はてなキーワード: 文意とは
このシステム、ヤフコメでは確かに効果が出ていて、導入後はかなりコメント欄の治安が良くなった。今のヤフコメが優れた言論空間になってるかと言われたらなかなか首肯しがたいところもあるが、それでも、NGワードが平気で横行していた頃を考えれば雲泥の差だ。
それでは、何故はてブであんまりうまく行っていない感じなのかと言うと、はてブの問題のあるコメントって文面だけ捉えればマトモだからなんだろうなと思う。はてブの問題のあるコメントって、例えば、一面的な正義でもって何らかの対象を殴っているとか、揚げ足を取った上でそれをやたらと皮肉的に言うとか、全然関係ない記事で政治の話を始めるとか、そういうのが多いかなという感じだが、こういったコメントは文章の形式だけを見れば何ら問題はないわけだ。ヤフコメでの問題のあるコメントが、露骨にNGワードを含んでいたり、文章の長さや構成に特徴があったりしているのと比べると、状況が異なっている。
だから、はてブでコメントの質を判断しようとすると、ブックマーク先の記事も含めて、文脈・文意まで見ないと判断することができず、その点においてこのAPIが対応しきれていないのではないだろうか。
もちろんAPIの中身を熟知しているわけではないので、見当違いのところもあるだろうが、API導入後の傾向を見た個人的な感想として、そのように思った次第。
文意を読めてなくない?
何でこんな日記を書こうとしたのかというと、某匿名掲示板で「コンテンツについて不特定多数の人と楽しみを分かち合うことは普通に価値あることでは?」と言われて
あまりにも気持ちが悪くて吐きそうになったからです。その掲示板の流れの中の文脈で言うと、要するに、「作品を褒め合う馴れ合いのコミュニケーションに価値がある」と言われてたんですね。
もうね、馬鹿かとアホかと、小一時間問い詰めたい。
これに対する反論が「賛辞はいらない、金を落とせ」っていうのは
流石に文意を読めてなさすぎでは…。
感想を言い合う、楽しみを分かち合うって行為が「視聴者にとって」価値があることだよねって話でしょ
元の文が抜粋だから断言はできないけど、製作者に向けた話ではないと思う
釣りだろうけどさ
引用元:https://togetter.com/li/1176430
中村伊知哉氏の、データ量増やしたら簡単なのに東ロボが受験に失敗したから、とかツイートしてるの見たときひどいなぁと思ったけどそんなような感じに見えちゃう人もいるんだな。実際にはこれやってる先生、中卒までに全員読めるようにするとか無謀に思えるようなことはじめてる。 私はブタヲタに粘着された時、びっくりするほどその万単位の人々が読めなかったんでやっぱり。。って思ったけど。
宇多田のおかげで奇跡が起こった、読めるようになったって数年どころじゃない年単位でそこら辺歩いている普通の人(学生や老人や)に粘着された。http://www.gepr.org/ja/ が専門家や研究者が読むもので読解できるなんておかしい、依然なかったはずって叩きまくられた。ブタヲタが読めないってだけだった。こっちもどうせバカだと思ってるから竹内純子さんとかやわらかめのも選んでるのに。
ビジネス誌のサイトの文章も全然ダメで。あまりにバカにされるんで、英語の訳や 日本語の文章の要約もしたんだが、あっているのか間違っているのかブタヲタ、どう考えても万単位なのに、判断付かない。つまりひとりもわからない。英語はともかく 日本語わからないってなんでしょうね。。そういうのが宇多田が 私はすごかったです って言っただけで天才でみんな文句言うなになり信者になって金貢ぎまくる恐ろしい社会なんだなとつくづく。
[世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか ]グーグル社の本、ぱらぱら立ち読みしたけどそこもAIに仕事とられることには触れてるけどリアルにはAI以前に中国などに仕事とられてるね。事務職も。
しかもわし国語の成績好くて高校の時は一回だけど県で10番内に入ってる。たまたま家族が晒されているときにこれを言ったんだが、それでも 読めるわけない って叩きまくられた。世間のほとんどの人々が 教科書や参考書見ても そのくらいの成績が取れたらどのくらい読めるか 文章の難易度も分からないレベルのようなんですが。。実際どうなのか、RSTで明らかになるかなと楽しみです。。
挙句言われたのが私はそんな風に見えないと。世間のほとんどの人が イメージ で よさそうなひとにしがみついて、あとはほかを排除して自分たちがいいという風にしてるだけのようです。当然私より宇多田のほうがイメージは良かったわけですが、飯田哲也に逆らうなんて恥ずかしいとかたたかれてもなあ。。2011年で終わった人だけど。。いまはほんと、バカと一緒になりたくないって思ってる。
