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2014-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20140716231731

元気だった頃は、仕事帰ってきてから掃除する程度には掃除好きだったのに、

今では目に見えてほこりがたまらないと、する気が起きない程度にはだらけちゃってますね。

心が弱ってくると、まず部屋に出る気がします。

2014-06-26

私がサッカーを好きになれない理由

春と秋、年2回行われる高校球技大会

私がいた学校では男子2種目、女子2種目開催される。

開催種目は都度全校生徒による投票で決められるが、

通例として、男子サッカーほぼほぼ確定で、

残り1種目を何にするか、という出来レースであった。

運動神経は可もなく不可もなく、という程度だった私は、

どんなスポーツも人並みにはできた。

しかし、小さい頃からサッカーというスポーツだけはどうしても苦手であった。

「蹴る」という才能が皆無だったのだろう。

父親がサッカー経験者だったので、

練習をしてこなかったわけではなかったが、一向に上達する気配もなく、

暇な時に家の前で壁に向かって蹴っていたサッカーボールも、

中学に上がる頃にはほこりかぶり

いつからか体育の授業がサッカーと聞くだけで、

苦手意識からなんとなく気落ちするようになっていた。

その時の種目はサッカーバスケだった。

バスケ経験者を多数擁する我がクラスメンバーはすぐに決まり

残りの男子は有無を言わさずサッカーに回された。

かくいう私もそのうちの一人であった。

本番までの放課後サッカーメンバーで何度か予定を合わせて練習を行った。

回を重ねるにつれて、私の下手さ具合というのはみんなの知れるところになっていき、

露骨に冷ややかな視線を送ってくる生徒もいた。

その頃からクラス内でもなんとなく息苦しさを感じるようになっていた。

そして迎えた本番。

試合最中たまたまではあるが何度か私の元にもボールが転がってくることがあった。

しかしそのボールほぼすべて、私には触らせず、上手いメンバーが取りに来て試合を進めていた。

もはや私はチームにいないものとして扱われていた。

結局この大会、私のチームは1勝も挙げることはなかった。

サッカーは、下手な人間無視しても成立するスポーツである

他のチームスポーツは、下手な人間は下手な人間なりにまだ参加する余地がある。

バスケならマンツーマンで相手選手に引っ付いていれば、少しはチームの役に立てるかもしれない。

バレーなら必ず回ってくるサーブ試合に参加できる。背が高ければブロックもできるだろう。

野球も同じく必ず打順が回ってくるし、守備素人ではあまり飛んでくることのない

レフトやライトにいたって、たまに来るゴロやフライに触ることはできる。

参加できる。

しかサッカーは違う。

人数が多いぶん、周りが上手ければ一人分くらいは平気でカバーできてしまう。

完全に無視して試合ができてしまう。

参加できない。

いないのと、同じ。

球技大会が終わったちょうどその頃から

私はクラスの中で爪弾きにされることが多くなった。

自分がチームの敗因のひとつであるという自覚はあったので、

強く出ることもできず、日々を過ごした。

その頃はあまりその言葉意識してはいなかったけれど、

今思い返せば、あれはイジメ、だったのだろう。

もちろん、球技大会の件が原因のすべてだったとは思わない。

けど、大きなきっかけになったことは間違いない。

サッカーをする人みんながそんな人たちだとは思わない。

下手な人にもサッカー面白さを、参加の仕方を、

教えてくれるような人もきっといるはずだと思う。

けれど私は、残念ながらこの歳になるまでそういう人に出会えなかった。

あの球技大会から、未だに私はサッカーを好きになれない。

2014-06-18

普段ほこりを被っているカメラを持ち出して.

大学へ行くとよく猫を見かける.家の周りを歩いていると猫が歩いている.

諸君,私は猫が好きだ.

猫が大好きだ.

ラーだ.

あんまし,可愛らしい猫がいるもんだから,彼ら彼女らを写真に撮りたいと思った.

それでしばらく棚の奥でほこりを被っていたカメラを取り出した.赤いボディがすこしくすんで見える.

けれど,猫は今日はいない.明日は会えるだろうか.

2014-05-11

少年アヤちゃんのツイッターが消えている

一年分の日記があるけど、大きな出来事だけ抜き出してみた。

 

11月18日(月)

巨大な熊手を抱えながら、これで地球をぶっ壊したいなんて思っていた先週の金曜日

帰りの電車で、痴漢に遭った。

満員電車のなか、最初はただ手が当たっているだけだと思った。しかし、尻だけだったのが股間にまで伸びてきたとき、さすがに痴漢だと気づいた。無理矢理振り返って相手を見ると、小太りで、ハゲていて、おまけに鼻毛まで飛び出した中年の男が、醜い顔でウインクした。ぶったおれそうになった。こっちはコンプレックスまみれの顔をマスクで覆い、やっと安心して街を歩いているというのに、こいつの謳歌する自由はなんだ。なぜお前は、そんなにも自分に甘くいられるのだ。

男の手は止まらない。不感症の私は、いっさい快感を得ることなく、ひたすら空虚だった。ガラスに反射した男の顔は、きらめく夜景と合わさったって、すこしも美しくはならない。それに比べ、マスクを着けた自分の顔は、やはり可愛い。股間をまさぐられながら、表情の練習なんてしてみる。すこし困ったような目付きが、驚くほど決まって見えた。

駅に着き、逃げるようにホームへ降りると、男は私の腕を掴み、頼むからオナニーを見てくれと懇願した。膝が震えるほど怖かったはずなのに、気がつくと、男と狭い個室トイレに入っていた。

男は巨根だった。しかし驚いたのは、その巨根を取り出した瞬間の顔の方だった。眉間の辺りから漂う、巨根ひとつですべての欠点を帳消しにせんとする傲慢さ。帳消しになんて、なるかよ! と呆れつつ、それしか誇りのない男が哀れになり、「おっきい」と言ってやる。うれしそうに光る顔がまた哀れだった。

男のオナニーは滑稽だった。一生懸命いやらしい表情をつくり、私を挑発するのだが、なにせ立派なのはチンコだけなので、まったく恰好がつかない。せっかくの機会なので、ちょっぴり握らせてもらった。もうどうにでもなれと、舐めてもみた。拳のなかで、男の巨根はまるで無機物のようだったし、なにか特別な味がするわけでもなかった。あーあ。ずっと夢みていた男のチンコというのは、こんなにも味気ないものだったのか。浅草の熊手のほうがよっぽど躍動的だった。

男が果てると、今度はキスを迫られた。それすら、欲しけりゃどうぞとくれてやった。ファーストキスだった。

そのお代として、50回ほど耳元で「可愛い」と言ってもらった。可愛い可愛い可愛い……。息継ぎでブヒ、と鼻を鳴らす男。苦しそうだったが、続けさせる。可愛い可愛い可愛い……。

http://mag.kawade.co.jp/syosinnikki/001300.html

 

4月8日(火)

母親は、二世帯暮らしの狭い家で、共に戦う同志だった。結婚当初、「頼むから親と同居してくれ」と泣いてすがったという父親は、女の前で泣く度胸はあっても、女を守る度胸はなかった。

そんな父親にかわり、私は必死母親を守った。どんなにいやな思いをしても、母親との絆に癒された。

14歳のある日、ひとりで風呂に入っていると、当然のように母親が入ってきた。翌日、鍵を閉めると、怒号とともに母親が激しく戸を叩いた。

この寒い日に、裸の母親を締め出すなんて、お前はなんて冷たいんだ。

びっくりした。

戸に開いた換気用の穴から、ヘビのような目が覗いている。

聞こえないふりをして、死角に身を丸めた。しばらく待って、おそるおそる戸を見ると、母親はまだそこにいて、じいっと私を睨んでいた。

http://mag.kawade.co.jp/syosinnikki/001366.html

 

4月14日(月)

