はてなキーワード: 階級社会とは
・現在の資本主義は実質的な階級社会であり給料の額を決める権利は富裕層がほとんど独占している
・社会における仕事の重要性ではなく階級や希少価値によって給料が決まる仕組みが作り上げられているので社会を支えるのに不可欠な立場の労働者でも低収入の人が大勢いる
・高収入の人間が得ている金は階級社会の仕組みを利用して他の人間から巻き上げたピンハネが大部分でありその多くは「本来であれば重要な仕事をしているのに収入が低いような人の懐に入るはずだったもの」であるので「高収入の人間が税金を沢山払って社会を支えている」というのは単にヘリコプターマネー的な金の動きをしているだけであり詭弁とさえ言って良い
それはつまり、社会全体に既に共有されているルールを守るということだ。
順番に並んでいるならそこに横入りしないとか、相手とあまり親しくないなら敬語を使って心理的な距離を近づけすぎないようにするとか、そういったルールがこの世界では概ね決まっている。
ただ道を歩くだけにしろ、逆方向から来る人とお互いが邪魔にならないように片方によるとか、曲がり角では見通しを確保するためにインコースを攻めすぎないようにするとか、常に周囲に気を配って衝突を回避するとか、そういったルールがぼんやりと存在する。
そういったものは一部に儒教的な年功序列感がノイズのように交じることもあるが、概ねはどちらかが一方的に損をしないようになっているものだ。
そういったルールを破り、自分だけが得をする行為を一方的に相手に押し付けること、これが「礼を失する」というものだ。
「相手にだけ挨拶をさせて自分はふんぞり返る」とか、「自分は悪口を言っているのに相手が言ったら不機嫌になる」とか、そういった不平等を平気で行うものこそが無礼者なのだ。
こういった無礼行為は「俺は、特別だから、特別扱いされるべきだ」という俺ルールの元で行われている。
既に一般的に存在するルールとは違う独自のルールをでっち上げ、それによって自分だけが得をし続けようとするのだ。
「他人にやって欲しくないことは自分もやらない」というのは当たり前のルールだが、無礼者にそれは通用しない。
彼らは自分にとっての快不快だけを絶対の指標としており「俺が気持ちいい物が正しいこと、俺が気持ちよくないのが悪いこと」と考える。
この「俺」の主体が「相手」となることは絶対になく、「俺がお前を殴るのは楽しいから正しい。お前に俺が殴られたら痛いから間違っている」と平気で考えるのだ。
そういった謎の尺度という意味では、一部のオタク界隈や競技者界隈にある「この競技に強い奴が人間的に全面的に正しい」という概念はまさしく全人類に対しての無礼行為だ。
「勉強が出来る人間だけが正しい。だから勉強ができない人間には何をしても良い」という奴に限って、それが「野球が出来る人間が正しい」に置き換わると途端に文句を言いだすものだ。
これは当然、野球が出来る人間やサッカーが出来る人間、将棋だったりゲームだったりでもよく起きるものであり「この界隈において最優先される能力があるものが全て正しいのだ」はいつだって人間社会への侮辱行為に等しい。
つまる所、「万能の権力」なるものが存在する空間は限りなく無礼であるということだ。
「社長に部下が逆らうのは無礼だ」「上官にヘコヘコしない部下は無礼だ」などというものがいるが、これらの発想こそがまさしく無礼そのものと言える。
「相手に無礼を一方的に働くことが可能な権利が存在する」という謎のルールを展開した時点で、そこには礼儀なんてものは既に無いのだ。
つまる所、自分には権力があると信じるものは皆礼儀知らずなのである。
権力などというものは存在せず、役割の中において力関係が生じてしまうが故にそれに対しての恐怖で縮こまった態度を取られているだけだと自覚できない人間ほど惨めなものはない。
