はてなキーワード: 自己顕示とは
それでも集中して2時間観ていられない。
ADHDというわけではないよ。受験も就職もそつなくこなして今までやってきた。
ただ映画を見ていると、この2時間を実益に繋がらないことに費やしていて大丈夫なんだろうかと思う。
休みの日にのんびり映画を観ることなんて無駄だと馬鹿にするだろう。
そんなくだらない奴らに出し抜かれたら自分の価値観にケチがついたようで不愉快だ。
だからこそ、奴らがちっぽけな自己顕示のため即物的に勉強を重ね年長者を欺こうとしている時に
こんな牧歌的な時間の使い方をしていていいのだろうかと不安になる。
多分正解があるのだとすれば、何事もそつなくこなして、
その上で自分の知識欲を満たすために勉強し、なおかつ余暇の充実も意識してそこんとこ両立させることだろう。
自分の感性に自信をもって、好きなことを時間使っていいのは本当に意識高い人だけなんだよね。
でもそんなこと考えたこともないような無邪気な顔して
小汚い顔をさらにくしゃくしゃにしているオタクみたいな生き方もありなのかな、
なんて時々考えちゃってさ、とうとうやばいとこまで来てるね俺。
イラスト描いたりしててセンスいい人は普通にリア充だなと思うだけなんだけど、
Twitterで仲間とギュフフ的な会話ばっかしてたりニコ動とかに出来が荒い何かをアップしているような奴見たときに
上記のようなもどかしさを感じてしまうんだよな。
どうも丁寧にありがとうございます。元記事の筆者です。
kato_19さんの記事よりも個人的に反論したくなるようなラブライブの感想は無数にあり、中でも何個かチェックしていたりもするのですが、
作品批判や提言に対して「楽しめなくて可哀想」「(今の状態を)楽しめない奴が悪い」みたいな意見が以前から目についていて思う所があり、件の記事についてもkato_19さんから同様のコメントがついていて引っかかるものがあったので書かせて頂きました。
そのような経緯から、機会を借りて今までアニメラブライバーに対して思っていた考えを書く様な形の中で刺々しい表現になった箇所もあり、すみません。
自分も賛否関係なく反応を頂けるのは嬉しいですし、機会があれば是非チェックさせて頂きたいと思います。
個人ブログでやらないのは単純に面倒臭さが大きいです。
匿名はなんとなく卑怯な感じもあるのですが、一方で個人ブログで書くと自己顕示目的のようになったりもしますし、主張内容しか目的がないので匿名ダイアリーを選択しました。
そんな酔狂な人はいないでしょうが別人にこの記事を書いたのは俺だと騙られても構わないくらいです。ちゃんと同じ思いを継承しているならば、ですが。
ラブライブμ'sがこれからも続くのであれば専門のブログを作るのもありかと思いますし、気が向けばそうすることもあるかもしれません。しかし終わるということですから、ファンとしての心は元々2期で折れており距離を置いていますし、主に自分の心の整理で書き残すだけなのでそれほどやる気が起きないのです。
その「ギョッとする」自分の感覚だって文化的偏見に基づくものだと自覚できているならいいけど。
こういう意地悪い見方を無自覚にして差別意識をあらわにしつつ、「か弱い普通の人」とか素朴ぶるとしたら、
それこそ人間のグロテスクさを感じるよね。仮にタトゥー画像から滲み出るものがグロテスクだったとして、
まだファッションとして自己顕示のためにタトゥー入れてる人の方が可愛く映るくらい。
だいたい「ギョッとする」みたいな嫌悪感をのさばらせていたら、世の中保守的になって前へ進めなくなるんだよ。
狩猟採集時代の人類のムラに現代人を数人送り込んだら、化粧をする女性をみて気持ち悪がるだろうし、
髪染め、つけま、ネイル、カラコン、ピアスみたいなファッションにもギョッとして
あまりの文化的差異に気持ち悪さや威圧感を感じ、真似た村民を弾劾しだすだろうね、それこそ自傷行為とか罪状をこじつけて。
どの時代にも「生まれ持った身体を弄るのはよくない」という自然派は居るけど、
その「よくない」という感覚は所詮宗教や思想的な一面にすぎず、絶対的な正義では全然ないのに、
そういう人ほど自分の正しさを盲信している。
そういう自然主義にのっとるなら、本来、外科手術や薬を含むあらゆる医療は拒否されるし、
自然食品以外を食べるのも自傷だし、服を着るのも異様なことだけど、それは現代の文化では当たり前すぎて
相当ラディカルな人でない限りは無意識に受け入れてるくせにね。
まあ俺自身は出不精なダサ男だしタトゥーなんて柄でもなく自分がやりたいともさらさら思わないけど
ファッションの範疇に収まっている他人に直接被害のないようなものを嫌悪感で叩く世の中は嫌だ。
そんな「痛いニュース」が可視化したみたいな最低な世の中はね。
似たような例で言うと、缶バッジをジャラジャラつけて闊歩するオタクとかだろうか?
