はてなキーワード: 資本家とは
経済学的な統計研究でも、その人の生涯獲得賃金に影響を与える最も大きな要素は「どこの国に生まれたか」なんだよ。ついで「どの親に産まれたか」。日本はたしかに長年経済が低迷してるし、日本社会のなかだけでその無力感に浸かっていると苛立っちゃうのも分からないではないけれど、日本の平均的な賃金や、なんだったら最低クラスの賃金でさえ、地球規模でみれば上位の収入なのね。水、安全、食事と言った生活の快適さにおいても、地球上でみれば上位10%に入っていると言わざるをえない。
俺は日本人に生まれたけれど、自分のことをちっともすごいとは思ってない。人類の上位10%にはいる能力を持っているとも思えない。バングラディッシュの大学の教授は俺より遥かに頭もいいし世界に貢献してると思う。けど、俺のほうが年収上だし、治安にも医療にも娯楽にも恵まれてる。それはひとえに日本に生まれるというラッキーに恵まれたからに過ぎない。
日本はすごいかもしれない。豊かという意味で。でも、それって俺らの凄さには何の接続もしない。俺らがすごいから日本がすごいわけじゃない。先祖が偉大だったというのすら嘘。彼らが勇気を持って勤勉だったから日本は大繁栄したってのも、年寄りの武勇伝に過ぎず、マクロ的に見れば、地政学的な(そして時代的な)幸運に恵まれただけだ。
そもそも日本を含む先進国がいまコレだけの裕福さを享受できているのは1900年代後半に、経済的な植民地政策をやって、発展途上国に貧困を輸出して国内へ技術やら知財やらっていう利益を溜め込んだからだ。言ってみれば搾取だね。
増田は日本人の中に労働者と、その労働者を搾取する富裕層がいるみたいな視点で世界を語りたいように見えるけれど、歴史的に見れば日本人全部が搾取側なのだ。発展途上国から搾取して(労働者を含む)日本が豊かになるのは正義だけど、日本国内で労働者から資本家が搾取するのは悪です……なんてのはただのダブルスタンダードにすぎない。だからそういうダブスタに俺は賛成しない。
http://www.pojihiguma.com/entry/shakkin-3000man
人それぞれの事情が有るとのお話ですけど、そもそも人間は配られたカードで勝負するしかありません。
先の記事で述べたように、月手取り16万でも車所有して毎月3~4万貯金している人は私の知る範囲内でも数人居ます。
そんな人は、酒飲んでタバコ吸ってみたいな生活はしていませんが、遊んでないわけでもありません。
ただし、工夫はしてるみたいですね。例えば休日に稲刈り手伝ってコメ貰ってくるとか。1日の手伝いで1年分もらえるそうです。
田舎ではコミュ力、都市部でしたら知恵と勇気でどうにでもなるでしょう。
コミュ力は慣れと努力でどうにでもなります。知恵と勇気はタダ(アルスラーン戦記 ナルサス)だそうですよ。
100万をたかがと言いましたが、まさに大人にとってはたかがです。
ポジ熊さんも1800万のローン抱えてるのですよね?100万が無理な人に1800万のローンは組めません。
そして住宅ローンという「資本家の搾取」に自分から飛び込んだ人に、それを非難する資格も有りませんね。
ジリ貧で喘いでいる人たちを代表する切実なブックマークコメント、と僕はこれを捉えます。「泣き言言ってんじゃねえ」と、これに唾棄できるのなら、どうぞ恵まれた環境やアドバンテージを捨てて、同じ目線まで行ってはどうでしょうかと言わざるを得ない。
収入という点でしたら、私も10数万から始めていますので同じ目線も経験しています。
そして習慣さえ有れば、100万円は「たかが」と言って良い金額です。少なくとも、五体満足で日本に暮らす成人であれば「たかが100万円」です。
見てもない他人の環境を「恵まれてる」と妄想されているご様子ですが、例えば私は親から家土地をもらう代わりに親の宅食と光熱費(毎月5万程度)を負担しています。
親は60代なので後20年くらいは生きるでしょうね。
500万かけてリフォームしなければ住めないボロ屋もらってこれ、恵まれてますかね?
