はてなキーワード: 教員採用とは
ふだんはダラダラフラフラと生きているが、ふと、自分のものすごい育成失敗しちゃった感に気付いてしまい死にたい気持ちになっている。
小さい頃からの夢とかを持ち続けていたり、目標を定めて邁進していたり、
何か語れるもの(いやみな感じではなくて、アイデンティティのようなもの)をちゃんと持っていたり、
とにかく健全な人間性をうまいこと獲得してきて今ここに彼/彼女が存在しているんだろうなぁと思うとつらい。
人と比べてもしょうがないのはわかっている。
でも、自分はうまく成長できなくて、だからいつまでも人間性が未熟なままなのだという気持ちが拭いきれない。
そして、それを環境のせいにして、
こいつらがこんなに健康的で思いやりのある立派な人間になっているのは恵まれた環境にいたからだよなーと思ってしまう。
こんな風に考えて卑屈になるのも嫌だ。
教育実習に行った。
先生になろうかなと思ったのは、僕みたいなねじくれた子供を増やさないためだった。
僕は今都会の大学に通っているが、ド田舎の出身で、母校の生徒たちは素朴でとても可愛く、新鮮だった。
たまたまいいクラスに当たったのかもしれないが、あるいは僕に見えていなかったのかもしれないが、
中学校特有の陰湿な雰囲気がいっさいなく、快活な子もおとなしい子もいたが、クラス全体が仲がよかった。ウェイな感じもない。
羨ましかった。僕もこのクラスで中学時代を送りたかったと思うほどに。
教育実習に行った人は、だいたい「生徒が可愛い!先生になりたい!!!」と熱く燃えて帰ってくる。
僕も半分はそうなった。
だけど、帰ってきてからずっと気持ちが沈んでいて、教員採用試験は受けなかった。
僕は、自分が救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身だと気付いてしまった。
そして、担当した生徒たちの精神的育成が順調に成功しているのを見て焼け付くように羨ましくて、もうだめだった。
こんな風に感じてしまうのは、僕が精神的に未熟だからだ。そしてこれからもそのままなんだろうと思った。
僕は、いろいろなことを経験してきて知識も増えて、ちゃんとした大人になれたつもりでいた。
だから、子供の頃の僕自身に会う機会がもしあれば、支えになって導くことができるだろうと考えていた。
でも今はその自信がない。
中学校の帰り道、誰にも会わないようにトイレで人の足音がなくなるのを待って、
家まで倍以上の時間がかかる誰にも会わない道をわざわざ選んで、
こんなに空が青くてきれいで、川は澄んでいてさらさら流れていて、草いきれが風にのってやってきているのに、
どうしてこんなことしているんだろうな と泣きながら帰っている僕の背中に、
と、今年じゃないいつかの夏に、誰かに言って欲しかったというだけなんだけど。
合格したと思ったら八月中に二次試験があったりしてさ、面接の対策やら実技の対策やら、今年の夏休みはちっとも夏休みなんかではないでしょう。
せっかく授業も保護者対応もないのに、研修の資料作成も指導案作成も教材研究もできないじゃん、と嘆いた時代が自分にもありました。
初任者研修は凄い。一年目の人間を潰そうとしているのかというレベルで凄い。
仕事内容は変わらない。試験勉強ももうしない。でも、出張が多い。つまり自分の時間がガクッと減る。
講師の方が楽だったなと思う。正直思う。
どんだけ頑張っても、むしろ頑張るほど「講師のくせに」って白けた視線向けてくるダレカが一定数いるじゃん。
あれ皆無になった。やってることは同じなのにさ。一年更新を続けてく講師と、正規任用の教諭って、なーんかよくわからん違いがあるみたいだ。
同じ職場の講師仲間がみんな落ちて、自分だけ次の選考に進んだりしてさ。
受かったのに逆に肩身が狭くて、二次対策したいけど職場じゃできないとかさ。
足の引っ張り合いみたいなこともあるかもしれないし、もーやってらんねーってなるかもしれないけどさ。
とりあえず目の前の試験もうちょっとクリアしてみると、見えるものもある、かも、しれない。
勉強できる子もできない子も、生活習慣しっかりしてる子もしてない子も、センセーの話よく聞く子もさっぱり聞かない子も、結局のところさあ、全員めっちゃ可愛いじゃん。
半年ごとの契約更新とか三月に契約が切れることとか教諭の皆様方のお伺いをたてなきゃいけないとかさ、
そういうこと考えないでガッコのセンセーに集中できる。
それはすごいよかったなと思う。
頑張って試験乗り切ってください。
偏差値35以下ってほど酷くはないだろうけど
商業高校とか工業高校とかの高校生が大学進学したいと思ったら、大半が試験もなく推薦入試で微妙な怪しげな大学入るわけ。どこも一定の枠有るからね
もちろんスポーツ推薦とかも有る
嘘みたいだが本当の話である。
難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて
実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。
子供たちを教え育てていることになっている。
そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。
旺文社のサイトで「偏差値35以下」「教育・教員養成系学部」で
数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。
僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。
教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ。
この認識はそれほどまちがっていないだろう。
実際のところ、偏差値35の教師は中等教育(高校、中学)よりも、
子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要な仕事だが、大丈夫だろうか。
偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表に特別な評価記入あり)。
