はてなキーワード: ヌーディストとは
「世界一周旅行しました!」「100カ国を回りました!」って言われたらすげえ感じするけどよく考えると地球の七割は海なので雑魚ですね
俺たちはせっまいせっまいクソみたいな土の上でイキって食物連鎖の頂点・地球の支配者なんて抜かしてるバカ 大体表面積上は水のほうが多いんだから地球じゃなくて水球だろ 土なんてどこにでもあんだよな ゴミですよ 水のほうが格段に良い
俺はビンボーだから今後たいした旅もせんと死んでいき、途中それこそ100カ国回ったりしてる連中を見て「俺は籠の鳥、奴らは自由で良いな」なんて自己憐憫に浸ったりするかもしれないが、奴らの自由のフィールドは所詮三割の陸にすぎず実にしょぼい 何が自由か 何が世界中か
海 母なる海に背を向けて陸でいきり始めた結果溺れ死ぬようになった、という惨め極まりない事実こそが知恵の実による失楽園に対応してるんじゃなかろうか?服なんかしょぼいよ ヌーディストには原罪がないのか? 火なんかしょぼいよ プロメテウスくんもIHヒーター使いなよ
海は怖い 海にロクな思い出がない クラゲには刺される、波にはさらわれる、魚は怖い、溺れたら塩辛くてつらい
違うんだな〜ッ 悪いのは海じゃない 俺でもない 人間という劣った生物の低性能です 鰓呼吸くらいやってみろよなあ なーにが万物の霊長じゃ めだかでもできることができない真性の雑魚 洗面器で溺れ死ぬ低能生物の哀れ
本当は海で生きたかった なんせ広い 青いし 深くもある 地震きても死なん 地震でダメージ喰らうのは雑魚の仕草 情強は波に乗って楽しむのみ
月の満ち欠けで潮があるっていうのも良いよねえ かっこいいですよ あの美しい白い球体 あれの生み出す流れに乗れるっていうのは光栄だあ
地球の地面なんてきったねえですよ 緑色したキモチワルーイ生物がびっしり蔓延っていて最悪 地球本来の自然は緑色じゃねえからな
ああー海 海よ
なぜかアングバンドみたいなローグライクゲームのサイトにはアクセスできる。
で、休み時間に試してみたのだけれど、ウィキペディアのゲームに関する記事なら何の問題もなく閲覧できた。
ただし、アイドル雀士スーチーパイの記事はアダルトカテゴリだと認識されてしまった。
redditみたいな海外の掲示板へのアクセスも制限がないようで、civilization6の攻略情報を読むことができた。
ついでにアンサイクロペディアも普通に読める。
逆に、ウィキペディアはほぼまじめなサイトだと認識されているのか、全裸のおっさんがほほ笑んでいるヌーディスト関係のページをうっかり開いたときには冷や汗をかいた。
いい笑顔だった。
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
女性は全身が性的だから、男性を誘惑してしまわないよう体全体を隠すべきだよ→ブルカ着用
目意外は全部性的だから、目だけなら見せてもいいよ→ニカブ着用
髪は性的だから見せちゃだめだけど顔だけなら見せてもいいよ→ヒジャブ着用
くるぶしは性的だからが見えちゃだめだけど足先なら出してもいいよ→丈の長いものを着用
ヘソは性的だから見えちゃだめだけど肘は見えてもいいよ→半袖着用
腋が見えたり胸の形が分かる服は性的だからだめだよ→日本一部フェミ的?(キズナアイの服不許可)
胸の形が分かってもいいけど乳首が見えたらだめだよ→アメリカ的
男性と同様、女性にも公衆で乳首を出す権利を認めなさい→ヨーロッパフェミ的
女性専用車両は「アファーマティブ・アクション」ではないよ。実害の出ている被害者を隔離するだけのごく実際的な対策に過ぎない。
