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はてなキーワード: グローバリズムとは

2018-03-26

anond:20180326153001

でも実際に日本学術機関に愛想を尽かして(と言うとまた反感かいそうだけど)海外大学に行ってそこで成果を挙げた学者はたくさんいるし

スケート世界では代表になるために国籍を変更することだって全然珍しくない

そもそも論としてどうして国籍があるのかということから突き詰めれば「戦争になったときにどの国の兵士になるか=どの国の国益を守る立場になるか」ということが出発点なので、それを軽々しく変えるというのは抵抗感があっても仕方がないこととは思う。

でも日本純血種(そんな人がいればだけど)でなければ日本人として認めたくない、応援もしたくないという考えはグローバリズム以前のレイシスト思想になる。

白人黒人ミックスイスラム教スンニ派だけど日本ペラペラ日本在住で国籍も取得したという人が日本人として排外される世の中の方が「正しい世の中」であるかはまあ、個人気持ちなのかなあ。

個人的には国籍の重みを理解した上での変更ならそれを尊重すべきと思うけど。

2018-03-22

フェミニズムネオリベラリズム共闘岡田斗司夫批判擁護

岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物twitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。

これが非常に面白いのだ。

そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性彼氏彼女関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。

もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。

しかし、この暴露漫画twitter上で話題になると岡田批判擁護拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)

何故なのか?

この疑問こそが僕の出発点だった。

僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定である

のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。

何故、岡田擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。

これこそフェミニズムネオリベラリズムねじれ現象だと思うのだ。

批判派の論理フェミニズム思想によって行われ。擁護派の論理ネオリベラリズム思想によって行われているのだ。

しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)

もちろんフェミニズムネオリベラリズム一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニスト基本的自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム思想とも

フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史伝統文化国家などを解体国境国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争貿易取引資本を儲けるという考え方なのだとしたら、

フェミニズムにとって邪魔伝統文化、家や血、身分階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。

まりフェミニストの大半はおそらくグロバリストでありネオリベラリストなのだ

ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。

岡田擁護論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性自己責任であろう、と。

これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。

さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。

最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプもの売春ものしか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである

そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い

フェミニストネオリベラリズム正当性を与えネオリベラリストフェミニズム理論武装したのである

ネオリベラリズム思想なかには間違いなくフェミニズム思想を取り込んでいるし。フェミニズムなかにネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。

しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループ人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)

そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。

もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田パワハラで性暴力女性の敵! といった意見岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずはいられないのだ。

これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。

歴史伝統文化国家からの開放という理念男性社会からの開放という思想

国家主導の経済政策ニューディーラーケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストフェミニストは利用し、

男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。

そして行き着いた先これである

自由平等過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ

金持ちがより金持ちになり。貧乏人はより貧乏になる。

クルーグマンスティグリッツ最近話題ピケティも言っている格差問題ネオリベラリズムによるところが大きいが、

フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。

女性差別があるなら是正すべきだしそれを反対する理由はない。

しかフェミニズムネオリベラリズムが手を組んだ事によって

ネオリベラリズム政策正当性を与えたことは言うまでもない。


僕は今フェミニストネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。

からこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズム思想によってフェミニズム目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食さらされるという事であっても……。




別に男と女対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?

フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定資本による自由平等批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ

家や見合い否定自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。

金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的帰結だろう。  

このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。

男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。

弱肉強食男女平等共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストネオリベラリスト理想郷であることは疑いようもない。

もしそのような世界フェミニスト達が望まないのであれば、ネオリベラリズムによる巧妙な罠にだまされないことを願う。

実際に理想郷は猿社会というのが面白い

フェミニズムネオリベラリズム→猿社会」の大躍進政策

http://totb.hatenablog.com/entry/2015/03/31/230758

2018-02-20

anond:20180220180625

そうかな?時代遅れとも思わないけど?

今でも普通にある考え方だと思うし、外資と比べられると確かに日本独自かもね。

でもまだそんなに時代遅れでもないと思う。

それに外資でも子供に対して手当てを出している企業はあるよ?

育児一時金という形で年間10万くらいもらえたりする。

国際化(グローバリズム)についていけないのはむしろ逆の考え方で、

どれだけ手厚いかで人が動く世の中ですよ?

