はてなキーワード: ブログ記事とは
精神面を強くする方法の1つに、ブログを1000記事まで毎日更新する苦行があります。
とにかくブログ(1500文字以上)を1000記事まで毎日更新していけば、イヤでも精神面を強くすることができます。
精神面が強くなるとあらゆる人生の不測の事態にも冷静になって対処できますし、クソつまらないことで悩むこともありません。
それに悩んだとしても、数時間後にはいい意味で学んでいますし、同じような失敗もしません。
このように精神面を強くするといいことづくしなのですが、果たしてブログを1000記事まで毎日更新することはどれくらい苦行なのでしょうか。
私も3年間以上毎日更新しては、ブログも累計1000記事は超えています。
今冷静になって考えてみると精神面は強くなった気がしますね。継続力も忍耐力もブログを始める前と比べるとかなり成長しています。
ただ私がブログを始めた理由は精神面を強くすることではありません。
普通に文章を書くことが好きですし、ブログでお金を稼げることを知ったからです。
好きなことでお金を稼げるなんて本当に運がいい私ですが、果たして同じようにブログで稼げるといったら、それは「NO」ですね。
精神面を強くするためにブログを書くのは、おススメですが普通の一般人が根性や努力だけで1000記事達成はできません。
そんな時間を掛けてブログを毎日更新できる人が、果たして1000人いたら何人書けるでしょうか。
ほとんどの人たちは都合のいい言い訳を考えて脱落していきます。それくらいブログを毎日更新して1000記事達成することは難しいことなのです。
それでも何とか毎日更新してブログを1000記事達成すると、さらなる上のステージへ行けることになります。
その時点で精神面もかなり強くなっていますが、まだまだ精神面を強くすることができます。
精神面を強くしたければ、まずは1つのことに集中してブレずに継続すること。
途中で予想外なトラブルもありますし、冷や汗がタラタラ出てドキドキするようなことも起こるでしょう。
もちろん、継続することも精神面を強くする方法ですがそれだけではありません。
ブログをとりあえず1000記事まで毎日更新することは苦行ですが、達成後の達成感はそれは気持ちのいいものです。
今までに味わったことがない清々しさでしょう。
精神面を強くしたい方は、ぜひブログを1000記事まで毎日更新してみてはいかかがでしょうか。
1000記事を達成したら、次は3000記事を目指してブログを書いていきます。
ただ書くだけではダメです。
何も考えずにブログを毎日更新しても精神面を強くすることができませんし、ブログも強くなりません。
ブログはいつアクセスがくるか誰にもわかりませんが、本当にクソつまらないブログ記事は検索表示1ページ目にあっても読まれません。
ブログを始める人は多いですが、ブログを途中で辞める人はそれ以上に多いのも事実。
ブログを辞めてしまう原因には様々な理由がありますが、その中でもブログの楽しさや面白さを理解できないということ。
ブログを書くことが楽しければブログを辞めてしまうことはありませんし、面白ければ面白いほど続けていくもの。
けれども、大半の人達がブログを辞めていく中でブログを書き続けられる人は、一体どのような思考で書いているのでしょうか。
私の自論では、ブログの楽しさや面白さは書けば書くほど感じるようにはなるけれど、その先がまた難しいということ。
とりあえず、詳しい内容は以下の通りです。
ブログは継続すればするほど書くことがなくなっていくのは否めません。
だからこそ、日々何ごとも記事にするという意識が大切なのですが、常にブログのことを考えて生きるのもまた疲れます。
心の底からブログを愛しているのならばそれらの思考も苦になりませんが、ほとんどの人達はブログ以外にも人生を楽しむ術を持っています。
もちろん私自身もブログ以外の楽しみは持っていますし、ブログが人生の全てではありません。
けれども、ブログの楽しさや面白さはこのような思考の繰り返しをしては、約2年の期間で気づくのではないでしょうか。
少なくとも私自身は約2年間でブログでの本当の意味の楽しさを知りました。
ブログでの本当の意味での楽しさとは、ブログを通じて様々な人達と出会えるということ。
実際に会うことも可能ですが、ここでの出会いはSNS(ツイッターやフェイスブック)等で出会うということ。
このブログでのコメント欄での出会いもありますし、ブログを書いていなければ繋がらなかった人達もたくさんいます。
学生時代での移り変わりの激しい人間関係にも似ていますが、それがまた出会いの楽しいところ。
ブログを通じて出会う人には色々な人がいますが、そのほとんどは「勉強」と「気づき」を与えてくれる人ばかりですね。
ブログの真の面白さを知りたければ、多少辛くてもブログ記事をドンドンと書いていきましょう。
駄文でもつまらなくても気にしないこと。誰も読まなそうなブログ記事でもとにかく書いていきます。