無計画を推奨するわけじゃないです。浪費はありますよね。ギャンブル癖などは、個人的に改善できる浪費だと思います。次いでソーシャルゲームの課金や暴飲暴食でしょうか。ここらへんは、見直すのも悪くないですよ。
中略
この記事を見たからと言って「よっしゃ、使い切ったる、宵越しの金は持たねえぜ!」なんてはっちゃけるのは止めてください。貯金を否定する記事じゃないんです。貯金というのは、いざという時の為に大事なものなんですよ。そうじゃなくて、今、自分が支払っていたりギリギリの生活を送っているうえでは、貯金はできて然るべきものではない、ということです。できないからといって、どんな事情があっても「社会性に欠ける」だなんて、暴論であり、許されるべきものではなく、そんなものは嘘っぱちです。貯金がないからといって、自分を責めるのは無しですからね。僕も、自分は責めませんから。
ギャンブルや暴飲暴食は改善点と言いながら、その他の主に自分の改善すべき点を棚に上げる姿勢こそが社会性に欠ける点ではないですかね。
恐らく、ポジ熊さんはギャンブル、暴飲暴食、ソシャゲはしない方なのでしょう。
しかしこの方、ギャンブルやソシャゲユーザー、暴飲暴食する人を下に見て自分の改善点をスルーしてますよね。
人それぞれの事情が有り、軽々しくクズと呼ぶなと言いながら、貯金できない自分より下を作って自己満足ですね。とてもご立派な姿勢だと思います。
凄く大きな事を成し遂げたいのなら、生まれ育ちや素質、環境なども左右するでしょう。
例えばウィンブルドンで優勝したいとか、オペラ座でエトワールになりたいとかね。
才能有る人の中でなお勝ちたい、世界一になりたいというのなら、それは個人の資質だけで到達できないというのは理解できます。
五体満足の成人が毎月給与の1割を貯蓄したら、数年で到達する程度の金額です。
それは単純に、あなたが到達する気が無いだけでは?
別にポジ熊さんが出来ないのは構わないのですよ。私には関係有りませんし。
しかし、日本在住でたかが100万も貯蓄出来ない人は信用出来無いという指摘を、自説で補強しているという自覚は持たれた方がよろしいかと。
長々と書きましたが、ポジ熊さんは私のネタに乗っかってアフィリエイト収入を得るのが目的なのでしょう。
機を見るに敏な所を見ると、記事自体が釣りで、口座には1000万以上入っている方なのかもしれません。
前からはてな村やネットの若手リベラル系ブロガーの中で「日本経済を復活させるには消費税は減税!ガンガン財政出動させて介護や保育や教育に予算をぶち込め!」という論評が人気で、前から生暖かい目で見守っていたのだが、今回自民党の若手議員までもそういった提言をしていたというニュースが日経であがってはてぶが大絶賛の嵐だったので本気で不安になってきた。ブコメの一部に「応援するからこの議員27人の名前を公開してほしい」というのもあったが、俺も別の意味で公開してほしい。自分の選挙区だったらその議員には絶対票を入れないから。ベーシックインカムほどのトンデモ感はないし、ある程度はうなずける点もあるが、ちょっとみんな夢見すぎなんじゃないかと思ってしまう。
俺みたいな「反緊縮&財政出動反対論者」にはよく「日本の国債はほぼ国内で消化できてるから大丈夫!」という反論がつく。ギリシャなどが経済破綻したのは国債の大半を海外の投資家などに保有されてて、一度経済危機が起こると一気に売りに走って暴落するけど日本はそんなこと起きないよ!という話だろう。それはわかる、ただ日本の国債が国内で消化されているのは単純に「日本の高齢者の多くが安定資産として国債をかっている」または「高齢者の貯金を溜め込んでる銀行が安全策として国債を大量購入してる」という話ではないか???そりゃ中国も利回りが限りなくゼロに近い日本の国債を買うなら世界で一番安全で利息もある米国債を買うだろうよ。現時点では団塊の世代が引退時期で溜め込んだ大量の現金の安全な運用策として日本国債が選ばれるんだろうが、今後彼らも生活のために貯金を切り崩し、また段々と人口減でそんなにお金ためこんだ高齢者の数もへっていったら、今後は日本国内で日本国債を消化していくのは難しいと思うのは俺だけだろうか?なのに反緊縮派は今後も日本の国債が問題なく日本国内で消化される前提で大型財政出動説を取る。あまりに楽観しすぎじゃないか?
