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2024-03-22

才能の民主化完全に理解した

 「生成AIによる民主化」を叫ぶパブコメが公開されて話題を呼び、「それは民主化ではなく共産化」という理解が急速に形成されている。この「民主化」という概念は何も9段の人物が考え出したものではなく、海外の生成AI議論特にイラスト関連の議論では頻出の概念であり何らかの生成AI推進過激派共通認識だが、一方で「共産化」は少なくとも増田寡聞にして知らぬ。では、この「才能」の「民主化」とは何なのか? 恐らく国内理解されている形では「極一部の『絵師』と呼ばれる特権階級が、生まれながらに持っている、『絵』を生成する技術」を「広く一般が使えるようにする」こと、だろう。

 Financialization(金融化)という概念がある1980年代から汎ゆるもの金銭価値に換算する動きが加速し、万物通貨によって交換できるようになる一方で、金融分野に加速度的に富が集中するようになってしまったとか、そんなような話だ。まあ安っぽいネオリベラリズム批判一種と思って構わないが、このあらゆるもの金銭価値と拡大の速度、加速度で考えるというプロ倫の延長線上にある思想米国では広く一般に浸透している。

 だから二次元業界も当然この金融化の対象として、森羅万象を四半期指標の伸びとして変換すべしという思想の中で解釈される。このものは素晴らしい、だから儲けを加速しなければならない、という自然な発想がある。二次元イラスト業界金銭的な側面で発展させようという試みは、2010年代を通じて諸外国で繰り返されてきた。無断転載で客を集めた後、批判を浴びて版権元と交渉しようとした漫画村事件もその一部だし、同人誌代理購入や転売が行われたり、無断翻訳グループや各種の転載サイトの有料サブスク販売されたりとか、仮想通貨イラスト作家を巻き込む動きも見られたし、画像ファイルを集めて転売するとか、無料3Dデータを改造して勝手に売るとか、あるいは無料転載して名を上げるとか、色々な試みがあった。個々の作家に対してあなた作品もっとビッグな儲けに繋がる、価格を上げるべきだ、販売数を増やすべきだ、出版が難しければ顔だって繋ぐ、といったオファーが野放図に撃たれることもあった。

 そのいずれにも日本漫画業界イラスト作家コミュニティは乗らなかった。日本は強固な「非営利業界」を維持してきた。

 日本人は日本二次元業界が作り出すソフトパワーをまったく過小評価している。増田はある時、海外イラストレーターが何だかソフト互換問題で揉めている所を見たことがある。PSDはPhotoshopから出力されるとは限らない、俺はKritaを使っているし現場によってはCSPを使っているとか、どうだかだった。お前らはCSPが何のことか分かるか? Clip Studio Paintだ。増田にとってこれはちょっとした衝撃だった。まったくのサプライズド・ピカチュウだ。分かるか? 国産商用ソフトウェアがイラスト制作ソフト世界御三家一角を固めていて、Adobe三位なんだぞ。「日本にはジョブズが生まれない」?「日本製のソフト通用しない」? いや、増田自身普段はこれを言う方なのだが、それでもだ。かつてはbukkakeが世界一有名な日本語だとか、不名誉で恥ずかしいとか言われたものだが、今では所によってはblack company、mesugaki、menhera moveですら通じる(最後はどこかの初号機の貢献だ)。

 そして、この継続的世界投射される存在感、その非営利思想(と、その裏でちゃんと行われているアニメガチャゲー課金としての回収)は、思想的に原理主義的な低位のレイヤーにおいて、世界的に反発と軋轢を生み続けているのだ。

 もう一つ説明すべきことがある。共産化とは何なのか? 帝政ロシア末期のそれにしろ中国のそれにしろ共産主義革命とは、力を持たない民衆が団結し、腐りきった既存体制を打破し、特権階級が貪る既得権益破壊し、人民還元する、という建前で行われる営為だ。実際にはこの「特権階級」は中流層以下を指し、既得権益とは単に日常生活を指す、ということはまともな人間なら皆知っているだろう。高級な壺を割り水道破壊公共施設を打ち壊し電線を鋳潰し、全てを焼き払ってゴミにするのが共産化共産主義革命である社会破壊して所有の概念を、いや「社会」と「モノ」という概念の終了を目指すのが共産主義である

