不景気の折、働いている会社や仕事が無くなった場合のことを考えた。
高校を卒業して、無意味で無駄な専門学校を出て、10年間ぐらい働いた。
税金をたくさん取られるので、想像していたほど金持ちにはならなかった。
中小企業の特徴かもしれないが、10年続けて働くと、古い人も新しい人も
含めて、8割ぐらいの人が入れ替わる。
上からの命令は何でも引き受け、仕事で潰れなければ、自然と出世する。
でも中小で10年も続く会社は、少ないため運が良かったのだと思う。
不景気にさらに災害に世界的不況も加わり、大手企業もつぶれる時代になった。
今までは考えたことが無かったが、自分も仕事を失ったどうなるのか、
最近考えるようになった。
現実的には、類似同業者への転職か、社内のメンバーで類似事業の立ち上げ
があり、そこで働く可能性が高いと思う。
現在の水準の給与も見込めないであろうし、類似事業同業である以上、市場の
先行きは明るいものではない。
ではまったく別の新天地を求めると考えると、果たして自分の10年間で得た能力
は、外に通用するものか、内部だけで通用する能力なのか、検討がつかない。
何とかなりそうな気もするが、年齢もフレッシュではなく、特定の資格もない。
経験もあり、仕事ができているのは、今の会社があり、その中でのノウハウが
外に出たら、只の小さいおじさんかもしれない。
そんなことも考えつつ、本を読んだり、ソーシャルを始めてみたり、学校にも
通って見たりした。それだけの目的でないのだが。
はっきり言って、どれも問題を解決できる何かが見つかる可能性は感じなかった。
見つける人もいるんだろうけど、自分には合わなかった。
哲学(自己啓発)やハウツー本は、著者自身の自己啓発(自分自身に言い聞かせ
ている)だったり、ハウツー本は一見良いけど、志が伴わないものは、頓挫する。
他人の上っ面だけ借りても意味が無い。
ソーシャルで著名人や有名人とつながり、未来の可能性もなんて、まず自分に相応
の価値がなければ可能性もなく、同じケツの穴のムジナ同士が、ごちゃごちゃして
いるようにしか感じない。意味が無い人には、意味が無い人しか集まらない。
学校で勉強する知識など、仕事では弱すぎて使えない。それなら仕事で実践で
導入して使ったほうが、ずっと経験値になる。
より生きるように、本は良質だと思った定番のビジネス本を繰り返し読み、
行うことは志となる土台や社会的正義などスジとなる、主張を持つようにしている。
ソーシャルや学校で勉強したことは、事業に入れ、業務の拡張につかっている。
そうこうしている内に、話は戻ってしまって、結局は今の仕事だけになっている。
だから、もし今の仕事が無くなったら、台湾に移り住み中国語を覚えようと
考えている。親戚もいる。
そうすれば、実態もわからないし結論も出ない悩みの種となっている、
次の仕事は、同業種の仕事か、他業種の仕事にするべきか考えずに済む。
台湾で中国語を覚えられるまでバカンスしてすごそうと、今は楽しみしている。
現実逃避とも言うが、現実進行も現実逃避も、人より飛び越えたほうが
得てして良い結果が出る。マイノリティーとも言える。
おじいちゃん、そのおはなしなんどめ!!!