はてなキーワード: ドタキャンとは
とにかくマッチングアプリ向いてない。
マッチングした僅かな人間の中から、さらにほんの一握りの相手と実際に会う約束をするところまでこぎつく。
約束の日までの時間を雑談のメッセージで繋ぎ、ようやく当日。話も弾んだし相手も楽しそうに見えたけど、翌日以降、こちらから話しかけても芳しい反応は返ってこない。
これが2回続いただけで、早くも疲れてしまった。
プロフィールの時点で興味を持ち、メッセージのやりとりでも好印象で、さらに直接会って楽しい時間を過ごせる相手。この時点で、それなりに心を寄せてしまうのだ。そのせいでいちいちダメージを負って疲弊する。これは私がおかしいのか?
私は結婚願望があるわけでもなく、ただ現状だと新しい出会いを望めそうもないから、恋人ができたらいいなくらいの軽い気持ちでアプリをやっている。
とはいえ、信頼できそうだと判断した相手から断ち切られてしまうのはかなり心にくる。
マッチングアプリなんて数撃ちゃ当たる的な精神でやるしかないのかもしれない。女性側からすれば特に。それでも人間同士の交流だから、服を試着するように気軽にはできない。
もちろん、メッセージでやりとりしてる時点で合わないなと感じて会わずに終わる人もたくさんいるし、向こうから会う約束をしておいて当日連絡もなくドタキャンする奴とか平気でいる。
婚活パーティーよりはマッチングアプリのほうが効率が良いという意見を目にしたことがあるけど、効率の話をするならマッチングもかなり微妙だと思う。
明らかなヤリモクみたいな人にはまだ出会わないが、いっそわかりやすい分、一見好意的なのに関係が続かない相手よりそっちのほうが印象としてはマシかもしれない。
逆に、こういうツールをうまく活用できるのってどういう人種なんだろう。
「マッチングアプリの玄人」がいるとしたら、玄人と呼ばれるまで出会いを探し続けているという、矛盾した存在になる気がするけど。
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
結局法律的にこれはどうなんだろう。
私はこう思うと言うことを書くけど、知識がある人は教えて。
これはそれぞれ別の関係よね。Aで生じた被害の結果を無関係の会社にどこまで及ぼせるのかって話よね。
普通は犯罪被害者なんだから筆者が責められるいわれはないけど、「頻度」が多くて、合理的な回避行動を取っていない(女性専用車両を利用していない)場合、会社側の受忍限度を越えているのではないかと言う話なんだと思うけど。
この話はジェンダーが絡むんでややこしいけど、例えば戸締りを絶対にしない人がいて、何度も泥棒に入られてそのたびに重要な仕事をドタキャンして会社に相当な迷惑と損害をかけている場合、会社は常識的な水準の回避行動を要求できるのか(戸締りをする)、またそれが守られなかった場合処分を下せるのかと言うことを考えてみるべきだと思う。
私は今回のこのケースは、ただ遅刻したというだけで重篤な損害は発生していないから受忍限度を越えているとまでは見ないけど、ケース次第では受忍限度を越えていると見られる可能性もかなりあると思うよ。少なくとも「女性専用車両の利用を求める」のはありだと思います。
これくらいの時期は、コロナのご時世でなければ、当店はちょーーーー暇なはずだ。あまりにも来客が少ないので、商品棚の拭き掃除などをする。だが、去年も今年も変な時間に混むので、掃除はできそうでできない。
最近、スーツの左胸に変なバッジを着けている客がしばしば来店するのだが、どいつもこいつも煙草やFF商品の注文のしかたがとっちらかっていて厄介なので、私は対応をするのが内心嫌だ。なぜFF商品の注文の合間に煙草を番号ではなく銘柄とミリ数で注文するのか。意図的に店員のミスを誘発していちゃもんつけるつもりとかでないのなら、だいぶアレだ。