そういった構造的な力関係を背景にして他人を脅しつけるのは、年功序列社会においては年老いたものほどやりがちだが、実際にはそれらの行為は非常に幼いものだ。
だってそれは「親に言いつけるぞ」とえばり散らす幼稚園児と何も変わらないのだから。
子供じみたことをして他人に忖度を求めることほど人間として小さいものはないが、恥を学ぶことが出来ないまま体だけ成長した大人はすぐにそうやって振る舞いたがる。
本当に惨めで哀れな生き物だ。
自分だけが有利になるルールを押し付けるというのは、ハンディキャップをつけてくださいと手を擦り合わせて乞食しているようなものなのだが、それでよく惨めにならないものだ。
SNSでも文脈が読めずに見当違いのいわゆるクソリプが目立つ訳だけど、こういった人たちとAI(というかbot)の違いはどこなのかという疑問が出てきた。
例を見ていこう。
「この言葉(文字の羅列)を発すれば、相手はこの反応をする」という関連付けだけで言語を処理している(つもりになっている)人間が結構な割合でいる。
例えば、相手にバカと言えば怒るけど、「バカという発声をすると相手は怒る」と言う経験でそれを判断しているだけで、「バカは頭が悪いと言う罵倒語」までは理解していない人間が相当数いる。
chat botは文脈をまるで理解していない。しかし「こう言われたらこう返答すると高確率でこの応答が返ってくる」という処理はある。
語彙が何を意味するかを一切処理していないという点においては、chat botもクソリプも同レベルなのだ。
本文を引用して反論するという小学生並みの事をAIはやってのけるが、クソリプはタイトルの特定文字列に反射を返す事しかできない。本文に至っては、読んでないので引用すらできない。
むしろAIの方は内容を吟味し応答までセットで想定して言語を処理しているので、クソリプよりはるかに優秀だ。
逆に「AIでもまだ会話がつながるレベル」の事すらクソリプは処理しきれない。むしろ、本文と全く関連がない自分の意見だけを書いて、コミュニケーションが成立したと思い込んでる事が多い。
人間とは少なからず知性を持っているものであるが、AI未満の理解力であるクソリプはもはや無知性であるため、クソリプは人間と言えなくなるのだ。
現代ではこの「自分を人間だと本気で思ってるAI未満の理解力した人型シルエットの何か」に名前はついていない。
ひとまず less-than-AI human, LTA人間と呼ぶことにしておこう。
情報処理能力の有無で明確な階級社会がある現代において、人類はAIを手放せない段階に既に来ている。もはやAIは社会の中層に位置する。
LTA人間はヒエラルキーの最下層であるのは間違いない。もはや、中層以上と接触できなくなっていくだろう。
なぜなら、人間とのコミュニケーションを求めている中層より上の人間から見ると、AIとLTA人間は入力文章に従って人間に劣る質の文章を返す関数であり、
むしろ、人間であるかどうかなんてどうでも良い。関数とは尤度が高いコミュニケーションが成立しないから。
つまり、AI未満の理解力の人間はもはや人間扱いしてもらえないのだ。
人間じゃないということは、当然何を意見しても返事がもらえるわけではない。勝手に返事が貰えると思ってはならないし、会話に入ってもいけない。
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
神だぞ!こっちは神ぞ!!!?
戦闘に虎が突然乱入してくるの、こんなもん実写版ゴールデンカムイだろ!
知らん!偉そうなおっさんが!エンドロールにドアップで出てくるけど!もう踊るしかねえんだわ!
ナーロッパとか描いてヨーロッパに憧れてる場合じゃねえんだわ!韓国映画じゃねえんだわ!インドだ!時代はインドだ!
植民地がなんだうるせえ!大英帝国みたいな一神教に負けるわけねぇだろ!
ぶっつぶすぞ!!
