はてなキーワード: もやもやとは
ドラマ放送中から、伝えたいことがドラマ制作側に一向に伝わらないことに大変疲弊しておられた様子。
最終回近くの脚本を作成することになったが、おそらくは作業時間不足や不慣れな作業であったためにご自分として十分に納得いくものにならなかった、クリエイターだからこその後悔もあったかと推察する。
そして脚本家の、まるで原作者の我儘で脚本を取り上げられたと言わんばかりのSNS投稿。これを先生が目にされたからかは分からないが、先生はこれまでの経緯をSNSで丁寧にご説明になった。
こういう経緯があったのだと。疲労や後悔もここに盛り込んだ。それは当然だろう。
すると、おそらく先生ご自身の予想より激しい火力で燃え上がった。
作品から伝わる先生はとても繊細に人の心の動きを拾い上げ、それを丁寧に言葉や絵や演出で表すことに長けてらっしゃった。
だからこそ言葉を尽くして現状を説明することを選ばれたのだと思う。
言葉を尽くすことで、きっと原作読者・ドラマ視聴者に届くと信じて。
それが暴力的な勢いになったことが、怖ろしく悲しく思われたんじゃないか。
今回の原作者自殺の件で、めちゃくちゃもやもやするのは、勝手に自殺した原作者の言葉を代弁する奴らな。
自殺する前からそうだけど、原作者がかわいそうだとか言いながら、原作者が求めてもいない他人への攻撃を始める。
原作者を死に追いやったのは、正直こいつらが原因だと思うよ。
自分の発言が原因で誰かが追い込まれたら、そりゃあ正直で真面目な人間は自分を責めるに決まってる。
自分の発言が他人の暴力の肯定に使われてるのを見て、責任を感じない人間なんていないだろ。
「原作者が可哀想」「原作者に謝ってください」「Adoに釣り合ってない」
はぁ?!
お前誰様だよ。
そういう言葉を使う人間に限って、自分は悪くない、相手のためにやったんだとか言い始める。
他人を攻撃する自分を正当化したいから、他人を勝手に利用したんですよね?
それで原作者が自殺したら、今度はその自殺まで利用して他人を攻撃し始める。
「ショックです」「傷つきました」「謝罪してほしい」
下むいて歩いてて電信柱にぶつかって、「傷ついたので謝罪してください」って電信柱作った人に文句言ってるようなもんだから。
それが言えちゃうSNSが良くないってことは百も承知だけどさ、お気持ちヤクザが多すぎるよ。
自分は増田でも何回も炎上してるので、はてなにもそういう卑怯な奴らが沢山いることは知ってる。
そういう奴らは決まって、「自分はいいけど社会が許さない」とか言ってくるんだよ。
ちがうだろ。お前がどう思うかをかけよ。何ちゃっかりちょっとだけ逃げ道作ってるんだよ。
いじめっ子よりも、いじめっこに正義を与えてけしかける周囲の方が卑怯で醜悪なことを。
事があった途端に他人事のように目をそらすんじゃなくて、自分の批判がこの人の命を奪ったかもしれないって少しくらい責任を感じてくれ。
原作者の死は原作者のものであって、勝手にお前らの暴力の肯定に使うな。
まずはそっと寄り添うことがなんで出来ないかな。
それで二度と同じ過ちを繰り返さないために、これ以上誰も傷つかないためにどうして冷静な話し合いができないかな。
なんで人が死んだ瞬間に吹き上がって、あっちこっちに喚き散らしてんの?
自分の間違いを認めたくないから、他人に間違いを押し付けてるだけなんだろ?