自分はやろうと思わないけどそういう子がいることを責めるのは違う、そういう感覚。
実際迷惑行為をしていたりしていたら、その時その場でその事について責めるべき話で、
僕の人生における目標が抽象的で、どう使っていけばいいのかわかりません。
目標は「楽に生きて天寿を全うしたい」です。
楽に生きるためなら、ある程度の苦労をすることと投資が可能な性格です。
皆さんなら、百万をどう使うことでこの目標を達しようとしますか?
「自分がこういう奴だったら~」と思って考えてくださるとありがたいです。
以上です。自己顕示気持ちえがったー!!!相談について答えてくださると嬉しいです。
http://www.amazon.co.jp/review/R33VQYXB3J6P7P/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4838725833
ネットで叩かれているようですが、事態はもっと深刻だとおもいます。
何より、「グラフィックデザイン」という仕事自体への信頼を落とした罪は、とてつもなく大きいと思います。
擁護していた人間が、信じられない。「仕事」あってのデザイナーです。「彼はいい人」?ふざけるな、です。
真の人柄とは、「デザインの仕事」にこそ、出るものなはず、です。
全てのデザイナーが、こんなパクリ、というか、「雑な仕事」をしているわけではありません。
精一杯、ギリギリの低予算と日夜の仕事の上にちょびっとだけ花が咲くような「地味」な仕事です。
この「パクリ」は、むしろ「佐野研二郎」さん、「森本千絵」さん、「長嶋りかこ」さんら、
大手代理店の実質・専属デザイナーだからこそ、必然的に起こりえました。(まだまだ他にもいますよ)
彼等は、零細のフリーランスや個人のデザイナーと違って、大手広告代理店・電通や博報堂とのパイプがあるため、黙ってても、とんでもない「大きな仕事」が降ってきます。サントリー、資生堂、TOYOTA、HONDA…そんな大企業はデンパクにしかできませんからね。
それをチャチャっと、イメージソースを見つけ出し、Macでコピー&ペースト。下っ端のほぼアルバイトに近い低賃金アシスタントに、徹夜でとてつもない量の「アイデア」を出させ、その「手柄」を横領します。
「横領」と「電通・博報堂・多摩美ムサビ」を中心とする「これがオシャレなんだぜ」という「自己顕示」が、彼等のいう「クリエイティブ」の正体です。
彼等に創造性は一ミクロンもありません。「芸能人」に好かれているから、成り立っていただけです。
「ま、素人だしな、センスねえ・一般人なら、わかんねーだろ。」これが、彼等のいう「デザイナー感覚」なのでしょうか?
違います。真のデザイン感覚とは、「一般の人」にこそ、パッと「見るだけでわかるもの」だと私は思います。
ちょっと心あるデザイナーたちは、みなこの人たちの「センス」の源泉・ソース元が「パクリ」であることにとっくに気付いていました。ただ、一般の人の目と耳に届かなかっただけなのです。
彼等は「デザイナー」というより、「中間搾取業者」さんという方が適切なのです。
デザインに、本当はプロもアマもありません。だからこそ、デザインは過酷な仕事なんです。
かえって、「素人」だからこそ、曇りのない目だからこそ、デザインの本当の良さがわかるし、ウソもバレるのです。
国民の祭典である「オリンピック」に、あんな葬式か、安っぽいブランドのロゴのようなデザインを出してくるセンス。
それに疑いもしないセンス。これが「プロのデザイナーの仕事」なのですかね?
