はてなキーワード: 花嫁とは
「なんでそんな人と結婚したの?」という質問は友達からも100回聞かれた。相手がしつこくて「結婚しよう」という言葉にうんと言わないと同じ言葉を100回繰り返して家に帰らせてくれなかったとか、単にウェディングドレス着て花嫁さんとして祝福されたかったとかくだらない理由しか思い出せないんだけど、一度も結婚しないでずっと独身でいたら結婚に夢ばかり描いて、結婚生活のイヤな面なんて考えもしなかっただろうなと思う。
「義理実家との付き合いがめんどくさい」とか「家事の分担でもめる(共稼ぎでも結局女の方の負担が多い)」とかは結婚生活あるあるで、たとえ大恋愛で相手に夢中になって結婚したとしても発生しうる話なので、Q&Aサイトとかで結婚生活の悩みを読むと「分かる分かる」となるのが唯一の収穫のような…。
男性並みの給料がもらえて、昇進とかもほぼ平等な代わりにやたらと独身率の高い(特に女の方)職場なので、「ずっと独身の人は結婚生活に憧れだけ持って生きてるのかな?」と気の毒な気がする。独身生活を満喫しているならそれはそれでいいんだけど、結婚生活のマイナス面を知っているというのは案外独身生活の心の支えになると思う。・
少し距離も離れてたから、なんか電話友達みたいになってしまってて、あんまり付き合ってるって感じがしない時期もかなりあった。
大学に入って、いよいよ放ったらかしになってたから、きちんとお別れをして友達に戻らせてもらった。
それからかなり月日も経って、俺は自分の結婚パーティーにその元カノを呼んだ。
同じグループでその子だけ外すと明らかに不自然で「今でも意識してんのか!」って感じで恥ずかしいレベルだったから。妻にも承諾してもらった。
特に何事もなく、結婚パーティーが終わった。すると間も無く、その元カノから連絡があった。
「私も結婚するよ。」
俺は結婚式に呼ばれた。呼ばれて断るのも「まだ意識してんのか」という感じで不自然だから、承諾した。
結婚式一週間前、俺は嫌なことに気がついた。そういえば、お母さんと面識がある。当日会ったら、どんな顔をすればいいのか。急に不安になった。
「ごめん、ちょっと聞きたいんだけど、お母さんは俺が出席すること知ってるのかな?」
「うん、知ってるよ」
「特に何も言ってないよね?」
「うん、だってお母さんはキミのこと嫌いだしね」
お母さんは当日、俺に3回くらい「結婚したらしいね」と話しかけてきた。意識しすぎ。
会場で受付をする時に名前を言うと「お噂は伺ってます」と言われた。
チャペルも綺麗だった。
でも、特に切ないとかそんなことはなく、穏やかな気持ちだった。
他の友人の結婚式と同じように。
ただ、ただ、おめでとうという気持ち。
と思ったけど、そんなのは嘘だった。
ハゲてる。
ハゲてる!
それはそれは見事にハゲていた。
それを見た瞬間、すーっと心が晴れやかになっていくのを感じた。
めちゃめちゃ意識してた。
俺、物凄く意識してた。
元マスダです。
俺が評価しているのは、映像じゃなくて、作品の構成とか脚本の方なんだけど。
例えば、「リリィ・シュシュのすべて」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を元ネタにしているのに気づいた。少し前の「リップヴァンウィンクルの花嫁」は民話などの異類婚姻譚の構成をしている。好きなシーンでいうと、「花とアリス」の中でアリスが離婚した父親とうんざりした会食の後、やっと帰れると安心した時に父親が携帯電話で流暢な中国語で話し、アリスが「え、この人、こんな人だっけ?!」みたいに驚く、心くすぐるシーンがある。
これらどう見てもカメラマンの実績じゃないよね。
20年前からずっと岩井って映像じゃなくてシナリオ、構成の作家だと思っている。程よく整ったゴダールというと、さすがに言い過ぎだけど。
自分の今過ごしている世界に気に入らないことがあったからってさあ
一足飛びになんとかしようとして
とか大声で叫んだって薔薇の花嫁とエンゲージしてるわけでもないんだから何も起こらないんだよなあ
いやあれもよくわからん大して力のあるわけでもない単なる片手剣が出てくるだけで特に世界が革命はされてなかったけど。なんかあれはおっさん的にはやる気が可視化されたものと今になっては思ってるんだけど。心のちんこというか。
そう革命だとかいうけど革命はまず自分の気に入らないことが改善されるか考える必要がある
革命起こしていろいろぶっ壊したら同胞がめっちゃ死んだりなんか殺す羽目になって今度はぶっ壊される羽目になるとか笑えない
ええっと仮に戦後日本に限ろうか
武力革命は成功したものがないけど、現行の国のシステムにのっとった政権交代は何度か成功してる。自民党があんまりひどいことになると他の党がトップをとる。
でさ、なんか成功した?