すごいバカ集団で。私の話が宇多田や坂本と正反対でも分からない。宇多田だからいい、私だからダメ、それだけ。でたたきまくった挙句、私の話があっているらしいとなると 急に 宇多田をパクったから になる。あのー毎日私の話がおかしいって叩きまくったよね?って思うんだが。 よさそうだと宇多田、ダメだと私で、私と宇多田は仲間だから同じというキチった話平気でして来た挙句、自分はリア充だからお前より上とカップルで粘着してくる。わし結婚してますが。
まあ、文章の難易度説明するために、小学校などの図書館にある本の説明したり、信じないから 塾の年齢別読書のページ使ったり、センターや入試問題、大学のテキスト偏差値別使って説明しても 全部読めないからわからないのか 叩かれまくったからなあ。これ、時間無制限でも わからない がポイントだろうな。
最終的にブタヲタに通じたのが主語をまるでくくって線でひいて目的語を□で囲んで矢印で比較して、だった。。 その結果。何簡単なこと言ってんの下らないで終わった。しかもその次も。奇跡が起こった、認めろ。あげく、今日の粘着は嘘ついている、本当は読めない。。。。読めない人は本当に読めない。。
でもね。具体的にツイッター出すのどうしようか迷うけど。読めない人同士は通じ合うの。。これがすごいなあって本当に思う。すんごいカオスに話がガンガン進んでいく。。面白いけど反感もたれたら大変。。集団で来るよ。。意味不明だよ。。
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何か戦ってる相手がいてそれにまつわる不平不満を細切れに書いてるということか分かるが、いまいち文脈が掴めない。
順を追って講評すると
まず中村伊知哉という学者か何かのツイートが的外れだと批判したいようだ。
「そんな感じに見えちゃう人」とはどういう意味か。とりあえず「中村氏のツイートに共感する人がいる」と捉えておこう。
「私がブタヲタに粘着された時」からもう話が飛躍を始めているように見える。どういうことが「やっぱり。。」なのか?
「宇多田のおかげで奇跡が起こった」と、いきなり第二の人物が登場する。宇多田ヒカル?じゃないよな?
どうやら「普通の人」とか粘着してきた人間を「ブタヲタ」と呼んでいるように見える。でもなぜ宇多田がやったことについてこの書き手が叩かれるのか文章からはさっぱりピーマンである。
どうにも書き手は宇多田という人間と敵対しているようだ。宇多田の主張に対する反論が「普通の人」の目に留まって粘着されているという趣旨にみえる。
宇多田は自分自身で自分の功績をたたえていて、それに対して書き手は別に宇多田が何かする前から一般人でも論文を読むことは普通にできたと言っている、
それに対して宇多田の囲いに「いいや宇多田だね!」と粘着されているのか?
それどころか「お前も宇多田の恩恵を受けている。お前も以前は論文など読めない普通の人側の人間だった」と言われているように解釈できる、のだろうか。>それでも、 読めるわけない って叩きまくられた。
飯田哲也って誰やねん。2011年で終わった人って何があったねん。
自分の国語力自慢が少しばかり続けたあとで粘着相手たちをバカ集団と評している。
「よさそうだと宇多田、ダメだと私で、私と宇多田は仲間だから同じというキチった話平気でして来た」これも意味不明。なぜ宇多田の仲間で同じだと粘着されるのか?いわゆる党派性の観点では説明がつかない。
あとは「ブタヲタ」のバカさ加減について具体例をもって語られている。「面白いけど反感もたれたら大変」とはどういう意味か?
「奴らのキチガイ加減は見る分には滑稽だが、ただこういう馬鹿な奴らを敵に回したらさっきから言ってるように厄介なことになる」ということか?「集団で来るよ」は「反感持たれたら(集団でくるから)大変」の意か?
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結局大枠としては「曲学阿世の人がいてそれに対して自分は正しい(と思う)こと言ってただけなのに、その信者に粘着されてしかも奴ら馬鹿だしうざい」という趣旨か。
いまいち文意に確信が持てない。別にてにをはに間違っているところは見受けられないし、「ファルスでパージ」みたいな内輪ネタや造語の多用ゆえにわかりづらさとも違う。
規格化されたこの社会においてここまで何言ってるか分からん文章を書けるのはある種の才能。貴重な文才の原石として保護していくべきではなかろうか。
参考
確り(しっかり)
漸く(ようやく)
徐に(おもむろに)
齎す(もたらす)
みたいな奴は、これを常用してる人が書いてるとは思えない作品に出てくるから、漢字変換の弊害だよな
あれ、でもそうすると、なろう系作家は60以上のオッサン率が高く、引退後の趣味発表だったりするのかしら?