彼女と駅で待ち合わせ。焦らすような各駅停車に乗って、ひと駅ひと駅を噛み締めるように進んでいく。公園の桜は、もうほとんど散っていた。歩道をうずめる花びらを、両手ですくって嗅ぐと、体中に春が染み渡っていった。

広場の真ん中で、おそるおそる一人称を変えてみた。その瞬間、木々は槍になり、花はピストルになり、私に向かってくるかと思われたが、公園は変わらずのどかなまま。彼女は気に入った洋服の話をしている。

天国に来てしまった。

涙が出るほどうれしいのに、どこか寂しさも感じていた。

http://mag.kawade.co.jp/syosinnikki/001368.html

 

5月6日(火)

熱を出した母親ソファに横たわり、細い髪を汗で濡らしながら、喘ぐような声で言った。

「嫌なところがあったら直すから、どうかいかないで……」

私は「げ、きもちわる」なんて思いながら、とっとと荷物をまとめる。

軽く犬を撫でてから家を出て、ぐんぐん車輪を漕いでいく。不便で、ぼろくて、しみったれ地元の駅に飛び込み、急行列車に乗って、東京へ。

二回ほど乗り換えて駅に着くと、タクシーをつかまえて、ペンキの匂いのする白い階段を駆け上がった。慌てて鍵をつっこんで、ドアを思いきり閉め、その場にぺたりとしゃがみこむ。

夕日がほこりに反射して、ゆっくりゆっくり舞っている。

それをぼんやり眺めながら、涙があふれた。

http://mag.kawade.co.jp/syosinnikki/

 

結局少年アヤちゃんは、毒母に育てられて自身をゲイオカマだと認識するようになったノンケだったんだろうか?

子供性的な発達を阻害する日本母親について、もっと知識が広がって欲しい。

まあ日本女性全般が性的に過剰に抑圧されていることが、子育てに悪影響を与えているのだろうけど。

2014-04-06

本を捨てたら倍返しされた話

就職して3年が経ったころ、持っていた本を全部捨てた。

かば自暴自棄の一大決心で。

学生時代に夢中になって読んだ書棚いっぱいの本たち。

すべて捨てさることで、それまでの自分に踏ん切りをつけ、会社員としてのアイデンティティをより確固たるものにしようとした。

 

会社では、二日にいっぺんのペースで徹夜して、貧乏揺すりよろしくキーボードを叩き、必死仕事をさばいていた。

やがて書棚でほこりをかぶっている学生時代愛読書が目に付くようになった。

文学なにするものぞ、なんの役にも立たないやつめらが!

というわけで自分必要ないものだと決めつけた。

 

気がついたら会社をやめていた。

会社をやめたら、本を捨てた自分がむしろ嘘になった。

一緒に心のブレーキも壊れた。

今や1万冊近くにふくれあがった蔵書たち。

居並ぶ本たちは、ただそこにあるだけで心和ませる生涯の伴侶のようでもある。

そこには、少ないながらこれまでに書きあげた本も一緒に並んでいる。

なるほど、今や自分は蔵書の付け足し、付属物だ。

2014-02-07

認知症

母が認知症になった。

5年以上前、母は首が痛いといい寝込みがちになった。

そのときは、更年期から数年すれば治るのだろうと思い、接骨院には定期的に通ってるのだからとあまり気にしていなかった。

それが間違いであった。

母は原因が分からない病気におかされはじめていた。

自分兄弟高校生大学生となるにつれ家から離れることで、母は居場所を失っていたのだろう。

皆が高校卒業すると同時に母の仕事が1つ減った。お弁当を作ることである

自分中学受験の塾に通うことでお弁当必要になって以来、10年以上お弁当毎日作り続けた。

その中には必ず卵焼きが入っており、食べている当時は飽き飽きしていたものの、食べなくなってから何年もたつというのにどのような味だったのか思い出せる。

母が一時期入院したときに代わりに伯母がお弁当を作ってくれたが、そのとき卵焼きの味の違いに気付いてから母の味は卵焼きであった。


そんな母は最近は朝起きるとまず洗濯物を洗い、アイロンをかけ始める。

アイロンをかけるのに半日かかる。

やりながら、テレビを見、しばらくするとまた同じところにアイロンをかける。

それ以外の家事はほぼしない。

掃除をしないことで家の中にほこりがたまり始める。

料理も品数が限られてきて、最近ではほぼしないため家族から文句が出る。

母は非常に綺麗な髪を持っていた。

50近くになっても白髪ほとんど生えず、綺麗な黒髪をしていた。

なんだかんだ、美人な母であった。

その母は最近では自分の髪を洗わない。

けがあり、かつ臭いを発するのである

そんな状態でも髪を洗おうとせず、軽くお湯を流して終わりの様子。

化粧もしなくなり、外に出るときすっぴんで出て行く。一時期は化粧に相当時間をかけていたというのに。

父方の実家を訪ねたとき、母が怒った。

母はあまり父方の実家が好きではない。

元々、東京にあこがれ都心短大田舎から推薦でいき、そのまま大学はいったほどである

父と結婚して少しは近畿田舎暮らしていたが、すぐに首都圏に出てきたことでそれ以来ずっと都会の人である

そんな母にとって父方の実家は海と山に囲まれた田舎である

嫌いになるのも無理はないかもしれない。

半分無理に連れて行ったことで、母は家に着いてから終始不機嫌だった。

そんな母がちょっとしたことで、本気で怒り出した。

母は怒ると周囲の人はとまどう。

元々、性格はしっかりはしていたものの優しく、かつまた真面目な性格であったかである

そんな母が怒り、そばにいた妹は泣き出す始末。

そして家を飛び出した。

車で探し、無理矢理最寄り駅まで連れて行き、母方の実家に帰した。

つい先日は字がかけなくなりはじめていた。

それを見かねた父が字の練習をしてみようと勧めてみた。

すると、馬鹿にするなと本気で怒り紙をびりびりにやぶきはじめた。

それも周囲ところかまわず

母にとっては、誰も自分を理解してくれない、孤独なのであろう。

実際、孤独な中で10年以上過ごしてきたのだろう。

そんな中で壊れてしまった。

無理矢理伯母と協力して病院に連れて行き、MRIをとることで初めて認知症であると分かった。

医者によれば介護認定を受けられるレベルであるという。

しかし、今はまだ認知症であるとほぼわかった段階でしかない。

軽く調べてみると治療法は無い。

いつかはしゃべれなくなってしまうという。

母にとって、これから地獄であろう。

家族にとっても地獄である

自分自分が一番かわいい

それは、私にとっても、母にとっても。

私は自分が何をすべきか、母がどうすべきか、分からない。

誰も分からない。

情けは人のためならずという言葉があるが、それはめぐりめぐって自分に返ってくるからであろう。

せめて、残りの人生、母のためにありたいと思う。

しかし、それを考えながらも自分のことを考えてしまう。

あの頃の、元気な母は、変わってしまった。

でも、一番変わったのは自分なのかもしれない。

母のために、今からでも出来ることをしたい。

2013-12-08

効率的な部屋片付け、部屋掃除

一人暮らし意をしている。

片付けが苦手だ。

特に洋服が室内に散乱している。洋服さえ片づければ、まあ、部屋はすっきりする。

そのあとのほこりは、お掃除ロボットがやってくれる。

でも、トイレが汚かったり、キッチンが汚かったり、お風呂が汚かったりする。

布団も干さなきゃならないし、机周りも本でいっぱいだ。

それが終わっても、玄関バルコニー、窓と、まあ、汚い部分は山積みなわけだ。

どんなに楽をしようと、すべて楽ができるわけじゃない。

というか、キレイきじゃない人間が、楽する手段を手に入れたところで、キレイ好きになるわけじゃあない。

金があればメイドさんを雇うぐらいの面倒さ。

結局、使ったらキレイにすることが、一番の近道なのかな。

風呂に入ったら、入っているうちに、風呂掃除をする。

日常の手順にひと手間増やす週間をつければ、いいんだろうな。

でも、それができる人間だったら、部屋は汚くならないんだよなあ。

潔癖さ、癇性さが足りない。

2013-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20131030182231

「こんな暮らしもあったんだなあ」

 誰をdisることもなく誰からdisられない。そんな慣れない生活にとまどったが、孤児院の子供たちに慕われながら、次第に安らぎを感じることが多くなった。このまま子供たちに囲まれて一生を終えるのも悪くない、そう思うようになっていった。

