はてなキーワード: プレッシャーとは
SEという仕事をやってる中で何度も酷い炎上プロジェクトを担当したりや客に罵詈雑言を投げつけられたりするということがあった
もちろんしんどいな~また終電帰りの日々か~とか休出か~とか嫌な気持ちになることはあり
急に何もかも嫌になり突然会社を休んでみるとか(でも元気にソシャゲ三昧したり実家帰ったりしてた)
上司にもう会社辞めますと泣きわめくとか(今思うと恥ずかしい)したこともあった
しかしメンタルを病むということは全く無く体調も崩さず休んでもすぐ復帰して朝も時々寝坊しつつもちゃんと起きて会社に行き仕事をしていた
不安定になるということは極稀にある でももう体が動かないとか鬱病だとかそんなことになったことはなかった
前職である大企業と違って小さい会社でいわゆる少数精鋭の会社だ
さすがにここではメンタルがやられてしまうだろうかと最初は危惧した
しかしプレッシャーは感じつつも成果を出せない日々をなんとかやり過ごし最近は少しずつ結果を出せるようになってきた
自分は仕事がものすごい出来るとかコミュ力が凄いとか知識がヤバイとかそういうのは一切ない
しかし周囲の同僚や後輩や上司までもが精神や胃腸をやられてバタバタ休んだり辞めていくのを不思議に思い眺める側だった
なんなら病んでいった人々の方が自分より数段優れているし価値のある仕事をしている
その一方で自分の方が客と直接やり取りする機会の多さなどから彼らより病む可能性が高そうに見えることもあった
人権問題である。と同時に、さらに言えば、障害者に厳しい世界というのは、健常者にとっても厳しい世界という話でもある。混雑した展覧会は私も辛い。
健常者に何も齎さない癖に権利ばっかり要求する五月蠅い障碍者のいない世界のほうが健常者に優しいよ
対策。人を減らすのなら値段を上げる、時間指定制にする、展示内容をしょぼくすると手はいろいろある。
ただ、博物館側には集客をしろというプレッシャーがかかっているという話を聞かないでもない。とすれば、この方向の解決は難しいだろう(時間指定の展覧会に行ったことないのだが、どの程度入れるものなのだろう?
しかも障碍者って安い料金しか払ってないじゃん。制限を受けて当然だろ。
まずできることは、その場にいる人が、障害者や子供や老人などの弱者には譲るという優しい心を持つあたりだろうか。しかし、そういう精神が浸透することこそ、あらゆる対策より困難なのかもしれない。
譲ってもらって当然と思う輩に譲る心などない。人の善意にすがる乞食が偉そうに何をほざく。
お情けが降りてくるのをおとなしく待ってろ
この前、東博平成館の縄文展に行った。会期末で混み合っていると評判だったから、夜間開館日を選んだんだが、もうこの制度は浸透してしまったらしく、残念ながらひどい混雑。展示品を見るのに一苦労で、広い会場を一巡りしたらクタクタになってしまった。
とはいえ、私は健常者の成人男性だ。空きをみて前に滑り込む機敏さや、後列から人の頭越しに見る背の高さがあるので、比較的苦労は少ないはず。老人や子供の苦労がしのばれる。
しかし、それ以上に大変なのは車椅子の人だろう。座ってるから視点が低いし、人混みの中に分け入っていくのはぶつかって危険なので遠慮してしまう。今回2人見かけた。おそらく殆ど展示を見れていないはずだ。
1974年、モナ・リザが来日した。展示されたのは東博の特別5室。このとき事件が起きた。赤い塗料の入ったスプレーがモナ・リザ目掛け噴射されたのだ。
このモナ・リザ展は相当な混雑が予想されたため(結果、8週ほどの会期で150万超え)、展覧会前に、車椅子や赤ん坊連れの人の観覧自粛を文化庁が要請した。対応出来ないから来ないでくれという趣旨の発言がなされたのだ。それに対する抗議としてのスプレー噴射だった。まあ、そりゃ怒るわな。
その事件がきっかけとなったのか否かは知らないが、40年以上たった現在、各地の博物館や美術館はバリアフリー化が進み、また託児所が臨時ながらも設けられるなどして、状況は劇的に改善していると言っていいだろう。
しかし、今回このような状況に遭遇して、まだまだ道半ばだなと思った次第。車椅子の人でもエレベーター完備なので会場に入れるし、会場内は段差がないから回るのに不便はない。障害者に優しいユニバーサルデザイン。でも結局、展示品なんて満足に見れないじゃないか!
人権問題である。と同時に、さらに言えば、障害者に厳しい世界というのは、健常者にとっても厳しい世界という話でもある。混雑した展覧会は私も辛い。
なら行かなければいいのではないかと言われるかもしれない。まあ、実際私は、行かなかったり、会期初めの空いている時に行くようにしていて、それほど苦労はない。そもそも一番好きなのはマイナージャンルなので、本命展覧会はあまり混まないし。そんなわけである程度は人ごとながら、しかしこの状況を放置していていいのだろうかと、今回思った。
対策。人を減らすのなら値段を上げる、時間指定制にする、展示内容をしょぼくすると手はいろいろある。ただ、博物館側には集客をしろというプレッシャーがかかっているという話を聞かないでもない。とすれば、この方向の解決は難しいだろう(時間指定の展覧会に行ったことないのだが、どの程度入れるものなのだろう? 上野の森のフェルメール展はぎっしり詰めそうな悪い予感がしないでもないが、はてさて)。
まずできることは、その場にいる人が、障害者や子供や老人などの弱者には譲るという優しい心を持つあたりだろうか。しかし、そういう精神が浸透することこそ、あらゆる対策より困難なのかもしれない。
以下、余談。
東博にある法隆寺宝物館という建物、訪館者にすこぶる評判がいい。確かにフォトジェニックな点は魅力である。設計は谷口吉生。
だが、私はこの建物があまり好きではないのだ。いくつかある理由の一つが、障害者対策である。
もちろん、対策はされている。入り口の段差にはスロープがあるし、館内にはエレベーターが備えつけられている。しかし、そのスロープは端っこに目立たぬように設置し、エレベーターも一見して分からないように隠している。
谷口本人が実際どのように思っていたのかは知らない。ただ私には嫌々対策したようにしか見えないのだ。それが建物からヒシヒシと伝わってきてしまう。評価してる人はそれを感じないのだろうか?