変なバッジを着けた客=迷惑 という等式が脳内で成立してからだいぶ経つが、最近になってAさんが、
「たまに虹か花輪みたいなバッジ着けてる客が来るじゃないですか。俺、気になって調べたんですけど、あのバッジはSDGsのバッジなんですよ。増田さん、SDGsって知ってますか?」
と言うので、
と答えたら、なんか引かれた。
「でもまあ私もSDGsって聞いたことはあってもなんなのかよく知らないですよ。なんか最近流行ってるやつですよね。あれがSDGsのバッジなのか~へぇ、Aさんよくご存知ですね!」
と言ったら、Aさんの目に光が戻った。Aさんはあの変なバッジが気になったのでたくさんググって正体を突き止めたらしい。
Aさん的には持続可能な開発目標そのものよりは、そのバッジを着けている人のスーツが「いいスーツ」だということが気になるらしい。「いいスーツ」って……。まあ、ア○ヤマとかア○キとかで売ってるやつの事を言うのであれば。Aさんは「一番信用できる電気屋はヤ○ダ電機」だと断言し、寝心地のいいお布団を探しにフランチャイズのホムセンやし○むらで探して見つからなかったと嘆くような人だからなあ。ちなみに、寝心地のいいお布団ってどこに行けば買えますか? ってAさんに聞かれた時、私は「老舗百貨店か近所の布団屋」って答えた。少なくともいいお値段はする。実のところ、今はもう平民の入れる店に寝心地のいいお布団なんか置いてないんじゃないかと思うけど。
それは置いといて、SDGsのバッジを着けていて、「いいスーツ」を着ているような人って一体何者なのかとAさんは言った。そんなバッジを着けているくらいだから、役人かある程度規模の大きい会社の役職が上の方なんじゃないのかと思うけど、コンビニでタバコとFF商品の注文で店員を混乱に陥れて平気か内心嗤ってるかというような奴の性格と頭が良いわけがない(他人を陥れることにかけては天才なのかもしれないが)ので、あいつらの部下の苦労が偲ばれる、というだけだ。尊敬の目で見ることはない。
コロナのご時世の前はこの時期に限って死ぬほど暇でよかったね。掃除だけは捗るから店内がピカピカだったし、と少し手が空いた時に過去を懐かしんだ。Aさんは私よりも二、三年先輩なので、以前の当店の事をよく知っている。世の中がこうなる一年前……つまり2019年頃は1月末~2月上旬まで以外の時期はとても沢山の来客があり、夕勤の時間帯はレジ接客業務以外なにも出来ないほどだった。アルバイトの人数も多く、オーナーはシフトに入る必要もなく左団扇で超ご機嫌だったとAさん。
そう言われてみれば、あの頃って若干世の中が立ち直りかげんだったというか、けっこう羽振りの良いことを言う人もいた。オタクが推しには惜しみ無く課金すべきとか言い出したのもその頃か少し前かくらいだろう。長く非正規だった実弟や義妹が正社員登用されたりとか。疫病が蔓延しなかったら、今頃はもう少しマシな世の中だったのだろうか。
当店はその後、コロナのご時世に入る半年くらい前から陰りがさし始めた。夕勤と早朝バイトが進学や就職で一度に数名辞めてしまって極め付きのろくでなしに限って残った。そのろくでなしの影響で他のバイトに負担がかかり仕事が回らなくなった。人手不足になって初めて、実は仕事をちゃんとやらない人がまともじゃないと発覚してオーナーが怒り出し、オーナーの八つ当たりによりバイトが消耗してしまう、という地獄だった。そして、そんな時に限って採用されたバイトはことごどくトンでもない奴。
そんなゴタゴタな期間をくぐり抜けて、メンタルをやられて脱落せずクビにもされずに残ったのが、Aさんと私しかいない。あの頃は貧乏神にでもとりつかれていたのか……その後採用された男子高校生はまっとうだ。女子フリーターアルバイトさんは、勤め始めて一年が経ち、慣れてきたと思ったら無断欠勤が増えて最近あやしい感じだが……。