事ここにいたっては、恐怖しかない。
偏差値がすべてではないと人は言う。
その通りだと僕は思う。
しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然。
例えば、2018年のセンター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。
英語:200点中、63点
国語:200点中、48点
ご承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題がほとんどで、
わからなくても選択肢を選べば一定の確率で正解することもある。
つまり、それがこれほどまでに解けないということは
少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。
ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が
不足しているのが大きい要因だ。
詳しくない人でも、ニュースで教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。
現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。
そうして、本来、教師となりえる有能な人間(会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし、
人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師が誕生する結果となった。
あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。
教室は偏差値35の教師に支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。
我々はその先の未来をまだ知らない。
以下、予想される反論にあらかじめ回答を。
A. 現行の入試制度では、私立大の場合、AO入試・推薦入試での入学が
半数を大きく超えるのが通常だ。
すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである。
A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、
人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。
低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。
また、幼稚園教諭に知的能力が必要ないというのは大間違いだと思う。
A. 何を言っているのか。
採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。
A. 論外な考えだ。
自分の子供はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された
タイトルのとおり。
3月30日で現任校の任期が切れて、4月2日付で80キロ以上離れた県立高校に異動することになった。
20日に教育関係の人事異動が発表されて、校内は歓喜の声や悲鳴で賑わった。
その後、学校間や教育委員会とのやりとりが行われ、「○○(教科)の先生が足りない」となり、自分たちのような非正規教員(臨時登用名簿に載っている者)に連絡が来る。
(生徒指導部長、進路部長といった分掌長を担当する場合、その先生の担当コマ数は軽減されるので、先生の人数は定数でもコマ数が足りなくなるという現象が起きる)
ちなみに、去年は3月28日に連絡が来たので、今回はかなり早いということになる。
断れるはずがない。
この県で教員採用試験を受け続ける自分のような者が、県からの内示を蹴るはずがないのだ。
今年35歳を迎えた男、独身。
「来年こそは!」と共に対策を練った仲間は、正規になったか、疲れて別の道に進んだか、自分のように毎年学校を転々としながら講師を続けているか、だ。
臨時教員の異動について連絡が来たあと、事務職員に呼ばれ、「月末で健康保険証を返却してください、翌月支給の手当があるので口座はそのままにしておいてください、任期が半年を超えた人には退職手当相当金が支給されるので別途書類を渡します」などと指示を受けた。
「今年新卒なんですよ」と言っていた若い彼女は、自分の仕事のある種の残酷さに気づいているだろうか、などと思った。
どんなに遠方に異動することになっても、正規の教員のように引越し代や赴任手当が支給されることはない。
4月2日からの任用ということになっているので、4月分の通勤手当は支給されない。
4月1日に最初の大事な職員会が開かれるらしいので、暗黙の了解で参加する。
任用があるだけマシだとは思う。
臨時教員とはいえそれなりに給料はあるので、任用がなかった年は住民税や国保の支払いにえらく苦しんだ。
いつまで続けるのだろう。
考えかけては、気を逸らしている。
自分の教え子に「体育の先生になりたい」「教育学部のある大学に行く」などと言われて、「先生はいい仕事だ!頑張れ!」と素直に言えなくなって何年が経つだろうか。
まあ,そんな私も,就活が辛い学生のひとりだったんですけどね……
2019卒生の就活が本格的に始まる前に,ちょっと2018卒生の「就活辛い」を振り返ってみようというエントリです.
本当にその色ばかり使ってるのね.ノベルティはもちろん,ネクタイも,ちょっとしたサインも.すごい徹底ぶりです.
それだけ,愛行心が求められるということでしょう.
3月時点では銀行名をフルでスラスラ言えない人もいて(特に赤い銀行),正直楽勝かなと思ってました.
1.ある銀行の時,エントランスで「東大・京大グループは右へ,早稲田・慶應・上智グループは左へ」というアナウンスを受ける先制パンチをくらったこと.ああ,学歴社会だなあと,ぼんやり.
