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はてなキーワード: 特質とは

2016-09-04

たぶん彼の家は両親のどちらかが犬食いだ、あるいは両方

家族皆その食べ方なのか、と聞いた時に返事をしなかったか

家庭環境として、左手を使わず片手だけで食事をするような状況はあるはず

あと、身障者指定はないにしろ遺伝特質として何かある

複数動作を同時にできないとか、そういった類の

プレートでサラダスープ・メイン料理・デザート・飲み物がある状態

つの皿を全て食べてから次の皿・・・という食べ方もなにか癖を感じる

別にコース料理のような順序ではない、メインを食べてサラダを食べてスープを、という感じで食べたい順

母親に一皿ずつ食べるのを指摘されているようだから母親はこの食べ方ではないようだ

几帳面で、1つずつ1動作ずつしかできないような

実際に様子を見ていても、妙に固いというか、丁寧というか、1つずつなのだ

障碍とは言わないものの、とても違和感のある癖であり動作であり

まり好ましくは感じない

2016-08-29

セルライト脂肪

セルライト脂肪説とは、スメルシ・ミリスフィンクススミス提唱した進化学説

セルライト自然的に成立したとみる考え方に対して,脂肪細胞肥大化を原因とする点に特質がある。

2016-07-23

新婚さんいらっしゃい』ってレイプ関係始まってる夫婦多くね?

神武天皇が御即位した頃から続く(ギネス認定長寿番組新婚さんいらっしゃい』の鉄板ネタで、

最初エッチしたのはいつか?と、桂師匠が間接的にゲスト夫婦に尋ねる場面があるんだけど、

その手の回答に時々「あれ、それってレイプじゃねーの?」と首をかしげしまうことがある。

もちろん、結果として夫婦になっているので、それは本人たちの中では「思い出」として美化されているんだけど、

女性(時には男性)を自宅に呼んで、成り行きで突然背後からいかかったとか、

嫌がっているのを押してやってしまったみたいな、みたいなエピソードが多いこと多いこと。

交際開始当時に未成年女性と成人男性という組み合わせの若夫婦に多い。稀に女性男性を襲うパターンも)

確かに恋愛においては、時に「押しの一手」が必要になるフェイズはあるんだろうけど、

「付き合ってなきゃやらない!」って嫌がっている女性に「じゃあ、今から付き合おう!」

と言って無理やりやっちゃうとか、どうなんだろう。

結果として責任取れば、つまり結婚すればレイプしても許されるのか? 性犯罪に目を瞑るのか?

しかも、そういう場面では決まって会場では笑い声が上がって、師匠椅子から転げ落ちるパターン

女性が半ばレイプされたことが「お笑い」になってしまっている。ハメれば官軍か?

それとも、世の多くの女性は「相手の自宅に上がった時点でOKサイン」という「神話」を内面化してしまっているんだろうか。

まるで昭和ホモソーシャル的な価値観(「女はやっちまえば黙る!」)が依然としてまかり通っているのか?

古事記でも川でトイレしてる女性レイプして嫁にする(「赤い矢」)というエピソードがあったね。

まあ、こういう番組に出演しようと思う時点でカップル母集団特質が偏っている可能性も否定できないけど、

こんな平成の世の中になっても、レイプされた結果、オキシトシン分泌して相手恋愛モードに入っちゃう

ような女性が多く残っているのが不思議な感じ。デートレイプ問題にも通じるし、シャレにならんと思うが。

ぶっちゃけ、みんなはそういうのってどう思う?

2016-07-11

左翼がしょぼすぎる理由

もともと左翼ってのは3種類のルートでなるものなんだよ。

まず、一番健全というか穏当なのが、ごく普通一般労働者収入などが低い人が、左翼的な言説を聞いたうえで「現在の苦しい生活から抜けられるのであればこの言説を支持しよう」って思うパターン選挙的に言えば、投票者。「だってお金もう少しほしいんご」って感じなので、ある意味一番罪がない。

二番目は、中途半端高学歴の人が現在社会絶望をこじらせて左翼にかぶれるパターン。昔でいえば学生運動だし、日教組系もそう。自分能力に(自意識過剰な)自信があるくせに、現在社会では(主に経済的に)報われてないと思ってこじらせている。単著もないのに社会批評とか政治系のブログとかを書いちゃってる人がまさにこのタイプ。要するにルサンチマンなので、どうしようもなくしょぼい。選挙的に言えば、(本来は)ボランティアスタッフとか青年候補者とか。