「アファーマティブ・アクション」で議論があるのは、それが「白人の多い会社がいくら『公平に』選考したつもりでも、黒人は雇われねえだろ。公正な状況(人口比と同じ)にするには無理矢理黒人を雇わせるしかねえだろ」という理屈で、まあ、それが本当に社会をよくするのか、効果的に機能するかは二の次の、かなり乱暴な施策だからだよ。その施策が実際にどのように機能するかについては、確かに議論があり得る。
でも、女性専用車両はとりあえず物理的に「男性から女性への痴漢被害」をなくすわけで、これは分煙と同じく単なるプラクティカルな「対策」に過ぎない。分煙した方が客が増えるという判断で飲食店が「分けた」だけなのに、痴漢被害に悩む人々に対して「優遇だ!」と騒ぎ立てるのはほんと痴漢の仲間にしか見えないからやめた方がいい。まあほんものの痴漢がこんな目立つあほみたいなことしないとは思うけどさ。
もしどうしても女性専用車両をやめさせたいなら、たとえばこれがミソジニーやミサンドリーに基づく「社会的分断」を生む危険がある、人と人とはもっと信じ合わなくてはいけないのです、ラブ&ピース、みたいな主張にしたらいいんじゃないかな。それなら、もう少しみんな話を聞くかもしれない。あんな不気味なおっさんがむすっとして女性専用車両に乗ってたらキモいだけだよ。それよりも、いっそみんな裸で電車に乗るようにしましょう。そしてもしちんこ立ったら即ひきずりおろしてリンチだから、みたいな主張をした方が受けると思う。
まあ、実際の痴漢はちんこ立ってないという話もあるけど、すくなくとも今より鉄道内の雰囲気が明るくなって、痴漢する雰囲気じゃなくなるのは間違いないと思うな。というわけで、私はヌーディスト専用車両の実現を主張するものであります。まあオレはヌーディストじゃないんだけどね。
チャップリンは、自分の映画の出演女優ミルドレッド・ハリス(16歳)に手を出し妊娠させたというスキャンダルが発覚し、急遽できちゃった結婚をしたが、この妊娠話自体が狂言であった。
次の結婚も、自分の映画の出演女優リタ・グレイ(16歳)に手を出し、本当に妊娠させての出来婚である。
好きになったら年齢は関係ない!
#ロリコン
#禁断の愛
#許されざる恋
#純愛
日本人の体格は江戸時代の後期が最も身長が小さく成人男性平均が150cmだったが、戦後の栄養状態改善で体格は大型化した。これに伴い思春期も早期に発現するようになり、女子は初経年齢つまり性成熟の時期も早期化した。
つまり13歳くらいで結婚していた昔の方が、未熟な子供に欲情していた。
「心を開こう、誰にでも」
必ず両想いになれるなんてことはない。というかむしろ、両想いになれる確率の方が少ない。でもいいじゃない。好きだって。https://twitter.com/ren_i_bot/status/817637053294788608
誰だって、好きな人のことを幸せにしたいって思ってるんじゃないかな。
https://twitter.com/ren_i_bot/status/817788049253765120
君は君らしく生きていく自由があるんだ
#大人たちに支配されるな
誰かと違うことになにを躊躇うのだろう行動をしなければNOと伝わらない
NOと言いなよ
「nudist」をGoogle先生に聞いてみると、けっこう若い女性とか老若男女の裸体を見つけてきてくれるぞ!
nudistは楽しく爽やかなことなので、児童虐待等に当てはまる訳が無いと、児童ポルノには厳しいGoogle先生も公認だぞ!
ヌーディストって基本的にエロではありません。小さな子供連れでヌーディストビーチに来て開放感を楽しむ方も多いです。
子供も映ってるヌーディストのビデオってヌーディスト団体自らが販売していて、欧米では文化として合法になっています。
「メイジーの瞳」という映画らしいです。
素敵ですね。
pic.twitter.com/RDfIgRETsk
Youにゴチュウサの絵を踏ませ、踏んだら児童虐待者として逮捕し、踏まなかったら児童ポルノ愛好者として逮捕だっ!!
