うん、国語のテストで点取れない奴でもだからといってコミュニケーションに障害を持ってるということはなかった。
というか障害児でもないかぎり日本で育てば日本語扱えるようになって当然なわけで、じゃあ国語って何を見てたのってことになる。
するとまずは共通語によるやり取りを覚えさせるということが考えられようか。家庭で学ぶ話し言葉と共通語にはどうしたってずれがあるから、共通語を理解したりできるかどうかを試してるのかもしれない。(識字率が極めて高い社会にいるとここらへんの感覚が麻痺する)
では問題のレベルが高くなるほど文意を答えさせたり要約させたりするようになるが、あれは何を試してたのか
文意なんて書いた人に直接聞けばいいんじゃん?てことは英語で言えばCan youに当たる疑問文の作り方さえ心得ていれば事足りる問題にも思える。
なぜわざわざ質問禁止とい縛りプレイで文意を導かせる能力を試すのか?それは通常のおしゃべりに要求される能力を大きく超えている。すでに「国語」という語感とのずれを感じられる。
…それは要領のいい人間を求めているということかもしれない。
何回も問答を繰り返えさないと言ってることが理解できないような人間は「使えない」ということかも。
また読解に際しての評価軸を統一する狙いもあるのかもしれない。
「こういう文章だったらこういう評価軸で評価する」という暗黙知のようなものを身につけてる人間がほしい。
評価軸の相違で水掛け論になってるはてブの論者を見れば分かるがああいう手合もまた人材として要領が悪いということだろう。
国語の成績が悪ければコミュ障で寡黙であるということは決してなく口から生まれたようによくしゃべりネットで自己主張するような人も大勢いる。
要領のいい文章を一発で書けて、それを一発で要領よく理解する力なのだろうと思う。
いちいち会って伝えて質問に答えてやらねばならないような人間は時間の無駄。リモートワークもない時からそういう意識が根底にあって国語の問題は作られてたのかもしれない。
文法と空気を読む力だぞ
文法は読めんだろ笑