 

(中略)

 

「こいつを使うことはもうないと思っていたが……」

 元増田PCにかぶったほこりを払いながらつぶやいた。古ぼけたディスプレイには青字に白文字でこう表示されていた。

『ようこそ 元増田 さん』

 かたわらで心配そうに見上げる少女の頭をなでながら、元増田はやさしく言った。

大丈夫心配いらない。30ブクマ、いや20ブクマもすればすぐ終わる。ほんの一晩の簡単な仕事だよ」

「……約束して」

「ん?」

「……必ず帰ってきて、次のお休みには海に連れて行くって約束して」

 元増田わずかに口元が歪んだ。一度ブックマーカー戦場に帰ればもう戻ってこれないだろう、それは彼が一番よく分かっていた。

 だからこそ、彼はほほ笑んだ。

「もちろんだ、約束するよ。ただし、これは二人だけの秘密だぞ?」

2013-09-08

5年以上ロクなものを食べていない

かれこれ、少なくとも5年以上はまともな食事を取っていない。

朝と昼はコンビニスーパー惣菜で、

晩は4種類のメニューのどれか(チンジャオロースー・きのこの炒め物・麻婆茄子レトルト餃子)と決められていて、

のものは食べられない。


我が家ルール

理由は、専業主婦の母が更年期障害になって料理をしなくなり、その上で自由に台所を触るのを禁じたため。

私は大学生だ。高校は、全生徒が大学に進学するのが当たり前ということになっていて、

それ以外の進路を希望すると指導室行きになる学校だったため、就職という選択肢はなかった。

父と母と私の3人家族。父は単身赴任していて好きなものを食べられるから、私のことなんて知ったこっちゃないのだ。

父の口癖は、「お前さえ黙っていれば家の中は丸く収まるんだ」。


朝ご飯と昼ご飯は、私は食べること自体が禁止されていて、お湯を沸かしてカップラーメンを食べることさえ許されなくて、

それでも食べない訳にはいかないから、大声で罵倒されながら、「すいません、すいません」と体を縮めて食べる。

一方、母は、朝ご飯サークルKチョコクロワッサン、昼ご飯はローソンのシャキシャキレタスサンドという規則になっている。

買ってくるのは私。母は一歩も外に出ない。

それらの商品が売っていなかったりすると、手に入れられるまで、いつまで経っても家に入れてもらえない。


晩ご飯は、先述の4種類のメニュー(つまりフライパンで作れる簡単な料理)だけで、私の食べたいものを好きに作ることはできない。

「火を使うと暑くて汗をかいて嫌だから」という母の都合で、調理は私。どんなに疲れていても、私。

のろのろしていると、母の手や足が飛んできて、怒鳴られて、殴られて、蹴られる。

料理する時間は6時半という決まりで、だから門限があって、友人たちが飲みに行く背中をいつも一人見送っている。

台所には、いたるところにほこりが積もっている。食器棚にも、鍋にも、お玉やフライ返しにも、分厚い綿ぼこりが積もっている。

母は精神科に通院していて、幻聴が聞こえるらしい。その幻聴の内容や、母が便秘だの下痢だのというシモの話を、嫌な顔一つせず聞きながら、食事を取らなくてはならない。


実は私も精神科通いだ。ロヒプノール睡眠薬)がないと絶対に寝られない。


今日した両親との会話

今日した両親とのやりとりを書き出してみる(土日なので、父がいる)。


私は、コンビニで買ってきた豚汁を電子レンジで温めた。

すると母が飛んできて、

「うわー、くっさい!なんてことしてくれるの!」

と騒ぎ出した。


いつもなら、ここで「申し訳ありません」と頭を下げる。

ただ、今日実験的に反論してみた。

電子レンジぐらい自由に使わせて。くさいとか汚いとか言わないで」

すると今度は父が飛んできた。

「お前ーっ!養われてる分際で何を言っとるんだ!!

ここにあるもんは全部俺のもんだ!

俺が外で働いてやってるんだ!

自分の食い扶持も自分で稼げねえくせに!

文句があるなら、家も学費も自分でなんとかしてみろ!

ったく胸くそ悪い!!(ほぼ一字一句再現)」


「……でも、お父さんだって電子レンジが使えなくて、

くさいって言われたら、嫌でしょう?」

とたずねてみたが、

「知らん。俺には関係いね

と言われた。

豚汁は隅の方でこそこそ食った。


「養ってやってる」。小さい時からずっと言われてきた。

「養ってやってる」と言いながら、父は私の尻や足を触る。

例えるなら家庭内キャバ嬢という感じだ。


苦しい家

通学中の電車の中、夜寝る時の布団の中、父と母にされた仕打ちがぐるぐる回る。

小学3年生の時、父に包丁を突きつけられて、刺されそうになったこと。

その後、「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなるわよ」と言った母。

父に足首を掴んで11階のベランダからぶら下げられたこと。それを冷ややかな目で見ている母。

海に行くのを楽しみにしていたのに、母がカッターナイフ浮き輪を切り刻んだこと。

中学校で、いじめられて両親が呼び出された時、

「俺は仕事があるんだ!出世できなくなったらどうする!」と怒鳴って、

何故か航空ショーを見に行ってしまった父。

大雨の中、未成年なのに母の煙草を買いに行かされて、

買えなくて家に入れてもらえなかったこと。


それから。「大学受験邪魔になるから」と言って、父が私の文鳥を殺したこと。

の子の口から、血か内蔵かよく分からないオレンジのものが出てきて、目を見開いたまま死んでいたあの姿。

文鳥ちゃんはあなた勉強しなさいって教えるために死んでくれたのよ」とうっとりして目を輝かせた母。


来年就活が始まる。就職したら家を出る、それまでは耐えなければ、と思うが、その前に折れてしまいそうだ。


追記


たくさんのトラバブクマコメありがとうございました。


残念だけど、釣りでもないし、私の幻覚や被害妄想でもない。

ジプレキサを処方されているのは母であって私ではない。

ここに書いたことはほとんど事実だ。嘘だったら本当に嬉しいけど……

両親の作ったルールにも穴があるので(金銭管理がいい加減な家庭で助かっている)、

その隙を突いてこっそり飲み食いしたり、時たま起こる父の気まぐれでかろうじて生きている。


パソコンネットは、リビングに置いてある父のやつを、勉強用(レポート書いたり、大学で配布されてるWeb問題集解いたり)という名目で借りている。

今も「レポート書いてます」って顔してパソコンに向かってる。

情報系の学生なんでHTMLはそれなりに使えるんだ。


虐待だ」ってコメントが多くて驚いた。

骨折以上の大ケガさせられて初めて「虐待だ」って言うもんだと思ってた。

これぐらい普通じゃないの?女ってこういう扱い受けるもんじゃないの?