あと低待遇な介護士や保育士の待遇をヘリコプターマネーで改善しようという安易なやり方にも大反対。彼らの低待遇はたしかに問題だし改善すべきだが、それならちゃんと国内で議論して彼らの待遇改善のための予算(増税)を組むべきである。「介護士や保育士は社会に重要な仕事だから財政出動で給料を5割増にしよう」というのは簡単だが、一度ヘリコプターマネーであげた給料をあげたらいったいいつ元に戻すのか???年金3号問題というのも、元々は高度成長期に猛烈サラリーマン家庭を助けるための「仮法案」だったのに(あまり知られてないが、仮なので今でも定期的に国会で新しい法案をとおして延長してる)、企業も国民もその年金3号がずっとあることを前提に社会プランを構築してしまったので、もうやめるにやめれない状態になってしまった。おそらく介護士や保育士の待遇をヘリコプターマネーで改善しても10年もしたらその特例が「当たり前」になって誰もやめることができず、国の借金が完全に破綻するまで増大していくだけだ。
それに根本問題として、もう少子化が進みすぎて日本の人口低下が止まらない状態になった今、「日本の経済が増税に耐えられる状態になるまで回復する」時期なんて永遠に来ないだろう。正直少しずつ騙し騙しで増税して国の国力低下をソフトランディングさせる以外に方法はないと思うし、「消費税は減税!財政出動はさらに拡大!」をやったら、自分ら世代はなんとか逃げ聞けるかもしれんが、まだ生まれてない次世代の子供にとんでもない額の借金を押し付けるだけになるのではないか?これじゃ俺らが「逃げ切り」と批判している今の高齢者と変わらない、いや借金の膨大化を許した分もっと罪が重いのではないか????
ただだからといって「消費税増税」が劇薬なのは納得せざるをえないのが悩ましい。対案として「高額所得者への増税」「法人税の増税」をよく聞くのだが、日本の厳しい点は少子高齢化が進んでいるので勤労世代の数がどんどん減っている点だろう。国としてはぶっちゃけた話「今後増えていく一方の年金受給者にも税金を負担してほしい」のが本音であり、その高齢者からも確実に税金を徴収できる手段として「消費税」はたしかに確実な方法なのである。個人的にはなんとか相続税をもうすこし調整して税収を増やしてほしいのが、現在自民党は高齢者が溜め込んだ現金を早く市場に流すようにと子供、孫世代への教育費用については控除みたいな方針を出しているので、あまり相続税をガン上げしてもあまり劇的な効果はないんじゃないかと思ってしまう。
正直ここまで書いて行き着く結論は「魔法の解決策なんてないよ」に行き着いてしまう。日本にいる人は現在の日本の税金は高すぎる!この上消費税も増税なんて狂ってる!と思っていると思うが、日本は他の先進国に比べたら税負担は低いほうだろ。欧州は論外として、低負担低福祉で知られる米国と比べても税負担はそんなに変わらない。それなのに医療設備はここまで完備されているのは、日本のいう国はバブル終わってからずっと借金で回っているから。この国は「低負担・中福祉」なんだよ。それを負担を今のまま、いやむしろもっと減らして、福祉の質は更に上げようなんて虫が良すぎるだろ。
「教育無料化して国民の質をあげれば後々になって税収入となって戻ってくる」という論もあるのだが、正直俺には「国が10負担すれば将来うまくいけば5ぐらいは帰ってくる」ぐらいの与太話にしか聞こえない。俺もそこまで経済に詳しいわけじゃないから専門家からみたら穴だらけな指摘もあるんだろうが、やっぱり感覚的に反緊縮&大型財政出動主義に乗れないのである。今後日本ができることといったら、労働関連の法律をもっとしっかり整備して、ちゃんと夫婦フルタイムの共稼ぎでも子供が育てられるレベルの環境を設備していくぐらいじゃないか?もちろんそのために保育士や介護士の待遇をあげるために多少の増税はやむを得ないと思ってます。
追記①
正直もっと荒れるかと思ってたけど、みんな比較的煽りなしで答えてくれたのでよかった。きっと「娘とYUKIのライブいけるかも?」の増田さんのおかげでみんなの魂が浄化されてたんだろう。