それでも、「もたらす」は変換しないよな、普通
追記:2021-07-18 08:00
ブコメがすごくなっててびっくりした
どこ経由なんだろ
一瞬、脳が止まるんだよね
動画が読み込み不良で止まったような、唐突で書き手が想定したわけではない「間」が生じてさ
①調べるか、②適当に補完して読み進めるか、③無視するかを迫られるんだけど
大抵、②か③を選んじゃう
この時、③はまだいい方で、②を選んだのに文意と違ってた場合、読者は全然違う世界を見てる
小説(純文学)で許されてるのは、上と一緒で、読者からそれが求めらr・・・・
あぁ、読者から求められる側面もあるのかね
そういう文化圏
とすると、同じプラットフォームに並んでいるからと読んでしまった私の方が異物という事か
「確り」に違和感を感じたら「not for me」
うーん・・・それも理解できるが・・・面白い小説でそこだけ躓くと「勿体無い」って思ってしまうんだよなぁ
うん、国語のテストで点取れない奴でもだからといってコミュニケーションに障害を持ってるということはなかった。
というか障害児でもないかぎり日本で育てば日本語扱えるようになって当然なわけで、じゃあ国語って何を見てたのってことになる。
するとまずは共通語によるやり取りを覚えさせるということが考えられようか。家庭で学ぶ話し言葉と共通語にはどうしたってずれがあるから、共通語を理解したりできるかどうかを試してるのかもしれない。(識字率が極めて高い社会にいるとここらへんの感覚が麻痺する)
では問題のレベルが高くなるほど文意を答えさせたり要約させたりするようになるが、あれは何を試してたのか
文意なんて書いた人に直接聞けばいいんじゃん?てことは英語で言えばCan youに当たる疑問文の作り方さえ心得ていれば事足りる問題にも思える。
なぜわざわざ質問禁止とい縛りプレイで文意を導かせる能力を試すのか?それは通常のおしゃべりに要求される能力を大きく超えている。すでに「国語」という語感とのずれを感じられる。
…それは要領のいい人間を求めているということかもしれない。
何回も問答を繰り返えさないと言ってることが理解できないような人間は「使えない」ということかも。
また読解に際しての評価軸を統一する狙いもあるのかもしれない。
「こういう文章だったらこういう評価軸で評価する」という暗黙知のようなものを身につけてる人間がほしい。
評価軸の相違で水掛け論になってるはてブの論者を見れば分かるがああいう手合もまた人材として要領が悪いということだろう。
国語の成績が悪ければコミュ障で寡黙であるということは決してなく口から生まれたようによくしゃべりネットで自己主張するような人も大勢いる。
要領のいい文章を一発で書けて、それを一発で要領よく理解する力なのだろうと思う。
いちいち会って伝えて質問に答えてやらねばならないような人間は時間の無駄。リモートワークもない時からそういう意識が根底にあって国語の問題は作られてたのかもしれない。
こんな奴とどんな会話すればいいんだよ。
いや普通の人達の会話って行きつ戻りつ同じような問答を繰り返して意識の共有を図ってるんだと思うよ
一発で言いたいことを理解して当然だみたいな考え方の方がおかしい。
文章ばっかり書いたり読んだりしてるとそういう考えになっちゃうのかもね。
例のブコメのようなことを書き手が対面で言われたら即座に「そうじゃない」と訂正を始めるだろう。
いやそれ以前にブコメする側の人が「生きにくさって~って意味ですか?」と質問しているかもしれない。
やり取りが文章の上であるゆえにお互いがこの対話としてなら当たり前の過程を省略してしまう。
質問調で言うはずのことも問答が期待できないために仕方なく断言調で書かれる。
なぜなら対面の会話では数十秒で目的を達するするような一連の問答をするのに、
文章だと何十分もかかりえてしまい、まどこっしくてかなわないからだ。
だから一発で達意の文章が書けたり一読して文意を読み取れる人間が尊重されるのはわかるが
噛み付いたトラバに真面目に返信してくれたんでこっちも真面目に返信する。
自分は、元増田自身は個人的な解決をもはや期待していないと読んだ。
ただ、そのつらさを吐露して共感してくれる人がいるなら少しだけ救われる。
そしてこれは誰かが我慢したり妥協することでは本質的な解決にはならない、長期間かけて解決に取り組むべき社会的な課題であるという認識が広まってほしい、というのが文意だ。
第一段階は、その性欲が許されない汚らわしいものであるという見られ方がなくなること。