少し落ち着いたが、相当話題だったのに見るのが結構遅れてしまったことを後悔している。
RRRは人気だったバーフバリの監督作品ではあるが、時代も違えばテーマも違う。
監督の意思や作る意図を感じさせられた点でもかなりブラッシュアップした印象だ。
以前からインド映画はなぜそこで歌うのか、という違和感が拭えなかったが、今作はここは歌わないとこだと冷静に判断できてるし、ここは歌い踊るべきだろうというところで、しっかり歌い踊っている。
映像は圧巻。ストーリーより映像先行ではないか?というほど(ストーリーもしっかりしてるのが今作のすごいとこ)
いわゆるCGの視覚効果が、というよりはスクリーンいっぱいに剥き出しになる筋肉とアクションがとんでもないのだ。
とんでもないといいつつ、バーフバリと違い時代が近代になったのでリアリティがあるのも良し。
ホースが暴れまくってるのを背景に、水神の化身を演出するのは、あまりにもギャグでしかないのにかっこいい。
ゴールデンカムイと書いたが、本当に漫画で見たありえないレベルのアクションで肩車が一番強いのも実感した。
人種的な話もそうだが、こういった部分で日本人はおそらくインド映画を、欧米人よりも思想や宗教観から理解出来る部分が多い。
実際に白人黒人論争で思考が止まってしまった国よりも、冷静に作品の評価ができると思う。
作風的に白人社会やイギリスでの評価が低くなってしまうので日本人のレビューは大事だろう。
インド映画は世界も意識しつつ、自国文化や自国の歴史、社会問題についてしっかり向き合っているのが印象的だ。
映画界の階級社会も問題としてあるのだろうが、映画を見ると、そこに抗う声も聞こえてくるのが面白い。
今作で、欧米等に染まりきらない、自国の意思を持っている映画を作っていることに改めて尊敬をした。
だから日本人も欧米人の真似をしてエンドロールを真っ黒にする必要はないのだ。
積極的に踊っていくことを忘れてはならない。ソーラン節か盆踊りでいい。だめかもしれない。
日本人の感覚に沿えば、漫画のような勢いのあるオリジナル映画をもっと撮っていけるはずなのだ。妙に外国に染まりすぎたのではないか、実写映画界。
にしても年内これを見ずに終わる映画ファンはもったいなさすぎる。
エロゲ業界が文学や映画から盗んできた数々の物語を取り戻して雑に配り歩いてるのが新海誠。
盗まれた側の元盗人たちはそれに対して文化の盗用を叫ぶけど、実際には元々盗んでいるのはそっちだったという話。
返して回っている場所にも元々そういうのはあったはずなんだけど複雑化して既に失われているおかげで、新海誠の手を通して戻ってきた数十年遅れの物が新鮮に映る。
かつて栄えた文明があった。
繁栄を誇った文明は巨大な階級社会となり、下々の者達はそこから零れ落ちる僅かな恵みで暮らすことになった。
「AIにより簡単に絵が生成できるようになったことで、手抜きとしか思えない絵が、同人サイトや画像投稿サイトに大量に投稿され、検索が汚染されているので、AI絵師は規制されてほしい」というものである。
ということだ。
恐ろしいことに否定派がAIでない絵師ならまだ看過できると主張する理由は
「AI絵師と比べれば投稿ペースが遅いので、検索の汚染度合いが少なく済むからまだ我慢できる」
なのである。
つまり、AI絵師否定派にとっては下手な絵を投稿すること自体が害悪であり、その害悪を実行する頻度が高いのでAI絵師は否定されるべきであるという主張なのだ。
これは非常に由々しき事態だと私は思う。
何故ならば、もしここで「下手な絵の投稿は控えるべきである」という主張が通れば、その次には手書きの絵師であろうとその標的になるのは明らかだからである。
AIによる粗製乱造でないことを証明するための投稿頻度が最初「30分おき」と設定されていたのが「1時間おき」「2時間おき」「4時間おき」「8時間おき」「1日おき」と増えていくのは明白である。