いろいろあった反論から全部答えるのも長くなるので一部だけにしますが、俺はべつに「消費税増税に賛成」とか「成長をあきらめてる」とか単純な話じゃないんですよ。ただ「反緊縮&財政出動で日本の経済復活」なんて単純に信じられるのがお花畑すぎるってことです。人口減少している日本じゃどのみち経済規模は落ちるし、毎年のように高齢者向けの社会保障予算は増えていくし、数あるクソ対策のなかから少しでもマシなクソを選べって話だと思ってます。ただねー高齢者の負担を増やすための方策ってやっぱ数が限られてくる。
日銀の大胆な金融緩和政策については俺も評価してますよ。ただブコメやトラバにあった「インフレが順調に進めば、資本家や金持ちには間接的に税金になり、庶民は物価もあがるけど給料もあがるから国の借金が目びりして万々歳」みたいな話が流れて、それは違うだろうと思うわけです。少なくても同じような金融緩和政策を行って景気回復させた米国では「年金ぐらしの高齢者の暮らしは確かに厳しくなったが、資産のある高齢者は資産価値があがって逆にプラス」「企業や金持ちはインフレで資金目びりするどころか、あらたな投資チャンスでもっと資産増やす」「物価(不動産、医療、学費)のインフレに給料の賃上げがついていかず、実質的に庶民の手取りはどんどん減ってる」という現状を無視せずにちゃんと直視してもらいたいわけです。日本のアベノミクスは規制緩和がほとんど手付かずなので中途半端におわったといわれてますが、もししっかり規制緩和してたとしても米国のような結果に終わっただけじゃないかな。まーそれでも国力がどんどんジリ貧になっていくよりはマシかもしれないけどね。経済学でこれまで語られてきたインフレと、現実に先進国で起こっているインフレの現状は違うんだよね。そこは認めようよ。
ブコメやトラバでも「相変わらずわかってない奴」的なコメが多いんですが、他の先進国の経済政策みても英国労働党のコービン氏以外は俺の認識とそんな変わんないんじゃないの?だって俺の理解では各国の中央銀行が金融政策を行うのとは別に政府が「国のサービスや補助を厚くするから税金ふやすよー」と「税金減らしてみんな好きに使っていけど、代わりに国のサービスもカットするね」の2択から時代に応じてどっちかを重視してバランスとってくってのが基本じゃない?それなのになんで日本だけ「税金は安くするし、困っている人おおいから公共サービスも厚くするよー。費用については後で考えようね」なんてトンデモな話になっちゃってるんだろ?っていう現状にモヤモヤと不安が募るのは普通じゃないですかね?誰かもいってたけどフリーランチなんてないよ?
人工知能は疲労しないので、それを癒やすための賃金が発生しない。人工知能が使う素材を収集する人間の人件費だけが発生する。
だから人工知能に代替されたタスクの利潤は徐々に下がっていって、人工知能を保有する少数の資本家に富は集中する。
例えばExcelがなければExcelシートを手書きする職人には価値がある。表を求める人は職人の苦痛を和らげるべく賃金を支払う。
しかしPCがあってMS Officeがざっくり正確に表を出してくれると、電力会社を通じて鉱山労働者に支払われる電気代とか、プログラマに支払われる
サポート契約費用とか以上の価値はそこに見出されない。だから人工知能が普及すれば人工知能にお金を稼いでもらうことはできない。
普及していない分野に持ち込んで安く結果だけを買いたたいて稼ぐことはできる。
ちなみにモラベックのパラドックスというものが提唱されていて、高収入の仕事ほど自動化してみると簡単なことが明らかになり消えていくと考えられている。
時々新メニューが登場してイラストや口頭で説明されるマックジョブ系ジョブが、コストを度外視しても最も難しいと言われている。
そもそものはなし、ある金額を稼げるAI(例えば、時代遅れになるのに10年かかり、10年で5000万円稼げるAI)をその金額以下で売るインセンティブってどこに有るんだろう? 売り主はそれを運用して5000万円もうければいいだけなのでは?
というか、そこまでAIが進化して安定した社会において、そのものを購入する必要なんてないよね。購入するものは「そのAIの運用で得られる利益を受け取る権利」だけで十分でしょ? 購入者はAIのソフトもサーバも見る必要がなくなる。でも、それって、要するに、利殖の金融商品を買うのと同じだよね? 初期にまとまったお金を払ってその運用益をもらう金融商品なんて、この現代でも溢れてるじゃない。庶民がみんなそういう金融商品(例えば株式)に投資して不労所得を得る貴族社会に、今現在僕らの地球はなっているのかな?