そういえば、当店の暗黒期に採用された女子大生がかなりヤバい奴だった、とAさんは言った。その女子大生は私が勤め始めて半年後くらいに入ってきた。私も何度か一緒にシフトに入ったことがあるが、確かコンビニバイト経験があったものの、自動レジが導入済みの店舗でしか働いたことがないので、お釣の小銭やお札を数えて出すのが上手く出来なかった。あまりにも手つきが不器用でお釣を出すのに時間がかかるから、私が見かねてお札の数え方とかを教えた。やってみせて、やらせてみて(ちゃんとできることはなかった)、ついでに「YouTubeに数え方を教えてくれる動画があるから、家で見て練習するといいよ」と言ったが、女子大生はすごい虚ろな目をして「はい」とダルそうに返事をした。
そんな女子大生はしまいにはクビになった。シフトを一切入れてもらえず、シフト表の画像もLINEしてもらえなくなったのだ。彼女は辞めるという電話すら寄越さなかったという。
彼女が何をしたのかというと、最悪の所業は可能な限り長時間のシフトを抑えておきながら当日にドタキャンを繰り返したこと。これ、若い女子バイトのシフトの組み方あるあるなのだが、当店のオーナーは特別当日欠勤に厳しいのでアウトだった。他店では案外許されるみたいで、こういうバイトが他のバイトやパートから嫌われながらも居座っていることがあるみたい。
他にも、わからないことをわからないままにしておいてわからないままやっちゃってリカバリー不能な失敗をしまくったとか、色々あるらしいが、年末年始にフルに連日シフトを入れておいてその全てをドタキャンしたというのが、オーナーの逆鱗に触れたという。
そういえばあの年末年始は、私は普通に仕事をしていたが、裏でそんなことがあったとは知らなかった。どうりでオーナーやパートさん達がピリピリしていたわけだ。
少し前までは完全に自分が優位だったのに、徐々にラインの返事が遅くなり、ドタキャンされ、今日リスケの家デートもドタキャンされた。
元々もって2ヶ月だろうななんて思ってたし、外でデートもしてあげなかったし、クリスマスの誘いも断ったし、自分がしたいときにだけ連絡してたんだけど
失恋したかのような辛さがある。全く食欲がわかないし、何にも興味が持てない。
連絡すればあってくれる他の女の子はいるけど多分この虚無感が満たされることはない。何をしても体の中から寒さが抜けない。
久々に味わうこの辛さ、これは何なんだろう。
自分は人を本気で好きになったことがない。今回もそうだったくせに相手を雑に扱っていたくせに、こういう風に拒絶されると一端に傷ついてしまう。
情けない。俺のことを好きでいてくれた頃のあの子に会いたい。あの子に会うことはできても、あの頃のあの子にはおそらくもう会えない。
結局自分が好きなだけなんだろう。それまで自分を好きでいてくれた人から興味を持たれなくなって、自分自身が否定されたような気持ちになってBADに入るのだ。
多分しばらくこの気持ちは続く。
人と合う約束をしたものの、鬱っぽくて当日または前日にドタキャンをする。そんな事が割と多い人間だ。
在宅勤務メインかつ一人暮らし・彼女なし・まともに心を開ける友達なしなので、まともに人と話をする機会がなく、ラインもほぼゼロ。
メンタルは荒れて、部屋も汚い。脳が退化してるのを日々実感している。ジョーカー予備軍である自分に怯えている。
そんな中、明日は知り合いと合う約束をしている。わりと楽しみにしていたはずなのに、メンタルはこの状態。
メンタルがヤバいことを伝えられるほどの仲ではないので詰んでいる。
前日になって行きたくない気持ちが強くなり、ドタキャンする理由を考えていた。
部屋の中で「死ねーー!」とひとり叫びながらも、ふと、この状況を俯瞰で見れるメンタルになれた。
