はてなキーワード: アニメーターとは
増田だったと思うが、「こんな不便なBD商法くそくらえ」という様な文章を見た。
彼は好きなアニメ作品の2~3話で1個のBDを最後まで買って「なんでこんな不便なBDを買わなきゃいけないんだ」
「確かにアニメ業界がこういうので生きてるってのは分かってるから買うが、もう無理!今後買わない!」みたいな事を言っていた。
じゃあそういったユーザーを減らすにはどうすればいいのか、妄想を膨らませるとタイトルの通りの考えが出てきた。
現状、アニメから映画化といえば近年だとエヴァ、宇宙戦艦ヤマト、進撃の巨人、ガルパンがある。
という訳で考えだしたメリットについてまとめてみる。長いので、その○の所だけしか読まなくても構わない。
だが真面目に読んで考えて欲しい。考えるのを諦めた人は今期オススメアニメでも書いておけ。俺は「亜人」だ。
映画館に行けば作品が見られるのだからネタバレが嫌なら映画館で映画として見ればいい。
「地方で見られないから」「深夜は無理」「録画面倒」という様な理由はもう一切無い。
大きな映画館のスクリーンでポップコーン片手に映画を見るのだ。
現状、ニコニコ動画や月額有料ストリーミングサイトといった大手動画サイトでのアニメ本編はまだしも、
探せば世界中にある海賊版サイトのアニメ本編、大手や海賊版の本編を利用したと考えられる二次作品は
一気に激減すると考えられる。二次作品に対しての是非はさておき、本編垂れ流しが無くなるのは効果が高いだろう。
現状の通報とか第三者機関とかそういう対策にアニメ業界はお金を出せるのか。
しか~し!映画館上映のみにすることで、海賊版を出そうものなら映画館で録画→犯罪でアウト。
海賊版が生まれるのは映画館からBDに移った後になるだろうし、これは「アニメ本編よりBDを先に販売論」とも似ているに違いない。
全ての深夜アニメが移行するのは無理、また全てのアニメ好きが映画館に通うとも限らないが、有名作品の続編などが映画館上映のみとなれば
多くのアニメ好きが映画館に足を運ぶ結果になるに違いない。そうすると映画館の利用者は急増し、ポップコーンの売上も急増するわけだ!
そもそもアニメ好きは映像作品が好きか?正直これは分からない。アニメ化された○○という感じでラノベ小説・漫画・Web小説好きというのも
居るだろうし、扱われている題材がミリタリーだから、日常だから、SFだからというのもあるかもしれない。
しか~し!ここまで書いて考えてみれば映画館には様々なジャンルのアニメ以外の作品もあるじゃないか!
「こんな映画ネットで見つからなかったけど面白そう、今度見よう」で他の映画も見る人が増えるかもしれない!
しか~し!アニメ好きは実写嫌いかもしれない!これは微妙なとこだった!
映画館でアニメを見るとなれば様々な商法があるだろう。現状のパンフレットや関連グッズを映画館で販売するとなれば
アニメ好きはアニメを見なくとも映画館のショップに通い、パンフレットや関連グッズを買う結果に。
前売り券を買えばグッズが付いてくるだとかポケモンがよくやってる奴、あれもパクれば良い感じだろう。
映画を見終わった人向けにBDの限定販売、これもたまりませんなぁ!!