AIが発達して職を奪うっていうニュースに対して、働かないでお金が入ってくるとか格差が破壊されるとか期待を持っている人を見かけるけれど、実際には全く逆で、(少なくとも短期的には)格差は広がるばかりだと思うよ。
当面のところの業務遂行AIは、今まで人間のこなしていた業務を代行する(自動運転とか)タイプなので、この場合、利益を受けるのは資本家だよ。たとえば、運送会社で人件費が圧倒的に圧縮されて、利益率がドーンと上がる。資本家はその利益を受け取るけれど、この会社の従業員(運転手)は解雇される。経営陣と総務的な部署とオペレーターが残れば仕事は回るようになる。――この事例では、解雇された人にも、社外の人にもお金なんて入ってこない。
あるいは、市場で資金を運用するようなAIのタイプも有る。いますでに株式や先物の取引のかなりの割合をAIがこなしていて、運用益を上げている。AIたちは人間よりも予測能力や反射能力が高いので、相対的に人間たちより利益を多く取れる。でも、このAIが一般的になって市販されるようになると、今度はAI対AIの取引になる。そういう状況になれば市場で挙げられる利益を誰が取るかは、AIの性能(ソフト性能+ハード性能)勝負になるわけで、「AIだから勝てていた」時代は終わる(現実にはもう終わりつつある)。そんな社会において「最強の投資AIを持つ会社」はそのAIを一般公開/販売する動機がない。もし売られるとすれば、それはすでにより上位のAIに負ける(=カモにされる)ことが確定したAIであって、それを購入してきて運用を始めた時点で、財産をドブに捨てる意味しかない。
もちろんすごい時間が立って、AIが宇宙(ほとんど無限に資源が有る)で自己増殖して人類に奉仕するような環境になればまた話は変わるけれど、100年200年の間は、AIの発達は一部の資産家や巨大企業がよりますます大きく巨大になる方向への後押しであって、万民を幸福にするものではないよ。
ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。
↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義、ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。
ついでに、最近話題のポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。
文章はいい加減だし、今日の日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである。
たとえば、労働問題について考えてみよう。
「過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?
私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。
「過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府が長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。
人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権の範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しかし労働問題においては、そういう権利を適用するべきではない。
長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合、ブラックな労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである。
女性が労働するときのハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。
明治時代の日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化の過程では必ず「上からの改革」がある。
「旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊を排除することで、国民はようやく新時代に適応できる。
たとえば女性差別がひどい国では、政府が女子教育の権利を提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。
権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層や田舎にまで女子教育を普及させるには、政府が国民に権利を与えるだけでは不十分であって、その権利を行使することを国民に義務付けなければならない。
「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親や祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子を学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。
そして女子児童は、当人がまだ子供であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。
ここにおいて「多様な価値観を尊重せよ」などという主張は有害だ。政府は旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。
当然ながら現代の日本で、後進国が近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府や会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。
たとえば就活の会社説明会で服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令が必要だ。
上から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的な手段なのだ。
私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社や官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである。
前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベートな時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)
私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。
もし本物の極左ファシストであれば、プライベートな時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である。
近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。
そのときのリベラル側の主張は、「女性蔑視の表現は政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由を制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレに配慮せよ」というものであった。
私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視的であるからだ。
もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。
「女性の主体性を尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ。
しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性がハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定するという現象だからである。
被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別を正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。
(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)
私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。
そしてこれはあまり知られていないことだが、お上が纏足を強制していたわけではない。とりわけ清朝は漢民族のこのバカらしい習俗を忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足を選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑の言葉を口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。
そして子供のときは纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。
さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊を強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。
「纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性は成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」
http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html
西洋で女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。
これはまさしく、現代日本の女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしまい自家撞着するのと同じ心理だ。
ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性の主体性を尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。
無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足やコルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別が過酷なものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。
だから我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしまう女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである。
なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働の問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家・知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。
この理論を適用すれば、女がオシャレをする自由を是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。
twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。
リベラリズムの本質的価値-自由、平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値を原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要な遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。
「スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より
https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995
前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。
ベーシックインカムを欲しがる人って、基本的に自力で稼げていない人だよね。
年収1000万を超えるエリートサラリーマン、事業収入数千万の経営者、不動産や株から収入を得ている資本家みたいな人は、少なくともBIの収入についてはどうでも良いと思っている。
たかが月に10万前後の金、僕もどうでも良いしね。(予め断っておくけど、見知らぬ人にあげるつもりは全く無い。あげても厄介事が増えるだけだからね)
なので、研究している学者、理想に燃えている政治家などのごく一部の層を除けば、基本的に貧乏な人ばかりだと思うんだよ。
今の世の中、正しい経済知識が有って健康体なら、大金持ちは無理でも小金持ちくらいは誰でもなれる。
今の日本で貧乏という事は、経済オンチか余程の不運でなければあり得ないんだよ。
もちろんいつの世も賢い人は少数派でオンチが多数派なのは間違いないから、重ねてになるけど悪い事じゃないんだよ。不運な人は気の毒だしね。
たださ、経済オンチが考えた経済政策って、どう考えても実施したくは無いよね。
BIについては、世の中のリソースが有り余ってて、人類全てに衣食住を提供して余りあるなら出来るかもしれない。
でも、今の所そんな事無いでしょ?