こんな「雑な仕事」が、止まることなく、まかり通ったのも、彼等を批判することが「タブー」だったからです。テレビ・新聞・ラジオという「メディア」の一番の資金源である「広告」を「美しく」作る方(パクリですけど…)なのですから。
まるで、一連の騒動も、「頭の悪いネット民」の批判だから、などと、彼等側の人間は、主張するでしょう。
いえ、今回ばかりは、発見したのはネットの方々かもしれませんが、日夜真面目に働く「デザイナーたち」こそ、一番の被害者です。
こんなズサンな人々と一緒にされたくない、とほとんどの方は主張するでしょう。そして、デザイナーこそ、こういう愚劣なクソデザイナーに怒りを感じるはずです。
和田誠さん、田中一光さん、亀倉雄策さん、横尾忠則さん等、デザイナーがスターだった時代は、手と情熱とで、素晴らしく美しいデザインをつくっていました。いちいち鉛筆で線を引き、イラストレーターと一緒にアイデアを考えていました。
デザイナーという仕事は「広告屋」「看板屋」などと低く見られ、軽蔑されていました。
何が「ミスター・デザイン」じゃ!!その「ネーミング」の恥ずかしさに、言葉も出ません。
最高に笑えないギャグですよ。口に出してみて下さい。「ミスター・デザイン」?。
オレは偉いんだぜ、ってことでしょ。自己顕示欲の塊なんですよ。ちょっと心あるデザイナーなら、誰でも気付いていたことです。
これを機に、「デザイン」という仕事から、足を洗って頂ければ、幸いです。
後記:多くの方に反響を頂きまして嬉しいです。
少なくとも、サントリーのパクリの件は、専門学生の1・2年レベルの課題でも今時するか?という初歩的な「画像のまんまパクリ」です。フリー素材か、写真を取ればよかっただけのことです。
デザイナーとして、本当に、ありえないレベルのミスです。こんな仕事の仕方は、佐野研二郎氏の事務所だけでしょう、と信じたい…。
しかし、それでもまだ擁護する「デザイン村」の人達にはつくづく情けない…。
理研の小保方氏、音楽クラシック村の佐村河内とホントーに、まったく同じ構図じゃないですか!
デザイナーたちも、仕事に響くので、黙っている方がほとんどだと思いますが、勇気を出して、声を上げて下さい。
呆れるほどボロボロとずさんな情報が出てきてしまいます。「思考をクリア化」しすぎた結果だと思います。
この本を読んで、「そもそものデザインのやり方」への「違和感」を感じて、すぐに某本屋へ、売りましたが、まさかあのときに感じた違和感が、これほどまでに実現化されるとは思いませんでした。
でも、いかに佐野氏が、「手抜き体質」かが、出ていると思いますよ。
なんと…驚愕の事実が発覚しました(2015年8月30日)。「ペンギンブックス」という、日本人には馴染みが薄いですが、
有名なペーパーブックのシリーズの名タイポデザイナー「ヤン・チヒョルト」のパクリであることが発覚しました。
私も、GGGでの展示に行って、感銘を受けました。本当に許せない。チヒョルトは、ハッキリ言って、
作風は地味です。しかし、心に残るデザインをする私も心から敬愛する、「巨匠」です。
しかし、そのチヒョルトの「表面」のデザイン部分だけをペーストして、パクる姿勢。
本当に許せません。
「スポーツの世界」のヤツラにならば、わからないだろう、という魂胆でもあったのでしょうか?
本当にふざけてる。デザイナーとしても、最低です。許せません。
(コメントに追記)>>広告代理店のデザイナーの仕事はプレゼンが主なので細部まで検討して作りに作り込んだファイナルプロダクツを作成することはありません。ファイナルプロダクツは下請けの専門家に任せます。だから”これとこれをくっつけて~”みたいに30%ぐらいの力で仕事を仕上げるのが”デザインする”ことだと思っちゃってるデザイナーになってしまうんです。しかも代理店にいたというプライドだけは高いから、始末に負えない。
そうなんですよ。彼等のいう「クリエイティブ」は、日本語訳の「創造すること」や「発想すること」じゃないんですよ。
いかにして、「自慢するか」なんですよ。
で、CMの世界では相手のクライアントが、「企業」ですから、世に漏れなかった。会議室の中だけでの世界でした。
しかし、「オリンピック」という晴れの世界で、「Mr.デザイン」こと「佐野研二郎氏」は同じように、惰性でやってしまった。彼にとっては、こういう仕事の仕方が、「普通」なんです。
もちろん、考える力も発想のノウハウも、強さもないから、最終的な「アウトプット」は「何かに似せる形」になります。何かに似せる、しかも雰囲気だけ…ぐらいなら、いいんです。
「何かに似せる努力」すらやめて、「そもそも画像をそのままネットからパクっていいじゃん!」
「フォトグラファーを使う」「イラストレーター(絵描き)を使う」「タレントを使う」のにも、何をするにも、