ぶっ壊すのは良いよ。気に入らないことがあったんだろ。そのあとつくるものが丸投げでぶっ壊された奴任せってほんとマジでふざけんなよと思うよ。チャンス全く生かせてないじゃん。だったらぶっ壊すなよ。ひっくり返した意味ないじゃん。
こういうのが続くと必要な時にぶっ壊せなくなるんだよ。ほんとむかつくわ。
なんのはなしだっけ。そもそもジャンプに文句言った馬鹿の話をしようとしてたんだよ。なんかもうめんどくさくなった。もう生まれてくんなよ人間に。次は魚とかになれよ。性的な悩みはなくなるだろ多分。
↑これの続き。
少年ジャンプの漫画『ゆらぎ荘の幽奈さん』が炎上しているのを見て、私はハイヒール・化粧を滅ぼすべきだという気持ちを新たにした。
この件に関して、リベラル側の主張は、「セクハラを肯定的に描いた漫画を子供に見せるべきではない」というものだった。
私もこれに賛成である。もちろん表現の自由があるので、ああいう有害表現のある漫画を発禁にしてよいとは思わないが、ゾーニングをして子供の目が届かない場所に置くという配慮が必要だろう。
そして、これは化粧・ハイヒールについても同様のことが言える。
私は化粧・ハイヒールのような有害物をゾーニングするべきだと思っている。
「女は化粧・ハイヒールを好むのが自然だ」「化粧・ハイヒールを使えば美しくなれる」というイメージを子供に植え付けることは、大変に有害だ。子供にそういうものを見せるべきではないし、もし見せるとすれば何らかの教育的配慮が必要だ。
女性の中には、たしかに自分で好んでハイヒール・化粧を選ぶ人たちも多い。
一方で、それを女性のスタンダードだとして強制する空気もある。
仮にハイヒール・化粧そのものには罪がないとしても、それが同調圧力となっていて、すでに実際の人権侵害が起こっているのである。このファッションの愛好者たちには、社会的責任を取らせるべきだろう。
もっとも、化粧・ハイヒールを楽しむことは、一応は表現の自由や幸福追求権に含まれるのであって、その権利を奪ってはいけない。
しかし、なぜ子供が見ている場所でそれをやってみせる必要があるのか? なぜ女性たちを縛りつける同調圧力を作ってまで、公共の場所でそのファッションをする必要があるのか? 私はこの不正義に怒っている。
どうしてもやりたければ、愛好者だけが集まる場所を作って、そこで存分にハイヒール・化粧を楽しめばいい。なにも完全に規制しろというのではなく、時と場所をわきまえてくれというのが私の主張だ。
リベラルの何がクソなのかというと、あいつらはラディカルな左翼とは違って、やっていることが世俗的すぎるし、大衆の味方をしすぎている。
例えば彼らが主張している「ポリティカル・コレクトネス」は、あくまで現代の大衆が受け入れられる程度の正しさである。
それは大衆の好みを忖度しまくった上で構築された概念であり、本当の意味での正しさではない。
例えば先日のニュースで、アメリカのディズニーランドの『カリブの海賊』のアトラクションで、花嫁オークション(人身売買)のシーンが女性差別だとして中止になったという報道があった。
はてなやTwitterで反応を調べてみると、案の定、リベラルはこれを好意的に受け止めたようである。
言うまでもなく、女性差別をエンターテイメントとして消費するのはポリコレに反するから、ディズニーランドの今回の判断は進歩だと見なすことができる。しかし、本気で正しさを追及するつもりがあるならば、「差別から目をそむけるな。差別について学習する機会を奪うべきではない」という意見になるはずだ。
「ディズニーランドは娯楽施設であって、差別を学ぶための学習施設ではない」
「エンターテイメントなんだから、正しさを過度に求めてはいけない」
これはまるで、表現の自由戦士のオタクどもが必死になって、有害でおぞましいアニメ・漫画を正当化するときに使っているロジックそのものである。
つまり、リベラルにとっては、オタクのような異端者は弾圧してよいが、ディズニーランドを楽しむのは大衆の権利だから擁護しなければならないというわけだ。この恣意的な基準によって構築されているのが「ポリコレ」だ。
リベラルが言うところのポリコレとは、大衆の好みを反映し、せいぜい大衆の利益を損なわない程度に追求すればよいものであるらしい。だから、ディズニーランドを廃園に追いこめ、廃園しなくていいが年齢制限を設けろ、というような話には絶対にならないのである。
