はてなキーワード: 一億総とは
両極端が良くも悪くも安定しているが、間だと上に行く圧がそれなりにかかるので子供たちも荒んでくるってことなのかな。
上の方はいるべくしているというか、そのレベルで当たり前みたいな感じなんだろうな。
下の方はそういうのを投げている分だけむしろ安定している。
と、書きながら思ったが、塾の子供だけではなく、リアルでもそういうものなのかもしれない。
上位の人たちは多分金持ち喧嘩せずみたいな感じだと思うんだよな。
下位の人たちは毎日を楽しく送ることがゴールだから、楽しくないことをしないんだろうな。
災害大国ということもあるから、そういう人が生き残ってきたのはさもありなん。
あとは同じ階級内で比較して出る杭を叩く文化もあってうまくいかないのかも。
戦前まであるいは明治維新まではきちんと階級が分かれていて、ほかの階級に対して何も思わなかった。
戦後GHQの占領によって自由主義というか、若者文化が流入してから
"表向きの"階級社会はなくなったし、子孫それらを内面化していった。みんな平等で自由だと。
とはいえ、為政者や各種団体や資産家はうまく隠してはいるけどね。
自分たち平民と同じ生活じゃないとおかしいという価値観が植え付けられた。
でも実際は同じわけ無いよね。責任も難易度も何もかも違うミッションなのだから。
だから皆やりたがらないんだよ。
でもさ、ここまで同じものを求められたら誰も表舞台に立とうとは思わないよね。
全く持って割に合わないもの。
それに対し、80年後半あたりからさらに拍車をかけたのがインターネットとSNSで
成功例からは、自分も同じ学校・地域(クラスタ)出身なのに彼らはこんなに頑張って、成功している…自分はダメな奴だ。
失敗例からは、彼らと比べれば自分はいい方だ、まあこれで良しとしよう。
こういう、挑戦しない理由がいくらでも流れてきてしまうことに。
一億総セルフ・ハンディキャッピングとでも言おうか。
ぜんぶ適当だけど。
テレワークのテの字も出てこないような、明治、戦前と変わらぬ手垢まみれの商売だ。
ま、AIやロボットが実用化されようと、向こう50年は無くならない仕事だろうけれど。
9時頃に出社して、エクセルを開いたり閉じたりを開始。
11時過ぎには車で飯を食いに行き、13時頃まで昼寝して。
今日やったことといえばネットサーフィンと四川省とソリティアくらい。
本当にヒマだ。
お前にやってもらうことは何も無いよとばかりに、張り切って仕事をしてくれている。
彼らも自分たちの食い扶持と、正社員であるという下らなくも個人にとっては命よりも思いプライドを守るために必死なのだ。
おれが前職のように馬車馬のように働いてしまったら、3人はクビを切れるだろう。
年収は800万。たまにゴルフと飯に食いに行くときは経費に落としているし
車両費やら何やらも会社の経費で落としているからお金は貯まる一方だし、
田舎町あるあるで、若い娘っ子はほとんど嫁いでしまって、あとはおれと同じような引きこもりしか残ってない。
趣味は金のかからないものばかりだし、何か推しているものもない。ギャンブルも飽きた。
それで、何をしたらいいのだ。
仕方なく、本を読む。
今日は何を読もうかな。ビジネス書かな。経営についての有り難い本かな。ラノベかな。
長いんだよ、話が。5時前から何件行くんだろうか。代行予約しとかないと。
思うに、人間ってのは30歳で終わるんだと思う。生物学的に、精神的にも。
シャカリキに勉強して、運動して、馬車馬のように働いて、稼いで、飲んで、遊んで。
ふと立ち止まったときに、あれ、自分もう終わったな、と感じた。そうして田舎に帰った。
そりゃそうだ、江戸時代なら、江戸に丁稚奉公に出て、芽が出なければ30代、40代で死んでいたのだから。
田舎に帰って畑やってても、子どもたちの邪魔になるからと、現世に別れを告げて山に籠もっていたのだから。
終わったんだよ、お前の人生は一度。
結局、貴族みたいな生活と思想だけ作り上げて押し付けて身に付けさせて、あとは知らんぷりか。
幸せでしょ?楽な生活でしょ?誰もが食べられる社会でしょ。飢饉で餓死者なんか出ようもないでしょ?