さてここまで好きに妄想を膨らせてみたが、デメリットについて考えてみた。
現状のアニメ制作ってただで大変そうなのに今以上映画館でやってしまったら制作陣死ぬのでは?無理だろ。
そもそもアニメ映画を出している大手のスタジオジブリ、庵野、新海、細田。凄いジブリ、パチスロ効果のエヴァ。
CMなど短編制作の新海、よろしくお願いします!の細田。ここは映画とアニメに関する技術を持っているが
主に深夜アニメを出すスタジオが映画っていきなり言われてどうだろうか。無理に違いない。いや無理だ。解像度とか作りこみとか
どう考えても無理。素人から見ても無理だって分かる。いくらなんでもむちゃくちゃすぎる。業界人を舐めている。
そんな事をしなくてもアニメ好きは不便なBDを買ってBD売上競争に自ら首を突っ込んでくれているじゃないか。
そっちにした方が手早く稼いでスタジオの名前を世に売らせて金を得て次の足がかりに出来る。それが安泰の道だ。挑戦なんて要らない。
スタジオの名前さえ売れれば海外から発注が来るだろう。海外でアニメ文化が広がれば先輩である日本のアニメスタジオに更に仕事が舞い込み万々歳。
まず現状、大手動画サイトでリピート再生したり、録画したアニメを何度も見直す、動画につけられたコメントを読む、本編実況といった
アニメ付随機能(コンテンツ)がある訳だが、これが主になってる人からの反感は少なくないはず。というか制作サイドの中にも
お金というよりはSNSや動画サイトの反応を楽しんでる人だって必ず居るだろうし、海賊版のを見に行ってまでコメントを読みながら
糧にして頑張ってるという人まで必ず居るはず。そういった事を考えた時にアニメ好きは映画館まで付いてくるかと言われたら違う気がする。
この障壁をクリアするためには映画館そのものの形を変える必要があるだろう。例えば「友達と会話しながら見てもいい上映時間回」、
「手元の画面からコメントを投稿してスクリーンに投影出来るシアター」といったもの。
更には「制作陣と見ながら楽しむシアター」といったものだ。左上に制作陣の顔がありながらアニメを見られる。
意外と面白そうである(試写会が近いか)。とはいえデメリットを完全払拭する事は出来ないだろう。
映画というのは本来2時間、最長でも3時間で終わるものであるが、
アニメの最短といっても3分アニメ*12話で36分のものもあれば30分*24話で12時間のものもあるだろう。
おいそこ銀英伝を思い浮かべたな!それはさておいて、映画館上映としたとき、上映時間はどうなるのか。
何部作とかに分けるのか。途中から見に来る結果になった人はどうするのか。例えば1話~4話を上映期間の最初から最後まで流すとした時、
その時の映画館は枠が取られる事をどう感じるのか?そういった場合の客の量の推移予測は?こうなった場合の疑問が尽きない。
デメリットその1が強すぎるのでデメリットは3つになってしまったがこんな感じだ。
自分で考えても「面白そうだな~」と感じるのだが、実現までの壁が高すぎてこの世で実行するのは無理に近いだろう。
何か革命的な流れが起きればどうにかなるかもしれないが、現状はBD商法に文句を言いながらアニメーターを食いつなぐ
彼の様な存在が必要とされる事となる。残念だ。この妄想では彼を救う事は出来なかった。
ちなみにこの文章を書く際に参考文献を探した所9年前の同様の記事が出てきた訳だが、
その人は今どういう思いを持っているのか、興味がある。以上。
アニメーターの処遇に関しては以前から問題視され度々話題に上るが、一向に改善される兆しもない。
円盤を買おうがグッズを買おうが彼等の生活が潤うことはまずないだろう。
長年問題視されている事柄がネットでやんややんや言われて解決された事例はほとんどない。
おそらく10年後、20年後も同じことが議論されているだろう。
もはや何かに対して一言いいたいだけのしがないネット民が議論するためのコンテンツだ。
正直こんなくだらない議論はさっさと終わらせたい。
物語シリーズで有名な西尾維新の原作を、シュタインズゲートなどで知られるWHITE FOXがアニメ化。
刀を使わない剣術、「虚刀流」の七代目当主である鑢七花が、幕府の命を受けた奇策士とがめと共に12本の「変体刀」を集める旅に出るというストーリー。
最初の放映された時は月に一回というアニメ史上でも珍しい放送形態だった。
それだけ時間をかけていることもあってか激しいアクションもハードなシナリオも丁寧な作り。
個性豊かな変体刀とその所有者や、愛すべき噛ませ役の真庭忍軍などのキャラクターも魅力的。