 この「才能の民主化」と「それは共産化である」という批判はこれらを踏まえて解釈されなければならない。

 「民主化」による恩恵を得るのはお前らではない。「お前ら」というのはブクマカ増田のような言葉を持つ人間だけに限ったものではない。日本人ではない。ここまで書いてきたように、いま、諸外国には、日本(または中韓台を含む極東アジア)人は二次元イラスト業界特権的地位を得、極端なダンピングと異常な反成長主義を敷いている、という怒りがある。その怒りの文脈において、日本人は全て二次元の絵を生成し享受できる特権階級であり、才能の共産主義革命において虐殺される対象である。⑨段のパブコメを書いた「生まれつき手が震えて線が引けない」者など同情に値するわけがない。絵の金融化、イラスト市場資本主義的成長を阻害してきた旧来体制を賛美する、唾棄すべき特権階級であるポル・ポト政権の新国家建設の呼びかけに喜び勇んでカンボジアへ舞い戻り人民裁判に掛けられ次々と虐殺された出稼ぎ労働者たちそのものの姿だ。

 そしてその方法として、生成AI推進派たちは、Danbooruに(善意で)集積されたイラスト圧縮汎化させ任意に混ぜ合わせ薄めて取り出せるようにする。そのデータを配布し有象無象が使えるようにする。LoRAにより「絵柄」の神秘性を破壊再現できるようにする。それらすべてはコンピュータの利用を強制して非属人的に実行されることで金銭価値還元される。

 だからあれは共産化なのだ。だから「生成AI規制するならば二次創作規制しろなのだ。つまるところ「生成AIによる才能の民主化」の指すものは、金銭価値への還元を断固として受け入れない二次元イラスト市場破壊のものなのだ文化庁の連中が考えているような「『民主化』による、日本国内の広く一般の者への価値還元」は発生しない。民主化AI生産性を飛躍的に向上させたクリエイター活躍などない。ソ連にまともな戦闘機がなかったようなものだ。仮にこれが「還元」だとするならば、起こるのはちょうど紙を高濃度過酸化水素水で炎とガスに分解するような「還元」だ。「パブコメの知能が低すぎて困る」とかボヤいている場合ではない。それほどの、あえていえば低知能のもの、が反対一色に染まってパブリックコメントを送ってきているとはどういうことか? 実害を被っているのに他ならないではないか

 この話のオチは、恐らく「生成AIによる才能の民主化」が実際にこのまま進んだとて、著作権法AIウォッシング無罪規定したとて、それは絵の価値が下がるという一過性日本の純損失であって、別に日本的なイラスト創作文化への参入が海外享受者たちに認められるわけではないだろうことだ。Twitter上でも指摘されていたが、AIに点滅するカレットを与えられないから絵が造れないなどという者はいないのだ。完璧な絵をプロンプトで定義できると言うならばしてみるがいい。いや、Twitter上でもなんでもいい、人は文字が読めるのだから完璧な絵の定義を書けばそれは作品なのだ。件の人物が長々とコメントを書き、そしてバズりを作り出したように。

飽きた。ここで投げる事にする。ナガノのくまを讃えよ。

2023-09-22

anond:20230922125841

それは資本主義に居ないヤツの仕事ってもんよ。

資本主義者は余った時間もっと仕事をして、それによって富を得て、社会全体も凄い速さで発達するのだ。

ウェーバーの「プロ倫」っていうんだぜ。

 