#ロリコン
pic.twitter.com/GDHwwGzawz
子供時代にレイプ被害にあったある女性は「子供に対する性暴行事件を起こすのはポルノではない。ポルノの有無にかかわらず、そのような嗜好を持つ人が犯罪を行う。当局はインターネット監視をやめて、外に出て本物の犯罪者を捕まえるべきだ」と述べた。出世目的の警官が効率よく偽犯罪者を捕まえる
韓国のアチョン法でマンガアニメが児童ポルノ扱いされるようになって
2012年に韓国警察が児童性犯罪に関連して捜査に着手した事件は2224件
漫画規制が盛り込まれる前に比べて22倍に増えた。捜査対象者の相当数が学生や女性である。
明治16年福岡県統計書の現住結婚者年齢ノ對照(国立国会図書館デジタルコレクション p.51)
妻年齢15歳未満と夫年齢18歳以上は564組
妻年齢15-17歳と夫年齢18歳以上は1428組
妻年齢18歳以上と夫年齢18歳未満は101組
夫婦共に18歳未満は697組
全7072組
2011年に日本性教育協会が全国の7682人の学生にアンケート調査したところ
が性交経験済みという結果になった。
性的同意年齢は13歳ですが、性行為は青少年保護育成条例で禁止されています。
これって逆に言えば青少年は管理されないと自己判断は全て信用できない。と言われてるわけで、
まあ騙したり脅したりする大人は100%悪いのですが。
セーラームーンは、日本でも海外でも女の子から大人気のアニメですが、
主人公のセーラームーンの正体は中学2年生で、恋仲のタキシード仮面の正体は大学生です。
#ロリコン
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http://masterbiero.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
l o l i-con光源氏の完成だ!
#年号
光源氏18歳の時に、9歳ぐらいの美少女を見つけて連れ帰り、理想の女性に育て上げつつ添い寝をして暮らしていたが、5年後に性行為におよんだ。
ピュリツァー賞の写真を「児童ポルノ」として削除 Facebookが検閲撤回へ
#ロリコン
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/10/kiddie-porn_n_11946664.html
#ロリコン
pic.twitter.com/BtnKhVqHsQ
pic.twitter.com/nSpNCE0Kf8
pic.twitter.com/GLqdfrtyXX
小 ( ゚д゚) 吾り
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( ゚д゚) 小五ロり
(\/\/
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現代でも一部のポリネシア社会では12歳を過ぎると性行為の同意能力があるとみなされ、多くの女性が12歳から15歳の間に初出産を経験するという伝統が受け継がれている
常に妊娠出産を繰り返し、初潮を経験しない者も少なくない
割合は少ないけど、おじさん好きの女子中高生もいるんですよ。
ロリコンを犯罪者予備軍として差別することは、彼女たちも犯罪者予備軍として差別することにもなります。
昔は15歳ともなれば世界中で大人として扱われ、結婚することができた。
15歳の人とのセックスはダメ!犯罪!ということに世界中でなったのは、ここ20~30年の間の変化である。
#ロリコン
20~30年前の日本では、オカマはキモいやつ、ロリコンは若い子好きのスケベ、小児性愛者は変態という扱いだった。
今やオカマは社会的に配慮されるべき健常者に格上げされ、ロリコンや小児性愛者は犯罪者予備軍に格下げである。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
しかし、全ての自分の嫌いなものを法律で縛るという考え方は間違っています
嫌いだからと法規制するのは、それを好きだと思う少数派の権利の侵害です
ゲイの友人がいたとしても、その人のいないところでホモネタで笑ってたら「寛容」とは言えない。
小児性愛者の友人がいたとしたら、「寛容」に接するのだろうか
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
安倍死ね→許される
フランスでは、1994年に実在する未成年者のポルノ写真の製造配布が禁止された(それ以前は児童ポルノは合法だった)
マルク・デュトルー事件をうけ1996年に仏マスコミはペドフィリアに対するモラルパニックに襲われ
児童ポルノの描画は1998年に、単純所持は2002年に禁止された
文化人類学者による無文字社会の民族研究では、女性の平均初婚年齢は15歳くらいである社会が多いことが明らかになっています。文明社会でいわゆるロリコンがタブー視されるようになってきたのは、高学歴化によって女性の社会的自立可能年齢が上昇したからです。
児童の合意を得たと言えるのはどのような条件か
等を議論すべき
この手の話題はキモイって言う人多いけど、現実で面と向かって言われたら「お前も○○な部分キモイじゃん」って100%反論できそう
キモイ部分は誰にでもある
ネットは、誰しも自分のキモイ部分には目を瞑り、他者をキモイと呼ぶことで対照的に自分はキモクないと言い聞かせられる
自戒を込めて
少子化の今、児童誘拐なんかの事件が多発している現代では子供の身が危惧されている。
かと言って世間では子供がちゃんと大切にされてるかと言えばそうでも無い。
親に大事にされない故に家出をして生きていく為に身を売っている子供さえいる。
近年、マスコミの取り扱いが変わった。同性愛の差別は許されないが、小児性愛を肯定することは決してない。マスコミが変われば社会的風潮として小児性愛は叩かれる。少し前まではマイナージャンルとして存在していたけども、例の連続殺人のせいで、悪い意味で認知されて、その後はロリコン=犯罪者
虎舞竜の楽屋に来た14歳の三船美佳に、38歳だった高橋ジョージが一目惚れ。結婚を前提にした交際に発展したという。
交際を2年間続け、三船美佳の16歳の誕生日に結婚、結婚生活は18年続いた。
この当時の三船美佳には責任能力が無く、性的に蹂躙されたのだろうか?
