はてなキーワード: レーベルとは
彼のような発信力のある人がそんなこと言ったら、批判されるだけで何にもならないじゃん、という愚痴である。
著者が言うのは仕方ないかなとも思うけど、編集者の立場で言うのはナシだ。
まとめサイトとかで吹き上がれば外圧になる?ならないよ、版元の偉いさんの鈍感力舐めんなよ!
直近は男性向けラノベ。数年やって、最近現場を離れた。メディア化、中ヒットくらいまでは経験がある。
いまやっていることまでは黙っておく。
電子売上を逐一見れないというのはウソである。いや、平林氏は見れなかったのが本当ならウソというと語弊があるが。
Amazonはじめ、情報は取ればいくらでも手に入る(買うことも多い)。自分は週ごとくらいには電子売上を見ていた。
ではなぜ売上が見れないなどと平林氏ほどの人が言うかというと、会社によっては買ってなかったり、営業しか見られなかったりするからだろう、という問題の他に、
電子売上が見られても大した働きかけができない、というのがある。
ライトノベルで言えば、紙の書籍の売上数の10~20%くらいが電子書籍で売れている(モノにもよるがだいたいそんなに変わらない。売れたものでも売れなかったものでも似たような数字になる)。
10000部売れている本なら、それプラス1000~2000部の電子売上がある、と考えてだいたいよい。
そしてその2000部があったとしても、続刊判断とか重版判断の材料にはなかなかしにくい。というか、電子の利益は加味した状態で採算をとっている続刊判断なのだ。
この売上比率が50%を超えるくらいの外れ値をだしたら流石に考慮するに値するだろう、営業もバカじゃないので。だがそんな数字にお目にかかったことはない。
あと、紙の書籍は取次に納品すれば現金になるのでそこからイラスト、デザイン、DTP、校正とかの固定費を払うのだが、電子書籍は売り上げるまで版元に金が入らないので、固定費を捻出する別の財源が必要になり、それが中小だとそれがなかなか苦しく、紙である程度刷れない作品を出すのは難しくなる。
※実際いちいち取次と現金のやり取りをしているわけではない。念のため。
この辺、業界的になんとかならんかったんかと現場としては思うが、木っ端編集者としては何もできないので置かれた場所でやりくりするしかない。
紙で委託販売を維持するなら、電子書籍の納品でミニマムギャランティーとるとか?市場が死にそう。
委託販売がもう無理なんだろうな、とは思っている。取次の流通能力もかなり落ちていて、システムが崩れていく最中だというのは感じる。書店も体力ないし、その書店ならでは施策が上がってくることがどんどん減っている。
電子を毛嫌いする編集者とかもまだまだいるけど、全体の流れとしては、現場では電子軽視の雰囲気はなくなってきている。確実に利益になるし、個人的には紙の客を奪っているとも思わない。
ただ、印刷費がないから利益が増えるんでしょ、というほど簡単な話でもない。AppleやGoogleだと3割ぶっこ抜かれるし、Amazonも条件きついし。
電子書店用のプロモーション方法が確立されていないのも難しい。やっぱり欲しいものをピンポイントで検索して買うことが多くて、書店の店頭をざっと見るような買い方とは違ってしまう。でも頑張らねばならぬ。
平林氏は星海社だから、音羽基準の話かもしれない。音羽みたいにクソデカ規模になると、ランキングとかも追いきれないのかもしれないね。普通に仕組みの開発を怠っていただけだと思うけど。
自分は、作った本のアマランくらいは追っていたし、会社でもデータとっていた。だいたい悲しくなるから見たくないけどね、仕事だから。
だから平林氏もそういうこと言うのか……という(勝手な)失望があり、見る人がいるのかわからない無駄に長いこんな文を書いている。
ただ実際問題、初速が出なかった商品がその後売れるようになるかというと、少なくともライトノベルにおいてはほぼありえない。
いまの出版システムが、どんどん新刊をつくって納品して、書店の棚を回転させ続けるというかたちで成り立っているので、1ヶ月も新刊が書店に置いてあることが稀なのだ。
都心の書店を見ていると棚が充実しているのでわからないが、地方の中規模郊外店なんかだと顕著だと思う。
特に回転が早いのがマンガとライトノベルの棚で、もう新刊点数が多すぎる。一般の文芸文庫なんかはもうしばらく残るので、それなりにジワ売れもしたりする。
ラノベで初速が出なかった場合、あとから売れる例外は「このラノ」1位をとるくらいだろう。そういう意味では『錆喰いビスコ』は羨ましい。売上ランキングからはわからない埋もれた面白い作品を取り上げるという、「このラノ」のもともとの趣旨にもあってるしね。俺の編集した作品のほうが面白いと思ってるけど!
