はてなキーワード: 一人二役とは
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。
凍結されたネット論客の青識亜論さんが別垢へ移動→別垢で大学生フェミニストになりすましR18イラストを叩くなどマッチポンプしていたのがバレる
これね。
このまとめに挙がってるのがキタノエニシ(青識のフェミ垢)の発言の叩けそうなものの選り抜きであれば
これは少しもマッチポンプではない。
溶け込もうとしてる発言ばっか。
エニシ@KitanoEnishi
Aug 22, 2021
kutoo運動で女性の労働環境を改善するという成果を実際に挙げている。
エニシ@KitanoEnishi
Nov 23, 2021
エニシ@KitanoEnishi
Aug 15,2021
石川さんは立派な人だー
青識の周りはクズだー
そりゃフェミニスト設定ならそう言うわ。
青識の周りはクズだし。
俺はこういうのは真っ先に吊る。
主体的に喋らない、
なぜそうなるかっつうと
相手陣営の情報や感情をエミュレートして喋るのは非常に難度高くてボロが出やすいから。
レベル高くない偽装者は相手陣営の基本情報ばっかりなぞってさも参加してる風に装う。
「この人は昨日人狼と確定してましたね!」とか。「石川さんは偉いですね!」とか。「青識周辺はクズですね!」「キモオタのpixivゴミですね!」とか。
何でこいつは何の新情報もないことばかり喋るのか?っつうと溶け込む努力しかしてないからなわけ。
一定以上の腕前のプレイヤーの目からはその消極的な偽装はバレバレだけど。
絶対に即吊り。
ただまあ人狼じゃないし
一人一人が注目されないtwitterなら偽装なんてこんなんでもいいのだろうし
いつかオープンにすること込みでこうなってんのかもしれない。
このアカウントであまりアクティブになってフェミニストを先導主導しちゃえば
逆に、溶け込んでるだけのアカウントの何がマッチポンプなんだよ?
こっから本編で今回言いたいこと。
hesopenn
こういう2ch仕草みたいなの、言論空間にとって本当に有害だからやめてほしい。
言論の自由とか言っている人間が議論を阻害、混乱させようとしているの、意味がわからないんだよな。
2022/05/09
論敵の視座が欲しいのよ。
相手の席に座って相手の風景で見て相手の環境に首まで浸かって考えんの。
だからキタノエニシはフェミニストの議論を止めよう邪魔しようとかしてないし、逆に進めよう広げようともしてないだろ。
俺は青識なんて馬鹿にしてたけど
基本が出来てる。
これ見て動機がわからん意味わからんとか言ってる奴こそ頭使ってないので
青識とディベートすりゃ確実にぼろ負けする。
だいたい青とか白とか小山とかあんな連中が羽振り良くしてるのなんて
もしリベとフェミが居なくなったら途端にあいつらはケチなチンピラに逆戻りする。フォロワーもnote購読者も激減する。
リベとフェミがゴミみたいなバットマンであいつらはそれを食べてるカスみたいなジョーカー。
青識がフェミニストアカウントの一つも持ってなかったらそっちの方が不見識だわ。
それは自分のテーマや飯のタネを地道に研究してないってことだから。
白もフェミアカウント人文アカウント色々持ってなければおかしいし
小山ならメンヘラ姫アカウントでオタク釣るのを毎日の素振りにしてるはず。
これがおかしいって思うなら連中に敵うと思わない方がいい。
ついでに格付けも教えると
青が一番格下。言ってることが緩いというか脳の滑りがちょくちょく見える。けど今回は見直した。
知能は小山が一番上かもだけどあれはなんか怒らせる隙が潜んでるように見える。ムキになる・荒らしが通用するタイプ。
白が一番安定してるけど仕事が多いぶんだけ足がフラフラしてるぞ。
お前等には無理だけど俺は出来るよ。
aminisi
言論の力を信じ武器にする人間がやることではない不誠実で恥ずべき行為
2022/05/09
これなんかも本当にバカじゃねーのかと。
・論敵サイドのアカウント作って論敵の生の思考のタイムラインに入浴して実態感じて考える奴。
どっちが誠実な論者かなんか考えるまでもねーわ。
haha64
議論の場を破壊する最低の禁じ手だけど、優しい目で見てる連中が多くて驚く。
これが通用するなら、今後青識とその賛同者が過激な「ツイフェミ」を叩いた場合、
2022/05/09
全然尖ってない、実際に騒動起こしてマッチポンプした形跡もないんだろ?
