はてなキーワード: ムードとは
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管弦楽編成の楽器が使われてたら取り敢えずクラシックて呼びやがる。バロックもロマンも、アンサンブルも管弦楽もオペラも全部クラシックで一括り。
ジョンウィリアムスもマンシーニもモリコーネも久石譲も素晴らしいBGMを書くけど、それはあくまでムード。映画の一要素であって、それ単体で主題を完結させる音楽作品とは異質なもの。
とは言っても、エヴァ旧劇はバッハの引用なくしてあのムードは成立しないと思うし、ツァラトゥストラを2001年宇宙の旅で知ったという人も少なさそう。
ストラヴィンスキー辺りからの近代音楽は、まあクラシックの範疇にあるんだろう。でも、「クラシック音楽家」のショスタコーヴィッチは映画音楽も書いてたりもする。
ジョプリンは他の何物でもなくラグタイムと呼ぶのが相応しいけど、「クラシック」と言えなくもない?ガーシュインはどうだろう?
ともあれ、何でもかんでもクラシックと呼ぶのはやめて頂きたい。
↑これをはてなに当てはめると
になるわけです。
「俺たちユーザーはお前のところの商品展開が気に食わないので廃止しろ!」はかなり強めの発言です。
多くのネトゲが通ってきた道ではありますが、大抵の場合は「買いたい奴が買えばいいだけ」で皆が落ち着いてきたと思います(ネトゲのプロじゃないので分かりません。ネトゲに超詳しくて雑談好きな人がインターネットに何人か……あっでもあの人は今お忙しいな……)。
主催者は特定の誰かというより、同じような意見を言っている多くの人たちです。
まあ半分ぐらいは「スターはそのままでいいからスター順表示をなくせ」っぽいですけど。
さてどうなるんでしょうね。
正直私は観戦ムードで、これも備忘録として「はてなスター」という単語がクソほど沢山入った増田を自分の日記に残しておくことであとで日付を検索することだけを目的にしております。
あとになってみると「なんでこの日にこの増田を?」となりそうですね。
でもその辺を補足すると特定のはてなユーザーをウォチしてる感じになるからフィーリングで終わらせましょう。
そもそも、このタイミングで同時多発的に機運が高まっているのは事実ですしね。
確かに動きはありましたが、ソレ以上にもともと何かあったら吹き出すエネルギーが溜まっていた感じです。
膨らんだ水ぶくれが爆発したとして、重要なのは水ぶくれが膨らんでいたことで、そこに加わった衝撃そのものはマクガフィンの如きなわけですね。
いやーどうなるんだろう。
ブクマの方のはてブは儲かってねえから関係ねえって感じもしますけど、ほそぼそとブログの方のはてブでカラースター投げあってイチャイチャしてる人たちがロングテールで最終利益に貢献してる臭いがするのですがね。
一部界隈ではすごーく話題になっているけど、「話題にしたくないな」と思わせるモヤモヤを感じた2つの件について。
多分、私と同じようなモヤモヤを感じて、「この件には触れない」という選択をした人もいるんじゃないかと思うので。
性教育YouTuberを名乗る人が、産婦人科の検診台を「セックスマシーン」と評して炎上した話。
まず、やってることは最低だなと。真面目な展示物を軽薄な悪ふざけに回収するという、露悪趣味的な言動というのが、人を傷つける可能性について一考する余地はあっただろう。ガキじゃないんだから。
ところで、少し調べるとわかることだが、彼はゲイである。それを知った時、何とも言えないモヤモヤが広がっていった。
ゲイという立場から、「性教育YouTuber」を名乗るというのは、性的多数者からは想像もつかない苦悩が背景にはあるんじゃないかね。
そうした中で、露悪的でふざけた「性教育」へと「追い込まれた」可能性について、私はどうしても考えてしまう。
彼を批判する言葉の中に、「性と命」のような言葉が散見されたこともモヤモヤのひとつ。LGBTのような性的少数者は、「生殖に寄与しない」という意味で、「生産性がない」などと断罪され続けてきた歴史がある。それを理解している人が何人いるのだろう?
