はてなキーワード: ハウツー本とは
自分ではそう思ってないけど、人から見ると負け犬の遠吠えに見えるから、
冷めた目で見てもらってかまわないです。
俺はいわゆる今までで彼女できたことない(年齢=彼女いない暦)。
小中高とモテなかったから大学ではがんばって彼女作ろうと思ってた
んだけど、工業大学で女の子全然いないから、友達に結構紹介してもらった。
まず、なんで俺が彼女を作りたかったかというと。世間体を気にしていて、
まあそんな男が持てる分けないんだけど。
友達にも童貞童貞ってネタにされて(まあ冗談ってわかってるけど)、
まあ察してると思うけど、彼女はできなかった・・・一応デートまでこぎ着けて
全員一回遊んでさようならが8人(8連敗)、全く後に続かなかった。
1人目は、うまれて初めて女の子とまともなメールをしたから完全に舞い上がって
ものすごい労力をつぎ込んだ。ハウツー本で女の子と同じ感覚でメールすると良い
と書いてあったから、俺が打って五分後にきたら五分後に返したり、
10分後にきたら10分後に返したり、15h(ry というやり取りをしていた。
(まあ内容は置いといて・・・)
返事が途絶えてから携帯の前で待ってて来るかな来るかな、って3時間くらい
待ってたこともあった。そして、デートの日がっつきすぎたか「私草食系が好きなの」
っていわれて1人目撃沈。
それから友達から指摘を受けて、女の子の扱い方を学んで次の子次の子へ
どんどんアプローチをかけていった。
2~6人目位までは1人目と同じくらいか、少し少ない熱意を持って
やったがそれも全て撃沈。
7~8人目位になったあたりで精神が病んできちゃって、8人目が撃沈した
次の日位から、食事が喉を通らなくなった。食べてもほぼ100%吐いてた。
なんで自分はモテないのか?モテなさすぎて劣悪な遺伝子だな、頭も悪いし
こんな遺伝子残さない方がいいんじゃないか、という劣等感を感じるようになった。
大学はそのときまで全然さぼらなかったんだけど、あまりのだるさに1日さぼって、
次の日は学校行っただけでダウン、ついた瞬間保健室へ駆け込み、休憩して授業を
受けずにそのまま帰宅。一週間で飯は食えるようになったけどそれでも前に比べる
とかなり小食になった。
そして、自分の気持ちの中でいくつかの結論が出た。
自分は本当にモテない、やればやるほど空回りする。そして、無理すればするほど
ぼろぼろになっていく。努力して、相手の為に尽くしても思いが届かないことに気づいた。
完全に逃げてるけど、俺の中で彼女作ることはただたんにレッテルをとりたいだけ
そう思ってて今日まで過ごしてきたら、韓国戦見てたときに母さんが「あんた彼女作らんの?」って
言ってきて「俺はもう作るのあきらめた」と言ったら、親父がいかに恋愛がすばらしい
か説いてきた。それと「一回もできたことない奴が分かったような口聞くな」とか
「そんなの負け犬の遠吠えだ」などと言ってきた。それでこっちの
意見を全く聞こうせず、ずっと恋愛のすばらしさを熱弁してくれた。
自分で逃げてるなんて百も承知、俺はもう疲れたんだよ。
日々見下されてて、俺に対する態度がひどくて劣等感を感じて、バイトは土日絶対1日入って、
それでデートするだけでも多大な労力を使ったのに、それが付き合ったら
毎日メール?毎月の生活苦しいのに、定期的にデートで金を使う?