なお、ディズニーによくある「お姫様(プリンセス)」を美化する物語も、私は有害だと思っている。こういう物語は身分差別を正当化しているし、労働者や庶民を軽んじすぎていて、そのことが民主主義の妨げになりうる。
これは子供に悪影響を及ぼすだろう。リベラルはこの点に関して甘いので、私のようにこれを有害表現だと断罪してみせることはない。それどころか、恥知らずにも『アナと雪の女王』を絶賛している始末である。
このことからも、リベラルの唱えるポリコレというのが本当の正しさを求めているのではなく、普通の大衆が受け入れられる程度の保守的な道徳観に基づいていることが分かる。
大衆は、例えばオタクのような異端者が腐臭を放っていることを我慢できないくせに、自分たちがいかに腐臭を放っているかに無自覚だ。リベラルはこの大衆を代弁している政治勢力なのである。ゆえに、リベラルは、大衆に過度の負担を強いるほど厳格なやり方で正しさを追求することには耐えられず、「ハイヒール・化粧を規制しろ」という私の主張には反発するのである。
リベラルがLGBTの権利を擁護するときの姿勢を見ても、このことは一目瞭然だ。
彼らは「同性婚を認めるべきだ」とは言うが、「結婚制度を粉砕しろ」とは言わない。
結婚などというのは、個人主義を抑圧している封建主義の産物であるが、リベラルはあくまでも大衆の利益であるところの結婚制度を維持しようとする。その上で、そこに同性愛者を取り込もうとしているのである。
これはまさしく、大衆の利益を損なわない範囲内で正しさを追求していることの証左だ。大衆には過度の負担をさせないという原則、リベラルにとってこれが一番重要なことなのだろう。
ゆえに彼らがやろうとしているポリコレの追求とやらも、ことごとくこの原則を基盤にしたものになっており、ひどく不徹底なのである。
追記。
ちょうどホットエントリの増田があったので、私もそれにかこつけて追記を書きました。
私は30代前半、既婚の女です。今は結婚数ヶ月目、旦那さんと2人で暮らしています。
27歳のときに2年ほど一人暮らしをしましたが、そのあとまた実家に戻って、結婚するまで住んでいました(ちなみに一人っ子です)。
(といっても、大学生ごろから少しずつほころびは見えていたのですが…)
もう30歳にもなろうとする私に対して、母は、
彼氏の連絡先を入手するやいなや、デートで私の帰りが遅くなると、SMSで、
「こんなに夜遅くまで出歩かせて、申し訳ないという気持ちはないんですか」
「親だから心配なんです、私の気持ちをわかってくれますよね?」
「あなたはまだ子供ですね、人の気持ちをもっと考えられるようになってください」
10万円もする健康器具(正直私は使いたくない)を「あなたのために買ってあげるね!」と言うので断ると、
「感謝を知らない冷たい子」となじられたうえ、
「あんたは気づいてないけど、あんたのためになるんだから使いなさい」
と結局渡されたり(しかも「嫁入り道具に持って行け」と…新居狭いのに…)、
と、これらは一例ですが、とにかく私への依存・過干渉がエスカレートしていきました。
私の結婚が決まると、寂しさからかその態度はいっそう強くなり、
私が「半年後くらいには引っ越しして、そこから2人で結婚式の準備をしたい」と無邪気に伝えると、すごい剣幕で叩かれ、
「結婚式と入籍と引っ越しは同じ日にやるのが常識でしょ!!!!!!!!」
「プロポーズされてから最低1年は花嫁修行の期間として家にいなさい!!!!!!」
「友達の娘はお母さんにそういうの相談しながらやってるのに、なんであなたは勝手に決めるの!!!!!!!」
とまくしたてられたり(当然大げんかになった&話し合いは平行線のままだったが、私の理想スケジュールは、申し訳程度だが伸ばすことになった)、
「当然うちの近くに住むでしょ? 女の子はそうするものだもの」
と言われ、答えに窮していると(当然私は離れたいと思っているが、言うと大変な事態になるので言えない)
「あんたはほかの女の子と違う!!!!!!」と泣き叫ばれたり、