あとはマツコ・デラックスが取り上げるとか?そういう外部要因がないと難しい。
アニメ化でもない限り、新刊のタイミングが最も耳目を集めやすく、書店もそうでなければ置いてくれない。
紙で初動出なかったけど、電子書籍はめちゃめちゃ売れてます!というケースも寡聞にして聞いたことがない。少なくともライトノベルでは。
マンガは識者も多いし、映像化もじゃかすかあるから、埋もれた名作があとから売れることもあるかもしれない。ジワ売れもたぶんラノベよりはあるだろう。
初速が出なくても、そういうのを待って考えれば?と言いたくなることもあるかもしれない。ただかなりのレアケース、宝くじみたいなレベルだと思う。
版元に好意的に解釈すると、作家の人生を考えたときに、売れなかった作品を売れるまで待つくらいなら、次の作品で売れることに賭けた方がいいよね、という話だと言えると思う。
特にマンガは兼業でやるのが難しいし、並行連載ができる人も限られた一握りの筆の早い人だけだから、諦めて次にいく、という判断を早めにするべきだということなのではないか。
会社員の編集者は既刊が売れるまで待ったりそればっかり宣伝していても上司に怒られるだけで給料はもらえるが、その間、作家にはお金をあげられないわけで。
版元の本音を言えば、売れない作品にかかずらってないで別のやればいいじゃん、ということになる。これはまあ商売だからある程度仕方ないよな、と自分で納得するしかない。せめて続きが出ないときには、そう読者に言ってあげるのが誠実なんだろうな。
他の作品で売れたときに、過去作の続きを書かせてあげるご褒美システム的なものは電撃文庫などでやっていたけど、過去作の方の続きは結局売れないんだよね。
問題意識はあるのだが、目の前の本を作って飯を喰うので精一杯、業界的に旗振れるような立場があるわけでなし、独創的なアイディアがあるわけでなし……
無力感を覚えるので、業界構造について考えるのはしばらく前にやめてしまった。
一通り書いた結果、結局ユーザーに甘えていることを言い訳しているだけになってしまった気がする。
ただ初速で、というのを変えるのは難しいよなあ……。たとえば新発売のお菓子だって、初動の売上悪かったら生産量落とすと思うし。
統計ではラノベ市場が伸びていると言われることがあるが、数字上の話であり、実感としては縮小している。
点数・金額が増えているのは、いわゆるなろうモノをやるレーベルが増えており、合算しているから。
文庫市場は小さくなっている。特に新作を伸ばすのがめちゃくちゃ難しい。
B6、四六判市場も飽和しており、1作品あたりの売れ部数は少なくなっている。というか、読者の絶対数が少ないのに参入障壁が低いからってわらわらと各社レーベル作りすぎである。
ここ2年で四六判に参入したレーベルでマトモに売っているところはないので、もしなろう作家がいたら、悪いこと言わないから新しいところはやめておけ。
eb、カドカワBOOKS、GA、HJ、MFBあたりを狙いたい。アース・スターとGCとOVLもそこそこ。レジェンド、マッグガーデン、ツギクル、ドラゴンノベルス、サーガフォレスト、BK、プライムノベルス、Kラノベブックス、ガガガブックス、Dノベル、宝島社、ディヴァースノベルには自分が著者だったら渡さない(個人の見解です)。電撃の新文芸もアカンっぽい。というか四六判レーベル多いね……
他社のレーベルは早く潰れればいいと思っていたし、なんなら自分のいたレーベルもラノベ市場のことを考えたらやめるべきであった。会社員だから無理だけど。低クオリティのものが量産され過ぎている。
なろうはクオリティを低く妥協しようと思えばいくらでも妥協できるので……
現場としては何言ってんだだが、音羽一橋飯田橋の偉いさんには届かない。
思えば漫画村からブロッキングの時点で現場は「はぁ……?(呆れ)」みたいな感じである。
長くなったし疲れた。
思いついたらまた書く。
結局何が書きたかったかというと愚痴なのだが、冒頭にも書いた通り、ネガティブな業界問題をお客さんに押し付ける宣伝はしてほしくない。俺は怒っている。
みんなが不快な気持ちになって、よく知らない人には「出版ってこんなに駄目なのね」って思われて、従来のファンは「業界は進歩しないのね」って思われて、そのうち愛想つかされる。
もっとポジティブに、面白い!すごい!神!って言って楽しい気持ちで作品をひろめていこうと思っているし、みんなそうあってほしいです。
>昔は電子0%だった~
一理ある。でも同時に各作品の刷り部数も売れ部数もどんどん下がっているから、そして全体のコストは下がらない(たぶんほぼ人件費なのでそこまで上がってないとは思うけど)から、そこの穴埋めに充てちゃってる現状だと思う。
特に一部大手は編集者のコストが高すぎるとは思っている。給料も高けりゃ経費も使いすぎ。まだ90年代の頭してる。
ほんとうにござるか
ミニマムギャランティとかを仮に導入したとして、マンガ、ラノベ、ビジネス書のベストセラー、エロ以外の電子書籍は死ぬと思う。
マジで売れてないので、電子書店が入れたがらなくなってしまう。
返品同様、売れなかった電子書籍に対しては版元がお金返すとか?
リアル書店の仕組みとして良し悪し両面あるものの、返品できるから気楽に店頭に並べられるというのはあると思う。出版文化の多様性に寄与している。
電子営業やったことないし肌感覚が足りないので、あまりわからないことにこれ以上言及するのはやめておく。
これも一理ある。俺も期待している(誰か、もしくは未来の俺に)。
データに強い人、分析ができる人というのを版元は重視してこなかったから、そういうプレイヤーが業界にいない。
たとえばそこの売上5%の差違を分析する間に、『SLAM DUNK』の復刻版がめちゃめちゃ売れるわけだから、そっちの仕事した方が儲かるし高い評価になっちゃう。
経営層にもうちょい踏み込ませないと、というのは内部的な話なのでもっと頑張りたいところですね。
バズった!初めて増田書いたし普段はてブもホッテントリみるだけだったから、不思議な気分。仕事するふりして更新しちゃう。
みんな出版業界の話好きね。こういう関心持ってもらえるうちが華だから……
レーベルの話とか筆が走ってぶっちゃけて書きすぎたし、違法ダウンロードの話は要らんね。いま編集者の立場で発言するなら触れとこうかと思ってしまったけど。
文庫と四六判は別で考えてるし、人によって版元や編集者の良い悪いの条件は変わるから、話半分程度で。
基本的に、やったことのある範囲の話しか知らないし、大きくズレてはいないと思うけど他社の話はまた違うと思うので、絶対じゃないよ。
読んでくれてありがとう!