だって、家で何か食べてると怒鳴られるけど最終的には食べてるし、大学だって行かせてもらってるし。

自分がどんなに怒ってても悔しい気持ちになってても、親の前ではへらへら笑ってなきゃいけないから、

なんかストックホルム症候群みたいになっている。

父や母も機嫌いい時は優しくて、急にケーキ買ってきたりして、

次の瞬間血相を変えて物を投げつけたりしてくるから、何が何だかからなくなってしまう。


『母がしんどい』は本屋立ち読みした。買ったのがバレたらヤバいので、自立してから買いたいなと考えている。


大学保健室相談室には、去年の5月くらいに相談に行ったよ。

今通院してる、保健士さん?がいる大きな精神科病院でも相談した。

「かわいそうだね。頑張ってね」で終わりだった。


なぜ、こんな家にしがみついているかと言うと、私が無能で愚図でのろまだから

せめて大卒にはなって最低限の専門知識を付けておかないと、まともに生計を立てられそうにないから。

奨学金を借りて、返せなくなるのが怖いから。

普通女の子みたいに要領よく何ごともサッサとできたら、高卒でも食っていけるのに。

「どうしてお前は普通の子みたいに要領よく何ごともサッサとできないの!?」「サッサとやりなさいよ!サッサと!」母の口癖だ。

しかしたら、大学卒業しても就職できなくて、風俗に沈んだりその辺で餓死したりするのかもしれないけど、

我慢して大学卒業したら、その可能性は減るかなー減ったらいいなーと思う。

就職担当先生には、なるべく遠くの企業に推薦してくださいとお願いしてある。


精神科先生も言ってた。

「昔から女性がする仕事だとされてきたような仕事は、たぶん君向いてないんじゃないか」って。

あと、「就職して一人暮らししたら、ずっと楽になるよ」「生き延びろよ」って。

先生が生き延びろよって言ったから、なるべく死なないつもり。

脱出する時に、不当な手段で追いかけてくるようであれば、その時は行政相談します。

2013-08-13

愛人という生き方

母親若いころから仲良くしていた女性は、いつも誰かの愛人であることで生計を立てていた女性だった。

40年以上前から整形にエステに、と今の美魔女(笑)ビックリ努力を重ねていた。

実際、まったく年に見えなかった。

そりゃそうだ、美しくないと、相手に飽きられて、捨てられて、路頭に迷うからだ。

わたしが生まれて、わたしより何歳か上の彼女の娘とよく遊んでいたときは、ある医療関係者とちゃんと結婚していたが、覚えている限りちゃんと婚姻関係を結んでいたのはそれだけだ。

わたしのいえの何駅か先に開業していて、4階建ての豪邸(一階は病院)で、家具はすべて日本じゃ見たこともないようなすばらしいものだった。

家の中はほこりひとつ落ちていなかった。

料理もとても上手で、美しい母親子供たち、医者の父親、とすべてが素晴らしく見えた。

だが、子供は一番上の子はたしか父親が違うのだけれども、兄弟みなグレるか歪んでいた。

不登校、16歳で妊娠タバコひきこもり、などなど。

わたしが仲良くしていた少し年上の少女は、早熟であったためか精神を病んでしまい、不登校になった。

わたしが中学生ぐらいになるころ、彼女たちは引っ越した。離婚したのだ。

引っ越した後、すぐに後釜の既婚者の金持ちを捕まえ都内の1フロアに一部屋しかないようなマンション家族と、その金持ちと住んでいた。

遊びに行ったら、すごくおしゃれだったので今でも覚えている。

中学生から込み入った事情は知らなかったし知ろうともしなかったが、その金持ちは奥さんと愛人の間を交互に行き来し、それを奥さんも容認していたようだった。

少し年上の少女は、学校になじめず、弓道油絵ヴァイオリンを習っていたようだった。

一緒に銀座三越に行って、いろいろきれいなものを一緒に見て回って、少女化粧品を買って、千疋屋フルーツパーラーを食べて帰ったのを覚えている。

その時のわたしは一切意識していなかったが、そのお金金持ちからいただいていたものなのだろう。

わたしの母親愛人彼女はそのうち疎遠になった。

生き方が違いすぎるのよ」と母親が言った。

母親は、学が無いながらも、自分で商売をおこし、わたしたち兄弟を立派に育ててくれた。

愛人彼女は、今はまた違う金持ち愛人として生きている、らしい。3年に一回ぐらいは母親のところに電話が来るそうだ。

彼女の事をいいとも悪いともわたしは判断できない。

それぞれが、それぞれの思うように生きればいいと思う。

不登校になって、そのあと専門学校に入りなおした愛人彼女の娘のことだけはいまだに思い出す。どうしているだろうか。

ただ、わたしは愛人彼女のような生き方は不可能だなぁと平凡な顔と体型を見ながら思う。

最初結婚した医者元旦那さんがTVに出ているのを見て、久しぶりに思い出したので。

もう、これから人生であのレベル金持ちとけっこう密接に付き合うことなんかなかなかないだろうなぁ。

いろいろいい体験をさせていただいた。

2013-07-26

給料日なので買わなきゃいけない物書き記す

1ラップ

2柔軟剤

3ホイル

4テーブルクロス

5刺身包丁

6米2kg

7調味料入れ

8薬味入れ

9キッチンペーパー

10ほこりとりの取替え用

11トイレ用清掃ペーパー

12白の運動

13白の仕事シャツ

14仕事スラックス

15下着3枚

16(トマトケチャップ)専用洗剤

17指定燃えるゴミ

18ゴミ

19ドアノブカバー

20お盆に向けての親戚用訪問着

いっぱいあるなあ、これにお盆用の旅費1万円と親戚の子ども達(多数)へのお小遣い2万円に初盆提灯代1万円を給料から除けてと

副業しといて良かった(汗)今月も贅沢できないな。金券ショップに行ってギフトカード買ってから買い物行くか。

2013-05-22

加齢とともにゲームへの興味が薄れてきたことが悲しい

27歳男。

違う趣味を持てばいいとかそういう問題じゃなくて、ゲームをまた楽しめるようになりたいんだけどモチベーションが上がらなくて歯がゆい

また時間を忘れて熱中できるようなゲーム本来の面白さを思い出させてくれるソフトはないですか?という話。

以下ゲーム経験遍歴の自分語り

ゲームをなかなか買ってもらえない家庭で育って、友達の家に常に最新機種があるのが羨ましくて仕方なかった。

保育園から小学生低学年のときは、いとこの家でちょこっとやらせてもらうゲームボーイスーファミファイナルファイトが楽しかった。

小学生中学年になってめったにしないおねだりをしてスーファミを買ってもらって、土日各1時間だけという制限の中でやってた。

でも共働きの家庭だったから、留守家庭卒業後は小学校からダッシュで帰って親が帰ってくるまゲームやったりしてた。

最初に買ってもらったスーパードンキーコング2は、最後らへんが難しくて進められなくなったから、友達から借りたFFをやってた。

FF6は、全員レベル99にしてからラストダンジョンに行こうと思って数人レベル上げが終わったところで、自慢するために友達の家に持っていくときに落としてデータが消えたか挫折した。

FF5は、攻略本を見ながらプレイしたらラストダンジョンの敵が強すぎてラストダンジョン直前で挫折した。

ミスティックアークは難しくて挫折した。これは大学生ときリベンジした。

小学4年生のときに、発売から時間がたって値下がりしてたクロノトリガーを980円で買って面白さを吹聴して回って、自分クラスでリバイバルブームを起こさせたりした。ラスボスは3体いるうちの真ん中が本体じゃないということになかなか気づかずに苦労した。

友達の家でやらせてもらったプレステチョロQが楽しかった。その友達の家にネオジオがあったんだけど、クソ長いロード時間しか覚えてない。

小学6年生のときプレステを買ってもらって、アークザラッド1をやってCGの綺麗さを興奮して親に報告した。

朝3時に起きて、隣の部屋で親が寝てる中こっそりゼノギアスをやった。話はよくわからなかったけどゲームとして面白かった。

中学生になってFF7インターナショナルを買ってもらった。エアリス死ぬことは知っていたか最初から育てなかった。ショックも受けなかった。海チョコボチョコボ仙人のヒントだけをもとに独力で配合して作った。達成感があった。運動部だったから、引退後の夏休みはずっとやってた。

