はてなキーワード: ネットで話題とは
>勉強はきっとウチらに平等だ! https://ynjn.jp/title/14812
>生活保護世帯から東大で博士号を取るまで① https://note.com/rshimada/n/n058fbbff18c9
教育格差の物語について、ちょっとだけ思うところがあるので書かせてほしい。
1つは「やる気も意思もあるのに、手段がない。リソースにアクセスできない」というもの。
環境が不遇で、優秀で志もあるのに時代や環境の逆風があって夢を叶えられない、というような、物語になりやすいタイプ。
昨今ネットで話題になるような教育格差の物語は、このタイプが多いんじゃないかなと思う。
ただ、私の考えでは教育格差の物語にはもう1つタイプがあって、それは
「そもそもやる気も意思もないし勉強なんて好きじゃない」という人の物語。
「意思のない個人」として、流れ流れて現代社会で生きづらくなっている人の教育格差の物語。
さっきの立志伝を潜在的上位層の物語とするなら、こっちは『C層の子の物語』と言えると思う。
こちらは当人が別にこうなりたいと思っていないからそもそも物語にならない。語られないから苦しみの構造が知られない。
まれに世に出ても「意思を持つかどうか」は社会構造の問題だと見なされがたい。
ただ、このタイプも、よく見ていくと家庭環境や生まれが要因で「意思を持つ機会がなかった」側面があることに気づく。
私は「意思が持てる」って運に左右される側面があると思う。
「意思が持てる」という幸運に見放された人というのは存在する。そういう格差も十分苦しい。
後者は本人が問題に無自覚で、問題の構造に気づけてないこともままある。勉強や教育によって状況を改善しようという発想自体がない。
なんだったら勉強を苦手なもの・押し付けがましいものとして疎んでいることも少なくない。むしろ教育的なものから距離を置こうとする。
(このあたりは教育社会学の大家苅谷剛彦氏が「"勉強しないこと"がアイデンティティになる環境」」みたいな話で書いてる)
実際の公教育の現場で見られる教育格差は「意思があるが武器がない」タイプは少数で、多くはこの「意思も武器もない」タイプだと思う。物語性も希少性も薄いから話題にならない。
そんなに「こっちのことお姫様扱いしてくれないと」って女性たくさんいるんだ?ということはさておいて、
言いたいこと98%くらいは理解できる、ワイも婚活しない女性だけどね
"むしろ得意な女性の方が選んで男性を連れて行く方が合理的だと思うんだよな"
これ本当にそうだと思った
ただ
"これ男女逆に言うと、男が「女性にラーメン屋を選ばせたら幸楽苑とか選んだんだぜ、ありえないよな~」とか言ってるのと同じだよな。こんな文句言ってるの見たこと無ぇ~。"
これは多分こういうシチュエーションが現実にはそう頻発しないし観測もあんまりしないからこんな文句言ってるの見たこと無ぇ~んだと思う…
(追記 ないこと自体が非均衡で今だに世間のジェンダーロールが根強いという話だったかな、そうだったら誤読してたかもごめんね…)
でも実際起こったら「やっぱり女にはラーメンがわからねえよなw」って文句って言うかほらねって感じで揶揄する人はまあそれなりに出現すると思うな
一昔前というほどでもないラーメン評論家とか女性ファンも来てる自身の作品のイベントで「特撮は男の趣味」みたいなこと言っちゃう監督とか女の趣味は全部彼氏の影響とか言う人結構いるから…そういう人ね
そんでこういう男性が多分「女性は姫扱いをするべきって思ってる男性」の方に親和性が高いというか出発点が一緒というか、このまとめhttps://togetter.com/li/2344575で引用されてる方としてる方みたいな人なのかなって思った
(ZaikabouさんのXじゃなくてこのまとめ見たあとこの増田見て感じたことだなこれは)