それを解消するには、タダで「アウトプット」を創り出すには、いくつかのアイデアがあります。
しかし、最も単純明解に、クリアに、ボールドに、全ての制作費が浮く方法があります。
一番安く、早く、タダで済ませられる唯一のデザイン。
一体なんでしょう。
それは「搾取」です(「パクリ」という言葉は、何となく、「万引き」に似た甘やかしの言葉だと思います。そんなレベルではないですよ、コレは。明らかに「システム」として、「自分の仕事」として、やっています。でなければ、こんなに出てくるはずはないです。)。
デザイナーたるもの、誰でも一度は、パクることはあります。学生時代に、一からオリジナルを創り出せる人間など、いないし、天才でもムリでしょう。「習作の時代」はあります。
「自分の周りへのヒト・カネ」がメインであって、「モノ」(仕事)は、どうでもいいのです。軽蔑された結果なのだと思います。
はっきりと、誰かの作ったものを「奪って、人に提出する仕事」に甘んじてたのだと思います。原宿の事務所のMacintoshの中では、イラストレーターが書いたパンも、誰かのブログのパンも、「一緒」です。
ならば、タダな方がいい。
とすら、考える頭もよぎりません。
まったく自然に「ミスター・デザイン」は、搾取します。無限に仕事がつくれ、永久にカネが入ってくる仕組み…。
思考は確かに「クリア」かもしれませんが、その精神は「ドロドロ」です。
クリエイティヴ・ディレクター、アートディレクターという「肩書き」は、「搾取指示人」なのでしょうか。
「クソ・デザイナー」というカテゴライズで、はっきりと「普通のデザイナー」とは一線を画す社会にしたいものです。
全てのデザイナーこそ、今こそ怒りを上げるべきです。
2015年9月1日、ついに、ようやく、取り下げました。が、凄まじいシロモノの反省文を掲示しました。
ここまで「ひどい謝り方」をできる人間が、いたでしょうか。
帰って来た返事は、「被害者」気取り、でした。
やはり、闇は深い、と確信するばかりです。
もうこれは確実に、しれっとして、またヒョロっと、5年後、五輪のバックで「名前の出ない形」で関わってきますよ。1000%。
絶対に、です。「今を乗りきれば、大丈夫」と思っているはずです。
もちろん、いわれのない誹謗中傷もあるでしょう。それはお察しします。
しかし、博報堂の「営業」の人間は、そういうことで強くなるんですよ。何にも言われないのは、クーラーの効いた部屋で、パソコンと戯れるクソデザイナーだけなのです。
自分の大好きなお仲間たちと、カネをバンバン出してくれるクライアントと、ドラゴンボールやドラえもんを使われても、何も言えないそっちのヒトたちの複雑な気持ち、アニメーター、漫画家、アーティスト、イラストレーターを、笑顔でほがらかに踏みにじってきたわけですからね。アートディレクターって、一体何なのでしょう。
博報堂では、こんなに「謝る」ということは「罪悪」なのでしょうか。
卑怯なのは、「テキスト」ではなく「画像」で謝るということも、そうなんですが、
「リュウミン」を使って、この際も「キレイに、クリエイティヴに、素敵なタイポグラフィ」で謝ろうとするクソみたいなデザイン根性です。
「ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。」のあの「ドヤ感」の「薄汚さ」が、本当に蘇ってきました。その「キタナさ」が何一つ変わっていない、どのメッセージでも。
これが、逆にいえば、彼のデザイナーとしての唯一の「統一性」なのかもしれません。
ただ、「ドヤ感満載」のデザイナーだと、仕事になりません。本来ならば…。
こういう場合、「真摯なデザイナー」は、実は、普通の、どこにでもある「そっけない」明朝体を使います。
リュウミンだと、あまりに「美しい書体」すぎて、ほぼ「ウソっぽく」聞こえるからです。
そんな「文字への美的感覚」すらないんでしょうね。表面的に、「キレイ」なら、何でもいい。佐野研二郎。
そもそも本当にデザインを学んできたのでしょうか?疑わしくなってきました…。
皆様が5年後忘れていても、私は「佐野研二郎」という、愚劣な「デザイナー」という肩書きをした「搾取者」の名前を永遠に忘れません。
今は、「炎上」し、「祭り」状態かもしれません。
しかし、私は、もっともっと持続的に追求していかなければならない問題だと思います。
この多くの批判が消え、静寂になり、命を吹き返した頃に、
また愚劣な身内自慢とともに、高らかな搾取とクソデザインのオンパレードが、そっと始まる(reborn)ように思います。
絶対に許してはなりません。本当に。
普通に考えたら向こう数年くらいのプランは立てて上層部で共有してるだろうし、急にいなくなったからといって即会社が潰れるわけでも出るはずだったゲームがキャンセルされるわけでもない。そのための組織だ。会社だ。優秀な人材はいるだろうから、そのうち適した人をまとめ役に据えるだけだ。