そして、衣食住提供しても今の生活保護受給者を見るとそれ以上を要求してくるよね?
最低限の文化的な生活だっけ?アレ、周囲の生活水準が上がれば最低限も上がるから、永遠に達成できないよね。
話が脱線した。
働かなくても生活したい、衣食住を満たして趣味に没頭して生きたいって話じゃん。
少なくとも、単純労働を代替するロボットやAIが実用レベルにならないと無理。そして電力がタダになればやっと現実的な話になる。
電力タダは凄いぞ。水も食料も資源も使い放題になるからな。一番現実的なのは核融合の実用化か。
また脱線した。
ベーシックインカムについては「人類のリソースが足りない」で終わりの話。
少なくとも今の所は無理。
貧困層が家に居ながら世界中とアクセスして、一生かけても遊び尽くせないコンテンツと繋がれる。
飛行機の料金は安くなってバイトでも頑張れば世界の裏側まで行ける。
お前らが持ってるスマートフォンは30年前の数百億円のスーパーコンピューターよりハイパワーだ。
30年前には考えもしなかった世界が実現してるんだ。
この調子で進歩したら、次かその次の世代か知らんけど、人類が労働から開放される時も来るかも。
その世界を見る事はたぶん出来ないけど、俺も夢見る事は有るね。
まぁBI無くても俺は人生楽しいから大丈夫だわ。無いと人生が楽しく無いなら、自分が変わった方が話が早いぞ。
たぶん、お前が生きてる間に恒常的なBIが実現する事は無いわ。
地球上のリソースはまだまだ不足していて、全人類を満たすには程遠い。
日本というところは徹底的な身分階級差別があり、資本家が偉く、それは社会構造を維持するためで、つまり資本家よりも社会構造の方が偉く、人間よりも社会構造の方が偉い。
住居を買うにも殆どの人が借金をしている。住宅の価格は新築購入時がピークでどんどん減価償却していくから、つまり消費するカネを借りている。バブル崩壊前ならまだしも、平成の時代はずっと、買った住宅の価値が上がることはおよそない。借りたら負けである。
賃貸住宅はもっと危険だ。貸主と不動産業者が必ず優位になるようになっている。借主は完璧に差別される。身分階級差別(格差ともいう)が明白だ。
近年は、保証会社なるものがあって、連帯保証人なしで借りられるようになってきている。これはもっと危険だ。保証会社は明らかに、貸主や不動産業者の味方である。借主が保証会社を調達してくることはない。保証会社というビジネスは、保証会社が最も得をし、次いで貸主や不動産業者が得をし、借主が損をするシステムになっている。貸主や不動産管理業者が立ち退きをはじめメチャクチャな要求をしてきたときに、借主は孤立無援四面楚歌である。
だから、借りるのであれば、何かあっても自分の100%味方になってくれる人を連帯保証人につけねばならぬ。ここ、極めて重要。必要不可欠。保証会社という制度を使わされる時点で完敗。
同じように、勤務先の借上げ社宅制度を利用するのも極めて危険である。なぜならば借主は勤務先であるからだ。例えば、勤務先が元・勤務先になったときやはり、孤立無援四面楚歌になりうる。借主ですらない入居者の自分の立場は、吹けば飛ぶような屑である。
言うまでもなく、緊急連絡先とか身元保証人とかいうのがいても、ナンセンスである。そんなんはただのオブザーバーにすぎない扱いにされるのはみえている。
「そういわれたら、東京で就職なんかできへんやろボケ」と思うだろう。そのとおりである。住居を借りないといけないような生活をせねばならぬ時点で敗北である。もう煮るなり焼くなりスキにされるしかないスキ焼きである。
しかも東京一極集中という地域階級差別化が完璧で、バブル崩壊以後は殆どどこも(ケチるために)ヘッドクォーターは東京に集約してしまった。だから、大学出て企業に就職するとなればかなりの事例において東京が本社ですから、もう救いようがないよね。