はてなキーワード: 衣服とは
ネットがなかったとしてもいまだに無修正解禁してないだろどうせ。
三次元で抜けるやつだけが合法的に恋人婚姻関係やソープ()で三次元の裸体を見ることができる。
二次元の裸体は微妙だが結合してるシチュは修正なしには見られない(ことになっている)。
これはおかしい。フィクトセクシャルを迫害してるとしか言いようがない。
なぜわいせつ物陳列罪だというのか。なぜわいせつ物頒布罪だというのか。
「公然わいせつ」の言葉の通り、公然でないわいせつは存在する。
ようするに我々自身はみな歩くわいせつ物であって、衣服を着ることによってその公然性をなくしているだけだ。
(公然と局部を露出した一点で公然わいせつ罪で裁かれた判例があるのがいい証拠だ。局部はそれ自体わいせつであってそれを持ったわれわれは元来わいせつなのだ。)
ではその程度で公然性が否定されるのなら、わいせつ物にあたるエロ漫画だって、ゾーニングしっかりしたうえで包装もして買わないと中が見れない、表紙等もともと見える部分にはわいせつにあたる表現がないようにしてるなら、違法性がないようにすべきじゃないか!
なぜ、人間が服で裸体を覆うことと、エロ漫画をわいせつではない表紙で覆うことを、同等として扱わないのか?そこ論理的に説明できるのか?できねーだろ?
はっきりいって、わいせつ物頒布なんかと比べちゃえば、セフレという関係のほうがよっぽど公序良俗を乱してるだろ。恋愛関係の先のセックスというわけではない、抜くためだけのセックスを堂々としてるなど、それこそわいせつだろ。
雪国の人は「東京人ってバカなん?たった5cmや10cm積もったくらいで」というけど、
しょうがないんだよ東京は。最初からそんな対策取って無いから。
極論を言えば、赤道直下の南国にいきなり雪降ったら死人が出るのと同じように考えてもらえばいい。
多少の寒さに耐えられるように暖房とか有るよ。でも雪国用じゃないだろ。
それと同じで生活環境の中に雪の対策なんて1%程度も無いんだよ。
スノーダンプだの、スコップだの、スタッドレスタイヤだの、チェーンだの... 保管しておく場所が無いの。
小屋みたいに狭い家やアパートに住んでるから。あ、いや、マンションって言うんですかね。
分かってくださいよ。
変態仮面のような仮面スタイルではなく、帽子スタイルの場合が謎
仮面スタイルは「何故?」の問いに「ニオイを嗅げるから」という回答を用意できる
帽子スタイルは漫画的誇張表現で、現実の変態性欲所持者はパンツを頭に被らないという可能性はある
あるいは、フィクション作品でパンツを被っている描写を見てそれを実際に真似する変態が存在する可能性もある
その場合はパンツを被る描写のあるフィクション作品の有名どころ、またその歴史はどこまでさかのぼることができるのかも調べたいところだ
女性用の洋装のパンツが一般に普及したのは昭和からなので、パンツを被る変態もそれ以降に生まれたはずなのだが……
あるいは例えば江戸時代でも女性用の衣服を盗んで身にまとう変態がいたかもしれないが、今回の疑問とは関連が薄いか?一応留意はするべきか
こんなしょーもない疑問でも一応メモしておかないとな
件のがどっち指すのかわからんけど、どっちもさほど戦闘に重きが置かれてる作りじゃないから、一定以上強くするのはマジで趣味の域だよ。
物語と世界探索が主軸だから、そこで度肝を抜いてもらえるよう一番お金と工数かけて作られてる。スマホゲーどころか大半のコンシューマーRPGより凝ってると思う。
戦闘システムそれ自体もかなり練り込まれてて研究しがいがあるけど。
原神の場合は一生ハウジングしてる人もいれば、サブコンテンツのデジタルカードゲームして世界大会目指す人、バエ写真・動画とってSNSに上げる人、料理再現する人、衣服や建築の意匠から考察をする人、いろいろいる。まあこのへんはネトゲあるある。