そして気付いた。俺は明日、「100%行きたくない」訳ではなく、「行きたくない」気持ちが「行きたい」気持ちより少しだけ多いだけなのだ、と。
自分の中に、行きたいという気持ちがある事を確認できてかなり落ち着いた。
今のところ、明日は行こうと思っている。
仕事の都合ってのが本当なのかただめんどくさくなっただけなのかそんなことはまあどうでもいい
「急な仕事が入ったので予定をキャンセルしてください」「わかりました」これで済む話だ
ところが女さんは違う
「急な仕事が入って残業しなくちゃいけなくて約束の時間には無理かもしれません(アセアセ」みたいなのがまず来る
こちらは一応「キャンセルなのか時間を遅らせたいということなのか、後者ならこちらは対応可能である」という趣旨の返答をする
選択肢を示したのだからこれに対する回答は「キャンセルしてください」しかないはずだ
しかし女さんはまだ粘る
「(どうでもいい長々とした社内事情の話)なので本当にいつ終わるのかわからなくて(アセアセ」みたいなのが帰ってくる
イラがマッハになりつつ「じゃあキャンセルっすね」という趣旨の返答をするとそこで相手の返信は止まる、すいませんの一言も無しだ
あれはマジなんなの
今まで一度も一緒にシフトに入ったことがなかった男子高校生アルバイトさんとのシフト。
私が出勤してきて20分も経たないうちに、男子高校生アルバイトさんが担当していたレジが、特になんかやった訳でもないのに動かなくなった。おりしも来客のピーク時。会計待ちの長蛇の列ができる。
男子高校生アルバイトさんはしばらくレジの前でおろおろしたあと、私のところにきた。
「何かしたわけでもないのに、レジ止まっちゃいました。見てくれませんか?」
とのことだったので、
と交代した。男子高校生アルバイトさん、女子フリーターアルバイトさんとはだいぶ違うなあ。女子フリーターアルバイトさんが同じようなケースで私に助けを求めて来た? 時は、突然横からタックルしてきて、無理やり商品の袋詰め作業を代わり、
とまくし立ててきた。なんのこと? と思って思わずきょとんとしてしまった私に、
「レジ止まったんで! ここは私がやるんで! レジレジ! いいから早くやってください!」
そんな女子フリーターアルバイトさんよりは大分マシな男子高校生アルバイトさんだったが、私が四苦八苦してレジの小銭の詰まりを取り除いてから、どこがどう詰まっていて、どのようにすると解決できるのか、説明しようと思ったら、
「あー、ありがとうございます。もういいです」
とバッサリ遮ってきた。いやいやいや、次同じ事になったらどうやって解決する気だおめーは! また先輩呼ぶのか? 一緒にシフトに入ってた相手が新人だったら?
と、若干腹が立ったけど、高校生だしまあいいか。ちゃんとレジ直してって頼んで来ただけまし。で許した。
ちなみに、私がレジから詰まった小銭をせっせと取り除いている間、常連というほどでもないが時々来るお客様が、横で励ましてくれていた。親切……なのか? そうかも……。
20時にAさんが出勤してきた。男子高校生アルバイトさんは退勤。Aさんにレジが急に詰まった話をしたら、それはあるあるで、本当に何かやった訳でもないのに不意に小銭は詰まるらしい。私はつま楊枝で小銭をツンツンして除去したが、なんか他によさげな小銭除去法ないのかなと思って聞いたら、べつに無いとのこと。自動レジの地味な欠点……。
Aさんから、今日男子高校生アルバイトさんが女子フリーターアルバイトさんの代わりに出勤してきた理由を聞いた。前日、女子フリーターアルバイトさんがドタキャンしてきたからだったそう。前日はちょうどオーナーが業者の人と何か話し合いをしなきゃいけない日だったらしく、ただでさえ忙しく脳のメモリ食っていてピリついているところへ、ぎりになって女子フリーターアルバイトさんから休む連絡が来たとかで、オーナーは激怒した。
