はてなキーワード: ハウツー本とは
始めに言っておくが、包括的ではない極論。
コミュ障はコミュニケーションを必要としていないからコミュニケーションが上手く図れない。
アスペルガーなどの先天的、おそらく器質的なコミュ障は改善が難しいのかもしれないが、
いじめられて、自分を抑圧する環境下で生きてきて、自分に自信がない、自己主張がない。
これは結果だし、現在の状態。自己主張がない→相手の顔色を窺う、相手に媚びる。
相手の顔色を窺い、媚びる人間にコミュニケーションは不要なもの。
本来、コミュニケーションは相手を究極には分かり合えない、自分と他人は全くの別物、でもそれを知ってほしい・分からせたいという前提から成り立っている。
この分化が出来ていない前述したような人間は、まず相手が何を考えているか、自分をどう思うかを、保守的に極めてネガティブに邪推する。
この時点で、相手に自分を知ってほしい、分からせたいという気持ちはまずない。
そして、自分がこういったら相手はこう思うだろう、それを保身的に邪推しがち。
これが何を生むかというと、
「本来相手の考えは分からないからそれを言葉でやり取りする」ところを、
相手の気持を自分で勝手に想定してしまうことで、コミュニケーション(言葉を通じたやり取り)が不要になるという事態だ。
単純に話すと、
昨日◯◯見たんだよね、めっちゃ面白かった→ああ、あれ面白いよなw(同調)
面白いと言っているからそれに同意しようとする、、、「相手の気持に共感しよう」と謳う会話のハウツー本は多いが、これをしてしまうと会話は盛り上がらない。
昨日◯◯見たんだよね、めっちゃ面白かった→え、◯◯? 俺も見たわw→見た?あの◯◯なシーンめっちゃウケたわw→あーあそこねw
面白いと感じるポイント(物事にどういう感想を抱くか)は人によって違う、まず自分のそれはさておき相手のそれを知るのがコミュニケーション
自分がさほど語る内容がないのに、それに対して、好き・嫌いだけを出してしまうと、話がそれ以上深化しない。
だから、相手の価値観を勝手に自分のそれと同一化してしまう人にコミュニケーションは取れない(そもそも必要ない)。
まず「何を話そうとしているのか」を言葉のやり取りで拾うだけで、キャッチボールは成立するし、ゆえに会話は弾む。
そもそも俺もコミュ障だった。でもひょんなことから営業職に就いて、そしたらどんな話題も仕事に活かせるし、誰のどんな話でも興味持つようになった。
・人並みの幸せは諦める
・障害のことは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない
5巻収録分から週間連載になったらしく、クオリティや中身が別物になってたら困るので、
ただ朗読するとか地味なだけでしょと思いきや違った。
ただの吹奏楽マンガと思ってソウルキャッチャーズを読んだときに度肝を抜かれた感じと似ている。
あらすじ。
主人公は幼い頃に両親を失った、雲を見て空想するのが好きな女の子。
両親を失ってうまく話せなくなり、周りから浮きがちになるが、
また昔のようにくじけそうになっているところに朗読と偶然再会し、
類まれな朗読の才能で、気づかぬうちに周りと自分自身を救っていく――。
4巻までだと、
花咲山
が取り上げられた。
だからソウルキャッチャーズと同様、音が核であるはずのジャンルを扱う上での難しさがあるため、
生半可なマンガだと逆に朗読自体をコケにすることにつながりかねない。
しかも吹奏楽やピアノ等と違って、朗読はひたすら読むだけで絵面も地味になる確率が非常に高い。
そういった高いハードルをしっかりと助走をつけてきっちり飛び越していく、確かな地力のあるマンガだ。
朗読とは、ただ読むだけではなく、解釈と表現力によって完成するものであり、
一見シンプルだが奥が深く、簡単そうに見えて難しいことが存分に伝わってくる。
やまなしやトロッコをはじめとして、何も知識のない状態で黙読して読み流すだけでは絶対に意識しないような読解の視点が多種多様に呈示され、
すでに知っている物語をより深く味わえる面白さを知ることができる。
朗読という視点を得たことによって、より黙読の読書も奥深くなるという発見すらある。
また、単に朗読のハウツー本にとどまらず、マンガとしての完成度も高い。
超人の主人公によって単純に周りが救われる、下手すると勧善懲悪モノになりかねないようなことはない。
主人公自身も、様々な障害や葛藤を抱えており、朗読によってそれらと向き合い、少しずつ自己実現していく。
ただそれゆえに、主人公のトラウマというか問題のネタが尽きたときの展開のさせ方が心配にはなる。
でもこれだけのものを描ける作者なら、5巻以降もしっかりと中身の濃いものを提供してくれると信じたい。
(重箱の隅をつつくと、1巻のマリコとの出会いのきっかけは少々無理やりすぎるんじゃないかなとか、
選ぶ朗読作品とそれによって状況が解決される人間がいつもいるのが都合よすぎるように思えることもないわけじゃないけど、
実を言うと、だいぶ前に花咲山の3巻あたりまでを初めて読んだときは、面白いとは思ったがそこまで心にこなかった気がした。
それからだいぶ時間がたって、自分の周りの状況が大きく変わった今改めて読むと、ものすごく心にきて、地味だが静かな感動を覚えて涙が出た。