だがそうやって規制が進むに連れて、クオリティの高い絵を描く者たちの作品であればいくらあっても良いと主張する者たちが現れ対立が起きるだろう。
そしてそこに折衷案が誕生するが、それは間違いなく地獄を生む。
「いいねが100以上の絵を投稿したなら時間を開けなくても投稿して良い」「一定期間の間に得たいいねの数で次のスパンまでの間に投稿できる上限が決まる」といった形で規制が行われるようになるからである。
そうなったとき、「今はまだ下手だが、投稿しながら練習し多くの意見を浴びることで急成長する」というタイプの絵師が成長する機会が損なわれていくのは明白である。
インターネットはかって絵師たちの卵が挑戦し、成長し、挫折し、時に花開き、時に適切な距離を学び直す場所として機能していた。
だが、AI絵師否定派達の語る規制論に動かされた未来においては、挑戦の場としての機能は損なわれ、結果として多くの者たちが自分と絵の適切な関係を学ぶ機会を失うだろう。
黎明期のインターネットにおいて、お絵描き掲示板にはマウスで描いた落書きと、下書きをスキャナで読み取った上からペンタブで丁寧に彩色された絵が平然と並んでいた。
10個の投稿を一度に表示する設定であれば、マウス片手に20分で描いた絵も、日をまたぎ作業時間が何十時間となった絵も同じ一つとして数えられていた。
今でもなお、インターネットにおいて多くの投稿サイトがその方式を取っている。
しかし、もしもその空間が消費者としての都合を押し付けようとする者たちの粗悪な言論に屈すれば、下手な絵はその存在を隠され、上手い絵だけが表示される差別的な階級社会が始まるだろう。
インターネットが育ててきた相互的な絵の共有という文化を破壊し、その上に自分たちが一方的に他社の労力を搾取するのに都合がいい世界を作り上げようとしているのだ。
0いいねも100000000いいねも、5秒で出力された絵も5年をかけた絵も、一枚の絵としての存在そのものは平等であるべきである。
その事実を捻じ曲げようとする者たちに対して、我々は断固として反対の声を挙げていくべきなのではないだろうか?
基本は「闘争」「反体制」「暴力主義」ってことでいいと思いますよ。
沖縄の米軍基地で何やら暴力をふるったとか振るわなかったとか話題になっている。
沖縄の米軍基地だとか、今のフェミニストだとか、その辺でリーダーシップをとっている人たちを調べるとおそらくだが、直接に果敢説にかは知らないがマルキシズムの影響を受けていると思う。
フェミニズムでいうところの上野千鶴子はWiki見れば一発でわかる。
マルキシズムを雑に言うならばこんな感じだ。
世界は労働者(プロレタリアート)が資本家(ブルジョワジー)から搾取され抑圧されている
プロレタリアートはそんなブルジョワジーに対して不満を蓄積し続けている
プロレタリアートたちの不満が一定レベルを超えると世界中で労働者による暴力革命が起きる
世界はそんな簡単な構図じゃないし、労働者ならだれもが不満を持っているかといえばそうでもないし、そもそも不満が一定レベルを超えたら革命を起こす前に転職を考えるという点でこの思想はあまりにも現実を無視しているものになるのだが、「お前もそうだろ!?なぁ!?違う!?じゃぁ死刑な!」ってなった国がかつてあったことも記憶に新しい。
とはいえいまだにマルキシズムそのものをダイレクトに信じている人はいるとはいえ表舞台からは姿を消して今もどこかで人知れずぐつぐつと煮えこまれているんだが、このマルキシズムの流れを汲んだ、もしくはその思想の影響下にある思想というのはたくさんあり、そのどれもが以下のような特徴を備えている。
抑圧された被害者としての自分たちと犯人であるほか全部という雑なグルーピング