社費派遣で大学院に行って、親会社に出向してそこそこ活躍して戻ってきたら、筋悪な新事業開発の担当にさせられて、無理難題を押しつけられて、上司から妙なプレッシャーをかけられ、同僚には業務と関係のないところで足を引っ張られまくって、仕事が嫌になっている。
能力値と仕事の許容量が上がっているから業務の難易度とか量とかは全く問題ないけど、こうも社内のダメなところを見せつけられると正直長いことこの会社にいたいと思わなくなる。というか、正直かなり辛い。
あぁそういえばうちの会社エースが次々に転職してったなぁ。これが理由か。俺もやめちゃおうかなぁ友達もコンサルにいるしなぁ。
と思ったところでタイトル。
コンサルティングファームとかこういう目にあって転職した人たくさんいそうなイメージだけど、人材系のコンサルで社内でこういうかわいそうな人が立ち回るための方法とか研究がされたりしてないのでしょうか。ご存じの方いれば教えて下さい。
前回(https://anond.hatelabo.jp/20180902034231)の続きです。
続きがあります
https://anond.hatelabo.jp/20180903013101
あったと思われます。
というのも、ケンヂさんの主張はお父さんを連れて行く判断の主体こそ入れ替わっていますが、ケンヂさんがケンヂさんの身分証提示を拒否している点は共通しているためです。
しかしケンヂさんが身分証を提示しない以上、PCデポ側の選択肢としては、書類を渡す事自体を拒否するか、お父さん本人に対して本人確認を行うかのどちらかしかありません。
すると、PCデポ側がお父さんを連れて来るよう要請するのは自然な事と言いますか、書類の受け渡しに応じるにはそれ以外に選択肢がなかったと言えます。
つまり、仮にお父さんを連れてくるよう要求したのがPCデポ側であっても、その原因はケンヂさんにあります。
少し余談ですが、ケンヂさんに身分証提示の意思がなかったという見立ては、ヨッピーさんも同意見です。
なれたはずです。
しかし、身分証を提示する意思がなかったのであればノーチャンスでした。
お父さんに来てもらったのは本人確認のためなので、T部長がお父さんの身分証を求めたのは当然です。
お父さんに対して本人確認をしないのなら、来てもらう意味がそもそもありません。
ですので、T部長はケンヂさんがお父さんの身分証を持ってきていないと聞いて驚いたのではないかと思います。
半笑いで「本当に本人かどうかわからない」と言ったのも理解できます。
契約書類を受け取りに来た人に本人確認を渋られているんですから、意味不明です。
半笑いは不適切だと言われればそうなのですが、困って思わず笑いがこぼれるというのは誰しも経験があるのではないかな、と思うのです。
何度も書いていますが、契約に絡む手続きで本人確認をするのは当たり前です。
これは一般常識レベルなので、お父さんの身分証を持って来るよう事前に説明されていなかったという言い訳はおかしいです。
ただ、8/19のケンヂさんによる「身分証もいらないんですね」という確認がこれを読み解くヒントになると私は考えています。
ケンヂさんは「お父さんを連れていけば(一切の)身分証は不要」と確認したつもりだったのではないかと思います。
しかし、T部長としてはケンヂさんの身分証提示で揉めたわけですから、「お父さんを連れていけば(ケンヂさんの)身分証は不要」という話だと受け取ったのではないでしょうか。
そもそも契約に関わる手続きで、本人が行けば本人確認しなくていいなんていう道理はありませんので、T部長に確認するまでもなく、少なくとも「お父さんの身分証が不要」というつもりではなかった事は分かります。
最初にケンヂさんに身分証を持って来るよう伝えている事からも、本人確認をスキップするという選択肢は、はなからT部長にはありません。
ケンヂさんがお父さんの身分証は不要だと考えていたという推測には傍証があります。
8/20にお店に行く前、老人ホームにお父さんを迎えに行っており、なおかつそこにお父さんの身分証がある事をケンヂさんは知っていたという事です(だから店頭で揉めた後すぐ取りに行っています)。
要するに、持って行こうと思えば持って行けたわけです。
また、普通は本人確認のために身分証が必要な事も知っていたはずです(現に8/19にT部長から求められています)。
なのにお父さんの身分証を持って行かなかったのは、「聞いていなかった」のではなく「不要だと思っていた」と考えた方がしっくりきます。
ここは多分に私の想像ではありますが、そうでなかったらケンヂさんは「本人が行けば本人確認なしで書類が受け取れる」と本気で考えていたという事になりますので、相当おかしな人になってしまいます。
そんな事はないと思います。
理論上可能ではあったと思いますが、事実上あり得なかったと思われます。
そもそもケンヂさんに提示する意思がありませんでしたし、今回ヨッピーさんが確認した内容を元にすればT部長も拒否しています。
もっとも、T部長が最初にケンヂさんの身分証を求めた時点でケンヂさんが了承していれば、お父さんを連れて行く必要すらなくすんなりと話が進んだ事は想像に難くありません。
ケンヂさんが8/19のやり取りで身分証の提示を拒否した事そのものはケンヂさんの判断なので尊重すべきだと思いますが、その結果起こった事についてはきちんと責任を負うべきです。
(解約時に提示していないのは論外なので別の話です。)
まとめますと、「8/20にお父さんを連れて行く事について、誰が決めたのか」は分からないという事です。
言葉の上ではPCデポ(T部長)のようですが、なぜそうなったのかは分かりません。
今回明かされた8/19のやり取りは非常に断片的で、特に口論の内容が明らかにならない限り何とも言えないというのが正直なところです。
ちなみに、ヨッピーさんとPCデポに詳細な内容の開示を求めましたが、両方拒否されました。