和柄のような画面も鮮やかで美しい。
個人的に西尾維新やライトノベルはあまり好きではないが、これは楽しく見れたので、そういう人にもおすすめしたい。
原作は劇団☆新感線による日本の演劇作品。作はアニメではグレンラガンのシリーズ構成などで知られる中島かずき。
アニメの制作はマッドハウスで、監督はハガレン一期やガンダム00の水島清二。
しかし圧政の中でも大きな夢を見る力強い庶民の人情物語であり、そういう意味では通ずるところもあるかも。
江戸時代、天保の改革によって質素倹約を強いられる中、もう一度でっかい花火をあげることを夢見る花火職人の玉屋清吉が、
宇宙からやってきた謎の少女ソラに依頼され長屋の仲間と協力して月まで届くロケットを作る……という物語。
基本的にコメディなノリで、江戸時代にはあり得ないような物や、パロディやメタネタも多々登場するが、江戸の生活の細かいところは妙に忠実な描写がでてきたりする。
みなもと太郎、椎名高志、竹田団吾などが手がけた、大分絵柄の違うキャラクターが一同に画面に登場するのも面白い、
昨年倒産したマングローブ制作のオリジナルアニメ。監督はカウボーイビバップなどの渡辺信一郎。
向日葵の匂いのする侍を探すフウが、粗暴な琉球出身の剣士ムゲンと、クールで謎多き流浪の剣士ジンと共に、その侍を探す旅に出る話。
舞台は江戸時代だが若者言葉やヒップホップカルチャーが「チャンプルー(混ぜこぜ)」になった独特の世界観。
基本的に一話完結で、余韻の残るほろ苦いストーリーが魅力。一方大麻回や野球回などのバカバカしい話も面白い。
刀語もそうだが、時代劇であると共にロードムービー的な面白さもある。
言わずと知れた忍たまの劇場版。監督は「おまえうまそうだな」や「トライブクルクル」の監督であり、アニメーターとしても有名な藤森雅也。
おなじみ忍術学園の面々が、戦に挟まれ危機に瀕する村を助けると言うあらすじ。
おなじみと書いたが自分が忍たまを見ていた頃より大分キャラが増えており、大半は知らない連中だったが、関係なく楽しく見れた。
子供向けアニメで時代劇映画の名作と言えばクレヨンしんちゃんのアッパレ! 戦国大合戦があるが、戦の描写はあれに迫るリアリティがある。
特に戦の背後にある政治、情報戦の描写は忍者の名に恥じないガチっぷりである。
ふわっとした正義や愛でなく、生活と権利を守る為の戦であったり、乱太郎が集団の中で自分の役割を見つける物語であったり、お子の情操教育にもよろしいのではなかろうか。
「ガラスの花と壊す世界」見てきた。
結論から申し上げれば、大ヒットは見込めないんだろうな、という感じ。決して駄作というわけではなく、見ごたえはあったのだけれど。
・キャラクターが非常にかわいく描かれている
・コンピュータ用語を多用した少し入り組んだSF作品。コンピュータ用語使うのは少し寒いというか陳腐というか。
・短い尺なので集中力が切れずに見ることができた。(途中に挿入歌の長いパートがあるが)
・終盤にいろいろと展開がひっくり返ったりまた返ったりとごちゃごちゃするのでついて行くのが大変
さて、この作品、原案はポニーキャニオンが行った「アニメ化大賞」で大賞を勝ち取った「D.backup」という作品。
そして上映時間は67分。おそらくはこのアニメ化大賞という企画において、ようやく取ることができたのが「劇場60分」という短い尺なのだろう。
そして、このアニメ化の企画を引き受けることとなったのがTVアニメ「新世界より」で監督デビューをした石浜真史氏。ポニーキャニオンとは「新世界より」で繋がりがある方。
というわけで、石浜真史氏が劇場アニメを初めて手掛けるということで、彼はいったいどういったアニメーションを作ろうとしたのか、Webや劇場パンフレットに掲載されたインタビューなどを参考にして、浅く簡単に書き連ねる。
(※この文章は筆者の独自の解釈がふんだんに盛り込まれています。)
実は石浜氏は演出経験がそんなに多くはない。元々はアニメーターであり、原画・作画監督やキャラクターデザインの仕事をしていた。90年代から活躍するベテランである。
「かみちゅ!」「NHKにようこそ!」「東京レイヴンズ」「ヤマノススメ セカンドシーズン」など、OP・ED職人としてその演出が評価されているものの、実は本編の演出をし始めたのは最近のことだ。
初めて本編の絵コンテを手掛けたのが初監督作の「新世界より」(2012年)、そして自分の描いた絵コンテを初めて自分で演出したのが「四月は君の嘘」第5話(2014年)と、かなり最近だ。
であるから、この「ガラスの花と壊す世界」を手掛けることでようやく石浜氏は「演出家」を名乗れるようになった感じだ。