自分たちを守るため・敵を攻撃するためならどんなめちゃくちゃな論理でも立ててくる
問題提起から解決までに期待される時間が異常に短いか何ならマイナスになるくらいに急進的
フェミニズムというのは本来的に言えばマルキシズムとは全く合わない思想だ。なぜなら、弱い女性を守る名目とはいえ社会から排除されてきた女性が男性と手を取り合って一緒に仲良く協力して社会を作ろう、というものだからだ。敵対関係でもないし、暴力革命も起こらない。
だが、マルキストたちのフィルターを通過したことでフェミニズムは日本では異様な変質を遂げている。
私はこういった変質そのものについては歓迎されるものとも考えている。なぜなら新たな視点や論点を持ち込むチャンスでもあるからだ。
だが、それはオリジナルも等しく持ち込まれており比較できれば、という条件が付く。
マルキストたちは情報統制でもしているのかはわからないが、諸外国は「自分たちのフェミニズムが達成された楽園」であり、日本は「いまだに男が女を抑圧し続けている地獄のような世界」という筋機でしかものを見ない。
暴力革命をそのコンセプトに置いているマルキシズムは、結局「革命を達成するためなら何でもあり」というように考えている。そりゃそうだ、何なら資本家を皆殺しにする勢いの思想名だし、それは労働者の楽園を作るために必要な「正義の行動」だからその行動に制約を貸す必要もないしブレーキをかける必要もない、ひたすらアクセルを下手踏みにして何の問題もない。正義だからな。
私はマルキストたちはこうやっていろいろな思想を改変しては日本に導入して次の飯の種をせっせと育てていると思っているのはこういう理由だからだ。
マルキストたちは一体いつになったら暴力を否定するのだろうか。
くちでは暴力はだめだよねと言いながら行動で暴力をふるい続けていることに気付いている人たちもいるだろうが、それは彼らにとっては自分たちの暴力はきれいな暴力だから許容されるべきという内部ルールで勝手に納得しているからあのようなことも矛盾を感じずにやることができる。
しかし暴力を肯定している限り味方は増えないだろうし、社会に受け入れられるかといえば受け入れられない。
本当に差別問題とか解決したいんだったら、暴力革命じゃダメだろうと俺は思うので、早く自分たちがマルキストであることを認めて、暴力革命を否定し、言動も行動も変革したほうがいい、今の資本主義者たちの様に。
何も分かってないな
暴力革命をすべきと言ってるんじゃなくて、必然的に暴力革命が起こるっていう客観的な分析を行ってるんだわ
歴史見れば明らかだろ
民主主義革命も暴力、明治維新も暴力、そうやって暴力による革命が起こって、新しい社会体制ができたってだけだ
資本主義が何故、そうなるかって、資本主義が今までの階級社会と本質は何も変わってなくて、労働者の搾取で成り立ってるからなんだわ
しかも、その構造が複雑で一見、搾取が起こってない平等な社会のように見えるんだわ
AIが完全に生産を担った時どうなるか?人の仕事は無くなるだろう
そうなった時に資本を独占してる企業や資本家が全ての生殺与奪権を手に入れる
そうなった時にもはや私有財産などとは言っていられないだろう
全ての人が生きるだけの資源が生み出せるのに、それを一部のものが私有財産権の元に独占する事に必要性がないわけだ
だからその資本を共有財産とするための革命が起こるとこう言ってるわけだ
それなのに、何を今の共産国家を作った奴らは勘違いしたのか、暴力革命を起こせばそのような社会が早く訪れると勘違いしたのか、はたまたその理屈を自分が権力を手に入れるために利用したのか
資本主義はその構造上、搾取が起こり、寡占独占が進むように出来てるんだわ
だから、その資本主義の構造を分析してるから資本論と言ってるわけで、そもそも資本主義と言われ出したのはマルクスがこのように今の社会を分析する上で理解すべきなのは資本だと名付けたからなわけで