じゃあ非難出来るところはねーんだよ。
Gl17
普段の青識垢の杜撰極まる発言はフォロワーの知性をよほど極端に低く見ているのではないか。
2022/05/09
そう、すげー穏健なフェミニストを演じてんだよな。
ラディカルで暴言の多い好戦フェミ、とかでは全然ない。少なくとも周りより出過ぎない。
(溶け込むことだけが目的で干渉しないようにやってんだから当然だが。)
で、これが何のマッチポンプよ?
その時はせっこいくっだらねえズルだから大いに非難されてどうにでもなりゃいい。
だが頑張って漁って出てきたのがあのまとめのログだけならあれの何処にも問題はねーわ。
どれがどうマッチポンプなんだ?
って言うと毎度モグモグモグ~って何も言えなくなって一人もかかってこないからお前等はカスなんだけどな。
つーかそもそもおかしなこと言うリベやフェミなんか処理し切れないほど自然発生するのに
リベやフェミが本格的に退潮していなくなって、今更商売替えられなーいって追い詰められた時は
でもリベやフェミがいなくなるのいつだよ。
生物的死滅まであと20年はかかるだろ。ゴキとムカデは死ぬまで一緒よ。
俺も若い頃はよくネットの掲示板で口喧嘩なんかした。一人二役で。
ip出てたって構やしない。他の利用者もそれぞれに乗ってくる。途中で1人でやってると気づいて騒然としたりもする。
そういうことの積み重ねで言い合いに強くなるんだから
それもやってねー奴がやってる奴に敵うわけないんだよ。
本当にレベルが低いんだわ。
俺も一時期白や小山が気に入らねーなーと思った。
そんであいつらのnote購読してあいつらが喜ぶかなーって思う感想やリプを色々飛ばした。
ああこれに反応した、これには反応しなかった、これに喜んだ、こう答えた。
こう言えばいいねがいっぱいついた。フォロワーの中で存在感出た。
白も青もそれぞれ欲しがってるフォロワー像のストライクゾーンあるぞ。
そういうの積み重ねて相手のこと感じて考えるんだよ。
俺はちゃんとそれだけやって結論出た。俺はこいつらどっちもやっつけられる。
これは何かのなりすましか?当たり前の理解の積み重ねだわ。相手への誠意だわ。
これくらいやってないお前等は圧倒的に努力が足りない知能が足りない誠実さが足りない。
「そんなことやってられない」って言うならそれも嘘な。
あいつらに怒って時間的労力的にはこれぐらい余裕で出来るだけのものを既に投下してるやつ大勢いるじゃん。
単に誠実さや能力が足りないから青でもやってることすらやってないだけ。
何回も何回も同じように工夫なくかかっていって同じようにやられてるだけ。
客観的に見てお前等は連中よりだいぶ下だという話をしている。
前から言ってるけどリベやフェミがあの連中に引きずり回されてるの、
どっちが正しい以前に単にあっちの方が腕力があるからなんだよな。
だってネットで暴れてはあいつらの食い物になってるリベやフェミ、
それじゃ青にすら勝てんわ。
誰かの尻馬に乗ってワーワー言ってるだけの奴等、
それじゃショボい投石しか出来んわ。
真面目にやれ。
つーかお前等こそ青の薄汚れたモンチッチみてえなツラの角質でも煎じて飲んで
嫌いなクラスタに溶け込むアカウントを作る&自我を薄めて思考をなぞるってとこから始めたらどうなの?