インターネット黎明期に学生だった自分は、試行錯誤を繰り返し、時には取り返しの付かない失敗をしでかし、泣く泣くOS再セットアップしてノウハウを得たものだ。
そんな時代に比べれば今は恵まれすぎるほどに情報が溢れている。たとえば書店にはパソコンのハウツー本が山のように溢れている。何か一冊でも買って通読するくらいの時間は捻出できるはず。
本当にパソコンを使いこなしたいと考えている人はならば、私に頼る前にとっくに行動を起こしていて、今頃はもう一通りの操作を習得している。それをせずに私に頼ろうとしている時点で、それは学びたいのではなく、召使いを欲しているに過ぎない。
表現されている内容と、表現(=文章)そのものとが、もうどうしようもなく完全に調和して釣り合っている文章というのがあるんですよ。
まるでその文章以上にその内容を表現することが適切な文字列は他にないかのごとく。
実用書やハウツー本だとてにをはが多少前後したくらいじゃ表現内容は変わらないと感じられるだろうけど(日本語は語順の自由度が高い言語だから)、小説だとそうはいかないことがあるんですよ。
極端なこと言うと、小説は要約できないんですよ厳密には。いや、要約文を作ることは可能だけど、トリミングされたそれはもう元の小説ではないんだ。
そういうことを思い知らせてくれるような小説ってもんがあるんですよ。例えば俺の時は『細雪』がそうだったけど。
歌の歌詞も一種の詩ですね。これは英語の詩に顕著ですが、ある程度韻を踏んでないと書いたやつの首を絞めたくなりますね。おさまりが悪くて気持ち悪い。
歌詞の美しい歌、この歌詞でなければダメな歌というのもありますよ。そういうのは替え歌にすると一瞬でぶっ壊れるか、そもそも替え歌が成立しないのですぐわかります。
先日からテレビ東京で『LOVE理論』というドラマが始まった。水野敬也さんという『スパルタ婚活塾』や、このドラマの題名でもある『LOVE理論』という、婚活や恋愛のハウツー本を出されている方の本が原作で、このドラマはその本に登場するメソッドを、面白おかしく、ドラマ仕立てにして、パロディにして紹介している。テレビ東京だからこそ可能な際どいラインを攻めたドラマだ。まだ1話しか放送されていないが、「非モテがLOVE理論を学び、実践し、意中の女性を手に入れる(語弊があるかもしれない)サクセスストーリー」であることは間違いないだろう。
さて、このドラマやこの話題に、いち早く反応しそうなクラスタが、昨今はてなやTwitter界隈で話題になったことが記憶に新しいのではないだろうか。「恋愛工学」、「藤沢数希」、「ナンパ師」。
藤沢数希さんを長に作られている「恋愛工学コミュニティ」では、メルマガ上で、日々履修者たちが実践や経験を共有し合い、スクリプトやメソッドを共有し合い、開発し合い、切磋琢磨してる。ナンパ師クラスタでは、カリスマナンパ師を筆頭に、ナンパ講習が行われ、ルサンチマンを抱えた男性の自己啓発の一面も担った実践が、都内各所で行われ、ナンパ師同士で切磋琢磨している。似て非なるこの2つのクラスタが、時には交わり共にフロントラインに立ち、切磋琢磨している。
Twitter界隈では、ナンパ師や恋愛工学履修者たちの行動について、様々な意見が飛び合っている。クラスタ外の人でも目につくほど、最近話題に上がっている。最近というか、ここ半年というリアルタイム感。ここ一週間で言うと「街なかでの声掛け」についてだ。とてもHOTで活発な議論が日々いたるところで行われているこのタイミングで、良いネタきた。このドラマというわけだ。タイミングが絶妙すぎて、個人的には、何もかも藤沢数希所長の計算だったのだろうなと思うほどである。
前置きが長くなってしまった。僕は前者、つまり恋愛工学受講者である。数ヶ月前まではTwitterでも盛んに議論に加わっていたり、成果をブログに報告したりし、一定以上のつながりもクラスタ内外で形成し、日々仲間達と切磋琢磨していた。しかしながら、そこで利用していたアカウントを、自分の所属している別のコミュニティでも利用していたため、その別のコミュニティから恋愛工学等への批判が多く、トラブルになる可能性が高まったため、そのアカウントは削除して、僕は現在ネット上での活動を自粛し、ひたすら淡々と個人で実践を繰り返していた。そこから、数ヶ月が経過し、ほとぼりが冷める頃を見計らって、新たにアカウントを開設し、活動の報告やコミュニケーションを再開しようと考えていて、その最初の一歩が、この匿名ダイアリーへの投稿である。本来であれば、ブログを新たに開始し、そこに投稿すべきなのだけれど、もともと僕が成果や記事の投稿を頻繁に匿名ダイアリーに投稿していたので、その名残で、今回の一発目はこちらに投稿した。
自己紹介も長くなってしまった。本題の「LOVE理論、あるいは恋愛工学(戦略・戦術)」について、僕の思うところを、自己満足的に、ひたすらに淡々と、書き綴っていきたいと思う。これは、僕の主観に満ち溢れた、独断と偏見に満ち溢れた、ただの戯れ言である。