まあ、私は匿名のいちツイッターユーザーなので、それは理解できます(ちなみにPCデポへ問い合わせした時は本名を出しています)。
そして、仮にお父さんを連れて行くという要求がPCデポ側のものだったとしても、そう要求するしかない状況を作ったのは、他でもない、身分証提示を拒否したケンヂさんです。
この前提を受けて記事を改めて評価すると、「前提を無視してお父さんを連れて行った事の責任をPCデポ側に押し付けている点でアンフェアである」ということになります。
そしてアンフェアな内容をもってPCデポ側を責めているため、8/20のくだりの論評部分はデマと言って差し支えないと思います。
少なくとも、公平な視点に立って書かれた論評ではありません。
8/20のくだりについてはほぼ終わっているのですが、もう少し続きます。
ヨッピーさんの記事を語るに当たって、無視できない視点があります。
「書いていない事」への評価です。
例え書いてある事が事実であったとしても、その背景・前提を省けば、正反対の印象、情報を読者に与える事ができます。
例えば、「契約書にサインした」という事実があったとしましょう。
ところが、サインした当時、窓のない2階の部屋に軟禁され、怖いお兄さんに凄まれてサインするまで3時間プレッシャーを受け続けたという背景があれば、無効だという主張は正当なものになるわけです。
同じように、「認知症のお父さんを連れて行った」という事実は強烈なインパクトをもって世間に受け入れられたわけですが、実はその背景は知られておらず、改めて確認してもきちんとは分からないわけです。
むしろPCデポが書類を渡すためには、他に選択肢がなかったのではないかとさえ思われるわけです。
しかし、背景をカットした上で「高齢者の父親を老人ホームから連れ出さなければいけなかったこと(中略)などなどがケンヂさんを硬化させてしまった原因なのかなと思っております」というヨッピーさんの論評が入る事で説得力が生まれ、世間にはこの炎上が高齢者問題として受け止められたわけです。
果たしてそれが正しいと言えるのでしょうか。
これはとても大事な事なんですが、ヨッピーさんの記事を読んで、ケンヂさんが一連のやり取りを通して一度もPCデポに対して本人証明をしていない事を読み取れた人はいたでしょうか。
ケンヂさんが一貫して自身の身分証提示を拒否していた事を読み取れた人がいたでしょうか。
T部長が正規の手続きを取ろうとする限り、あの8/20の展開は避けられなかった、避けられないようにしたのはケンヂさんだと読み取れた人がいたでしょうか。
これは正直個人攻撃になるため書くのを迷う面もあるのですが…。
記事を読んだだけでは、なんとなくお父さんのために色々手を尽くしている孝行息子という印象になるかと思います。
8/19にT部長と口論になったところは、違和感を感じた人もいるのではないかと思います。
「以前に解約した時は必要なかったのに今更なんだ」、つまり、1回目も、2回目も、本人確認なしで解約しているのです。
これは相当おかしいです。
先にも書きましたが、契約関連の事務手続きをする際は本人確認(身分証の確認)をします。
しないという選択肢はあり得ません。
なぜそのあり得ない事が起こったかと言うと、ケンヂさんが店頭で怒鳴り、暴言を吐いていたからです。
1回目の解約時に店頭で暴言を吐いた事については、ケンヂさん本人がツイートで認めています。
(ヨッピーさんはなぜか因果関係を否定し、店員さんが手続きをよく分かっていなかったのではないか、と珍説を述べていました。
サポートプランがころころ変わるからスタッフでも追いきれないという店員さんからのコメントを元にしているのですが、本人確認はプランの内容以前の、手続きにおける基本中の基本です。
あまりに店員さんを馬鹿にした発言で、ちょっと腹が立ちました。)
ちなみに、PCデポの店員さんはインカムでバックヤードとやり取りをしているので、個人の判断で本人確認をスキップしたり、10万円もの減額をしたりはできません。
2回目の解約の時は、店頭で怒鳴っているのをケンヂさんは自分で録音し、テレビ番組で公開していました。
また、前回、前々回と本人確認なしで解約したという特別扱いを元に、8/20も本人確認なしで書類を渡すよう要求を重ねています。
過去のクレームの成功体験により、さらにクレームを重ねるようになるというのはクレーマーにありがちな性向です。
ヨッピーさん記事でも、1回目に無償解約を受けたところのくだりで「「では何故無償解除に応じたのか」という疑問が残る」とありますが、本人確認なしで無償解約なんていうおかしな対応は、通常の交渉で引き出せるものではありません。
なんの事はない、店頭で怒鳴って、店員を萎縮させて勝ち取ったのです。
2回目の解約時も店頭で怒鳴り、また本人確認なしで半額引きという対応を引き出しています。
ヨッピーさんは店頭で怒鳴った事を「異議」「抗議」という言葉で表現したと主張しましたが、これらの言葉で表現できるようなクレームとはとても思えません。
少し余談になりますが、私がウォッチしている限りでは、通常の交渉でPCデポから解約金の減額対応を引き出すのは不可能に近いだろうと感じています。
それだけ、言い方は悪いですがPCデポスタッフは言い逃れする能力と言いくるめる能力が高いです(評判の悪さの一因です)。
改めて考えると、無償解約を勝ち取っている時点で「ケンヂさんは何をやったんだ」となるような案件なんですね。
PCデポの「プレミアムサービス」関連の契約に諸々の問題がある事は間違いないとして、それとケンヂさんの行動は独立して評価されるべきものです。
8/19に身分証の提示を求められて怒り出したケンヂさんの行動は端的に言って異常ですし、そのやり取りの末に交わした不完全な約束(誰の身分証が不要なのかコンセンサスが取れていない)の責任を、PCデポとT部長だけに求めるのは間違っています。