下手、読みにくいと思った人は、良かったら具体的にどこが読みにくいか教えてほしい。参考にする。
自分の書いた文章なので、読みにくさをなかなか感じにくいのです。
平林氏は若くてめちゃくちゃすごい有能な編集者で、ベストセラーたくさん出してる。マジですごい人。担当作もだいたい買ってる。
でも電子売上が見れないとかの主語が無駄にでかくて嫌で、初週売上とかでお客さんを脅迫するような言説も嫌で、星海社で社長と直接話ができるような立場にいた人が、手詰まりで必死な作家と同じような宣伝をするのに勝手に悲しくなって、勢いで書いた文章なので、触れざるを得ない。
ここ読みにくいね!
編集者ではなく作家に近い立場になったので、言いたくなる気持ちはわかるけど。
実名でやれって一蹴されたのも、そりゃそうだと思います。向こうは顔出してるんだから。
でも実名でこれ書いたり議論したりして、俺の担当作品が売れるようにはならないからね。
>お前ら内輪の事情なんぞ知らん、的な
その通りだと思う!
だからそういう暗くなること言って宣伝するのやめたいねっていうのが本義。余計なこと書きすぎた。
あと、電子でも紙でも好きな方で買ってください。売れればOK、ちゃんと数字は見てる。
そして読んで、面白かったら「面白かった」ってツイートしたり知り合いに薦めたりしてほしい。
KADOKAWAのブックウォーカー優先も終わって、大手ラノベレーベルはどこも紙と電子同発になったんじゃないかな。そもそも配信してないところを除いて。
業界のことは俺たちプレイヤーが考える問題、本来お客さんに押し付けるものじゃない。
でももし外から新しいことを考えられる人が来てくれるのなら、歓迎したい。そういう意味で、いま感じている実状を書いたので、提言してくれるのはすごく嬉しい。
なんで諦めてるんだ、偉い人はなにやってるんだってトラバにあるけど、結局頭が切り替わらないと無理なんだと思う。
古い体制にしがみつく編集者にはなりなくないから、自社内でチマチマ動くことや、社外でも同世代と意識を共有することは少しずつ。
自社だけ動いても意味がなく、せーのでみんなで変わらないといけないことだと思うので、大手を説得できるようになりたい。材料も能力も足りない。
ウォークマンでアニソン聴いてると、ランティスだけほかのレーベルに比べて明らかに音質が良くない(曲自体の良し悪しではない)
こういう事に関する語彙は貧しいのだが、なんつーかのっぺりしてる
昔からこうだったのかもしれないけど、自分がちょっとずつオーディオ環境を整えてきたから気づくようになったのかもしれない
リッピング・エンコード・再生の環境は、あたりまえだけど他のレーベルも同じ
もちろん他のレーベルのCDの中にもあんまり音質がよろしくないものも存在するけど、ランティスほどコンスタントにハズレばっかりってことはない
ランティスの曲→他の曲、って順で聴くと、たまに曲じゃなくて音質に感動することすらある
あと、たまに(アニメとタイアップしてたりする)非アニソン歌手のJ-POPとか聴くと「あー、なんだかんだでちゃんとしてるな・・・」ってなる
「そんなに音質にこだわるならCDじゃなくてハイレゾ聴けよ」って言われるかもしれないけど、いや、そうじゃなくて「CDの規格の中で可能な限りいい音質を追求してくれよ、他レーベルはちゃんとできてんだからさ」って話なんだよ・・・
どうせどっかのレーベルが潰れてもそこで出るはずだった作品は他で出るでしょ。
富士見ミステリー文庫がなくなっても結局他のレーベルから妙ちくりんなミステリーは出てきてるわけじゃないのよ。
コバルトにしろ他のラノベレーベルにしろ、新規の若い読者が全く獲得できてないイメージ。
作家と読者の年齢層はどんどん上がり、健全な成長をした読者はラノベを卒業し、卒業できない残念なおっさんおばさんだけがラノベを読み続けてる。
子供の頃は1リットルちかく牛乳を飲んでいたこともあったけど、今は乳糖不耐。
子供の頃はスカートを履いて逆上がりに利用していたけれど、今は冷え性になってズボン以外履かない。
昨日生まれてはじめて「白髪染め」をつかってみた。もちろん子供のころにそんなものを使うようになるとは思わなかった。
それと同じように子供の頃はりぼんからのコバルトを読んでいたけれど、今は同じ作家さんが同じように年老いて同年齢向けに書いてくれていても続編でもないし表現手法そのものがもうものたりなくなってる。コンテンツに対して「わくわくする」とかではなく「懐かしい」以外の感情が湧かないならコンテンツに対して失礼なので買わないほうがマシ。それより若い才能ある作家さんの本を買わないといけない。
評判の映画も見に行けていないしお芝居は気力さえないしテレビアニメさえ1月クールのものを1本も録画できていない。っていうか先月テレビをとうとう撤去してしまった。
手元にあるものでさえ残りの人生でしっかり読み切れるかわからない。
もちろん、わざわざ古いレーベルの本を買って他人なり子孫に押し付ける気もない。あなたたちのわくわくはあなたたちのものなんだから。
S黄尾、ちょーシリーズ、楽園の魔女たち、影の王国、汝翼持つ者達よ、とかまだ手元にあるー!!今でもたまに読み返してる!!
榎木洋子、毛利志生子、片山奈保子は全シリーズ追いかけてたの懐かしい!!