もしくはそれこそ人狼でもやったらいいんじゃないのとマジで思う。
アモンガスみたいな不純物の多い三輪車じゃなくてテキストだけのやつな。
鯖立てて1,000時間やれ。
大概の人はこの人のようにスポーツ/バトル感覚で議論を楽しんでいるのではなく、現実を少しでも改善しようと声を上げていると思うので、そもそもの動機が違うよね。同好の士とだけ前に進まない議論しててください
それは明確に嘘だね。
君達はスポーツすら真面目にやれてないだけ、単にレベルが低いだけであって、
方向性が違うから!とかいうのは低レベルの言い訳にはならない。
他者の主張や思考をトレースせずに自分の気持ちだけわめくのが現実へのアクションなのか?
だいたいいまリベやフェミがやってることはどういうこった? キモオタ漫画に因縁つけることがどう現実改善への真摯なアクションなんだよ。痴漢がけしからんなら摘発の仕組みを真面目に考えろ。
そんで「キモオタ漫画を規制したら犯罪防止になるエビデンスあるのか」のような話が大嫌いで逃げ回るの、現実改善なんか目指してない何よりの証拠だろ?
そもそも論敵を理解しようってアクションがどうして建設性を欠くのか、
やはり誠実さが足りない。
todomadrid
「これも本人?」基本的には誰が何言っても、どちらのサイドに対しても、
すべてこれで対応すればいい、という話になりそう。
今回で分かったのは、まともに聞くに値しないこと。
2022/05/10
フェミもアンフェもあれが人生無駄なのはその通りだと思うよ。ネトゲと変わんねえ。
逆にあれを人の役に立つ議論のつもりでやってるやついたら
どういう了見なのか教えてほしいわ。
あとさあ、てめえの気に入らない奴を擁護してたら「本人?」っていうの
頭悪すぎるからやめてくんね?目が腐るわ。
青の文と俺の文比べて「癖がこれこれこう似てるから本人だ!」とか
お前の言ってるのは「ぼくのきにいらないいけんはぜんぶおなじやつだー」でしょ?
「レベルが低い」って言う俺の指摘は間違ってるか?
typographicalerror
「真面目」「誠実」みたいなふんわりとポジティブな表現を多用して
具体性は欠くの青の人っぽいわ / 信用と自由についてもお考えを聞かせてほしい
2022/05/10
こっちの方が未だ理由付けしてるだけまともだが
青が何のためにあれやってるのかは超具体的にカッチリ解説しただろ。
ふんわりしてんのはおめーの読解力だ。
この程度の文量で読めなくなるメモリのせいで読んだ内容まとまらねーんだよ。
信用と自由について何を聞きたいんだ。
幾らでも答えてやるから具体的に聞け。
nori__3
よくわからんが、なりすましアカウントを作らないと相手方の視座がわからんのか…?
相手方のタイムライン見ればいいし、ウォッチ用のアカウントならなりすます必要ないし
って思ってしまうのは間違っているのだろうか
2022/05/11
間違っている。
ってかどうしてなりすましが必要か、どういう風にやるのか、解説したよな?
俺は白や小山の信奉者になりきってnoteも全部読んで感想書いて当人とやりとりを重ねた。
「白や小山がむかちゅくううう!」って言いながら
たまにバズってる発言を読んでるだけの奴は0点だろ?
「白や小山がむかちゅくううう!」」って言いながら
俺はちゃんとしているしお前等は怠けている。
なんかネットの話で言ってると異常者に見えるらしいから別のことでもいいよ。
眺めてたってなんにも理解しないわけ。
絵に描いてみたらどうなってるのか深く理解する。
紙で同じもの作ろうと思ったらペットボトル分解して見詰めて更に考えるよな?