あまりに聞き続けるのが苦しかったし、だからといって応戦するのも馬鹿らしいと思って自分の部屋で声を出さずに泣いていたら、部屋に勝手に入ってきて、「こんなことで泣くなんて嫌味な子!」とまたマシンガン罵倒がはじまり、
もうだめだ壊れてしまうと思って「やめてーー!」と言って耳を塞いだら、「やだお父さん、〇〇が頭おかしくなったみたい」と父親を呼んで2人でヒソヒソしだしたり、
私たちの新居を見て「火事になりやすそうなとこね」「空気も悪い」とだけ言いすてたり、
彼氏(夫)もそういう様子を私から聞いたり、結婚挨拶のときに目の当たりにしているので私の実家に寄り付かず、
「短時間だけ!」と私が頼み込んで、義理を果たすためお正月に夫を連れて実家に遊びに行き、お昼ご飯を食べて15時ごろに「今日はそろそろ帰るよ。夫くん、個人の仕事が忙しいみたいだからさ」と帰ろうとすると、
母親が、今度は私に対するのと同じような剣幕で夫に「〇〇(私)の幸せを考えたら、もっと奥さんの実家に通うのが夫のつとめでしょ!?」
「思いやりがない!!!」「あなたは子供!!!」と迫ったり(結局その日は夫と私、2人で応戦したが話通じず「興奮してるみたいだから帰るね」と帰った)、
あげくの果てに、
結婚式の前日に私と両親でご飯を食べることになったのですが、母親は正月のことを根に持っていて、食事中ずっと無言&口を開いたと思ったら
とだけ言われ、
もうなにもかも嫌で結婚式の日は一言も会話をかわしませんでしたが、式のなかで、両親にギフト(私の手作りです)を渡すと「なにこれ、かわいくない…」と言われ、
なんかもうダメだなと思いました。
連絡も、向こうからきたものに「ふーん」「そうだね」とかひとこと返すだけで、まったくとっていません(一人暮らしの時は、ほぼ毎日連絡しないと怒られたので、こんなことは初めて)。
そんな母親に対して(父はそこまで実害はありませんが、裏で母親と一緒に私の悪口を言って火に油をそそぐ係をしているので、あまり信頼していません)、
まぁ、ここまで書いてきて、「結構ひどいことされてきてるな」とは思いましたが・・、DVや無視はされなかったし、小さいころはけなされなかったし、風邪をひくと一生懸命看病してくれるし、「子供の母親」としてはいい母なんです、本当に。
「大人になった子供の母親」として、ちょっと未熟だっただけなんじゃないかな・・と。
だから、「毒親」と呼ぶにはちょっとためらうんですよね。「微毒親」ぐらいかな、と。
正直、今は連絡をとるのが怖いです。コンタクトとると大体何かしらの形で傷つけられるので。しかも、親だからか、めちゃめちゃ一言一言の攻撃力が高いんですよ。立ち直るのにも時間がいります。それが怖い。
じゃあ絶縁すればいいじゃん!とも思うんですが、「絶縁したいのか?」と自分に問いかけると、そうしたいわけではないんです。
超超超理想を言えば、親と仲良くしたいです。
理解はされなくてもいい、でも、軽めの家族の交流ができる程度にはつながっていたい。私がなにか態度を工夫することでそれが可能になるなら、そうしてみたい。
もちろんそれが甘いってことはわかっています。
でも、「微毒」だったら、絶縁以外でもなんとか付き合っていける方法はあるんじゃないか、と、思っている・・・。
で、ようやく本題ですよ。
母の誕生日が迫ってきました。
会いにいけば、これまで会いにいかなかったことを罵倒されるだろうし、
メッセージやプレゼントを送れば、それに対する返信で「会いにもこないでひどい子ね」とねちねち嫌味を言われそう。
だからと言って何もしないと、きっとすんごく悲しむのが目に見えているし、後々すごい恨みになって返ってきそう。
昨日の晩、そろそろ結論を出さねばと思ってぐるぐる考えていると、すごく辛くなってきて、ひとしきり泣いたあとに寝込んでしまいました。
「ごめん、具合悪くてなにもできてないんだ」と返信すると、
1時間後、私の好物を買って夫が帰ってきました。
私は、セブンイレブンのレアチーズどらやきを食べながら、夫に本当のこと(具合が悪いんじゃなくて親のことで落ち込んでたこと)を話し、
その時点で導き出していた、一番答えに近そうな考えを伝えてみました。
「私ね、自分の状況を客観的にとらえるために、別の似たケースを探してみたんだ。そしたら『ダイエット』と似ているなって思ったの」
「例えば私がダイエットをしているとしよう。