で、今日はオーナーは昼間に介護中の家族の付き添いで病院に行かなくてはならず、今日もまた女子フリーターアルバイトさんにドタキャンされたらやってられないと思い、男子高校生アルバイトさんにシフトを代わらせたのだそうだ。
実は女子フリーターアルバイトさんはドタキャンの常習犯で、もはやオーナーは彼女を「さん」付けで呼ばなくなった(←オーナーは嫌いな人に敬称をつけない。)ほどだという。Aさんが、
「若い女子アルバイトあるあるですよね。なんで女子ってみんな同じことするんだろう」
としみじみ言う。実際、若い男子のバイトの場合、無法者だったりサボり魔だったり遅刻魔だったりしても、取り敢えずお賃金が欲しいのでドタキャンはしない人がほとんどだ。だが、若い女子バイトの場合は気まぐれなのか? と思うくらい唐突に休みがち。しかも、ドタキャンをすること前提でわざわざシフトを多く長く入れがち。なので、休まれるとシフトに大穴が空くので、オーナーは怒るし他のバイトやパートさんは穴埋めのために予定変更を強いられる。
どうして若い女子ってこうなのか? 元若い女子の私が思うに、唐突なPMSや生理痛で心身の調子を激しく崩すことがままあるからだろう。とはいえ私はあんまりそれで仕事をドタキャンしたことはないけど……。PMSと生理痛がとても酷かっただけに、なんかヤバそうだなと思ったら早めに休む連絡をするか、無理して働くかだったなぁ。無理した結果ミスを連発して、職場の嫌われ者になってたので、ドタキャン常習犯と同レベルで迷惑バイトだったかもしれないが。
という、本人にはどうにもならない心身の不調の他、若い女子は働いていると何か特別なことをした訳でもないのに褒められ易くなるので、これまで満たされなかった承認欲求を拗らせて、急に人生舐めプモードに入ることがある。そういう子は、学生時代は学校の成績が振るわなかったとかスクカーのランクが低かったとかで、あまり褒められることなく、褒められ慣れていないのだ(ということは、そういう女子と雑談してみると本人の口から聞ける)。
これまで、ヤバいレベルの問題児という印象はなかった女子フリーターアルバイトさんだったが、なんかここへ来て順当に歴代のクビになった女子と同じ轍にはまり込んできたので、例によって、ある日を境に姿を見なくなるのではないか。
ところで前回のシフトの時に、Dさんから「Aさんがホットドリンクの品出しをしてくれない」と泣きつかれた。いやいや、それくらい自分で直接Aさんに文句言えって、と思ったが、DさんはAさんにセクハラをしまくった結果、Aさんにまともに話に傾聴してもらえなくなっていた。自業自得が過ぎる。
しかし、Aさんがホットドリンクの品出しをやらない・私がやろうとしても「後でやるからいいです」といってやらせてくれないせいで、夕勤・夜勤の人間は全員ダメ人間だと昼勤の人達に思われてしまっている。私までいっしょくたにされ続けるのは嫌だったので、Aさんを詰め詰めして、ホットドリンクの品出しを私がやってもいいと話をつけた。
その詰め詰めの過程で、Aさんがやりきれない仕事を黙ってサボり昼勤の人達に押し付けているのを知った。だから、
「やりきれない仕事は勝手にさぼらんで、オーナーと話し合って正式に昼勤のほうに回してもらってくださいよ。オーナーはAさんの言うことならちゃんと真面目に聴いてくれるんだから」
と言った。
女のドタキャンに対する罪悪感のなさってなんだろうな
泡のお風呂やさん、前の人が激しい接客をしてドタキャン!代わりのお姉さんで唯一いた方はビジュはいいけど、正直ボーイ目線でも地雷だよって遠回しに教えてくれて、断ることにした…のだけど、最初に伝えていただいたときに返した言葉がこんな日もありますよね、アハハだった。良いお年を!って再度暖簾をくぐって出ていってから、お嬢様を気にかける言葉の1つもかけてないことに気づいた。イヴじゃん、彼女の代替じゃん、そんな言い訳が浮かんで、地味に自分が見下してたって気づかされて、駅まで歩く間になんか凄く凹んだ。