ヨッピーさんは、話がこじれた理由はT部長が話をコロコロ変えるからだ、と言いました。
しかし、詳細に追ってみると、実はそれほど変わっていません。
8/20に絡んだ件で発言を覆したのは、私の知る限り野島社長との面談が流れた時と、8/19にケンヂさんの身分証では契約書類を渡せないとした時の2回だけです。
前者はケンヂさんがメディア対応をしたと勘違いしているところでフリーライターという言葉が出た点、後者はケンヂさんが不当な要求で怒り始めた点を考慮すると、覆した事にも脈絡がないわけではありません。
本人確認の手続きについては、むしろ一貫して原則に従った正しい対応をしています。
言っている事が変わっているように見えるのは、ケンヂさんが当たり前の手続きをスキップしようとしていたからです。
背景となった出来事や情報のうち、ケンヂさんに悪い印象を与えうる要素は記事からすっぽりと抜け落ちています。
一方で、PCデポの本人確認のプロセスについてはあたかも不要であるかのような書き方をしています。
契約書類の受け取りに本人確認が必要だという、ケンヂさんが当然わきまえているべき常識については、T部長が説明していなかった、当日になっていきなり持ち出してきたとしてケンヂさんを擁護しています。
記事全体を通して、極めて強くケンヂさん寄りのバイアスがかかっています。
書いてある事実関係が間違っているのではないんです。
これでも下書きから結構カットしたのですが、優に1万字を超える長文になりました。
とりあえず、これだけの交渉をしながら、ケンヂさんが一度もPCデポに身分証明をしていないという異常事態は分かってもらえたのではないかと思います。
身分を隠して店頭で怒鳴り、自分のものですらない契約の破棄を迫るというのがまともな交渉なわけがありません。
PCデポの契約がいかに納得のいかないものであったとしても、この行為を正当化できるものではないと思います。
そして、それを受けての8/19のT部長との会話です。
ヨッピーさんは「これまで散々やり取りしてきたのに今更身分証を求めた」というような擁護をしていましたが、経緯も含めて、身分証の提示を拒否する事に一切の正当性はありません。
これだけの経緯があって、お父さんを店頭まで連れ出したのを「PCデポの要望」でまとめてしまうのは問題があると思いますし、問題がないと思うような人にはこういった問題を論じる資格はないだろうと思うわけです。
これでお話は一通り終わりですが、もうちょっとだけ続きがあります。
以下は、ヨッピーさんが私に「事実誤認がある」とツイートし、その内容が示されていないという指摘への反論です。
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※ヨッピー注
この時点での「事実誤認」というのは「独り言にて」さんの以下のツイートを指します。
“ケンヂ氏が自身の身分証の提示を拒んだせいで父親を店舗に連れて行き、かつ父親の身分証を取りに戻る流れになった”
この書き方では「父親を店舗に連れて行くはめになったのはケンヂさんが身分証の提示を断ったからだ」という風に読めますが、僕およびケンヂさんの認識では「身分証の提示を断ったのは事実だが、どちらにせよPCデポはお父さん本人ではないと書類を渡せないと言った」というのが正しいです。つまりお父さん本人を連れて来るように要請したのはPCデポであると認識してます。
更にこの辺、
“ケンヂ氏の身分証を提示すれば代理人として認めるという提案を拒否した”
”「ケンヂ氏が身分証を提示するなら父親が同行しなくても対応する」という旨の打診はあった。”
このツイートも我々の認識と違います。PCデポから上記のような提案、打診があった事はありません。ケンヂさんが言うには「では自分の身分証を出せば父親を連れて行かなくてもいいのか」と確認した所、「それでもやはり書類は本人にしか渡せない」とT部長から言われた、との事です。
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前半については、既に本文中に書いてあるのですが、T部長がお父さんを連れてくるよう求めたのは本人確認のためとしか思えないので、ケンヂさんが身分証の提示を承諾していればお父さんを連れて行く必要はなかった可能性はとても高いです。
T部長が「お父さん本人ではないと書類を渡せない」と言ったのはケンヂさんが怒って不当な要求をした後なので、初めからその態度だったとするのはおかしいです。
その内容は8/19にケンヂさんとT部長の間にあった会話で、ヨッピーさんが「知らなかった」と言った事です。
メールでのやり取りが始まった後に知った事実で、どうやってメールする前のツイートの事実誤認が指摘できるのでしょうか。
(本当に)長くなりましたが、以上です。
自称コミュ障のガチコミュ障であり、自分はコミュ障だからしょうがないと言い張りながら、それを解決するための手段をまじめに考えない。何故なら自分は可愛そうな人間でありうまく生きれないのも仕方ないから。
人に質問や相談をすべきだと分かっていても、相手側に「人に聞く前にお前で限界まで調べろ」と返ってくる可能性を考慮して無限の探索の旅に出るタイプ。
チーム全体の効率よりも自分のプライドを優先し、責任を持って発言するのが嫌いなのですぐに決断を相手に行わせ、その上で起きた結果や内容に文句を言って自分は悪くないという。
強烈な被害者意識を持っているが、その原因の9割は自分が撒いた種であり、たった1割の自分じゃなくて相手が原因だと言える分野に関してネチネチといつまでも覚えておいて振り回したがる。
プレッシャーをかけることがマネージメントであり自分の役目であると信じ込み、相手に無限の自己犠牲すらも平気で求める。
トレードオフ関係のものや、競争状態になっているものを理解せず、実現不可能な100%完璧をあらゆる方面に求めた結果絶対に実現不可能な目標を完成させそれを平気で他人に要求する。