こういう考え方の男女って増田の書くとおり本当にその旧いジェンダー感とかメンタリティを同根にしているよなあ…って感じるけど、
ネットで話題になるとき実際は男も女も色んな人がいるのにひとまとめに男と女に雑に分けられたり自分からわかれたりして雑な前提のまま反目しあっていがみ合う感じになるのちょっとしんどくなってしまうよね
はたから見たらこういう考え方の人同士はお似合いなんだと思うけど…
婚活の場合はワイもよく知らないから言えないけど、個人的にはチェーン店や安い気楽なお店を本当にいいと思ってて素朴に相手を連れて行こうとする男性は(女性でも)べつに感じいいなーと思う
(はてブでは「世間知がない」「センスがない」とかさんざん言われたりこれで色々推し測れるとか言われたりしてるけど実際そういう部分もあるかもしれないけど、ワイはこれには結構反対したい気持ちがある…全部が型通りじゃないだろって)
でも「試しの場」として自分の物差しで100パー自分側が選ぶ側だとして無意識に相手をはじめから見下してることに気づかないままそれをやる上に、そういうの持論としてポストしちゃう人って男でも女でもほんとに嫌だよなあ……
結果は同じでも相手をはかる目的としてそういうお店を扱う人と好きでそのお店を使おうという人はやっぱり別だよねって思ったけど、
一連の話題で一緒くたにされて男性も女性も反論の材料にしたりしてるのみてうへってなったのでちょっと書いた
(婚活だとまあ違う特殊な文脈が生まれてそれを外側から見ると先鋭的に感じてしまうんだろうけどね…そしてそのまま一般の男女論に適用されて語られる まあワイにも関係ないからいいんだけど)
ていうかそういう使い方普通にお店にも失礼だよな
”女性は姫扱いをするべきって思ってる男性って結構ヤバ目な男性だと自分は思うのだけど、女性はあんまり危険視しないよね”
だからこの部分はべつにそんなことはない、そういう女性ばかりではないとは書いておきたい
増田の論旨とはだいぶ話が変わってしまうけどみんながDPZのライターのようで素朴にチェーン店やヘンなお店を愛したり
フラットに普通におもしろおかしく利用できておかしな文脈が付与されない世の中であるといい…とこれ関連の話題の度にワイは思ってる
そしてワイの家の近所にロイヤルホストがふたたび出店してくれたらいいのに…
小さい頃は幼馴染とはいっしょに落書きをしていた。チラシの裏だったり、ノートだったりそれは色々なところに。その頃から幼馴染の絵は抜群に上手かった。わたしはぼんやりと、これほど絵上手くても絵で食べていくには難しいだろうと思ったものだった。そうしていつしか、わたしは絵はただの趣味であって飯の種にはならないと割り切っていった。
大人になって、幼馴染はプロになった。ネットで話題だとかそういうレベルではなく、ある有名企業の看板作家のひとりになっていた。生まれ育った田舎町から遠く離れた街を歩いていてもその作品のポップを見かけたり、海外の本屋でも幼馴染の作品が並んでいたり。
そうしてふと、あのとき絵を描くのを割り切らなければ自分はどこまで行けたのか考えて、やっぱりどうにもならなかったよなと思い、改めて割り切ってただのサラリーマンになったのが良かったな、今じゃカツ丼を好きな時に食べられるし、なんて思ったりした。
幼馴染の絵が上手くてよかった。
松屋のシュクメルリを一年越して初めて食べたんだけど、言うほどそんなに今市市だった…。味がとにかくしょっぱくて食べきれなかった。
インターネットはサイゼリヤも褒める。サイゼリヤ飲みを絶賛する人もいるが酒を飲む器がプラスチックなのが、それが色々一番良いのだろうことは分かってはいるが、どうにも慣れなくて1度で断念した。