第二段階で、ようやくその解決策の話になるがそこは遠すぎて今は見えない。
今はただ汚らしいものでしかなく存在することが許されていない中年男性の性欲も、
いずれ社会がきちんと向き合い、誰もが傷つかない方法での対処を考えるようになるでしょう。
これは真面目な話ね。
だから、よくある女性が共感してもらいたくて話をしたら男性が解決策を提案したり、お前にも非があったんじゃないかと説教するやつの逆パターンに見えた。
それから、現状風俗産業が存在していること自体は中年既婚男性の性欲が認められていることには直接つながらない。
風俗産業はパートナーを得るのが難しい男性や、出張などで遊びたい独身男性の利用が多い。芸能人などが恋愛トラブルやスキャンダルを避けるために利用するケースもある。いずれにしても既婚男性がセックスレスを理由に堂々と遊べる風潮には男性の間でもなっていない。
奥さんに負担をかけないようにこっそり風俗で解消するなんて良い夫だね、と思う人はいないんだ。
男性の性欲自体が汚らわしいと言われているのではなく、既婚男性が性欲を抱えているとそんな欲望は捨てて親として生きろと言われる、モテたいとか若い女の子にちやほやされたいというチャラチャラした気持ちと同一視されて非難される風潮を、存在が許されないと書いている。
こういう元の文意も読めず、脊髄反射で持論を述べたがるバカが一番害悪。
お前の長文で唯一まだ元の内容に呼応しているのは最後の段落の後半だけだよ。
お前は課題に対して狭い視野で一足飛びに解決手段とその問題点まで先回りする思考の癖をやめた方がいい。
それはお前みたいな奴がいるからこれまで語られにくかったセンシティブな話なんだ。
課題を見た瞬間、つまり他者(女性)を犠牲にするしかないのねという思考がお前のダメなところだ。
セックスしたい夫とセックスしたくない妻が話し合っても結論は出ないことが多い。
もし妥協点が見つかったとしても、大抵はどちらかが相手への優しさでなんらかの我慢を強いられることになる。
これを簡単には解決ができない社会的な問題としてとらえずしてどうする。
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
正直、自分が小さい時は気にもしなかったしどうでもよかった
問題は10代になって頑張って社会に入り始めた時から音を立てながら自分の女性という地位が明らかになっていった
するとどうだろう、話している事や言葉は現実で女として立ち回るのと似ているのに「優しい」だの「好き」だの言われ始めた
もちろんそれは恋愛対象としてでは無いのだが、私はこれに対して凄く頭を悩ませた
どうしてここまで差が生まれたのか軽く考えた
「ああ、オカマは"男性"として見られてるし一般的には半男性で半女性だから女性より地位があるんだな」
そう考えるとなんだか妙に納得してしまった
もう疲れてきた。
でもそれも場合による、男性が外見共に女性化したら社会的弱者のように見られる
女性が外見共に男性化したら明かさなければ半分ぐらいは社会的強者だが明かせば社会的弱者になりうる
なんかそこから日本の時代の背景とか考えちゃうと女は昔から地位がなくて守られる存在とか言われて結構蔑ろにされてきてたんだと感じた
江戸時代の出産なんか今みたいに叫べないし産んだら7日間は頭上げたまま寝ることも許されない、遊女とかも気に入った男が女を金で買う制度とか奴隷となんらかわらない
最初に言った話に戻すと10代の頃に会社で働いてたらセクハラとパワハラを受けた
「女は大人しく、男の都合よく、美しく、可憐で、汚れを知らない、男よりも下であれ」
ハッキリ言って反吐が出る
対して好きでもない不細工な頭悪い無能ブ男に何故媚びを売らねばならんのだ
女の場合は美しいからと頭悪くて無能な自分を棚に上げて誰ふり構わず見下しまくってる場合が多い
女性として地位がない、地位があるとかどうでもいいから安全に暮らしたい
男は男らしく、女は女らしく
そんな糞みたいな考えが今の糞みたいな問題を作ったならもっと多様化してぐちゃぐちゃになれば何が何とかどうでもよくなんのにそれが差別主義とか馬鹿は論点ズラしながら言いやがるし人生やになってくるわ
タイトルだけ見てや全部読まない人へ
最後まで読んでほしい
たぶんそれをしないと内容が見えません
読んだ。
なんか文章力について書かれてたけど自分が理解できないのを他人のせいにしないで
自分の都合に合わない話や理解できない内容なら大人数で1人を叩いていいの?