友達の家でプレステ2三國無双やらせてもらって感動した。人数多かったからなかなか自分の順番が回ってこなくて歯がゆい思いをした。

お小遣いをためてFF8を買った。等身が上がった人間普通フィールドで動いている、動かせることに感動した。お子様だったからかFF7ほどは面白くないように感じた。

高校2年生のときプレステ2を買ってもらった。でも運動部に入っていたのと受験モードにすぐ入ったからなかなかやれなかった。

大学生になってプレステ2ソフトを買いまくってやりまくった。

世間PSPだとかDSだとかプレステ3とかになってた。

値下がりもしてるしプレステ2とかプレステの名作を買い漁るのが趣味になってた。

この頃からプレイするよりも買うことが目的になってきた。積みゲーがどんどん増えていった。

でもアナザーセンチュリーズエピソードの2と3、シャドウハーツは1と2まで、最後までやったな。シャドウハーツフロム~はなんかイマイチでラスダン前で挫折

就職したら一人暮らししてプレステ3とか買いまくってやりまくるとか息巻いてた。

でもいざ就職して自分の自由に使えるお金時間が増えたときにはもうゲームへの興味が薄れてしまっていた。

就職した後にはじめて買ったDSPSPほとんどやらずにほこりをかぶってる。

自由にできる環境になったときにはもうモチベーションがなくなっているってすごく不幸だ。

なんとなく面白そうだな、やってみたいなというゲームはいろいろある。

金銭的にも買えないことはない。

でもいざ手を出すまでのモチベーションがわかない。

仮に買ったとしても実際やり始めるとプレイが面倒になるのが想像できると考えてしまうから

そうなんだよ。

ゲームをすることがめんどくさくなったんだ。

やりたくないわけではないけど、めんどくさい。

据え置き機だから設置がめんどいとかじゃなくて携帯機でもしかり。

RPGが好きだったんだけど、今RPGをやると、製作者の手のひらで転がされてるだけに思えてつまらない。

クエストとかフリーシナリオとかそういう問題じゃなくて、RPGというシステム自体の問題だと思う。

アクションゲーも、ひと通り動かしたらもう満足してしまって、ボスを倒してストーリー進めるとかをやらなくてもいいやーとか思ってしまう。

格ゲーシューティングは苦手。

スポーツゲー、レースゲーはもともと興味ない。

ギャルゲーボタンポチポチシナリオ読むのがかったるい。エロゲーも同じ理由でやらなくなった。

ゲームを楽しみたい気持ちはあるのに、身体(頭、精神状態?)がついていかない。

スポーツだけじゃなくてゲームにもあるんだね、こういう現象。

年齢問わずに楽しめるはずのゲームでは、身体じゃなくて心がついていかなくなる場合があるという。

楽しみたいのに、めんどくさい。

どうしようもなく歯がゆい

友達と一緒にやる桃鉄を久しぶりにやったりしたけど、負けたら負けたでそこまで悔しくない。

ピコピコ少年とかハイスコアガールとか読むと、著者のゲーム経験が羨ましくなる。

あーでも自分はまだ割りと買ってもらってたほうなのかな。。。

ゲームへの情熱を取り戻したいけどうどしたらいいんだろう。

休日をひきこもってテレビも見ずにダラダラゴロゴロしてるだけの生活よりはハリが出るんじゃなかろうかと思ってるんだけど。

めんどくささを超えて熱中できるようなゲームをすること自体の楽しさをまた思い出させてくれるゲームはないですか?

それとも、これまでの文章をすべて台無しにするようでなんだけど、もともとそこまで自分ゲームが好きじゃなかったってことなんだろうか。

2013-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20130312165901

ほこりの中から見つかったダイアモンドを捨てる必要はどこにあろうか」を、「あえてほこりの中に入ってダイアモンドを探せ」と解釈する人間は、はたしてダイアモンドなのか…?

http://anond.hatelabo.jp/20130312154448

深い思想と徳を持った人間自分自身がなれるかどうかというのは、大学名前や、もちろん偏差値とは関係のない話だと思う。

実際に、いわゆるニッコマやそれ以下と言われている大学人間の中にも自分が思いも寄らない考えを持っていた人間は数多くいる。

そういう人たちを、その取り巻きと同類の(世間で言われている)下衆な人間だとみなすのは実に勿体のないこと。

ショーペンハウエル曰く「ほこりの中から見つかったダイアモンドを捨てる必要はどこにあろうか」

2013-02-19

IT関連だけ、太ってる男の人が臭い気がする・・・

 IT業界に勤務していますが、この業界の太った男性の多くに疑問があるのです。

 なんでそんなにくさいのでしょうか?

 IT関連に来る前はマスコミ関係だったのでいろんな会社にでいりさせてもらいました。

 どこの業界でも太った人はいらっしゃるけれど、人前にでるときはそれなりに身なりに気を配っていらっしゃいますIT関連だって、客先での作業があるのでスーツも最低限見られるものをみんな着てきます。そこはいっしょなのです。が、しかし、この業界の太った男性は、私がであった20人のうち18人までが

「くさい」

んです。

 ワキガとかじゃないんです。

 タバコを吸う男の人の、掃除しない部屋の臭さが洋服からから、ぷんぷんするんです。

 太っていらっしゃるので夏場などに汗のにおいがある程度するのはしかたないとして、それ以前にたばこくさい、ほこりくさい。一人暮らしの男の部屋のすえた臭いタバコ臭いアドオンされると、タバコをすわない人にとってはかなりきつい臭いになります。それがすごい。

 他の業種でもタバコのにおいがする人はいましたが、度合いが違うのです、IT関連の太った男性のそれは。

 どのくらいかというと、数時間彼らのコートと並べてかけてあったコート臭いが染み付いちゃうくらいです。男性社員でも、自分コートについた臭いに眉をひそめることがあるくらいです。お客さんは、会話していて、時々斜め向こうを向いて呼吸をしているくらいです。半日座った椅子ファブリーズしないと、椅子のものがにおっちゃうんです。

 私自身は臭いにそこまで厳しくないほうだと思います。取材でゴミ関連の現場に踏み込んでいたこともありますし、こどものころは近所の牛小屋で遊んでいたので動物臭いも平気です。それでも彼らは臭いんです。

 臭いが多少の気配りでどうにかなるのは、他の業界の人たちと関わっていた時に実感しているます。接客業や食品メーカーにも太って汗っかきの人はいます。その人たちの中にもタバコを吸う人もいます。でも、そうした臭いをぷわんとさせたまま、他社の私と面談に臨んだ人にお会いしたことがありません。昔の新聞記者さんや編集者さんは、事務所で寝泊りしてたか臭い人が多かったみたいですがw。機械関係の方も、油の臭いと汗のにおいはしても、それは工場のもの臭いです。

 IT関連の太った人だけ、「タバコをすう男の、掃除しない部屋」の臭いがすごいっていうのは、何かあるのではないかと思ってしまます

 言っておきますが、彼らは人柄はいいんです。

 会話も楽しい人たちです。独身の人がほとんどなので、人柄的には合コンに呼んでもいいかなと思えるタイプです。男性デブ男の悪口をいうことがありますが、女性の中には太目の男性が好みと言う人も意外といるので、人柄さえよければいい子を紹介できるなぁとおもうのです、あの臭いさえなければ!