2.男ばっかり.男5の女1のときがあった.性差別ってあるんだなあ.
3.自己紹介でのみなさんの趣味が,登山とかバイクとかスキーとかゴリゴリの体育会系だったこと.インドア派の私にはそれだけで「自分はここにいていいのか?」という気持ちになりました.
二次以降は,最終面接までひたすら面接を繰り返すだけです.1対1で,圧迫もないし,話をちゃんと聞いてくれてる感じがして好印象でした.私はナメくさってロクに対策しなかったんで最終手前で落とされましたけど.面接自体は特につらい思いはなかったです.ですが,頻繁に呼ばれるので,他の会社が受けられなくてスケジュール調整に心を病む人が続出するらしいですね.
模擬授業は塾講師の経験を活かして落ち着いてできると思います.
学校の歴史を褒めたたえ,学校愛をひたすら述べなくちゃならない.
周りは非常勤の現職教員ばっかり.新卒は全然いない.ひたすら辛い.
たまに新卒だけのグループに突っ込まれたけれど,それはそれで辛い.話を聞くと,取りあえず必修で教職をとったぼんやりさんばっかりで,真剣に日本の未来を変えようと血眼で勉強してきた勢と会ったことがない.これは私の運が悪かっただけかもしれないが,こういう人たちと同僚になるんだと思うと気が滅入った.
主に人の問題で辛かったですね.
あと,教育実習,お前だよお前
お前のせいでいくつ採用試験を受けられなかったと思ってるんだ.国で対策してほしいです,本当に.
現場は経験者重視で専門的に勉強してきた知識は必要とされていない感じがした.
ヌルゲ過ぎる.
上を目指せばそんなことないんだろうけど,とりあえずホワイト企業に勤めたいくらいの要求でよければ選択肢がたくさんある.
敷居が低い.ちょっとプログラミング経験があるだけで歓迎されました.一方で,文系OK,短大専門OKなところはかえって高学歴がいかせなくてモヤっとするので,そのうち転職しようかなという思いはぼんやり浮かんだ.
誰もが知ってる会社でさえ,「飲み会!同調圧力!圧倒的感謝!」みたいなノリで語られて引いた.
あと内定者研修と称して安くインターンさせられてる会社があって,ひたすら辛そうだった.
余談だけど,エントランスで私の好きな球団が負けた日本シリーズの試合映像を永遠垂れ流してる会社があったのでそのまま帰ってやろうかと思った(たぶん就活でいちばん辛かったのはこれだとおもう)
あくまで新卒の話で,スキルアップ目指した転職は違うのかも.その辺は未だわからない.
修士,博士を活かせそう,かつサバティカルさせてもらえる制度があるのは好印象でした.それだけ求められることが多くて辛くなる未来が見えたからごめんなさいしました.もっと社会人としての自信を付けたら転職してみるのもいいかもしれない.
会社によると思うけど,肉食系バリバリ社会人と触れ合える経験は良かった.
辛いとすれば,みんな語学力が凄すぎて自信喪失したことですかね.
言語も,英語は当然で,みんな2,3以上は使いこなせる.頑張ればついてけるけど,そこまで頑張りたくないなと思ってしまった.そこ頑張るくらいなら違うこと勉強したいわ.
フランクな人が多くて,ユルさに耐えられなかった.
業界の人に働き方について聞くと,激務っぽい話ばかりなのが辛かった.
しかもみんなそれを楽しそうに語るので,洗脳されてるか感覚が麻痺してるのだろうと思った.
とりあえずこんな感じですかね.
総括すると,明るい未来が全く想像つかなくて辛かったという話でした.
人格否定されたみたいで辛いと友人からは聞きましたね.私の場合はそれは無かったですけど…というのも,自分の良さを分からない会社に入っても正当な評価を受けられず苦労すると思うので,こちらから願い下げだと.
知らない町で繰り返される電車移動が辛いとかも聞きます.これは,ジョルダンとグーグルマップでいくらか軽減されると思います.
思い出したころに追記するかもしれません.
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
(1)”常勤ではない”待遇の教員に、10コマ割り振るのは理解しがたい。(正規の教員が4~5コマ引き受けて5コマ×2教科くらいに割り振るべき)
(2)その結果、週5出勤を強いられてるのも学校に配慮がなさ過ぎ(たとえ1日4コマになっても、時間割の対応で3日くらいにまとめてあげないと講師にとって非効率的過ぎる)
(3)空き時間ができるのは、時間割担当が無能過ぎ(非常勤の日数や曜日への配慮、空き時間減らすこと、は、自分の経験で言えば時間割作る上での最優先課題だ。正規職員に配慮しすぎ?)