「私はペットボトルを眺めてるだけで理解してます」って言うわけ。
なんにも見えてないのにな。
レベル低いわけよ。
別にそれをやってる暇がないって言うならやらなくてもいいんだけど
ってことは自覚していてほしいわけ。
Zephyrosianus 本人乙。はさすがに冗談にしても、
ここは増田みたいな匿名で個人を攻撃する卑怯者の居場所じゃないぞ。
中学生未満の臭い作文を必死こいて書く前に最低限のルールを守れ。このレベルもアンフェは共有できないの?
2022/05/11
はてなブックマーク使ってる奴に言われたくねーわ。
はてブこそ勝手に野次馬観覧席設置しては無責任投石するサービスじゃねーか。
何故かとんでもないことされた被害者のようなツラになってピーピーいう。
俺は俺の書いたことについて異議や不服があればいくらでも受け付ける。
連中が何か気に入らんというなら異議をきちんと読んで応答するぞ。
おめーらはそれすらしねえで逃げるじゃん。
わきまえて口開け。
akutsu-koumi
これだけ長々と書いておいて、肝心なピクシブの「牧場学園」をスルーしている時点で色々とお察しください。
あっ、わざと大きな突っ込みどころを用意してバズろうって肚かな?
2022/05/10
次は「さっき見たときはなかった!後で書き加えた!」とか言い出すのかね?
hirorpt1
Togetterまとめタイトルの「マッチポンプ」とは、いつもの憎クリさんの雑な煽りでしかないけれど、
「牧場学園」というコンテンツに自分から火付けしていたことなら観測されているからな。
さすがに擁護しようがない
2022/05/11
俺は正直白や小山に比べて青には興味惹かれないから普段の言動とか詳しくしらんし
「こいつはこういうことする」「こういうことはしない」みたいなこと言えないんだけどさ、
あのまとめを見る限りでは火付けなんかしてないと思うんだよね。
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。
言いたいことはわかるんだけど、声が変わるのはテレビを音だけで見ている人(ながら見の人や視覚障害者とか)に対して「発言している人が変わった」ことを理解させる意味もあるんだよね
ゼレンスキーが話しているときもプーチンが話しているときも同じ声だと、今話しているのは誰なのかがわかりにくくなってしまうんだ
映像を見ている人にとっては問題にならないことだけれど、映像を見ていない人や見ることができない人からすると同じ声で吹き替えられることは大きな障害になりかねないんだね
そういった事情で意図的に声を変えているわけで、これは演出ではなくてアクセシビリティの観点からの工夫と言えるだろう
ついでに言うと、これは多くの人が誤解していることなんだけど、実はニュースの吹き替えで声が変わるときに声優が変わっていることはほとんどない
ニュースの地の文を読んでいる一人のナレーターが声色を変えて全ての吹き替えを行っていることがほとんどだ
一つのニュース映像に何人もナレーターを起用するのは手間も時間もかかるから(特に、速報性の重視されるニュースだと複数人から収録するのは時間が惜しい)、一人のナレーターに演じ分けてもらうことになるわけだ
だからナレーターは子供から老人、優男から強面まで全部一人で演じ分けてるんだよね
元増田の見たニュースも、たぶん同じナレーターが声色を変えてゼレンスキーとプーチンの吹き替えをやっていたんじゃないかと思う
まあ流石に性別の違いは超えられないから男性と女性が一人ずつの2人体制にはなるんだけど、男性の声は男性一人、女性の声は女性一人が担当するのが基本と言っていいだろう
そんな事情を踏まえつつ、一人二役で視聴者に別人が話しているように聞かせるにはどうしたらいいかって考えてみよう
すると、一方はいわゆる善人的な声色に、もう一方はいわゆる悪人的な声色に葺き替えるのが違いを出しやすいし聞いている人からしてもわかりやすい