三番目は、現在資本主義的な社会で十分以上に成功を収めた末に、本人は経済的な充足を十分以上に確保して、余剰のお金を使うのならば左翼的活動――つまり貧困者の救済や差別撤廃文化振興に使おうと決意した人。昔でいうと篤志家と呼ばれた人たち。選挙的に言えば後援会会長や、熟練候補者とか。

しかし、日本において3は庶民から嫉妬で徹底的にたたかれる。寄付をしただけで偽善だと集中砲火を浴びるような社会なので、表に出ることが難しい。そもそも3の目的社会をよくすることなので、炎上処理とかがしたいわけではないのだ(2の目的承認欲求の充足なので、炎上を喜ぶ側面すらもまれにある)。

日本における左翼本丸共産党ですらおもに2を主力としているわけで、そりゃしょぼくて当たり前なのだ。2は当人たちが考えているほど能力も高くないわけで、当然実務能力も、政策立案能力もない。そんな能力があったら、現在社会でも十分に成功しててこじらせないですんでる。でも日本では2のまま理論武装と党内政治けが先鋭化して、なぜか長老なっちゃったり、意識の高い系芸能人傀儡として2の文脈に参加して政治家路線になったりする。

政治家リーダーなわけだから能力がある人の方が望ましい。しかし、日本左翼歴史的に「庶民のために」っていうのを護教的に叫びすぎて、本当に能力のある人、つまり現実社会で十分に成功している人を受け入れることができない。庶民庶民のためにっていう建前が壊れてしまうからだ。3を拒絶する構造なのだ。これが日本左翼がしょぼい原因。

ポルポト的な(非常に極端な)表現でいうならば、「優れているという特質は、優れているというだけで庶民側ではない証明なのだ」となる(ポルポトだったらこの時点で銃殺だが、日本は優しい国家なので嫉妬炎上派閥闘争フルボッコくらいで済む)。

2016-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20160228215233

最近では遺伝子レベル特定野菜を受け付けない特質形成されている可能性が示唆されているんだよね。

アルコールを分解できない人や食品アレルギーに対する無知と同じで、誰でも何でも同じもの摂取できるという幻想が根強く残っているんだね。

2016-02-19

心理学的には、二村ヒトシ恋愛理論は間違っているらしいぞ

http://anond.hatelabo.jp/20160219191434

この増田記事恋愛自己受容の関係が書かれているけど、

心理学恋愛における好感度モテ)と自己受容の関係を調べた研究があって

それによると自己受容と異性から好感度無関係らしい

(ただし、自己受容の度合いは、関係維持の点で重要みたいだね)

恋愛本の名著と言われている二村ヒトシ(著)『すべてはモテるためである

では、モテない男は自意識過剰であり、正しい自己受容がモテの第一歩だ、

みたいなことが書かれているけど、実際にはあんまり関係ないみたい

あくま心理学的には、外見やコミュニケーション能力の方が重要で、

内面的な特質モテに与える影響はほぼない。

(そもそも、完全に自己受容できてる人って外見に気を使わない気がするw)

ようするに、恋愛と成否と自己受容を結びつけるのも

ある意味自己啓発産業一種なんだろうね

参考文献: 越智啓太(著)『恋愛科学 出会いと別れをめぐる心理学

2016-01-23

「良いアニメーションとは何か」もしくは「キンプリを観てくれ」

ここ半年で見たアニメ映画のなかで、強く印象に残る作品が2つある。「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」と「KING OF PRISM by PrettyRhythm」だ。

どちらも非常に優れた作品なので、知らない人は覚えて帰ってほしい。

キンプリことKING OF PRISMは好評上映中で、リトルウィッチアカデミアNetflixで配信しているはずだ。

それぞれ1時間程度の短編映画なので、あまり身構えずに見ていただきたい。

これら2つの作品が優れているのは、ひとえに制作スタッフの熱意によるものだ。

しか監督方向性の違いにより、その特質が大きく異なっている。

端的に言うと、「リトルウィッチアカデミア」は作画を楽しむアニメであり、「KING OF PRISM」は演出を楽しむアニメである

リトルウィッチアカデミアは教えてくれる。アニメーションとは「動く絵」のことだと。

キンプリは教えてくれる。アニメーションとは「実写ではないもの」のことだと。

リトルウィッチアカデミア作画は凄い。人が、物が、本物よりも本物らしく色づき、動き、生きている。

キンプリ演出は凄い。非現実的かつ過剰な演出を繰り返しつつも、誰もが作品にのめり込み、主人公と共に驚き、笑い、泣くことができる。

リトルウィッチアカデミアメイキング映像では、監督原画マンの提出したラフに対して、人体はどう動くか、それをアニメーションとしてどう表現するかを微に入り細に入り修正している。