こうやって、不満持ってる奴が変わるべきなんだから、お前らの自己責任なんだからってやるほど暴力的な革命に近づくんだわ
穏便に社会が変革するようにしたいなら、不満を解消すべきなんだわ
言ってる事が独裁者と同じなんだわ
自民党もどうせこんな考えなんだから、無敵の人は増え続けるやろな
貨幣ってのが資本主義の構造を隠す役割を担ってるわけで、金融の構造を見てると経済学で言われてる事と全然違うぞって、ウォーレン・モズラーが気づいたところから始まってるんだよな
政府に予算的な制約がないのなら、失業者は全員雇えるってところが重要なのに
実物的な制約はあるわけで、その実物の生産を担ってる労働者を保護しろってのを無視して、金刷って景気良くなればみんなハッピー理論だと勘違いしてるんだよな
日本だけの話かな…
アメリカなんかじゃフェミに限らずポリコレ活動全般が「沈黙は共犯」とか言って敵味方分かれて壮絶な源平合戦を展開してるが
すごい本場のマルキシズムを感じる
日本の沖縄左翼活動なんかも凄く親米的で、本場アメリカのポリコレ活動のロジックをよく理解して実践してる
マルキシズムは、当時はそもそもそんなものなかったから仕方がないが、労働者の権利が適切に守られないという状況を前提にしているので、労働者の権利を適切に守れるように日々改善を続ける今の社会には合わない、という欠点がある。
いまだにマルキシズムやってる人たちが永遠に労働者の権利を守れと大騒ぎする理由はよほどわけもわからず盲従しているんじゃなければ労働者の権利が適切に守られてしまったらマルキシズムは成立しなくなるということでもあるだろう。そして多くの人々は権利は適切に守られていると感じているから彼らの言うことがちっともわからないということでもある。
おそらくマルクスが看破したことの中で真理が一つあるなら「資本家はルールの中で最大限搾取をする」という事であり、裏を返せば「ルールがなければ無限に搾取する」ということでもある。
日本では企業有利な制度が敷かれているためほかの国よりもより搾取がしやすく、またそれを実行している社会でもある。企業は自分たちに有利な制度がある限りはそれを最大限活用し続けることからもマルクスの見抜いたであろうことは正しいと思っている。Youtube何かでは「経営者がいかに税金を払わないか教えます!」といって制度の活用方法を堂々と指南しているが、堂々と言えてしまうくらい「当然のこと」と認識しているのだろう。あれらの話が本当に適法かどうかはわからないし、みんながやりだしたらあっという間にふさがれるからいうメリットはないが、いうということは何かあると考えたほうがいい。
仮に制度ではお前が稼いだ金の80%まで搾り取っていいことになっているが、そんな搾取は嫌だから65%にします!なんていう商売人がいたら彼らの世界では失格の烙印を押されるだろう。株主の利益をわざわざ減らす行為でもあるから、多分速攻で解任されると思う。もしくはそのほうが搾取効率が上がるからやっているのかもしれない。
マルキシズムを勉強したっぽい人がレスをつけているが、この手のことを考えるためには、その時の社会情勢も併せて考えなくてはならない。
労働法制がきちんとできていないというか資本家が制度上野放しになっていた状況で資本家たちはいくら搾取しても違法にならなかったからいくらでも搾取をしたという大前提を抜きにして今の世の中でルサンチマンがとかアウフヘーベンがとか子揚がとか、暴力革命がとか言ったところで「今の時代には合わない」の一言で終わってしまう。なぜなら法制度によって資本家たちが無限に搾取できないようにしているからだ。
ただ、日本がかつて中国に工場を移転させたように、制度上問題ないなら自分たちの利益が最大化するように動くという性質は変わらないだろうが、それによって人々が被る不利益を労働者による搾取だと大騒ぎするならそれもまた見当違いだ。
