2017-11-12

人は皆それぞれの考え方をもっていると考えること+

人は皆それぞれの考え方をもっていると考えること、これは現代において「原則」だと思っている。

ただこの「原則」には矛盾があって、人は皆それぞれの考え方をもっていると“考えないこと”も、この「原則」に則っていることになる。さらに導出すると自分と異なる考え方をもっている人はこの「原則」に反することになってしまう。

この「原則」を主張する人はその矛盾も含めて個々の考え方を尊重するという選択をしているのだと思っている。そういった人々は自己矛盾―もとい批判をもらった際に確実に反論できないことを承知してそれでもこの「原則」を主張するのだと。

もう一つ、相手立場になって考えるということ、これは原則とまでは言わないけれどできたらよい「道徳」の一つだと思っている。

ステレオタイプにとらわれず―性別とか年齢とか人種とか嗜好とか考え方とかは置いておいて、自分がその人の立場だったらどう思うか、考えるか、うれしいのか、悲しいのか、辛いのか。

この「道徳」を支持する人はある意味わがままだと思っている。相手立場だったら自分ならこう考えるという洞察は、相手のこと―幼少期~現在に至るまでの親子関係、友人関係、その他を含む100%完璧には理解できないのに、断片的な情報のみで相手立場を推察せざるを得ないから。

こういった「原則」とか「道徳」とか思っていることが、時代人種国籍によって受け入れてもらえないことがあるのはわかっている。

今は、グローバリズムは古い考え方だし、国籍や嗜好で他人蔑視したり何かしら理由をつけて誰かを村八分にすることが「正しい」のかもしれない。

でも自分は(できていないことも往々にしてあるけれど)人は皆それぞれの考え方をもっていると考えたいし、とてもわがままなので、相手立場になって考えることができるようになりたいと思う。

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