はてなキーワード: 赤木リツコとは
某所にも書いたのだけれど、シン・エヴァはメタ構造をもつ物語であること。つまり「はてしない物語」や「月光条例」のように、自分たちがフィクションの世界にいるということを登場人物たちが知っている物語である、ということを理解すると、いろいろとわかりやすい。
まず渚カヲル。彼は世界が虚構であることを知っているだけではなく、過去繰り返された全てのエヴァの物語のことを記憶している。
今回の世界で、世界が虚構であることを最初に気がついた人間は葛城ミサトの父親。彼はエヴァンゲリオンイマジナリーという存在を使えば、自分たちが物語をつくる立場にまわれると考えた。その思想を受け継いだ碇ゲンドウは、自らの目的であるユイとの再会を目指してイマジナリーがいる裏宇宙を目指した。
たぶん赤木リツコもうすうすは気がついてる。だから、世界が何でもありだ、ということを知っていて、不可能に近い作戦であっても結局はこなしてしまう。冬月先生に至っては、フィクションに不可能なんかない!とばかりに、世界が虚構であることを利用して好き放題の限りをつくしている。
そして裏宇宙にはいったシンジも、また世界が虚構だということを知るものとなった。最終章の彼は新劇場版の世界を知っているだけではない。カヲルのように、全てのエヴァの世界を知っているし、もしかしたら現実の庵野監督や緒方恵美の存在すら知っているかもしれない。もちろん世界がアニメであることも知っている。
なので、それぞれの登場人物の願いを叶えたり、世界を作り替える選択をしたり、マリをパートナーに現実に近い世界を選んだりした彼の動機は、新劇場版の彼がたどった物語を見ただけでは理解できない。彼は何度も繰り返された物語の主人公たちの総意として、決断を下している。エヴァンゲリオンという物語を終わらせることを。だからこその、あの台詞になる。
ネタバレあり---------------------------------------------------------------------
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シン・エヴァはステレオタイプな田舎ハートフルストーリーから始まり、
もはや古臭さを感じるCGアニメが流れ、
今までの神秘をすべて取り去るかのような登場人物の思惑の言語化につぐ言語化、
全体にただようシュールさが、太鼓を叩く赤木リツコの画像に似ていた。
だがそんな陳腐なエヴァを観ていて嫌な気持ちになったかというと別にそんなことはない。むしろスッキリした。
シンジくんがまともになって良かったし、
エヴァが完結したのも良かった。
筺底のエルピスの貴治崎花やされ竜のツザンみたく、博士キャラで女性で白衣って最近は普通だけど昔はそうでもなかったよね?
それこそ黎明期から男性博士キャラは白衣してたけど、古いので思いつくのは93年の熱血最強ゴウザウラーの小島尊子あたりかな?
その後は94年紐緒結奈や95年赤木リツコ等どんどん増えてく感あり。
NG騎士ラムネ&40のアララ・ココア姫あたりは白衣は来てなかったよね?
ドラゴンボールのブルマは人造人間あたりから白衣だったけ?そうするとこっちの方がゴウザウラーよりは早くなるかな?
よく考えると最初に挙げた二人は医者だし、92年に発売の同級生の斎藤真子みたく博士キャラというより医者枠みたいな方があったのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20091004232244
中田氏、おめでとう。
39歳、おめでとう
「僕は僕が嫌いだ」
「でも、中田氏できれば好きになれるかもしれない」
「僕は中に入れてもいいのかもしれない」
「そうだ、僕は僕でしたくない」
「僕は僕でしたくない」
「僕は中に入れたい」
「僕は中に入れてもいいんだ」
『嫁に、ありがとう』
『ホロに、さようなら』
『そして、全ての非モテ達に』
『おめでとう』