イベントでも、戦闘系コンテンツは数ある遊びのうちの一つで、毎回違うミニゲームをやることになる(スマホゲーでは異例)から、戦闘一辺倒ではなくて、なんというか文化的。
他のスマホゲームでは性能で釣って過剰な課金に至る人が多いのかもしれんけど、ここの場合は「与えすぎてくれる運営開発に報いる」気分でちょっと万札を気持ちよく投じてしまえる側面が大きい。
ネタバレにならん範囲で本気度が伝わる部分は音楽くらいだろうから、ちょっとこのへん覗いてくれればユーザー心理が分かるかもしれん。
https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA
ちなみにオンラインコンサートとかいってアーティスト動員した有料レベルの映像を毎年公開してて、これは原神スターレイル崩壊3rdいずれでも最近やってる。
https://www.youtube.com/watch?v=Q126ms-sC90
だいたいネタバレになるけど公式にあがってる各所で流れるムービーやキャラPVなんかも映像表現の凝り方が異様なほどで、そのペースも矢継ぎ早で、ちょっとよそが真似できる感じじゃない。
それだけお金かけてユーザーに還元してるってことが、たまのアピールではなく日々ひしひしと伝わってくるから良い循環を産むんだろう。
アイドル系リズムゲーなんかをやっていたときも、性能要求はシビアでないから推しへの愛を示すお布施課金みたいな風潮を感じていて、これはこれで一種の理想形だと思って課金してたけど
より普遍的で王道な形で熱意と開発力のスケールが違うもんを見せられるともう感謝を表明するマシーンになるしかない、べつに何も強いられてないんだけどな
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
ショーが始まる。
今まで踊っていたダンサーたちが降壇し、そして6人の踊り子が黒い衣装を身に纏いスタンバイした。6本あるポールの内、アイスは僕から見て右前のポールに立っている。先程まで見せていた無邪気で明るい笑顔とは違い、どこかこちらを挑発的に伺う様なそんな顔だ。そして世界的に有名な洋楽をダンスミュージックアレンジにしたものが流される。
6人の踊り子はそれぞれ目の前の客と、意中の客に目線を向けてポールを回り踊る。ふとすると他の踊り子が視線に被さってくるがアイスのしなやかな踊りだけに集中する。
隣の席で2人の女性を侍らせた老人が何かを叫びつつ盛り上がっている。他の席でもそれぞれが思い思いにステージの踊りを見続ける。アイスはそのまま踊り続けた。彼女の夢の為、この瞬間の為、そしてつい都合良く僕の為という言葉が頭をよぎるがおそらく彼女の家族の為に彼女は踊り続ける。彼女の視線と笑顔の半分はその他の客に向けられている。しかし、もう半分は僕だけに向けてくれている。心のうちまで奪おうと思わず、この贅沢な瞬間を享受すべきだ。ダンスは続くが曲の合間に彼女に1人の男性から声がかかったらしく、店の従業員が彼女に耳打ちをする。しかし彼女は首を横に振って断り、従業員は怪訝な顔をする。後で聞いたがこんなに早い段階で声がかかる日は稀とのことで不思議がっていた。しかし、その日の彼女の踊りには魅力があり、また人を惹きつける力があったのだと僕は不思議に思わなかった。曲が変わる。
とあるファンが狂気に陥り独善的な犯罪に身を任せて悲しい結末を迎える曲だ。踊り子たちはただでさえ露出度の高い衣装の上のパーツを外し、上半身をあらわにする。しかし、その姿は決して欲情を誘うだけではなく心を惑わす芸術的な力を持っている。
また1人の男性から彼女に声がかかり、ダンスが終わったら隣に来て一緒に話したいと申し出があった。しかし、彼女はそれを再び断りダンスは続く。ポールに対して体を預けた踊り子たちは思い思いの方法で目の前の客の心を奪う為に踊り続ける。2時間前に彼女の近況と夢の話を聞いた。