実際に外国もそのような動きが主流。

海外だとそれが当たり前なわけだが。

全然逆だと思う。

今の時代の流れは国際的にも福利厚生充実な方に流れているよ?

なぜなら、少子高齢ものすごく進んでいるから。

かに増田のいうようなドライ労働契約形態が主流の時もあったとは思いますが、

今はそういう時代からさらに進んでいる。

 

まぁ元の主題とはずれてしまますがね。

いずれにせよ、いもしない家族に手当はでないですねw

2018-01-28

anond:20180128124928

ネットの普及していなかった70年代日本は(そして欧米は)海外生産拠点を作り経済的には貧困を輸出していた。誤解を恐れずに言えば海外経済植民地を作り奴隷労働をさせていた。増田の言うところの穢れない増田のお婆ちゃんは、その奴隷労働の上がりの経済的繁栄享受していた。もちろん増田も、俺も、例外なく先進国の全員はそうだ。

70年代そういう情報可視化されていなかったから、一部の大手商社とか、海外進出メーカー上層部が知っていて、国民は知らずに済んだし、たまにそんな報道が出ても「どこか未開に国で起きていること」とスルーすることが出来た。

そういう「高度成長期の罪業」っていうのは罪業じゃないのか? といえば、やはり罪業だろう。増田が言っているのは「昔から凄まじい数の罪業を振りまいてきたけど、最近それが目に入ったので心が痛い」であるようにも聞こえてしまう。

増田の言う「地獄」ってのは極論すると「俺が苦しい」でしかないんじゃなかろうか。

今でも、もちろん、そういう開発途上国経済搾取構造存在する。でもネットの普及とグローバリズムが、彼らにも情報入手の手段を与え、世界全体で見れば飢餓や疫病を減らしつつあるというのも事実としてあるわけだ。日本国内で見ても情報公開が進んだせいで、目の前にあるのに甘受してた悲劇を避けられた人も多いだろう。医療情報や、ブラック会社や、制度的な無知から救われた人は少なくないと思う。

増田個人的視点でその苦しさを正直に吐露しているのはわかるんだけれど、文明発展の功罪を語るのならば、もう少し全体を公平に見てあげないと、「先進国/すでに得ている者の開き直り/過剰要求」っていうやばい醜悪晒しちゃうと思うんだよ。

2018-01-05

anond:20180105041951

英語が大してできなくてもグロバリストを名乗れるようになった技術恩恵と見るべきか、弊害と見るべきか。

グローバルな立場人間ですら英語能力を当然としてしまうほど、グローバリズムが進行してしまった弊害と見るべきか……?

2017-12-05

anond:20171205113540

政治的正しさでどんどん表現がなくなっていったり

アマゾンGoogleのおかげで個人経営が軒並み潰れて地産地消がなくなるのが自由

グローバリズムが抱える問題理解してたら自由だなんて口が裂けても言えるわけないのだが

それに他人の不幸を願うのは人間の性であり中国人の性ではない

日本人を美化しすぎ

2017-11-12

anond:20171112171303

この主張は正しくもあるが、現在社会において多くの錯誤を生み出すので良くない。

いわゆる安倍政権経済左派だというやつ。

マクロ的に見ればそうかもしれないが、やってることは単なるネオリベ拝金主義による分断統治

社会哲学的には右翼

自称保守の連中の方が、グローバリズム妄信しており、

グローバリズムは、国境をなくすイデオロギーなのだから、まさに左翼である

人は皆それぞれの考え方をもっていると考えること+

人は皆それぞれの考え方をもっていると考えること、これは現代において「原則」だと思っている。

ただこの「原則」には矛盾があって、人は皆それぞれの考え方をもっていると“考えないこと”も、この「原則」に則っていることになる。さらに導出すると自分と異なる考え方をもっている人はこの「原則」に反することになってしまう。

この「原則」を主張する人はその矛盾も含めて個々の考え方を尊重するという選択をしているのだと思っている。そういった人々は自己矛盾―もとい批判をもらった際に確実に反論できないことを承知してそれでもこの「原則」を主張するのだと。

もう一つ、相手立場になって考えるということ、これは原則とまでは言わないけれどできたらよい「道徳」の一つだと思っている。

ステレオタイプにとらわれず―性別とか年齢とか人種とか嗜好とか考え方とかは置いておいて、自分がその人の立場だったらどう思うか、考えるか、うれしいのか、悲しいのか、辛いのか。