これを読んだ少数派の人は理解してくれてる様子が伺えるけど大多数は内容を読んでも理解出来ずになんか話が分からないから"決めつけて攻撃"してるようにみえる
今度からは理解できない人の為に分かりやすく一般的に増田を書くよ
自分が気に入った書き方をしても理解できない人から攻撃されるなら理解できない人に優しくしなきゃいけないなんて
そういうふうに見えたらごめんね
悪いけど自分は増田の文章力を一切信用しない。この文章を理解できないのは増田のせいです。句読点を意識して、慣用句をちゃんと慣用句として使い、修飾語と被修飾語がわかりやすいように文章の順番を意識してください。
「お前の文章下手」→その通り。書きながらもっとしっかりした表現に直したくなったけど増田だし気にしないことにした。文章添削した人間がの下手さを指摘されるのは当たり前だし、あとで書いてるようにこの文章自体が性格悪いので自業自得として修正しないでおく。
「なんで突っかかるの」→「自分が理解できないのを他人のせいにしないで」って書いてるの読んでイラッとしたのが3割、殴れるサンドバッグがでてきたなと認識して自覚的に殴ったのが7割。
「キモイ」「性格悪い」「傲慢」「下品」「マウント取るの楽しい?」→ストレス発散だったのは自覚しているし、性格が悪い行為なのも同意する。事実ストレス発散にはなったし、「自分が理解できないのを他人のせいにしないで」って書かれた以上反省しない。
「そんなささいなことどうでもいいだろ」「後で直せばいいだけの細かい作文ルールにうるさい」→悪文は「ちょっとした違和感の積み重ね」で生まれる。そつのない文章が続く中で1箇所2箇所文法の間違いがある……といったパターンならいいが、たったこれだけの短い文章のなかで「簡単に指摘できてしまうような読みにくい理由」がこれだけあるのは、残念ながらどうでもいいことではない。文章を書く技術ってものすごく高度なことなので、きれいな文章が書けないことがまずいことだとは思わないけど、元増田は自分が文章をちゃんと書けてないってことを自覚してほしい。
「プロファイリングしろよな」→別増田に上がってたnote読んだ。悪文であればあるほど書き手の背景が色濃く出るのでこういうこともできた筈なんだよな。なぜかいきなり遊女の話が出てくるあたりそこに関心があった=風俗で働いてたって推測には合理性があるし。本当はこれくらい攻めた読み解きがしたい。結構反省したし尊敬する。
「ジェンダー問題興味ないだろ」→元増田よりは興味があるのは間違いない。元増田はシスへテロ女性と推測するが、女性が男性に比べて社会的地位が低いというところに全く異論はないけど、それがMtFとFtMに対する雑語りを許していいわけないし、内面に対して「男性化」「女性化」みたいな表現している辺りの、性自認と性指向の理解のなさを許容していい理由にはならない。
「マンスプレイニング」→この文章の書き手が男性だと判断した理由がわからないが、事実男性なので踏みこみません。この文章単体への指摘として言及されてるのであれば無視します。「こんだけトラバでもブクマでも批判されているところで追い打ちをかけるようにこんな文章を書くな、マンスプレイニングに荷担している」という指摘なら納得するので以後つつしみます。
弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください
https://note.com/mefimefiapple/n/n6b712e954db8
上記のnoteについて「何故女性やフェミニストに言うのか」「強者男性に言うべきでは」との意見がある様なので、何故なのか、読解してみようと思います。
予め断っておくとこれは女性やフェミニストへの攻撃の意図はありません、また件のnoteについても敵意は(受け止められている程には)大きくはないと判断しますが、それについても最後に触れます。
ではどのように読解すればいいでしょうか?いい方法があります。
以下の様に、国語のテストだと思って読解してみてはどうでしょうか?