大人と17歳の恋愛は犯罪者扱い、18歳以上ならエロい事し放題というのは確実に変
法的線引きは必要だろうが、18歳まで責任無能力なのは確実におかしい
刑法では14歳から、民法では小学校卒業から責任能力があるとされ、子供でも商売をし、親の許可無く運営資金の借金等は法律上認められる
小児性愛は、妊娠・出産に死の危険があるからダメっていう人は、
#ロリコン
宮沢は撮影前にはヌードの話を聞いていなかった、嫌だった思い出はひとつもない。と語った。
goo.gl/UyN3f9
小児性愛差別者は「差別や感情的な拒絶はダメだが私が嫌いな対象にはそれをやっても良い」という人が多い
1950年代、手塚治虫のロボット等の描写は、荒唐無稽なデタラメを描く子供の敵と非難され
明治中期、近年の子供は夏目漱石等の小説ばかりを読んで漢文を読まない、子供の危機だと言われた
未成熟な身体の女児に性的感情を抱くのがキモいと非難するのなら、
50代の妊娠不能な熟女に性的感情を抱くのもキモいと非難しなければならない。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
「人口増加に寄与しない」「生物として不自然」という人が責められるのだとしたら
「宗教に身を捧げて、生涯伴侶を持たない」っていう人も責められなければならない。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
それで慰められて犯罪が抑制されているという可能性は考えないのだろうか
それが有ることで犯罪が助長されるというなら、痴漢・強姦もののAVやヤクザ映画の方が問題では?
漫画なんて単なる線と点の描画だし、ドールもただの人形に過ぎない。
http://thailog.net/2016/04/08/340189/
「こんなものはあってはいけない。この人形で少女を愛する練習をして、実際の少女が欲しくなったらどうするんだ」という批判の声も上がる
格闘ゲームで練習して、実際に殴りたくなったらどうすんだ!
小児性愛者も、LGBTと同じように、カップルでデモ行進できるようになれば良いけど、同性愛よりは大人と子供はカップリングが難しい。
だから、小児性愛者はLGBTより性的マイノリティであり、性的欲求の解消が難しい者として配慮されるべきなんだ。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
小児性愛者は、相手が大人になると興味が無くなる期限付きの愛で無責任だという意見があるが、
多くの人は結婚をする気がない相手との恋愛を楽しむし、真実の愛があれば何でも乗り越えられる。
「ホモ=欲求のおもむくままに男を襲う犯罪者またはその予備軍」
と言ったら差別主義者だと言われる。
「ロリコン=欲求のおもむくままに少女を襲う犯罪者またはその予備軍」
という扱いは当たり前のように行われる。
これは差別だ。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
ロリコンは、ロリコンであることを公言し、それは社会的に認められるべきだ。
もちろん、合意の無い性行為は、老若男女問わず犯罪であり許されないということは言うまでもない。
#ロリコン
http://anond.hatelabo.jp/20160605113308
まずこの作品の伝えたいテーマのひとつが「野性」って概念は幻想であるってことなんだよ。
これは元増田もわかっていて、そこが表現されていないと不満に感じたんだと思うんだけど、実は描写されている。
この事は後に触れるとして、まずは
>肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒であるかのように描かれ。
についてのフォロー。
そもそも「野性」ってなに?