そんな私の目の前に、すごく美味しそうなケーキがあって、私はそれをすごく食べたいとする。
でも、ダイエットの目的は、『痩せたい、もしくはこれ以上太りたくない』だよね。そのためには、おそらくケーキは食べないほうがいい」
『ストレスをためるほうがダイエットに悪いとも言うじゃない。自分の気持ちに素直になった方がいいよ、食べちゃいな! その代わり、そのカロリー分運動で消費しよう!』」
「これを今の私の状況に置き換えてみると」
「目の前に、親にコンタクトすべき機会が迫っているんだけど、私は何もしたくないと思ってる。
でも、最終的な理想は、『親と仲良くなりたい、もしくはこれ以上仲を悪くしたくない』。そのためには、おそらくなにかしたほうがいい」
『長い目で見たら今は連絡しないほうがいい可能性だってある。自分の気持ちに素直になった方がいいよ、連絡しなくても大丈夫! その代わり、別の方法でコンタクトしよう!』」
「こんな感じだと思うんだよね、でもその『別の方法』がわからないんだよ・・・」
夫は「意外と面白い話だったw」と笑っていました。
そして、
「お母さんの好きな食べ物はなに?それを贈るのはどう?」
と。
「エビかな。でもそれだけ贈るのって、やっぱなんか『冷たい子』『よそよそしい』ってぐちぐち言われそうじゃない?」
そう答えると、夫はうーんうーんと何やら考え始め、「エビのグッズとかないの?」と言いました。
私「えっどういうこと」
夫「なんかさ、エビ贈るだけだと、真面目っていうか、形式的な堅い印象やん。
でも、送られてきたのがエビなんだけどアクセサリーだったり役にたたなそうなものだったりとかしたら、『何これww』ってなりそうじゃない?」
私「たしかに・・それを先に送りつけて、後日『本物もあるから』って言って本物送ればフォローもできるしね」
夫「プレゼントへの返答も、自然と『何これw』にならざるを得ないから、心配してた返信メッセージの怖さも軽減するよね」
そうして2人でエビグッズを探したところ、見つかったのがこれ
[rakuten:http://item.rakuten.co.jp/wishorder/a520065011384s/]
私「これなら、使用シーンの写真とか自然と送りたくなるし、『責める(親)』『避ける(私)』以外のコミュニケーションが生まれそう!これなら親が望んでいる、『私とのコミュニケーション』が私にとっても嫌じゃない形で実現できる。めっちゃいいじゃん!!」
夫「よし、じゃあ次は本物のエビを探そう!」
・
・
・
とまあこんな感じで、
結果はまだわからないけど、ダイエットのたとえのところで書いた「連絡しない、会わないで済む別の方法」が見つかったなという気持ち。
あと思ったのは、日常のなかにもっと「ユーモア」が必要なんだな、ということ。
わかるほんとにわかるわかりすぎてつらい。
私は親の件はないけど、かわりに「いわゆる式典・儀式に一切意義を見出せない、宴会の類が嫌い」という苦痛があった。
周囲の希望で結局式はやったけど(私がやりたくなければやらなくていいと言ってくれたのは私の母と主人だけだった。悩んだけど結局私が折れた)、せめて身内だけにさせてもらった。
披露宴はしなかったけど友人知人向けの二次会的なパーティーをやった。
ウェディングドレスも別に楽しくも嬉しくもなかったし、写真も撮りたくなかった。袖があっても二の腕がたくましすぎた。
そして儀式全般がダルかった。二次会では自分を中心に据えられた乱痴気騒ぎ、居心地が悪くて死にそうだった。
なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう、私がやりたくないことをやっているのを見て喜んでいる人がいるなら神経を疑いたかったし、別に喜んでいない人には付き合わせて心底申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
主役になりたくない。注目されたくない。愛想を振りまきたくない。そういう心の叫びを押し込めて一日中笑っているのは本当に疲労困憊の一言だった。
花嫁だから結婚式は嬉しいはず、と思われているのが心底いやだった。親孝行と言うにはダメージがでかすぎた。
