2014-02-07

認知症

母が認知症になった。

5年以上前、母は首が痛いといい寝込みがちになった。

そのときは、更年期から数年すれば治るのだろうと思い、接骨院には定期的に通ってるのだからとあまり気にしていなかった。

それが間違いであった。

母は原因が分からない病気におかされはじめていた。

自分兄弟高校生大学生となるにつれ家から離れることで、母は居場所を失っていたのだろう。

皆が高校卒業すると同時に母の仕事が1つ減った。お弁当を作ることである

自分中学受験の塾に通うことでお弁当必要になって以来、10年以上お弁当毎日作り続けた。

その中には必ず卵焼きが入っており、食べている当時は飽き飽きしていたものの、食べなくなってから何年もたつというのにどのような味だったのか思い出せる。

母が一時期入院したときに代わりに伯母がお弁当を作ってくれたが、そのとき卵焼きの味の違いに気付いてから母の味は卵焼きであった。


そんな母は最近は朝起きるとまず洗濯物を洗い、アイロンをかけ始める。

アイロンをかけるのに半日かかる。

やりながら、テレビを見、しばらくするとまた同じところにアイロンをかける。

それ以外の家事はほぼしない。

掃除をしないことで家の中にほこりがたまり始める。

料理も品数が限られてきて、最近ではほぼしないため家族から文句が出る。

母は非常に綺麗な髪を持っていた。

50近くになっても白髪ほとんど生えず、綺麗な黒髪をしていた。

なんだかんだ、美人な母であった。

その母は最近では自分の髪を洗わない。

けがあり、かつ臭いを発するのである

そんな状態でも髪を洗おうとせず、軽くお湯を流して終わりの様子。

化粧もしなくなり、外に出るときすっぴんで出て行く。一時期は化粧に相当時間をかけていたというのに。

父方の実家を訪ねたとき、母が怒った。

母はあまり父方の実家が好きではない。

元々、東京にあこがれ都心短大田舎から推薦でいき、そのまま大学はいったほどである

父と結婚して少しは近畿田舎暮らしていたが、すぐに首都圏に出てきたことでそれ以来ずっと都会の人である

そんな母にとって父方の実家は海と山に囲まれた田舎である

嫌いになるのも無理はないかもしれない。

半分無理に連れて行ったことで、母は家に着いてから終始不機嫌だった。

そんな母がちょっとしたことで、本気で怒り出した。

母は怒ると周囲の人はとまどう。

元々、性格はしっかりはしていたものの優しく、かつまた真面目な性格であったかである

そんな母が怒り、そばにいた妹は泣き出す始末。

そして家を飛び出した。

車で探し、無理矢理最寄り駅まで連れて行き、母方の実家に帰した。

つい先日は字がかけなくなりはじめていた。

それを見かねた父が字の練習をしてみようと勧めてみた。

すると、馬鹿にするなと本気で怒り紙をびりびりにやぶきはじめた。

それも周囲ところかまわず

母にとっては、誰も自分を理解してくれない、孤独なのであろう。

実際、孤独な中で10年以上過ごしてきたのだろう。

そんな中で壊れてしまった。

無理矢理伯母と協力して病院に連れて行き、MRIをとることで初めて認知症であると分かった。

医者によれば介護認定を受けられるレベルであるという。

しかし、今はまだ認知症であるとほぼわかった段階でしかない。

軽く調べてみると治療法は無い。

いつかはしゃべれなくなってしまうという。

母にとって、これから地獄であろう。

家族にとっても地獄である

自分自分が一番かわいい

それは、私にとっても、母にとっても。

私は自分が何をすべきか、母がどうすべきか、分からない。

誰も分からない。

情けは人のためならずという言葉があるが、それはめぐりめぐって自分に返ってくるからであろう。

せめて、残りの人生、母のためにありたいと思う。

しかし、それを考えながらも自分のことを考えてしまう。

あの頃の、元気な母は、変わってしまった。

でも、一番変わったのは自分なのかもしれない。

母のために、今からでも出来ることをしたい。

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