このように国語のテストだと思えば、noteを読み込んで該当箇所を抽出するのも楽になる人も居る筈です。難しい問題や複雑な問題もゲームやテストだと思えば簡単に解けてしまう人はいるものです。
(これを「ゲーミフィケーション」という言葉に倣って「国語の期末テスティフィケーション」と呼ぶ(「国語の中間テスティフィケーション」でも可))
以下、幾つかのパートに分けて女性やフェミニストに向けられている理由と解釈できる箇所を抜き出します。
上記箇所の様に、このnoteでは女性も抑圧者・加害者になり得る事を繰り返し強調しています。
これがこのnoteの目的だとすると、明らかに女性に向けた方が効率的です。強者男性に向けて「実は女性も抑圧者になり得るんだ」と言っても「お、おう」と成るだけですし、むしろ告げ口に似てしまいます。だから女性本人に言う必要があると言えます。
また、男性が強者側に位置付けられたり、「抑圧者=男性」という図式が前提とされがちな現代では、そうでない側を殊更に強調する必要があり、そこに女性を対象にする必然性もあると言えます
(ただしその様な前提はテキストの外部から読み取る事なので、テキスト内で論理的に完結する必要のある国語のテストとしては回答に出せない部分になります)
上記箇所の様に、noteでは差別そのものに負けず劣らず、差別を否認し、正当化する事への非難に紙幅が割かれます。
例えば、
未婚男性の寿命の短さは無視される上男性の女性虐待の証拠になり、男性のメンタルの悪化と低すぎる幸福度は無意識化された特権意識のせいにされ、ホームレスと引きこもりさえも女性に厳しい差別的構造の例だとされます。
の様に、男性の差別的な境遇を問題化しようとしたときに、それが女性差別の問題へとすり替えられる様子が描かれます。
弱者男性差別そのものは強者男性・女性・フェミニスト共に加害者に成り得ますが、「弱者男性差別→女性差別」の様な差別の主題のスライドは、女性差別を取り沙汰したいフェミニストにしか動機がありません。
従ってこのような差別のスライドを問題にする限りでは、フェミニストの方々に向ける理由があるという事に成ります。
こうなるとフェミニストはもはや、「女性差別は気にするけど男性差別は気にしない」だけではなく、「女性差別は気にするけど男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」というセクシストに見えます。
という箇所も同様でしょう。差別のスライドによって「男性差別は積極的に口を塞いで透明化する」という積極的な加害行動が問題化されます。
関連して、
フェミニストの方に考えてほしいのは、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」という考えはこの時点でかなり人権軽視であったり、性差別的な言葉ということです
という箇所もありました。
ここについてもやはり、「男性差別はない」「あったとしても大きな声で言うのは女性の口をつぐむことだからいけない」といった発言をする動機が大きいのは女性やフェミニストです。対して強者男性にその様な発言をする動機は大してありません。
(例外としてフェミニストかつ強者男性の場合、女性フェミニストと同じ動機を持ち得ますが、当然その場合「フェミニスト」に重なっています)
似た箇所として、以下の部分も上げられます。
なぜ弱者男性が、ジェンダー平等を望む仲間のはずのフェミニストを攻撃してしまうのか、それは一部のフェミニストがジョージ・ワシントンだからということもあるでしょう。
ここでジョージ・ワシントンは「世界で最初の人権を宣言した憲法を書き上げながら、ネイティブ・アメリカンへの虐殺を差別だと認識できなかった」人物として言及されます。
この文意は「一部のフェミニスト」がジョージ・ワシントンと同様の構造(つまり、女性の人権を保護しながら、弱者男性への差別を認識できなかった)を持っている、だと解釈できます。その上で、
自分たちも白人も平等に殺す無法者より、人権を高らかに謳い上げるがお前たちは人間じゃないから殺されてOKと言う、ジョージ・ワシントンの方が憎く見えたでしょう。
という様に加害そのものより、差別の正当化や、「人権を謳い上げる」正義側に無視される事の苦痛が強調されます。
この点に着目した時、フェミニストは(時に露悪的な)強者男性よりも正義を僭称する機会が多く、正義側としての側面が濃い為、強者男性よりも対象にする動機が大きいと言えます。
この箇所では明確に、差別的な度合いが強者男性より女性全般のほうが大きい可能性を検討しています。
女性はこの差別の抑圧者として大きな存在です。上記の差別では明確に女性の影があります。私自身、街を歩いていて嫌悪や指をさして笑う行為、吐き気をするようなジェスチャー、そういったことを度々経験していましたが、すべて女性でした。
以上の様に、女性による直接的な差別や加害もnoteでは幾つか言及されます。
「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。
これに対して、女性は異性の「点数が低い人達(先程の結果からみると本来は平均的な人たち)」を排除したり、嫌がったり嘲ったりする形で攻撃します。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。
こうした直接的な加害は恐らく女性やフェミニストの方々の中でも一部の方がしている事で、女性やフェミニスト全体がしている事ではありません。
従って女性やフェミニスト全体へ向けてこれらの事を直接の告発として言うのは(丁度一部の男性が行った加害を男性全体に向けて非難するという、弱者男性問題の主要な問題の一つと同様)間違っていますが、
「ぶつかりおじさん」の様に、女性側からは見えにくい一部の女性の加害を知って貰う、という可視化としては意味を持ち得ます。
そしてこれらが女性側からは見えにくいのであれば、特に女性に向けて周知する意味があると言えます。
特にその中でも、
最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??