キンプリの(劇場先行DVDの)オーディオコメンタリーでは、監督があらゆるシーンに対して、キャラクタが何を考えているか、裏で何が起こっているかを微に入り細に入り語ってくれる。

アニメ映画という同じ枠組みにありながら全く異質の価値提供してくれるこれらの作品は、作成の経緯もまた異なる。

リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」は前作「リトルウィッチアカデミア」の人気を受け、クラウドファウンディングにより制作資金調達した。既存ファンが先行してお金を払った。

KING OF PRISM by PrettyRhythm」は原作プリティーリズム レインボーライブ」の人気を受け、主要スタッフ会社上層部を説き伏せ、半ば騙すように制作した。監督は公開直前に内部事情さらけ出し「どうか劇場に足を運んでほしい」とファンに対して頭を下げた。

どちらが良いという訳でもなく、どちらも非常に優れた作品であり、アニメーションという形でしか表現できない。

アニメーションはこうあるべきだ」という正解を感じることができる作品である

クラウドファウンディングにより一定の評価を終え、BDの発売も行われているリトルウィッチアカデミアに対し、

キンプリは今が評価の真っ最中である。少しでも気になった方は今すぐ劇場に行って、この作品をより長く続ける助けになってほしい。

キンプリを観てくれ。

2015-12-08

五郎丸氏は、ただしイケメンに限るの最有力候補。

あれがキモメンだったら、そんな流行ってないし、

ローマルポーズは、キモイポーズで終わり。

アンガールズレベルお笑いネタになってただろう。

それがイケメンというだけで政権与党党大会にまで呼ばれて

いまや国民正義

誠実そう?力強そう?

それって実際その特質を持ってるかどうかは別として、

見た目がそうなってんだろう?

いや、五郎丸氏が、悪いわけではない。

もてはやすやつらが悪いのだ。

実際に彼は誠実なのかもしれない。だからどうだというのだ。

諸君!しっかりうけとめろ。

これが現実

2015-11-13

アナル強化系

水が溢れ出した。どうやら強化系の能力者のようだ。

いやしか茶色ものが浮いているぞ。もしかすると特質系のアナルかも

2015-10-01

新版対応というのはなにか意味があるのだろうか?

例えばauIS03Android6.0を載せられるかと言われれば確実にNoだ

いくらソフトウェア更新されたところでハードスペックが追いついていなければ意味が無い。

そして最近Android端末の進化スピードは異常だ。Android4.2が出た当時の端末なんてもはや時代遅れ

わずか2年前のことなのに。

iPhoneライフサイクルから見ると異常としか言いようのないスピードだ。

4.4を経て5.0にアップデートしたのが3ヶ月前。

そうして3ヶ月もしない内に次のバージョンが発表された。

正直エンドユーザ恩恵を得られるほど特質した更新はない。

単に新しいもの好きのアーリーアダプターが悦ぶぐらいだろう。

そんなマニア向けの更新果たして日本大企業てんやわんやになって対応を推し進める意味があるのだろうか?

UIの使いやすさが向上するわけでもない。むしろ悪くなっているというのに。

2015-07-05

先ほどの表現に一部誤りがありましたので訂正します。

あなた長所、という表現不適切でした。

正しくは、私が好ましく感じる点、です。

すべての人にとってあなたに良い点が多いという意味ではなく、

あくまで私のみ限定で・客観的に優れているかどうかはさておき・好ましく感じる特質が多い、という意味でした。

誤解させやす表現であったことを、お詫びして訂正します。

2015-05-14

すこし長くなるので、長文にがてな人は無視してくれ。




http://anond.hatelabo.jp/20150513013343

感情的なのは勝手なんだけど、

いろいろ誤解を与えそうなんだよねー、これだと。

文学なんて、人生に毒でしかないんだよ。

マーガリンをギトギトに塗りたくったトーストだよ。

ポテチバリバリ食いながら飲むコーラだよ。

トランス脂肪酸で食べるプラスチック保存料で死んだ後も体が腐らなくなるんだよ!