「本能」ってなに?
社会から切り離されてジャングルでたった一人で育った人間の人格が「本来の人間」なのか?
そうじゃないだろう。
今自分達が生きている文化や環境を含めて、人間の人格というものは成り立っている。
そもそも野性(本能)と理性(社会性)は切り離せられないものなんだ。
たとえば精神障害で錯乱してしまったら、大通りで裸になったりウンコしたりしちゃうわけ。
でもそれはその人の「本来の」人格ではない。病気が治った後、その人に「あれが君の本性なんだね」って言える?無理でしょ。
ズートピアの野生化しちゃった人達は、薬物によって一時的に錯乱を引き起こした状態なわけ。
高次的な思考を司る脳みそが一時的に阻害されちゃったとかそういう症状であろうと推測できる。
そんな状態なので「肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒」は「野性」の描写ではないし、
むしろ「「野性」とは凶暴なものだ」と思い込んでいる観客へのカウンターになっている。
ニュースメディアはそれを(ニュース映えするので)「肉食動物の本能」として騒ぎ立てるが、それはあくまで異常な状態であって、その人の「本質」ではない。
偽りの「本性」だ。
そう、「「野性」とは凶暴なもの」に代表される思い込みを否定するのがズートピアのテーマであると言っても過言じゃない。
ズートピアでは人種差別やらフェミニズムやらのあるあるジョークが、山のように引用されている。
例えばエンディングで交わされるニックとジュディの会話。
日本でも男脳・女脳の本がベストセラーになったことがあったけど、その題名って「地図の読めない女性」みたいな感じだったよね。
統計だかでも、女性は三次元構造を脳内再生するのが苦手みたいな結果が出たとかどこかで読んだけど、そういう傾向があるにしても女性全員がそうだってわけじゃないし、現に女性もバンバン車を運転している。
((女性はコミュニケーション能力が高いので、男性の運転技術は自分よりも上だと持ち上げている/または男性よりも自分が楽をするために男性に運転をさせている結果である、という説もある))
でもこれ、劇中では否定されてたけど本当のことだよね?と思うなら、それは偏見に侵されている(かもしれない)。
上記と同様に変換してみよう。
アウト!!!アウトです。
「男性が痴漢するのは本能だから女性は我慢すべき」理論のあれこれははてなでも頻出しているけど、他の場所でもそうらしい。
男性は性欲を司る視床下部が女性より大きいから仕方ないよね……な、わけはない。
上に書いたように、人は理性と野性との混合体だ。社会に住んでいる以上、一般常識として女性を襲っちゃいけないということは知っているしやらない。
ダメだと言われてやるのは犯罪者と、そういう文化圏に住んでいる人たちだけだ。
そういう文化圏に住んでいても、相手の女性が嫌がることはしないという男性だっている。人は相手を慮る能力を「本能的に」備えているからだ。
性欲も他人への共感能力もどちらも同じく「本能的」な脳の機能だ。
人によって強かったり弱かったりする。犯罪者は我欲が強くてセーフできず罪を犯すし、倫理観の強さも遺伝的な部分が大きい。
でもそういった「本能」は本人の努力や周囲の理解によって乗り越えられる。
そんな世界がいいよね。というのがズートピアの掲げる「知恵」の力だ。
野性の「ありのまま」の自分なんて受け入れてもらえない。弾き出されてしまう。
だから生きやすい形に整えた街を動物たちは作り出した。つまり社会だ。
社会は人の集合だから、自分の願望と他人の願望が衝突することもある。
そこを折衝して生きていこうというのが理性であり知恵だ。
夢見がちな理想主義ではなく、地に足をつけて一緒に生きていこうという意思だ。
それすら理想にすぎないのかもしれないけど、ディズニーが子供に手渡す「知恵の武器」なら少しくらい甘味も混ぜないと吐き出されちゃうから、いい案配だと思うよ。
ニックとジュディが和解するシーンで、感極まったジュディがボロボロ落涙してしまった時のニックの一言。
これはストレートな事実なんでご存じの方も多いんじゃないだろうか。