フェミニストが差別を糾弾する際、「キモい」「特権意識から降りろ」等の余計であったり部分的に適合しない侮蔑を含めてしまうケースが上げられています。
この箇所を「差別を糾弾する際に、別の差別意識が表面化し易い」という意味だと解釈すると、差別を糾弾する機会の多いフェミニストの方々に特に向ける意味があると言えます。
この貧しい家庭に生まれていじめで苦しむことも多い一生弱者男性(これは実際に統計的に全部正しいんです)は、下駄を脱げと言われても脱げる下駄がありません。むしろ、脱出できる可能性、助けてくれるまわりや、ケアしてくれる行政や団体の偏りを考えると、この層においては女性が下駄を履いていると言っても嘘になりません。この層に「下駄を脱げ」というのは、レイシストが「在日コリアンは特権を捨てろ、社会を牛耳ってる支配者のくせに弱者のフリをするな。孫正義を見てみろ。」というような最悪な言葉と大差ないのです。
この箇所はフェミニズムの文脈で男性に向けられがちな「下駄を脱げ」といった言説が、弱者男性の場合には適合せず(脱げる下駄が無い)、「在日特権」の様な存在しない特権の糾弾という、深刻な差別に成ってしまうケースが扱われています。
このようなフェミニズム言説への応答の箇所は、当然フェミニストへ向ける意味を持ちます。
また、
障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。
ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。
の箇所の様に、フェミニズム的な批判に伴って加害欲求が暴走する可能性についても警告しています。ここもやはり強者男性に向ける意味はあまりなく、フェミニストへ向けて初めて意味がある箇所になります。
件のnoteを読み返しながら、国語のテストのつもりで関連しそうな箇所を抜き出してみましたが、結構あるものですね。
ただこれで全部ではないと思います。もしできれば、これを読んでいるあなたも国語のテストのつもりで挑んでみてはいかがでしょうか?
最後に、これまで追ってきたようにあのnoteは女性やフェミニストへ向けて書かれたものですが、「向ける」ということが「攻撃」や「批判」とイコールではない事は強調しておいた方が良さそうです。
現に彼自身、
だから、一部のフェミニストの方がしてしまったことも、不幸なすれ違いだと思うんです。「ただそんな人達がいると知らなかった」だけだと思うんです。なので、ジェンダーで苦しんでいる人間たちは一緒に戦っていける、そう思っています。理想主義的ですが、理想がないと進歩もありませんから。
と書いています。
この増田に付いても女性やフェミニストへの攻撃や批判の意図ではなく、あくまで彼の文章が女性やフェミニストへ「向け」られていた理由を読解する為に書いたものです。
もし彼のnoteやこの増田を読んで自分を責めている女性やフェミニストの方が居たら、自分を責め過ぎないようにしてください、責める事が目的なのではなく、知って貰う事が目的ですから。
彼のnoteは女性やフェミニストへ向けられていますが、それに応答するために女性やフェミニストの方がするべき事は、実はそれほど大きくはない、というのが私の解釈です。まずは「知る」「存在を認める」「積極的な加害はしない」ただそれだけの事で達成できる、ささやかなものなのです。(当然ですが、同様の事を私は女性差別に対しても行います)
そして私が言うまでも無く、彼のnoteへの反応の中で既にそれをしている女性が何人か居た事は知って居ます。そのような方々に尊敬と感謝を申し上げると共に、そうした方々が今後増える事を祈ります。
今回の主題からはズレますが、何故「弱者男性」を取り上げるのか?と疑問を抱いている方も居たので、ごく簡単にですが、ここにも読解を加えておきます。
私は「男性」という属性は、「ヘテロセクシャル」「健常者」といった単純に「強者」とみなしてもあまり問題が発生しないものではなく、特定の属性とつながるととても悪い影響をもたらす属性だと思っています。
「男性」に「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」などが付くと、「女性」にそれをつけた時より状態が悪化するということがあります。これが「弱者男性差別」です。
この箇所で言及されている通り、「障害者」、「貧困者」、「外見が悪い」等の弱者属性と「男性」が組み合わさった場合に特に悪化・深刻化するとすれば、