原案が存在するものの、はっきりとした原作はなく、さらに原案からかなりアレンジしてもよいという自由な環境の中で、石浜監督は何を描くことにしたのか。
自由という言葉だけでは何もとっかかりが無いので、A-1 Picturesと石浜監督はまず企画の方向性を探らなければならなかった。
そして企画を持ってきたポニーキャニオンのプロデューサーから引き出せたのが「最初のマーケットを男性に絞りたい」「とにかく泣けるものにしたい」というものだった。
これを踏まえたうえで、石浜監督は原案を見て感じ取った「キャラクターの立った物語」「『知識の箱』という世界観」という要素を広げて作品を作ることにした。
結果として、石浜監督がこの作品を作る上で重きに置いたのは「いかにキャラクターをかわいく見せるか」ということだった。
プロデューサーの「リモは絶対に守りたくなる存在にならなければならない」という発言を聞き、これは外せない点であると考えた。
そして、リモをはじめとしたキャラクターの感情を中心に描き、泣ける物語にするという目標を軸に、石浜監督のセンスでさまざまな要素を盛り込んでいくことになった。
劇場パンフレットでも「すべてはリモのため」という旨の発言がある。
リモという存在がデュアルとドロシーにどういった変化をもたらし、この3人の関係がどう変わっていくのか、それを描いたのが「ガラスの花と壊す世界」なのである。
終盤の怒涛の展開も、SF的な入り組んだ設定も、すべてはリモというキャラクターのバックグラウンドを固めるためのものなのだ。
「泣ける物語」にするために固めなけらばならなかった背景のひとつにすぎないのだ。
「新世界より」では壮大なテーマを持った物語を扱った石浜監督だが、今回は少し違った点に重きを置いたことになる。
さて、石浜監督の魅力とはなんだろうか。一言でいえば「オシャレ」なことにあると思う。
独特の感性だとか、常人でない発想とかそういったものとは少し違う意味でのセンスの良さが石浜監督にはある。
そういった意味では、同時に劇場公開されている尾石監督の「傷物語」と対比構造にあるのかもしれない。(尾石達也と石浜真史は専門学校の同期らしい)
何をどう見せればグッとくるかを非常によくわかっている。映像で見せる技術がとても高い人物だ。
今回の作品では全編石浜監督が絵コンテを描いており、とにかくグッとくるカットがひたすら続く。興がそがれるダサいレイアウトが全く無い。
それに加えて、スタッフの人選にもオシャレさが発揮され、何を誰に任せるといいかという判断にも石浜監督のセンスが現れている(今回でいえば世界コンセプトデザインでの六七質さんの起用など)
そして、デザイン全体がすべて意味を持つように映像が構成されるように考えられているのだ。
非常に意地悪な言い方をすれば、リモとの出会いと別れの物語を描いた67分のPVである。
さらにプラスアルファの要素として、石浜監督のフェティシズムがにじみ出た少し艶めかしい人物描写があり、繰り返しの視聴に耐えうる映像に仕上がっていると言えるだろう。
オリジナルの劇場60分という短い尺でキャラクターの感情の動きを描き切るのはかなり無理があるものの、その映像表現力でどうにか補完したような印象である。
結果として、作品として非常にまとまりのあるものとなったものの、映像を見る視聴者の感じ取り方にかなり委ねられたものになっている。
この物語をいかに噛み締め、咀嚼するかは自分次第だということだ。押し付けがましい映画ではないので、気楽に劇場へ足を運んでみてはどうだろうか。
・石浜真史(アニメーション監督)(Rooftop2016年1月号) - インタビュー | Rooftop
・「自由に作れる」ということの難しさ、「ガラスの花と壊す世界」石浜真史監督&プロデューサーインタビュー - GIGAZINE
1■ ガンダムビルドファイターズやワンパンマン等の作画監督を務めた金世俊氏の場合
http://archive.2ch-ranking.net/asaloon/1352786685.html
日本人 ?@fuck__korea
@gojooni 朝鮮人は今すぐ日本から出て行け。これ以上ガンダムを汚すな
Retweeted by 金世俊
日本人 ?@fuck__korea
@gojooni 竹島は日本の領土だ。図々しく領有権を主張するな泥棒民族が。
Retweeted by 金世俊
金世俊 ?@gojooni
@sobacocco @kity_cassis まあ、人生ってこんなもんでしょう!