よく職場でちょっと叱った程度で泣き出したとか、喧嘩では女性のほうが先に泣き出して何も言えなくなるからズルい、
精神的に軟弱で覚悟がないから泣くのだ、というように思う人も多いらしいですが、ホルモンの影響で女性は男性よりも泣きやすいという「本能的」な理由がある。
彼女たちにしても本当は敵の前で弱みを見せたくないし、泣いたら許してもらえると思って涙を流すわけではない。
ただ、身体的な反射なので仕方がないのだ。
ましてやジュディは様々なハードルを乗り越えてきたガチのリブで、精神的にもタフであろうとし続けてきた。
そんな彼女が決壊してしまい((ニックに対して心理的障壁を張る必要がなくなったという暗示))弱さを見せている状況で、差別的なジョークを放っても許し合える間柄になったという描写なわけ。
ジュディは「肉食本能」を偏見から非難したが、ニックは「涙腺」を分かったうえでジョークにした。
「本能」なんてそんな程度のもんさ、とお互いに許し合う。
偏見や差別を打ち砕くのには「相互理解」と「共感」が架け橋になるという強いメッセージが放たれている。
差別ジョークの引用はフェミニズム以外にも色々あるんだけど、二項対立でわかりやすかったので取り上げてみた。
> 社会差別、偏見モノのストーリーとして見ればよかったのかもしれない。
その通りですね。
それでも「野性」を解き放ちたいという人のために…………そう、秘密クラブがある。
1.うさぎが警察官になってライオン市長からバッジを貰うところ
このシーンを見て、ライオン市長はウサギの故郷の市長かと勘違いしたから途中ちょっと混乱した。
ズートピアの近くだとは思うけど。
最後のほうでも同じような場所でキツネが警察学校を卒業したっぽい描写があった気がする。
2.キツネがウサギをヌーディストクラブみたいなとこにつれていくとこ
キツネがウサギの機転に負けてカワウソ探しを手伝わされる時に、「○○は知らない。□□だけだ。」みたいなセリフがあった気がするんだけどどんなセリフだったか思い出せない。
カワウソが失踪したのは1週間くらい前だった気がするので(うろ覚え)、知り合いでもなけりゃ覚えてるのは難しいんじゃないかと。
あの店もキャンディーを売る稼ぎ場所のひとつでカワウソは常連客だったのではないかと想像することはできるけど、具体的な描写はなかったと思う。
映画はすごいテンポで進んでいくから見てる最中はそこまで気が回らなかったけど、よくよく思い返すとカワウソの旦那はすごい設定だ。
ヌーディストであり、マフィアのボスからリムジンで送り迎えされるような間柄。
こんな設定あり?
たしかに。
夫の仕事を知らない妻、みたいな題材はフィクションではわりと良いテーマなのかも。
黒ヒョウがあのタイミングで撃たれたのは、ウサギ達を影から監視してた黒幕が指示して黒ヒョウに襲わせる為に撃ったってことでいいのかな?
ご都合展開でなくて。
わからん。
肉食動物が14匹も狂暴化した今なら肉食動物の立場を慮ったという理由は一見正当性があるように感じるが、最初の1匹目の時からこうなることを予想してたのかと思うとちょっと無理がありすぎない?
原因がわからない時点で公表しても不安を煽るだけという意味では肉食動物だろうが草食動物だろうが同じように対処したのでは。
6.「夜の遠吠え」ミスリード
じゃウサギも知っとけよ。
ウサギも知っとけというのはたしかにそうだけど、実家の仕事に興味なかったんだろうなあ。
1.にも書いたけど、冒頭のウサギと同じように警察学校の卒業式っぽい描写があった気がする。
見たい。
ズートピア見てきた。
ちょっともやもやして、ネットで評価や感想を読み漁るももやもやが晴れなかったのでここに書く。
ネタバレありなので注意。
大小いろいろ納得できない点をストーリーに沿ってあげていく。
もし俺が見落としてるだけとか勘違いてるとことかあったら教えてほしい。
1.うさぎが警察官になってライオン市長からバッジを貰うところ
このシーンを見て、ライオン市長はウサギの故郷の市長かと勘違いしたから途中ちょっと混乱した。
背景が思いっきり田舎だったような気がしたけど、あそこもズートピアなのか?両親も上京してた?