何なら、それを踏まえれば、彼がこうしたおふざけを実行したというのも、「性と命」に対する反抗心のようなものに由来しているんじゃないかとすら想像してしまう。知らんけど。
それを差し引いても、まあ彼の行動は批判に値するものだと思う。
しかし、彼を断罪するあなた方は、彼を断罪できるほどに清廉潔白な人間なのだろうか?
やっぱりなんだかすっきりしない。
うーん、まったくその通り。完全同意。何がそんなに難しいんだろうね。
これだけで話が終わればよかった。同時に投稿されたイラストがモヤモヤの根源。
いや、言ってることはそれほど間違ってないんだけどね。
なんでそこで「オタク」が出てくるんだろう?誰に対して何を主張したいんだろう?「納豆は美味しいか不味いか」と言い合ってるところに、「例えば豆腐って美味しいよね?」とぶっ込まれたような、違和感。
そして、なんというか、一行一行が無駄なくチクチクと刺してくる。無駄なく。あまりにも不自然な程に。
これが「犬笛」というやつだろうか?
「オタクは気持ち悪いとか言う人」というのは、残念ながら今の世の中にも普通にいます。「そんなに気にする必要がなくなった」のは事実だけど、それでもいます。その両面が現実。
LGBTだって、たしかに世間では受け入れムードだし、同性婚だって(特に若い人は)多くの人が賛成してる。それでも「気持ち悪い」という人はいる。その両面が現実。
「同列に考えちゃいけない」って、何が?
フィクトセクシュアルの中には、「オタク」という言葉にアイデンティティを置く人が大勢いますよ。
まあ「安易に同じ話として扱えない部分もある」という言い方ならわからなくもない。わからなくもないけど、その言い方だって差別に利用されることもあるので、私ならその言及をする時ですらかなり慎重になる。
「そういう風に考えられないかなー」という締めが絶妙にムカついてしまう。
これ、誰に言ってるんだろう?どういう方向を向いて言ってるんだろう?
これを書いた人の中には、「LGBTを差別する人は、オタクのことは差別しない」という自明の前提があるらしい。どういう環境で生きればそんなバイアスが生まれるのだろう?
めちゃめちゃマジレスすると女の感じるポイントはかなり個体差あるんだけど、唯一クリだけは大多数の女が感じるんや。だからマンコを濡らすために下(クリ)を触るというのは間違っては無い。ただ、クリ周りを適切な強さで刺激できる男ってそもそも慣れてるというか上手い部類の奴なので……。あといきなり性器周りの刺激にいくのはなんかムードが無いというかじっくりマッタリ感皆無なので嫌う女が多い(とされている)ためそうしたがらない男もいる。余談だが乳首感じない女は実は多い。あと、とりあえずイってみたいなら電マかウーマナイザーを使ってみるのが最も手っ取り早いが、体質でイケない人はイケないので、仮にイケなくてもそういう体質なんだというだけで別に変ではない。あと精神系の服薬してるとその副作用でイケないことがある。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
猛烈自己嫌悪。
面倒でやってなくて、郵便の転送も切れてて、免許の更新をすっかり忘れてた、、、
家族でお出かけしてて、自分が運転してたんだけど一時停止違反でパトカーに止められて免許証を見せたら「これ期限切れてるよ」
それまでお巡りさん「悪いねー、ルールはルールだからさー。周りに車がいないことを確認して進行してるのはわかったけど、しっかり止まってなかったからねー」なんて笑顔で気さくに、何なら少し申し訳なさそうにしてたのに、免許証を見たら一瞬で顔がキリッとなって無線をとり「交通、交通、無免許運転です、至急こちらへ」みたいな感じで一気に緊迫ムードに…
本当にうっかりで、最近いろんな手続きもマイナンバーカードでやってたから気づいてなかった、、
おそらくうっかりが認められると思うんだけど、もし故意の無免許運転と判断されたら25点加点で2年間免許取れない、、、
警察官も試験場の人も「確実なことは言えん」「故意と判断される可能性もある」と脅しかけてくるからめちゃくちゃ怖い、、