そもそも好きって感情がわからんから恋愛に意味を見い出せない。
一緒にいるだけで幸せ?今の僕には理解でないよ。
思うと少し残念な気持ちに成る。
ここまで読んでくれた人ありがとう、下手な文章でごめんなさい。
審査員やった。審査員は普通、各学校の国語の先生。(俺は違う。)方式は出された作品約300を10組*4人くらいで30作づつ読んで各組上位4作品くらいを今度は40人の教員全員が読んで1-10の点数をつけて平均点の高いのが入賞。ちなみに原稿5枚が制限でもし2枚しか書いていなかったらその時点で落とされる。
で入選するためには
1。昔の課題図書はえらばない。特に数年前のとかは、もう選ぶ側の審査員が飽き飽きしている。「一瞬の風になれ」とか「夏の庭」とか、課題図書は単純な話が多いので似たような感想になり審査員はあきあきしているので感想文自体の出来が良くてもこれは昨年も同じような感想があったとなる。
2、「人間失格」はやめておけ、あれもとにかく毎年毎年読むひとが多いので、審査している方は辟易している。
3、難病、不治の病になって回復する(もしくは回復しない)本はやめろ。ただでさえ暗い話が多い文学の感想の中さらに暗い話の感想は審査員をして(もういいよ!)となる。
4、奇を衒った本(タレント本、やハウツー本)はやめろ。単純に国語の先生はそういう本にいい印象を持っていない。
5、誰も知らない様な本はやめておけ、これは上記よりはましだが、どんなに感想文自体がうまくても、その本を誰もしらないのでなんとなく入選には推しにくい。
6、結論的には、「今年の課題図書」で書け。話が単純なものが多い課題図書なので素直な感想がかきやすく、審査員も飽き飽きしてない上に、「課題図書から入選作を出さなければならない」という縛りまである。今年だったら「「ハサウェイ・ジョウンズの恋」なんか話も面白く感想も書きやすい。今回の例を出すと課題図書で感想文を書いた人は全県で10人くらいしかいなかった、その中から入選3人のうち2人が課題図書だった。これは偶然ではなく必然。こんかいは課題図書が自然に入選したが、もし点数が入選に達していなくても、強引に下位からいれかえて1人入選させなければいけない。
俺は読書感想文とくに、学校教育の中で書かされる感想文なんてなんの益にもならないと思っている。国語教育でなぜ文学作品の感想なんて求めるのかが謎。
好きな本を好きなように読むのがいいし、こういう読書って必ず文系に偏るので小さい頃図鑑やブルーバックスばかり読んでいた俺にとっては無用の存在でしかなかった。こういうノウハウが広まればこういうコンクールはなくなるか縮小の方向になるかもしれないのでアノニマスで書いてみた。読書感想画コンクールは面白いと思うのだが・・。
「ありのままのあなたで愛される」「そのままで大丈夫」という理屈はよく分かるよ。でも、私はありのままでいても恋人ができない。それって「ありのままでいても愛されてない」し、「そのままでも大丈夫になってない」。私の今の生き方が「ありのまま」でないのかとも疑ってみたけど、どう考えてもそうじゃない。ああいう本書いてるエセ心理学者をぶん殴りたい。
誘っても誘っても断られる。そうなったら何か原因があると思うのが健全な人間だし、それを直そうとするのが普通じゃない? 「縁がない」「見る目がない」なんて他人のせいにしてないからこそ、自分がよりよくなるためにどうすればいいかを考えたいからハウツー本だって読むし、髪型だっていじるし、ファッションだっていろいろ変えてみるし、サークルだって増やすし、方言も直すし、毎朝ランニングするようにしたし、バイト頑張って整形のためにだってお金を貯めるよ。それだけやるって結構大変なことだよ! アイデンティティを大切にとかありのままとか抽象的な理想論語ってないで、愛されない状況がどれだけ辛いのかを分かってほしい。うまく行かないからこそ悩んでるのに、人がいろいろ考えて取ってる方策を否定するな。
あなたは普通にしてれば愛されるしモテるけど、私は普通にしててもそうならないんだよ!
あなたがいくら可愛いとか愛嬌があるとか(心にもない言葉を)吐いてくれても、男の人たちにそう思ってもらえなきゃ何も意味ないんだよ馬鹿!