だけどマルキシズムに夢を見た人たちはいまだにいつか起こる暴力革命を夢見て(というか今まさに自分たちがやっている気分になって)暴力をふるいまくっているという現実はどう考えても問題だし、そんな状態ではいくら言っても誰も納得しないし受け入れないだろう。
そしてマルキシズムの世界観を持つ上野千鶴子みたいな人がフェミニズムを魔改造して導入したせいでフェミニズムもおかしくなっているが、その裏にあるのはやはりマルキシズムがコンセプトにしている暴力や革命だと思っている。だからこういう暴力的なことを否定してきちんと自分たちの思想を再構築せよといった。
労働法制が出来上がり、人々が労働者の権利について発言しても何の問題もない社会なら暴力革命は起きない、というか起こすほどに不満をため込んだ労働者が少数になるから起こしようもない。
マルクスが言っていた社会というのは実は簡単に成立しない状態にできてしまうし、それを受け入れられない一部の狂信者たちが今日もそこいらじゅうに呪いをかけまくっているみっともない状態になるだけのものでしかなかった。
女性強いよね
というか日本の弱くて従順で愛想よくて媚びた女性が好かれて推奨される風潮自体も性差別的に感じてるわ
なんだろう日本の女性が特別弱くあるように抑圧されてるように見えてる、くねくねしてるしいつも無知で自尊心が低いロールを期待されてるというか…
アメリカの階級社会とかそういう部分は問題が多くて闇深いなと思う、清潔感もちょっとないしね
銃社会で医療保険が破綻してるって意味での緊張感が常にあって、そういう意味で安全な国ではないとも思う
オーストラリアは最近だと異常気象がヤバいけどね。10年後には人が住めなくなってそうとかぼんやり考えたりするな
そういう風に見てくれてる人がいて嬉しいわ、やっぱりおかしいって思ってくれてるんだなあ。
体質がもうそうなんだろうなー。でもある種の縮図だと思う。いくら若い人が変わっても、上が同じだから差別しっぱなしなんだろうね日本って。
映画とかドキュメンタリーとかで差別との戦いみたいなの放送されてて時々見てるけど、まさにヒロイン(ヒーローの女性版の意味で日本みたいな主人公のラブロマンス要素枠の女の意味じゃないよ)が権利と自由を手に入れる戦いの物語だよね
めちゃめちゃかっこよくて大好きだし、自分も権利を勝ち取る強い女性になりたいなって思ってるよ
プリキュアもそろそろ悪の心じゃなくて性差別とか性犯罪とか既得権益と闘えばいいのに
話聞いてくれてありがとうね。
留学、出張、旅行(含バックパッカー)などで20カ国以上自分の目で見てきた。
大学や職場でも欧米インドアフリカなどだいぶ多様な人たちを接してきた。
この国ガチャランキング、上位0.1%の富裕層に生まれるか一代で0.1%に食い込めるすごい才能を持ってるかで大きく変わるので0.1%になれる場合とそうじゃない場合で分けた。
国のチョイスは俺の主観だから入れるべき国があればコメで教えてくれ
S: アメリカ・中国・アラビア半島(サウジ・UAE・カタール・バーレーン)
※金があればとにかくやりたい放題。上流階級と一般市民は完全に別世界、楽園暮らしができる
※比較的しっかりした国だし、金があれば上流階級ならではのさらに良い暮らしが待ってる
B: ドイツ・北欧・その他西欧・シンガポール・ニュージーランド・カナダ
※国の水準は総じて高いが、金があるからと言って上流階級ボーナスが多いわけではないし娯楽も上位国に比べたら少なめ
C: スペイン・イタリア・トルコ・イラン・ギリシャ・ロシア(戦争前)・東欧
※生活水準は上位国に比べ劣ってくるが楽しく暮らすことはできる。金があるなら困ることはない。