料理についてイタリア人も絶賛!とか言うけど、「そうなのか…(そうかなぁ…)」という感じ。値段に比しての大絶賛だとは分かってはいる。ミラノ風ドリアの器がいつの間にか樹脂製になっていてグツグツしなくなっているのも、値段に比してだと分かってはいても、子供のころに食べたサイゼリヤでは無くなっていて困った気持ちになる。サイゼリヤについては子供のころによく食べたのちに10数年のブランクがあっての今なのでギャップに驚いてるのが大きいな。
ギャップといえば、肉の万世もネットの人たちは褒めがち。実は万世は子供の頃に家族でよく行ったおなじみの店で美味しいのは確かだが、ロイヤルホストぐらいのイメージの「肉を気軽に美味しく食べられる店」だと思っていたので、ネットでわっしょいわっしょいする感じでもないというか…あれは「秋葉原」にある「肉ビル」という面白さでオタクが食いついてるってことなんだろうか。パーコーメン旨いし肉タワー(一番上の階だけ入ったことがない)も楽しいが、平成・令和になると、こう、「もっと新奇に美味しい店」は山ほどあったりするので、ノスタルジーと肉ビルという面白さ以外は、どちらかと言うと、高いファミレス的な店(気軽に肉が食べられる)だよなぁと思う。ちなみに、比較で出したロイヤルホストも、美味しいけどお値段ほどではないよなと思ったりもする。
インターネットで、ということだとビリヤニも個人的にはハマれなかった。●●ック●●スも、並んで食べるほど美味しいとは感じなかったんだけど、これはまぁインターネットがさんざんスゴイ旨いというから脳が過大に想像しちゃってたかもしれない(普通には美味しいと思う)。南インド料理もよく分からんかった。スパイスカレー(関西に色々あるよね)とスープカレー(北海道に色々あるよね)は好き。あとカレーだと銀座のナイルレストランはなんだかんだで好きだ。あそこ全然変わらなくてすごいな。神保町の行列してるカレー屋さんいくつかは「行列するほどか…」と思う。ナイルはそんなに行列しないのも良い。
北海道に行ったときにはぜひとネットで話題になる回転寿司チェーンも、この行列で…と考えるとそうでもない気持ちになる。あとインターネットが大好きな某ホテルチェーンももちろんステキなのは理解してるのだが個人的にはむしろちょっと苦手(清潔感というか清掃が甘い感じがあるので)。あとコメダもいまいちわからない。特に変な形のグラスにジュースが入っているメニューを見ると尻の座りが悪くなる。
唯一、ネットが大好きなさわやかのハンバーグだけはすごく美味しい。静岡に行く用事がある時、近くにさわやかがある時には1回転目に入れそうな整理券をゲットするためにスケジュールを逆算する。さわやかは旨いよね!
ここ数日ネットで話題になっていた騒動が全く想像もしていなかった、そして全く救いのない展開を迎えて衝撃を受けている。原作もドラマも触れてこなかった私でも、悲劇の一報を聞いた時にはあまりのショックに吐きそうになった。SNSでは「犯人捜しや特定の個人を吊るし上げることは絶対にダメだ」という意見が散見され、私もそれに全面的に同意する。しかし今思うのは、私自身今回の悲劇を招いた゛一滴”になっていなかったか、ということである。
木村花さんやりゅうちぇるさんが自死を選んだ時、私は執拗な誹謗中傷を行い続けた連中に心底憤った。しかし今回の件は誹謗中傷のターゲットにされた人物ではなく、構図的には被害者で、外野から多数の支持を得ていた形になっていた人物が自ら命を絶ってしまった。ここからはあくまで憶測になるが、騒動があまりに大きくなりすぎて自責の念を感じてしまったのではないかと思う。テレビ局や特定の個人へ向かう誹謗中傷の規模や熱量のすさまじさを目の当たりにして(重ねて申し上げるが憶測でしかない)。
ここまで考えて「SNSを利用している私にも責任の一端があるかもしれない」と思った。私は今回の騒動の関係者に誹謗中傷やクソリプを送ったことはない。しかし、騒動の顛末をわかりやすく説明するツイートをRTし、いいねもした。この行為が騒動を大きくする一滴だったのではないかと思う。ネットの炎上を洪水と表現すれば、川から溢れた水があらゆるものを飲みこんで破壊していくその過程で、私のRT、いいねが一滴として貢献した気がしてならない。