好きなものばかり食べていても長生きする人はいる。
世の中に、やってはいけないこと、というのはない。
世の中にはやってはいけない、これをやるべき、というのが蔓延してる。
だけど実際には、本人がやりたいかどうか、選択に委ねられている。
魚が健康にいいから魚ばかり食べなければならない?そんなことはない。
魚が嫌いな人に無理やり魚を食べさせても体は健康にはならない。一時的に、物理現象として健康になったような気はするが、結局ストレスで無効化する。
これを食べれば健康にいいというのはない。好きなものを食べれば健康になれる。嫌いなものを無理して食べてどうして健康になれるのか。
お金は節約しなきゃならないものでもないし、使いまくらなければならないものでもない。
お金は好きな時に好きなだけ使えばいい。
節約は節約したい人だけがすればいい。節約することが楽しい人のためにある。
お金を使うのが好きな人に無理に節約させてもその人は幸せにはならない。
世の中に蔓延する「ノウハウ」が全く無意味な理由は、第一に書いた本人にとって心地よい方法というに過ぎないから。
大ヒットするのは、その方法で幸せになれるかも、と勘違いした人達が大勢いたということ。実際は、自分がやりたいことを見つけられず、他人が幸せになれる方法を教えてくれると思い込んでいる。
好きなことは自分の中にしかない。
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20100124/1264349181
全体の論旨の言わんとしていることは、とても痛いほど分かります。昨年、自分が就職活動を実際にやってみて体験して同様のことを感じました。また文脈的には、「心理学化する社会」であったり、本田由紀さんが提唱する「ハイパーメリトクラシー」と同一線上に位置づけられると思います。
しかし、就職活動に限って言うならば、それが現代的にアクチュアルな問題なのか、と問われるといまいちピンとこないところがあるわけです。なぜならば、「就活」に対する多くの論旨は、過去と現在の就職活動には明らかな断絶があると強調する一方で、現在にばかり着目し、過去には一切目を向けていないからです。
上のid:nagano_haruさんの論考も例に漏れず、過去の就職活動と現在の就職活動の違いをまるで自明のように取り扱っています。
企業が労働者を採用するときの「自己PR」をどんどん先鋭化させていくところだ。
……(引用者略)
id:nagano_haruさんは、エントリーシートの発明によって、就職活動が自己に与える影響が変化したと主張しています。しかし、この根拠となる部分が明らかにされていないため、果たして本当にそうなのか、という疑問がどうしても残ってしまいます。つまり、歴史がない、通時的な視点の欠如が論旨の前提を脆弱なものにしています。このような歴史の欠如は、議論を極めて内輪的なものにしてしまう恐れがあるのではないでしょうか。
別にこれはnagano_haruさんに限ったことではなく、就職活動に言及する学者や評論家全てに言えることだと思います。彼らがなぜ具体的な資料も根拠もなく、現代的な就活に特有の問題である、といえるのか。そこが全く分かりません。
私見では、メディアの形式が変化しただけで、恐らく、三菱財閥、住友財閥、富士電機といった明治・大正にかけて一世を風靡した大企業たちは、面接段階で、現代以上に自己の刷り合わせを求めてきたのではないか、と思われます。当時の産業はまだまだ発展途中であり、その成員に家族的な同質性を求めていたこと、当時の大学生は全人口の数パーセントに過ぎないエリートであったことから、横の学歴よりも個人の思想、忠誠心が問題とされたこと、などが考えられます。またこの時期に就職活動本の原点とも言えるハウツー本が発売されたのは、決して偶然ではないでしょう。
つまり、現代的な問題というよりむしろ、近代以降、職業選択の自由によって開放された労働市場が、開放された個人を取り込むために始まった就職活動に内在している問題系なのではないか、ということです。
こんなこと書くと、お前が調べて根拠出せよ、と言われてしまいそうなので、時間があるときに昔の就職活動について調べてみます。ただ、個人的に一番問題だと思うのが、現時点で体験している人以外あまり問題として感じられない点があると思います。自分もそうですが、就職活動やっているときは、そのシステムの不条理さに怒りを露にするのですが、いざ内定をもらってしまうと、それまでの苦労は笑い話となり、理不尽さは隠蔽されてしまう。誰しも経験しているにもかかわらず、喉元過ぎると熱さを忘れてしまうところに、この問題の難しさが潜んでいるのではないかと思います。
ハウツー本って言っても私は
数学的思考の薦めとか
確立的発想方
とかも読んだりするから
広く浅くなんだろうな。
でも数学弱いんだなこれが
個人的には、ハウツー本みたいな単純明快わかりやすい!みたいな本ばかり読む人には遠山啓の「無限と連続」という本を読んで欲しい。
2章以降は普通の人にはかなり難しいと思うけど、1章は頑張ればいけると思う。ハウツー本には無い深みが感じ取れると俺は思う。
そういうことを言いたいんだったら、元増田の書き方はあまり適切じゃないな。
「ハウツー本しか読まない自分・小説(架空の物語)に興味が無い自分」という対比もロジック的に漏れが多い(MECEになってない)。
それこそ、ロジカルシンキング系のハウツー本を読めばいいんじゃないか?さっき挙げた本でもいいと思うけど。
ただあの手の本は読んだあとしっかり咀嚼して実践しないと無意味(実践が一番むずくてあとはオマケ)だから、読むだけじゃだめだとは思う。
具体的に言うと
これだと検索にカテゴリー訳がある事を知ったし タグ入れると絞り込めるのも分かったよ
実際知識不足なのは認めるし わざわざ買わなくても調べれば済む事なんだけれどね
それじゃあなたは生活の中でどんだけハウツー本の効果がでてるわけ?