でもなんで5を入れるかはわかったわ。

資本主義精神ってやつと無縁だからだ。なるほどね。サンキュな

2023-09-10

社会学かー高校の時ちょっと興味持ってたな

丸山眞男とかヴェーバープロ倫とかミル自殺論とか読んでた

マルクスちょっと難しくて読めなかったな

結局社会説明するモデルを構築する学問って感じだったな

2023-01-02

anond:20230101122205

ちなみにプロ倫は「教科書からほとんど消え、山川用語集にも載ってないんじゃないかな。

問題意識はすごく分かるなー。

教科書しろ指導書にせよ、出典をあえて隠す傾向にある。

元々世界史教科書は各説のむちゃくちゃな集合体なんだから、それくらいは誠実にやるべきと思う。

2023-01-01

世界史教科書でびびったところ

大学受験日本史選択だったために、世界史ほとんど勉強してこなかったのだが、年末年始休みを利用して教科書山川出版社 『詳説 世界史研究』)を読んだ。

1/2(月)追記 ブコメにて、「 『詳説 世界史研究』 は 「教科書」 ではない」という指摘をいただきました。ここでは 「教科書」 を 「高校で使う教材」 ぐらいの意味で捉えてもらえれば幸いです。また、他にも指摘をいただいた点について修正を加えました。問題意識としては変わっていません。



それでびびったのが以下の点。

旧約聖書記載特に出エジプト下り)を史実として書いている。

ヴェーバープロ倫』の主張を史実として書いている。

ウォーラーステインの 「近代世界システム論」 を前提に近代記述が進む。

アジアでの 「勤勉革命論」 が何の疑いもなく紹介される。

資本主義説明が、ほぼマルクス資本論』の主張を丸呑みしている。

同じ山川でも日本史教科書だと、 「〇〇論」・「△△説」 の紹介は避けるところがあって、事実の羅列にしか見えないような記述ばかりなのに対し、世界史教科書だとガンガン踏み込んでいくからちょっとびっくりした。

とはいえ、説は説なので、「~~という説明が有力である」 ぐらいにしとかないとダメな気がするんだけど・・。

2022-11-18

anond:20221118100026

そりゃお前、プロ倫精神よ。

投資ってのは、プロテスタント宗教的情熱でもって爪に火灯してするのさ。

爪に火を灯してやることが貯蓄か投資かの違いあるだろ。

 

負担が多いだの少ないだのは、検討違いってもんだ。そもそも楽することが動機ではない、ってのを見落としている。

とりまホモエコノミクス批判もう一回確認してもらって。

2022-05-14

anond:20220514163918

資本論ならしょうがない。内容じゃなく今からじゃ期末に間に合わないだろ。プロ倫とか諸国民の富くらいなら文庫読め。

2022-04-27

anond:20220427201607

岩波プロ倫全部読んで理解できたら低所得かどうかはともかく、バカではないのでは?

anond:20220427201607

そもそもバカプロ倫を読めない。世界史宗教の基礎知識必要かつ意図的ドイツ語っぽい文体翻訳してあるから普通活字小説や本も読めない人間が読めるわけない。

2021-10-07

anond:20211006211009

いーや、やはり共産主義ダメだよ。

なぜなら共産主義経済的発展を拒否する思想からだ。

 

そもそもだ、共産主義ってのは、革新ヅラしているだけで、思想系譜としては保守に属する。

資本主義っていうのが出てきた、都市ってものが形作られてきた、それらは経済的発展を目指していたら自然とそうなった新しい形だった。でもこの新しい形には貧富が拡大するなどの不合理があった。

そこで、新しい社会への反動として、共産主義が出てくる。「これまでの農村での暮らしでは貧富の差は大したことなかったじゃないか。もう一回その時代に戻そうぜ」。共産主義ってのはそういう発想だ。

今あるパイちゃんと全部分割したら平等になるってシンプルな考えだ。

 