SNSが人の命を残酷に奪い続けている。これまではあくまでそれに怒る側としての自分しか自覚していなかった。自分は誹謗中傷を行ったりしないし、クソリプを送り付けることもない。しかし今回の件は違う。騒動が大きくなりすぎたことが1人の人間を追い込んだのだとすれば、私は知らず知らずのうちのそこに加担したことになる。
「俺はまた中身のないパチンコに脳を狂わされたチンパンジーになっていたのか」とアンインストール
大衆に流行るゲームはどれもパチンコもどきなのだなと改めて痛感
神バハ→美しすぎる虚無ゲー
ウマ娘→ガチャ×因子ガチャ×育成ガチャ×友情ガチャ×レース結果ガチャ×本番の魔物ガチャの無限ガチャゲー
ローグウィズデッド→広告を見ない権利を金で買っても残るのはハムスターの滑車だけな虚無ゲー
無意味すぎるぜ。
まるでロザリオを数えた回数を競うかのように延々と祈りを捧げ続け脳汁中毒になって私生活が粉々になる虚無ゲーの数々。
ネットで話題になるゲームなんて全部演出の凝ったパチンコばかりだ。
何もねえな。
周回の中にプレイヤー自身の成長が存在する音ゲーシャンシャンがまだだいぶマシな部類だ(実際にはレバーをいい感じに合わせ続けるのが上手くなる技能と大差ないのでパチンカスキルの一つに過ぎない)。
俺の直感が「虚無反応あり!激アツ虚無リーチ!!虚 無 亡 失 人 生 腐 敗 絶 対 後 悔 不 戻 時 間 全 力 回 避 推 奨 地 雷 ! ! ! 虚虚虚虚虚虚虚虚!!!!」と反応した時は素直に逃げるべきなんだろうな。
サブスクなりで既存の曲の配信が決まって熱狂的に喜ぶというのが謎だ。
スピッツとかハイスタとか、結構ネットで話題になってた気がする。来たら多分ブルーハーツとかも。アイマスもよう知らんけどするとかしないとかで騒がれてた気がする。気のせいかも知れない。
熱狂的に喜ぶくらい入れ込んでんなら音源持ってるんと違うのって思う。「本当」のファンなら云々という美味しんぼじみた話ではなく、ごく常識的な考えだと思う。そうでもないなら思い入れと喜び方が釣り合ってないでしょって。
それこそアイマスとか、その手のコンテンツで曲が膨大にあるとかならまあ分かるかもしれない。揃え切れなかった分をサブスクで選び放題なら嬉しいかもしれない。
音源は持ってないけど、たまにyoutubeなりで聴く程度の曲が配信決まって、お〜来たかってくらいの喜びならそれも分かる。ただ歓喜するほどの熱量には見合わない気がする。
音源持ってるけど単にローカルのやつ流すのが面倒で、配信が来てちょっと便利になった事に対して喜ぶのも分かる。ただこれも熱量に見合わないと思う。
正規で入手出来る音源がなくて、ついにサブスクで実現されたのなら熱狂するかもしれない。
でもそんな事ある?って思う。インディーズとかならいざ知らず、ネット上の話題としてそれなりに通用するレベルのグループで……
歌ってる間に128人が順番にけん玉をして連続成功することを目指す。
見ていて胃が痛くなるような企画だが、昨年成功してネットで話題になったということもあり今年もやった。
そして失敗した。
16人目が玉を落とした。
しかし、何事もなかったかのようにそのまま17人目、18人目と続いていき、128人がやり終えた。
そして、、、。
映し出されるギネス判定員。
拍手の湧き上がる会場、歓声を上げるハシカンと浜辺美波、何事もなくすべてうまくいったかのように進行しようとする有吉。
失敗を失敗と言えない日本の悪しき習慣の象徴のような出来事がこの色々あった年の大晦日に起こるとは。
一事が万事こんな風だからジャニー喜多川の蛮行や自民党の裏金がまかり通っていたんじゃないのか?