この「道徳」を支持する人はある意味わがままだと思っている。相手立場だったら自分ならこう考えるという洞察は、相手のこと―幼少期~現在に至るまでの親子関係、友人関係、その他を含む100%完璧には理解できないのに、断片的な情報のみで相手立場を推察せざるを得ないから。

こういった「原則」とか「道徳」とか思っていることが、時代人種国籍によって受け入れてもらえないことがあるのはわかっている。

今は、グローバリズムは古い考え方だし、国籍や嗜好で他人蔑視したり何かしら理由をつけて誰かを村八分にすることが「正しい」のかもしれない。

でも自分は(できていないことも往々にしてあるけれど)人は皆それぞれの考え方をもっていると考えたいし、とてもわがままなので、相手立場になって考えることができるようになりたいと思う。

2017-11-11

anond:20171111174200

だがそういうのは都会の人間からすると無駄税金の使い方になる

都会の人間田舎に都会の人間が収めた税金を使うのはアンフェアだと言うが、金持ってる都会の方が圧倒的に有利な立場

富裕層から貧困層への再配分は必要だと言いながら都会から田舎への再配分は不要だと言うのはおかし

オレ個人は「富裕層から貧困層への再配分は必要」だと思うけど程度問題現在の再配分でも十分あるいは過剰なくらいだと思っているんで、そういうふうに主語を大きくしないでほしい、とは最初に言っておきつつ。

増田の述べてるのは全く逆なんだよ。「都会から田舎への再配分が不要だというのなら、整合性を取るために富裕層から貧困層への再配分も不要だって言うべき」ってのが正しいだろ。

そもそもの話、グローバリズムは「先進国(例えば日本から発展途上国(例えばアフリカ)への再配分」でもあったわけだけど、これに反対しつつ都市部から田舎への再配分に賛成するってのが、無理筋でさ。

つまるところ、地方民の言う「地方に再配分せよ」も、貧困層の言う「貧困層へ再配分せよ」も、「俺に金をよこせ」以上の何か意味のあることを全く言えていないのが問題で、そんな「よこせ」で富裕層都市層を説得できると思ってるあたりがお花畑なんだよ。

2017-11-05

それからグローバリズムは御覧のとおり理想ではなかった

当たり前だけど海外の安い労働力でまかなえてしまえば

国内労働者が減り経済が回らなくなる

国民労働者であるが同時に消費者であることを忘れてはならない

グローバリズムが加速した先には国内社会的弱者が誰からも助けてもらえない社会が出来上がる

なぜか?