これだと、「二郎文学」でいいんだよね。

俺もちびっと文学かじってたんだけど、たとえば、

太宰が好きだーっつってるピースの又吉にやきもきする程度には。

あれはヤク中で人生ダメにして人を道連れに自殺しただけの人だから

文学が毒である、ということに口を挟むつもりはない。

そして一部の人間の人生にとっての毒である、ということにも。

だがね、毒はときとして薬となることに言及しないと。

文学摂取して毒にかかって心身を崩す人は、文学に向いてないんだよ。

文学摂取して薬として癒しを感じる人は、おそらく文学に向いている。

まずラノベ文学であることに異論はない。

増田文学であることにも。

だけどそれはね、感動があるからではないのさ。

単に「文字で表現されてるから」という無機的な理由からだよ。

文学芸術のいち分野である

そしてその特質は、「文章」つまり「文字」での表現であることにのみある。

それは音楽音階、もとい空気振動という程度の意味での

から構成されるものであるのと同様に。

また絵画イラストが、非言語的な図形や色から構成されるものであるように。

まずこうした無機的な、芸術というものの分類がある。

ここでの芸術とは、単に「表現」くらいの意味だ。

絵画は、図形や色による表現

音楽は、音による表現

そして、文学は、文字による表現

から増田文学だし、

2ch文学だし、

Twitter文学だし、

まとめブログ文学だし、

Naverまとめ文学だし、

当然のようにラノベなんてのは文学なのだ

こんなことは、大言壮語するまでのことじゃない。

教科書をちゃんとそれなりに読んできてれば、わりとわかる。

だがね、こうした芸術従事しようとするなら、

たぶんはファッションとして芸術を楽しむ人を責めちゃいけない。

それは芸術が人を選ぶんじゃなく、

「俺のほうが芸術を、文学をわかってるんだ!」と自分を慰めてるにすぎない。

太宰の言葉を借りれば、

(それは世間が、ゆるさない)

世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

世間じゃない。あなたでしょう?)

というものだ。

あえて言葉を重ねるなら、

それは「情けは人のためならず」のような、

またマイナースポーツTV放送される際に

一部のファンたちが「どんな扱いでも映してくれるだけありがたい」

と思うような、へりくだった感謝からでは、ない。

どんなに些細でも、芸術が、

文学が、音楽が、絵画が、

鑑賞者にとって一滴でも輝きを残すなら、

それが芸術存在意義なのだから

そして愚かにも、これは元増田がすでにいっていることだ。

文学は時空を超えて俺たちの心に突き刺さる何かを運んでくる。

これ以外に余計なこと書いてなけりゃ、俺がちんたら書く必要もたぶんなかった。

ただ空しいのは、

ふざけんなよまじで分かってねえゴミ共が愚昧な大衆どもめ粛清必要だぶっころすぞアクシズ降ってこいや

文学読書のことを教養を身につけるための苦行ぐらいに思ってる、良識派気取りどもが親の仇より憎い。 

臭い文章、固い文章文学だと思っている奴は死ね

読書で為になる何かを学べると思ってる奴も死ね

という喚きだ。

ちゃんとしろよ。

ちゃんと呪えよ。

ちゃんと呪い殺せよ。

なんだよ、死ねって。

なんだよ、その陳腐言葉

増田文学なんだろ。

お前の全身全霊の一撃はそんなもんか。

ほんとうに心に傷おわせる自負あんのか。

せいいっぱい表現して後悔する覚悟あんのか。

毒にも薬にもなんねえよ。

深呼吸

死は、多く、人を狂わせるような恐怖であるとともに、

一部の人にとっては救いたりえるように、

文学は毒であり、薬たりえる。

それを限定して処方するのは、ですぎたまねだとは思いませんかね。

2015-03-26

日銀コピペ

ハゲルドンが僕に降りかかってきた!! ~

ある日突然電話がかかってきて日銀人間と会うことになりました。OB訪問ということで日本橋喫茶店で待ち合わせました。

待ち合わせて出てきた日銀マンは竹中直人を遥かに凌ぐ頭の砂漠化

「うへー、随分年季の入った人が出てきたな、、、。」と尻込みしたのを覚えています

しかし、話を聞くとシッカリと若手でした。見た目と実際の年齢とのギャップ日銀の激務を物語っているのでしょう。

この日の日銀マンとのやり取りは人生でもワースト3に入るべき悲劇でした。

OB訪問ということで仕事の内容をもっと深めようと意気込んでいたのですが、いきなり「君は何がしたいの?」から来ました。

(おいおい、説明会とかないからよく分からんぜ)