僕みたいなやつで気がすむんだったらいくら言われてもかまいません。d(^_^o)
なおfuck__koreaは該当ツイートを削除して逃亡。
2■ 80年代初期からドラえもんやエスパー魔美などを担当し、今も現役のシンエイ動画社員の演出家パク キョンスン氏の場合
http://umigami.sakura.ne.jp/soudan08.html
まあ どれもこれも さくしゃは しに
狼と香辛料の円盤マラソンしながら、ツイッターしながら、ぷよぷよクエストしながら、フリーゲームのレベル上げしながら年末を満喫ナウ。テンプレラノベのルールを守って全裸になるヒロインが出てくるのに、全裸以外のツッコミどころが多すぎて、さらっとしてる狼と香辛料は改めて見返すといいなあ~。脱ぐことに理由が弱かったり性的すぎるラノベが多すぎるから言うけど。しかも、全裸のホロにキレ気味に起こすわ、ナイフ向けるわ、やってることが石鹸枠と同じでもセリフや話が違うのがええねん。あとは萌え萌えした絵になりすぎなかったのが良かったのかも。予告とか制作した会社とか見てもらうとわかるんだが、狼と香辛料のアニメって1期はダークホースであって大きく化けると期待された作品ではないし。男子中学生みたいなヒロインを飽きるほど見せられてるこのご時世だからこそのホロの安心感。実質的おねしょた感。ロレンスが全裸のホロに動じない、ホロも全裸を気に留めないところに、エロなんてものは受け手の自意識過剰から生じる愚かしい業なんだとつくづく思う。名画の裸婦も、春画も、ヌードも、マンガ絵も結局は受け手の自意識過剰でしか区別されてないのよね。やっぱり狼と香辛料の円盤は買ってて良かった。見返すとラノベのアニメ化の正解がわかる。あの時期、当たりが多かったけど、特にこれはいい。
なんか、ぜーんぜん動かないし、萌える歌でもない狼と香辛料のエンディングが改めて見返すとスゲー良かったのを見て「テレビはタレントを使いすぎ、アニメはアニメーターと声優を使いすぎるからつまんないんだろうなあ」と改めて思った。ラノベとしてのテンプレ的な構成にしつつ、キャラが最近のラノベとは正反対(男が野暮で、女がやたら鋭い)ていうのがいいわ。最近のラノベがあんまおもしろくないのはヒロインに男子中学生を代入する方式に現実感と魅力がないだけでラノベ的な構成や話の運びが悪いんじゃないと思うの。ホロのいいところはメスの顔はかなりサービスを含んでるから本気のメスの顔はめったに見られないことと、メシの顔はいつもガチなところ。
昼間に狼と香辛料を見ながら書いたことが晒されてるらしい。アホらしい。あまりにも投稿の流れを読まない批評気取りのコメにドン引きしたから即ブロした。はてブや2ちゃんねるやツイッターで文脈も言い分も考えずに発言のおかしなところを抜き出す人らの「アスペかよ!」感はいい加減どうにかならんのかねぇ。はてブやツイッターはまだ独り言だが、2ちゃんねるは匿名かつみんなで言えば怖くないという空気が余計にやだ。まあ、知らぬところで、特におれに金も仕事も愛も生きやすさも与えないやつがどこで何を言おうが、関係ないんだけどね
ジュウオウジャーの監督である柴崎貴行は、2006年の仮面ライダーカブトがデビュー作で、
メイン監督を務めるのは特命戦隊ゴーバスターズに続きまだ2作目。
脚本の香村純子はゴーカイジャーや仮面ライダーウィザードでの評価が高く、今回が初めてのメインでの参加。
一方魔法使いプリキュアのシリーズディレクター(通常のアニメで言う監督)は三塚雅人。
近年良演出を数多く繰り出し、今回が初めてのシリーズディレクター。
キャラクターデザインの宮本絵美子も、プリキュア5の頃から作画監督として活躍しているが、キャラクターデザインは初。
とまあどちらも若手のスタッフが目立つ印象だ。
しかもただ若いというだけでなく、その実力を評価されている人材が揃っていると言っていいだろう。
思えばここ数年、プリキュアや戦隊以外でも、長寿コンテンツにおける世代交代が進行している。
クレヨンしんちゃんでは、近年の劇場版を若手の橋本昌和と高橋渉が交代で務めており、
劇場版22作の逆襲のロボとーちゃんでは文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。
続く23作、オラの引越し物語サボテン大襲撃では歴代で最高の興行収入を記録した。
同じシンエイ動画のドラえもんでも、81年生まれの八鍬新之介が、新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜での堅実なリメイクで、初監督ながら評価を集めている。
ポケットモンスターシリーズの最新作ポケットモンスターXYでは、それまで監督を務めていたベテランの須藤典彦氏から、
28歳の矢嶋哲生氏が若くして監督職を継ぎ、キャラクターデザインやアニメーターも若手を積極的に入れ、
さらに作画の枚数制限をなくしたり、技を出す際のイメージBGを廃止するなど、積極的にそれまでと画面作りを変えている。
ウルトラシリーズ最新テレビシリーズのウルトラマンXでは、09年の長髪大怪獣ゲハラでデビューし、TNGパトレイバーなどで注目を集める田口清隆をメイン監督とし、
長期の休止状態にあったウルトラのテレビシリーズを復活させたギンガ、ギンガSの流れを引き継ぎ、
新怪獣や、GoProをつかったり主観ショットを用いたりと、新しい要素を取り入れながら正統派のウルトラシリーズを描ききった本作は、来年には劇場版も控えている。
2000年前後のデジタル機材への移行や、インターネットを中心にした新たな消費スタイルなど、それまでと違うものづくりの発想が求められるようになった。
そういった中で妖怪ウォッチやアイカツなど新たな作品の登場や、スマホゲーなどコンテンツ文化自体の世代交代が迫る中、長寿コンテンツ達はどのように今を歩むのか。
そして今後彼ら新しい世代のクリエイター達が、どのような作品を、そして、どのような時代を作っていくのか、ぜひ多くの人に注目されて欲しいと思う。
奥田 泰弘 魔法少女リリカルなのはシリーズ(キャラクターデザイン)
浅野 恭司 参加作品:PSYCHO-PASS(キャラクターデザイン)
http://kogabunka.com/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/momoka.html