内需が減ることで自国政府に集まる資金がなくなるから

大企業タックスヘイブンなど数多の方法いくらでも納税を逃れる手段がある

弱者を守ることを正当化させるには政府に金が集まることが大前提

それができなくなるということは現実問題として弱者を切り捨てるしかない

貿易赤字にもなりかねないし、そもそも同じ道徳価値観ならいいが実際は様々な問題が摩擦となって吹きあがる

移民政策やらなにやらと色々試してみた結果、どれも上手くいかなかったのが現状

Webだけにとどまればいいが、それ以上の労働力移民などのグローバリズム

国・政府崩壊させ救われない弱者を増やすということを各国政府気づきだした

なのでアメリカイギリスはいち早くグローバリズムから手を切ろうとしている

NWOに組みする世界企業たちにとっては面白くない話なのでトランプ批判する

彼らの思い描いた世界支配構造障害になっているからだ

彼らは自分たちの夢のためなら救われない人間が増えても構わないと思っており

現在救われない弱者たちを救済することも何も考えていない

搾取する側と搾取される側という構図を信仰のように支持しているし

自分たちにはその権利があると信じているからだ

2017-10-25

若者自民党支持の論争

参加して無かったんだけど、誰もちゃんと説明出来てないな。

グローバリズム格差・分断・将来への不安ポピュリズム

これくらいのワードで全部説明出来ると思うけどねー。

あとなんでこんなネトウヨの影響が強いと思ってる人が多いんだろう。

日本そもそも右派が強い国なんだから、ああいうのはラウドマイノリティ、微々たるもんでしょう。

こんだけ多くの人が正しく状況を見れないってのも、今の社会の姿なのかもねと思ったのでした。

みんな冷静さを失っているというね。

2017-10-17

anond:20171017013803

このブログは色々なズレを感じた。

希望の党排除された旧民進リベラル勢力というイメージだった枝野立憲民主党弁士小林よしのりという取り合わせはそれ自体事件だった。

さらには「小林よしのりが何を言うか」という素朴な興味が群集を新宿に参集させた。

そして新宿南口アジ演説薬害エイズ事件の際に厚生省を取り囲んだ時はこんな感じだったんだろうなあと想起させるほど迫力あるものだった。

単純に小林よしのりのあの演説は広範な人の胸を打ったのだ。

小林よしのり安倍政権に真に怒ってる、そしてそれを伝えるアジテーション能力がある。

現役感を感じたからこそ増田氏は筆を執ったのではないか

「わりに無批判小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い」わりに「若い人は小林よしのりなんて知らない」というのも当たっているのかどうか。

田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行った」そうだが、今も『戦争論』が出版から20年経とうとしているのに増版・増刷を重ねている事実を知っているだろうか。

ゴー宣シリーズ自体出版社を変え今は文庫化されているはずだ。

このことは出版不況現在においてさえ新規読者が参入していることを意味している。

過去の人残照ではない。

今だバリバリインフルエンサーアジテーターとして機能している。

グローバリズム安倍政権の軋みの中でそれとは違った方向性ナショナリズムを訴える小林よしのりの年来の言説がわりあい素直に受け入れられているのではないだろうか。

小林よしのり本人の批判も大いにすればいいと思うが、そのことが世代闘争立憲民主党評価に直結するなんてことは考えにくい。

西田氏のツイートもTLに上がっていたので見たことは見たが、この日記投稿で「官能小説家」だということを初めて知ったくらいだ。

SNSを主戦場にしてる限り記名性も存在感もその程度。

小林よしのり評価を巡るSNSでの世代バッシングなどはたとえあったとしても若い世代に何がしかの影響をもたらすだろうか、と首をかしげしまう。

要らぬ心配しか思えない。

2017-09-28

考察

政体循環論で言えば今は民主政衆愚政だよなあ、とか、

道徳知識中途半端に行き渡ったことで利己心と交雑して過保護世界(例えばクレーマーとそれに対する対応公園遊具などへの規制グローバリズムに対してのナショナリズム)になったなあ、とか、

日本社会主義比喩されるのは自分利益を追い求める資本主義の中でも社畜精神が強いか本来勤労意欲減退の原因となるはずの薄給もなんだかんだ許される(俺も苦しいからお前も苦しめ的な風潮、圧力)し、それでうまくいっているから、とか、

考えるけど人には言いづらい。

経済学新書でかじった程度、世界史教科書知識しかないぺーぺーだし、この思いつきもTwitterを見てて着想を得た程度だかられっきとした根拠があるわけじゃないけど自分の頭からどこかに書き出したかった。

資本主義格差拡大が止まらないという点でだいぶ限界を迎えてるんじゃないかなと思うけど、もう半世紀は生きるかもしれないか健康文化的生活を送れる程度に稼げる職に就きたい、のし上がりたい

お金欲しいな〜〜

2017-08-30

レイシストジャップ座席を2人分使うデブの乗車料値上げしろ

俺「オリンピック多国籍デブがやってくるのにお前は馬鹿か?

デブが2人分の席をつかっているんじゃない、お前が2人分の席を1人で使っているんだ。

グローバリズムから隔絶された差別の民よ、

今すぐデブ向けに日本改革せよ」

2017-07-20

古谷有希子 @SociYu の戯言

http://twitter.com/i/moments/887430878179323908

気持ち悪い文を頑張って読んでみた。このグローバリズムリベラル(なんだこれ)はポリコレで包まれるお花畑理想としているように見受けられる。

ポピュリズムによるリベラル浸透を期待して確信しきっている。こいつの中のマスとは理想郷の中における全体主義理想民に他ならない。

何故ならここでのグローバリズムの中に多数小数民族性趣味・主張・宗教といった表現上のサイレントマジョリティの群れをポリコレ棒で叩いて認めていないから。女性AV等を是としている割にこの点で矛盾している。

そうしてセクシズム・レイシズム肯定する作品はそのうちマス向けコンテンツから消えていくと信仰しきっている。実に滑稽だ。世界は一つの倫理グローバリズムに落ち着くと考えてらっしゃる