まあ、世間一般でいう日銀任務をこたえて、その中で自分特質からこのような業務に携わっていきたいと他社と同じように答えると以下のように日銀マンはのたまいました。

物価の安定って何?」「安定って経済学的に説明してよ。」

マクロ経済の本は何冊読んだ。」(適当教科書の本を挙げました)

「そんなレベルの低い本を読んでいるのか!?

「他にもマクロ読んでいるんだろ。」

「えっ、たった2冊!!」(本当は1冊も読んでおりません)

「じゃあ君はミクロの本を読み漁ったのね。」「ISーLM曲線についてちょっと説明してみてよ。」

日銀マンはこちらの発する言葉の一つ一つを全力で分析して言葉尻をたたいてきました。日銀考査を恐れる民間金融機関の心の痛みが辛辣理解できました。

さらに追い討ちをかけて、

「君は本当に経済学部人間か?」「何で君は慶應に行ったの?」

慶應なんて採用してもせいぜい優秀なほうから3人だよ。」

「君は慶應ベスト3に入っていないのか?」

「大体なんで君はそんなゼミに入ったの?」

「うちには超優秀な人間しかいないのだから採用する学生も超優秀じゃないと話にならないよ。」

もはや人間として狂っているとしか思えませんでした。僕にとっては革命的な出来事でしたよ。ハルマゲドンってゆーかハゲルドンに襲われた気分。

こんな連中が・・・と思うと日本銀行券が憎たらしくて仕方ありません。

(いつか絶対物々交換時代に逆戻りしてやる。)

そんなにおまえらが優秀なら日本の景気をよくしてみろってんだ!

2015-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20150118185228

>それこそ母親的な全人格レベル無償の愛を一方的に受けて初めて男性は救われるのかなと。

 

これは、純粋生物学的な特質だろうか。

一部の動物の雄を一緒に飼うと喧嘩するなんていう現象を見るに、先天的に男同士だと張り合う気持ちが強くて甘えられないってのも、確かにあるんだろう。

でも、それをさらに発展させた「男は弱音を吐いてはいけない、弱音吐く男は最低の負け組恋人とのプライベート空間でだけはいけないことをしても外に見えないので大丈夫)」というジェンダー規範が、余計に抑圧を強めて救いのない状態を作ってるのではないかな。抑圧されてる本人が強くそう思ってそうなケースもよく見るし、女性でも無神経に「弱音吐く男ダサ~www」みたいなこと言う人は言う。

こういう空気があると、嫌な事があってもメソメソした発散の仕方はできないから、嫌なことの原因を無理くり探し出してそこに怒りをぶつけるような形の発散になってしまう。こういうのよろしくないと思う。

男同士でも普通に「俺もうやだ~(泣」「よしよし大変だったな」って弱音吐いていい空気作っていきたいぜ。そうすれば、恋人にだけ無茶ぶりする必要は薄まると思うんだよな。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰2

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記の続きとして分割投稿されたものである

作家人格登場人物人格

西谷は「主人公作家分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。

このように見てみると登場人物作家関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。

この点でヒックス登場人物作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分嫉妬深い側面を誇張した人格創造する、というもので、全くの新たな人格創造するのではなく、そのベースあくま自分自身だとする。

これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。

登場人物作家自身である主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体作家人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。

キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物人格ベース自分自身である以上、ほとんど常に作家想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。

なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。

ヒックス登場人物創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックス否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。

ここでいう「夢」はその登場人物人格依存して考えだされるべきものである。これは大塚世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。

もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人人格しかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。

西谷ヒロインブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。

読者による登場人物への感情移入

以上のように作家登場人物関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。

西谷同様、筒井は「自分作品感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。

本格ミステリSFなど、感情移入必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説存在する。しか感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。