彼女に会うのはこれで2回目だが、会っていない間にも定期的に連絡を取っていた。彼女の実家のこと、彼女の家族のこと、彼女の体調のことを教えてくれたが、夢の話を聞いたのは今日が初めてだった。ちょうど年末に彼女は帰省し、彼女の田舎に買った土地を見に行っていた。彼女の田舎はシャムの中でも貧しいイサーン地方にあり、近代化が進んでいるこのバンコクとの貧富の差は激しい。実家に大きな財産も頼れる稼ぎ手もいない中で彼女が選択したのが、ここで踊り子になることだ。そして彼女はその夢を叶えつつある。僕は彼女にとっていく人かいる客の1人であるし、それ以上に進む覚悟も資格も無い。それでも彼女の夢を応援し、そしてこの時を共有する。それだけで良い。ショーも終盤に差し掛かり、踊り子たちは全ての衣装をはだけて曲に合わせて踊り続ける。アイスのしなやかな肢体がポールを上下し、時折こちらに微笑む。この贅沢な時間は何にも代え難い。フェミニズムもLGBTQも今は邪魔をしないで欲しい、そこに確かにある美しさを思想や思考で誤魔化したくない。もちろん彼女や家族の置かれた苦境には社会的な課題や、改善すべき問題があるし彼女を"可哀想"と謗ることもできる。しかし、それとは別に彼女は確かに美しく、人の心に感動を与えているのだ。今この時、そんな彼女のことを尊敬こそすれ蔑む必要が無い。
ショーが終わり、アイスにまた1人の男性から声がかかる。彼女は笑顔で従業員に断りを入れると、僕の方を指差し説明している様だ。そしてアイスがゆっくりと僕のソファの後ろに周り、着替えたら戻るねと囁く。僕はソファを後にして飲み物の代金を支払い、彼女を待った。途中他の女性から一緒に飲まないかと誘いがあったが先約があるのでと断り、離れた。
先日、初めて例のあの場所を見た。
立ち並ぶ彼女らの横を、退社後に通ったのだ。
そこには連日伝えられるスポットでニュース通りに女の子が立っており、帳も降りかけた十八時半手前。
彼女らは底の厚さを見せつけるような靴を履き、裾の先から素足を風の寒さに打ち付けていた。
まるで現代のフレンチ・インディアン戦争※だと思いながら、私は実存的貧困と評された彼女ら立ちんぼガールの前を通りすぎたのだった。
それにしても周りの人だかりといえば著しく……
あそこをバス停すればいいのでは? と思えたほどであった。
※フレンチ・インディアン戦争の際、ジェフリー・アマースト卿が、衣服の粗末なインディアンに拾わせるために、天然痘ウィルスに感染された毛布をわざと並べて置いていた。
清潔感の話になると出てくるアドバイスを聞く限りどう考えても清潔かどうかって関係ない
清潔感のある格好って顔面、体型、衣服等のトータルコーディネートで美しい格好をしろって意味だよな?
そしてこういう話をするとさ風呂は入れとか洗濯しろとか的外れなアドバイスを始めるやつが現れるのはなぜ?
お前さっきまでどう考えても「清潔」の意味で「清潔感」って言葉を使ってなかったでしょ
なんでこの言葉おかしくね?って言う時だけ「清潔感」の意味を変えるの?
ブコメを読んだら、清潔感の具体例として「髪のセット」「ムダ毛処理」「歯の白さ」「服に毛玉、ヨレ、シワなし」をあげて「だから美醜じゃない」と結論づけている人がいてビビる
それ全部外見の美醜の話でしょ?
髪はボサボサでも洗ってるなら清潔
ムダ毛も同じ
服も同じ
追記を書いた後にも清潔感の具体例として美醜の話をしておきながら、結論として「美醜じゃない」と言い出す人が現れるんだが
髪型、服、メイク、爪、靴、鞄、歯のホワイトニング……全部美醜じゃねーか
これらが「清潔か」ではなく「美しいか」で「清潔感」を評価してるだろ
本当に何なんだこの人たち