来る日も来る日もブログを書き続けていくと、一体何のためにブログを書いているのかがわからなくなっていきます。
それでも書き続けるのです。ひたすら書き続けるとどこかの時点で良い意味で開き直れます。
そうなればしめたもの。そこからさらにブログを書き続けるのですが、ここからは真のオリジナリティの記事を書きましょう。
真のオリジナリティの記事とは「あなた自身」にしか書けない文体と内容のブログ。
文法や正しい書き方などはあまり気にせずに、思いのままでブログを書いていきます。それを継続していくとどこからともなく嬉しいファンがやってきます。
運が良ければコメントを頂くこともあります。中には誹謗中傷にまみれた見たくないコメントもありますが、それでも書かれることは凄いことです。
逆の立場で考えればよくわかりますが、誹謗中傷コメントを書く時間を作るのも実は面倒くさいですし、余程のことがない限り書きません。
だからこそ、内容に関わらずコメントを書かれることは素晴らしいことだと理解しましょう。
ブログをできる限り継続したい人は、ブログの楽しさをまず知ることが大切。
ブログの楽しさや面白さを知るためには、とにかくブログを書き続けなければなりません。矛盾しているようですがこれがブログ継続の全て。
気負わず、臆せずに好きなことをブログ記事にするのは素晴らしいのですが、それこそが実はブログの難しいところ。
好きなことをブログに書くのは簡単なようで、なかなかできることではありません。実際に書いてみればわかりますが、書けたとしても数ヶ月がオチでしょう。
今現在、ワードプレス(WordPress)以外のブログサービスでブログを書いている人で、ワードプレスに移行してブログを書こうか悩んでいる人も多いことでしょう。
過去の私もシーサーブログからブログを始めて、今はワードプレスでブログを書いています。
初心者ブロガーにとってワードプレスは敷居の高いブログサービスの1つですが、何ごとも挑戦ですし、やってみないとわからないことは多いもの。
そんな悩めるブロガー達に、ワードプレス移行を少しでも前向きに考えられる記事になれば幸いです。
有名なブログサービスにはLINEブログ、はてなブログやアメブロがあります。
そのような人気のブログサービスを乗り越えて、私がワードプレスに移行した理由はシンプルに自分だけのブログサイトを作成したかったから。
もちろん、ブログで稼ぐことも考えていましたし、アクセス増加も望んでいましたが現実はそう簡単にはいきません。
それなりに稼げるようになったのは1年後くらい。アクセス増加も基本的には急激に伸びては現状維持の繰り返しです。
それでもワードプレスに移行して良かったと感じることは、無料ブログサービスに比べて愛着が持てるということ。
今思えばワードプレスに移行してブログを書くのかを悩んでいた時間がもったいない気がしますが、それもまた素晴らしい体験の1つです。
ワードプレスでブログを運営すると愛着が余計に持てるのは、お金が掛かっているからもあります。
通常のブログサービスは基本的にお金は掛かりませんし、すぐにブログを書ける状態です。
けれども、ワードプレスに移行したり、ワードプレスでブログを始めるとなるとブログを書く前から色々とすることが盛りだくさん。
大半の人達はそこで挫折してはワードプレスに移行を断念しますが、そこを何とか乗り越えるとまた違う新たなブログの世界に出会えます。
ワードプレスでブログを書くのはお金が掛かるので、そう簡単にはブログを辞めません。
人間というのはどうにかして、お金を掛けた分の「もとを取りたい」と思うもの。だからこそ、ワードプレスでブログを書くのは継続するという意味でもおすすめですね。
ワードプレスに移行してブログを書くのかを悩む理由の大半は以下の通り。
この中でもレンタルサーバーはどこがいいのかを悩んでいる人は多いでしょう。
過去の私も悩んでいましたが、悩み解決としてはネットや本などでとことん調べることです。
よくわからなくても少しずつ知識をつけていけばいいのです。焦る必要はありません。期限は設けていませんし、自分のペースで勉強することが大切。
ワードプレスの勉強と並行に今現在のブログサービスで、勉強したことをその日にブログ記事にしましょう。
そうすることによって、さらに理解できるようにもなりますからね。
ワードプレスに移行してブログを書こうか悩んでいる人達に伝えたいのは、そんなに難しく考えなくてもいいということ。
誰にでも「最初」はありますし、試行錯誤しては失敗しての繰り返しです。
私もまだまだワードプレスについて勉強中の身ですが、それでもここまでブログを成長させることができました。
やる前からアレコレと悩んでもいても仕方のないこと。とりあえずやってみる精神でワードプレスに移行してみましょう。
わからないことがあれば、その都度また勉強していけばいいだけですからね。
移行するか悩んでいる時間はもったないだけですよ!