さて、基本的に読者の感情移入物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。

まず榎本水島主人公年代ターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベ主人公中高生であることが望ましいと言う。同じ理由性別男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズブギーポップのように女性主人公成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。

まず作者自身モデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。

主人公に求められる特質について、西谷榎本飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。

そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやす主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である

一方で「低スペックで卑屈、無個性へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公ラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。

しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。

さて、筆者はこれらの各説は人物の能力精神倫理区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。

能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能行為名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人能力を持っていても(それが物語必要ならば)問題ない。

次に主人公精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情オープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。

最後主人公倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子モテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。

一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である

Unlimited Blade Worksとかマジカコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しか倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。

さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難戦略だと言える。

こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入成功すると、自然ハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入効果が高いという指摘だと言えよう。

西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。

そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物ギャップである

登場人物ギャップ

本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。

飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面ギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。

ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレ多面的感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。

ツンデレ」は言動まで類型化された属性である本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。

良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶バイト事務的発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。

さて、さら飯田ギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充イメージと「オタク」が持つ根暗コミュ障イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである

このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効機能する。

例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的レベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。

西谷主人公ヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しか主人公ヒロイン親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

2014-10-26

何となしに思う「ネット終わったな」を自分なりに紐解く

いきなりの予防線申し訳無いがこれはネット自体大した用途に使っていない糞厨房が垂れ流した文章であり

またその下流として普段はほぼ触れてないここを選んだのも

長文が叩かれないダストシュート、という条件に引っ掛かる印象が頭のどこかにあったからってだけなので御理解頂ければ嬉しい

勿論ここでいう「ネット」は社会を支えるインフラであるそれというより

今でいうSNSをはじめとする「ネットを使った情報コミュニケーション」ということになる

それでも残念ながら自分がその全体像歴史について知っているとは言い難いので、

単純に「終わった」が出てくるシチュエーションを挙げよう

色々考えてるとこの2つに纏まった

(1)ノイズサイト

(2)半匿名SNS内のドロドロ

まず

(1)のノイズサイト群について書く

ネットでは既存媒体にはない真実を見れる」

今ならこの文句を九割九部否定できるだろう

検索結果に出てくる単純なコピー,ブックマークサイトについてはここでは言及しない。そんなのに汚されっぱなしのGoogleが悪い。

ではソース元にちょっと手を加えて掲載し、莫大なアクセスを稼ぐあのサイトは?

ネットで拾った不確定な情報を垂れ流すあんなサイトは?

評論家気取りが自覚のない内輪で騒ぐああいサイトは?

読み手を煽ってアクセスを稼ぐあれらのサイトは?

SNS,ブックマーク,大人気アプリ、どこでだってそれらを目にする

今やウェブは彼らのものといって差し支えない

今更一次ソースがどうこう言うつもりもない。だが現状はあまりにも受けとる人間の多さや報酬に対して

圧倒的に責任が欠如しているのではないか

しかネットが何か、ネットに望む特質を思うと

不特定多数意見」「遠くの物に楽に手が届く」…

ネットを振り返っても責任がまさしく現実のそれとして通った事例は明確な法律違反以外で存在しただろうか?

これら「巨大な無責任」の台頭はネット必然であり、

これらからの逃避はネットに向かうに当たって大きな矛盾として立ちはだかることになると思ってる

まぁそんな感じっす

始めは皆の意見が見えるように思えたネットでのやりとりも、利点が肥大化と一緒に大きな短所になって

結局まともに情報として受け取れるもの

メールの延長上的な(Facebookな)内輪の使い方や

既存媒体の別ver(○○電子版)ぐらいにしか今後ならないんじゃないか って話をしたかった

全く紐解けず校正も全くしないまま書く気が失せてごめんなさい。

ありふれた話題ですがもしよければ誰か体力のある方この話題翻訳,拡大してもっとちゃんとしたかんじになおしてしてくれるとうれしいです

2014-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20141006175442

まり勉強とかしない人?

ネットに転がってる言説の相当数は50年とか100年レベルの昔から言われてることだよ。

それは単に大衆バカだということではなく、思想歴史的に蓄積され構造化されないという日本的特質による部分も大きくて、その点について丸山眞男がかの有名な『日本思想』で考察してるよね

2014-07-03

こいつなに言ってんだ?