とりあえず、その判定結果まで2〜3ヶ月かかるとのことで救済措置の仮免許証を発行してもらう手続きへ。
失効から半年〜1年は仮免許から本試験となるんだけど、本試験が大変。
学科は飛び込みで受験できるんだけど、技能が全然枠が空いてないみたい3ヶ月くらい先だと。
マニュアル車なんて運転してないからオートマ限定にするとしてもそんな厳しくみられたら無理よ。
不合格でもどこが悪いとかのフィードバックはないし、次の技能試験がまた2〜3ヶ月後とか、詰み…
さらに技能受かったとしても自動車学校で講習を受けてから再度試験場へ行ってからようやく免許証発行とのことで最短でも3ヶ月はかかるよとのこと。
試験場の窓口の人2人に聞いても、自動車学校行った方が早いよとのこと。
まじかー
まじかー
仕事しながら行くのつらい、、
幸いにも電車通勤で車は週末に家族でお出かけくらいにしか使ってないからまあいいとしても、ちょっとした移動に車使えないの不便すぎる、、
(地方都市在住)
妻は普段運転するが、運転自体は好きではなくいつも自分が運転。
そして土日の子供の面倒は自分がみることが多く、いつも車で出かけたり、習い事送迎してたからそれもできない、、
妻よ、ごめんなさい、、
20万円あればいいとこ旅行したり美味しいご飯食べられるのにね、、
みなさん、引越し後の免許証の住所変更と、免許の期限更新は絶対に忘れずに!
以下追記------
いやー、みなさん。辛辣なご意見や同情、ありがとうございます!
本当に自分が情けない。
普段は安全運転で妻からは「もっと早く走れ!」って言われるくらいなんだけどね、、
一時停止のとこもめちゃくちゃ見通し良くて10キロ以下くらいにはなってたと思うけど確かに止まってはなかったです、はい。
と言われもう情けなくて悔しくて、、
免許証、和暦表記だけで平成で書かれてもわからんし、2人目産まれたり引越したり転職したりと、忙しくて全然気にしてなかった、、
2020年のコロナ禍突入直後、自粛ムードが最高潮に高まる中、次のようなクレームの電話が入ったことは記憶に新しい。
「これだけ感染が蔓延しているのに、いつまで営業しているんだ!!(=さっさと自粛休業しろ)」
ほどなくして、飲食など多くのお店が自主休業に入ったのは皆知っての通りだ。
そしてその約1ヶ月後、徐々に営業再開する店が増え始めてきた頃、次のようなクレームの電話が入った。
「これだけ営業再開した店が増えているのに、いつまで休業しているんだ!!(=さっさと営業再開しろ)」
手のひらを返すとはまさにこのことだろう。
そしていまだ衰えを見せない現在において、マスク非着用の人に対してマスクを着用するように声をかけると「うるさいわかっとるわ!」などとキレられる。
そこでマスク非着用の人を放置しておくと、別のマスク着用者から「注意しろ、なぜ放置しておくんだ」などとキレられる。
元凶はルールを守らない(=マスクを着用しない)人なのだが、結局割を食うのはこちら側(店側)だけである。
大幅に減りはしたが、このようなご時勢でも継続して利用してくれている顧客は確かにいるし、それ自体はありがたいことだ。
しかし率直に言ってそれは前述のような民度の低い層が残っただけで、体感的にはかえって苦労やトラブルが増えている。
有り体に言ってしまえば「こんなご時勢にもかかわらず継続して利用してやっていることをありがたく思え」という態度の顧客が増えた。
それはひとえに自社の民度・レベルの低さが如実に表れているだけのことであり、自社の経営の質が改めて問われることとなりそうだ。
しかし本当に接客サービス業ってのは何のために存在するのだろう。
世の中が休みのときでも、休むことなくその商品やサービス(しかもモノによっては非常に安価で良質な)を提供し続け、従業員の休日も少なく、拘束時間も長いわりには、他業種と比べて特別給与がいいわけでもない。
従業員同士、前述のような顧客との人間関係も広範で、雑多で、非常にストレスフル。
クレームやネット拡散などをおそれて、店側も毅然とした態度で臨むことができず、下手をすれば常時サンドバッグ状態。
意図的に悪い部分だけを挙げたが、他業種に比べて「これだけは勝っている」と言えるところ、あるか?