僕は昨年の10月~今年の3月にかけ、多くの女性を抱いた。すべての女性は、別々であり、Sexの回数であれば、その倍以上になるだろう。彼女たちとの出会いは、基本的に、語弊を恐れずに書くと「ナンパ」である。渋谷のスクランブル交差点付近で目的もなさそうにしていた女性、恵比寿駅の西口改札前で浮足たっている感じのルブタンのヒールを履いた女性、新宿バルト9で席が隣になったサブカル系女子、Twitterで相談によくのってあげたキャバ嬢、そのジャンルの幅はとても広く、一人ひとりについて書くことは不可能に近い。そんな活動を、モクモクと、ある種、ロボット的に、日々こなしている人たち、それが「恋愛工学受講生」や「ナンパ師」であり、僕も、例によって、それなのだ。僕達には、これがとても日常的で、それは一方で、とても感覚が麻痺していることも気がついてはいる。心が磨り減るだけのこともあれば、深い愛情と安心で満たされることもある。
社会学者の宮台真司は、昨今の近代化や合理化について以下のように述べている。
〈システム〉と〈生活世界〉の関係を確認します。〈システム〉ではデニーズ的アメニティが提供されるのに対し、〈生活世界〉では地元商店的アニメティが提供されます。前者は「役割&マニュアル」優位な関係性で、後者は「善意&自発性」優位の関係です。だから前者は匿名的・入替可能で、後者は記名的・入替不能です。
近代化とは、〈生活世界〉で賄われて来た便益を〈システム〉に置き換える「合理化過程」。置き換え途上の段階ゆえに〈システム〉化され切らない〈生活世界〉が残っていると信じられるのが「近代過渡期」(モダン)で、置き換えが完遂して汎〈システム〉化=脱〈生活世界〉化した段階が「近代成熟期」(ポストモダン)。
近代化がある程度進んで、「まだ〈生活世界〉が残っている」というより「敢えて〈生活世界〉を保全している」と言えるようになるのが「再帰的近代」です。これにも2段階あって、いったん汎〈システム〉化した後に、かつての〈生活世界〉の機能的等価物を再構成したのが「ポストモダン的な再帰的近代」ということになる。
昨今の国内の人々の恋愛関係の事柄の矛盾や苦悩は、まさに宮台が上で指摘していることだ。近代化の影響ですべてが合理化されていくことは自明の事実である。それは恋愛(〈生活世界〉)というカテゴリーに対しても同じだ。恋愛〈生活世界〉の合理化<システム>化、突き詰めると、人間の生殖、子孫繁栄、それに対してこれまでは、「恋愛」「愛情」というとても曖昧なもの〈生活世界〉がそれを肯定していた。しかし近代化が進むにつれて、それすら合理化する波が押し寄せてきている、しかしその合理化に適応しきれない部分も存在し、それが苦悩や悩みと表象されている。<システム>化され、合理化が進んだ現代であれば、本来であれば、そこに恋愛という後押しが、「人間の生殖、子孫繁栄」には必要でなくなるのだ。ただ、現状はその過渡期であるから、そこで私達は苦悩する。「敢えて<生活世界>を保全することによって発生する負荷/代償」というとわかりやすいかもしれない。今回のネタでもあるLOVE理論や、恋愛工学のメソッド、スクリプトは極めて現代的であるのだ。理詰めされた戦略、整然としたロジック、曖昧性を排除した合理的で、もっともシステマティックな、生殖へのアプローチ方法なのだ。それを「心のないロボット」と揶揄する人も多くいるだろうが、それは<システム化>された社会の行き着く先であることは否定できない。
僕達が信じている(あるいは信じていた)恋愛観など、欧米から輸入した価値観でしかない。その押し付けられた恋愛観、一種の洗脳、から開放されることは、非常に難しい。生まれた時から、その価値観を埋めつけられているからだ。人は環境に規定されてしまう、一度規定されると、なかなかにその規定から外れることはできないし、規定され続ける限り、自身を客観視することは非常に難しくなる。
だからこそ、恋愛工学クラスタ、ナンパ師クラスタ、が発生することは、合理化された社会では当たり前なのだ。合理化が進んだ、<システム>化が進む恋愛市場への、一番合理的なアプローチであり、社会への適応なのだから。もちろん、そのアプローチが時には、女性への迷惑行為になり得ることも十分に承知している。一種の危険性を孕んでいる事実は隠せない。しかし、それを頭ごなしに否定することは、それも全く違うのだ。「ナンパ・声掛け」とてもマイクロ的な事象を、もう2,3歩さがって改めて考えてみると、全体が見えてくる。<システム>化という波にのみこまれそうな恋愛<生活世界>という具合だ。
僕はこんなことを考えながらナンパをしているのか、と改めてこのように文字に起こしてみると、新しい発見がある。現代病とくくれば、そうなのだろうけれど。
高校時代に自殺未遂やらかして鬱病の診断を受け中退しつつも同じ年度に大検取ってそのまま近所の短大に進学。そして無職の出来上がり。
「履歴書に空白期間を作ってはいけない」と言うハウツー本の記述を信じて治療をほっぽり出して無理やり進学して、案の定シューカツでその辺に突っ込まれて心を折られ発狂してそのまま卒業。
「選ばなければ仕事はある」と仕事を探そうとしたものの、求人誌を読めば発狂するしハロワは行こうにも足が震えて入れないしでもう本当にどうすればいいのかわからない感じ。
在学中、憂鬱になったら甘えるなと自傷行為に走ってたせいで悪化しただけなのかもしれないが、一回発症すれば一発で人生詰むって鬱病って本当に恐ろしい病気なんだなって。自我こそ残ってはいるが殆ど廃人状態だし、コレ以上親に迷惑を掛ける前にいっそ自分で......