完結してほしいなぁと思ってずっと姫君と婚約者も残していたけどかなり前に諦めて処分してしまったなー
短編の連作が多い作家さんのシリーズなんかはキャラクターがいろんな作品に出てくるからブックオフを巡って買い集めたのも懐かしい。
初めてBLに触れたのも立ち読みしたコバルト文庫のあさぎりゆうだった。百合もマリみてが初めてだった。SFの初めて読んだのはMAMAっていう作品だった。
中華モノとか歴史モノとか、漢字も多くて難しい感じがして手を出せなかったけど、今でもあれ読んでみたかったなーって作品たくさんある。ブルーグレーの背表紙の中華マフィアBLモノも読んでみたかった。
大人になってからはなんとなくコバルト文庫だと物足りなくて普通の(?)文庫読むようになったし、他にもたくさん面白くて手軽なコンテンツがあるから今から読むかって言われると読まないけど、青春の思い出って感じで、とにかく懐かしい。
今時の子たちも、コバルト文庫じゃなくても良いけど、大人になってからも一晩語れるくらいに好きだったレーベルとか持ってほしいなー
ソノラマ文庫と並び、ライトノベルレーベルの先駆けとして1976年に創刊されたコバルト文庫。
その命脈が尽きかけようとしていることをご存知だろうか。
公式サイト(2016年に休刊となった雑誌Cobaltの代わりを務めるWebマガジンCobalt)の最新刊のところを見ていただくと「電子オリジナル」と書いてあると思う。
そのとおりコバルト文庫では、数ヶ月前から電子書籍のみで発売される作品がラインナップされるようになった。
そして、ついに今月は新刊が二作品とも電子オリジナルに――すなわち「紙の新刊がまったく発売されない」ことになってしまったのである。
電子書籍がそれなりに普及した昨今とはいえ、それに絞ったところで売上が上向くとは思えない。
消えゆくレーベルの末期のあがき…と言えば表現は悪いが、そのようなものと受け取らざるを得ないだろう。
コバルト文庫がこれほどの窮地に追い込まれていたことを、多くの元・コバルト読者たちは知らないのではないか。
そう思って、この記事を書いている。
正直に言えば、私はコバルト読者ではない。
以前は「マリみて」や「S黄尾」を読んでいたこともあったが、たとえば最近の作品を紹介して勧めるようなことはできそうにない。
だから、ここでするのはお願いだけだ。
かつてコバルト文庫を読んでいた方々は、どうか現在のコバルト文庫を再訪してもらいたい。
現在のコバルト文庫を読んでいる方々は、どうか最近の面白い作品について語って欲しい。
半世紀近い歴史を持つ「ライトノベルの母」を、このまま静かに見送るだけではいけない。
決定的なニュースが流れてから「知らなかった」「好きだったのに」と後悔するようなことは無いほうがいい。
いまさら趨勢をひっくり返すことは難しいだろうが、少しでも賑やかすくらいはできるのではないかと、そう思う次第である。
実のところ、集英社の女性向けライトノベルレーベルとして「集英社オレンジ文庫」は好調のようである。
http://orangebunko.shueisha.co.jp
こちらはいわゆるライト文芸のレーベルであり、コバルト文庫を「りぼん」とすれば、オレンジ文庫は「マーガレット」にあたるだろうか。
「コバルト文庫は応援したいが、いまさら少女小説はちょっと…」という方は、オレンジ文庫の作品を読んでみてはどうだろうか。
姉妹レーベルであるオレンジ文庫が盛り上がれば、それはきっとコバルト文庫にとっても喜ばしいことだろう。
追記。
腐女子だけどツイッターもピクシブも二次創作もやってなくて商業BL作品ばっかり読んでるから楽しいよ
唯一の悩みは購入する作品を厳選するのが難しくなってきたこと(レーベル買いとジャケ買いするのはやめたい)と、
男性声優×ラップのヒプノシスマイクが女性キャラクターの立ち絵を公開した件でまた炎上している。私調べで1週間ぶり5回目の炎上。燃えすぎ。もはや燃えカスになっているのではないかと思いきや、まだ燃えてる。すっごい。
かくいう私も1週間くらい前、新しいドラマトラックの公開を機にヒプノシスマイクを降りた。コミカライズ1話を読んだ時から降りるか降りないかウジウジ悩んでたんだけど新しいドラマトラックが酷すぎて秒で降りることを決意した。ちなみにヨコハマ推しだった。
降りた後は、一応かなり思い入れのあるジャンルだったので、RADWIMPSの「もしも」の「もしも時が戻るならば純粋そのものだった君にまた出会いたい もしも時が戻らぬなら素晴らしかった君に恋してた僕のままで」という歌詞に自分とヒプマイを重ねてシクシク泣いたりした。完全に彼氏と別れた後みたいな感じだった。
だって過去のヒプマイは本当に素晴らしかったのだ。こう言うと何だか古参面してるみたいでイヤらしいが本当に割と古参だったので許してほしい。