自分の想像力のなさゆえにすぐに物事を狭い視野で見てしまい、その視野に収まりきっていない事柄に対しては平気で「想像力が足りない」といいたがる。
理屈と膏薬はどこへでもつくという原則すら理解できていないので、一見理屈が通っているが確定しているとは言い切れないはずの事象に対してこれこそがただ一つの正解だと考えがち。
自分が他人に求めることを自分は一切やる気がなくても「でも僕はお前らと違って大変だから仕方ないんだ」と言い訳しながら、悪びれもせずに自分がやる気もない事を他人に要求し続ける。
関わる人間の注意力や集中力を減らすような方向に物事を進めたがり、呪いの中心にいる自分は恐ろしい勢いでケアレスミスを量産しながら更に自他の注意力を奪う方向へと突き進む。
常識・マナー・身内ルールが大好きでしょっちゅうそれでマウントを取るのだが、世間一般でより広範に用いられているルールを次々と破っている事に関しては何も気にしない。
自分が他人にマウントを取れる分野だけが大好きで、自分が他人より下になりそうな話題は大嫌い。
立場を利用した無理強いによって様々な無茶振りをすることで仕事を何とかこなすが、そうして失われた信頼は他の人間が必死に取り戻すことになる事に対しては何も考えない。
今の上司がこういう人間なのだが、よくよく考えると自分自身もこういう人間なのだ。
自分は時折、自分のような社会不適合者は死んだほうがいいのではないかと悩みながら、それでも何とか生きてきた。
だが、その悩みが、自分は死ぬべきなのであるという考えが間違ってなかったと日々確信に変わっていく。
生かしておくメリットとデメリットの収支が不利益側へと大きく傾いている。
少なくとも、表の社会からはそっと抜け出して、どこか裏の社会で生きる道でも探したほうがいい人種なのだ。
まともな人間ではない。
必死になってまともさを維持しようとする人達、生まれついた家庭に恵まれたのかただありのままでまともな人達、そんな人達が我々のようなゴミのベビーシッターとなっているのが不憫でしょうがない。
死にたくない。
死にたくないけど死ぬべきだと思って生きていくのは辛い。
だから自分のようなクズであっても死ぬべきは言いすぎだと信じたい。
信じたいのに……鏡に写った己と極めて似通った姿、それを更に見にくく膨らませた醜悪さの次のステージ、己が抱えるクズさの成体と平日は毎日10時間程度同じ空間で過ごすことになる。
そうなるとどうしても……自分たちは死ぬべきなのだという仮設が証明され続けてしまう。
もういやだ。
俺は死にたくない。
それとも、刺し違えて死ぬほうが手っ取り早いのか。
バブル期には多岐に渡ったそのビジネスは、現在ではその多くが縮小傾向にある。
その原因の一つが、改正の重ねられた暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)と各地の暴対条例だ。
暴対法では、下手をすればトップが「使用者責任」を問われるから、末端であっても、危ない橋は渡れないし、渡らせることはできない。
法規制による締めつけで、多くの暴力団のシノギは、方向転換を迫られた。
いまもなお、一定の利益をあげられるのは、「電話」(オレオレ詐欺)と「薬屋」(覚せい剤密売)くらいだろう。
いまだに騙される老人は十分いるが、警察の「騙されたふり作戦」が功を奏しており、受け子(現金の受け取り役)の減少が深刻だ。
受け子不足から、中高生までも受け子にリクルートする例もある。
もっとも、スーツを着せてもその違和感は拭いがたく、当然、成功率は低下する。
こうした状況の中でも、上層部からの上納金の要求は変わらない。
ある組長は、重い負担に窮し、新しいビジネスに手を出すことにした。
それは
【追記】
それの優勝賞金は、100億円。
そこで、組長が目をつけたのが、はてなブックマーカーだ。
有望なダジャレブクマカを監禁し、強制的に成長させ、トーナメントに参加させようというのだ。
当然、組員はこぞって反対した。
しかし、上納金のプレッシャーに精神を侵された組長は、聞く耳を持とうとしない。
組長は、他のターゲットを探し始めた…。
哺乳類としてはオットセイだかセイウチだかの完全上方婚型一夫多妻制を合法化・追認するのが、一番合理的ではないだろうか。
追認というのは、ニンゲンでも既に事実婚として実施している場合があるらしいので、それに対応した表現である。
上方の中でも圧倒的な上方である超高収入超実力者の夫が、元増田のように比較的上方だがトップではない層~中間層の妻を複数名金銭的にフォローする。
フォロー対象が複数名いても何ら支障をきたさないレベルの上方男性にのみ家裁が許可を出す形式をとる。
別に中間層より下の妻もいてもいいが、ここでは「下方婚しろ」とプレッシャーを掛けられることの多い中間層以上の女性の救済方法を考えているので、あえて例に挙げた。
この制度は上方婚をしたい女性のニーズを満たすだけでなく、社会にとっても非常にメリットが大きく、完全なwin-winの関係を実現できる。
一夫一妻婚しか認められていない社会では、地位の高い女性が増えるほど上昇婚を満たせる男性の数が少なくなり、カップル数の低下、ひいては少子化に帰結するという悩みの種があった。
しかし完全上方婚型一夫多妻制を合法化・追認すると、社会の中に存在するカップルの数が純増し、一定の出生率の改善が見込まれる。
下方に位置する男性はそもそも一夫一妻婚でも一夫多妻婚でも関係なくカップルの成員となる資格がないので、今回の議論では無視してよく、トレードオフ問題は生じない。
31日 17:00 までに完了しなければならない仕事 XX を 29日になっても増田チームは手をつけていない。
手助けが必要かを繰り返し確認しつつ、全チームの進捗を全社公開しプレッシャーも掛けたが、問題ないとの回答。
ナメてんの?