久保田 誓 参加作品:ワンパンマン(キャラクターデザイン)
紺野 大樹(原案はringo) 参加作品:物語シリーズ(劇中絵巻など おそらくアニメーターと思われるが、謎)
http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092922728/
吉田 和香子 参加作品:俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件、のんのんびよりりぴーと(作画監督)
http://ogaki-kyun.com/story.html
松原 秀典 参加作品:サクラ大戦、ああっ女神さまっ(キャラクターデザイン)
http://trap-takaoka.jp/index.html
http://www.mhr-cci.or.jp/cci/miharin-takojii/
ウシロさんがこんなイラストを描くとは知らなかった。
「津川雅彦が解説。邦画とアニメ、なぜ世界でここまで差がついたのか」
http://www.mag2.com/p/news/88014
を読んで。
イケイケの日本アニメとハリウッド映画の共通点にシリーズ物が定着してることがある。
ハリウッド映画ならスーパーマンとかバットマンとか007とかで、日本アニメならルパン三世とかドラえもんとかコナンとかクレヨンしんちゃんとか。
監督が変わってもどんどん新しい作品が生まれてきて、しかもこういうのって比較的若い監督のことが多いから、若い監督は経験積めるし、その中から優秀な監督がどんどん生まれてくる。
映画会社としても、安定的に収益を確保できるから、若い監督を起用しやすい。
もちろん監督だけじゃなくて、アニメーターとか担当者も成長できるし、優秀な人が発掘されやすくなる。
細田守とかクリストファー・ノーランはこういうシリーズ物で素晴らしい業績を上げて、有名になってきた。
有名になったら、シリーズ物の監督は若い監督に譲って、今度は自分が撮りたい映画とかアニメを作って、オリジナルの素晴らしい物をどんどん作っていく。
邦画でシリーズ物って釣りバカ日誌くらいしかないんだけど、これが良くない。
映画化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説の文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンルの生存に寄与したから存在しているだけだ。
かつて読者には、怒りが必要だった。
かつて読者には、喜びが必要だった。
かつて読者には、哀しみが必要だった。
かつて読者には、楽しみが必要だった。
1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。
かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込みが必要だった。
<list:protocol>
<p:その他パンフ等を入念にチェックする>
</list>
「大丈夫。わたしは観られる」
そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。
「やあ、読者。七年ぶり、だよね」
「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」
「ええ、言うわ。『仕方なかった』」
わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒がパトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。
「わたしにとっては、仕方なくないわ」
「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界(SF)をね」
「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」
わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。
わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
業界の幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才の夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」
わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。
それを憎んでいたのは、
誰よりも否定していたのは、
「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形になっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーションと早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」
性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。
「ここはね、アニメのスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」
「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画と台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」
わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。
これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識。
「そうして突き入れられて、台本を修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンのなかには、LINEスタンプも新装カバーもコミカライズも特集もトリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」