そもそもが2017年の秋に始まったプロジェクトなので古参も新参もクソもない気もするけど。でもヒプノシスマイクというジャンルを新と旧の大きく二つにわけると、その分かれ目はあのめちゃくちゃバズったバトルアンセム(全員が歌ってるやつの二曲目)が公開された頃ということにはなると思う。むちゃくちゃかっこいい曲だったよね。かっこよすぎて、初めて聴いたとき「こんな幸せでいいの?」って泣いたし。
あの曲のおかげでヒプノシスマイクというジャンルが本格的に世間に認知されるようになったのかなと思う。し、同じように思ってる人も多いはず。
さてそのようにして2018年夏頃人気を爆発させたヒプノシスマイクだったが、この後から雲行きが怪しくなり始める。仕上がっていない声優のいるライブ。まったく出ない円盤(でも映像はあるらしい)。音ゲー化決定。歩数計バトル(これは面白かったけど)。バトルの勝者に贈られる賞品(これは賛否両論あるけど、物議は醸した)。
そしてCDについているドラマトラックの、脚本。これに関してはかなり早い段階からおかしくなり始めてはいたのだ。というかそもそも最初からおかしくはあった。でもそのおかしさがなんか面白かったしウケていた。ように思う。
声だけで展開されるので、多少キャラクターがブレていてもトンチキな言動をしていても私たちはそれをスルーというか、見て見ぬ振りをしていた。もしくはなんかいい感じの妄想で補って脳内でいい感じの方に持っていっていた。
私は入間銃兎推しだったけど、ドラマトラックで彼が中高生に喧嘩を売り始めた時点で「ん?」とはなっていた。でもそんな気にしてなかった。
もう一回言う。そんな気にしてなかった。というか気にしないようにしていた。なぜならヒプノシスマイクにおいて最重要なのは楽曲であり、ラップバトルだったから。曲とラップがむちゃくちゃ楽しかったのでストーリーはまあそんなに気にしなくていいかな、て感じだった。
しかしそのようなスタンスだった私のような者に致命傷を与える事件が起こる。
これに関しても、最初は「へー!コミカライズ?立ち絵数枚の推しがついに……」みたいな感じだった。だってコミカライズって、"スピンオフ"でしょ?って感じだったからである。
インターネットの奥地でこんな愚痴を読んでいる人は全員知っていると思うけど、知らない人もいるかもしれないので説明する。ヒプノシスマイクはキングレコード内のレーベルが手がける「男性声優×ラップソング」のプロジェクトである。
その言葉の通りオタクコンテンツでヒップホップのガチ曲を男性声優が正々堂々と歌う。そしてファンが得られる情報は公式HPの立ち絵とキャラ紹介と楽曲とCDに収録されているドラマトラックのみ。完全に"音"がメインで展開されていくジャンル。
一体誰が、そういった音楽がメインのジャンルで、突然コミカライズがストーリーの本筋を描き始めると思うだろうか?
誰も思わん。私も思わなかった。周りのみんなも思ってなかった。不意打ちだった。
別にドラマトラックをなぞるだけならいい。それならあくまでメインは、ドラマトラックであり、耳から入る情報だから。けれど三つある(なんで三つもあんの?)コミカライズのうち一つは、作中で伝説とされているグループTDDの結成から解散までを描く前日譚だった。それだけならまだいいよ。本編の補完って感じなら、別にいいよ。
でも、世界観の重要な設定とか、今後のストーリーに絡んでいく新キャラとかをコミカライズで出すのは流石に違う。
違うでしょ。違うよな?私の感覚がおかしいのかな?そんなわけないよね?だって実際かなり燃えたし。
今まで"音"がメインだったわけですよ。楽曲とドラマトラックのみでストーリーが展開されていくっていうワクワク感が私は好きだったわけ。わかるか?わかってくれるよね この気持ち
それにドラマトラックをなぞるだけならまだいいってさっき言ったけど、音声だけならスルーできていたキャラのトンチキな言動とか、ちょっと現実離れした設定とか、視覚化されたら、もう見て見ぬ振りできんのですわ。もう見逃してあげられない。嫌でも目に入ってくる。圧倒的違和感。
と、いうわけで冒頭に書いたみたいにコミカライズ1話を読んだ私はかなり悩んだ。理由は上に記したことと、もう一つ。ストーリーがすんごいつまんなかったから。もう話が矛盾してるとか破綻してるとか世界観があやふやすぎるとかこのご時世にジェンダーに関わる話にするならもっと考えなよとか色々全部ひっくるめて、「つまんなかった」で表現してもいいか?いいよ
それでも過去のヒプノシスマイクがむちゃくちゃ楽しいジャンルだった(お正月remixとか)ということや、仲の良いフォロワーがいることなどを考えるとなかなか離れる踏ん切りがつかなかった。
もしかしたらコミカライズはこれから先面白くなるのかも。話も辻褄があうのかも。もしくは、コミカライズは読まないでCDだけ聴けばいいんじゃないか?今までだってCDとドラマトラックだけでこのジャンルは成立していたんだし。ね?
コミカライズ読まなければいいんじゃない?楽曲を楽しんで、ドラマトラックだけ聴けば話がわかるんじゃない?ね?
だってCDが、楽曲が、ドラマトラックがメインの原作でしょ?だよね?ね?ね?そうだよね?ね?