とある趣味で女の子と知り合った。お互い28歳の時だ。その日は彼女の部屋の近くの偏狭な駅で話し込んでしまい、
僕の終電が無くなってた。今みたいにネットカフェもなかったかrファミレス過ごそうと思ってたら、
「私が引き止めたかもなので、私のへやに来ますか?」と言った。「助かります」と話しながら真っ暗な夜道を歩いていった。
駅から15分くらい歩いた2階建てのアパートの2階だった。シンプルな部屋で、本棚に並んでる本を確かめたりした。
「それでですね、ベッドがひとつしか無いからシャワーを浴びてください」。始発までおしゃべりして過ごすでも、
僕は床に寝るでもなく、部屋に帰って来たからシャワーを浴びて寝る。とゆう考えだったようだ。
寝るのはいいとして、「僕は床で寝ますよ」「えー。床硬いし毛布とか無いから寒いですよ」。確かに外と変わらない寒い部屋だった。
反論することもないから「わ、わかりました」「Tシャツも着替えます?」と彼女のソニック絵柄のTシャツを渡してくれた。
「拭くタオルは小さいけどこれ使ってください」。ユニットバスで脱衣場が無いから浴室の中で服を脱いでシャワーを浴びた。
それで自分のシャツとジーンズを抱えてシャツとトランクス姿で部屋に戻る。
「湯冷めするから布団の中に入ってていいですよ。あとローズヒップティー飲んでください」とベッドから手が届くテーブルにカップが置いてあった。
布団に入る。彼女は押し入れから着替えを出して、「えっと、服を脱ぐので中に入るまで布団に潜って見ないでてくさい」「はい」と潜る。
「絶対にですよ!」。彼女は外で裸になって入るんだ。いつもそうだもんな。そこで全裸になる彼女を想像してた。そうして「パタン」と扉が閉まる音がした。
僕の布団には僕の臭いがしてるけど、彼女の布団は旅館の布団みたいな匂いだった。お茶を飲んで部屋を見渡して、
シャワーの音を聞きながら、寝て6ぐらいに起きて帰ろう。とか考えてた。自分が住んでるところとは違い住宅地の中だったので、
1時の外は静かだった。シャワーの音が止まって、しばらくして扉がガチャっと相手、彼女は顔だけ出して「また潜ってください」と言った。
潜ってると「もういいですよ」と言われて息も苦しいから顔を出すと、パジャマ姿の彼女が居て、クリームか美容液を塗っていた。
それから部屋を見渡して、「電気消しますけどいいですか?」「はい」と真ん中にある紐を引っ張って、
「あ、小さい電気ついてたほうがいいですか?」「どっちでも」「私、真っ暗にして寝てるんですよね」と真っ暗にして、
布団に入ってきて、「もう少しあっちにいってもらえませんか」「すみません」とシングルベッドに二人で寝てる。
「きょうはもう髪洗わなかったですよ」「髪乾かしてる間に体が冷えそう」
「始発って6時にはありますよね。それで帰りますね」「そんな早く帰るんですか?」「え」
「朝ごはんとか一緒に食べましょうよ」「そうですね」。寝返りをうつこともなく、それから1時間は起きてたけど、
いつのまにか眠ってた。
彼女がベッドから出るので目が冷めて、目を薄く開けると外は薄明るかった。ガシャンと扉のしまる音がして、
おしっこの音が聞こえて水を流す音。水道の音が聞こえてコンロをつける音が聞こえた。
それから小さな音量でラジオの放送が聞こえて、彼女が布団の中に戻ってきた。触れた足が冷たかった。
「起きてます?」「今起きました」「まだ寝てていいですよ」「いま何時ですか」「7時過ぎぐらい」。僕は二度寝しようと思った。
まもなく彼女はまた出ていって、ふたつのカップにお茶をいれて持って来た。カップに口をつけながら冷ましてずずずずと飲んでる。
「ラジオはどこですか?」「インターFM」「僕の前いた会社ではずっとJ-Waveが流れてました」