1. 増田のマネージメントがうんこなのにメンバーのせいにしているから
2. なんで増田はマネージャーになってみようと思ったのか?誰が推薦/承認をしたのか?
1. 『マネージャーならXXは当然』は他者には関係ない。自分のMy仕事ルールでありMy人生のルールである
2. うんこでもマネージャーになりたいと思っていいし、推薦/承認されてもいい。増田の仕事の取り組み方や人生を決めるのは増田であって他者ではない
3. 増田マネージャーを許容するかは『会社(雇い主)』が決める事であって自分ではない
1. 増田は仕事をしないことが許されるが自分は許されない、不公平である
2. 増田は適当な働き方/キャリアでも生活を維持できるが、自分はそうはいかなかった、不公平である
1. 期限のバッファーは設けてある/準備はしてるので「そっすか」と巻き取る
若手俳優厨をやめたいと何度も何度も繰り返し言ってきた私が、とうとう降りようとしている。
10代の頃は、推しぴのオタク(ハート)と名乗り、同じ公演に何回も入ることも、地方へ遠征することも凄いと言われ調子に乗っていた。
何故こんなに入るのかと聞かれたら板の上に立つ推しが好きだからと常に答えていた。
セリフが冒頭のシーンしかない時でも、総合的に出演するのが10分くらいでも、死ぬほどつまらない舞台でも、私の推しが一番上手いと思っていたし、回数を重ねるごとに本当に上手くなっていく姿を見るのが好きだったから何度も足を運んだ。
カテコで誰よりも深いお辞儀をして笑顔で去っていく推しを見る度に何十万もつぎ込んだ甲斐があったと思っていた。
でもいつしかそれが変わっていった。
ひょんなことから入待ち出待ちをするようになり、公演内容より入と出で彼に会うことのためにチケットを買っていた。
初めはよそよそしかったものの、名前も顔も覚えてくれて、容姿の変化に気付いて褒めてくれたこともあった。
公式では言えないことも沢山教えてくれたし、推しの愚痴だって聞いて一緒に悩んだりもした。
誘われて一緒に帰ったり、出待ちしなきゃ出来ないことが沢山ありすぎて、私は一生出待ちを辞めれないと思ったし、この人から降りれないとも思った。
今は良い面を書いてるから出待ちっていいんだと勘違いする子もいるだろうが、実際はこんなにキラキラした世界ではない。
出待ちした分公式での構い方が変わるし、向こうは絶対来てくれると思っているから、感謝の言葉は少なくなるし、言葉だって砕けてはくるというが、少し乱暴になる。
町の対応をしたくない時には、冷たい態度を取られるのでそこは空気を読んで話しかけないようにしなきゃいけないし、今日は話しかけられなかったとか、冷たかったとかもうそんなことで落ち込んでられなかった。
次第に出待ちのオタクが増えれば、新規の方が大事にされ、蔑ろにされる。
私にとっては高い貢物だって、彼からしたら底辺なものなのか反応は少なくなるし、ほかのオタクより高額なものをあげないといけないのかとプレッシャーにもなる。
気付けば社会人になり、平日公演に入れない事も増えた。私はいないのに他のオタクが待ってると聞けば心は不安になるし、会わない期間が長いと忘れられてるのではないかと心配にもなる。
可愛い子がいれば出待ちしてても公式で構ってもらえるのだと見せつけられ、その差を見て死ぬほどつらくなることもある。
抜け駆けした子がいい思いをし、今まで話した内容も自分だけに話してくれたわけじゃないんだと気付いてひどく落ち込んだ。
所謂ガチ恋とかリア子なのではないかと悩んだ時期もあったが、そういう時に限って彼女と歩いてるところを何度も目撃し、自分は俳優をしてる彼が好きなんだと思いながら彼を待ったこともあった。
彼を応援して9年待って7年。
いつしか結婚適齢期オタクになった私は1人取り残されていった。
周りは彼氏を作り結婚し子供を作り、そんな中私は貯金もせず、もう若手と呼べないアラサーの俳優に貢物を贈り何時間も彼を待ち10代の子たちと何かを張り合っている。
リアルには目を向けないで彼だけを見てきたから、何も思わなかったのに、あるイベントで私は夢から覚めてしまった。
最前にいた私を見て位置を確認した後、一切見向きもせずファンサもしなかった。
してもらえるだろうと思っていたからこそ何故という疑問が浮かびイベントも楽しめないまま終盤を迎えた。茶の間や町勢関係なく自分のオタクを探して手を振っていたのに、彼は私に見向きもせずステージから去っていった。
今まで出待ちしてるからファンサをもらえないと思っていたし、一年に数回程くれるファンサで十分だと思っていたのに、ここぞとばかり出待ちに対応していたのに私だけされなかった。
だから思った、
あ、なんだオキラだったのか、と。
いつの間にかファンだった私はオタクになり出待ちをするクズオタに成り下がり最期はオキラという地位にたどり着いた。
覚えてもらってカテコで見つけたよって言われただけで舞い上がったし、自分のファンだという認識のされ方に優越感を感じていた。
次第にファンが増え、対応が周りと変わらないことに気付き、それでも特別が欲しいと思い追っかけていたのに、自分の中いる彼と実際の彼とのズレが生じ、解釈違いを起こしていた。
無視される理由がわからなかったし、出待ちで聞く勇気もなかった。