どの程度かと言うと、月に一度あるかないか。ここ一年は二ヶ月に一度くらい。
数年間一度もセックスしていない、という人よりは回数多めだと思うが、セックスレスと言ってよいのではなかろうか。
当方は夫。30代前半子無し共働き。妻も同じ年で会社員。結婚二年目の晩婚夫婦だ。
付き合いはじめが最も回数が多く、同棲、結婚と段階を踏むにつれて右肩下がりの様相を呈している。一般的な恋愛感情の曲線と近似していると言えよう。
とにかくチャンスがない、の一言に尽きる。
平日などは、お互い深夜残業の仕事に疲れ、日々の些事に心をすり減らしているため、ご飯を食べたらすぐお布団。
意識を保てるのはわずか一瞬。気がつけば朝チュン。服は着ている。
よろしい、ならば週末だ。
お互い土日休みなので、土曜日の夜が最も時間がとりやすいのだが、大抵どちらかが寝てしまう。
昼間は出かけて、夕食を作って後片付けをしたり、外食してお酒でも飲もうものなら、帰ってすぐに寝てしまう、あるいはゴロゴロしているうちに寝てしまう。
日曜日の日中は比較的狙い目。予定がない日曜日などはダラダラしながらスキンシップ→成功、となるケースは多い。
後ろめたい、というか、もっとも充実すべき時間帯に布団にいるというのも背徳的で、時間がもったいない気がしてしまう。
よって、日曜日の夜がラストチャンスなのだが、翌日からの仕事に備えて夜更かしは厳禁。よって早めに就寝。
私の実感に基づく、セックスレス化の最大の障害は、純粋性交可能時間(=ピュアセックスタイム)の少なさだと感じている。
仕事の疲れを癒すこと、睡眠を我慢しないこと、休日の日中の予定。
これらの優先順位が高く、純粋にのんびりセックスできる時間がない。
そして妻は、睡眠を削ってまでセックスする必要性を認めていない。少なくとも積極的ではない。
我々と同じような条件下にあるご夫婦はどうしているのだろう。
ハウツー本が教えてくれるように、(平日であっても)前戯に少なくとも1時間をかけ、お互い満足して眠り、寝坊せずに朝を迎えるのだろうか。
それとも、アメリカ映画とかで見られるような、一瞬で高まって、前戯30秒→挿入時間1分、みたいなファストセックスを行っているのだろうか。
セックスのための生活と交遊。セックスを前提とした男女間の諸々。
何気ない夫婦の日常も楽しく心安らぐものだが、セックスしたくないわけではないのだ。常にしたいのだ。
妻にそう告げる。
私もそうだよ、と妻は言ってくれる。
「だけど今日は眠りたい」
子供がいるご夫婦は、我々よりもお疲れで、時間などないだろう。
だから比較的、好転しやすい環境だとは自覚している。しかし私は純粋に疑問なのだ。
みんな、いつどうやってそんなにセックスしてるんだ。
これからいかにしてセックスの機会を保つ努力をすればいいのか分からない。
そして、仮にお前のテクがしょぼいだけだ、なんて事実も加わった日には。
セックスしたいと思わない男に堕した、と告げられる日が来るのだとしたら。
私は恐れる。
このあと、滅茶苦茶セックスレス。
うちの会社にはなぞなぞ先輩がたくさんいる。なぞなぞ先輩の特徴は、その名の通り何か仕事で質問すると、ドヤ顔でなぞなぞ形式にして教えてくれる。
「この○○の件では△△はどうすると思う?」
「○○ってどういう意味でしょう?」
「質問形式にすることで、本人に考えさせている。知識を定着させる手段である」とどいつもこいつもハウツー本を鵜呑みにしたようなダサい発言をしているが、どうも僕には上からものをいって優越感を感じるための行為にしか思えない。
だって、正解すると至極つまらなそうな顔するんだもの。間違えると
からの、つやつや顔で俺すごいアピール。結局[お前はこんなところ間違えるけど、俺はこんなことも知ってる]をやりたいがために、質問し、わざと間違えさせてるようにしか感じない。ひどい奴だと「知ってると思うけど○○って意味わかる?」だからね。この知ってる思うけどはいわゆるフリで、これで間違えないとすごいつまんなそうな顔をされる。本当に、わからない演技をするの嫌なんだけど、会社でうまくやるためには必要なのかなと思って引きつりながらやってる。(一回堪忍袋の緒が切れて、「僕なぞなぞ大嫌いなんで、聞いたことだけ答えてもらえますか?」と言っても、笑って若いねえと言われただけだったし…)
技術職なのでどうしても人に聞かなきゃわからないことが多いから仕方ないんだけど、それでもなぞなぞは腹立つ。ちなみになぞなぞ先輩は決まって仕事ができない。本当に仕事のできる上司は聞いたことだけに簡潔に答えてくれる。なぞ先輩の数のほうが圧倒的に多いので、何かわからないことがあるとそいつらに聞かなきゃいけないのが本当に苦痛。
考えてみれば僕は昔からなぞなぞが大嫌いだ。出題者の「わからないでしょ~?わからないでしょ~?俺はわかってるけどね~わからないでしょ君は~??」のニヤニヤ顔を見るとぶん殴りたくなる。たぶん僕にも多大に問題があるんだろう。プライドが高いんだな。直さなきゃな。
でもやっぱり仕事上でのなぞなぞは時間の無駄でしかない。僕は金輪際後輩になぞなぞを出さないぞ。
毎朝はてブのホッテントリを見て出勤していて、あー、昔の僕と同じこと考えてる人いるんだなーと思って中身見たらまさか自分ので席から転げ落ちそうになったよ。なんかわからないけど4年越しでブクマ・トラバしてくれた人ありがとう。
この増田を書いた一年後、なぞなぞ先輩方のなぞなぞが嫌すぎて僕が耳鳴り・味覚障害を発症し退職。まさか自分がある種爆発するとは思わず、言霊って怖いなと思います。皆様もお気をつけて。