はたまた新宿へ呪術廻戦0を見に行き、百鬼夜行の一部と化しているかもしれない。
一般企業のOLである私は、クリスマスとはいえ平日の金曜日なので普通に仕事である。
だが私は今まで1度もコミックマーケット、通称コミケに行ったことはない。
負けたというのはコミケの戦場で打ち破れたのではなく、【当時の彼氏が彼女よりもコミケを優先させた】という話である。
毎年クリスマスが近づくたびに思い出す忌々しいにもほどがある記憶なので、いい加減呪縛から逃れるためにも吐き出そうと思う。
数年前、私には彼氏がいた。学部は違うが大学の同級生で、卒業後に付き合い始めた。
お互いにオタクで、私は拙いながらも小説を書き、相手は小説と時々漫画を描いていた。
もともと元カレは同人をやっており、サークル参加しているとは聞いていた。
だが私は二次創作は読む専門で、本を作る工程が大変であるのは知っていても、具体的にどれだけ大変なのかは知らなかった。
ただお互いオタクなので、イベントがどれだけ重要なのかは理解しており、うまく付き合っていけるだろうと思っていた。
きっかけは付き合って数ヶ月後、初めてデートをドタキャンされた時だ。
「体調が悪くなってしまった」
ちなみに遠距離で、私が元カレの家に行くには電車で2時間、更に路線バスで30分ほどかかる。
そのためお互いに比較的アクセスしやすい都内で、大体月に2~3回程度会うスタイルだった。夕方も大体早めに解散し、元カレの帰宅が遅くならないように気を遣っていた。
体調が悪い中長距離移動するのも大変だろうと心配したし、手伝いが必要なら家に行こうか? とも申し出たものの、寝ていれば大丈夫と断られた。
早く元気になるといいな、と当時は真面目に心配していたのだが、のちにこれは半分嘘だと発覚する。
初めてドタキャンされてから、3回の内に1回はデートをドタキャンされるようになった。
理由は体調不良。純粋だった私は真面目に、頻繁に体調を崩すなら病院に行ったらどうか、それとも仕事が大変なのかと聞いたが、
本人は大丈夫大丈夫と言うし、会う時には普通に元気だった。何なら私よりハイテンションだったくらいである。
ドタキャンが3回目を超えた。
おかしくね?
馬鹿な私はようやく気が付いた。
そこで普通にデートできた場所と、ドタキャンされた場所の違いを考えてみた。
共通点は1つ。
ドタキャンされたデートの行き先は全部、【私が行きたいと言った場所】だった。
(誤解なきようにあらかじめ補足するが、私が希望した場所もドタキャンせずに一緒に行った時もある)
つまり【元カレが行きたいと言った場所】は、絶対にドタキャンしていなかったのである。
元カレは当時某動物アニメにはまっており、よく動物園に行きたがった。私も動物は好きだったので特に行き先に不満はなかった。
ただ一つ嫌だったのは、元カレが行きたがった時期が初夏から真夏だったことだ。
初夏とはいえ晴天だとかなり暑いし、真夏は薄っすら地面に陽炎さえ見える。
ぶっちゃけあまりの暑さに人間も動物もぐったりしてて覇気がない。
汗っかきの私は化粧をドロドロにして汗だくになりながらも、元カレが楽しそうにしているので不満なく付き合った。
豪雨の上野動物園にも付き合った。当時の私はものすごく健気だった。疑うことを知らない馬鹿とも言える。
私の行きたい場所ばかりドタキャンされるのに気が付いてから、元カレに対して不信感が芽生えた。
本当に体調が悪いのか? 疑いたくないが、偶然にしてはあまりに出来すぎている。
そもそも体調が悪いなら当日の朝ではなく、3回あるうちの1回くらいは前日の夜に気づかないものか? 薬を飲めば翌朝治るのではとワンチャン祈っていたのか?