それは「弱者」単独でも「男性」単独でもなく、「弱者」+「男性」という組み合わせをわざわざ取り上げる強い動機を生む事になります。何故ならそのような悪化・深刻化は組み合わせないと発現せず、見えないからです。
「弱者男性はまずクロワッサンを読め。丁寧な暮らしをして、自分の機嫌を取れ。」
絶賛してる多くのはてな民と、ブチギレてる弱者男性擁護派に見事に別れたこの提言。
でもこれ冷静に考えると正論なんだよな。珍しくはてな民がマトモなことを言っている。
反発してしまうのもわかるが、全くの正論としか言いようがないのだ。
現代の弱者というのは結局の所、自分で自分の世話ができないことがストレスとなり
他人のリソースを注入せざるを得ないのに加害性が高く、コミュニケーションも高コストになる、というところに本質がある。
おとなしく機嫌の良い弱者ならなんとでもなるが、暴力的で不機嫌な弱者は支援もしづらく、相互扶助のリターンは小さく、支援者にも避けられ、ますます弱者になっていく。
社会関係資本という最も重要な資本を自ら失ってしまう。たとえば公的支援も後回しになり、金銭でサービスを受ける際にも追加でコストを取られる。
私的関係なんて当然言うまでもなく壊滅していく。それが弱者たる所以。
だから、「まず自助努力で丁寧な暮らしで自分の機嫌を取れるようになり、そこから支援を受ける」というのは理想的な流れと言える。
とはいえ、これを弱者に向かって直接いうと当事者や、同情している人々に激怒されるのも確かだ。むしろそれこそが真の問題である。
答えはわかっているのに、納得したくないというケースが非常に多い。
最近の別の典型例は車椅子クレーマーで、あれは弱者が敵対的コミュニケーションによって周囲に加害していた例だろう。
一般人の反感を買ってますます支援と理解を得られなくなるのだが、「あれが戦略的に正しい」という意味不明な擁護が左派の中で多かった。
もちろんそんなわけないのだが、当事者に寄り添うと、認知が歪んでしまい、客観的に物事を見られなくなるのだ。これ自体は仕方がない。一般的な話で、左右の問題ではない。
今回の件で言えば弱者男性擁護派もブチギレていた。全く同様の心の動きだろう。
そこにさらなる正論で反論しても、ますますヒートアップするばかりで、納得が得られる可能性は低い。
忠言耳に逆らう、というのは普遍的な話だ。最も重要な提言ほど、正面から言うと理解が得られない。
だからこそ、様々な弱者に対して「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしようよ」という正論を投げかけるのは有効だと思う。
障害者、マイノリティ、弱者男性、いろいろな弱者がいるわけだが、その全てに同情している人間はそれほど多くないだろう。
自分がまったく同情していない、あるいは嫌悪している対象ならば、「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしよう」という正論の合理性が簡単に理解できると思う。
もちろん同情しているとか、実際に当事者なら怒るだろうが、その場合にはまた別の対象を持ってくればいい。
弱者男性擁護派も他の弱者に対しては同様の論理を持ち出していることは多い。
そこからはじめて繰り返していけば、弱者一般に対しても全く同様の論理が成立することも、最終的にはみな理解できるだろう。
実際に今回、はてな民の大多数は理解できた。地道にやっていくことが大事だ。
そうすればだんだんと加害性の高い弱者が減っていき、協調性の高い社会にたどり着くことができるだろう。
今回の提言は図らずも多くの学びを得られた。
余談だが、以下のような論理は全く空転しているといいたい。
今まで言っていたことと矛盾している人間がいたからといって、今回の反応が間違いだ、というのはレトリックにしてもあまりにも短絡的だ。
むしろ、今までが間違っており、今回正しい結論に至ったと見るべきであろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210503143456
(追記)
ブコメに明らかに文意が読み取れていないはてな民が見受けられる。
私は福祉を否定しているわけではない。弱者に助けが必要なのはそのとおりだ。読めばわかるだろうが、共助や公助を受ける「ために」自助努力が必要だという話をしている。