意図的に善人や悪人を演じようとはしないまでも、なるべく別系統の声色を意識すれば結果的に善人的悪人的な声色になりやすい、となる
……という事情があってのあの声色の使い分けをするに至っているんだよね
ちなみに、吹き替えの話になると「不自然な役割語を使うのをやめろ」という指摘もよく出てくるけど、これも同じ様な話なんだ
一人の演じ分けだけでは今話しているのは老人なのか中年なのか若者なのか子供なのかを表現するのには限界があって、だから役割語に助けてもらっている
吹き替えのしやすさと耳だけで見ている人に対するアクセシビリティを考えているというわけだ
で、話を戻しつつさらに踏み込んだことまで考えるなら、その善人的な声色と悪人的な声色をゼレンスキーとプーチン、どちらにあてがうかの判断が作為的ではないかって指摘が出るだろう
でも、残念ながらそれについては「ディレクターや音声担当がそう判断した」としか言えないんだ
ゼレンスキーとプーチンの声を逆にしてもそれはそれで作為的だって言われるだろうからこれは押し問答にしかならないだろう
声を使い分ける以上は、残念ながらこの指摘についてはこれ以上言えることはないと思う
長くなったけど、吹き替えの声を変えるという行為は決して余計なことじゃないし、邪魔をすることが目的なわけではないってことを理解してもらえると、末端ながら報道に関わる身としては嬉しい
タイトルやってみたかっただけ。あと他人の話題にかこつけて自分の好きなものの話がしたいだけ。
あとトラバ、演劇関係が自意識過剰? 新感線が30年前? バーカ! 一生そこで半可知識でしたり顔しながらネチネチやってろ!
さて、劇団☆新感線のことを初めて聞いた人が「2.5次元みたいなことですか?」というのは、当たらずとも遠からずではないかなと思う。
というか2.5次元舞台の多くは新感線の影響下にあるのではないか(数が多すぎるのですべてを把握してはいないが)。
あと、新感線は2.5ブームが来るはるか前に犬夜叉を舞台化していたりするし、距離としてはそこそこ近いと思う。
共通点としては、宮村氏の言う通り、漫画やアニメの世界観を舞台の上でやろうとしてること。
これは話の筋立てや演出もそうだが、往年の漫画の熱気みたいなものを再現する美学みたいなものが共通していると思う。
新感線の舞台は往々にしてかなり過剰にSEを使うのだが、漫画の描き文字の再現と思うと納得がいく。
漫画やアニメの世界観、いいところ、を舞台でやろうとしていることは共通しているが、
舞台のために漫画の良いところを抽出して作り上げるのではやはり出来上がるものが違う。
あとはまあ2.5次元は企画ありきで役者を集める形式が多いのに対し、
劇団☆新感線は「所属劇団員」がいる。ほとんどの主役級は客演の有名役者がやるが、脇を固める劇団員の安心感というのはある。
大きく分けて以下の3つ。
いのうえひでのり演出で上演される時代物。戦国時代モチーフや神話モチーフが多い。
ストーリーは人間の業的なものを中心に据えたものが多く、人がバンバン死にがち。
「髑髏城の七人」、「アテルイ」、「阿修羅城の瞳」、「蛮幽鬼」、「蒼の乱」、「偽義経冥界歌」など。
「Rシリーズ」が正式名称っぽい、ロックミュージカル色の強いもの。
ストーリー内容は割と多岐にわたる。
「五右衛門ロック」シリーズ、「SIROH」、「メタルマクベス」、「Vamp Bamboo Burn」など。
パロディネタが多い。3系統の中では劇団員の占める割合が多い(他シリーズは客演が多い)。
「轟天」シリーズ、「花の紅天狗」、「レッツゴー!忍法帖」、「月影花之丞大逆転」など。
ただどれもギャグシーンは多いし、歌の多い「いのうえ歌舞伎」もあるし時代物の「音もの」「ネタもの」もある。
演劇は高いだとか都市部でなければ見れないだとかと当たり前のように言う人もトラバに散見されるが、
劇団☆新感線に関して言えばゲキ×シネという全国映画館での上映を2004年から続けている。