バレてんだよ。
それも出来ないで評論家を気取るな。無自覚な暴力を垂れ流すな。
過去の経験からお前らには理屈が通らないことを理解しているから、自らの身を守るためにこうするしかないだけのことだ。
当然発言した責任はあるから、これが誰かを傷つけて訴訟になるっていうなら表には出るよ。
もちろんそうならないようにバカなことは書かないように注意してるけどな。
他人の言葉を勝手に代弁しないで、自分の言葉で文句を言ってくれ。
法律として正しいとされているものを、自分のお気持ちで勝手に違法にしないでくれ。
怒りで拳を振り上げる前に、悲しみを誰かのせいに押し付ける前に、まずは自分の行動を振り返ろう。
自殺を止めるために何が出来たのか、何が出来なかったのかを考えようよ。
はてなユーザーのできるところ見せていこうぜ。
昨年、iPhoneの画面の調子が悪く、だんだんと見えにくくなってあまりにも使いづらくなったため、機種変更することにした。①家族割で一括で支払っているものを個別の支払いに変更してもらいたかったこと、②キャリアから格安SIMに変更できるのかなど、自分があまりにも疎くオンラインでの手続きで不安があったのでキャリアの販売店を訪れた。
まず、時間を予約していたけど、30分以上待った。販売店の担当の人にiPhoneの画面を見てもらい、この状態では使い続けられないため、機種変更したいことと上記の①と②について伝えた。どちらもできるとのことだった。
まだ機種代を払い終えていないため、下取りに出した方が良いと言われたので従った。
また販売店の人から、格安SIMのオンラインサイトでは在庫があったiPhoneの機種について、販売店では在庫がなく、またいつ在庫が戻るかわからない、と伝えられた。在庫があったオンラインサイトで自分で契約しようかな…と考えていたところ、似たような価格帯のAndroid機種を勧められた。よく知らない機種なので悩み、デメリットを聞くと「ない」と答えられた。今のiPhoneは本当に画面が見えにくく、できれば早く新しいスマホが欲しかったため、悩んだ末にAndroidへの機種変更を決めた。①と②の手続きもしてもらった。
データ移行について、販売店の人に手続きをしてもらったけれど、個人情報と写真のみでアプリが全く移行されておらず、自分で手作業でおこなった。(丸2日ほどかかった)アプリを移行するかについては聞かれなかったし、こちらが全部やるとも言われなかったので、うそを言われているわけではないけど手作業はとても疲れた。
以前の機種の下取りについては、郵送したものの、先方から液晶の不具合のため下取りはできないと返品されてしまった。結局、下取りされなかった機種の代金も払っている。販売店の人に画面を見て確認してもらった上で「下取りを」と勧められた。
そして①の支払いについても、個別の支払いではなく、家族割の一括支払いのままになっている。
自分が情弱なんだと思うけど、下取りと支払い方法の変更については納得できないというか、もやもやしている。自分はどうしたらよかったのかなと思っている。支払い方法の変更だけでも早くしたいのだけれど、また同じ販売店に行くのは気が引ける。どうしようかな。
自分で描いた二次創作を頒布することは、ガイドラインが出てるか、権利者が個別に認識した上で口頭や文面で許可を出してないうちは著作権侵害にあたるのだろうか。
でも公共の施設を借りて二次創作の小さなイベントをするにしても、市や県に計画を提出して開催していて
(中には即売会NGの会場もあるぐらい、内容はしっかり審査される)
それで、「OK」が出てるのが同人誌即売会だということらしい。
他人の二次創作を追認する人も多いから、二次創作をすること自体は悪ではないって論理なのだろうか。車の運転をしてれば自分にそのつもりがなくても運転過失致死に問われることをしてしまい得るけど、そういう、犯罪を起こしうる、そして被害者を出しうるからその行為は悪だって論理だと、車を運転すること自体が責められる対象になる。これはあまりにも現実と乖離している。
同じように、二次創作はそれを知ったら被害届出す人もいるかもしれないけど、多くの人は追認するから、それをすること自体は悪ではないってことなんだろうか。