その後まったく別業種に転職したらうまいことハマって三年になります。この度チームリーダーに抜擢されて生き生きと仕事してます。前職の時は「こんなに先輩になぞなぞ出され続けるなんてなんて自分は仕事ができないんだ」と凹みまくってましたが、ようやく自信を取り戻しつつあります。ちなみに今自分の周りになぞなぞ先輩は一人もいないですし、自分も出題していません。快適です。
同期に聞けば、先輩方はまだ元気になぞなぞ出題中だそうです。僕も大人になったので、今だったらもう少し気の利いた回答ができるかもしれません。
地方在住の俺(30代半ば)の場合、ハローワークにいる臨床心理士(無料)はまあまあ役に立った。
それと前後してサポステの活動に参加、淡い恋とか経験(笑)しつつ、
スタッフからの(ときどき微妙に的外れな)アドバイスや講義を我慢して受けた。
履歴書や職務経歴書の書き方はハロワにおいてある無料のパンフを熟読。
(それ以前にも出版されてるハウツー本はそれなりに読んでたけど。)
で、ハロワ経由で、低賃金だけど期間の定めのない雇用契約で就職。
長い失業期間で自分の人生が壊れてしまった気がしていて、つらさを感じ始めたから、
「もし僕が自殺すれば、両親は一生悔やむだろうし、
弟は僕の死を引きずりながら生きていくんだろうな」
って書いてあるけど、俺はこれを読んで
「それってある意味うぬぼれ(思いあがり)なのでは?」って思った。
うまく言えないけど。
依存するのは仕方ないことと割り切って、
その先は・・・知らない。考えてない。
あー、あとネットのどこかにも書いてあったけど、
俺は応募した職種じゃないことやらされてるけど、
今はこっちの方がいいなと思ってます。
ひとつの事例として。
私は「残業しない主義」なんだけど、
これを言うと、人(特に読解力の少ない人)によっては、「仕事が残っていても残業しない」と思われるが、それは違う。
だいたいのハウツー本もそうだけど、仕事を残してでも定時で帰れなんて書いてない。
いかに定時までに仕事を終わらせるようにするかっていうノウハウやら心構えやらが書いてある。
なので、元増田が言う「残業しない」は、私の「残業しない主義」とははるかに意味合いがかけ離れている。
自分の分はとっとと終わらせて、さらに仕事が遅い人の仕事を引き取って、それでも定時で帰る。
でも、日本の会社だと、それでも他に残業してる人がいたりすると、「終わってない人がいるんだから手伝いなさい」と、定時帰りが批判の対象になったりする。
こんなふうに思っているのは自分だけだろうか。
「残業をせず、定時に帰り、仕事以外の時間を大切にすることによって
のような表現をしたビジネス書がコンビニの本棚にも陳列されているし、
ネットの記事なんてもうくさるほどある。
こうすれば効率がよくなる、というような情報が氾濫してて、そういうのを
見ていると、ああ人ってみんな働きたくないのだな、と思う。
効率化して生産性をよくするってことより、残業しないことのほうが
えらくなってる。
自分の会社もそんな感じになってきた。たくさん働くと社畜だってさ。
ブラック企業とかいう曖昧な定義をして、自分の市場価値と給与を
天秤にかけたこともないようなやつが、9時から18時まで働いて日本人の
平均給与以上を求めているわけ。
そういう人が、上手に定時に帰るためのハウツー本とかタスク管理ツールとか
自分のデスクに並べまくって、ランチwをちゃんと食べて、たいして仕事も
しないで、定時になると自分はただしい、って胸を張って帰っていく。
会社も上司も、そんな風潮だからそういう社員にもっと働けなんて言えないし、
残業=悪(残業代支給でも)みたいな雰囲気で、会社が大変な時でもまともに
仕事が振れやしない。
長時間働くこと=悪 っていうのは、長時間拘束されて会社から無理に
労働させられている人の構図であって、働きたい人にとって働くなっていう
雰囲気のあるこの感じって、ほんと働きにくい。徹夜や働き過ぎが効率よく
ないのはわかってるよ。んでも、やるときはやらなきゃどうしようもないでしょ。
俺は働きたいので。
やっとありつけた仕事だし。
これって多分周りとの温度差なんだろうね。単純に。
なんだか寂しいや。
働きにくいや。
こういう問題は後になればなるほど言い出しにくくなるから、早めに手を打つことをお勧めする。
旦那を批判するのは簡単だが、下らんプライドで嫁さんからの意見を受け入れられない男も少なくないので何らかの裏付けがあったほうがいい。
セックスのハウツー本としては、「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」っていう本があるから読め。っていうか旦那に読ませろ。この類の本の中ではイチオシだ。続編もあるぞ。女性目線で書かれてるから、旦那への説得力もあるだろう。
DVDもあるから、二人で観てもいいかもな。DVDについては俺は見たことないから責任は持てないが、amazonのレビューでは悪くなさそうだ。
これからずっと苦痛のセックスを続けたり、旦那で満足できずチャラ男のはけ口にされたりするのは不幸だと思うので、ぜひ幸せなセックスライフを送ってほしいと思う次第。
『たまこマーケット』見てて感じたことをいくつか。
主に『けいおん』以降の京アニ作品の変遷は、意識的かつ段階的に変化させているのでは?と言うお話。
『けいおん』以降の流れで考えると、徐々に登場人物が関わるコミュニティの枠を広げていってる印象。
氷菓→古典部内だけでなく、入須先輩などの古典部以外の学生との交流、えるの家の事も少し。