これが霊の力か…?
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/sgc-ikeda/entry-12294484372.html
エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか という記事が話題になっていて、色んな人がいろんなことを言っていた。定期的にこれ系の話が出てるような気がするけど、結局人それぞれだと思う。
業務時間外に勉強するような人はプログラミングやら何か作ったりするのが好きな人が多いんだろうけど、その理由も人によって様々だと思う。自分の場合はどうだろう。
自分がプログラミングの勉強とか、何か作ったりとかそういうことをするようになったのは、ざっくりいうと学生時代に飲食店バイトとかコンサート会場の設営とかせずに図書館でパソコンかたかたして金が欲しいからだった。結局Crowdworksで請けた仕事をして何万円か稼ぐくらいが精一杯だったけど。
勉強はそこに至るための準備だったり、あとは趣味的な部分が大きかった。また、過程をブログにでも書くと誰かが有難がってくれたりするので、そういう楽しさもあった。
当時はなぜかベンチャーでバイトするとかいう選択肢がなく(馬鹿だし独学で無理だと思ってた)、思いつくのがウェブサイトのアフィリエイト収入とCrowdworksくらいしかなかった。今思うと、ベンチャーでバイトよりよっぽど難易度高いような気がしなくもないけど、当時は意識高くて賢い人達に囲まれた環境に週何日も通わないといけないバイトの方が不可能に思えた。
ウェブサイトのアフィリエイト収入を得るにはウェブサイトなりブログを運営すればいいんだけど、自分でおもしろブログを書けるとも限らないので、ユーザーが投稿してくれたコンテンツが広告収入につながれば美味しいと思っていた。
そんな浅はかな理由でCGM(Consumer Generated Media: ユーザー投稿型のウェブサイトなどの総称)を作ろうと思ったり、iOSアプリを有料で販売したいと思ってiOSのプログラミングの勉強も少しした。結局続いたのはウェブサイト作りの方だった。
当時のスキルで請けられる仕事なんて少ないので、ソフトウェアエンジニアとしてお金を稼ぐにはもっと勉強しないといけないと焦っていた。とにかく勉強してスキルを身に付けてソフトウェア開発でお金稼ぐんだというモチベーションが強かった。接客や肉体労働が得意だったら、そんな焦りもなくもっと明るい学生時代を過ごせたような気もする。
そのため基本は仕事をもらう → 勉強する ではなく、勉強する → 仕事を請ける という順序だと思っていたし、今でもそうだと思っている。そんなことを書くと真面目な雰囲気がするけど、ある意味これは、業務であたふたするのが嫌だから先に勉強したい、馬鹿だから先に予習しないと無理、みたいなネガティブな考え方から来てる。
もっとポジティブであれば、学生のころからベンチャーに飛び込んで「一生懸命がんばります!」とか言えたのかもしれない。要領が良かったりポジティブな人は仕事をもらってからでも勉強できるし、自分のようにネガティブな人は仕事をもらう前から勉強して臨まないとストレスに耐えられない(と思い込んでいる)。
そうやって振り返ってみると、業務時間外の勉強は当たり前だ。しかし仕事に自分の人生の全てを注ぎたいと思っているかと言われると、そんなことはない。できるだけ働かず、日中読みたい本でも読んでいたい。個人運営のウェブサイトの広告収入で暮らしたいなんてことはもう諦めているけど、仕事する時間を減らしたり、自分の立ち位置を少しでも有利にするには、結局スキルを身につける必要がある。そのための勉強はどう考えても必要だし、学ぶ楽しさみたいなのは今のところ感じられているので、勉強は趣味としてやりたいことの一つでもある。
自分のことばかり書いてしまったけど、一番上で参照させていただいたブログ記事を読んだ感想も書いてみる。
ブログ記事を書いているのは雇われる側のエンジニアではなく、雇う側の方なので、あのブログ記事は「うちの会社には、勝手に勉強してくれるエンジニアが入ってきてほしい」というアピールというか想いみたいなものなのかなと受け取った。
あの記事はあまり勉強できてない人が嫌な気持ちになるだけで、勉強たくさんしてる人が来たくなるかというとよくわからないので、もっとこう社内の本棚の充実具合をアピールするとかそういう方がいいんじゃないかなと思う。たぶんバズらないけど。
はどうなっているの?