というわけで、そちらの県(及びその学校)の時間講師への配慮は、ちょっとというかかなりのレベルで他の都道府県(及び他の学校)より低いと思う。だいたい、時間講師に
(4)朝礼への出席、考査の返却、清掃指導(!)をさせるのは、ぶっちゃけ違法(コマ数として計算して給与が支払われているなら別だが、それならそれで別の問題が発生)
なのだ。だから、こんなことがまかり通っている時点で、その県及び学校のコンプライアンスは無いも同然だし、もし増田がその県での教員採用をあきらめることがあれば、上記状況を訴えればおそらく新聞にも載るしおそらく勝てるはず。そういう案件だと思う。
これは、増田の書き込みを疑っているんじゃなくて、世の中には本当にひどい県がありひどい雇用状況があるということ、そのような雇用状況は常識ではないし常識であってはならない、ということを言いたいだけ。少なくとも、そんな状況が異常だと判断される(まともな)都道府県はある、とは覚えておいてほしい。「日教組なにやってんの」というリプがあったが、うちの県の(良好とは言えないまでも、まだしも)まともな雇用状況とうちの県の教組の高い組織率は、おそらく無関係ではない。逆に、増田のいる都道府県の教組の組織率はそれほど高くないことは容易に想像される(増田の周囲に、その状況をおかしいと訴える現職教員がいない時点でお察し)。
どんな職でも、特に「世界が狭く」「あこがれられやすい」職の実態というのは、使い捨て・やりがい搾取・被害者泣き寝入りが容易に発生し得る。アニメーターやら声優やらが典型的だが、看護・医療系、プロスポーツ、なんかもそう。被害者が声をあげていくことはほんと大事だと思う。
あと、増田に厳しい意見も一つ。どこの県であるにせよ、3月30日まで声がかからなかったということは、その県に「あなたの教科での志望者はたくさんいる」その中で「あなたに声をかけるのは最後の最後、と現状では県に認識されている」ということを理解しておくべき。採用試験の成績が超優秀だったり、学歴的にご立派だったり、あるいは講師経験の中で指導力が高く評価されていたり…という人には、もっと早く声が掛かっている。それを踏まえて、どうすれば自分なりに一歩でもそのポジションをあげられるのか、そして採用に近づけるのか……たとえば採用試験対策をがんばるのか、現場での指導でものすごい成果を上げるのか、どっかの大学院に潜り込んで学歴ロンダするのか、面接で超好印象をゲットできるよう性格矯正セミナーでも受講するのか(成果のほどは保証できないが)……とにかく、最小限の努力で最大限の成果をあげられるよう、効率的に努力するべきだと思う。体と心を壊さないうちに、増田が早く合格できるよう、願ってやまない。
非常勤は何年もする仕事ではありません。飽くまで、採用試験に受けるまでに小銭を稼ぎながら現場で学べる期間です。頑張って早く合格して、本採用になってください。
ただ、いろんな条件はあなたに取って良くない条件が多すぎます。万が一、来年度講師をすることになった時は、今年学んだことを活かしてください。
まず3/30に連絡くる時点で、学校運営があまりうまくいってないんじゃないかと思います。しかも、ふつう週に何日、何時間お願いします、と連絡します。
週10時間なら週3になるように時間割を組みます。非常勤優先です。曜日もできるだけ早く指定してもらいます。同じ教科の先生も、時間割の先生も気づかなかったんでしょうか?管理職の責任だと思います。
夏休みはしかたありません。夏は教員採用試験の季節なのですから、勉強に打ち込んでください。
ただし、利用されっぱなしも嫌なので、空きコマ(勤務時間外)には採用試験の勉強をしたり、授業見学させてもらったり、管理職からの面接練習を受けたりしてください。せっかくの現場です。上手に活用してください。
※私学だから若干の違いはある。
※というか時間講師の扱いなんて公立学校でも、都道府県or市町村レベルで違うかもしれない。
>しかし、授業だけが業務とも言える我々時間講師の場合、授業がなかったら仕事はなく、仕事をしていないのだから当然給料もない。
>この事実に気がついたのは5月下旬だったのだが、ゾッとした。
これは雇用主による。雇用主によっては、夏休み期間の給料も出る。ただしその場合、普段の月給(というかコマ単価)がその分下がっているというそれだけの話しではある。
ちなみにボーナスがあるかどうかも雇用主次第。(公立だと無さそうだが)
>他のことをして収入を得ようと思ったこともあるが、「正規の教員で不足するところを補ってね」と時間割を割り振られたので、
>月〜金全ての日に授業があるし、「4時間目だけ」「2時間目と6時間目」のような振り方なので、時間が全く自由にならない。
>2時間目と6時間目の間の数時間、何をしているのかと言われると教材研究や生徒の課題のチェック、試験後にはその採点、成績表のデータ入力などである。
