい)。
さて一方で、サッカーにおいて多少のマリーシアが求められるのも事実だ。
「ファウルを捏造するわけではないがファウルを誘うようなプレイはする」
「わざと倒れるわけではないがタックルをされたら無理して堪えない」
首尾よくPKでも獲得すれば「ファウルを誘った選手が上手かった」と賞賛される。
それと、タックルを受けたときに無理に堪えるのは怪我のもとでもある。
サッカーはラグビーではないのだから、タックルに耐える必要はない(サッカーにおいてタックルは躱すものだ)。
さらに言えば、こういったダーティな行為はサッカーに限らない。
反則すれすれを狙う選手、審判へのアピールが過剰な選手、罵詈雑言の激しい選手…
野球にもバスケにもテニスにもボクシングにもあらゆるスポーツに存在している。
なぜサッカーだけ気になるのかというと、野球は毎日見て慣れているからで、バスケはまったく見ていないから気づかないだけだろう。
サッカーは四年に一度しか見ないからいつまで経っても慣れない&気になるのだと思う。
ま、こんなの気にすれば気にするほど気になってくるものなんだから、
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20130722013200
ここで言う吉野家コピペとはTwitterで吉野家コピペ貼ったらマジレス飛んできたと言う話題に対してである。
https://togetter.com/li/1195871
これって別に今の若者は吉野家コピペ知らない、といった局所的な現象として捉えられるのではなくて、抽象化して捉えると要は言語ゲームだよね、と。
そこら辺にサッカーボールが転がっていれば足で蹴る、手は使わない「サッカー」をやるように。
で、一人だけサッカーのルールの運用方法がわからず、手で持って投げたら当然イエローカードなわけですよ。
つまり、「昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家〜」から始まる言葉を見た時に、吉野家コピペという対象に対し、過去に運用されてきた言葉の交わし方のルールに対する共通認識を持った人間がゲームをしてるわけで、そのゲームのルールと違ったことをしたら叩かれるわけですよね。
何が言いたいかって言うと、吉野家コピペというルールが形成されている以上、一連の現象の中で言われている「インターネット老人」という主体が「知ってるのが当たり前」と思ってるのは当然なんだよね。ルールだから。
これってどうなんでしょうね?