ってなことで。人生ってそういうもんじゃないのよ。誰かの役に立ちたいのよ。
くだらなくも、ちっぽけなプライドを、誰かの役に立っているという自負が必要なんだよ。
こんな、頭だけ張って責任だけを負うだけの罰ゲームは、誰も望んじゃいない。
政治家と同じだ。誰も彼も、文句をいうやつは言説だけはご立派だ。
矢面にも立たず、能力もなく、努力もせず、自らの権利を主張し、
陰謀論かのように、矢面に立つ人間を悪魔化して回るだけの、分裂病患者ども。
だれか嫁ぎに来ないかな。こんな田舎にゃだれも寄り付かないか。
ああ。退屈な時間が過ぎていく。ただただ、過ぎていく。
何もやっていない自分に嫌気が差す。
わかってる、アタマの中ではわかってる。
何の心配もない。何もしなくても地球は回る。社会は回る、会社も回る。
ボケーっと生きていたって誰かが何とかしてくれる。そういうものだ。
お前はただのお飾りとして、笑顔を振りまいて皆を鼓舞するだけのお人形でいい。道化となれ。
そこそこのお金を掛けてもらって東京に出て、ユーロ圏へ留学もして、好き放題やってきたんだろう。
お前がのほほんと良い教育を受けて、勉強して、いい会社に入って、飽きて地元に帰ったら家業があるなんて
明らかに、おれが受けてきた教育と経験からすれば役不足であることは間違いない。
従業員は路頭に迷うだろうが、60歳手前くらいまでは就職先の手当はつくだろう。
なのに、何でこんなにも心が乾ききっているのだろう。
甘えてるだの、意味がわからないだの、これだから上級国民は、と思われるだけだ。
さて。そろそろハンコ押しでもして出掛ける準備をしようか。
任意の入力を任意の出力に変換するのが人民の役割であり、頑張りどころであるはずだ。
常にリーダーは大目標を示し、人民はどうすれば大目標を達成できるのか、それこそ一億総火の玉となって考えるのだ。
無論、達成できなければ、原因となった人物は責任をとることになる。つまり、究極的には首をくくる。ゆえに達成できないなどということは考えること自体が自殺的で、許されず、また不自然な力学でもある。文字通り死ぬ気でしゃにむにやるだけである。
ところがこのところの日本男児は情けない者が増えた。大目標のために体を張ろうという気概のあるものは随分珍しくなった。豊かさの反動とでもいうべきか、これはこれとして喜べる点もあろうかと思うが、リーダーとしてはいただけない。弾丸が不足すれば、戦の行方など望むべくもない。
そこで女子からも気概のあるものを取り立てることとする。大変画期的で先進的な考え方を導入するのである。考えてみれば総人口のおよそ半数は女子であるから、優秀な男子が足りなければ、自然、優秀な女子を求めることとなる。
それから、外国人にはまだまだ気概のある若者が多い。かつての我が国のように、未来を見据えて意気揚々と取り組む若者が外国には滅法多い。こうした新たな血を取り入れることで、国力の底上げを図るわけである。
これらの労働力というのは、情けない今日の日本男児のけつを拭く役回りではあるものの、絶対数として切れる首の数は確保しなければ、やはり回る首も回らないというのが現実である。
私の要点は、つまり、あなたの論理は自らの役割を放棄した全く無責任な絵空事であるということだ。自らが何をすべきか?それはつまり、大目標に向けてひたすら前進することである。何が大目標であるべきか、などと考えを巡らせる必要はないし、越権的思い上がりと言うべき代物である。大目標に意見を持つということは、つまり体制に対する反逆を企図していることに他ならない。もしも真に述べるべき価値のある意見があると信じるならば、相応しい立場に上るその日まで口を閉ざすのが賢明である。相応しい立場にない者が意見を持っても、所詮は床屋談義の域を出ないのである。そのことを自身で弁えているからこそ、力を求めて刻苦勉励を重ねるよりは、安易に言論じみた同化を演じてしまうわけでもある。
もしもあなたが若いならば、考えを改めるチャンスがある。与えられた役割を全うせず、遠き天の彼方に唾を吐くのか、それとも国家安寧のために微力を尽くすのか、選ぶことができる。真剣に考えてみてもらいたい。それこそ、命をかけて黙考されたい。
疲弊はあったとは思う「そこまでして?」って感じのね
ただ、どっちかというと、「お見合い」的な価値観への忌避感が強まった
それと後は、フリーター含めて「何とかなるじゃん」って空気感が強かった
しがらみ?いえ?れーる?無視した方がお得だよね、みたいな
若者は売り手市場で、面接に行くと廻ってない寿司屋で食事して、タクシー代だと言って万券包んだ時代
でも、女性にしてみたって、結婚しなくても生きていけるってなっていった時代
1970年代は、女手一つで子供育てる人は、土手沿いの床がギシギシいうボロ長屋に住むとかしてたけど
それが一億総中流っていって、実際、今の母子家庭で貧困としてTVに出てくると、すごい豊かな暮らししてるなって思う
出稼ぎとかも聞かなくなった
経済的自由って奴やね