>しかしあくまでも「週10時間」の任命なので、これらの空き時間についてはもちろん無給。
どの道『教材研究や生徒の課題のチェック、試験後にはその採点、成績表のデータ入力など』という仕事はどこかでやらねばならないので、ある程度までは許容範囲だと俺は思っている(もちろん空き時間が多すぎると辛いが)。
雇用主にとっても、あまりに教員の待遇が悪いと結局は生徒への応対などに直接響いてくるので、そのような空き時間はなるべく少なくしようと配慮してくれるところも多いし、
逆に『1時間目から4時間目まで全部授業で埋まっている』ような状況はそれはそれで体力的に辛い。
余談だが、これを読んでいる読者は元増田が「1コマ3000円」と書いてあるので多いように見えるかもしれないが、教材研究(要は授業の準備)の時間を含めると時間講師の仕事はそこまで割の良い仕事ではない。
もっとも、たとえば「高校1年生で週2コマ×5クラスで合計10コマ」のような場合、同じ授業を5回やればその分効率は良くなるし、それも教員の技術のうちだ。
だが、同じ授業は4回くらいまでがベストだ。それ以上だとやっている教員自身がだれてくる(経験談)
推薦状をもらいに大学時代の指導教員に会いに行った時、近況を話したら「同じ授業を6回やるのも大変だろう」と即座に言い切られたこともある(実話)。
>1コマだけ授業があるような日でも、その時間だけ学校に行って終わったら即帰宅というわけにはいかないし、何時間働く日であっても通勤にかかる時間は同じである。
これは完全に同意。
>まだ1年目の1学期を終えたところでこれだけ思いつくので、これから先どれくらいこの身分の恐ろしさを痛感するのか、未来が真っ暗である。
>そもそも来年度以降も同じ学校に勤められるとは限らず、そもそも任用があるのかも分からない(おそらく3月末の連絡がそれなのだろう)。
たいていの都道府県で公立学校の教員採用試験では、一般受験枠とは別に「講師等経験者」枠がある。
元増田は公立学校らしいが、時間講師であっても現在勤務しているのと同じ都道府県を受けるのならばあると思う。
そうやって非正規教員で勤め、優先枠で採用試験に合格して正規教員になるというのも教員の世界ではよくあることだ。
ついでに言うと、勤務中に大きな問題を起こさないのであれば、それは採用側にとってもプラスの評価になる。結局のところ、未経験者よりはよほど不確定要素は少なくなる。
さらに言うならば、公立・私立を問わず教員の採用の際、給料の欄には「経歴を考慮して加算」と書いてあることがほとんどである。
そして、教員に採用される上で一番強い経歴はやはり教員の経歴であり、非常勤として勤めた経歴であっても十分に加算の対象になる場合がほとんどだ。
そのような意味では、ある意味『教員としてある程度働き続ける前提であるならば』非正規教員であってもそこまで未来のない職業というわけではない。
《追記》7/14、追記を書いたのでぜひ読んでほしいです。
https://anond.hatelabo.jp/20170714184542
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在学中に受けた県の教員採用試験には不合格だったので、臨時登用の名簿に登録していたら3月30日に連絡が来て、4月1日から県立高校で非正規教員をしている。
まず前知識なのだが、非正規教員と一口に言っても「期限付(任期付)講師」と「時間講師」に区分されることは案外知られていないのではないか。
前者は常勤。半年や一年という任期付きではあるものの、クラスの主任を持ったり、部活動顧問や校務分掌(進路指導、生徒指導など)も持つ。
お給料も正規と同じく月給制で、ある程度の年齢までは毎年昇給があるらしい。
後者は非常勤。塾の大学生アルバイトのイメージが近いのではないだろうか。
週〇コマと決められていて、時間単価と勤務コマ数の掛け算で給料が支払われる。
「県立〇〇高校、週〇コマで講師をしていただけますか」と電話がかかってきて、幸い実家から通勤できる距離の学校だったし、「現場で経験を積みながら合格を目指そう!」なんて希望に燃えて二つ返事で快諾。
厳粛な任命式も、指導や研修(正規の新採用はほぼ毎週あるらしい)も何もなかったが、他の先生たちと同じように1人で担当クラスを持ち現場に立っている。
手探りの日々で頭を抱えることもあるものの、生徒から反応が返ってくるこの仕事に誇りや充実を見出している。
ところでもうすぐ夏休み。
子供の頃は「先生はいいよね、生徒と同じように夏休みがあるんでしょ!」と思っていたがそんなはずもなく、当然他の月と同じように出勤して仕事に取り組む。正規の教員は。
正規の教員で足りないコマ数を補って授業を行うために雇われているのだから、授業がなければ当然仕事はない。
授業だけが教員の仕事ではないので、正規の教員や常勤講師は研修会、企業訪問、会議、行事の調整、部活動指導、調査への回答…など山積みの仕事を行う。