(元カレが住んでいる場所はかなりの僻地で、職場も男性ばかりだったので浮気はそもそも疑っていなかった)
私が行きたい場所は、某擬人化ゲームが趣味なこともあり美術館や博物館が多かった。
もしくはオタク趣味の関係ない、新宿や浅草の散策デート。デートのプランを聞いた時は快諾してくれたが、
もしかしたら本当は嫌だと言えなくてドタキャンしてしまったのだろうか。
回りくどい言葉で質問するのは性に合わず火の玉ストレート、本人に直接ラインで訊いた。
「体調が悪いのは本当なのか?」
理由があるならきちんと話してほしい、スケジュールを合わせているので当日朝のドタキャンは困るとも。
しばらくして、元カレの返事がきた。
「本当に体調が悪い日もあったが、全部ではない」
流石に怒った。前述したとおりお互いにオタクだ。イベントに理解はあるつもりだった。
正直に締め切りがヤバいと言えば納得したのに何故しょうもない嘘をつくのか。病院に行った方がいいと真面目に心配していた私が馬鹿じゃないかと。
黙っていてごめんと謝られたため、
・原稿の締め切りを抱えているならあらかじめ言うこと
・デートをキャンセルするならせめて前日か数日前の夜に言うこと
この2つを約束して、仲直りをした。
だが、ドタキャン癖は治らなかった。
デート当日の朝6時頃に「今日行けなくなった」とラインが来る。私はそのラインの通知音で目を覚まし、メッセージを確認してがっかりする。
1ヶ月に1回はそんなことが続いた。
そんなに頻繁にイベントに参加しているのかと聞くと、元カレは1人で参加しているのではなく、友人同士複数人で組んだサークルで活動しているのだという。
今はサークルが波に乗っているので、可能な限り多くのイベントに新刊で参加したい。詳細は忘れたがこんなニュアンスのことを言われた。
サークル参加に詳しくない私は、そういうものなのか? と引き下がった。
締め切りが大変なら手伝えることは手伝うからドタキャンはどうか止めて欲しいと訴えたものの、結局治らなかった。
嫌われたくなくて強く言えなかったのもあるし、元カレは後から謝れば許してくれるだろうと思っていたのかもしれない。正直舐められていたと思う。
そしてやってきたクリスマス。もう何度もドタキャンされて精神的に消耗していたが、さすがにここでドタキャンはしないだろうと思っていた。
ただオタクなら知っている。
サークル参加するのは知っていた。正直、ものすごく嫌な予感がした。
クリスマス当日は土曜日だったけれどコミケがあるならキツイだろうと考えた私は、12月上旬に都内のクリスマスマーケットに行きたいと言った。
だが11月末。「デートは無理かもしれない」と元カレからメッセージが来た。
会えないのは残念でも、ドタキャンじゃないだけ全然いい(そう考えている時点でだいぶ末期だった)。
すると珍しく元カレから代替案を出された。「クリスマス当日は元カレ家でゆっくり過ごしたい」と。
そりゃあもう喜んだ。クリスマス当日を一緒に過ごせるなんて! と舞い上がった。会えるなら2時間半の距離なんて横断歩道をスキップ渡るくらいに感じられた。
おしゃれなレストランでデートじゃなくても、スーパーのチキンや総菜とケーキで充分だった。あとは軽いおつまみをいくつか用意して、アニメや何か映画でも見て過ごせたらいい。
お家デートならおしゃれしすぎず、かといってカジュアル過ぎない格好にしよう、かわいいと言ってもらえるような服にしようと考えた。
ただやはり不安は消しきれなくて、もしも都合が悪くなったら前の日までに言って欲しいと何度も伝えた。
そして23日の夜も明日は大丈夫かと確認した。大丈夫だよ、と返事が来て本当に嬉しくて、遠足の前の日の小学生みたいに眠れなかった。
そして24日。
私は朝5時に起きて、頑張ってメイクをして、慣れない手つきで髪を巻いた。
相手の家に10時に到着するためには、6時半には家を出なくてはいけない。そろそろ家を出ようとバッグの中身を確認していた時だ。
メッセージの内容はこうだ。
「ごめん今日は無理。家にも来ないでほしい」
呆然とした。
わくわくしていた気持ちが、落としたガラス細工の如く粉々に破壊された。