「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。
「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」
「どうしたらいいか、わからなかった。
この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間が自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から、自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」
そうだ。商業的健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブな感想を常に提出しつづけなければならない空気。ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和と協調と新作を生むと皆が信じている社会。
「何を」
「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭な視点の限界を突破できるってことに」
「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あんな桜Trickを作ったわけじゃないのね」
「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界を肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」
「この世界にとって完璧なプロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
「わたしは、笑わなかったよ」
感動げな大自然の映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからかニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。
「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンルが要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」
「あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」
伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。
「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝の天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」
「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分の民族が本来はそう在ったはずの風景に」
「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」
「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやかな復讐になるのかな」
「え」
「SFは死ぬ必要がなかった。だから早川はコンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」
「……そう、なのかな」
「あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」
「そうなのかな」
わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。
「どうやって」
そして、わたしは席を立った。
先週のスタミュはどもかく今週の庶民サンプルまでマクドナルド推しというのがちょっと。
いやアニメーターやラノベ作家さんはマクドナルドで食事する事に違和感を覚えなかったのだろうか。
もしかしたら、ゆでたまご氏がなか卯好きだったのをスポンサー関係で吉野家推しに変えたのと同じ理由なんだろうか。
バックにマクドナルドが付いてるから、今や赤字企業かつ緑肉事件から庶民からも敬遠されてるマクドナルドのイメージアップを
アニメで図ろうとしてるのかもしれない。
そう考えると、なるほど奥が深い。いや、闇が深い。
NEXT 未来のために「虐待の過去を越えて~児童養護施設 生い立ちと向き合う」
http://www4.nhk.or.jp/next-mirai/x/2015-11-11/21/893/2075030/
なんか見た。
番組名やテーマの仰々しさにかかわらず、施設住みの眼鏡非モテ系女子の就職・進学を悩みという、なんだかいい意味での普通のストーリーだった。
再婚した義理父が、食事もまともにあたえず、DVだったと10数秒話すだけ。
母親とは時々連絡をとっている。
進学に反対の母に対する愚痴をテーブルにつっぷしながら、職員の人に告げる。
カゲロウデイズ系な今風なイラストをしこしこ描いて、こっそり専門学校の説明会にいったりする。
「絵好きなんだね」と説明会にきているロマンスグレーなおっさんにいわれて、
へにゃへにゃした感じで「そうなんですよー」とか言ってる。
普通だ。
なんかみたことある、こんなの。
最初の学校での進路面談では、「やっぱ就職を」と言ったりして。
先生も「一年から就職したいって言ってたもんね」なんて返している。
でも、上述のようにこっそり絵の道いきたいとか思ったりしている。
奨学金あればいけるんじゃない、とか考えている。
ぽろっと「ネットにあげてみたり」とか「個性的な絵かくねって言われるんですよ」と言ったりして自我がぽろぽろこぼれてる。
なにこれ、なんか身近すぎて痛いんですけど。
これほんとに施設とか関係なしに、ただの同級生撮ってるだけじゃねえの。番組盛り上がるの??