18日 06:43 Fc2上のブログ記事を更新、Cocologも同記事を更新
19日 06:24 FC2 Videoに本名で検索可能なビデオ(15分48秒)をアップロード。これ一つで確実に警察が動いて逮捕案件。再生件数33,000以上。
Youtube上のものは短く他人がアップロードしたと推測。性器露出部分を削除。
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現在の状況の可能性は以下の3つ。(18日以前に二回も警察にお世話になっている)
19日の時点で警察は動いているはず。
住居の管轄は田園調布署だが、担当は麻布署なので、麻布署の留置所。
(2)病院
(3)自殺
前回は警察に連れて行かれたときは母親と妹に騙されたので連絡を断絶した。
前回は警察が来ても部屋に籠城できたが今回は強制に入られる事を想定できる。
人生終わったと思っていた。
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警察に勾留されているなら事情聴取されパスワードを聞き出し、被害拡大防止のため非公開化(証拠保全のため)を即刻するだろう。
同棲していた恋人が自殺した話 - fuwatoro2のブログ
http://fuwatoro2.hatenablog.com/entry/2017/06/10/141251
のエントリーページで、
というコメントに対して
kokorosha コメント欄で、はてな匿名ダイアリーだと思っている人がかなりいてドンヨリした。「個人的な経験について書くときは、実名はもちろん、IDを隠す」が常識になってきているんだなと思った。
というツッコミが入っていた。
もう数年前から、「はてな匿名ダイアリー、ないしその書き手」を指す原義(1)ではなく(念のため説明しておくと『アノニマス・ダイアリー』→『マスダ』→『増田』)、顕名・匿名問わずブログ記事の書き手全般を指して「増田」と呼ぶ用法(2)がはてなブックマークで観測されている。
これははてなブログのサービスイン(2011年11月)前後から参入した新規層が、先住民の用いていた(1)を誤解して(2)を使いはじめ、それが広まったのではないかと推測している。実際、doas1999は2012年からの利用者のようだ。ココロ社はご存知のとおり10年以上前からはてなにいる古参。ただmilkpupがはてブを使い始めたのは最近のようなので、新規層でも(1)を正しく理解している人もいるのかもしれない。(2)もそれほど多くはないし。
何が言いたいかというと、はるしにゃんの死はメンヘラ神の祟りなのかもしれない、ということだ。多少とも生前のはるしにゃんにかかわった者として、彼の最期のありさまが知れてよかったという思いはある。
何かの商品のPRをするというよりは、クライアントの商品に関係なくおもしろおかしい記事を展開するスタンスのものが多い気がするんだけど、これってテレビのバラエティ番組とほとんど同じ構造だよね。
とにかくPR記事を踏むこと自体が嫌だ、PVに貢献するのが癪だと言っている人は、民放のビジネスモデルもNOなのかな?