「朝ごはん食べるって言ったけどお昼でもいいですよね」「はい」「それまでお腹すくから」とスティックパンをくれた。
食べてお茶を飲む。
こっから端折るけど、彼女はノーブラでTシャツにショーツ姿で布団の中にいる。
彼女が処女だという話は聞いてた。なんか僕の勢いで手を握ったら握り返して、二人の手のひらは汗ばんだ。
シャツの上からおっぱいを触って、揉んだ。彼女は天井を見て黙ったままだった。
シャツの中に手を入れて直接乳首を触ったとき、少し「あっ」っと声がもれてた。
それからまんこをしょーつの上からくいくい押さえたり、もうまんこに触った。
彼女は目を閉じてて、僕は彼女の顔を見てた。これからせっくすになるのかな。
僕は布団に中に潜って、布団の中でショーツを脱がして、布団の中でクンニしようと思ったけど、
脚を広げないとできなかった。脚を広げると布団がかからなくてさむい。
僕は顔を出して「布団の中じゃ舐めれなかった」と言うと、ちょっとノリノリな感じで「じゃあ私がするから寝てください」と。
自分が布団に潜っていった。布団のなでちんこが強めに握られてがしがしがしとしごかれて、
口の中に入れられる感触が伝わってきた。歯が立って少し痛いのはやったことがない証拠。
しばらくして彼女も顔を出して「やってると息が苦しい。気持ちよかったですか?」「すごく」と言って、
おっぱいを揉んでエロを出しながらキスをするモーションをしたら彼女もしてくれた。
せっくすはしてもいいのかだめなのか。わからないから「しっくすないんしたい」というと「しっくすないんってあれですか?
したことないけど」「僕の上に頭あっちでのって」「もうエアコンつけますね」とリモコンでピッと暖房を入れた。
最初は布団をかけてやろうとしたけどもういいや、と思って布団はベッドの外に落ちた。
そとはもう明るくて、部屋の中も明るくて、目の前にある彼女のまんこが陽の光の色で見えた。
陰部だけ色が濃い人もいるけおd、全体は他のところの肌と同じ色で、びらびらの端が黒くなっていた。
大陰唇にぽつりぽつりと縮れた毛が生えていて、肛門のシワは絵に描いたようだった。
全体ピンクで子供のみたいなまんこの人もいるし、毛が濃い人、びらびらはみ出てる人、なんかエロくない人、
とか色々あるけど、この人のまんこはこんなのなんだ。かってにシンプルなのを想像してたから勝手に、
一般的な大人の女性のまんこだった。会ってるときに「さっきうんこしてきたんですけど」とはばかることなく言ってたけど、
そのうんこはこのお尻の穴からか、と思ったらすごく生活感を覚えて、可愛い女の子だってうんこするって。って気持ちになった。
僕の中で美化してたんだな。それが美しい方向なのかわからないけど。
さっきと同じように彼女は舐めててくれる。「こっちのほうが舐めやすい。たまにごしごしごしとしごいたりして。
「もしかしてイカそうとしてます?」「ベッドの上で出さないでくださいね。出るとき言ってくださいね」
僕は舐めにくいんだけど目の前のまんこの舐めようとして、クリトリスを舐めることにして、
お尻は手のひらでつかんで横に広げたりそた。自分の大事なところを他人の顔の前に出してる気持ちはどんなんかな。
頑張って舐めてると彼女は上半身を起こして「ああん」と声をあげる。何回かそれが繰り返して、
「舐められると集中してこっちが舐めれないですよ!」と少し怒られた。彼女にとってしっくすないんはお互いに舐め合うものではないみたい。
でもそう言われてから、女の子は責められてるときは目を閉じてされるがままが多いことに気づいた。
こっちが舐めててもちゃんと舐め続ける人はお姉さんプロ意識の風俗のお姉さんだけだった。なるほどね。
フェラしてもらってときはただ舐められてるのではなく、頭をよしよしして「気持ちいい」と言ったり、おっぱい触ったりしよう!