2.キツネがウサギをヌーディストクラブみたいなとこにつれていくとこ
キツネがウサギの機転に負けてカワウソ探しを手伝わされる時に、「○○は知らない。□□だけだ。」みたいなセリフがあった気がするんだけどどんなセリフだったか思い出せない。
映画はすごいテンポで進んでいくから見てる最中はそこまで気が回らなかったけど、よくよく思い返すとカワウソの旦那はすごい設定だ。
ヌーディストであり、マフィアのボスからリムジンで送り迎えされるような間柄。
こんな設定あり?
黒ヒョウがあのタイミングで撃たれたのは、ウサギ達を影から監視してた黒幕が指示して黒ヒョウに襲わせる為に撃ったってことでいいのかな?
ご都合展開でなくて。
黒ヒョウを回収しに来たオオカミは後に黒幕でないと分かるんだけど、ならあのタイミングで回収できた訳は?
肉食動物が14匹も狂暴化した今なら肉食動物の立場を慮ったという理由は一見正当性があるように感じるが、最初の1匹目の時からこうなることを予想してたのかと思うとちょっと無理がありすぎない?
6.「夜の遠吠え」ミスリード
じゃウサギも知っとけよ。
色々書いたけど、なんだかんだ言っていい映画だったよ。
俺の予想が外れてヒットしてくれればいいけど。
2016/04/29追記
カワウソが失踪したのは1週間くらい前だった気がするので(うろ覚え)、知り合いでもなけりゃ覚えてるのは難しいんじゃないかと。
今新人戦?でダンプしたから波紋って言われたけど自分で気づいてよかったねーってところ。
小林みたいに髪染めたりしてなくてよかった。
ほんと好き。
コナンのアニメの途中のCMで15秒アニメ?があったのを覚えてる。
帯をギュッとね!の作者とは知ってた(けど読んだことはない)し、とめはねっ!はぽつぽつ読んでて、女の子かわいいとは思ってた。
前にモリタイシの女の子がかわいいとも書いたけど、何気に小学館系列の漫画は地味にかわいい女の子が多い気がする。
時代を感じさせないかわいさ。
でもリアルだったら絶対付き合うどころか友達にもなれないだろうなってのが悲しい。
メジャー2ndの女の子もかわいい。ハイニーソショートパンツ黒髪ぱっつん。俺の性癖(ry
すげええええええ
師走の翁のヌーディスト・ビーチに修学旅行読んだばっかりだっつーのに!!!
こもりちゃんはやる気を出せも好きよ!
今思うとおおふりみたいに巨乳女監督と男子野球って構図だったな。
おっぱああああああああああああああああ
いいものいっぱい持ってるんだからもっと頑張れ!!!!!!!!!
子どものときはジャンプのギトギト濃い味が好きだけど、年取って疲れてきたらあっさりサンデーのよさがわかってくる、みたいな。
俺はそんな感じ。
素朴な萌えをくれ。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-36389020090209
どうやらスイスのある地方では、ドイツ人観光客の裸登山が人気になっていて、問題になっているらしい。
ちょっと調べてみたが、よくあるドイツ人は変態だとかいうことではなくて、人間は裸でいることが自然だと主張する、ヌーディストと呼ばれる人たちの仕業らしい。
そこでふと思った。日本にはこういう人たちあんまりいないよね。なんでなんだろう。
これはおそらく、日本の露天風呂の文化が原因なんじゃないかと思う。露天風呂というのは大抵、周りに囲いがあるか、人の来ないような僻地にあるかのどちらかで、他人に迷惑をかけることなく、堂々と素っ裸で自然を満喫することができる。
というわけで、日本人にヌーディストが少ないのは、誰もが「屋外で堂々と全裸になりたい」という欲求を、適度に満たすことができるからなんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070728013305
するとなにか、「基本全裸」で寝てる女の子は、毎朝、目が覚める頃には、股間がべとべとになってたり布団に黄土色のシミができてたりするもの?
とりあえずそんな子見たことないんだけどな。
ヌーディストとかはどうしてるんだ?しょっちゅう股間拭きながら生活してるのか?大変だな?