って言う感じで。
その文脈で考えれば、『たまこマーケット』で商店街って言う、地域社会との繋がりが丁寧に描かれているのには
必然性があるとも言える。
同姓だけじゃなく、友達だけじゃなく、同年代だけじゃなく、家族だけじゃなく、さらに外の広い世界との繋がり。
■恋愛をどう扱うか
これもけいおんからの流れで行くと、登場人物がどれだけ自分にとってリアルなものと捉えているかが、
徐々に変化していっているように思う。
氷菓→恋愛と呼ぶにはまだ未熟な奉太郎とえるの関係。恋をどう捉えていいのか迷う悟志と摩耶花の関係。
『中恋』での恋愛って、言ったら現実的ではなくって、全員があまりに恋に慣れていないし(モリサマーですらハウツー本頼み)
いわゆるまともな高校生とは少し違う、特殊な恋愛観を持った高校生の話だったと思う。凸守は俺の嫁。
で、いよいよ『たまこマーケット』では、みどりちゃんともち蔵は普通に片思いしてるし、
かんなは「誰が誰を好きになってもいいんだよ」なんてアドバイスしちゃうし。
って言う、恋愛なんて周りにありふれてる環境に居る、普通の少年少女の話になりそう。
たまこ、もち蔵、みどりの三角関係(百合の可能性あり)になるのか、それとも恋愛の話は
そこまで深く描かないのかは、今の時点では分からないのだけど、おそらく今までは恋と
無縁だった主人公のたまこがどう成長するのかが楽しみ。
■ここからは当てずっぽうの雑感
・山田監督が『たまこマーケット』を作る上で、『けいおん』を意識しないわけが無い。
あれだけのヒット作になったアニメなんだから。その上で『けいおん』では描けなかった部分を描きたい気持ちがあったのかなあと。
・あるいは、アニメに限らずだけど全ての創作者が意識しないわけがない、震災の問題。
震災以降の世界をどう生きるのか?と言うことを考えた時に、内側の世界ではなく外側の世界を描くって言う、
・今のペースで行くと、中盤に夏休み、終盤にクリスマスを持って来そうなので2期を視野に入れて卒業までを描くつもりなんだろうなあ。
ダラダラと書いたけど、以上。
地方理系大学に進学した。大学全体では男性が圧倒的に多い。8:2くらいだった。わたしのクラスは全体数が90人弱なのに対して女子が一桁しかいない。火遊びしほうだいかと思いきや、圧倒的な童貞率の高さ、非コミュ率の高さゆえに、こちらからガツガツと攻めないと会話もできない始末。わたしはモテるほうではないので、「わたしが非モテだからからだなこれは」と思っていたが、クラス一の美女にも男子は寄り付かない。これは重症だ。恋愛以前の問題で、友情すらない。女子全員と友達になったところで、そこで友人頭打ちとなってしまい、クラスの友達が10人未満しかできない。やばい。
さて、理系は実験やらレポートに追われて忙しいが、私の学科はそこまで忙しくなかったので、部活動に参加することにした。サークルのようなフンワリとした活動ではなく、平日は毎日練習があるという体育会系の部活だ。部活動は、規模が小さいせいもあって、わりとみんなと仲良くなった。しかし、そこからだ。ここでも一人を除いて全員が処女もしくは童貞だった。わたしも含め。少なくとも18年以上処女童貞を貫き通してきた者は、ここまでなると、処女童貞をこじらせてしまい、ハウツー本でもなければなにもできない。ここでも、こちらからいかねばだめなのだ。しかし、小規模グループのなかの処女童貞で恋愛をすると、そのあとが面倒だ。モテたい非モテの妬み嫉み以上に手の施しようがないものもない。
ストレス溜まってくると
今も毎日自炊して栄養管理に身体慣らして、次は筋トレしてボディメイクしようとか思ってるし
それと並行してビーズ手芸のキットめっちゃくちゃ買い込んできて片っぱしから仕上げまくってるし
図書館でトルコオヤのハウツー本とか借りて、何作ってどう活かすかすんごい真面目にあれこれ考えてるし
目に付いた小説とか絵本をむさぼり読んでて自分でも何か書こうとか思ってポメラ開けたりしている
さっきとかちょっとカワイイ刺しゅうの図案見ちゃった勢いで危うく刺しゅう用ミシンポチるところだった
あぶねー
カードの支払い今月結構ぎりぎりなのに五万円とか十万円とか出るわけねーだろー
この衝動何とかしてもうちょっとコントロールしたほうがいいのかもしれない
気が付いたらウン万円とかホイホイつぎ込んじゃってマジやばい、正直自分でもちょっとあたまおかしい感がする
せめて何とか産物を金に結びつけられないだろうか
不景気の折、働いている会社や仕事が無くなった場合のことを考えた。
高校を卒業して、無意味で無駄な専門学校を出て、10年間ぐらい働いた。
税金をたくさん取られるので、想像していたほど金持ちにはならなかった。
中小企業の特徴かもしれないが、10年続けて働くと、古い人も新しい人も
含めて、8割ぐらいの人が入れ替わる。
上からの命令は何でも引き受け、仕事で潰れなければ、自然と出世する。
でも中小で10年も続く会社は、少ないため運が良かったのだと思う。
不景気にさらに災害に世界的不況も加わり、大手企業もつぶれる時代になった。
今までは考えたことが無かったが、自分も仕事を失ったどうなるのか、
最近考えるようになった。
現実的には、類似同業者への転職か、社内のメンバーで類似事業の立ち上げ
があり、そこで働く可能性が高いと思う。
現在の水準の給与も見込めないであろうし、類似事業同業である以上、市場の
先行きは明るいものではない。
ではまったく別の新天地を求めると考えると、果たして自分の10年間で得た能力