今年一年それらの悪習に対して神妙な顔で報道してたNHKがこうも堂々とカラスは白いをやってしまうとは。
2024年も碌な年にならなさそうだ。
小レベルになるとネットで話題のものやジェンダー関連が取り沙汰される。軽犯罪も含む。
例えば渡部の不倫やNGT48の話が入ってくる。政治家の問題もここだ。
後ろにいる芸能記者、という名の芸能事務所の伝言係(本人が強烈にミーハー)のコメントを求めたりする。
これは松本MC時代だがこの議論の終盤、松本のがそのネタを嘲笑に使う。
よくあったのは「○○さんもしてるんじゃ」とかいう共演者に振るネタだ。わりとワンパターン。
ここで中レベルの問題はお茶の間で笑ってしまうカテゴリに分類されるようにできている。
全体を通して不謹慎をテーマにしている企画番組ではあると思う。
言いにくいことを話題にしてネタにする的な、ブラックジョーク番組だったはずだ。
が、だんだんと松本の立場が権力を持った芸能界のご意見番化していった。
ワイドナショー自体が切り取り的な報道をしているのを棚に上げて、自分はこのテーマに関して真剣に話しているんです、というスタンスをとるようになっていた。
番組を理由を明かさずに休み続けて、卒業のときにはこうコメントした。
「(裏番組の)『サンジャポ』のみなさん、来週からは(視聴率で)ぼろ勝ちすると思う。僕が抜けたワイドナショーは屁みたいな番組だと思う」
そしてこのコメント自体、松本をいなすためにつれて来られている東野や他スタッフに関してリスペクトもなく、ただ彼の世界には彼しかいないのだという印象をもたらすだけなのだが、そこまで松本は考えが及んでいなかったのだと思う。
X(旧ツイッター)を見ていると、罪を認めるのも認めないのも含めて、大いに周辺に迷惑がかかっていることにフォローの言葉もない。
それでも自分は助けてもらえると信じているのだろうが、
このような態度では信頼は失っているも同然だろう。
本人はこの問題が世界各国でどれほど記事にされているのか知らないらしい。
これについて責任感は一切なかったのだとしたら、彼はもはやモンスターだと思う。
改善はない。
優生思想が悪いのは当たり前の前提になってる。
誰も説明してくれたりはしない。
僕も説明しない。
「……ウンウン、優生思想に繋がりかねない恐れがあるよな」
こいつ、暗記してます。
優生思想 = 悪い
様々にバラエティ豊かな子孫を育んで、適者生存、たまたま生き残った特性を未来につなげる。
どんな特性が優れてるかは事前には分からないので、偶然に賭ける。
生き残りに絶対有利な特性が現時点で分からないからと言って、思考停止する意味がわからん。
ダーウィンの適者生存を不変の原理にして、そこから先の研究を進めようとしないのは、なぜ?
母親の人権が問題だというのなら、「子どもはこうなりそうです」「こんな風にもできます」って選択肢を示せばいいでしょう。自由が増えるのはいいことに思えるけど、違うのかな。
非クリエイター、画像生成AI(stable diffusion web ui)に触れている(投稿は一切していない)だけの消費者のただのお気持ち投稿です。(反AI寄りです)
また全体的に画像生成AIを批判する内容ですが、画像生成AIを使って画像を投稿している人や記事を書いてる人や金儲けをしている人に突撃するような活動はさすがにダメだと思っています(クマを殺すなと市役所に電凸するようなものと同じと思ってるので)
昨今画像生成AIによる作品が大量に発生してきているためものすごくげんなりしています。DMMやDLsite等を利用している人であれば実感している人が居ると思いますが、これでもかってくらいAIによる生成物が増えてきて明らかに特定の作者まんまの作品がちらほら・・・。また、画像生成AIの進歩が凄いというのを実感する一方でその発信をする人の中に時々pixivのファンイラストの無断使用するとかMMDのモーションをAIでパクっただけ等とAIと関係なく著作権の意識が希薄な人が居てせっかくの技術もこんな使われ方されてかわいそうって思います。