趣味でもないSMプレイを強要されて、痛いし辛いのに本当は気持ちいいんだろうとか言われるのってこんな感じの屈辱だろうかと思った。
「結婚式をやるのはいいことでめでたいこと」という風潮を一刻も早く木っ端微塵にしたい。
最近であればこんな女はいくらでもいるだろうけど気持ちの整理がてら書き出す。
まず、綺麗に着飾った自分を見られたくない。
自分の容姿にあまり自信がないので、花嫁姿をあまり見られたくない。
というかそれでご祝儀3万円も取られる参加者の人の気持ちを考えると申し訳なさすぎる。
私自身、写真を撮られるといつも変顔してルックスをごまかす人間の方だ。
成人式の着物の写真は、二重アゴが黒歴史すぎてもう一生見たくないレベル。
結婚式でもそんな風に自分の容姿で傷つくくらいならやりたくない
会社ではそれなりに働き、それなりに仲が良い方だ。
でも彼の前でデレデレしている自分や、友人の前でおちゃらけている自分を見せたくない。
彼は働いている会社の人を中心に呼びたいと言っている。
今関わりのある人たちを大事にしたいようだ。
私は友人関係は広く浅くで、学生時代からの付き合いの友人が多い。
会社の人は仲はいいけど、それよりも学生時代の友人を中心に呼びたい。
これまでも何度も披露宴に呼んでもらうことはあったけれど、
披露宴の日に自分の経歴を紹介されるというのは、自分には合わないなと思っていた。
できれば自分のことは説明しなくても分かってくれるような、仲のいい友人数人と、呼ぶとしたら家族だけでやりたい。
でも彼が会社の人を呼ぶのであれば私もそうはいかない気がしている。
新郎は会社の人しか呼んでなくて、新婦は友人だけって、新婦会社に居場所なさそうに見えてしまうんじゃないか。
働いてないわけじゃないのに。
そして親をあまりまわりに会わせたくない。
親は嫌いじゃない。経済的に苦しい中ここまで育ててくれて感謝している。
でも、好きでもない。話が合わない。
地方で自営業をやっていたせいか、話がいつも自分の世界の中だけで完結している。
例えば就活で受けている企業の名前を話すと、それはXXの息子が勤めているとか。それで自分たちもその企業をよく知っているような話をしてきたり。
また、お酒をよく飲むので、酔っ払っている姿を小さいころからよく見てきた。
暴力とか暴言とか、そういう本気で嫌になる酔い方ではない。陽気に明るく飲むタイプだ。
でも、たまに余計なこと言ったり、デリカシーのない質問をする。
いろいろ考えると結婚式をどんどんやりたくなくなる。
私も彼も呼ぶ人をお互い譲る気はない。それもイライラしてしまう。
だったらもはややらなくていいんじゃないか。
彼は優しくてとてもいい人だ。とても好きだし尊敬している。
一緒にいれて幸せだ。結婚しても二人で仲良くやっていけると思う。
でも、私のコンプレックスのせいで、華やかな式はできない。
申し訳ないと思うけど、やっぱりいろんなこだわりは譲れない。
ドレスに凝る花嫁がいるなら自分の自意識を守ることにこだわる花嫁がいたっていいじゃないか。
親の言うままに何もかも妥協して、黒歴史と化した成人式のようには絶対にしたくない。
なんだか考えれば考えるほどやりたくなくなってくる。
別にまわりにお披露目しなくていいし、一緒にいるだけで十分幸せなのに。
なんで余計なこと考えて憂鬱な気持ちにならなきゃいけないんだろう。
結婚式、やっぱりやりたくない。
ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。
↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義、ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。
ついでに、最近話題のポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。
文章はいい加減だし、今日の日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである。
たとえば、労働問題について考えてみよう。
「過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?