ただ、自分がどうしてこんなに気分が沈んでいるのかというと、
以上の3点から生み出された勝手な親近感により、それなりに落胆している。
俺はその会社の従業員でもないし彼の親族でもない。俺が追悼したところで生き返るわけでも誰かに霊が降りるわけでもない。手を動かさなければゲームはできあがらない。それでもみんなは日常を回さなければならない。惜しむ話は去った人をネタにした自己顕示にしかならない。始めて触れた彼のゲームだとか、彼がいなかったらこれは存在しなかったとか、そんなのどうでも良い。そう言う話をするのは俺の仕事ではない。
彼の個人的な知り合いでもない。彼がどんな人物だったかは、ネットや雑誌やテレビの向こうの人の伝聞でしか知らない。
彼がいなくなっても、俺は彼の動かしてきた会社を信じる。祈りも捧げず悔やみも告げない。そこにいる人たちで意志決定を引き継げるはずだ。
優秀なリーダーが降りてしまったのは非常に残念だ、悲しい。しかし、それを超えてまだまだ素晴らしい体験を提供してくれると信じている。
指導能力皆無でバイトのチーフババアが歪んだ権力を持つようになる
その後シフトを拒否されたことが問題になり左遷。店は本社からの暫定店長(幹部)+店長候補(社員)が全て立て直す
左遷直後に日本一営業収益率を伸ばした店舗としてボーナスが出る(無能がポテンシャルを食いつぶしていた証拠)
チーフババアも図に乗りすぎていたため、客の居ない時間帯にがっつり説教を食らいその後消える
人の話題に出てくる要素を否定することで、優越感、万能感を得る話術が得意
それがコミュニケーションの手段だと思っているため、ヘイトが積み重なっていく
仕事中にも「あ~ヤニが切れた」「ヤニ補給してぇ~」等、喫煙者の俺ですら養護できない自己顕示用の言葉を周りに聞こえるように口にする
ブッサイクな顔で毎日同じ汚らしいジャケットを着てくるため不潔
上司に呼び出された時に、対面でとっさの嘘をつき、それを即座に同僚に事実確認される
本人の目の前でにべもなく嘘を暴かれ解雇
とにかく会議に出席するだけ。それ以外の仕事をすることは殆ど無い
口だけしか出さないくせに、現場に対して無茶な要求と見下した態度を続ける
過去にクライアントと問題を起こしており、一つ取引を潰したうえにほぼ出禁のような扱いになっていたが
こいつの「もうそろそろ大丈夫でしょ」の一言で上司自身が話を通してみるも、対面して直ぐに過去の問題を掘り起こすような言動をしてクライアントを激怒させる
相手が個人事業主だったため、ブログに事の全てを本名、所属会社名指しで暴露され、あわや訴訟沙汰にまで発展する
声が甲高く、どうでもいいことですぐに奇声を発して恫喝する
名前がないから溜まった自己顕示をTwitterで発散するしか方法のない同級生たち。
一方僕は仮の名前だとしてもSNSからめっきり経ってしまった。
僕は黒歴史がいっぱいある。
いじめられていたこと、よりも、大事な友達がいじめの標的になった時、守るどころか一緒になって悪口を言ったこと。
僕を思ってくれた友達を切ってきたこと。
やる意味も今となってはないが、のうのうと、TwitterやFacebookをやれる神経はない。
人を本気で思ったことのない僕には、人を無償で思う気持ちがわからなくて
疑ってばかりいた
人のTwitterなんか見てる僕はそれ以下だ。
根に持ってるわけじゃない。
僕は人がどんな時にどんなふうに苦しむのかが知りたいんだ。
「昔は良かった」と言うならば、昔に倣って分析してみようか。
「人の一寸我が一尺」
そうだな。
昔の人は良い事言った。
正にバブル世代の特徴を表している。
自分達が単に景気が異常に良かった為、それまで何の勉強もしてこなかったのに過剰に優遇され採用された事は何も勘案せず、自分より下の世代を足蹴にし、仕事を教えてもいない上引き継ぎさえやっていないのに一方的に「使えない」「無能」呼ばわり。
(あぁ、そう言えばそう言う無能な零細企業の一人社長がいたなぁ。なんか、八百屋やってるとか言ってたっけか。いるんだよなぁ。そう言うどうしようもない奴って。)
教えないなら、教えなくても済むように説明書やら手順書・説明の映像など幾らでも客観的に業務が理解できる資料は残せる筈なのに、それさえもやらない。
「忙しいから」と言って逃げ回っている。
ただ、実際は忙しいフリをしているだけで忙しくない。
丁寧で遅いなら仕方のない事かもしれない。だが実際、仕事は非常に雑。
何故なら自分達でやりたがっていないから。動機(やる気)がないから。
嫌々やって、更に時間も掛かる上、部下の上げてきた成果は横取り。
要は他人を顎で使って、自分は何もせず、利益だけ欲しいと言う事を考えているだけの無能達。
それがバブル世代の特徴。