ただ私の脳裏に焼き付いているのは見下すような視線を向けた彼の顔だけだった。
ファンサが無いことなど今に始まった事ではないが、オタクを辞めどきか続けるべきかと悩んでいた私にとっては夢から醒める良いきっかけになった。
今私が彼に対していくらお金を使っても、高額なプレゼントをしてもこの対応をされるんだろう。
残るのは、ただの紙切れであるチケットの半券や、大量の写真集、そしてブロマイドだ。
好きという気持ちを継続させたいのであれば、ちゃんとファンと俳優との距離を保ち、大勢いるファンの中で、自分だけ飛び抜けておいしい思いをしようと思わないことだ。
結局セックスだよな
ど~~~~してもセックスしたいッッッ!!! っていう自分ではコントロール出来ない衝動のためにいろいろ細かい苦労して(よく出来たことに絶対克服不可能なハードルではない。普通に社会生活送ってれば)セックスする相手を作るわけなんだけど
面白いのは、この「ど~~~~してもセックスしたいッッッ!!!」っていう衝動は自分ではコントロール出来ないけど、社会的な慣習・教育・育て方でほぼ100%、割と細かい条件までコントロールできるんだよな。
例えば21世紀の日本にあっても「女の子は結婚するまでセックスしない」っていう育て方をする親はいるし、そうやって育てられると女の子自身が婚前交渉に忌避感をもつ、というか「そこまでしてセックスしたいとは思いませんし」という感じになる。必ずしも婚前交渉はしないということではないんだけど、している場合でもそれは「彼氏・周囲からのプレッシャー」「『やってるのが普通』というメディアからの情報」なんかが逆方向に条件付けした結果だったりする。「自分は特にしたいわけじゃないけど...」という感じで。その一方で一度結婚しちゃえば「夫の回数に不満」を持つほど自らがノリノリになったり。
社会的には割と若いうちから「性欲を持つこと」が肯定される男性の場合でも「誰に対して性欲を持つか」は社会的に細かく規定されていて、若く魅力的な女性相手でも服装・振る舞い・喋り方、またはそれらから連想される社会的階層や経済力が「自分とは住む世界が違う」と、性的にアプローチする気にならなかったりするのは普通にある。
もっと極端な例だと信濃伊那郡天竜村にかつてみられた「おじろく・おばさ」という特殊な社会制度の中では、性欲などそもそも最初から存在しない人間をつくることさえ可能だったようだ。(もっとも性を完全に封殺することは当然人格の形成に多大な影響があったようで、成長するにつれて人嫌い・無愛想になるのが普通だったらしい。)
結局どういうことかっていうと、人間の性欲は実際の行動はおろか当人の「自分には性欲がある」という認識さえ社会という他者(と自分)の集まりによって強力に規定されているってことで、性欲はおろかあらゆる性癖に寛容でオナニー環境が非常に充実してる一方で他人に話しかけることさえ事案になるような社会では、そもそも「恋人が欲しい」なんて気になるわけがない。しかも「正しい交際相手」の条件が仲間内ルールやメディアに細かく規定されてて、正しいセックス相手を見つける苦労のわりには実際のセックスが大してよくないとなると結果は推して知るべし。
「周りのみんなは持ってるし、アテクシもひとつ持っててもいいかしら?」ぐらいの気持ちなら、むしろないほーがいーんじゃねーの?わざわざ他人とそこまで深く関わるのもメンドクセーし。
どうしても誰かとセックスしたい気持ち持て余してるなら、「いいセックスするか?」基準で一本釣りだな。間口広く取って(年齢・職種・収入とかベッドに持ち込めないもので切らない)、2週間以内に若干名面接。1~3時間程度の面接2~3回やって採用でいいでしょ。セックスがよくなかったらそのときに切ればいいんだし。この程度のことがメンドクサイなら、まあそれは必要なかったってことだよ。
最初に結論:田舎生活を経験していないひとは少し厳しいです。自分の適正によっては思いなおしてください。
自分のスペック:東京生まれ東京育ち。独身男子アラフォー。父母は上京組だが、親戚づきあいをしないタイプ。躾は最低限でのびのび、いいかえれば無作法に育つ。理系の技術職。海外仕事がやりたくて入った会社が縮小傾向で海外赴任が狭き門になり、一念発起して途上国開発企業に転職した。専門分野のスキルと英語は問題無い。
たぶん自分のようなタイプが思い浮かべる途上国仕事のイメージは「誰も自分を知らないところで、自分の専門スキルを活かして、途上国のひとたちに役立てる。360度Win-Win」であるはずだと。
そんな自分が最初にぶつかったストレス要因は「途上国日本人村」の存在。
数年前、念願の途上国赴任を果たしました。途上国開発仕事ではその国の首都で生活することがほとんどです。そして大抵の途上国の首都にはそれなりの数の日本人がいます(大使館、NGO/NPO、JICA、工事関係...)。そこでは大使を頂点としたヒエラルキーができます。
そこで暗躍するのが「田舎者とおばさん」です。すなわち"狭いコミュニティで生き残る術"と"ヨソ者を排除する能力"に長けた人達です。そう、自由を求めて海外に飛び立ったはずが、こと生活面においては最近そこかしこで見る「地方移住のルール」が適用されます。