私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。
「過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府が長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。
人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権の範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しかし労働問題においては、そういう権利を適用するべきではない。
長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合、ブラックな労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである。
女性が労働するときのハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。
明治時代の日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化の過程では必ず「上からの改革」がある。
「旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊を排除することで、国民はようやく新時代に適応できる。
たとえば女性差別がひどい国では、政府が女子教育の権利を提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。
権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層や田舎にまで女子教育を普及させるには、政府が国民に権利を与えるだけでは不十分であって、その権利を行使することを国民に義務付けなければならない。
「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親や祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子を学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。
そして女子児童は、当人がまだ子供であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。
ここにおいて「多様な価値観を尊重せよ」などという主張は有害だ。政府は旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。
当然ながら現代の日本で、後進国が近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府や会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。
たとえば就活の会社説明会で服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令が必要だ。
上から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的な手段なのだ。
私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社や官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである。
前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベートな時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)
私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。
もし本物の極左ファシストであれば、プライベートな時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である。
近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。
そのときのリベラル側の主張は、「女性蔑視の表現は政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由を制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレに配慮せよ」というものであった。
私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視的であるからだ。
もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。
「女性の主体性を尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ。
しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性がハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定するという現象だからである。
被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別を正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。
(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)
私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。
そしてこれはあまり知られていないことだが、お上が纏足を強制していたわけではない。とりわけ清朝は漢民族のこのバカらしい習俗を忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足を選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑の言葉を口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。
そして子供のときは纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。
さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊を強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。
「纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性は成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」
http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html
西洋で女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。
これはまさしく、現代日本の女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしまい自家撞着するのと同じ心理だ。
ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性の主体性を尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。
無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足やコルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別が過酷なものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。
だから我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしまう女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである。
なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働の問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家・知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。
この理論を適用すれば、女がオシャレをする自由を是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。
twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。