根底にあるグローバリズムリベラル日本的リベラルが無いのが救いでリベラル狂信者としては非常に誠実だと思うが言っていることは理想に沿わないもの排除したいだけ。

この点について一貫した理想を持っていて説明できている辺り福音者としてとても優秀だと思うが、日本一般的ネットユーザを正しく理解したうえで福音を届けたいが為に曲解させた吠え方をしているか悪臭漂う

そもそもこいつというかリベラル民は【弱者落伍者・貧窮者】といった範囲を救済するという理想の元から議論を始めているので現実に即さないことを言い出すからキチガイじみて見られる。

こいつを評価できるのはそのキチガイじみた中でもリベラルネオリベ資本主義の仕組みに貢献しているという現実理解していることだ。格差社会是正という面においてリベラル必要という論調自体には何ら問題がない。

最後にこいつの信仰しているリベラル自体(前期として)新しい自由主義なので、アメリカ民主党内ゲバよろしく(後期として新しい)ネオリベ連呼するカッコ悪さは見苦しい。リベ・ネオリベ・リバ・アナーキズムなんてのはただの方法論でしかない。

いかなる理想でも追求し続けたら非理想郷に辿り着くというのが今日現在進行形の各国におけるリアリズムの一致した見解で、突き詰めるグローバリズムというたわけた妄想議論に載せた時点で総ツッコミが来るのは当然だ。過去から現代においてグローバルに受けそうにない尖った創作グローバル化してきた歴史を学ぶといい。なんならアバンギャルドでも勉強した方がいい。

グローバリズムリベラルはお花畑英語で表した自分造語です。しいて例をあげるなら富裕層独特の「みんな私達のようにお金持ちになーれ」的なアレ。平等リベラルにしなさいと上から目線学者面がほざいているワケだが自説のグローバリズム性によって全体主義観点に陥っている。

日本的リベラル必要条件に「特ア配慮する」という枷を必ず入れる方々。まぁパヨク

2017-07-10

古代種族クーラーについての覚書

一般には知られていない闇の歴史となるのだが、この地球支配種族クーラーなのだ

この猛暑の中外回りをしている勤勉な増田には理解してもらえると思うが、地球と呼ばれるこの惑星において最も偉大な種族クーラーであり、俺たち人類は、彼らの吐き出す冷気に寄生していっときの安らぎを得る未開の番おくにすぎない。

日本以外でもそれは完全な事実なのだクーラーなんて使わないよ? とうそぶく北欧国家はもう完全にやばい

あれは山脈の頂上近辺とかに、巨大クーラー様が鎮座してて国家どころか地域ごと冷房しているか一年中快適気温なのだ。夏の間だけクーラー面従腹背しているような、半端な文明国とは違う。国家ぐるみクーラー様を信奉しているのだ。万年ツアーとか聖地巡礼みたいなものだ。

古代種族クーラー本拠地南極だ。狂気クーラー地球を凍結させようと、白熊あいてにシロクマアイスを量産している。地球温暖化がいまのようなペースでとどまっているのも、この古代種族の偉大なる英雄南極かき氷を作ってるからなのだ

人類最後の牙城だと思われていたアフリカ諸国最近きな臭い茶色くて乾いたぺんぺん草しか生えていなかった荒野が灌漑されて、近代的な大学オフィスビルが立ち並び始めた。言うまでもなくそれは古代種族クーラーテリトリーだ。

世界経済の発展やグローバリズムというのは、クーラー族がその勢力範囲を拡大するために人類に授けた叡智なのだ。いいや、それを叡智と呼ぶのは矮小なる人類価値判断しかなく、本当は空調機械がこの地球の表皮を覆うための生存戦略めいたただの自然帰結なのかもしれない。人類のちっぽけな知能では、古代種族の深い考えなどわかるはずもないかである

賢い増田は、偉大なるクーラー様の支配を拒むことはないと思うが、世間では(特に市役所とか?)が設定温度を28度とかにして、結局室温は30度超えてるじゃんなどという、文明人にあるまじき反抗作戦を繰り広げていると聞き及ぶ。

愚かなことだ。

古代種族人類ことなど気にもかけていないのだ。クーラーは何も奪わず、与えない。熱交換はただの交換でありエントロピーは増大するのみである支配種族に逆らうことに意味はない。彼らは人類に悪意は(あえて言うならば、もちろん好意も)ないのだから