ハウツー本も本によってはなるほどなあと思うけどlifehacker.jpとかの「○○する○個の方法」とかはクズばかりという印象が強い。
なるほどね。
元増田だが
エンドルフィンが出る場所って人によって違うよね。
このエントリはかなり納得です。
ハウツー本でエンドルフィン出ない人って(もちろん人によって違うのだろうが)どんな所でエンドルフィン出るのかな。
また、なぜテンションが下がるのかな
私はハウツー本っていうか「あなたのライフスタイルを今より3倍ちょっと楽しくなる本」とか「知らないと損する100の技法」とかいった本しかよまない。
しかっていうのが曲者で
私はどこぞの誰かのましてや、架空の物語には一切興味を示せないのである。
所が私のような人は少数派で なぜハウツー本を読まない?とリアルの人に説明したところで
対して興味が無いから読まないのである 程度の答えしか返ってこなくて
私は疑問や胡散臭い謎をといたり 哲学的思考{とは?を解く}のが趣味なうざい人である
なぜ? ハウツー本好き とかで検索して嫌いな人のページしか出てこない
なぜ皆ツェルニーを毛嫌いする?
ロマン派の美しくて胸をしめつけられるすばらしい音楽ではないか?
「あなたの作品の著作権を登録することで、あなたのアイデアを守りましょう!手続きは代行しますよ!」
と誰かから言われたら、その人は詐欺師です。すぐに縁を切って下さい。この言葉の何が詐欺なのか分からない方は、この記事を最後まで読んだ方がいいと思います。
中小企業の経営者や個人事業主の集まりに、ネットやら法律やら色々と詳しい先生という立場で参加した時のことでした。手先が器用なのを何とかビジネスに結びつけたいというおばさんが、彼女が考案したというちょっとしたアイデア小物を手に話しかけてきたのです。
要約すると、そのアイデア小物がビジネスとして成功するかどうか率直な感想を聞かせてくれとのことでした。そのアイデアは、正直言ってアイデアと呼ぶのもはばかられるレベルでしたし、何より誰でも簡単にマネして同等品をつくることが出来るものでした。私はそのことを言葉を選びながら答えたのでした。
すると、彼女もその問題点は分かっているというのです。なんでも、知り合いの息子さんで著作権関係の仕事をしている人に相談したところ、
「アイデアを模倣から守るために実用新案か特許を申請したいところだが、この程度のアイデアでは無理だ。だから、このアイデア小物の『説明文』についての『著作権』を登録しよう。私がその手続きを格安で代行してあげる。そうすれば間接的にあなたのアイデアは守られる。」
と言われたというのです。
その時点で詐欺としか思えなかったものの、知り合いの息子さんに持ちかけられたのならばと、出来る限り好意的に解釈する方向性で相談にのったのでした。
「著作権というものは特許や実用新案と違って、登録のための手続きなどは特に必要ないはずです。何かの勘違いじゃないですか?」
「いや、間違いない。手数料を1万円ほど払ったところ、ちゃんと登録番号の書かれた立派な証書のようなものが送られてきた。文化庁にきちんと登録した会社だと言っていた。」
「うーん…。もしかしたら、著作権『登録』ではなくて、著作権『管理』のことなのかもしれませんね。
JASRACのように、著作権使用料の徴収などを代行してくれる会社とかなんですかね?