あと、PR記事の最後の最後で、こじつけに近い形で何かの商品の宣伝文章が入ったりするパターンもあるけど(個人的にその強引っぷりがツッコミどころがあって面白かったりする)、商品の宣伝をあからさまにぶっこむことで優良誤認(=要するにステマ)と思わせない工夫となっているし、タグの「PR」とかを見るまでもなくPRだと分かって良いと思う。
そんなことよりもスマホサイトの無料ブログ記事とかでよく出てくる、誤タッチを誘発することだけが目的の上下に動くバナーのほうがよほど有害なのでなくなってほしい。
はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。
『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。
僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああいう教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである。
ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである。日本民族がいかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的な価値観を元に記述せざるをえなくなる。
客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。
いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。
クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。
例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています。
平清盛が後白河法皇を幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団や中央の貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇の皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏の源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。
これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団が挙兵して、ついに内乱は全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。
平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。
しかし、畿内・西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏は北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国に都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼・義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係の説明が詰め込まれています。
まず、平清盛が後白河天皇を幽閉したこと、安徳天皇を即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています。
当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています。
次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団や中央の貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王と源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています。
これはまさしく因果関係に言及しているわけです。
このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価や因果関係がしっかりと述べられているのです。
そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。
なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています。
治承・寿永の乱は、一般には源氏と平氏の戦いといわれている。しかし歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏と平氏の勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王の挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃・近江・河内の源氏、若狭・越前・加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏らである。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである。
彼らの動向をまとめあげ、武家の棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲・源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。
教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。
他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。
【参考文献】
(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)
伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏の根拠地・鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦、千葉、上総氏などの有力な東国武士と主従関係を結んで御家人とし
頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います。
三浦、千葉、上総という武士の名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏の名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦のときに唐突に登場します。)
[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政・裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元・三善康信が就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島で平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
[]は引用者註。
この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。
鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています。
北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦いで平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国の地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原(神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇と対立したので、法皇は同年、頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経はさらに平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門の壇ノ浦で平氏一門を滅ぼした。
この教科書は歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。
上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏が都落ちに安徳天皇を伴ったことも言及なし。
というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります。
鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍に面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。
教科書の中では唯一、桐原書店だけが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。
(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍に面接して」という説明も省かれています)
["新恩給与"についての註]
土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。
これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!
所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世の土地支配の構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います。
なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています。
職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園の場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。
この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。
しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会と文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています。
地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益の意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利。
これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配の構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?
せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。
さて、桐原書店の教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています。
幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権を意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近衛大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。
Aについては南北朝時代の武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨・甲斐善光寺蔵)。
とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。
網野善彦の著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います。
他の教科書には載ってませんが、ピンポイントで東大入試に出題されました。
源氏と鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏の氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮(八幡宮の前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。
鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍の教科書だけです。
上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉と経済流通」というのも掲載されています。
東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉の都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います。
こののち、後白河法皇は義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令を希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。
頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています。
あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷の命令を無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。
それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇・朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。
両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます。
関西にある政権が東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ。
平氏は安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力を回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門の壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。
この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス。
都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。
どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています。
ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西の教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇や平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)
例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国の武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とあります。さらに西国の御家人が東国の御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書の関西中心っぽい史観は独特です。
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/05/30/205952
このブログ記事で「嫁」を始めとした漢字の成り立ちが、現代にそぐわない思想であり違和感があると述べられている。
男尊女卑がおかしい、男女は平等であるべきという考え方に異を唱える気はさらさらないが、
そもそも「嫁」は「家にいる女」という意味でつくられたのだろうか。
紹介した記事内のマンガでは「初めて漢字をつくった人」という説明書きのされた人が「よめか……外にも働きにも行かず、ずっと家におるし女編に家でええやろ」と言っている。
ブログの筆者は「調べた」と述べているが、出典がないので確認はとれない。
私の方でもネットで「調べて」みると、
http://gaus.livedoor.biz/archives/6242769.html
のような記事が見つかり、別にずっと家にいる女だから嫁ではないことがわかる。
とはいえこんな出典では頼りないことは確かだ。しかし「家にいる女」という主張は同じ程度なのである。
「家にいる女」というのは、現代人が「女と家」そして昔は男尊女卑がひどかったという情報を結びつけて考えついた話ではないだろうか。
繰り返すが、男女平等に異を唱えたいわけではない。差別的な表現を変更しようということにもだ。
しかしその問題となっている語が本当に差別的表現なのか、こじつけなのかはよく見極めなければならない。
そうしなければ、もはやほとんどの言葉、特に漢字なんてものは使えなくなってしまうだろう。
同じブログ内の別の部分でおかしいと感じるのは、ブログ筆者の考案した「ひきこもり」の漢字(人偏に家)である。
“ちなみに作中で、家にいる人と書いて「ひきこもり」という字を作ってみたことで
お怒りになる方がいるかもしれませんが、
まさにその感情を世のお嫁さん方が持ったとしてもおかしくない漢字な訳です”
嫁については(成り立ちの前提を「家にいる女」だとして)問題点は「よめ」が家にいることが当然とする思想そのものを表していることである。
「よめ」(よめの語源についてはまた別の問題であるため触れない)は結婚している女性であり、この段階ではなんの問題もないが、
漢字が女+家で「女は家にいるもの」という思想が反映されているのでお怒りなはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170529081025
「同人小説をフィルタリングしてみたwww」というちょっとガチのブログ記事レベルの話なんだよ。
査読もないし、国際的な成果として認められない、だから多忙な指導者の目が届くわけがない。
全国大会の予稿には、ある程度研究が稚拙だったりしても、しょうがないよな…という雰囲気がある
でも、その先の査読付き論文を出すプロセスの練習としては必要なんだ。だから大目に見てくれ。お願いだ。
今回のことも、大きくニュースにしなければ、
同人サイドがゾーニングされた場所であれやこれやしても結果的になにも起こらないように、
なにも起こらなかったのではというつらみがある
ブログ記事のネタを探すためにさっきはてブで検索してみたんだけど、USERS数が3前後で無駄に長文で数記事しか無い、サテライトサイトだと思われるサイトが多数ヒットした。
自己ブクマでキーワード詰め込んだサイト作ればSEO効果あるとか思ってるんだろうけど、いい加減、これをやるやつ(依頼するやつ)は無駄だって気付こうよ・・・。
わざわざ日本語ドメイン取ってドメイン別にサイト作ってるけど、そのドメイン代も稼ぐことができないって。
中途半端にサーバ環境整える割には、記事内の文章は改行してないし、画像も全くない。ただテンプレートに文字をぶっ込んでるだけ。
別にDeNA並に頑張れとは言わないけど、さすがにこんなやり方は無意味だし金の無駄って気づくだろ。少なくともちょっと検索したりSEO本でも読んでたら。
それすら気づかずに業者の言いなりになって無駄金使うって、あまりにも考えてなさすぎる。はてなもこんなクソサイトを検索結果に表示しないでほしい
ただの日記や、いち個人のオピニオンみたいな、人によっては何の価値もないブログ記事は読んでもらえるのか?
これについて僕の考えは「そんなもん、誰も読まねーだろ」である。
ただ、インターネットを眺めていると、そうでもない気がしてきた。
なので僕はこの疑問点を解消すべく、『はてな匿名ブログ』を用いてテストをしてみることにした。
数か月テストしてみた結果、【読んでもらえる】となった場合は、何らかの形で追記したいと思う。
読んでもらえなかった場合は「やっぱりな♂」と思って『はてな匿名ダイアリー』をヤメるだけである。
これなんか、タイトルこそ日本の社会的な問題点にフォーカスしているけど、書いてある中身は、ほぼいち個人のオピニオンと言っていい。
筆者なりの問題に対する解決策が(乱暴な口調ではあるが)書いてあるものの、読み手によっては何の価値もないと言っていい。
正直、この『保育園落ちた日本しね!!!』は全然マシな方で、『はてなブックマーク』にはもっと色々な記事があがってくる。
なので「意外と、ただの日記や、いち個人のオピニオンでも他者に読んでもらえるんだな」と思った次第である。
・・・こうでもしないと、まず興味を引いてもらえる記事を作る自信がないので。加えて、タイトルもキャッチーにする(『日本しね』のような)
2.記事はなるべく、ただの日記や、いち個人のオピニオンに終始する
・・・読み手に役立つ情報等はなるべく入れたくない。あくまで日記やオピニオンに終始する。
・・・読み手の興味を引くために、この手法も選択肢として用意する。常用はしない。ただし、こちらが匿名なのに、相手を個人攻撃するのは、僕のポリシーに反するので、なるべく相手の匿名性は守るか、不特定多数を攻撃するようにする。
4.火はつけるが、薪は足さない
・・・この記事をソーシャルメディアと絡めたり、知人に拡散を依頼したりしない。あくまで『はてな匿名ブログ』に掲載するだけ。
以上の条件で、どれだけの人に各記事を読んでもらえるかテストする。
条件は途中で追加・変更するかもしれないが、その場合はこの記事に追記する。
もちろん「ただの日記や、いち個人のオピニオンは他者に読んでもらえるのか?」という疑問を解消したいと言うのが第一。
それに加えて、もしテストを通じて【読んでもらえる】という結論に至った場合、どんな点が読者にウケるのか、理由なども確認していきたい。
なので、僕の書いた記事の、反応やトラックバックも気にしていくつもりだ。
このテストの結果報告時に、実はこんな記事をかいてました、ということを、この記事に追記としてタネ明かしするために、これを記す。
「なんか政治の話のブログ記事が有ったから常日頃の政治への怒りをブコメにかいてやろう!」
「なんか飯の話が話題に出たから、きらいな飲食店の文句をつけてやろう!」
みたいなノリで関係の薄い文句を好き放題書くブクマカみたいなのホントきらい。
「そんなことは話題にしてねーよ」
っで終了の文句を長々と書いてくるし。
その文句をいうべき相手は別にいるんじゃないのか?そいつに言うべきなのではないか?