 オードトワレまでつけるとやりすぎかもしれませんが、客先に来るときは、せめて洋服ファブリーズなりなんなりしてもらえないかなぁ。

 お客様臭い困惑されているのを見ると、なんともいたたまれない気分になるんです。

 何であんなにみんなしてくさいんでしょう。は~(ため息)

2013-01-27

パソコン

パソコンゲーム機代替で、ファミコンがなかったかパソコンをいじってた。

たぶん、小学校入学する一年前だったと思う。

当時、我が家ファミコンがなかった。

親戚のおじさんがくれたMSXROMカセット一つをくれたので、それで遊んだ

パチンコレースゲームだった。

しかし、ぜんぜん面白くない。

そりゃ、おさがりが最新機種なわけがない。

1世代前の機種と、そこからさら1世代前のゲームだ。

友達の家でやったスーパーマリオに比べると、カスだった。

保育園の年長組の自分でもわかった。

なぜか、BASICに興味を持った。

MSX-BASICひらがなが打てて、青い画面に白いひらがなが綺麗だったというそれだけの理由だった。

保育園の年長組の自分にはワープロのものだった。

時が経ち、漢字もそこそこ読めるようになった小2の頃(読書が好きな子供で、小学生が習うような漢字は小2でだいたい読めたと思う)、付属解説書を読むようになった。

実際、それはまあ面白もので、数の加減乗除数字文字の表示、ループやIFといった簡単命令について読み進めていくとブロック崩しプログラムが出来上がったりしたのだ。

実は小学校2年生の自分は、かろうじてアルファベットが読めた。

読めたというか、文字として区別出来ただけだが。

母が「楽しいABC」という新聞広告の教材を買ったせいである。

会話編と単語編があり、母は会話編が子供向けかと思ったらしいが、自分単語編、というかアルファベットしか興味を持たなかった。

読み方には興味がなく、純粋に形として覚えた。

Aを「エー」と読むからなんだっていうのだ。

ひらがなカタカナのように、それを覚えれば音を表せるというわけでもないのに。

が、MSX命令するときには、アルファベットという記号を使えばいいということを理解した。

まあさておき、BASIC命令英語としての認識はなかった。

記号24種類あるというだけだった。

MとNを記号としての区別はできたが、それぞれどっちをエムと読み、でどっちがエヌと読むかはわからなかった。

IFはIという文字とFの連なったもので、その塊で意味をなしていることは知っていたが、"イフ"と読むことは知らなかった。

しかし、もしも~という命令必要だということはわかってた。

ブロック崩しを改造して、シューティングゲームのように自機から玉を打てるようにしたあたりで、のめり込み、「ポケットバンク トランプゲーム集」からテープレコーダーに保存して(その機種はフロッピーディスクがなかった)

プログラムに興味なんかなかった。

ただ、ゲームがしたかっただけだ。

そうこうしてるうちに、弟がごねてファミコン我が家にやってきた。

小学校4年生のときだったと思う。

MSXなんか忘れて熱中した。

自作ゲームなんかよりずっと楽しかったもの

しかし、ファミコンが壊れた。

そして、ほどなく叔父さんのおさがりのMSX2がやってきた。

夢のフロッピーディスク搭載機。

ディスクステーションMSXファン付録ディスクにはゲーム10本以上つめこまれていて、ゲームに飢えていた僕ら兄弟にはたまらなかった。

解凍に1時間くらいかかったけどね。

BASICときと同様、やはり英単語を知らぬままDOSの使い方をおぼえた。

しかしそれもつかの間、ほどなくファミコンが治った。

というか、ただの接触不良だった。

再びMSX2はほこりかぶるようになった。

っていっても、たまに起動してたけど。

同時期、PC9801がきたが、ろくに触らなかった。

母親ロータス1-2-3を使ってた。

いまでもエクセルをろくに使えないので、当時どのくらい使えてたかは謎だけど。

ファミコンソフトを買うお金がなかったから(実際、弟が駄々をこねればソフトなんていくらでも手に入っていたのだが、駄々のこね方を真似ることが出来なかった。いまでも出来ない)、ベーマガプログラムをPC9801に打ち込んだりしたものの、なんだかN88BASIC面白くなかった。

ファミコンに飽きると、MSX2ばかりいじってた。

弟はMSX2のときBASICに興味がなかったので、誰にもそういう話はできなかった。

turboRが欲しくて仕方なかった。

値段は張るけど、自分プログラム入力すれば今後ソフトはいらない!という狂った考えだった。

しかスーパーファミコンがやってきて、弟に「~っていうソフトがすげー面白いらしいぞ!」っと吹き込み、弟を通じて親にソフトを買ってもらうという方法を覚え、夢にまで見たゲーム三昧生活

その頃はMSX2のフロッピーディスクドライブ調子が悪くなり(たぶんベルトが伸びたんだと思う)

エロに目覚めてPC98のエロゲをしたり、インターネットエロ画像を漁りたいためにWindows95をいじったりしたが、やっぱりプレステのほうが面白く、そんなにはまらなかった。

大学生社会人になると、エクセルワードパワーポイントを覚えていった。

今でもパソコンに興味がもてない。

Officeメールブラウザがあれば他にソフトはいらない。

おわり。

2013-01-18

田舎生まれの僕が都会に出て、また田舎に戻った話

都会と田舎対決が再燃しているので、僕の話も書こうと思う。

僕は田舎に生まれ、都会で過ごし、今はまた田舎にいる。

自分で言うのもなんだが、ちょっと変わった経歴だと思う。

僕が子供の頃は、周りは農家ばかりだった。

親はサラリーマンメインの兼業農家だった。

昭和40年代当時では、周りには兼業農家は少なく、いま思えば異質な家庭だっただろう。

子供感覚は敏感なもので、なんとなく座りの悪さを感じていた。

勉強は好きだったが、教師はやる気が無く、授業は面白くなかった。

ある日、憲法について子供ながらに議論をふっかけてみても、教師は生意気言うなと言いながら僕の頭を叩いただけだった。

部活に入ってみたが、先輩の理不尽しごきに耐えられず、噛み付いて喧嘩。そして退部。

そのころは気づかなかったが、教師も、部活の先輩も、田舎特有の濃密な監視ネットワークの一部なのだ

それに気づかなかった僕は学校で浮き始め、そして、学校に行かない日が増えてきた。

明るい部屋で布団にくるまりながら僕は毎日考えた。

何がいけなかったのだろうかと、自分の行動を思い返した。

窓の外からトラクターの音しか聞こえない。

僕はこの退屈な村で、同級生と同じように一生を過ごすのだろうか。

いや、そうではない。村を出るべきだ。

そして、どうせ村を出るなら、僕のことを蔑んだ人々を見返してやるのだ。

それから僕はがむしゃらに勉強し、東大合格した。

からはじめて出た東大合格者だった。

僕は東京一人暮らしを始めた。

大学生活は自由だった。

新しい人間関係に囲まれ、バイトに明け暮れ、充実した毎日だった。

バブル期東京は眩しく光り輝いていた。

ただ一つ不満だったのは、当然ながら周りも東大合格者だったことだ。

あの村で僕が光り輝いたのは一瞬の事だった。

東大卒業し、官僚の道を選んだ。

ときバブルのまっただ中だったが、民間企業は眼中になかった。

霞ヶ関は民間を動かせるから、民間よりも上だと思っていたし、なにより、僕の村からはまだ官僚が出ていなかった。

官僚仕事は、国を動かすという言葉の通りだった。

駆け出しは駆け出しなりに、その醍醐味を味わうことができる反面、地味な仕事が多かった。

目立つ仕事をしたい。その一心でがむしゃらに働いた。

時には国会議員意見を戦わせ、上司に噛み付く事もしばしば。

そんな中、ある市への出向を命ぜられた。

そのころは気づかなかったが、国会議員も、上司も、霞ヶ関特有の濃密な監視ネットワークの一部なのだ

それに気づかなかった僕は浮き始め、そして、はじき出されたのだ。

市役所での仕事悲惨だった。

職員からすれば僕はお客さん扱いで、まともな仕事はさせてもらえない。

しかし、目立つ成果を挙げられないと、霞ヶ関に僕の存在を知らしめることはできないし、ひょっとしたら片道切符になる可能性もある。

そんなある日、生まれた村に帰省し、同窓会に参加した僕は愕然とした。

僕が主役ではないのだ。

東大合格し、官僚になり、日本を動かしている僕が主役ではなく、親父の寿司屋を継いだあいつがクラスの中心なのだ

そう、あのほこりっぽい教室ヒエラルキーそのままだったのだ。

その夜、ホテルの部屋で布団にくるまりながら僕は考えた。

何がいけなかったのだろうかと、自分の行動を思い返した。

窓の外からは下手なカラオケの音しか聞こえない。

僕は村一番の秀才で、国を動かしている官僚なのに!