違った。1週間くらい前にyoutubeで先行公開された、次のCDに収録予定のドラマトラック(てか30分全部公開とか、CD売らん気か?)。コミカライズに登場した新キャラたちの名前が当然のように出てきた。
つーか名前がキラキラネームすぎて目で受け取った情報と耳で聞いた音とがイマイチ合致しないけど、当然のように名前出てきた。あとキャラクターの1人の口調が変わってた。そんなのありかよ
コミカライズを読んでいない人は、確実に話についていけないだろう。
というか読んだ私も話についていけなかった。
全員別の人みたいだった。
そこで私はようやく、私の知っているヒプノシスマイクが全く別の、私の知らないヒプノシスマイクにいつのまにかすり替わっていることに気がついたのだ。
こうして私はもうこのジャンルについていくことは無理で、私とヒプノシスマイクは完全に志を違えてしまったのだという実感を得てRADWIMPSを聴いて泣くことになる。
以上、ジャンルから離れて微妙に日数経ってるのに、オトメイトが関わっているジャンルで既存キャラのイラストも数枚しかない状態で女性キャラの新規絵を出したヒプノシスマイクが面白すぎて我慢できなくてこんなん書いてしまいました。
コミカライズが無理で、ストーリーが無理で、新しいドラマトラックが無理で、と言うと必ず「脚本家はずっと一緒の人なのになんで急に無理になったの?」という疑問をぶつけられますが、それはつまり、こういうことなのです。
見て見ぬ振りしてきたところを、見て見ぬ振りできなくなったから。
そして見て見ぬ振りできなくなるような売り方に変えたのは公式です。いやまじで公式に恨み言とか言いたくないし、私ヒプノシスマイクのこと大好きだったから、本当に、別れるのは辛い。横浜とかなんかもう元カレとの思い出の場所みたいになった。
私だって出来ることならずっとヒプノシスマイクを応援したかったし推しのことを好きでいたかった。でも無理になった。公式の売り方のせいで。
変わったのは私じゃない。ヒプノシスマイクだ。そしてそれに怒るのは絶対に悪いことじゃない(すごく攻撃的になるのは違うけど)。私は自分勝手なので、これだけは言いたかったんです
odakaho 予言するけど10年後には異世界文学が新感覚派とかプロレタリアみたいな文学の一派に扱われて芥川とか普通に受賞してると思う。
こういう話題になると無責任にこんなこと言う人が必ず出てくる。これはこの人の願望なんだろうけど。
ラノベ作家やなろう作家を細かく分類するカテゴリーはできててもいいだろうけど、それが文学として評価されることはないと思う。
東野圭吾や宮部みゆきや筒井康隆だって何らかのカテゴリーには入ってるんだろうけど、べつに文学として評価されているわけではない。まあそもそも菊池寛が文学として評価されてないわけだが。
ラノベは登場からもうだいぶ経つけど、文学として評価されているなんて話は聞かない。人気作はラノベレーベル以外から出版されることはあるが、文学として評価されたということではない。そもそももとからラノベレーベル以外で出ている小説の方が圧倒的に多いのだから、一般向けに出たところでだから何という話である。あるいはハリウッドで映画化されても文学として評価されたということにはならない。映像化しやすそうなエンタメとして評価されただけだ。
ラノベはあくまでアニメ漫画などのオタクコンテンツの一部として取り扱われている。文学部におけるラノベ研究も多くは文学研究という形ではなくサブカルチャー研究という扱いだろう。ラノベは大人が真面目に議論するには題材がオタク向けで幼稚すぎる。
とりあえず芥川賞はないだろう。あれの選考方法を知っている人間なら誰もがそう思う。ノーベル文学賞の方がまだ可能性がある。というか、異世界だからどうしたという話だ。多くがゲーム設定の流用で別に新しいことは何もやっていないわけだし。ただオタクにとって都合のいい幼稚なポルノが受けているだけ。むしろ評価されるどころか、「あの頃のオタクの女性差別は」的な文脈で批判される可能性すらある。
前回(https://anond.hatelabo.jp/20190122051523)の続きです。
さまざまな理由から、化粧が出来ない、してくれる協力者もいないという人達に私は会ってきました。
病気や怪我を治療中の人、あるいは治らない障害を抱えている人が居ました。症状が出ないように薬を飲んでいて、副作用がひどいと教えてくれた人も居ます。
発達障害からの注意欠陥、嗅覚・触覚過敏、どれほど頑張っても自分では時間管理ができない人、神経麻痺で手が震えてしまう人、不安障害や、醜形恐怖のために鏡で自分の顔が見られない人も居ました。先天性もあれば事故による後天性もあります。
一見しただけではわからない、介助者もいない軽度の人ほど、偏見に晒されてつらい感情を秘めていました。「就活の時期はとても苦しかった」と胸の内を話してくれた人もいました。
それらは対話しなければわかりません。
生きるだけで精一杯の彼女達を外見で判断することは、とても残酷なことだと思いました。
初対面の人へ否応なしに恐怖を抱く人もいます。彼女達はあまりにも傷ついてるのです。だけど彼女達も同じものが好きな人なら、親身になって耳を傾けてくれるなら、素直に明るく話せる『普通の』人達でした。
彼女あるいは彼らが、趣味を楽しむことを、ドレスコードもないイベントへ素顔と普段着で行くことを、そのために外出することを、誰が止めて良いでしょうか。
作中では、腐女子の一人のバイセクシャル発言を、言い訳と切って捨てるページもありました。
腐女子仲間の交流という非日常でならカミングアウト出来る人達もいるのです。クエスチョニング(自分の性的嗜好がわからない人)も居ます。
女性の体で生まれた性自認が男性のトランスジェンダーであれば、彼もまた女性らしい化粧をひどく嫌がるでしょう。
男性の体で性自認が女性の人は、きれいな化粧をしたい彼女自身の願望を世間から嘲笑われて、ひどく悔しがることでしょう。
私自身が、長い間クエスチョニングの状態で、もしかしたら今もそうかもしれません。「雌雄何方でもない究極生命になりたい」などと本気で考えた頃もあります。そうしたキャラクターに憧れたことも。それを中二病や黒歴史と切って捨てる気はありません。
その頃に考えた数々の想像は、今の作品作りに役立っています。何がどう人生に関係するのかはわからないですし、簡単に嘲笑の材料にしてはいけません。
そして、結婚して子供をもつ腐女子の人達はカーストの上位に位置すると作品内ではほのめかされていました。
独身の私には、既婚者のまま交友関係を続けてくれる腐女子が幾人かいますが、本人達の多くは決してそんなことを思っていません。
切り詰められた趣味の時間を一生懸命やりくりしています。子供たちが幼く、預けられる人が居なければ、イベントに出ることもできません。離婚を経験している人も居ます。子供を産めない体の人も居ます。彼女達の苦悩を「自虐に見せかけた自慢」などと断定することはできません。
外見に気を使えない分、時間が限られている分、彼女達は会場で迷惑をかけないよう礼儀正しくいようと努力しています。
作家さんに送る差し入れを考えたり、相手が不快にならないような感想の手紙を丁寧に考えてくれます。他人の悪意に敏感で、日々変化する対人マナーを注意深く観察しています。
賢明な彼あるいは彼女達は、自分がなにか悪いことをしたら、自分を容易く卑下すれば、自分と同じ属性の誰かが心無い偏見を向けられると知っているのです。
自分を奮い立たせなければ、読みたい本を手に入れられないのです。彼女達にとってもイベント会場はまさしく「戦場」なのです。
主人公自身が我慢して「普通」を演じてるからといって、どうして不特定多数にもそれを押し付けて、勝手に審査してしまうのでしょうか。
腐女子として知り合ったのに、そこでしかできない話があるのに、なぜ、妹や会社の同僚にもできる彼氏の「恋バナ」を主人公はその中でしたいのでしょうか?