増田にでもきちっとした記事でも書いて、広い場に訴えたほうがいいのではないのか?
本気でそう思う。
先日、下記のブログ記事とその反応を見て、強い危機感を持ったので、ここに覚え書きを残しておきます。
(参照ブログ:俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり
http://anond.hatelabo.jp/20170422041028#tb)
就職氷河期世代当事者の悲鳴、落胆、それに対する多世代の反応、どれもが納得できました。
また、この記事に関して、『「トリアージ」される就職氷河期世代 参照:http://blogos.com/article/219419/』などの関連記事も興味深く読ませてもらいました。
何に危機感を覚えたのかというと、この就職氷河期世代の取り扱いと、日本経済の展望についての考察が抜け落ちているところです。
先のブログの筆者も、それに対する同世代、多世代の反応も、そして、関連記事を書かれた方も、いずれも「就職氷河期をこのまま社会から排除しても日本経済に影響しない」ことを前提にして考えていると思うのです。
確かに、たくさんの非正規雇用や低所得のままでいる就職氷河期世代を全て救うのは至難の業です。40代という転職などには難しい年齢になってしまっていることも承知しています。しかし、彼らを「助けられないものは仕方がない」として、このままにしておけば、それこそ日本経済が危機に瀕すると筆者は思っています。
何故か?
筆者は最近、医療予算が日に日に縮小していくのを、働きながら感じています。
恐らく国は、莫大な国の借金や減少する税収、保険料などとのバランスを取るために、医療予算も切り詰めるだけ切り詰めようとしているのだと思われます。
以前は社会的入院が問題になっていましたが、今はリハビリすらも削られるようになっており、これから検査、その他、諸々のものが削られていくのではないかと思います。
実は私は、その前振りのような話を、とあるセミナーで聞いたことがあります。
曰く、「日本の借金は遠くない将来、日本人の預貯金の総額を上回る。その時、日本の国債の信用が下がり、ギリシャと同じく破たんする。今から毎年増える医療費を抑える必要がある」と…。
これを聞いた時、私は「そうか、ずいぶん大変なことになっているんだな」くらいにしか思いませんでした。
しかし、最近、職場で思いがけないものがどんんどん削られていくのを見て、この話が現実のものになりつつあることを実感しています。
翻って、就職氷河期世代には将来の“生活保護予備軍”が多数いると考えられています。
これは、9年前、既に次の報告書で指摘されているいます。(参照:NIRA研究報告書 就職氷河期世代のきわどさhttp://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwjI492Rvs7TAhWKwLwKHUrSCg4QFggiMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.nira.or.jp%2Fpdf%2F0801report.pdf&usg=AFQjCNHu6efnz9XIN2tD0Errx4MSnaNs-A)
この報告書によると、就職氷河期世代の多くが、このまま低所得のまま年齢を重ねた場合、200万人超の人々が生活保護を受給することになり、その額は年間17兆円を超える可能性があります。
私は経済は全くの門外漢ですが、日経新聞によると日本の2015年度の税収が約56兆円だったそうです。また、年間予算が90~100兆円だと思われます。
この税収、年間予算の中から毎年、毎年、17兆円超が低収入のまま生活保護を受給せざるを得なくなった就職氷河期世代に支出されることになるかもしれないのです。
さらに、どこで見たか覚えていませんが、その金額は20兆円になるのではないか、との試算もあるようです。
先に述べた通り、そして、多くの方がご存知の通り、日本の財政はひっ迫しています。
しかし、そのひっ迫した財政状況下で「助けられないものは仕方がない」として就職氷河期世代をこのままにしておけば、毎年17~20兆円のお金を税金から出さざるを得なくなる可能性が非常に高いのです。
そして、それは少なからず、日本が借金を返せなくなる日を早めることになるのではないかと思われるのです。