ところがこれをやると絶対経済的には衰退していまうんだよね。

なぜなら、いまあるパイを分割したいだけで、未来への投資って発想がここでは抜けているからだ。

マルクス資本主義について根本的なところを理解してなかった。まあマルクスライバル視してたのは「プロ倫」のほうらしいから無理もない。今を我慢して未来投資するからかになるのが資本主義だ、というエッセンスが完全に抜けていた。マルクス経済について「ブルジョア工場を奪ったらプロレタリアートが同じように運営するだけだから何も変わらないっしょ」ぐらいのことしか言ってない。

マルクスがそうだったから、レーニンはその通りにした。しかしこれは案の定上手くいかなかったんだよね。労働者には工場を上手く回せなかった。そこでロシア計画経済の統制をますます強化して、あの有様というわけだよ。

 

統制を強化するとうまく行かないのも、後付けで考えたら当たり前なんだよね。

なぜなら計画経済っていうのは、当たり前だけど、自由経済よりも高コストから管理コストが多くなる。

中間管理職が増えてすぎた会社は、効率が悪くて滅びる。我が日本がここのところ見てきた光景だよ。

 

増田の考えは、コンピューターのある今なら増えすぎる管理コストも背負えるんではないか? という発想がもとになっているようだ。それは問題点を捉えられているという意味評価するが、俺は楽観的すぎると思うな。

今のAIって所詮人口無能で、まだ中間管理職の代わりをさせるわけにはいかないし。それに管理コストってそういう細かい部分だけでなくもっと大きい部分もある。自由経済よりも素早く確実な判断できるのか? という話でさ。それは現実社会コンピューターエミュレートできるか?というのに等しい。普通に無理。

 

というわけで、共産主義は貧しくなるから無理だ。

ソ連崩壊したのは、確かに思想関係ない環境の成果もしれないな。

しかソ連が貧しかったのは共産主義思想のせいだ。

維持に成功している社会主義国家はあっても、経済的発展を遂げて豊かになった社会主義国はない。そういうことなんだ。

2019-09-01

プロ倫

プロ社畜倫理資本家の高笑い

という言葉が思い浮かんだ。プロレタリア革命するわけでもなく、猫も杓子もおとなしく社畜して、社畜同士は正社員非正社員とにうまいこと分割統治され、搾取されているのに国や企業批判の矛先が向かないようになっている。そういったことに気付いているのかいないのか、ともかくもへいへいと働いて少しずつ貧しくなっていく。そんな日本人精神構造日本社会構造経済関係を誰か分析してみてくれないか

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161016105702

ウェーバープロ倫って今読むと何で持て囃されてんのか分からん

そもそも異端かどうかで争いのある予定説スタート地点にして、それをねじ繰り回してさら牽強付会を繰り返すことで資本主義に結びつける。

まともなクリスチャン経済学者であれに賛同してる奴いないんとちゃうか。

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131101142449

いろいろ面倒なのではっきりさせておくと、大学民俗を専攻してました。隣接分野として文人歴史&考古の教養は有ります。更に文人サブジャンルの宗教学に関しては「馴染みがある」「概説書、エッセイを読んだことが有る」程度です。

そのうえで、この増田はすごくいい疑問を持ってると思う(ウエメセ)。

そこで宗教でいえばお守りは切れないという方程式があったとしてね

宗教のなかで はさみをつかえばおまもりを切ることができる という他分野の理論崩壊させない?

これはそのとおりで、逆に言えば「宗教教義が十分に煩雑で多方面にわたっていれば、それがたとえ非論理的でも教義内で無謬となり諸々の事象教義で説明できる」っていう仮説があって。イメージとしてはユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学みたいな(こちらは両方とも論理の枠内だけど)。

なのでその場合は「はさみをつかえばおまもりを切ることができる」に対応する屁理屈なり禁忌なりが形作られるのだと思うよ。

歴史宗教になる?