自分達より下の世代を無能呼ばわりしているが、「実際はお前らの方が無能だろ。」と言う話に、、、普通はなるのだが、この国では長らく気付かれていなかった。そもそも、本人達が気付いていない。
MMORPG/ソーシャルゲーム(以下ソシャゲ) の最も画期的だった点は、それが自己満足システムではなく、自己への価値付与システム、いわば自己顕示システムだった、という点にある。
オフラインのゲームは、スコアアタックのような要素を持っている場合を除けば、基本的に全ての結果が自己満足に過ぎない。
キャラクタがどれほど強くなろうと、あるいはレアアイテムを手に入れようと、それは他人にとっては全くどうでもいい話であって、それを自己顕示の手段とするのは、不可能ではないが、非常に難しかった。
MMORPG/ソシャゲ における強いキャラクタやレアアイテムの所持は、例えそれが膨大な時間の投入によって得られたサーバ上の変数値に過ぎなかったとしても、
「社会的成功」であり、他人を出し抜いた結果であり、他人の羨望や嫉妬を集める手段、つまり自己顕示手段そのものとなる。
これは意識するか無意識であるかに関わらず自動的にそうなる。ここに「人間に快楽を与えるシステム」としての、MMORPG/ソシャゲ とその他のゲームの決定的な差が存在する。
つまり、通常のゲームでは何をやってもせいぜい自己満足パターンでしか麻薬が得られないが、MMORPG/ソシャゲ ではそれに加え、自己顕示パターンで強烈な麻薬が得られる、ということだ。この差は計り知れない。
自己顕示はそもそも、MMORPG/ソシャゲ においてだけではなく、人間の人生にとって非常に重要なキーワードだ。
全ての人間は、寝たい、食べたい、と考えるのと同じように、常に自己顕示したいと考えている。
しかし、多くの人間にはそれを為すだけの力や資産がなく、一部の才能のある人間を除き、ほとんど誰もこの欲求を達成することができなかった。
MMORPG/ソシャゲ はそこに救世主の如く現れ、何の才能もない人間でも、時間さえ消費すれば自己顕示が可能なシステムを与えた。
結果、MMORPG/ソシャゲ はそういった層の人間を心を強く掴み、支配し、依存させ、「麻薬漬け」にした。
つまりそういうことではないか?
働き始めて数年以上経って、同じ大学にいた人たちがだんだん少しずつ会社でも偉くなっていく。
住む世界が分かれて疎遠になったり苦手になったりした知り合い友人先輩後輩は少なくないけど、それにしてもこの業界つまらなくなる人の打率が高すぎる気がする。
どうしてあんなに偉そうな感じになるの?俺たちが世の中動かしてるみたいな感じなの?そうじゃなきゃ仕事やっていけないの?
クライアントは自分たちのクリエイティブでイノベーティブなアイディアを理解できなくて、
メディアは金を払えば100%自分たちのために動くに決まってると思ってるの?
あとなんで深夜残業とか土日出勤を自慢のように話すの?
丁寧な返信をくださって、有難うございました。
ひょっとして実生活で受けた憂さを晴らすために、増田の記事を叩いてるんじゃないか、などと邪推してしまいます。
読み手の側に品性を求めるのは身勝手かもしれないけど、もし丁寧に読んでくれたのなら、書き手としてもモチベーションが上がるのになぁ、と思います。
ご指摘を受けて、「弁えるということ・文章を読むということ 」を読み直してみたのですが、なるほど随所に高度なテクニックが見られますね。
タイトルと末尾で使われてる、”弁える”という表現は、「恥」の感覚を呼び起こして、読み手に無意識の反感を抱かせる効果があると思います。
”文章を読むということ”は、「お前らの読解力なさすぎwww」という煽りの機能を狙っていますね。婉曲的な言い方にすることで、より効果が高くなっているようです。
要は feitaさんの自己顕示はアイタタタwww という意味なのでしょうが、その意図を読者に発見させることで、深く刺さる表現になっています。
振り返ってみると、弁え増田さんの(このように呼ばせてください)文章構成テクは巧妙なものがありますね。
俺は理系上がりの三流技術者で、ライティングのテクニックは人並み以下なのですが、人の書いた文章を読むのはとても好きです。
匿名ダイアリーでたまに上がってくる文章を興味深くたのしませてもらっています。
弁え増田さんの作品は平均的な匿名ダイアリーの群を抜いて繊細に織り込まれていると感じました。
弁え増田さんはどちらで文章を学びましたでしょうか(俺の後学のため、参考になった書籍など教えてくだされば嬉しいです)。
「弁えること」は狙いが限定的なので 100user 程度でしたが、弁え増田さんが一般向けに記事を構成すれば、ずっと多くの読者に届くと思います(ひょっとしてすでにお書きになったものがありますか? 差し支えなければ教えてください)。
仰るとおりだと思います。逆の面もお分かりですよね?