もし、そういう時が来たら、就職氷河期世代だけではなく、全ての世代が貧しい時代に突入するのではないかと思っています。
最近、このような問題にReutersなどの海外のメディアも関心を寄せて、記事にしているのがなんとも不気味に感じます。
(参照:ロイター日本『焦点:「パラサイト世帯」の高年齢化、日本社会のリスク要因に』http://jp.reuters.com/article/japan-parasite-idJPKBN17L06L、英語版『Life's illusions catching up with Japan's middle-aged 'parasite singles'』http://in.reuters.com/article/japan-ageing-singles-idINKBN17K2OQ)
つまり、現役世代が上の世代の年金を出している、ということです。
みなさんご存知の通り、現在は高齢者が多くなり、1人のお年寄りを3人くらいの現役世代でさせなければならなくなっています。
さらに、これからどんどん、支えなければならない高齢者の数が増えていきます。
数が多いと言われている団塊ジュニア(=就職氷河期世代でもあるのですが)ですら、その上の団塊世代の数には遠く及びません。
そして、就職氷河期に被ったが故に、本来であれば高齢者の年金の大きな支え手になるはずだった団塊ジュニアの所得は低いままです。
このような状況で、高齢者の社会保障を維持することができるのでしょうか…。
こう書くと、「じゃあ、なんで就職氷河期世代は働かないんだ?ちゃんと稼がないんだ?」とのお叱りを受けるかもしれません。
でも、今の社会制度や慣習の下では働けないんです。
先に指摘してくださった方がいるように、日本には厳しい年齢制限があるために、働こうとしても、40歳も過ぎると会社や組織などで新たに雇用してくれません。
いくら勉強しても、訓練しても、それらを生かすチャンスは与えられません。
運よく正社員になれても、「正社員歴が短い」ことを理由に、賃金は低いままです。
このような状況では、就職氷河期世代が上の世代に十分な年金を“送金”することはできません。
無い袖は振れないのです。
また、就職氷河期真っただ中の時には、フルタイムと同じように働いても厚生年金に加入させてくれない会社がたくさんありました。
厚生年金に入っていると見せかけて、実は会社が加入させてなかったケースもありました。
多くの非正規雇用者は国民年金に加入せざるを得ませんでしたが、賃金が低いために保険料を払えない人も少なくありませんでした。
そもそも、“送金”式の年金制度に入らせてもらえない人も多かったのです。
他の世代の人の中には「この世代は助けられない」と言う人がいます。
就職氷河期世代の人の中にも「我々はもう助からないから、下の世代にお金を使ってほしい」と言う人もいます。
他の世代がバブルのしわ寄せを就職氷河期世代が一身に背負うことを希望し、就職氷河期世代もそれで仕方ないと思っている節もあります。
もし、そんな制度を作って就職氷河期世代の人口を減らそうとしたら、国際社会から厳しい批判を浴びて、日本は先進国の仲間から脱落するでしょう。
すると、就職氷河期世代は寿命がくるまで生きることになりますが、低賃金のままでは生きていけないので、生活保護を頼ることになり、財政への負担が大きくなることは避けられません。
就職氷河期世代の当事者も、その他の世代の人も、「今は貧しいかもしれないけれど、いずれ彼らも正社員になり、たくさんの収入を得られるようになるだろう」と思ったでしょう。
でも、そうならなかった今、そしてどういう形であれ、寿命まで生き続けなければならない就職氷河期世代がたくさんある以上、あらゆる手段を使って彼らを“税金や年金をもらう側”から“税金や年金を払う側”にしていかないと、日本経済自体が立ち行かなくなるのではないかと思われるのです。
それはある意味、本当の意味でのバブルの清算とも言えるのではないかと筆者は思っています。
そして、このような文脈で『正社員化でも報われない氷河期世代の無間地獄
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/120200081/
』という記事に賛成する次第です。