エンジニアをつくる で燃えた人ね。

https://twitter.com/maximum_80

無理じゃないしそもそも あいみつ 意味分かって使ってるのかさえ怪しく思える。

2014-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20140629123739

俺は俺自身がADHDでそれなりに苦労してきた。

そりゃ屑だから当然だろ。

「飽きる」「〆切が守れない」「時間が守れない」「モノを失くす」

こういった特質は、社会にはどう考えても受け容れられない。

当たり前だろ、人に不利益与えてるんだから

お前は自分に対して暴力暴言を吐いてくる人間を受け入れられるのか?

少なくともADHDのせいにするな、とか言われても受け入れられないじゃん?

なんでお前を周りが許容して、お前は許容しないで済むんだよ?

このクソみたいな脳みそに生まれた俺たちが悪い。

少なくとも健常者にツケを回すべきじゃねーよ。

そうだよ?

なんでそれなのに「わからねぇ」の?

くずなお前をなんで特別扱いしなくちゃいけないんだよ、って話だよ?

http://anond.hatelabo.jp/20140629124156

一人ひとり症状が違う。

からこそ、社会適応していくための努力は本人がやってく他ねーんだよ。

ADHDのままで素晴らしい」みたいな寝言

ADHD自助努力を阻害する。誰も助けてくれない世界でそんなこと言っても無駄だろ。

あんたの例に乗っかるなら、自分車椅子の使い方を覚えるどころか

自分車椅子設計するしか生きてく方法がねーんだよ。

成人のADHDオフィシャルには存在すら認められてねーんだからよ。

それは、成長というよりは「矯正」だ。ADHD特質を肯定したままでやれることじゃない。

俺たちに出来ることは「必死社会適応を目指してますので、どうか存在を許してください」

って頭下げることだけなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140629123509

おまえがナニ言ってんのかさっぱりわからねぇ。

俺は俺自身がADHDでそれなりに苦労してきた。

「飽きる」「〆切が守れない」「時間が守れない」「モノを失くす」

こういった特質は、社会にはどう考えても受け容れられない。

それが受け容れられないのは社会が悪いのではなく

このクソみたいな脳みそに生まれた俺たちが悪い。

少なくとも健常者にツケを回すべきじゃねーよ。

克服するか死ぬかだけの問題だろ、ADHDなんて。

ストラテラ飲んで生活を工夫してやってくしかねーよ。

俺自身もADHDの割りに勉強は出来たので学歴は高いんだが

これは重要だとは思うよ。学歴の低いADHDとか、最早どうにもならないからな。

ADHDは出来ないこともたくさんあるが、ずば抜けた優れたところもたくさんある」

っていう幻想害悪なんだよ。ADHD自身の自己認識を甘くする。

「克服して社会適応するか、死ぬかどっちかにしろ」と突きつけるほうがよっぽど本人のためになる。

どうせ社会も他人も助けちゃくれねーんだからよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140629123018

ADHDが知能的に健常者に勝るっていう統計存在しないだろ。

統計云々はいからデータソースもってこいよ。

俺もADHDだがな、俺たちはただのゴミだよ。資本主義社会ゴミ

認めてもらおうと思うなら、頭下げて謙って努力する以外に手はねーよ。

無能ADHDが「〆切は守れませんが頭はガチでいいんです」なんて

ふざけた主張するたびにこっちの肩身も狭くなるからやめろ。

俺たちはシンプルに劣ってるんだよ、それだけの話だ。

ADHD特質を丸ごと受け容れて貰おうなんてのは諦めろ。

2014-02-22

昔のニュー速がどれくらい凄かったかという簡単な解説

ニュー速とは?

2ch内に無数にある「板」と呼ばれる話題別の掲示板の一つであり

2011年末にある出来事がきっかけで崩壊したコミュニティ

今も存在こそするが、殆どの住民は上記事件の際、「嫌儲」と呼ばれる板に移動しており

かつての隆盛は影を潜め、完全に別のコミュニティと化している

ちなみに現在ニュー速は、以前の住民から皮肉を込めて旧速と呼ばれる

どんなコミュニティだった?