親告罪だから、訴えられない限り罰せられないから訴えられるまで構成要件を満たしていても悪ではないという論理だと、殺人でさえ、バレずに行う分には訴えられておらず罰せられていないのだから悪ではないというおかしな三段論法?になってしまうわけで、よくわからない
自分は自分のなかの他人の反応に関する経験と常識で、殺人は悪いことと思うが、二次創作についいてはよくわからないけど、悪だと思ってない人も多く賛否両論だから、ソクラテスのように善く生きたいので、(悪)法を犯すことにならない自信がないので自分が二次創作しようとは思わないけど、他人に干渉して、法を根拠に未許可二次創作を悪とする倫理観を押し付けるほどにもなれなくて、もやもやする。
大会の優勝者なんてレギュレーションに沿っていればいいわけで、ウクライナ・ルーツの人であっても構わないんだけど、その反応とかでいくつかもやもやすることがあったので。
日本人より日本人らしいとか日本の心がとか伝統文化がなんちゃらかんちゃらとかみたいな理由でこの決定を擁護する人たちがワラワラ出てきたけど、それもナショナリズムの一形態であってだな、俺には批判対象と同じ穴の狢にしか見えない。
WBCでヌートバーに熱狂しといてからに、これを批判するのはおかしいという意見。そもそも彼らはヌートバーに対しても批判していたかもしれんやんけというのはさておき、スポーツとミスコンは違うよ。ミスコンは美を判断基準としたもの。モンゴロイドよりコーカソイドのほうが美しいという差別的な考えが底にあるから、これだけモンゴロイドが多い日本で、コーカソイド純度の高そうな人が選ばれたんちゃうの。モンゴロイドでもミスコンに勝てるのは、背が高くて手足が長く骨太で鼻筋通って目が大きくてみたいなコーカソイド寄りのほうが有利でしょ。ミスコンの根底にある人種差別(民族差別ではなく)が無意識に出てしまっているように思える。
ウクライナ・ルーツというのがかなり有利に働いたんじゃないかと思われる。というのもいまさらミスコンでもあるまいにという時代状況の中で、審査に政治的・社会的メッセージを込めたりするから。ミスコンとかアートとかにそんなの込めなくていいから。
いまだにミスコンなんてやってんのという批判が少なかったのにはびっくりした。未婚女性品評会。さて優勝者はどなたがお買い上げになるんですかね。
追記2024/1/29
沢山の反応いただきありがとうございます。
少しだけ追記、父は医者なので学会というのは医師会が行っているものです。宗教と捉えられている方が多かったので…
皆さんがおっしゃる通り、人にはいろいろな面があると思います。
個人的には私を大切にしてくれてる人が同時に、私の大好きな母を傷つけるような行動をしていたとしたらやはり許せないなと思います。
浮気することと娘を愛することは別、というのは流石に都合がよすぎるなと思ってしまいます。された側はそれならいいかとは思いません。
父の男尊女卑的な発言は私も不快です。あなたがバカ女っていう人も誰かの大事な娘だよと言いましたがモゴモゴしていました。嫌な気分にさせてしまった方すみません。
あれからは普通に過ごしています。いつもの優しい父です。優しいことに少し泣きそうになります。誤解だと思いたくて、不安で、いろんな感情が混ざってもやもやします。
言ってしまえば全部壊れそうで言えません。弱くてすみません。母にも言えません。臭い物に蓋をして、それをそのまま机の中にしまって鍵をかけた気持ちです。
以下本文
多分お父さん浮気してる
今ママが妹の大学受験で2週間くらいいないんだけど、なんかもやもやする日が多い
普段歩いて10分のコンビニにも車で行くのに、昨日の学会には歩いて行ったんだね
雪も降ってるのに、歩いたんだね
なんか変だなって思った時のカンて当たるよね。
母のように慕っているままの親友
最悪のシナリオが頭に浮かんでいる
私が病院に行くために外出するとき、男でも作ってるんじゃないのかってママに言ってたみたいだけど
私はママが大好きだ。パパも好き。
でも父親のご飯の用意をしながら、この人は誰なんだろうと思う。