誰しもに欠落があります。いくら擬態を頑張っても、つつけば粗が見えることを知っています。
見下す主人公よりも、その嘲笑われた「誰か」に共感して悲しみ、怒るのです。これは腐女子も一般人も変わりありません。
ここまでくれば主人公の『欠落』は明確に見えてきます。恋愛パートナーの有無や、化粧や顔の出来などとは関係のないものです。
物語としては、この欠落を彼女が尊敬する『神』の作品で、あるいは腐女子の友人達との交流で埋める方向に少しでも向くと思わせられれば、得る物はあったであろうに、エッセイ漫画として面白くなるであろうに、無視したまま化粧と服装だけに固執し、自分以外の他人を嘲笑し苛つきだけ表現して、何処かで見たような「あるある」ネタとしても使い古された、見慣れたエピソードで彩られた孤独な「自分語り」に、なぜ終始してしまうのでしょう?
主人公が妹との会話で傷つくシーンがありますが、それもどこか核心からずれています。
描こうと思えばいくらでも描けて、周り込めばそれだけ「面白い」題材になるはずのこの欠落を、なぜ無視して、このように雑に扱ってしまったのでしょう。
であれば、必要なのは時間です。自分と他人を見つめなければ、表面的な出来事と自分の内面を掘るだけでページが終わってしまいます。
であれば、そのような『制限』を外すべきだったのです。悪意を放り投げてしまうより、収拾可能になるまで、試し読みの範囲に伏線を詰めて描くべきだったのです。
そのほうがずっと「面白く」「続きが気になって」読んでもらえるはずです。
その柔軟さと判断力が編集者に無かったとなれば、漫画を面白くできなかったのは作者だけの責任には留まりません。
私はそう考えます。
ツイッターの機能として、登録者の興味のある事柄から、自発的に検索しなくても、プロモーションやフォロワーのいいねがTLに流れることがあります。
日夜ツイッターではプロ・アマチュアを問わず真の意味で赤裸々な「漫画」が、作り手の欲望と善意によって公開されております。
読み手は気軽にそれらを楽しむことができます。なんの警戒心もなく、それを読めるのです。
つまりツイッターを利用している未成年の、思春期の「腐女子」あるいは「腐男子」達も、この「腐女子カースト」という作品を目にした可能性が高いと言うことです。
腐女子は皆が皆、18禁作品をたしなむ訳ではありません。未成年で、好奇心と不安を抱えたまま腐女子の世界に飛び込んだばかりの人達、現実世界では未来ある学生達がそこにいるのです。
悪意に慣れていない少年少女も当然います。もっと幼くて、ただ漫画というだけで熱心に読む子も居ます。今は内容がわからなくても必ず影響は残ります。『顔芸』と呼ばれる大ゴマをつかって笑わせることは、どんな幼い子供にも通用します。
子供達に対し、自由な想像の世界に生きる存在であったはずの腐女子達の中に「カースト」が存在するなどと言い含め、ある嗜好を持つだけで現実では最下層の証明になるのだという差別意識を植え付けて、その子たちの無意識に色眼鏡を与え、自尊心を摘み取ってしまっていいのでしょうか。
自分もどうしようもない存在だから笑って許して欲しい、などと言う虫のいいお願いを「いい大人」が子供へ果たしてできるでしょうか?
それとも子供達も自分と同じ目に遭いつらい人生を歩めと言うのでしょうか?
あの時から今もなお続く炎上は、腐女子ひいてはオタク達の怒りでありながら、撒かれた毒を浄化しようという一心不乱の活動でもあるのです。
それが見えない露悪的な人達はこの騒動を冷笑しています。私はそれを、昔の自分のように恥じています。
これについては個人の快不快に留まる問題ではありません。会社ではなく、一個人があのような悪意を撒いたとしても、彼らは同じように行動するでしょう。
わずかな露悪的な読者層を取り入れるために社会倫理を無視して行動したのであれば、そうした会社に集まるのは、いっそう露悪的で短命な漫画ばかりとなってしまうでしょう。
このような感想になってしまいましたが、改めて、私は自由な創造性というものを尊重したい側です。
同時に面白くないと思ったものを面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由もまた有ってほしいと思います。
商業作品においてもアマチュアであってもそれはかわりません。ただひとつ願うのは、描き手と読み手、企業と購入者、互いが互いに優しい形でそれが実現することです。
今回の騒動を見ていた時に同レーベルの「こじらせブスの処方箋~見た目を気にして病気になりました~」という醜形恐怖を描くエッセイ作品と作者が気になり、こちらは購入しました。
内容は「腐女子カースト」よりも読めました。やりようによっては幾らでも面白くなる題材だと思いました。たった一冊の本では描き切れないはずなのに、始まりから消化不良のまま、読み終わってしまいました。なぜ充分に生かせず、彼女は次々と過激なタイトルの新連載に移ってしまったのでしょうか。彼女が無料公開している作品を見ていましたが、やはりどこか無理におどけている様な、抑圧されているような、物足りなさを感じてしまいました。
他の主力作品もヘテロの恋愛や性事情を題材にしたものや実録系が多いようです。WEB雑誌系のスポンサーが出会い系や美容系で占められていることと関係しているのでしょうか。それらへ興味が向くように迎合した作品作りをすることも、おそらく企業戦略としては正しいのでしょう。
自尊心の低い女性や、夢を求めて来た外国人や、年齢や身体のどうしようもない特徴で偏見に晒された、「世間とちょっとずれた」弱い立場の人々を集めて「見下す対象」を作り抑圧することが、今のレーベルでの狙いなのでしょうか?
