普通に考えたら向こう数年くらいのプランは立てて上層部で共有してるだろうし、急にいなくなったからといって即会社が潰れるわけでも出るはずだったゲームがキャンセルされるわけでもない。そのための組織だ。会社だ。優秀な人材はいるだろうから、そのうち適した人をまとめ役に据えるだけだ。
ただ、自分がどうしてこんなに気分が沈んでいるのかというと、
以上の3点から生み出された勝手な親近感により、それなりに落胆している。
俺はその会社の従業員でもないし彼の親族でもない。俺が追悼したところで生き返るわけでも誰かに霊が降りるわけでもない。手を動かさなければゲームはできあがらない。それでもみんなは日常を回さなければならない。惜しむ話は去った人をネタにした自己顕示にしかならない。始めて触れた彼のゲームだとか、彼がいなかったらこれは存在しなかったとか、そんなのどうでも良い。そう言う話をするのは俺の仕事ではない。
彼の個人的な知り合いでもない。彼がどんな人物だったかは、ネットや雑誌やテレビの向こうの人の伝聞でしか知らない。
彼がいなくなっても、俺は彼の動かしてきた会社を信じる。祈りも捧げず悔やみも告げない。そこにいる人たちで意志決定を引き継げるはずだ。
優秀なリーダーが降りてしまったのは非常に残念だ、悲しい。しかし、それを超えてまだまだ素晴らしい体験を提供してくれると信じている。