愛がある家庭を築くことが最高の幸せと言った人
毎年海外旅行に連れて行ってくれる人
息子に、馬鹿な女で遊べと言った人
知ることが怖い。でもままが馬鹿にされるのは許せない。
最近パルワールドという国産ゲームがリリースされ、世界的にも記録的な売上や同接を達成してすごいらしい
しかしSNSやゲームのレビューを見ると、どうも既存のゲームのそれっぽさを節操なく取り入れてるようだ
それがどうも取り入れ元のゲームに対するリスペクトに欠けてるようだという意見がいくつか目に入る
実際に流れてくる動画や画像を見てもエルデンリングっぽい場所やポケモンっぽいキャラクターなど、たしかに ん? と思うところが多かった
こうなってくると、このゲームがとても売れているという話は心穏やかなものではなくなってきた
その大好きなゲームの開発者たちはパルワールドを見てどう思うだろうか
その開発者たちは自分が作ったゲームよりも記録的なセールスを生み出されてモチベーション等に悪い影響がないだろうか
そんな心配がぐるぐる頭を駆け巡る
パルワールド開発会社へのインタビュー記事で、法務のチェックを通ったから大丈夫とあるが、実際に大丈夫なんだと思う
だからこそ元にされた開発会社は思うところがあっても法的に怒れないし、道義的に怒るのはユーザのはずなのに、早くも大人気ゲームになってしまった
ゲーム情報サイトも好意的な、すごいすごいというポジティブさを感じる記事を出してる
そして人気に水を指すような自分の気持ちが間違ってるのではと思えてくる
ここまで書いたが、パルワールドは本当にリスペクトを欠いているゲームなのかはゲームをプレイしていないのでわからない
しかしリスペクトが欠けていることを確かめるためにゲームをプレイするのは楽しくないし、実際にリスペクトが欠けていた場合、自分も売上に貢献することになってしまうと思いプレイできないでいる
でもいろんなことを考えるとプレイしたいと思わなくなってしまった
そして人気にならないでほしいとまで思ってしまった
実は一番最初は女ではじめて5時間くらいプレイしたけど、男側の話わかってないとイミフなとこが多くてイライラしたから、
男でやりなおしたんだよね
結果、正解だった
どっち選ぶかで全然違う話になるならまだしも、
ふつうのゲームなら場面切り替えてもう一方のイベントも見せるのに、それを出し渋ってるだけって感じ
それがサブ的なものならまだしも、メインにがっつりかかわるイベントを隠されて詳細わかんないからすげーもやもやするんだよなあ
それがSOだろって言われるとそうなのかもだけど
それは悪しき過去だと考えて改めるべきだったと思うわ
惑星に不時着してそこで二国間あらそっててそれ解決までもってくのは3と同じ流れ
棒立ちのキャラが話すのを見るとか、プレイヤーなんも楽しくねえわ
2国間戦争まではイベントは簡潔で、おっ反省したんだなって思ったのにやっぱだめだったわこいつ
ただファストトラベルあって快適ではあった
3のときみたいに全体マップをオーバーレイ表示したままキャラ動かせるようにしろよ
むだにマップ広いのにミニマップがズームしすぎてて今どこにいんのか全然わかんないから結局全体マップを何度も開くことになる
高低差もわかんねーから、マップ上だと宝箱が表示されてる位置に立ってるのに宝箱がない、みたいなのはしょっちゅう
あとメニュー画面も劣悪
さんざん言われてるけど他の人にも
スキル習得マップもスフィア版もといDQ11みたいな隣接タイルをあけてく感じだけど、
こっちが望んでんのは2みたいに自由にどこでもやれるやつなんだよ
ICが売りのはずなのにそれをさせねえゲームにすんじゃねえよマジで
バトル
エフェクトだけ派手で何やってるのかどうなってるのかわからんこと多数
爽快感がない
ターゲッティングも相変わらずクソで目の前の敵にただ攻撃したいのにあさっての方向向いて遠くの敵攻撃しようとするし
思うようにそうさできない、期待するリアクションがないってのはアクションもどきをやってるゲームだと致命的だよ
口しかうごかねー無表情とps2時代のモーションかってくらいゴミなモーション
評判ほどおもろくねーしクソだったわ