一般的掲示板と同じで、提示されたあるニュースや話題に対して議論や言葉を交わし合う場所

但し、他のコミュニティとは決定的に違う点が二つ

1 ― 天邪鬼が多かった、逆張り文化があった

 ネット上では基本的同意よりも反論の方が多い傾向が見られるが

 ニュー速はその傾向に輪をかけて「反対の反対の反対」という風におかしな方向でバランスが取られていた

2 ― 実質、著作権フリーだった

 通常ありえないが、意見投稿時に著作権放棄掲示板に求められる上

 掲示板自体をもその権利をいくら侵害コンテンツ無断使用されようが訴えるなどの行動を取ることがなかったため

 実質的著作権フリー転載し放題という状況であった、ちなみに現在もこれは変わらない

何が凄かったのか?

社会的影響

 ニュー速自身では、いくら自分たちが騒ごうが現実世界には何の影響力もないと卑下されることも多かったが

 実際の所、様々な形で影響を与えており、現在ネットにある既存TwitterFacebook等と比べても明らかに甚大な力を誇った

ネット世界への影響力

 情報を一手に収集拡散させるという性質上、非常に高いネットへの影響力があり

 ネット世論の大半を形成していたといっても過言ではない状況であった

情報収集能力

 掲示板というシステムの強みを活かし「自分のもの自分のもの、他人のもの自分のもの」を地で行っていた

 基本的にはネット上でのどこかで大きな事件や話題があればニュー速へ輸入され咀嚼されるのが常であり

 新聞TVを見ていなくてもニュー速を見ていれば最低限の世間の動向とネット上の動きは分かるといった感じであった

情報拡散能力

 ニュー速ニュー速であった所以、正にこの情報拡散能力が異常かつありえないものだった

 まとめブログと呼ばれるブログ群を通して鬼のようスピードと規模であらゆるネット媒体利用者層に情報を行き届かせる事ができた

 TwitterはてブFacebookニコニコふたばRedditといった今日既存ネットコミュニティとの最大の違いはここであり

 今後かつてのニュー速と同規模の情報拡散能力をもったネットコミュニティはもはや出て来ないだろうと思われる

 この天変地異的に突出した情報拡散能力は当時のネット状況、まとめブログ群とアフィリエイトシステム2ch構造上の問題等が複雑に絡み合って

 奇跡的に成し得たものであり、当然のことながら一言でいってしまえばニュー速というコミュニティの質が他に対して優れていたわけではなかった

 そもそも「ニュー速凄い!」などという文言は当時から皮肉を込めてのみ使われていた言葉であり

 大まじめにそんなことを言っている人間はかなりの馬鹿か、自分の属するコミュニティ依存した阿呆だけであった

 しかし当時の状況を冷静に振り返ってみれば明らかに「ニュー速最強!」であり、失われた今だからこそ声を大にして言いたい事実である

なぜ崩壊したの?

まとめブログにいい加減嫌気がさした利用者、住民達がまとめブログのものではなく、コンテンツ供給元となるニュー速のものを攻撃

まり自らの手で自らのコミュニティ破壊するという傍から見るとイカれた自爆行為を敢行したため綺麗サッパリ消滅してしまった

殆ど言及されないが、その異質さ、困難さ、スピード感、規模からみて日本ネット史における一大事件であった

更にまとめブログの悪質さ、モラルの欠如、著作権的にグレーな営利行為など種々の問題を浮かび上がらせた一件でもあった

ホントに凄かったの?

司令塔を失った現在日本ネット世界を見れば分かる通り、どんどんと文化の独自化、多様化が進んでいる

翻ってみれば、当時のニュー速情報集積地として各ネット文化ハブ役割果たしており

現在同じような役目を担えるコミュニティがあるかと問われれば、どこも情報拡散能力やその他の力で圧倒的に劣るものばかりである

からこそ日本ネット界では現在の縦割り世界化が着実に進行しているのでもあり

逆説的に、やはり当時のニュー速特質性が際立つばかりである

つまるところ凄かったと言わざるを得ない

まり

インターネットが普及して以来、唯一にして最初最後ネット世界の中心地が「ニュー速」という場所であった

おそらく10年後100年後には伝説として語り継がれるレベル凄さであり、本当に物凄く凄かった

2014-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20140106133829

たまたまそいつ(弟嫁)がそういう奴なだけだろう…

都会人でも寒がりは寒がりだしドアぐらい閉めるわw

そうやってすぐ「都会人」ていうラベリングをしたがるのが「田舎者」の特質なのか?w

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