その便宜上の管理番号が書かれた紙を送ってきただけとか?
文化庁が云々というのも、そういえばJASRACの寡占を防ぐために著作権管理団体を新しく届け出制にするとか言っていましたし。
ただ、あなたの説明文の著作権を管理したところで、あなたのアイデア小物を模倣から守ることにはほとんど何の効力もないので、どんなに好意的に解釈しても、限りなく詐欺に近いと言わざるを得ないですね…。」
「ああ、そうですか…。はぁ…。ありがとうございます…。」
彼女のアイデア小物がパクられる心配なんて、そもそもほとんど無いのだから、そのまま放っておくのも手かなとは思いましたが、何というかだましの手口が微妙に良くできていることに腹が立ってしまって、真実をそのまま口にしてしまったのでした。
帰って調べてみたところ、闇は思っていた以上に深いというかセコいというか…。
知的所有権協会という公益法人風の名前の株式会社が中心になってやらかしています。
そもそも著作権については、日本を始めほとんどの国は「無方式主義」を採用していて、著作物を創作した時点で自動的に著作権が発生するということになっているのです。登録なんてしなくても最初から著作権は発生しているのです。
知的所有権協会のセコいところは、著作権が「発生したことを一緒になって確認してあげる」ことを、「登録」と表現しているとちゃんと書いていて、完全なウソをついてしまうことを微妙に逃れているところです。ウソではないんです。ただ、何の役にも立たないというだけです。そして、著作権もちゃんと発生しているのです。何もしなくても自動的に発生するので当然ですが…。そして、登録料が非常に安いというか、だまし取られたところで何とも言いようのない微妙な額に設定してあるのが、これまたセコいというかうまいというか…。
更には、「著作権管理士」なる公的資格風の民間資格を自分たちで勝手にでっちあげて、それになるためのハウツー本まで出版しているという、絵に描いたようなサムライ商法まで合わせ技でやっているのです。
知的所有権協会のせいで自分たちの領域を荒らされまくっている日本弁理士会が、何とかとっちめてやろうと裁判などを起こしてきた歴史があるようです。
日本弁理士会「民間業者の『知的所有権(著作権)登録』の勧誘にご注意! http://www.jpaa.or.jp/consultation/protect/care/care2.html
日本弁理士会の書き方を見ていると、この悪徳商法の被害者は、意味のない登録をお金を払ってした人よりも、その意味のない登録をふりかざして「お前の会社の○○という製品は私のアイデアのパクリだ!著作権も登録してあるんだ!権利侵害だ!内容証明郵便を送りつけたから覚悟しろ!」みたいなことを言ってくる困ったさんにつきあわされる企業の方がかわいそうっぽいです。
いやはや何というか、色々と哀愁漂うセコい詐欺の現場に立ち会ってしまった話でした。
(※ブコメで、文化庁の正式な登録制度の存在 http://www.bunka.go.jp/chosakuken/touroku_seido/index.html を教えてもらったので、冒頭の言い回しを微妙に修正 ブコメの指摘で日本弁理士協会→日本弁理士会に修正)
叩きではないのですが、
そもそも学術的にはイロモノの域を出ないリスニング学習の本を持ち上げたかと思えば、
その理論部分に問題があるという。
彼が何を書いているのか、最初さっぱり分かりませんでした。
反復学習の効果的側面は臨床データもたくさんありまして、リスニング学習は効果が
限定的だというのは1980年代からさまざまな論文で語られているんですけど。
それで、今度は単なる一症例、それも単なる脳卒中からの脳機能回復の体験談に過ぎない
「奇跡の脳」を山車にして、両者を比較すると言う、心療内科の世界からすると誤謬
としか言いようのない書評を書いておられます。
彼は、