は、外に通用するものか、内部だけで通用する能力なのか、検討がつかない。
何とかなりそうな気もするが、年齢もフレッシュではなく、特定の資格もない。
経験もあり、仕事ができているのは、今の会社があり、その中でのノウハウが
外に出たら、只の小さいおじさんかもしれない。
そんなことも考えつつ、本を読んだり、ソーシャルを始めてみたり、学校にも
通って見たりした。それだけの目的でないのだが。
はっきり言って、どれも問題を解決できる何かが見つかる可能性は感じなかった。
見つける人もいるんだろうけど、自分には合わなかった。
哲学(自己啓発)やハウツー本は、著者自身の自己啓発(自分自身に言い聞かせ
ている)だったり、ハウツー本は一見良いけど、志が伴わないものは、頓挫する。
他人の上っ面だけ借りても意味が無い。
ソーシャルで著名人や有名人とつながり、未来の可能性もなんて、まず自分に相応
の価値がなければ可能性もなく、同じケツの穴のムジナ同士が、ごちゃごちゃして
いるようにしか感じない。意味が無い人には、意味が無い人しか集まらない。
学校で勉強する知識など、仕事では弱すぎて使えない。それなら仕事で実践で
導入して使ったほうが、ずっと経験値になる。
より生きるように、本は良質だと思った定番のビジネス本を繰り返し読み、
行うことは志となる土台や社会的正義などスジとなる、主張を持つようにしている。
ソーシャルや学校で勉強したことは、事業に入れ、業務の拡張につかっている。
そうこうしている内に、話は戻ってしまって、結局は今の仕事だけになっている。
だから、もし今の仕事が無くなったら、台湾に移り住み中国語を覚えようと
考えている。親戚もいる。
そうすれば、実態もわからないし結論も出ない悩みの種となっている、
次の仕事は、同業種の仕事か、他業種の仕事にするべきか考えずに済む。
台湾で中国語を覚えられるまでバカンスしてすごそうと、今は楽しみしている。
現実逃避とも言うが、現実進行も現実逃避も、人より飛び越えたほうが
得てして良い結果が出る。マイノリティーとも言える。
自分ではそう思ってないけど、人から見ると負け犬の遠吠えに見えるから、
冷めた目で見てもらってかまわないです。
俺はいわゆる今まででWEBサービス開発したことない(年齢=ユーザー様暦)。
小中高と情報弱者だったから大学ではがんばってプログラミングやろうと思ってた
んだけど、普通大学でIT系の奴全然いないから、友達に結構紹介してもらった。
まず、なんで俺がWEBサービスを作りたかったかというと。世間体を気にしていて、
まあそんな男がサービス開発できる分けないんだけど。
友達にも情弱情弱ってネタにされて(まあ冗談ってわかってるけど)、
まあ察してると思うけど、サービス公開はできなかった・・・一応完成までこぎ着けて
全部知人のお試しで酷評が8回(8連敗)、全く後に続かなかった。
一回目は、うまれて初めてサービス開発したから完全に舞い上がって
ものすごい労力をつぎ込んだ。ハウツー本で普段使うものを作ると良い
と書いてあったから、俺が取り込んだCDを公開して、皆さんも公開してくださいと書いたり、
調子に乗って動画も公開しましょうとか書いたり、ゲームも(ry という構想をしていた。
(まあ内容は置いといて・・・)
サービスのURLをメールで送ってからPCの前で待ってて来るかな来るかな、って3時間くらい
待ってたこともあった。そして、最初のサービスでがっつきすぎたか「著作権とかダウンロード違法化とか知ってる?」
っていわれて1回目撃沈。
それから友達から指摘を受けて、ありがちなWEBサービスを学んで次から次へ
どんどんアプローチをかけていった。
2~6回目位までは1回目と同じくらいか、少し少ない熱意を持って
やったがそれも全て撃沈。
7~8回目位になったあたりで精神が病んできちゃって、8回目が撃沈した
次の日位から、食事が喉を通らなくなった。食べてもほぼ100%吐いてた。
なんで自分は情弱なのか?情弱すぎて劣悪な遺伝子だな、頭も悪いし
こんな遺伝子残さない方がいいんじゃないか、という劣等感を感じるようになった。
大学はそのときまで全然さぼらなかったんだけど、あまりのだるさに1日さぼって、
次の日は学校行っただけでダウン、ついた瞬間保健室へ駆け込み、休憩して授業を
受けずにそのまま帰宅。一週間で飯は食えるようになったけどそれでも前に比べる
とかなり小食になった。
そして、自分の気持ちの中でいくつかの結論が出た。
自分は本当に情弱で、やればやるほど空回りする。そして、無理すればするほど
ぼろぼろになっていく。努力して、相手の為に尽くしても思いが届かないことに気づいた。
完全に逃げてるけど、俺の中でWEBサービス作ることはただたんにレッテルをとりたいだけ
そう思ってて今日まで過ごしてきたら、韓国戦見てたときに母さんが「あんたWEBサービス作らんの?」って
言ってきて「俺はもう作るのあきらめた」と言ったら、親父がいかにSNS運営が儲かる
か説いてきた。それと「1万人も集めたことがない奴が分かったような口聞くな」とか
「そんなの負け犬の遠吠えだ」などと言ってきた。それでこっちの
意見を全く聞こうせず、ずっとSNSのすばらしさを熱弁してくれた。
自分で逃げてるなんて百も承知、俺はもう疲れたんだよ。
日々見下されてて、俺に対する態度がひどくて劣等感を感じて、バイトは土日絶対1日入って、
それでWEBサービス作成するだけでも多大な労力を使ったのに、それが完成したら
毎日メンテ?毎月の生活苦しいのに、定期的に鯖増強で金を使う?