宗教政治が一緒にならないようになったりとかは宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいてじゃないかなと思うんだけど

これも逆説的にそのとおりで。

言ってしまえば「政教分離」を是とする現在日本の状況は、人類全体で見ればたいへん特殊なんです。

200万年前に人類が猿から別れて、その後どこかで「宗教」が発明された。

発掘で確認されているのは10万年前くらいなので、仮に10万年とするけど、

その後、9万9千9百30年間くらいずっと宗教政治権力は同一だったわけで、

「あれ? これじゃいろいろまずいんじゃね?」と気づいたのがここ数千年(ギリシャローマとかのピンポイントの特例を含む)、

必死に血を流して実効が上がってきたのがここ数百年の話(プロテスタントとかイギリス国教会とかフランス革命とか。これも「別のより穏当な宗教」に置換しただけだけど)、

やっと成功例ができてきたのが大戦からのここ数十年(共産主義政教分離)。

といっても何百年後かの人類からは「21世紀のヤツらってまだ○○してたんだって」「やべーwww」と言われるんだろうが。

なので歴史宗教政治なのは普通で、上の「いろいろまずい」ってのは、あなたの言う「宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいて」とほぼ同一なんだけど、たぶんまだ現生人類ベース宗教歴史政治パラダイムなので、色んな場面で宗教感覚は染み出してくる、というのが俺の私見。

だとすると今現在では宗教とすべてのことはつながっているというのは過去禁止されたものの昔話をしていることにはならない?

渋谷スクランブル交差点地下道入口へ登ることが禁止されてるのは? 禁止しないとやっちゃう人がいっぱいいるから。

何かが禁止された記録というのは、それをやっちゃう人が現実にわりといっぱいいたから。

というのが歴史学の基本的な考え方の一つです。

なんか読みやすい参考資料とかパッと浮かぶといいのだけど。プロ倫の解説書とかかなー。微妙か。

現役じゃなくなって久しいので、だれか現役の人頼む。

2008-11-22

高校生のボクが思う社会科学

社会科学するから社会科学

社会人間の集まりだよね

人間の集まりを科学する

つまりそれは集団の意思決定=政治学であり

集団での金やらモノやらの動き=経済学

で、科学と言うからには科学的手法をとっているわけで

科学的手法ってのは演繹だったり、帰納だろ?

だから「これまでの社会」=歴史社会科学的には重要なんだな

自然科学、例えば古典物理学なんかは

一見複雑な運動でも実は単純な運動の合成だったりするし

そういう「自然ではあるはずがない」単純な仮定空想の状況を作り出して実験することも容易い。

やっぱりさ、人間をある程度捨象してしまうことだよね。つまり類型論。類型論って、ステレオタイプのこと。

そうすれば、因果関係も見えてくるじゃない?でも、類型をつくる時点で、それは人を捨象する学者価値判断がそこに含まれてしまう。

やっぱり科学っぽくない?まあしかし厳密な正当性なんてものを社会みたいに相関的、イコール互いに影響しあう対象研究に求めるのは酷。

ある程度の妥当性が認められれば万歳でしょう。

じゃあどういう風に類型を作るのが一番妥当なんだろう?マックス=ウェーバープロ倫を考えてみる。

まず事実あるじゃん資本主義ができる前にはプロテスタントが広がってった

プロテスタントには商工業者が多い。プロテスタントは現代でも重役につくことが多い。

フランスナント勅令を廃止してから財政難に陥った。スペインはゴイセンを迫害してから没落していった。

適当だよ?ウェーバーさんがどういうやり方したかは知らないよ。適当適当

でもこれら個別の事実を並べて、ある色メガネでみるとそういう法則が分かるんじゃないかってこと

メガネは絶対に必要なんだよね。つまり他の色を捨てるってことだよ。

まぁ結論ありきでやらないってことが重要だよね。どの色メガネを使うか最初からきめてたらそれは「ただの今頃の若いもんはおやじ」だよね。

統計に余計な価値判断を加えるのが社会科学、というか社会学?ですが!その価値判断社会学のすべてなので!スマートでアクロバティックな価値判断がよろこばれます!つまり多様な価値観!複眼的な分析が重要なのです!

追記;ふと思ったんだけど増田てすごく社会学的じゃない?

 
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