「これははっきりと「No」と弾言させていただく。私にとって言葉は理解と表現の道具で
あっても、思考の道具では実はない。」
とまで言っていますが。
認知学で言うなら、言葉の理解と表現を行うのは、思考の「結果」であって、別物と
かそういう以前に、脳機能のうえで区別すらできないもののはずなんですが。
と言うより、言葉で理解していながら、「思考は言葉で行われる」という基本的過ぎる
主張に「NOと弾言」というのは、甚だおかしいです。意味が分からない。
さらに、
「同書で最も驚いたのは、左脳が麻痺した著者が見た世界が、いかに私が「考える」
時の状態に近いかだった。自己の境界と時の流れがなくなったその世界にこそ、
「マイワールド」なのである」
集中している時の脳活性は自己の境界線(自己的知養)が発現しないのは当たり前
です。言語野が確立していない胎児にいる状態でも記憶は残り、のちに言語化されて
記憶が再整理され、胎児中の記憶が蘇ることは学術的にも確認されていますが、
これ、本論とは一切関係ありませんよね。
「本書の価値は、実践の方にある。ハウツー本にとってより重要なのは、理論の
正しさではなく実践の効果である以上、本書はたとえ理論に納得できないとしても
価値がある。そしてその実践の効用が大きいことは、私自身を証拠として提示できる。
私も「耳勉強法」の実践者だったのだから」
その後も、彼独自のヨタ話が続きますけど、書評で出ている実戦方法と、この人が
「耳学習でかるたを覚えた」と言っていますが、文章記憶を行うのにリスニングが
適しているだけの話で、これを数式や化学式の暗記に応用しろと言われても無理
でしょう。彼が言っているのは、簡単に言えば言語を効率的に習熟するには
リスニングも必要であるという、ごく当たり前のことに過ぎません。
「有名な話しであり、またこの話が「人は見た目が9割」のベースにもなっている
のだが、むしろ私が驚くのは、聴覚が38%もあることだ。」
これも関係ない話ですよね。聴覚による情報摂取比率が脳科学的に高いからといって、
ここで取り上げたリスニング学習法が実践価値があるという意味にはならないです。
むしろ、現在の学習に関する研究では、視覚聴覚などの取り入れる配分をどうするか
というレシピのほうの調査が主で、学習障害が何故発生するかや、集中力との関係
といった分野が大変重視されるのですが、やはり本論とは何ら関係はない。
「ここで、今まで「耳勉強法」が今までそれほど活用されていなかったもう一つの
理由にたどりつく。それは「耳を使うのは非常時」という、耳のもう一つの特性だ。」
もはや、何を言っているんだか分かりません。
緊急時の情報優先が聴覚であるという学術論文は25年間のあいだで読んだことがない
ですね。危機対応能力を求められる職種の人は、嗅覚が鋭くなる傾向にあるという
調査報告がある程度で、聴覚が優先されるなどと言う話はまっとうな論文では
見たことがありません。
非常に不誠実で、不正確な書評で、脳科学や認知に関する基本的な理解が不足した、
問題の多すぎる論述ばかりで、読んでいるこちらが逆に驚いたぐらいです。
臨床データを読みこなせるようになってから書いてください、というわけではない
のですが、知らない、分からないことに対する論述の慎重さ、丁寧さ、誠実さと
いったところが欠けすぎていて、残念に思いました。
ある程度、そちらの方面では専門であるわたしから見ても、まったく無価値な議論
ばかりだな、という印象です。
あのね、今はオタク界に限定した「男オタク⇔腐女子」の話をしているのであって、世間一般的な「男オタク⇔女一般」の話をしているわけではないんですよ?
腐女子と女一般、オタク界と世間一般を一緒くたにして論点を摩り替えないこと。
あと、細かい突っ込みをするなら、それらはモテたいと思っている人が見ればいいサイトであって、別にモテなくてもいいのなら見なければいいんじゃないの?