※貧民層も多いし危険もつきものだが金があれば王様のような暮らしができる。治安も金で買える。
E: 中央アメリカ・アフリカ上位国(南アフリカ・エジプト・ナイジェリアなど)
※金があれば良い暮らしができるが治安や娯楽、インフラには限界がある
F: その他アフリカ
※金があっても国として大変なところが多いのであまり楽しい暮らしは期待できない
※生活水準は非常に高く安定感は抜群、だが娯楽に若干欠ける退屈な場所
B: ドイツ・日本・フランス・イギリス・アラビア半島(サウジ・UAE・カタール・バーレーン)・韓国
※生活水準、治安、国家安定性、娯楽などのバランスが良いが貧困の影が見え隠れしている
C: アメリカ・中国・スペイン・イタリア・ロシア(戦争前)・トルコ・ギリシャ・東欧・香港
※問題なく暮らすことはできるが貧困や治安問題、政治問題と向き合う量は多くなる。
※アメリカと中国だけは特殊。中の上ぐらいの階級ならBクラスに入るがそれ以下だとD以下まで落ちるため平均してCになる
※中流階級はどうにかまともな暮らしはできるが、治安の悪さは中流階級にもかなり迫ってきてる。自衛は暮らしの一部。
E: 中央アメリカ・アフリカ上位国(南アフリカ・エジプト・ナイジェリアなど)
※インフラ、治安、政府の問題で中流階級でもまともな暮らしができないことがありえてくる。
F: その他アフリカ
※インフラも娯楽も足りない、治安も悪い、政治も安定しない。どう生き抜くかのサバイバル術や処世術がものを言う世界。
ブコメで指摘あったが韓国は0.1%以上はかなり良い暮らしができる階級社会なのでAランに格上げした。
ついでに香港を忘れてたから入れといた。中国政治問題を除外すると香港0.1%以下でもBだったかもしれないが政治影響が大きすぎるためC行き
国際的なコミュニケーションサイトで英語でコミュニケーションとってたら、日本人はわりあいちやほやされるわけよ。ああいうところって国力が如実に出るから、需要と供給がそのまま出る。日本人は日本語世界に引きこもりっぱなしだし、供給を満たしていないのね、基本。で、一般に名前も知らない国の人は残酷にも相手にされない。でもそういうところにいる人って、それぞれの国ではわりあいエリートなのよ。最低、英語が出来て、日本語もまあまあ出来ます、ってなったらね。超階級社会だから「私はバラモンです」の態度でぐいぐいくる。悲しいかな、自意識と処遇が一致してないのよ。
で、「日本と韓国、どっちが住みよい?」みたいな「おまえが選ぶのかよ!?」みたいな質問をしがち。専業主婦みたいなものでね、「奥様」の立場にいる限りは選ぶ立場でいられるから。
スリランカもね、西側と中国、手玉に取ってる俺ってすげー的な陶酔があったんじゃねーの?弱小国エリートにありがちな発想だけどね。結果、消費者金融に食い物にされる主婦みたいになってしまう。
https://togetter.com/li/1890421
これ、「ヨーロッパ化している日本」って言われるけれどそれには違和感あるんだよな。「階級社会化が進む日本」なら分かるんだけど。
だってヨーロッパって階級社会ではあるんだろうけれど、少なくとも上流階級の人間はその事を自覚し、
地位に伴う社会的責任としてのノブレス・オブリージュを果たそうとする意識があるんじゃないの(少なくとも建前上は)。
それに比べて日本では、恵まれた上級国民に限って何故かそういう責任感がなく、それどころか自分達こそが不当に虐げられた弱者と言わんばかりの態度が目立つ。
欧米のこういう文化があるのは、基本が半端ない格差社会かつ階級社会だからだろうな。
セレブ階級が日本じゃ考えられないような王様生活してるからノーブレスオブリージュ的な負担を当然と考えてる。
信じられないレベルの悪質パパラッチに追われたり凄まじい額の寄付金を投下させられたり奉仕活動アピールに時間と資金を割いたとしても