5より多少マシだったけど、絶対評価だとクソだわ
これは界隈全体に向けてとかではなく本当に超個人的に感じている、自分が身を置いているTRPGコミュニティーに対する愚痴を吐露しているだけなので、あしからず。
自分はTRPG、特にクトゥルフ神話TRPG(略称CoC)を嗜んでおり、特に仲のいい人とほぼ固定で卓を囲むいわゆる身内と遊ぶスタイルでプレイしている。固定と言ってもコミュニティ内での固定であり、ある程度のメンバー変わりなどはある。
その中でも特に付き合いが長い人が2人がいるのだが、その2人がまあ愚痴の対象なのである。ここではAさんとBさんと表記させてもらう。
Aさんとは創作がきっかけで出会った仲で、もう6~7年ほどの付き合いになる。お互いの趣味も合う気兼ねなく付き合える友人だ。
BさんはそんなAさんから紹介されて知り合った人で、Bさんとも知り合ってかれこれ4年はたつ。気さくな人で、気軽に話せる人だ。
さて、そんな友人2人に対して何が不満なのか。簡単に言ってしまえば、2人だけの世界に入って除け者にされているように感じてしまうことだ。
まず、AさんとBさんは多く同卓しているのに、私との同卓は少なく、話に入り込める隙がない点だ。これは、日程なども絡んでくるため仕方がないかもしれないが、私とも、行こうと約束しているシナリオがあるのに、先に他の卓に行く予定が決まってしまって、なかなかKP探しや日程調整にまでこぎつけないのだ。しかも、じゃあ空いてる時に誘おうと思っても、どんどん卓予定が立っていて割り込める隙がない。これじゃ同卓できないのも仕方ないというものだ。
次は、上に関連することでもあるのだが、Bさんが毎回卓に誘うのがAさんだけで、私は全く誘われないのである。まあ、わかるのだ。一緒に行きたい人はいる。だが、Bさんは何をするにもAさんの名前を出し必ずだすため、2PLシナリオならABさん、他に人数が必要なら+で他の方のようになる。それならその時に私も入れてと言えばいいのだが、もうBさんがこの人とこの人と行くと決めていて、声をかけても入れない。私も個別でAさんやBさんを誘うことがあるが、その場合は必ずと言っていいほど、片方も一緒にいる。
これで、もやもやしない方が無理ではなかろうか。BさんがSNSやメッセージツールなどで「このシナリオ行きたい、Aさん!」と声をかけるのを見るた度に、不満感というか、扱いの差を感じてドラミング不可避なのだ。
なによりBさんは、自分の通過したシナリオにAさんを同じHOで連れていきたがるのだ。そうして、そのHOしかわからない秘匿の話を2人だけでし始める。通過後は確かに見れるかもしれないが、その間2人だけで盛りあがって相方の自分の心はどんどんと冷めていくのを感じてしまう。自分と同じ体験をして欲しい、楽しんで欲しいと思っているだけなのだろうが、あまりにも続くとこっちも穿った考えでことを眺めてしまう。
他にも、Bさんを2PLに誘ったら、「いま色々シナリオ手を繋いでて管理しきれないから保留で」と言われたことがあるのだが、そのすぐ後にSNSで「これいこうよAさん!」と声をかけるのを見た事があり、シンプルに傷ついた。
もう多分遠回しな拒否なんだろうなと思ってそれ以来Bさんを2PLに誘うのはやめている。
AさんBさんと同卓するの、必ずと言っていいほどBさんはAさんにしか話題を振らない。これはKPをするもきもそうで、私のPCについてなにか言及することはかなり少ない。
ここまでくると私の性格が捻じ曲がっていて、普通に拒否したいだけなのかもとも感じているし、そんな不満があるならブロックしろよという話なのだが、私は2人と遊ぶのは好きだし、友人関係は続けていきたい、何より共通の知り合いが多すぎる問題もある。
CoCって知ってる? めっちゃ流行ってるやつ。TRPGのひとつで主に1d100をふって生きたりしんだりするゲーム。
私も遊んでるんだけどさ、うちよそっていう遊び方があんだわ。いわゆる自分のキャラクターと相手のキャラクターでいちゃこくやつ。人によってはなりきりチャットとか言って嫌がってる人もいるよね。私は楽しく遊ばせてもらってる方だけど、よくトラブルとかも聞くし、まあ難儀な遊びなんだなという認識は常にある。