この秘められた事実が露見した場合、僕は反クーラー主義者たちの凶弾に倒れるかもしれない(彼らは長い間義務教育教室にはクーラーを設置させないという差別を行ってきたことに注意すべきだ)。

そこで匿名であるこの場所秘密を残す。

増田諸氏には懸命なる判断を願うものだ。

偉大なるクーラー支配なき君臨に希望をつなぐ。

2017-05-12

左翼(それともはてサの?)の限界

富裕層年寄り優遇するなとか富の再分配しろとかBIを導入しろとか言うけどさ

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337

上記記事コメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ

初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論思想の自由大事だと思ってる。

でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。

ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。

でも、政治的記事へのはてブコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。

たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。

それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?

例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。

そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?

治安悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題主観マターになってしまう気がする。

ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?

最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者ケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。

違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。

その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。

左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないかであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。

個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。

俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。

日本社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉ケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。

治安の悪化については、うん、格差が広がると治安悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本世界的に見て治安トップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?

経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。

何度も言うけれど、俺個人福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義グローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。

さまざまな政治信条の人が暮らす社会自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。

仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブル制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。

なので、「左翼的決断正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本左翼的思想限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話妥協拒否する、傲慢怠惰さなんじゃないかと思う。

今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話テーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。

2017-04-15

戦争になって欲しい人が結構いて引く

10年前、20年前とは明らかに空気感が違う気がする(匿名ネット空間だけ?)。

平和が一番」というような考えは日本人共通認識として存在していたはずだけど、

今では、戦争を望んでいるような好戦的意見も多い。

・あまりにも「戦争」が現実離れしすぎた究極の平和ボケの結果?

・「学校に行かなくて良い」「会社に行かなくて良い」というような非日常への願望?

右傾化により過激意見が増えた(グローバリズムに対する反発)?

・単なるネトウヨ嫌韓朝鮮半島有事が起これば嬉しい)?

戦争革命による資産階級リセット願望?

単なる戯言であれば良いんだけど、過激意見から世論がジワジワと形成されていく事はよくあるから心配ではある。

2017-04-11

たとえ嘘でも〜江戸しぐさとか従軍慰安婦とか〜

江戸しぐさ道徳教科書に載っている。この江戸しぐさというのはざっくり言って嘘だ。そんなもの江戸時代存在したりしなかった。

嘘でも有用な話なんだからいいでしょ?という人もいる。

でもそれはダメなんだよ。嘘は嘘だと言わないと災禍を招く。

例えば従軍慰安婦。これは嘘だった。でも、戦争の『悪さ』を強調するのにはとても有用な作り話だった。

それが今韓国との間でどうなっているのかはご存じの通りだろう。

日本の良さを強調する話だろうと、日本の悪さを強調する話だろうと、嘘なのに本当のこととして教えてしまうのは非常に問題がある。

なぜなら、それは人々の分断を招くからだ。

私たちには社会というものがあり、自分が知っている社会他者が知っている社会がある程度同一のもなのだ、ということを前提に私たちコミュニケーションをとっている。その社会は本当のことをベースに出来上がっていないと、人々の間の社会同一性を阻害する。

社会に対する認識が違う人同士のコミュニケーションは困難だ。このことは、ある種の宗教を信じてしまった人とのコミュニケーションが困難であることからもわかる。

嘘は社会破壊しうるのだ。

我々は今、グローバリズムの波にさらされている。それは国際化というだけの話ではなく、今まで違う社会に生きてきた人々が接触し始めるという話だ。つまり、人々のコミュニケーションベースとなる社会再構成されつつある。

我々は世界中の人々と対話をするために、ファクトベース社会を作っていかねばならないのだ。その社会汎用性を高めるためには、嘘の入る余地など無い。

たとえ嘘でもいい話、などという小さな判断で、これから我々が体験したものよりもさらに大きな社会に出て行く子ども達の未来を閉ざしてはいけない。

2017-04-02

ローカリゼーション回帰

国民国家という水準をグローバリズムは確かに凌駕する。だが、グローバリズムという「環境」を自由に泳ぐことが出来るのは、経済的体力や能力資本を持っている人間だけだ。大半の人間は満足に泳げずに溺れてしまう。溺れた人々がとりあえず掴むモノとしては、ひとまずは国民国家しか用意されていない。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325050724

