表現されている内容と、表現(=文章)そのものとが、もうどうしようもなく完全に調和して釣り合っている文章というのがあるんですよ。
まるでその文章以上にその内容を表現することが適切な文字列は他にないかのごとく。
実用書やハウツー本だとてにをはが多少前後したくらいじゃ表現内容は変わらないと感じられるだろうけど(日本語は語順の自由度が高い言語だから)、小説だとそうはいかないことがあるんですよ。
極端なこと言うと、小説は要約できないんですよ厳密には。いや、要約文を作ることは可能だけど、トリミングされたそれはもう元の小説ではないんだ。
そういうことを思い知らせてくれるような小説ってもんがあるんですよ。例えば俺の時は『細雪』がそうだったけど。
歌の歌詞も一種の詩ですね。これは英語の詩に顕著ですが、ある程度韻を踏んでないと書いたやつの首を絞めたくなりますね。おさまりが悪くて気持ち悪い。
歌詞の美しい歌、この歌詞でなければダメな歌というのもありますよ。そういうのは替え歌にすると一瞬でぶっ壊れるか、そもそも替え歌が成立しないのですぐわかります。
たまに増田文学という文字を見る。文章が綺麗な時に使われる言葉のようだ。 文章に美醜なんてあるんだろうか。いや、あるんだろうけど、綺麗な文章がわからない。 汚い文章もよくわ...
表現されている内容と、表現(=文章)そのものとが、もうどうしようもなく完全に調和して釣り合っている文章というのがあるんですよ。 まるでその文章以上にその内容を表現するこ...