しかし、授業だけが業務とも言える我々時間講師の場合、授業がなかったら仕事はなく、仕事をしていないのだから当然給料もない。
(ちなみにそのときは試験期間で、通常の授業がないため時間講師の仕事はごっそり削られたのである)
働かざる者食うべからず、とは聞き慣れた言葉である。
また、「仕事がないはずがないだろう、選ばなければどんな仕事でもあるはずだ」と最近まで私も思っていた。
しかし、本当に8月は仕事のしようがないようなのだ(生徒の補習や夏期講習は正規教員で事足りるらしい)。
私は抜けているところがあるので、「授業を行ったぶんだけお給料が出ます」の裏にある、「授業がないなら無給だよ」の意味に最初気が付かなかった。
気が付いたあとも、「時間数は減るだろうけど、夏休みなら補習もあるだろう」と思っていたのである。
8月、どうやって暮らせというのだろう。
幸いなことに私は実家暮らしで、家族も「正規合格を目指す」という私の目標を理解してくれているので、すぐさま困窮する事態には陥らない。
一人暮らしの家賃や光熱費を払い、日々家計のやりくりをしなければならない状況だったとしたら?
ちなみに非常勤なので社会保険にも加入できず、自分で国民年金16000円を払っている。
「1コマ3000円で週10時間、だいたい月12〜14万円か」と分かってはいたが、ここから保険料や税金を支払い、最低限の仕事服や通勤定期を買い(一律で定額支給の通勤手当は雀の涙ほどだった)、働き出してからは貯金も全くできていない。
こんな月収でも年額130万円を超えてしまうので、親の扶養にも入れない。
他のことをして収入を得ようと思ったこともあるが、「正規の教員で不足するところを補ってね」と時間割を割り振られたので、月〜金全ての日に授業があるし、「4時間目だけ」「2時間目と6時間目」のような振り方なので、時間が全く自由にならない。
2時間目と6時間目の間の数時間、何をしているのかと言われると教材研究や生徒の課題のチェック、試験後にはその採点、成績表のデータ入力などである。
しかしあくまでも「週10時間」の任命なので、これらの空き時間についてはもちろん無給。
1コマだけ授業があるような日でも、その時間だけ学校に行って終わったら即帰宅というわけにはいかないし、何時間働く日であっても通勤にかかる時間は同じである。
文章の収拾がつかなくなってきた。
まだ1年目の1学期を終えたところでこれだけ思いつくので、これから先どれくらいこの身分の恐ろしさを痛感するのか、未来が真っ暗である。
そもそも来年度以降も同じ学校に勤められるとは限らず、そもそも任用があるのかも分からない(おそらく3月末の連絡がそれなのだろう)。
他にも時間講師の人はたくさんいるが、新採用の正規教員のように1箇所に集まって研修を受ける機会などはなく、年齢も担当教科も割り当て時間数もバラバラなので、話す機会がほとんどない。
中には現役を引退したベテラン教員、夫の扶養に入れる範囲で勤めている子持ち女性などもいるようだが、この仕事だけが生計の手段であるような若者〜中年も少なくないようだ。
「(モンスターペアレント、部活動指導、教育改革などになる)教員のブラック労働」と「(民間の)非正規労働者」の問題については注目が集まっていると感じるが、「非正規教員」はその合わせ技といえるのではないだろうか。
5年ほど働いたあと、主に給与面に不満があり、縁もゆかりもない県の教員採用試験を受けて合格し、今は教員2年目です。
中学高校と美術部(という名の漫研)だったので、運動は死ぬほど苦手ですが、意見が通るわけもなくバドミントン部の副顧問をすることになりました。
部活は主顧問の先生がとても熱心で、会議のある水曜日を除けば毎日練習があります。土曜日は昼を挟んで一日練習です。
教員になった初日に顧問の先生に呼ばれ、買うべき道具が書かれたリストと部活の予定表、事務作業のマニュアルを渡されました。今は練習試合1つするにも5種類以上の書類が必要になります。
先週は22時前に帰ったのは金曜日だけです。保護者との飲み会があったので。
今日は部活が終わったので、明日の授業の準備と分掌業務をしています。分掌というのは進路指導部とか、生徒指導部とか、総務部といった役割の仕事です。生徒会の担当として学校祭の準備をしているので死ぬほど忙しいです。
それなら部活の顧問をやめればいいと言われると思いますが、顧問を拒否したら白い目で見られ、職員室に居づらくなります。それを言った同期はしばらくの間陰口のターゲットになっていました。
部活動の手当てが教員の副収入になってる!けしからん!といった声も聞きますが、8時間拘束されて3000円です。練習試合等で15時間働こうが3000円で据え置きです。
毎月3万払うので部活辞めさせてください。
文科省からの天下り問題が注目を集めているけど、教育業界の天下りはそれだけじゃないよね。