うちよそという遊び方に限らずだが、よく学級会まで開かれてしまって、人口が多いとそらそーなるわな、みたいな荒れ具合は肌身で感じつつ界隈の隅っこでちまちまやっとるわ、という感じなんだが。
うちよそ、について、なんかずっともやもやしてることがあって、最近判明したので吐露させてくれや。
あのな、うちよそ、怖いわ。
ちょっと考えてみてほしいんだが、たとえば恋人、それに拘らずなにかしら愛している人、家族、友人、みたいな濃ゆい関係値のペアをバンバンバンバンうみだして、ロールプレイというコミュニケーションを介してさらに関係を深めていくこのクソデカ感情のやり取りを、「ゲーム」としてやってんのよ。
みたいに思うじゃん。
な、なんか、違うんだよ。うちよそって。
いやね、すごく例えばの話よ。どれがどう、とか特定のものを言ってるわけじゃなくてな。
わたしのキャラクターの為に人殺してみたり、わたしのキャラクターを思うあまり実は死んでいた!とかいう展開があったり、わたしのキャラクターのためを思って、とか、なんか、なんかな。そういうやつ。そういうやつがあまりに多いんよ。シナリオがさ、もう、「うちの子を好きになれよ!」という圧しがつよいわけ。いやそれはいいよ、そんなんなくてもお前のこと好きにはなれるけどよ(つよがり)、それが主軸ならいいよ、遊んで楽しませてもらっとるからな。
つまり、お互いが好きにならなきゃヤバいくらいの、デッケー感情とか、相互理解とかが、そもシナリオとして存在してんの。
そしてたまに人死んでんの。そのうえでいちゃこいたりしてんの。
でもやっぱ、これはさ、こわくねえか?
こんなに感情をかき乱されて、必死になって、うわ〜!大変だぜ〜!お前がすきだ〜!って頭が可笑しくなるペアを、何組と軽率に生み出すんよ。
で、たまに「PL(プレイヤー)とPC(プレイキャラクター)は別なんだから、たとえばPC同士がうちよそでもPLには入れ混まないようにね」という意見をみるんだけども。
いや、わ、わかる。凄くわかるよ、真っ当だぜ、その意見。いや、あのな、でもな。
それにしては、普通の友人、知人、一般的な人間関係とは一線を画す、いや一線どころじゃないな、えっと、何千線を画すくらいの、濃密で激しい感情のやり取りが多すぎんだわ!?っていう。
ほんまにそれ、ゲームという枠で片付けていい感情と題材ですか!?っていう。多いんよ、すごく、そういうのが。
当たり前だな。当たり前だろ?
だからさ、キャラクターがとった一挙一動、プレイヤーがそうしたいと少なからず思ったor解釈したってことじゃん。そんなんさ、キャラクターの向こう側にいるおまえのことも、気になるよ。何でそうしたんだよって思うよ。たぶん、コミュニケーションが好きなら。
うちよそ、楽しいよ。
創作するのがすきなひととなにかを育むの、かなりいい経験だからさ。でもさ、感情がでかすぎんのよ。
ちょっとした人形遊びの域をやや超えてんのよ、全体的に。みんな狂っちゃってんじゃねーのかなってたまに思うレベルの感情のやりとりが日常茶飯事でよ。
それに集中して、息切らして胸おさえてたらよ、うちよそ組んでる相手のプレイヤーは別の人とまたバカデケー感情のやりとりをするためのうちよそを何組も組み始めてんのよ。
うちよそ、楽しいよ。
私もそうだったもん。でもよ、やっぱたまに、モヤッとしてたんだよ。常に上位互換のうちよそを生み出そうとしてたりすんのかな、とかさ。
あ、また、あのうちよそシナリオ回してる。私にも回してくれたやつだ。私のは微妙だったんかな、とかさ。たまにモヤってたんよ。
その理由がつまり上記に起因してて。結果的に、うちよそ、怖!!ってわけ。
それ以来大量にうちよそを組むことをやめた。
ほんでほかの人のうちよその話も聞くのやめた。
わたしはよ、デッケー感情に振り回されてよ、心がめちゃくちゃになっちまうんだわ。ゲームで留めるには危ういレベルの感情のやりとりをしすぎなんだと思っちまったんだわ。でもみんなは全然よゆーらしいんだわ。うちよそたくさん、作るらしいんだわ。そんでまた、激しい感情のやりとりをゲームという枠でやり続けるんだわ。