俺も幾度となく罵声を浴びせられました。コメントしている人は軽い気持ちであおっているだけなのでしょうが、数の暴力があるので、受ける側は四面楚歌な気持ちになります…。
頑張って書いた記事に、そういう反応が混じっていると、とても凹みます。
性根がポッキーな俺はそのたびに枕を濡らしていて、そうするしか無いと思っていました…。
はてながあなたの気持ちを汲んでくれることを祈っています。もし叶わなくとも、この一件が奔放すぎる一部のブクマカーの方々への牽制になればと思います。
時間をかけて、お書きにになった記事を読んでみました。浅学にして読解力がないので、理解に自信のないところがあります…。
しかし何はともあれ、私と粘着増田とが同一人物ではないかという疑いは払拭することができたのですから、はてなに対応してもらえなくとも、「通報しました」と述べることには、戦略上一定の意味があったものと考えます。
「通報しました」と述べることで、元増田さんと粘着増田さんが同一人物ではない、ということを伝えたかった。賢明にもそのような戦略を選んだ、ということでしょうか。
「私はfeitaさんに何かを押しつけたり求めたりしたのか」あるいは「私がfeitaさんに対してとった行動とは何か」
インタビューに応じて自分語りしてしまう自己顕示が不愉快だったことはあるけれど、
feitaさんが悪いとかそういうことではまったくないと思っていて、彼に対して、何かを求めたり、あまつさえ押し付けたりしたことなんて無かった、ということですよね。
「私がfeitaさんのファンであったことがあるのか」
自信がないのですが、”feitaさんの書くブコメは好きだった。”と仰るところから察するに、元増田さんはそれなりにはfeitaさんのファンだった、ということでしょうか。
ただ、"インタビューは読んだが、内容は覚えてなかった"、"ブログも見てなかった”、くらいなので、元増田さんにとってfeitaさんは特に重要な人物じゃなかった。
だから、
「私はなぜすがすがしい気持ちになったことに驚いたのか」
今回のfeitaさんの決断に対して動いた自分の気持ちに、『驚いた』。
そういうことですね。
これが俺の理解です。もし間違っていましたら教えてくだされば幸いです。
ところで、元増田さんは、粘着増田の行動をどのようにお考えですか。
実は俺もまた、粘着気味な性格なんです。だから彼の気持ちは多少分かるつもりです。
冷静な元増田さんと粘着増田の中間くらいの考え方をしていると思います。
俺の視点からでは、彼の行動はちょっとやり過ぎに見えました。 今回の一件で溜飲を下げてくれているといいと思うのですが…。
「毎日のように自分のIDが書かれた記事が、ネットニュースのトップに上がってくる」
というのは気が滅入ってしまうと思うのです…。
学校の廊下に、「XXX(自分の名前)はゴミ!」って書かれたポスターが貼られるみたいですよね。そして剥がしても剥がしても毎日貼られている…。
もし誰かが彼の代わりに、多くのネットユーザーにすがすがしい気持ちになってもらう為に、積極的に何か行動する、としたら、
考えをお聞かせくだされば、嬉しいです。。
エロと割れ、金儲け、欲望を満たそうとするエネルギーが集まる場所だった。
自分の利益と、欲望と、興味を満たそうとするエネルギーが、推進力となってネットを巨大にしていった。
ゼロ年代に入った頃、ITバブルが弾け、ギラギラは一周して、ネットはアイディアや思想の討論の場になった。
自分の利益を追求するだけでなく、「あったらいいね」を形にする場にもなっていった。
いつまでも続く学園祭のような、夢と未来の間にあるような空間、そんな気がしてた。
放送とインターネットの融合やら、日本初のP2Pネットワークが世界を席巻とか、本気で信じた時代があった。
Web2.0とかいう言葉が流行って、これからは凄い飛躍が待っていて、国や企業じゃなくて、ネットが世の中を変えていくと思ったりもした。
結局、堀江貴文は逮捕され、Winnyは違法ソフトのような扱いになり、テレビとインターネットの融合なんてものはやってこなかった。
出る杭が打たれたあとのネットは、悪口と妬みだけの、ぜんぜん建設的じゃない世界になった。
主導権は企業と国に逆戻りした。
そして、2010年代、今に至る。
「オタクこれだけ出来るんなら、俺らが本気だしゃ楽勝」くらいに考えてたんだと思う。
地上波デジタルの双方向性とやらは、昔ながらのテレゴングと大差がない。