そもそもプログラマでもないのにWEBサービス作成に意味を見い出せない。
作るだけでも楽しい?今の僕には理解でないよ。
思うと少し残念な気持ちに成る。
ここまで読んでくれた人ありがとう、下手な文章でごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20110811033545
自分ではそう思ってないけど、人から見ると負け犬の遠吠えに見えるから、
冷めた目で見てもらってかまわないです。
俺はいわゆる今まででプログラムできたことない(年齢=プログラム作れない暦)。
小中高とパソコンなかったから大学ではがんばってプログラム作ろうと思ってた
んだけど、文系の大学でハッカー全然いないから、友達に結構紹介してもらった。
まず、なんで俺がプログラムを作りたかったかというと。世間体を気にしていて、
早く口だけハッカーというレッテルをとりたかったから作りたかった。
まあそんな男が持てる分けないんだけど。
友達にも口だけ口だけってネタにされて(まあ冗談ってわかってるけど)、
まあ察してると思うけど、プログラムはできなかった・・・一応コンパイルまでこぎ着けて
全部 fatal error でさようならが8本(8連敗)、全く後に続かなかった。
1本目は、うまれて初めてパソコンの前でまともなコーディングをしたから完全に舞い上がって
ものすごい労力をつぎ込んだ。ハウツー本でエクセルマクロと同じ感覚でコーディングすると良い
と書いてあったから、俺が打った五行がコンパイルエラーしたら五行を書き直したり、
10行がコンパイルエラーしたら10行を直したり、15g(ry というやり取りをしていた。
(まあ内容は置いといて・・・)
OSの反応が途絶えてからパソコンの前で待ってて来るかな来るかな、って3時間くらい
待ってたこともあった。そして、無限ループで変数を増やしまくってたらしく
「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます。[詳細] をクリックすると、次のエラー メッセージが表示されます。」
っていわれて1本目撃沈。
それから友達から指摘を受けて、言語の扱い方を学んで次のコード次のコードへ
どんどんアプローチをかけていった。
2~6本目位までは1本目と同じくらいか、少し少ない熱意を持って
やったがそれも全て撃沈。
7~8本目位になったあたりで精神が病んできちゃって、8本目が撃沈した
次の日位から、食事が喉を通らなくなった。食べてもほぼ100%吐いてた。
なんで自分は書けないのか?書けなさすぎて劣悪な遺伝子だな、頭も悪いし
こんな遺伝子残さない方がいいんじゃないか、という劣等感を感じるようになった。
大学はそのときまで全然さぼらなかったんだけど、あまりのだるさに1日さぼって、
次の日は学校行っただけでダウン、ついた瞬間保健室へ駆け込み、休憩して授業を
受けずにそのまま帰宅。一週間で飯は食えるようになったけどそれでも前に比べる
とかなり小食になった。
そして、自分の気持ちの中でいくつかの結論が出た。
自分は本当に書けない、やればやるほど空回りする。そして、無理すればするほど
ぼろぼろになっていく。努力して、プログラムの為に尽くしてもプログラムが完成しないことに気づいた。
完全に逃げてるけど、俺の中でプログラム作ることはただたんにレッテルをとりたいだけ
そう思ってて今日まで過ごしてきたら、韓国戦見てたときに母さんが「あんたプログラム作らんの?」って
言ってきて「俺はもう作るのあきらめた」と言ったら、弾小飼がいかに Perl がすばらしい
か説いてきた。それと「一回もできたことない奴が分かったような口聞くな」とか
「そんなの負け犬の遠吠えだ」などと言ってきた。それでこっちの
意見を全く聞こうせず、ずっと MacBook Air のすばらしさを熱弁してくれた。
自分で逃げてるなんて百も承知、俺はもう疲れたんだよ。
日々見下されてて、俺に対する態度がひどくて劣等感を感じて、バイトは土日絶対1日入って、
それでコーディングするだけでも多大な労力を使ったのに、それが就職したら
毎日設計書書き?毎月の生活苦しいのに、定期的に設計書書いて誤字とかどうでもいいダメ出しをもらう?
そもそも好きって感情がわからんからプログラミングに意味を見い出せない。
だから今はもう一生口だけブックマーカーでいいかなと思っています。
思うと少し残念な気持ちに成る。