そうではないとする証拠が、今回の騒動の中にあったでしょうか?
今連載されている作品達に、作家達に、充分に示せているでしょうか。
善悪を私が断じることはできません。ユーザーが文句をいう事は出来ますが、断罪するわけではありません。
誰かの表現を止めることはできません。
一度出した表現は別の表現で塗り替えることしかできないのです。
多くの人にとって良くなければ、出資するほどではないと思われれば、自然と読者は離れていき、伝統はそこで終わるだけです。
今回の感想を書く上で、障害者や、性的マイノリティについて書かなければならなくなりました。
それらを教えてくれた人々は、私の大事な読者達です。
私はかつて、仕事をやめたのと同時に、しばらく普通でいることを休もうと思いたちました。世間や周りに合わせようと無理をするのをやめて、家に籠りました。趣味で漫画を描くうちに、私は作品を通じてツイッターで人と繋がりました。
読者のフォロワーの一人が、家庭の事で「爆発」し鍵垢で叫んでいた所に遭遇しました。私はその言葉を丁寧に読みました。
私が知り得る知識を総動員して、望んだ人生が歩めない悲しみを、それを他人から非難される恐怖と怒りを一生懸命想像しました。私は彼女の問題提起を注意深く見定めようとしました。
リプライではなく空リプで、一緒になって怒り、一緒に笑い飛ばしました。それは一時のSNS上のやりとりでしかないし、実際に顔を合わせる間柄ではないですが、今でも彼女との交友は続いています。
私と彼女は、対等な互いの読者として、信頼する友人として存在しているのです。
彼女の理解を諦めて無視したなら、きっとこうはなりませんでした。
信頼関係の構築に大事なのは性格ではありません。ただ己を一度引っ込めて、わからないなら真摯に聴き、調べ、深く考えた上で言葉を使うことが大事だと私は気付きました。彼女が暴れすぎて収拾がつかなくなるほど傷つかないように、考えて行動することでした。
それは自分の作品を作る時と同じでした。二次創作で『推し』を見つめて、彼あるいは彼女がどう行動するか考える時と同じでした。
彼女達の苦悩の間に、それでも己自身を肯定する言葉があると、パートナーや子供を心から愛している気配を見つけられると、私は安心できました。
他人の心の傷を全て想像出来るわけではありません。自分の心の傷に触れられることがあれば、動揺してひどい言葉を投げかけることもありました。ブロックされることもありました。しかしそれは、多くの人がそうなのです。ぶつかり合うことも距離を置くことも恐れてはいけません。本当に知りたいと思うなら、何度でも内省し正しい目で観察すべきなのです。
彼や彼女達が教えてくれた人生のエピソードを、私はそのまま作品に描く気にはなれません。自分自身の人生すらも。
作品には力があります。祈りにも呪いにもなり得ます。他人も自分も幸せにさせられるし、同時に破滅させられます。それほど重く、他人が口出ししてはいけない価値観が誰しもにあるのです。
一度発表したものは簡単に無かったことになりません。丁寧に積み重ねた善意よりも、悪意の一撃の方が取り返しがつかないこともあるのです。
それから私は、世間からちょっとずれた自分の感性を、注意深く噛み砕いて、善か悪かも断定しないように、フィクションに載せて描き続けました。自分が好きな作品がどうして好きなのか、どう世間と噛み合わないのか、深く深く悩み、考えました。それを読んだ人達の中に、共感して会いに来てくれた人が何人も居ました。ゆっくり時間をかけてですが、心からの対話をすることが出来ました。
世間からちょっとずれた人々にも悲しみがあります。楽しみがあります。それを見下して、ただの自虐的な見世物にして終わってはいけません。
漫画を描いている人々、漫画をマネジメントする人々、今まさに伸び悩んでいる方に、今一度向き合って頂きたいのです。
説教ではありません。私自身がまさに悩んでいたから、これからも悩み続けるだろうからこそ、一緒に考えてほしいという願いです。
ただ楽しいから、ただ涙が止まらないから書くというだけでも充分良いのです。書き上げてから、少しだけ手を止めて、考えてほしいのです。一時の利益のために道を見失わないために。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ハンドルネームもペンネームも、いくらでも変えられる世界です。それは責任を放棄することと一緒ではありません。
今回は匿名での投稿ですが、私は私の思ったことをできるかぎり真摯に見つめ、影響を考え、投稿に至りました。それが少しでも伝われば幸いです。
その時には、互いに今より優しくなれていると良いなあと、願っております。
終
追記:
これを書いている間に、『COMIC維新りあら』公式ツイッターからお詫び文が出ました。
配信停止までやる必要はなかったかと思いましたが、仕方のない判断かもしれません。
また一冊の本が燃やされたと感じました。