この退屈な村で、何の刺激もなく一生を過ごす同級生に、なぜ僕の凄さがわからないのか。

あの日、村を出ることで、僕のことを蔑んだ人々を見返したはずなのに。

その翌年、僕は村長選に出馬し、村長になった。

同級生たちもようやく僕の凄さに気がついたようだ。

僕の力で、何も無いこの村を、都会的な村に変えて見せるのだ。

必ず、全国から取材や視察が殺到する村にしてみせる。

村役場ホームページアメーバピグへの全面移行や、村営水族館民営化など、霞ヶ関に、いや、宇宙に衝撃を与えるアイディアは山ほどあるのだ。

僕はずっとこの村があるかぎり村長で居続けるつもりだ。

この村に僕以上に村長に適した人材などいない。気に入らなければ選挙で落とせばいいのだ。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20120731160117

2012-05-30

「やりたいことをやらないとやらなければならないことができない!」

ていう自分ルールを課すってのはどうだ?

たった今この瞬間にひらめいた発想だ。

いい音楽に触れるたびに自分楽器を弾けたらなあ、こんないい音楽を作れたらなあ、とか思いながらも結局日々の雑事に追われて気合を入れて買ったギターほこりかぶりっぱなし。。

なんていう自分に別れをつげるナイス自分ルールな気がしたのだ。

もしこの自分ルール適用すると、

一番の優先事項が

ギターを練習すること」

になる。

朝起きたらまず一番最初にとにかく「ギターを練習する」。

それからでないとほかの一切のtodo事項に手がつけられない!

という自分ルール適用するのだ。

するとどうだろう?

常日頃いつかはやりたいなあと思っていた

「やりたいこと」が「やらなければいけないこと」に変身し、

逆にこれまで日々追われていた

「やらなければいけないこと」が「やりたいこと」に変身したではないか

明日朝起きたら、あるいは明日仕事から帰ってきたらこの自分ルール適用するっていうのはものすごく悪くない考えだ、と思った。

2012-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20120127154920

元増田です。様々な意見煮詰まっていたのが少しほぐれてきた。多謝。

夫&親戚も、専業主婦になったっていいって言ってくれるけど、子供の自立後が寂しそうだし、仕事続けたい。

憧れるのは『余裕がある暮らし』。朝はコーヒー飲んで新聞読んで、月1は家族3人水入らずで遠出する時間を捻出したい。

9ヶ月の子供は気質が穏やかな方。離乳食もよく食べてくれる。生活習慣も出来て、夜泣きもたまで育てやすい。だから元ぐーたらカポーの要領の悪い増田でも何とかなってる。

>むしろ子供の分だけ作って親はコンビニ弁当とかになりそうだけど

これはガチ。離乳中期の始めはよくやった。でも風邪引きやすくなるから鍋とかカレーとか手抜き料理にした。

>家事なんて、グッズ使って、手を抜きまくり病気にならない程度にやってりゃ十分なんだよ。

>世の男どもは、みーんな、そう思ってる。まして、共稼ぎしようって男なんて「家事? あんな楽なことに何時間かけてんの?」だよ。

>そこで「手を抜いてるから楽なんだろーが」と噛みついても仕方ないのは、元増田経験した通り。

↑これ、旦那意見まんま。そうなのよ。夫は自分が鍋だろうがコンビニ弁当だろうが文句はいわない。この前は出した靴下の色が少し違ってたけど気づかず履いてった。

ただ、ほこりで人死ぬっけ!? な人。子供が2歳になるまでは、私が本能発揮した方がいいんだと思う。

 『必要を感じない状態』を私も知ってる。その場合の最低限と、必要を感じてしまった場合格差は、埋めようとすると衝突しちゃう。

 子供が育ってしまう方が早いのかもしれない。

 ホルモンとか動物的な性差を感じる。

 離乳食は全部私がやってしまう。夫の成長の機会を奪ってるのかもしれない。どうしても週末私だけ出かける時は、タイムスケジュールとチンするだけにした離乳食を置いておく。

 でもほんと、いい手抜きしたい。まずは週末は買い物って思い込み取ろうと思って、生協宅配に加入した。

 離乳食は基本冷凍してる。おかゆやパスタ炭水化物納豆マグロ赤身焼いたのとかタンパク質。あとは青菜人参カボチャは切らさないようにしてる。全部フライパンでゆで適当冷凍してる。グラム数とかは細かくは測ってない。

 鍋おじやが週1〜2はあるし、たいしたもん食わせてない。ベビーフードは週1〜2、野菜とか豆腐混ぜてあげてる。ホワイトソースとかチキンライスの素もよく使う。

 保育園もよくやってくれてる。相談もできるし、親世代じゃなくて今の育児教えてくれるからほんと楽。

 掃除は、一日2、30分にしようって決めてる。半分でクイックルワイパーと棚の拭き掃除。残りで週1〜2とか月1って決めた箇所を順繰りに。とりあえず、週末たまった家事をしたら日が暮れて月曜が来るってのを辞めたい!

 風呂掃除も、蛇口とか子供が好きで触ったり舐めたりするから、必要に迫られてやってるだけ。子供場所を限定するか、親が掃除するかかな、と思う。

 どっちにしろ、たったあと一年半くらいの話なんだと、今気づいた。下の子供が出来たら、延長だけど。

 来年ルンバ様買えるように今年貯金しようかな。

2012-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20120122184259

そんな大げさな話じゃないんだよ

服の汚れ、しわほこりは落としてから着るものだって事が体験として染みついてるかどうかってだけの話

>「ニット洗濯できないから~」

だって、買った後、手入れしながら着る事を考えての発言だし

(ホームクリーニング可能なアクリルニットだって、平干しの必要があるから、充分な物干しスペースが確保できないと本当に洗濯できないんだけど)

手入れが簡単な服を選んで買うというのも、ある程度経験がないとできない事なんだよ

女の服が、カットソーとか化繊のふわっとしたブラウスとか、洗って干せばいいような手入れが楽なものが多いのも

女は手入れの手間まで考えて服を買う習慣がついてるからなんだと思う

反対に男で薄汚いのが多いのは、手入れの事を考えずに買って、手入れできないまま着てるってケースがままあるからだよ

アイロンがけなんかろくにしないのにアイロンがけの必要なシャツを買ってクリーニングにも出さないとか

Tシャツなのに水洗い不可の買ってきちゃってやっぱりクリーニングに出さないとか

信じられないような事がよくある

それと本筋と逸れるけど、

>素材や洗濯表示を確認して買う人は少数派だし、

素材や洗濯表示は、試着室なんかで値札と一緒にこっそりチェックするのが普通なので

店員の立場から見てチェックしてないように見えても、本当にチェックしてないとは限らないよ

それとも、試着する客がほとんどいないような売り場なのかな

2011-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20111206065028

アトピーの原因って、大きく分けると

食べ物に起因したもの乳製品や卵などで悪化する)

環境に起因したものハウスダストダニほこりなどで悪化する)

③心理状態に起因したものストレスなどで悪化する)

の3つがあるんだけど、

アトピーの症状を改善させるにはまず自分が何で一番悪化するかを見定めるところから始めたほうがいいよ。


自分中学高校の頃はアトピーがすごい酷くて(顔から粉をふく程度には酷かった)、

食べ物に気をつけたり、部屋にダニほこりが増えないようにいつも掃除ばっかしてたんだけど、まったくよくならなかった。

でもそれが大学にいって一人暮らし始めて「24時間換気システム」のある部屋に住んだらびっくりするぐらい改善した。

どうやら自分の一番の悪化原因は「ハウスダスト」だったっぽい。(あくまで推測なんだけどね)


人によっては甘いものチーズ、海鮮を食べなければ症状が悪化しないって人もいるみたいだし、原因は人それぞれみたいだから

原因追求に関してはいろいろ試行錯誤しては嫌になっちゃう時もあるかもしれないけれど、がんばる価値はあると思うから頑張って!