とはいえ、さすがにAIを触る人間の大半がそんな人間ではないだろうとも思ってはいます。賢木イオ氏がアンケートを採った「狙い撃ちLoRAや絵柄模倣、貴方はどう思う?画像生成AIユーザー緊急アンケート」の記事内でも「特定絵師さんの画風再現AI絵」を問題ないと思っているのは1割でアンケートの回答者に関しても世間が「AI絵師」と呼ぶような投稿者は4人に1人以下というものでした。直感的にもそんなものだろうとは思いつつ、画像生成AIの界隈はところどころ不穏な層が結構目立つ。イラストレーターに対して画像を学習したことを直接報告する人とかおそらく犯罪にならないからと反AI層にイキリ散らかすのとか。そんなのがいるもんだからAI推進派の目立つ人(その中でも話が通じる人・まともな人)に粘着したり殺害予告やらと反AIの過激な人も現れていてSNSでは建設的な議論よりもひたすら誹謗中傷ばかり増えて本当に見ていてきついです。
直観的な感覚としては、特定のイラストレーターのデータを学習した上でそのイラストレーターと似たような絵を作成して販売したら著作権の侵害になるのでは?と感じるのだがどうもそうはいかないというのが昨今の流れのようです。
軽く調べただけですが理由として
・著作権の侵害には「類似性」と「依拠性」の“両方“を満たす必要がある
・AI学習そのものは原則として著作権者の許諾なく行うことが可能(権利制限規定として)
といったことがだいたいあげられるのだが
・30条の4には「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」との但し書きも存在しているため営利的に活動する場合は果たして?
・イラストや同人誌は二次創作の範囲内としてグレーな扱いになるが、グッズの販売はAI関係なく以前から書類送検されている例もあるのでAIだからセーフ論は特に立体物では通じないのでは?
とも思った。
とはいえ中々すっきりしない理由としておそらくは参照すべき背景や歴史や法律の運用等々があるのだろうとも推察されるので素人が口出ししないほうがいいような気もしました。特にAI絵師に「著作権法違反だ!」とかみつくようなものは。トレパク告発もそうですがお前は●●だといった断定するような批判は「真実であろうと冤罪であろうと名誉毀損」になりうるので、問題と思うのなら部外者は違法性が高いと考えうる証拠を保存するだけに留めるのが賢明でしょう。(よく知らない人物に突撃する人がそういった行動をとれるかは微妙ですが)
画像を生成したことでわかったこととして大きかったのが、生成されたまま投稿されたAI生成物(というかただの手抜き)がどんなモデルだったりLoraだったりプロンプトで作られているのか少し予想できるようになりました(私に限らず少しでも画像生成AIに触った人はだいたいできるでしょうが)。そこからまあまあの割合の人は自分と大差ないかそれ以下のレベルに収まっており、私のような人間はあくまでも画像を生成できるサービスを利用している消費者に過ぎないということも実感しました。
また画像投稿サイト「Danbooru」からデータを取り込んでいるとして話題のNovelAIだったりMidjourneyだったりdall-e 3等含めていくつも画像生成AIのサービスが現時点で存在していますが、生成AIを批判している人の中にはこれらの区別がつかない人がまあまあいてなんだかなと思います。複数のサービスに触るとそれぞれのツールが抱える問題と画像生成AI全般における問題を多少は区別して考えられるようにはなるのかなと。
一番大事だと思うこととして「苦手」と言われていた表現のだいたいが数か月したら「可能~かなりいい出来」のクオリティまで引き上げられていることがたくさんあることをリアルタイムで感じることができます。なので画像生成AIが作れない画像がまあまああるというイメージが最初のころはありましたが、今はおそらくほぼ大体の画像を作成できるようになると私は確信しています(画像データの絶対数が少ないものを正確に作る等は苦手なままと予測していますが)。