泣きながらキレて彼氏に電話をしたと思うが、確か向こうはひたすら「ごめん」しか言ってこなかった。
というよりそれ以外に何か言われても全て言い訳にしか聞こえなかっただろう。
電話を切ってしばらく泣いて、気が付いたら化粧も落とさず着替えもしないままベッドで寝ていた。
時刻は正午を過ぎていた。
泣きすぎて目の奥と頭が痛いまま、しばらくぼんやり時計を眺めていたのは覚えている。
14時を過ぎたあたりで、おざなりに化粧と服を直して外に出た。
電車に乗って、数駅先の大きな駅へ向かった。
行きたかった場所よりも規模は小さかったけれど、クリスマスマーケットが開催されているのを最寄り駅に貼られたポスターで知っていたからだ。
色々出店を回っているうちに16時を過ぎて、あっという間に薄暗くなっていった。青で統一されたイルミネーションが、駅のコンコースを眩しく彩る。
意味もなくイルミネーションを写真に撮っていると、少し遠くから音楽が聞こえてきた。
よく見ると、駅と繋がっている広場で特設の野外ステージと出入り自由の客席が設けられ、何組かのアーティストが歌を歌っている。
クリスマスのチャリティーコンサートだ。看板に書かれたタイムテーブルを見ると、とある女性シンガーソングライターの名前が目に留まった。
知っている名前だ。とあるアニメ映画の主題歌を歌っていて、大好きな曲だった。
必ずその曲を歌うとは限らない。
それでも私は居ても立っても居られなくなって、偶然にもぽっかり空いた最前列のパイプ椅子に座って彼女の出番を待った。
そこから更に何組かのアーティストが歌い楽器を入れ替えて、やがて彼女が現れた。
彼女は【失恋ソングの女王】と呼ばれることもあり、優しい歌声と切ない歌詞が持ち味だ。
クリスマス向きじゃないかもしれないと自分で触れながら、彼女は歌ってくれた。
歌詞がこんなに心に響いたのは初めてだった。
初めて聞いた曲だったのにその歌詞が忘れらなくて、今でもはっきり思い出せる。
気が付いたら私は泣いていた。
歌がとても素敵で感動して、でもどうしようもなく辛くて悲しくて惨めで、心の中がぐちゃぐちゃになって涙が止まらなかった。
凍えそうな風が吹きすさぶ中、広場の巨大なクリスマスツリーのイルミネーションに照らされて静かに号泣する女は端から見たらさぞホラーだったことだろう。
そして女性シンガーソングライターは、あのアニメの主題歌を歌ってくれた。
大好きな曲をこんなに近い距離の生音声で、しかも無料で聞けるなんてなんて贅沢な時間なんだろう。
嬉しかった。今日この場所に、この時間に訪れていなければ絶対に聞けなかった。
けれど本当なら、本当は私はここにいないはずだったのだ。
ドタキャンの理由は想像通り、冬コミの準備が終わっていなかったからだ。
私はコミケに負けた。
同人誌を作るのが大変なのも理解をしていたし、複数人のサークル活動でメンバーに迷惑をかけられないというのもわかる。
ただドタキャンはしてほしくなかった。
正直、私は美人ではない。どんなに着飾っても【おしゃれなカラス】にしかなれなくて、心の底でイケメンの元カレに引け目を感じて強く言えない馬鹿な女だった。
本当は暑い中動物園にばかり行くのも嫌だったし、豪雨の中歩かされたのも嫌だった。でも我慢してしまった。
元カレはきっとそんな私を舐めていたのだろう。
結局、私は冬コミの締め切りとサークルメンバーには勝てなかった。
元カレが好きだったアニメも、コンテンツに罪はないのに見れなくなった。
そして何より、何度もドタキャンと遅刻を繰り返す人間が許せなくなった。
恋人や家族ができても、趣味を続けたいという気持ちは大事だし尊重したいと思う。
最低でも10を9、8に減らす覚悟をして、恋人や家族にキャパシティを割いて欲しい。
少なくとも一度した約束をドタキャンするのは最低の行為だし、そもそもできない約束をするべきではない。
約束を守れない人間は、一度箪笥の角に小指をぶつけて骨折してほしい。
ドタキャンする奴は首にチップを埋め込まれて爆発四散してほしい。
それでは皆さん良いクリスマスをお過ごしください。