まぁまだ中学生なんだし、青春期すぎたら良くなる可能性だってあるし、希望を忘れずに。


あと、医師が処方するステロイド薬に関してはいろいろ是非も分かれてるみたいだし、一概に良い悪いを決めることはできないんだけど、

個人的には症状がひどい時は塗っていいと思う。

少なくとも薬塗らずに悪化→ストレス増加→さらに悪化の負のスパイラルに陥らずにすむし。

ただ、「顔には強いステロイドは塗らない」というのだけは守ったほうがいいかな。

まぁここらへんはあくまでも個人的な異見です

2011-10-26

デリヘル嬢を呼ぶのも恥ずかしい

家具PCほこりかぶってたり、散らかってる部屋見られるのが恥ずかしい。

好きな女の子なんて呼べない。

自分友達の部屋行くときは散らかっててもそんなに気にしないのに。

女友達なんかは「彼女掃除してもらったらいいのに」なんていう子もいるけど。

みんな自宅に人を呼ぶのって恥ずかしくないの?

2011-09-26

脱オタファッション入門編

http://anond.hatelabo.jp/20110925204621

たぶんね、もっともっと根本的なところからじゃないと入門にならないと思う。

なので、入門編からって事で勝手に補足してみる。

いきなり前提を崩すけど、脱オタだけに限らない。

出かけなきゃいけないけど、服装で気後れする、そういう人向け。

予算4万5千円ぐらい。さらに安く上げたいなら2万ぐらい。

あ、カジュアルなお出かけ先ね。あと男対象な。

まず下準備

  1. 家にある一番マシな服をとりあえず洗濯しろ。パンツも靴下も全部だ。
  2. 取り敢えず風呂に入れ。全身洗え。髪も体も2回洗えばだいぶすっきりする。
  3. 爪を切れ。手も足も深爪っぽくなるまで。
  4. 歯を磨け。歯磨き粉付けて1回、口をゆすいで、歯磨き粉無しでもう一回だ。
  5. メガネをかけてる奴はきっちり洗え。ティッシュでいいからツルまで磨け。
  6. 耳を掃除しろ。皮が剥がれる奴は風呂にもう一回入ってそのへんも洗え。
  7. ヒゲをそれ。顎の下までしっかりな。
  8. 最後に顔を洗って手を洗え。爪の間に何も残らないようにしろ。

風呂上りに洗濯してある服を着ろ。

そして買い物に出かけよう。

服を買おう

ジーンズと、シャツと、肌着、ベルト。

まず、リーバイスに行って黒いジーパンを買え。

黒いのが欲しいといえば店員が選んでくれる。相手はプロなのでちゃんと薦めてくれる。

ベルトも勧められると思うが、それは断っとけ。

ダメージ加工の無いやつなら、たぶん1万~1万5千円ぐらいで買える。

繰り返すが相手は接客販売のプロだ。どんなにキョドってようが売ってくれる。

次は、無印に行って白いYシャツを買え。スーツ用じゃ無いやつな。

できれば2枚買え。無印は薦めてくれたりはしないから、種類の違うのを2枚買え。

よく判らんと思うが、胸ポケットがついてる奴とついてない奴と2枚も買っときゃ良い。

2枚で5千円ぐらいで買える。併せてVネックTシャツも買っとけ。色は白な。

次は、ユニクロに行って肌着とベルトを買え。

靴下は無地の黒で薄いやつな。肌着は白のVネック。トランクスとかブリーフは好きなの買っとけ。

だいたいセットになってるから2~3枚ずつ揃えとけ。無印で買った奴はここは飛ばせる。

ベルトは、黒か茶のシンプルで細いやつ買っとけ。

まあ、4千円前後だろう。

ここで一旦家に帰って着替えよう。

もちろん、汗かいてたら風呂入ってからな。

注意点として、ポケットには何も入れるな。

ケータイも含めて全てカバンに入れろ。

靴を買おう

おろしたての服でとりあえず出かけよう。

リーガルに出かけよう。

黒か茶の、革靴を買おう。チャッカブーツとか適当自分で選んで買おう。

基準は、靴紐のあるやつ、外羽根式(靴紐結ぶ所がぱかぱか空くやつ)、プレーントゥ(足の先にかざりがない一枚のつるんとしたやつ)。

店の人に「カジュアルだと変ですかね?」と聞いて、違うの勧められたらそっち買っとけ。

1万5千円~2万円ぐらいだ。

美容院に行こう

とりあえず全部揃ったから、美容院に行こう。

買った服を全部洗濯して、アイロンをかけて(難しかったら襟と袖だけか、干す時に手で叩いて伸ばして干しとけ)、風呂に入ってから着ろ。

駅前にある、なんかそれっぽい美容院が良いぞ。ちゃんとネットで調べて電話で予約してからな。

気遅れすることはない、相手はプロなのでちゃんと客として扱ってくれる。

「さっぱりしたいので短めで」とだけ言っとけ。

あとはなんか提案してくれるから適当に頷いとけ。ヒドイ事にはならん。

あと、最後に整髪料を付けてくれるだろうから、「それ欲しいんですけど」と言えば売ってくれる。

カットも含めて、全部で多分1万ぐらいだ。

くれぐれも、買った服と買った靴と買ったベルトでポケットには何も入れずに行けよ。

それはお前が慣れる意味もある。

出かける前

まず、お出かけ3日前ぐらいから、洗濯を除いて「下準備」を毎日やれ。

普段爪切ってない奴は指先が荒れてるかも知れないから、風呂場で歯ブラシ使って爪の間洗っとけ。爪楊枝とか使うな。

あと、ニベアでも何でもいいから塗っとく。

洗濯は、服を着た日の夜にやれ。服は毎回洗え。

ジーンズだけは別に分けて、裏返して毎回洗え。育てるとか言うな。そういうのは臭くないやつがやる。

靴も出来れば磨いて欲しい。最低でも出かけて帰ってきたら、表面のほこりは落としてやろう。

でかけたら

けっして走るな。汗っかきは洗濯したハンドタオルを持っていけ。

そして、服装はそれが普通ですって顔をしとけ。

お前は少なくとも不潔ではないし、不快ではないし、近寄って欲しくないタイプの服装じゃない。

まずはそこからだ。

そして、それさえ出来ていれば人前に出ていける。

その他の些細な事

カバンだとか財布だとかは、気にすることはない。どうせそこまで手は回らない。

そして、自分が清潔で綺麗な服を着ていれば、そのうち自分から気になってくる。

どうもシャツジーンズがくたびれて来たと思ったら、新品を買いに行けば良い。

古いのだって着てたら良い。出かけようと思った時に新しい方を着れば良い。

そのうち、安く似たやつを買ってこれるようになる。

追加で買いたいなら、ジーンズと靴は濃い色にして、あとは淡い色合いの無地を買っとけ。

色々やってみても良いけど、風呂入った後に洗濯してアイロンかけたのを着るのだけは忘れるな。

まとめ

清潔で、ポケットに何も入れず、ベルトにも何も付けず、常に髪を切ってヒゲも剃った状態なら、それで良い。

イケメンじゃなくても、清潔でありさえすれば嫌がられることはない。

お前はそこに居ていいんだ。

最後にくどいほど繰り返すが「下準備」を忘れずに、洗濯あがりの服を着ろ。靴のほこりは落とせ。

それを忘れなければ、何処に出ても嫌がられることは無い。

脱オタファッションは、そこから始めよう。

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