まず現時点で画像生成AIはパソコンさえあれば元手0円でできるということと、犯罪者としておそらく逮捕されず年間数百万や数千万稼げるというのが完全に嘘ではないというところが厄介と言わざる得ません。好きな漫画家やイラストレーターがいる人間からすると倫理的にどう考えてもダメなのでは・・・・・と感じますが、正直なところ自分も定職に就けず碌な稼ぎを得ることもままならない状況だったらマネタイズに手をだした可能性が非常に高いと思います。
とはいえ、最近のDMMやDLsiteを少しでも眺めている人はわかるでしょうが作成した画像をただ並べた画像集はさすがに売れないようになっているようです。今年の4月ぐらいであれば画像を並べただけでも1000個は販売できたような入れ食い状態でしたが、最近ではその程度では1桁がいいところのようです。とは言うものの11月12月発売の作品でも数千個の売り上げがある作品もまだまだあって、そういう作品はだいたい生成されたものに加筆+セリフ追加+サムネイルを目立たせる といった売れるための努力をしています。作品の絶対数が増え、クオリティの差が目立ってきたことでとりあえず生成AIを使えるだけのレベルに収まっている人は淘汰されていっているということでしょう。されどAIを使って画像を出力するだけで多額の金銭を得ることになれた人が黙って引退するわけもないのでどうにかして利益をひねり出そうと手を変え品を変えガワや看板や提供の仕方を変えて利益を得ようを頑張っているのでどんどん殺伐としてきてますね。本当に。
なにはともあれ「資格」「専門的な知識・教育」「経歴」を必要とせず労力と時間をかけた分だけ金銭が得られる可能性が高い分野はそうそう存在しないため現時点で数百万・数千万の利益を得ているような人からすればAIの規制は死活問題です。どうにかして自分の利益を守ろうとするならAIが著作権違反じゃないと無理のある理由をつけてでも喧伝するのも自然な流れでしょう。
せめて現行法で十分対応できる範囲のものはやってほしいところです。さそりがため先生がトレパク常習犯を刑事訴追した例もありますし、AIだからセーフを信じて過激な行動をしている人に対してはそろそろ何かしらの対応がされてもいいんじゃないかなと期待しています。そもそもAIが登場する以前でも逮捕される様な行動はAI関係なくアウトなはずでは?とは思ってるんですがね。そのうえで非常に大事なことですが、AIを使っているだけの人に殺害予告したりとか犯罪者呼ばわりしたりするのは本当に止めましょう。普通に開示請求通って損害賠償請求までいくので。またAIで俺の絵をパクっただろ系のやつも画像生成した本人が自慢している場合以外はやめましょう。さそりがため先生みたいに明らかにトレパクされているレベルでも刑事訴追まで数年かかってるので立証自体が難しいのと、既に言及してますが真実であっても間違いであっても名誉棄損になりそうなので。
・自分が作成していないものを自分の手書き・撮影したものと偽る
・なんならタイトル以外の文章まるごと自分のものとして投稿する(テラーノベルが無断転載の温床になってましたね)
・本来モザイクがかかっている画像のモザイクを外した画像をだす
といったことをしていた人はAI以前から存在していた。AIは単に自力ではこういったことができないからやらなかった人が行動を起こすための敷居を大きく下げたに過ぎないのではと私は考えています。世の中にはまあまあの数の人が労力と利益に対して罰則や失うものが多いために犯罪や犯罪じゃないが良くないことを実行していないだけで、今回のAIによって労力が限りなく0に下がり一方で得られる利益(金銭だったりネットで話題になる、注目される)が上がってしまった。加えて逮捕されるリスクも低い(そう言われているだけで実際にそうかは別)と言われたら犯罪者未満~一般人程度に含まれる人がこぞって暴れ始めたのだろう。文化庁含め画像生成AIにおける著作権の問題が各地で巻き起こっているけども、「簡単にできるが逮捕されない」ということを信じて行動する人がたくさんいることをどうにかしないと何も変わらないと思います。今はまだそれなりのパソコンを使っての作成や有料
サービスを利用しての画像生成が主流ですが、スマホでの作成が主流になれば今よりも酷いものになるでしょう。
そのためにも犯罪行為をしたらちゃんと逮捕されるという当たり前の事実を徹底的に広め・認識させるしかないでしょう。