そういうのを社会学とか政治的には「分断」とか「断裂」って読んでいて、それこそ100年以上まえから様々な議論が行われてきたのだ。

彼らに話を聞いてもらおうと思うなら、まずは信頼関係を取り戻すことが第一で、それもないのに正しさだけ説いたって無意味じゃないだろうかと思う。

しかし、そもそものはなし、信頼関係というもの双方向のものだ。相手に話を聞いてもらうのは、両方の陣営がお互いにしあうべきもののはずだ。そして、話し合い(説得)という関係では、説得のための理屈が強度につながる。

そして現在格差的に上の側にいる層(現実世界に生きていて、収入資産がそれなりにあり、安全で豊かで幸福生活を送っていて、知的教育を受けていて、おおよそリベラル)はその戦場で、相対的に強力な武器を持っている。誤解を恐れずやや露悪的に云うならば、彼らは概ね正しいのだ。今しきりに批判されているグローバリズムですら、そのグローバリズム世界全体の格差は縮小し、餓死者は減り、疫病は随分少なくなった。もうそれだけで倫理的には正義だ(もちろんこれは相当強い表現なので、国内格差とか言い立てる人はいるかもしれないが、それは「一番弱い人を救わずに俺に金をよこせという意味?」という批判に耐えられないのだ)。

そういう状況で「互いに話し合うべき」というのであれば、格差上の側が下をフルボッコ試合終了だ(それがこの40年位の世界の動きだった)。

一方で「下が弱いので、上が一方的理解すべき、一方的に譲歩すべき」では、弱者居直り強盗だ。そんなものに付き合うバカは二種類しかいない。ひとつは付き合うふりしてバカ上前をはねようとする「下流の味方のふりをする上流」であり、もうひとつは後述する「暴力」に対してを憂える人だ。

そもそも、弱者知的訓練の不在の結果「適正な落としどころ」を見つけられないので、「ぱっと見得に見えるけれど実は損」のような強者のつくった商売に騙されて現在がある。税制から携帯の縛り契約ソシャゲまで、全部そんなもんだ。交渉面で弱者というのは、もう「損をする」か「得している気分で損をする」かの二つしかないのだ。それひとつじゃねえかというツッコミもできない。なぜならその二つが本当は「損する」という一種であることを見抜けないというのが、この話の本質からだ。

なので、結局交渉面での弱者は、暴力面で強者カウンターするしかない。革命だ。これまた露悪的に書くが、革命暴力必要なのだ交渉面での弱者強者牽制する方法って本質的にはこれ以外ないからだ。

日本はこの暴力に対する忌避感が強い。暴力良くない!って思ってる。それそのものは悪くないんだけど、それがあんまりにも広がって、自分暴力を奮ってることに気がついてないことさえある。暴力社会的に悪=僕は悪じゃない=暴力は奮ってない、みたいな理屈で。いいやとんでもない。暴力下流武器だし、日本人だって様々な暴力を奮ってる(なんせ一般的生活者権力者富裕層に反抗するためにはそれが必要なのだから)。「経済格差が広がると治安悪化ちゃうよ?」ってネットでよく見る言説なんだけど、あれは「これ以上俺が貧乏になるとお前らの家に火をかけるとか、襲撃して殺すぞ」という脅迫オブラートに包んだ、れっきとした暴力だってことを認識した方がいい。別に暴力からって責めてない。バランスを取るために必要武器からだ。でも、「それを暴力認識しないしたり顔で云う」のは危険から認識すべき、って話だ。

強者の側だって雇度留めとかお祈り手紙とか暴力奮ってるんだから、そういう意味で公平な社会なのだ

「互いに話し合うべき」なのはわかるんだが、それはせめて両者が、そういう自分暴力性に自覚持ってからじゃないとそれこそ話にならない。自分暴力奮ってる自覚のない人間集団結論する平和条約とか、怖くて仕方ないっしょ?

2017-03-15

今の時代自分馬鹿ですと主張すること以外にウヨであることに意味あるのかな?

先進国はどこも差別撤廃してグローバリズム推進する中で、ささいな変化も嫌うロートル保守的自国大事に思う愛国であることなんて意味必要性もなにもないのに。

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