最近じゃ技術で攻めるのは無理とわかってきて、クールジャパンとか萌えとかゆるキャラとか、お手軽に金を稼ごうとしてる。
企業も完全に乗り遅れた。
そいで、今のネットは、バカの自己顕示と、妬みや恨みをばかりだ。
あと5年後のネットは、今より楽しくなるのだろうか。
画像流用、博論序章丸パクリで、日本科学史最大事件になることが濃厚になってきた小保方論文だが、そもそも何故このような人物が生き残れていたのか不思議に思う人は少なくないはずだ。
特に早稲田大学の博士論文でのコピペは、小保方晴子一人が責任を負うような性質のものでなく、指導教員等、小保方の周りにいる人間たちの問題である。
このことから、むしろ再生医療に無知でかつ、剽窃の禁止等の科学的作法に興味がない小保方を使ってなんらかの意図を通そうとした集団がいると疑える。
では、この意図とは、そして集団とは何なんだろうか。それは、山中伸弥によるiPS細胞発見によって研究資金がiPSに流れることを嫌った人間たちであろう。
小保方が、大和雅之のアドバイスに従って再生医療に興味を持ったのは山中氏らがiPS細胞の発見を公表する2006年。時系列的に山中氏の公表が先であったか、
小保方のテーマ変更が先かは定かではないが、少なくとも公表より前に、大和雅之の耳にはiPS細胞の実現可能性は耳に入っていたであろう。
そして、その大和の前にやってきたのが、小保方であったはずだ。
ひたむきで出世意欲があり自己顕示意欲がある小保方の性質は、大和雅之、早稲田大学関係者にとって最高の素材であったと言ってよいだろう。
文科省等からの資金がiPSに流れてしまうことが確実な情勢の中、彼らはそれを押しとどめるべく小保方に誤った研究材料と研究作法を教え込んでいく。
小保方も疑問に思う日があったのかもしれない。しかし、彼らについていくことで得られたのはハーバード留学、20代でのプロジェクトマネージャーという餌であった。
科学者の矜持や善意では食っていけない。栄誉と金を前にして小保方のそれは無力であった。
予想以上にNatureに手こずらされたものの、2014年に公表されたS(ス)T(タ)A(ッ)P(プ)細胞の発見は、小保方の影にいる者たちの意図が通じた瞬間でもあった。
iPS細胞一辺倒であった報道姿勢はものの見事に変わり、iPSのデメリットが喧伝された結果、山中がいくら反論しようともiPS細胞助成への態度は明確に変わっていくことが予想される
(癌化のリスクがあることを誰が言い出したか調べるとさらに分かりやすい)。
それで小保方を操った人間たちの意図は十分に果たせたのだ。一般国民にとって、小保方の異常な剽窃・データの不正使用癖は、小保方個人に問題があったと思わせることが出来るだろう。
いくら、研究者がこうした教育しなかった指導教員のせいであるといっても、その主張はとどかない。
あとは、しらを切ったり、タイミングよく小保方バッシングをすれば小保方を操った人間たちは、免罪である(ベル研の時のように)。
小保方に使った金は高々数千万円だろう。これにより、計り知れない利益を得たものが分かりやすく固まった形で存在する。
院生とはそれこそ多能性を持った存在であり、まともな指導者がまともに指導すれば、剽窃などしない研究者に育っていくものである。
やっぱりちょっと痛々しい。
まず、オリンピックに絡んでの一連のツィートはたしかに見苦しい上に、重ねて「屈辱」は「する・させられる」なのでおかしい。
まあ明らかに侮辱の誤用であるが、ネトウヨの謎の日本語だという指摘が興味深い。
でだ、メダルは祝福・感謝の表現としてキスするのが本来で、噛むのは新聞記者が話題性のためにやらせた行為という啓蒙がここ数年でなされてる。
一番の所は、メダル確定までの事柄を思い返したり、この賞を与えてくれた事に対して感謝を込めてキスするべきところが、
エンターテイメント性を他者から要求された結果、自己顕示のために訳も分からずやってしまう誤りである。
これに下品、と感じる人のうち、まあネトウヨ的な人は「噛むのは昔娼婦が金貨を見極めるのにやったから、やめろ」などと言ったりする。
思うに、最初に噛んだのはアメリカ人だったりするので、同性のキスやハグの習慣の薄い所が勘違いしやすいんじゃないかと思われる。
理由はどうあれ、「キス≠メダル噛み」はここ数年五輪関係の話題でかならず繰り返された話題である。
しかして、問題の「ブーメラン」などと言って貼り付けたロシアの写真は明らかに「キス」であり、同種の勘違いである。
これは一般知識として知っていれば、もちろん気付いたはずである。