大体、ハウツー本的読み物なんて、モテに限らず世の中に溢れてるだろ。ライフハック、デイトレード、在宅ワーカー、料理、子育て、C言語、マナー等等、挙げればきりがない。
それらのハウツー本がいちいちお前に対して「これをやれ!」と圧力をかけているとでも言うのかよwやりたくなければやらなければいいだけの話だろw
もしこれらのハウツー本に対して、ことモテ関連にのみ圧力を感じるというのなら、それはお前にとって恋愛のことが気になって気になって仕方が無いというだけの、個人的な問題に過ぎない。
それは、一人でも楽しそうに暮らしていることだ。
なんだあたりまえだという人もいるだろうけど、これだけは絶対に重要。
全然具体的ではないけど、そもそもモテるために具体的な教えがあるほうがおかしい。
だからハウツー本の類は信じるべきではないよ。
理由はすこし考えればわかること。
だって、一人でも楽しそうなAさん、一人でいると楽しくなさそうなBさん、の二人がいてどちらと付き合いたいと思う?
ふつうはAさんだよね。
非モテな人のなかには、一人でいる苦しみを分かってもらいたいために、不幸であることを人にアピールする人も多いけど、ほとんどの場合は逆効果。そんな人に近づきたいのは変わった人です。
だからともかくモテなくても楽しく暮らしていればいいんだよ。次第に周りに人はあつまるから。
パソコンで絵が描きたいんですよ、おすすめのソフト何ですか、ペンタブどんなのがいいんですか、と細々聞いてきたやつがいる。自分は適当に使っているだけなので参考にはならないとは言ったのだが、実際に使用している人の声が欲しいんだろうと、自分の場合はと前置きをして、答えられることには全部答えた。
暫くして、ソフトやら周辺機器やら、立派なのを一通り揃えたそうだ。資金が潤沢なのは正直うらやましい。が、まー今ので自分は十分なんだし何より資金ねーしな、がんばれがんばれと思っていたら、今度はパソコンで絵を描くの難しいっすよ、使いこなせないっすよ、ハウツー本見てもわからないし描けないっすよ、ときた。とりあえず触って慣れたらと言っても、返ってくるのはデモデモダッテばかりだった。ここで割といらいらする。
そりゃ最初はペンタブなんてうまく使えないわな。だってアナログ画材と勝手違うもの。だから触って慣れるしかないって言ってんのに話聞いてよお願いだからさあ。そこを試行錯誤して思い通りに描けるようになるのが楽しいんじゃん。コツなんて知らんがな、っていうか自分が知りたいわ、ってあんた絵のスクール入ってるって言ってたじゃんそっちでどうにかならんの?こちとら趣味の域を出ねーんだよとかまあ色々と思ったけど、何言われてもやってみろとだけ返して終わらせた。あれは本当にいらいらしたなあ。数日いらいらを引っ張った。
そしてそれから数ヶ月。
フォトショとSAIのファイル互換がうまくいかないそうだ。SAIで作ったファイルをフォトショで開くと、なんかレイヤーが変で黄色で描けないだか描きにくいらしい。よくわからん。へーそんなこともあるんだ、ふうんとしか言いようがない。だってそんな風になったことないもの。そしたらさ、なんかその不具合ね、私に見てほしいらしくて今度パソコン持ってきますって言ってきたWWWWW何?わたしあんたのサポセンだったの?みたいな!知らんがな!SAIの製品版なんて触ったことないの!開発中で使用期限が1ヶ月毎に更新されてたあの頃しか知らんの!ていうか今SAI使ってなくてフォトショばっかりって言ったでしょ!話聞いてよねえ!なんで聞いてくれないのWWWWWWなんで自分で何とかしようとしないの?ネットで調べた?公式の掲示板とか見た?そこ見て無理だったらあたしだって無理に決まってんじゃんWWWWちょっとは考えてよ!ねえ!あたしに何求めてんのWWWWW
状態です。
今週パソコン持ってくるんだろうなあ。どうせ何もできないんだから、その分見るのは百歩譲っていいとして、せめて話聞いてくれないかなあと思うと私はとても会合をサボりたい気分に駆られる。
よく本をおすすめしてくれて、欲しいのあったらあげますよもう1冊買いますからって言うけど、それ親の金だろ……そんな気遣いいやだ……