雨の日だ。
カメラは職員の人と街中に消えてゆく背中を追いつつ、近くの濡れた植物のアップに移る。
あとはナレーションで、3時間話して、結局就職することになることを告げられるのみ。
10月。
夜の自転車。
へにゃへにゃ声で言う。
病院の介護職について、夜間でイラストの専門学校にいくという。
それ、結構大変だぞ。
特に18.19で。絵もそこそこうまいけど、ネットにあげているぐらいだから、爆発的才能、そんな自分でもないよな
とか思ってたりするわけで。
でも描いているときは、なんか自分の中のなにかが、ぐにゅぐにゅってできあがっていく感じがして。
どうなんだろ。アニメーターとかなるのかな。でもくっていけるのかな。
そんな風にみていた。
最後。
COOLMINTとロゴのはいったTシャツを着て(結構この格好のシーン多い)、3,4歳ぐらいのパジャマ姿の女の子を、ひゅーーって
感じで抱き上げて、くるくる回して、食事のテーブルにそっと下ろす。
番組的には就職の喜びの延長って編集だけど、ほんとのところはどうなんだろう。
でもそんな感じの演出。
抱きあげられた女の子はにやにやしている。
手をむりやりばんざいさせられてまだにやにやしている。
当の主人公の彼女は、別のテーブルで職員の男の子とおしゃべりしながら食事し始める。
ナレーションは、虐待受けたひとの救いなれば、と撮影受け容れた云々と語っている。
そんなおしゃべりにな夢中な彼女の背中に、さっきの幼女が後ろからぎゅうと抱きつく。
幼女の顔はやっぱりにやにやしている。
彼女は右手でごはんを食べながら、左手でそっとそんな女の子の背中に手をあてる。
顔をべったりくっつけて。10秒ほど女の子はじっとしたあと、そのままひょこひょこと離れて歩きだす。
例の彼女は、相変わらずおしゃべりに夢中で、なんか、ずっとそのまま箸をもって話つづける。
そこで自分は泣いた。
何度かエンドシーンだけ見なおした。
そっと下ろす彼女。
顔は一度だけそちらにむけたあとは。そっと左手だけ幼女にまわして話し続ける。
幼女、何事もないように去る。
おしゃべり中の彼女。
ああ、もうなんかね。
これが欲しかったんでしょ。NHK。半年以上取材してさ。カメラも一台でしょ。うろうろするわけだよ。
どう番組にしようとか思って。
そんでこれだよ。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
なんだかなあ。これ。
http://www.tbsradio.jp/ss954/podcast/
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20151110fukuro.mp3
宮地昌幸(千と千尋監督助手、Gレコ・進撃・ハイキュー・SAOの絵コンテなど)
・現在のアニメ業界はオリジナルものが作りにくい状況になってきている
・基本的に原作もの、しかも既に売れている題材がまず選ばれ、もうペイできることが第一前提で動く。
スタジオの名も売れて、それが2本ぐらい続けば
「オリジナル物も作れるかもね?」っていう業界のルールが何となく出来ている
・アニメーターはオリジナルものでも、原作ものでも自分を反映させやすいので腕は鈍りにくい
・デザイナー、演出、脚本の場合は原作ものを沢山やっていると、いざオリジナルをやろうとした場合、脳がフリーズしやすくなる
・こういう話をするとオリジナル>原作ものと思うかもしれないが、
オリジナルを作る時の訓練にはなるので一長一短
・1クールの1話は凄い安くて1000万。宣伝費など込み込みだと2000万。
1クールだと大体2億。
なので「今季◯◯切ったわー」というツィートがよくあるが、見るたび辛い気持ちになる
・現在、オリジナル作品が出た瞬間、すぐ「◯◯に似てる!」「あれに似てる!」とツッコミ倒して、潰していく空気になっている
どうか落語の古典と新作落語の関係で見てほしい。ちょっと落ち着いて見てほしい。
・自分が監督になりオリジナル企画を通したい場合、原作ものを何回か当てて名前を売って
この「旅のロボから」だけは受けつけない。
犯罪だよね。
自分には無理だった。
id:Nettouochi ルパン三世とかも許せない性質?
「犯罪だから」ダメだったというのは正確ではなかったかもしれない。
端的に言えばあれはレ○プにしか見えないんだけど、
それを平然と行うロボも、
平然と受け入れて何事もなかったかのように放免する女も、
次の犯行を予感させる引きも、
何もかもが気持ち悪くて仕方ない。
とはいえ、エロマンガならレ○プものとか平気で喜んで読んでるんだよなー
なんだろう、エロとかR18みたいなエクスキューズがあればいいけど一般向けでそんなことやるなよ、みたいな気持ちなのかなあ