わたしはこれまで都会生活にどっぷりで、それほどコミュニティへの参加を意識したことは無かったです。途上国まで来て学びましたが、こういった場所では大抵のことは見えないヒエラルキーで形づくられるコミュニティで決まります。内心いやいやながら最低限の集まりに参加すると、そこで繰り返されるのは、そこにいない(=わざと呼んでない)人の噂話や遠回しの悪口です。日本からウン十時間も移動にかかる新天地に理想を持ってやってきて、何でわざわざ休日に集まってこんな狭いコミュニティで、誰の側につくか?のような話に参加しなければならないのかとウンザリします。
あと、都会育ち女子にとっては「田舎者コミュニティ」に加えて、「女性コミュニティ」のプレッシャーも加わります。その話を聞いているだけでも本当に男に生まれてよかったと思います。女性の敵は女性らしいですね。なので「途上国仕事に高い理想を持った都会育ち女子」には2倍のクッソなことが待っていると思います。「旦那さまについてきた都会育ちの奥様」は仕事で発散もできないので、さらにマシマシでクッソなことが待ってます。精神的にやられてしまうかたもそれなりに居ます。また国内と違って身近に逃げる場所もありません。そういった意味ではインターネット万歳です。ネットにかなり救われます。
なお途上国仕事自体は面白いので、コミュニティは無視して仕事に打ち込むというのもありますが、それなりの精神力(もしくは鈍感力)が必要かと。
妊活中の人を悲しい気持ちにさせたらごめん。純粋に疑問がわいたので誰か教えて。
『ルナルナ』ユーザーのアンケート調査「みんなの声」Vol.22によると、「月3~4回」が36.9%と一番多く、次いで「月5~6回」が21.6%、「月1~2回」が21.5%。「月7回以上」という回答が17.7%。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000262.000002943.html
月3~4回って少なすぎじゃね?週に1回じゃん。1週間は生理があるから仕方ないにしても、休日に1回しかしないってこと?
本気で妊娠しようと思うなら、金、土、日で週3回=月9回はできるような気がするんだけど…
週1日しか休めなくても、土、日で週2回=月6回はできる。
そもそも月3~4回とか絶対旦那さん側はオナニーし無駄うちしてんじゃん、と思って男性のオナニー回数も調べてみた。
TENGA「全国男性自慰行為調査2017」をもとに計算すると月12回程度だった。
TENGAのアンケートに答える読者層と妊活で答える読者層の違いは考えるべきなのかもしれないけど、やっぱり無駄うちしている気がする。
https://tengahealthcare.com/special/report/
妊活中のセックスっていうのはそんなにプレッシャーがかかるものなの?
義務的なセックス、というけども月3回じゃ旦那側はオナニーするくらい性欲が余っているしそんなに気分が盛り上がらないものなの?
旦那の性癖が特殊で、それを打ち明けられないのではないかと思ってしまう。
それにセックスってそこまで疲れる?たしかに終わったら眠くなるけど、「疲れるからセックスしたくない」なんて思うことがあるのが不思議。むしろ寝つきが良くならない?
とにかくセックス月3回という少なさに驚きすぎて、疑問がわいて仕方ない。
家を買ってしまった!
土日に「ヒマだから見に行ってみる?」なんて冷やかしのつもりで見学に言ったら、
なんて話になって
そのまま何件か見ていたら
予算はちょっとオーバーするけどこれは絶対にお買い得だ!って家を見つけちゃって
「今なら施工会社が決算月だから、限界超えた値引きができるかもしれない!」
って言われちゃって、予想以上の値引きまでしてくれて
結局買うことになってしまった。
家買うのってもっとじっくり悩んで色々見比べて、
徹底的にこだわって買うもんで、
ローン組むというプレッシャーがでかくて
全然嬉しさがこみ上げてこない!
身の丈に合わない物を買ってしまった!というソワソワした感じ。
月末の引っ越しに向けて一気に夏休みのスケジュールも埋まりきってしまった。
あー、落ち着かない。
みんな、家を買った人もおんなじなんだろうか?
みなさん、家買ってよかったですか?
67歳、末期がんだったという。
つよい順に並べたが、
翁長さんの受けたプレッシャー、ストレスは想像を絶するものだったと思う。
病の原因と進行は過剰なストレスが一番大きい。
生まれ育った琉球という島が、外部の人間によって破壊されていくのを止められない。
悔しかったと思う。
沖縄県民と翁長さんの意志を継いで引っ張って行ってくれるような人は現れるだろうか。
命がけで、勝てる可能性の低い戦いに身を投じなければならない。
このまま、他の離島のように組織票によって極右市長や土建市長になってしまうのではないか、
この国の未来にはまったく希望は持てないが、かつて大戦において過大な迷惑をかけた琉球にこれ以上のさらなる迷惑を強いるというのか。
本当にこの世界は汚れていて、救いようのない世界だなと改めて思う。
自分は今本島ではなく離島にいるので、ただ静かな海を眺めているだけでその汚れを忘れられる。
ただ、それすらも壊されようとしているのだ。