あの映画が本当に政治的にヤバいのは映画が進むにつれて矢口たちに決定の権限が集中するところ
自衛隊の攻撃一つとっても現場から防衛大臣を通じて総理にうかがいを立てるシステムになっていた。
ところが大河内内閣が熱線総辞職し、里見内閣が成立してからは矢口と巨災対のメンバーが意思決定を行うようになる。
矢口は官房副長官から昇進し、防災大臣になったとはいえ所詮一人の大臣にすぎない。
また巨災対も「はぐれものの官僚や異端の生物学者」が集まってできた集団である。
役職も「〜課長」や「〜副長官」であり、官僚のトップが集まっているわけではない。
矢口プランを提言する機関としての能力はあるかもしれないが、政府を主導していくメンバーではないはずだ
ところが里見内閣では矢口と巨災対が血液凝固剤を作るために官庁全体を動かしていくようになり、さらにはフランスに対して核発射遅延の要請まで行い始める。
その上、ヤシオリ作戦実行時には里見首相は完全に蚊帳の外で、矢口に自衛隊指揮の権限が与えられていた。
自衛隊にかなりの死者が出たであろう作戦だったのに、里見首相はそれを見ている様子さえない。
なにがヤバいって権限のなさそうな人間がガンガン物事を勝手に決めていくところ。
総理大臣や事務次官が実質的に権限を握っているなら、ミスがあったときは彼らを交代させれば政策を変えることができる。
しかし、トップが完全な飾りで実質的な権限をもっておらず、下の人間の独断でものごとが決まっているシステムではトップを変えても政策が変わることがない。
そして、このようなヤバゲなシステムを採用しヤバゲな方向に失敗した島国が70年前に東アジアにあったはずなんですけどね
どこかは忘れましたが
サヨクの皆様におきましては、9条やアベ政治、緊急事態条項の話をする前に意思決定が総理大臣の手から離れていく問題を論じたほうがいいのではないでしょうか