実際の舞台の撮影ではあるが、何台も仕掛けたカメラによるカット割りがされており映画として見やすくなっている。
(知ってて当然という話ではないが、彼らの不断の努力を、「演劇」全般へのルサンチマン発露のために勝手に無に帰すのはあまりに勝手だなと思う)
なお、今は動画配信でかなり安価で観られるので下記に一部紹介しておく。
戦国時代の終わりかけ、死んだはずの信長の異名「第六天魔王」を名乗る男が現れたことによるあれこれ。
人情噺もつらい過去も凄惨な戦いも少年漫画的な展開もしょうもね~ギャグも、全部乗っけ盛りの濃厚さ。
脚本は座付き作家の中島かずきで、「グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」なんかの脚本の人と思えばなんとなく近い。
1990年の初演以来7年ごとに再演し、役者や演出を大きく変えている。
初期は主人公の「捨之介」と悪役の「天魔王」の一人二役の演じ分けがみどころだったが、2011年の上演版以降はその二人を別人が演じることも増えた。
その代わり、「無界屋蘭兵衛」というキャラクターの注目度が高まっていて、
そのきっかけを作ったのはおそらく11年に蘭兵衛を演じた早乙女太一のあまりにも華麗な剣捌きだと思う。
配信で観れるのは2011年「ワカドクロ」と17~18年に連続上演した「花」「鳥」「風」「月」「極」。
個人的に好きなのは「鳥」で、森山未來と早乙女太一の身体能力オバケ二人による殺陣は鬼気迫るものがあるが、全体の流れから言うとキワモノなので2本目にお勧め。
いのうえ歌舞伎。「モンテ・クリスト伯」を翻案し、架空のアジア風世界を舞台にした復讐譚。
上川隆也演じる主人公が自分を落とし入れ親友を殺した相手に復讐する話で、ずっと怒りに目を見開いており怖い。
堺雅人は「ニコニコ顔の最強の暗殺者」という完全に漫画のキャラ立てなのだが、息をつかせぬストーリーの展開によりいつの間にか受け入れてしまう。
このころの中島かずきはこういうどうしようもない人の業により悲劇が加速するような話をやたらめったら書いているのだが、
その、己の業によりずたぼろになっていく人の描き方に容赦がない。
個人的に新感線にはまるきっかけとなった作品なので思い入れが深い。
あと、この作品により稲森いずみが大好きになった。舞台初出演とのことで慣れてはいなかったのだろうがあの細い体で舞台を圧する瞬間に目を奪われた。
音モノ。「五右衛門ロック」「薔薇とサムライ~五右衛門ロックⅡ」「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ」の三部作。
古田新太演じる石川五右衛門が、どっかの島の危機を救ったり、スペインぽい国の危機を救ったり、帰ってきて宝探しをしたりする。
いのうえ歌舞伎的な陰惨さはある程度影を潜めているが、話は冷静に考えると割とヘビー。
ただ、どんなに悲惨な展開で善玉がひどい目に遭って悪者が高笑いしていても、最後に五右衛門かっこよく登場して何もかも解決するので最後はスカっとして終る。
「新感線の看板役者・古田新太」というイメージの具現化みたいな作品だと思っている。決して二枚目ではなく飄々としていて最後に決める。
ショタ好きのおっさんに犯される設定のオナニー(※増田は30代後半)にハマっている
まずペドのおっさんになりきって自分のズボンを降ろす。すかさずショタに切り替わって「イヤだ!やめておじさん!」と心のなかで言う。そしてまたおっさんに切り替わって「ギンギンだねえ……ペロペロしちゃおっか」とパンツを脱がしフェラされてる設定でしごく。少年のチンポをむさぼるおっさんと嫌がる少年の一人二役を忙しく演じる。そんでオナホを投入してケツ穴にいれさせられた設定でまた一人二役する。
これがもう最高に気持ちいい。レイプ願望(攻)とレイプ願望(受)が同時に満たされる。一回女になってみたことがあったけど、おっぱいないしマンコもないので難しかった。なので少年好きおじさんと少年に落ち着いた。