例えば、教育系大学(学部)への教育委員会経験者や「有名教師」の天下り。
教育大学や学部から昔ながらの教育研究者を減らして、現職あがりの教師を准教授とかで迎える動きがここ数年でずいぶん進んだ。
これって、実践的な教師を育てる名目で推し進められているけど、実態は学生を教員採用に口利きするためのものになってる。
結果的に、学生は有力教員に擦り寄るだけになるし、お上にペコペコ頭を下げるイエスマン教師だけが排出されるようになった。
現場を知らない教育研究者がダメダメであるにしても、実践しか知らない教授・准教授が増加して意味不明な論文をかいてたりする。
教育大学の予算削減を狙いとして、研究系の大学教員をどんどん外に追い出して、現職上がりの教員だけとったら教師になれる学生は増えるかもしれないけど、頭を使う教師は増えない。
これまでの教員養成が良かったわけではないだろうけど、実務家教員だけで良くなるとは限らない。そればかりか利権の温床にもなってる。
そのうち崩壊すること間違いなし。
臨時講師とは教員採用試験に受かっていない人達で、教員採用試験に受かった人達と仕事はほぼ同じだ。
この時点で私に与えられた仕事は生徒達からしたら正規の教員と同じだ。
しかし、講師なので教員とは違い、学校内で教員組織としての仕事は軽い。
因みに私は夢や熱意を持って講師になったわけではない。
ただなんとなく就職したくなったので、教員免許を活かしてみただけ。
なので学校の仕組みも何も知らない。
今もよくわかっていないことばかり。
正直、この自分の決断は軽率で、許されるものではなかったと思う。
私の場合、履歴書を教育委員会に提出し、赴任校が決まったので挨拶に行き、数日後には新任式で挨拶をしていた。
臨時講師の研修は、もう様々なミスをして疲弊しきった頃に行われた。
生徒や保護者にとって、臨時講師だから、教員採用試験に受かっていないからということは関係ない。
校舎の配置も、学校の仕組みも、授業の作り方もわからない、本当に右も左もわからない私への反応は幸いにも優しかった。
保護者や生徒はそう言ってくれた。
そう私は責められた。
当然だと思う。
だが言い訳をするなら、研修を受けていない状態で専門用語を使われてもわからなかった。
大学で教わってきた授業の作り方は現場ではあまり役に立たなかった。
ここでは私が今まで学んできたことは通用しなかった。
私にできることは生徒に対して真摯な対応をすることだけだった。
何もわからない手探り状態のまま、生徒の話に耳を傾け、どうやったら生徒の成績が上がるか、どうやったら生徒が良い人間関係を築けるのかを考えて行動した。
結果、私は生徒から好かれた。
保護者の反応も悪くなかった。
職員室に行くといつも注意を受けた。
気が狂いそうだった。
いつしか、土日の朝になると涙が止まらなくなるので、土日に部活に行く回数が減ってしまった。
そんな日は片付けることもできない汚い部屋の中で、ベッドに腰掛け、学校からこっそり借りてきた正規教員向けのマニュアルを泣きながら読んで過ごした。
教員採用試験に受かったものだけに与えられる権利が十分な研修。
講師なんて雇うべきではないのだ。
自分の子供が十分な研修も受けていない人間に無責任に委ねられる。
こんなことがあっていいのだろうか。
どちらかというと熱血で夢を持った人達が多いように思う。
熱意もあり、教師になりたいと心から願う人達が、こんなにも教育について知らないものかとがっかりした。
四月から成り行きで勉強を始めた私より、教師になりたいと思う人達の方がすかすかなことに絶望した。
部活を休むクズとは違い、熱血できちんとしていればしている人達ほど時間がないことを表しているのだ。
講師でありながら、まるで闖入者のような存在の私から見て、学校という組織は異常だ。
研修も受けない、何も知らない人が教師の皮を被って生徒の前に立つ。
そしてその教員モドキが大きなミスをしたとき、世間はそれを許さない。
ミスなんて許されてはならない。
私達は使い捨てだ。
教師になんてならなければよかった。
明日もまた私は教壇に立つ。
生徒のことを考えるからこそ、生徒への申し訳なさで押し潰されそうになる。
何も知らない私を先生と慕う生徒達。
申し訳ない。
本当に申し訳ない。
学校保健安全法施行規則が改正され今年度より施行されました。座高測定の廃止の件です。
座高測定・・・廃止とはいえ名残でやるのかなぁ・・・とか思っていました。
新年度が始まり、身体計測の係の割り当ての欄に私の名前はどこにもありませんでした。身体計測では今年は何の係もありませんでした。
15年も座高を測りました。測った人数は延べ1万5000人以上です。
年度初めはお互い緊張していてまだ猫をかぶっているのですが、一瞬だけ生徒の本音が出るかもしれないときです。
浅く座ったり、背中を丸くしたりして座高を低く見せようとする生徒は
自分の体形を気にしている子なのかなぁ~?