最初に聞こえた「やっちゃいなよ!」の声がクエスのだなんて、先週のテレビで初めて知ったよ。
デートの内容聞いたとき「増田さんのしたいことでいいよ」が、一日中ホテルでイチャイチャしてたいの遠回しなんてわからないよ!
買い物とか映画とか流行りの食べ物とか提案したとに、「ホテルにいかなくていいんですか?」って、それで理解したよ!
理解したあとも「増田さんがいきたそうだったか」と言う女の子は嫌すぎ。普通に「直接ホテルでもいいよ」と言ってほしい。
それで僕が「せっくすするためみたいじゃん」と言う事はないけど、「せっくすのためだけに会ってもいいです。私が会いたい」と言われたことはある。
親が丁度バブル世代なんだけど、若い時の話を聞くと景気もいいし、本人たちもどっか楽天的なのよ
学生時代は景気の良いムードの中で遊び暮らして、就職もそんなに苦労しなくて、就職してから景気は下がったけどなんとかなると思ってて、自己啓発とかしなくてもそこそこ昇給していい感じにやってきてるわけ
で、子世代の自分は生まれた時から不景気で、努力しないと貧困層に落ちると脅され続けてきて、勉強して大学出たけどそんなに給料は良くなくて、今後昇給もそれほど見込めない
となると世代間格差を強く感じるんだよな
子供の頃から親戚に同情されるほど勉強を頑張ってきて、それでも不景気の波から抜け出せない自分と、生まれた時代が良かったから楽観的に生きられてそこそこ立派な収入がある親を見てると、本当に人生なんて生まれた時代で決まるんだと実感する
だからこそ、今よりもっとひどくなる未来に子供を生み出すなんて考えられない
少子化対策とか無駄だよ、今から生んだ子は絶対に苦境を支える人柱になる運命だって分かってる
自分と同じかそれ以上の辛酸を嘗めさせるのは分かってるんだから、分かっててエゴで生むのか、生まないのかという岐路に今の適齢期の人間は立たされてるわけで
・治安が悪い
・闇が深い
・田舎の悪い所が残っている
・治安が悪い
男が見ず知らずの若い女性を襲う事件は大体「大阪」か「兵庫」とついている
他地域は知り合いや家族内の事件であったり、繁華街での事件が多いのに対し、女子大生などが見知らぬ男に襲われる事件は大体「大阪・兵庫」
しかも住んでいると分かるが、第一報以降明らかに報道されなくなる事件も多い
犯人が一般的な人間なら普通に報道されるが、アンタッチャブルな属性を持っていた場合報道されないということだ
アンタッチャブルな方々が多すぎる地域柄、自衛だけではどうしようもなかっただろう事件も多く、住民全体に諦めムードが漂っている
とにかく金払いが悪い。隙あらば値下げ交渉をしたり、払わなくて良い理由を考える風土が強い
他地域ではみっともない、恥ずかしいと言われるレベルが許されている。場合によっては賢いと称賛されている
JR西日本が車庫入れをミスした社員に、やり直した時間は業務時間に入らないと主張して減給処分し、訴えられたのがいい例
他地方のJR関係者からは「そんな罰金は聞いたことがない」と言われるようなことをする。JRに限らず地域の考えがそうなっている。それが阪神地区
・闇が深い
一般の人間に対する金払いが悪い一方、ワケアリの人間や外国籍の人間には異様に金払いが良いというアンバランスさがある
歴史的に面倒くさいバックグラウンドを持つ相手や、揉めると面倒くさい相手には金を握らせて大人しくしてもらうというメソッドが定着している