リベラリズムの本質的価値-自由、平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値を原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要な遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。
「スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より
https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995
前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。
マリオは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
マリオには政治がわからぬ。マリオは、京の土管工である。茸を食べ、花を摘んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明マリオは京を出発し、野を越え山越え、二千百九十里はなれた此のサンフランシスコの市にやって来た。
マリオには父はあるが、母は無い。女房も無い。歳の同じ、内気な弟と二人暮しだ。この弟は、サラサランドの或る律気な一姫君を、近々、花嫁として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。マリオは、それゆえ、花婿の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。マリオには竹馬の友があった。キノピオである。今は此のサンフランシスコの市で、探検家をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。
歩いているうちにマリオは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなマリオも、だんだん不安になって来た。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。マリオは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ嫌がらせをするのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの嫌がらせをしたのか。」
「はい、はじめはスーパーマリオブラザーズで。それから、スーパーマリオブラザーズ2で。それから、スーパーマリオブラザーズ3で。それから、スーパーマリオワールドで。それから、ヨッシーのロードハンティングで。それから、スーパーマリオヨッシーアイランドで。挙げればきりがありません。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。キノコ王国のピーチ姫と結婚したいだけだ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、嫌がらせされます。きょうは、六人嫌がらせされました。」
マリオは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏のヘイホーに捕縛された。調べられて、マリオの懐中からは花が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。マリオは、王の前に引き出された。
「この花で何をするつもりであったか。言え!」暴君クッパは静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とマリオは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはマリオが嘲笑した。「罪の無い人に嫌がらせをして、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、マリオは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の弟に、女房を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は京で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」マリオは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。弟が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にキノピオという探検家がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を煮るなり焼くなり好きにして下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に嫌がらせしてやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を大砲飛ばしの刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りに、きっと嫌がらせしてやるぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
竹馬の友、キノピオは、深夜、王城に召された。暴君クッパの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。マリオは、友に一切の事情を語った。キノピオは無言で首肯き、マリオをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。キノピオは、縄打たれた。マリオは、すぐに出発した。初秋、満天の星である。
何年か前の、「好色少年のススメ」だか「男の娘HEAVEN」だかあたりの女装ショタ受けアンソロで好きだった作品が知りたいので知恵をお借りしたい。
・主人公(ヒロイン)はサトリ能力があって村人から疎まれてる。
・川の上流あたりにヌシ(神?)が住んでる。
・ヌシの心の声はなんか東北弁みたいな感じで、
「オラをバカにしてオスを花嫁に寄こしやがったな、んだどもオラには関係ねえ。気持ちえ~ぐ孕む穴にしてやっがらな」
とか言って、主人公のアナルに指を入れて、なんか超常的な何かで改造する。
・主人公は村で疎まれてたので、自分を受け入れてくれるヌシに「ボクをお嫁さんにしてください」みたいなことを言って、結ばれる。
・ラストで主人公は人魚みたいになった姿がちらっと描写される。
なんかこんな内容なんだけど。メチャシコだったのに本自体は売っちゃったので、タイトルとか作者さんの名前とか、コミックスで買えるならコミックスのタイトルとかも知りたいなと。
ご教示下され。
なんかこういうの、どっか掲示板とか、適切な場所があるなら(ここで聞くのが不適切なら)お手数ですがそれ自体を指摘とともに教えていただけるとありがたい。
(追記)
ブコメありがとうございました、恋贄、それでした、速攻ポチりました。
あと間違ったヒントでごめんなさい。「うろ覚えだけどこんな感じだった」ぐらいにしとけばよかった。
江戸もそうだし、ヌシは川の上流にいるんでもなかったし、「ボクをお嫁さんにしてください」もなかったですね。
結婚式のゲストに呼んでもらえるのはとっても嬉しいのだが、コストかかりすぎじゃないですか!?
女性についてしか知らないので、女性のマナーについてのみ列記する。
■ドレス編
・花嫁と同じ白ないし白に近い色は駄目(これは当然)
・新婦のカラードレスとも被らない方が良い(嫌がる新婦は少数派の様だが、一定はいる模様)
・あまりに暗いとお祝いとして相応しくない
■小物、靴編
・皮素材のものは駄目
・ファー素材のものは駄目
→布等でできたパーティバッグが必要となる。財布と携帯電話が入ると一杯になってしまうので、サテン生地等で出来たサブバッグが必要となる場合もある。
・オープントウの靴は駄目
・ヒールがなければならない
→普段使いに多い革の靴がやはりNGなので(エナメルは何故か許容?)、布製のヒール有りのパンプスが必要となる。ドレスの着回しを考えると、シャンパンゴールドやパールホワイトになりがちで普段使いはし辛い。
■身だしなみ編
・ダウンスタイルは相応しくない
→ロングヘアだと、美容院に行ってセットする。
・化粧するべき
→華やかな色を買い足す場合あり
…結果として、身につける服の殆どは「結婚式のゲスト用」専用のものを新調する事になる。
出席メンバーが同じ場合に一つのドレスを着続けると目立つので、着回し分も含め…
こんなの全部守らなくてもいいじゃん、と思う。
ちょっといいレストランに行く時に着る様なよそゆきの落ち着いた色のワンピースに、
ノーメイクで、
ダウンスタイルの髪で、
ヒールが無い革の靴で、
オフィス用とかよそ行き用の革の鞄で、
女友達が自分の結婚式に祝いに来てくれたとして、失礼だなんて全く思わない。
しかし、新郎新婦の姑ほか親族の方がそう思ってくれるとは限らない以上、
「あら〜随分マナーのなっていないお友達がいるのねぇ〜さすが(嫁)さんのお友達だわぁ〜」とか思われて、祝いに来たのに新生活の邪魔する訳にはいかないので、これらのマナーを無視する訳にもいかないのである。
三十路になったら、今の若いデザインも似合わなくなるので買い換えるだろう。