自分に自信がないのかなぁ~?
とか何らかの悩みを抱えていることも教師として把握しているつもりでした。
座高が原因で冷やかしはあったかもしれないけど、いじめにまでは発展しませんでした。
私の場合、何事もなくて何よりでした。
来年は何かの係があるのか、それともまた何もないのかわかりません。
ただ言えること、
座高測定係は無くなりました。
感じたままに書きます。
私自身、不勉強なことが多いため、誤りもあるかもしれません。不備やご意見等ございましたら、ぜひ、教えてください。
小学校で働くには小学校教諭免許状が必要。中学校、高等学校でももちろん同じです。
最近、教員免許がないのに何年も働いていた人がいて、ニュースにもなっていますね。
しかし、特別支援学校では特別支援学校の教員免許を持っていなくても働けるのです。普通校の免許さえあれば。
もちろん、教員採用試験も現状に合わせてきており、新規採用者には特別支援学校教諭免許状所持者が多いと思います。
しかし、ベテランと呼ばれる先生方には今も、免許不所持の先生が多くいます。
年功序列の公務員、ベテランの発言力はやはり、強い。免許不所持の先生の発言でも、ベテランであれば優先されがち。
もちろん、働きながら、講習や通信で免許を取る先生も多くいますが、これでいいのか。
学校によっては、半数近い教員が1年で入れ替わることもあります。
教員採用試験に合格しなかった臨時的任用教員が、次々と入れ替わる。
系統性の確保、専門性の向上を謳う特別支援教育ですが、これでいいのか。
もちろん文科省が出している指導要領はありますが、授業内容を考える際、「思いつき」に頼らざるをえないことも多々あります。
何をやればいいのか思いつかず、ネットで検索して、題材を探すことも多々あります。
その結果、ベテランの先生の意見や、去年やっていたことに「ちょい足し」して授業をする、なんてことも。
といった具合で、根拠不明な指導がまかり通っている現状ですが、加えて、特別支援学校の特徴でもあるTTという指導体制が、問題を根深くしています。
知的障害特別支援学校の場合、6人学級なら、教員2人が担任となり、1年間過ごします。
このTT、相性が合う人であれば、児童生徒にとってより良い指導・支援を生み出す良いきっかけになると思います。
ただ、世の中にはいろいろな人間がいます。当然、相性の良し悪しもあります。
児童生徒にとって最善の支援方法を考えなければならない。そのときに大切なのは、情報共有です。
が、そもそもの根拠・目標が曖昧なのです。情報共有、できますか?
特別支援学校は、体罰事例がとても少ない。これは一見、望ましいことです。
しかし、児童生徒から発覚しにくい特別支援学校。本当に少ないのでしょうか。
怒鳴り声のような声が聞こえてくることも…
就職先が決まったけど、本当はそこに勤めたいわけじゃない。
就職後も勉強して来年の教採受けるの?って聞かれるけど、そんな面倒なことしないよ。
そもそも、できることなら、働きたくないし。
働くことに夢なんて持ってないし。
やりたいことだけ、やっていたいし。
こんな話をすると、じゃあ将来の夢はないの?って聞かれる。
夢はあるよ。
結婚して、幸せなお嫁さんになりたい。子どもは2人くらいほしいなあ。
でもこれって、男の人にすごく叩かれる。
なんで?
結婚して、夫婦でいっぱい稼いで、節約して、お金を貯めて、子どもをもうけて、子どもが大きくなるまではなるべく私が家にいて、手がかからなくなったらまたしっかり働いて、子どもにいっぱいお金をかけて、子どもの結婚式で泣いて、孫を甘やかして、老後は夫とたくさん温泉旅行がしたい。
これが夢なんだけど、何か悪いことある?