つまり、普通に生きていると何かと理由をつけて金払いを渋られる一方で、その金がアンタッチャブルな人間に流れていく構図が出来上がってしまっている
他地域に引っ越すとお金周りが比較的きちんとしていることに驚くことになる
他地域も金回りが黒いところがあるって?阪神地区とは比べ物にならない。住めば分かる
・田舎の悪いところが残っている
東京に次ぐ第二の都会という顔をしているが、この辺の古臭さは比べものにならない
東京から大阪に転勤になった人が色々緩くて住みやすいと思うのは、要はこの辺の意識の低さが関係している
非常に珍しいことだ。
喜び勇んでベッドへ向かった。
ところがどういうわけか私の分身がうまく反応してくれない。
妻の期待に応えようとプレッシャーがかかったのだろうか?
それならば、と随分と前に購入していたバイアグラのジェネリックを使用期限を確認してから服用した。
薬効が体に浸透するのを暫く待つと、無事に硬化してくれた。
ややムードはなくなったが無事に夫としての務めを果たすことが出来て一安心した。
と思いきや、あのような薬を所持していることで浮気を疑われてしまう。
私はひたすら妻しか愛していないし、妻以外の人と肌を触れ合わせることなど考えることも出来ない。
それなのに、と思うと少し悲しくなった。
「結婚困難」が増加】https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0818Q0Y2A201C2000000/?n_cid=SNSTW005
本当は子供を持ちたいけど半ば諦めてるので、私みたいな人間が希望を叶えられる日本になれば良いのになぁって思いました。産みたくない人が産まなくていい自由はこれからもあって欲しいと思うので。
①持病がありフルタイム正社員が難しく1馬力で子供を育てるのが不安
→体力体調に余裕があればパートタイムなどで働きたいが未知なので不安。
→「余裕ない奴がエゴで子供を産むな子供がかわいそう」「育てる自信のない人は産まないで欲しい、自分は産まないで欲しかった」などの声をSNSで良く見かける。身体面も金銭面も未知で自信がないのにこう言った声を見かけると、子供が欲しい事に罪悪感を感じる。子供を持つ事自体がいけない事のように思える
③行き詰まった時に助けてもらえる気がしない
→②のような世論をSNSで普通に見かける時代に、金銭面も体調面も自信なく子供を産んだとして、詰んだら「わかってて産んだんだろ自己責任」「だからこういうやつは産むなって言ってるじゃん子供かわいそう」と責められる図が簡単に頭に浮かんでしまい怖い。助けてもらえるどころか責められて追い詰められそうだと感じる
こう言った理由でもう無理だろうなーと思っている。
子供を産んでもお金に心配がない国だったり、誰かに頼れる制度やムードがあったり、家庭に余裕なく子を持つ事を責められる事のない雰囲気だったり、どれか1〜2つでも産めないと感じる理由がなくなれば何の疑問もなく子供を産んでいたと思う。
子なしの理由は、妊娠出産自体が怖い、子供を可愛いと思わない、ただ単にほしくない、自分の人生に時間とお金を使いたいなど様々。
みんな結構気持ちは堅そうで、そう言う人に産んでもらうよう仕向けるのは難しいと感じた。
だから、色んな痛みとか苦労を乗り越えても子供が欲しいなって思ってはいるのに、時代的なもので諦めようと思っている自分みたいな人間はちょっと勿体無い気がした。
日本政府さん、支援してくれたら産みますよ!産む気のある層はここにいますよ!涙
そう言いたい。