たぶんもうゲームじゃないよな、あれな。
でもたぶんこれ少数派の意見なんよ。
メンザコの独白よ。
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
2023年末の紅白は若者に人気のアーティストの比率が高かった。
そんなこともあってか、司会を務めた有吉は「おじさんにもわかるように説明してください」など、自分がおじさんであるという発言を複数回行っていた。
世間では、自分に対して下げる発言をすることはある程度許容されている。(例:「私若くないんで」「運動オンチなんで」)
今回の有吉の発言も自分に対してのものだからいいじゃないかと思うかもしれないが、おじさんはいじっても良い対象なんだ、おじさんはいじっても良い対象だとテレビで放映しても良いのだという空気感を感じてそれを少し不快に感じてしまった。
最近世間ではダイバーシティへの意識も高まっていて、特定の属性への差別は良くないよねという社会的合意が形成されつつある。
特に今までテレビなどでネタにされていた女性への容姿いじり・年齢いじりなどはかなり減ってきていると思う。
仮に女性タレントが自分に対して「おばさん」「ブス」などと発言した場合、自分に対する発言だとしても多少炎上するのではないかと思う。
それが、おじさんについては許容されているような空気を感じてもやもやしてしまった。
自分が特定のアーティストなどを知らない場合、「私は分からない・知らない。初めての人にもわかるように説明してください」で良いのではないか。
(Facebookに投稿したものを転記しました。よかったら読んでください)
羽田空港での日本航空機と海上保安庁機の衝突事故ですが、事故の調査と捜査が始まりました。
それで、今わかっていることをまとめておこうと思います。
長文になりますが、本論に入る前に4つ説明したいことがあります。
前説明①
目的② 事故の責任を明らかにし、違法行為があれば刑事事件として立件する
①の調査は国土交通省の運輸安全委員会が担当し、②の捜査は警察(今回は警視庁)が担当します。
みなさんはどちらの調査・捜査の方が重要とお考えになりますか?
私は①と考えていますので、この投稿は再発防止の観点中心に記述しています。私は誰が悪かったのかという責任論にはほとんど関心がありませんし、(故意でない限り)関係者全員刑事免責でいいと思っています。今回の事故では、日本航空も海上保安庁も被害者に対する民事的責任のみ果たせばいいと考えています。
前説明②
滑走路での衝突事故は、世界的にみると頻繁とまではいいませんが時々起こっています。原因はヒューマンエラーが中心です。
航空事故にはならなくても、事故になる危険が高かった事態をインシデントと言いますが、日本で起こった重大インシデントのうち、かなりの割合が滑走路への誤進入(未然も含む)です。
日本での重大インシデントは国土交通省が全件公表していますが、2023年は14件中3件、2022年は14件中6件がそうでした。特に私たちが乗る可能性が高い旅客機(小型飛行機やヘリを除いた飛行機)だと2022、23年とも2件の重大インシデントが発生しそのうち1件が該当インシデントでした。
事故にはならなくても滑走路への誤進入(未然も含む)という事態は繰り返し起こり続けています。ヒューマンエラーはなくせないということです。
前説明③
羽田空港に限らず飛行機の航路や使われる滑走路などは厳密に定められており公開されています。
今回の事故は北風運用時のC滑走路上で17:47ごろ発生しました。
北風運用の場合、A滑走路を(主に南/西からの便の)着陸、D滑走路を(主に南/西行の便の)離陸、C滑走路を(主に北方面と長距離便の)離発着に使います。
C滑走路は離発着両方で使われますし、C滑走路への着陸経路は、D滑走路の離陸経路と交差しています。
羽田空港の場合、北米方面への便が離発着する15~19時が離発着ラッシュとなります。
事故は、羽田空港の一番忙しい時間帯に、運用が複雑な滑走路上で、日没して既に真っ暗になった時に起こりました。
前説明④
飛行場管制には、離陸や着陸、滑走路横断などの許可を出す飛行場管制(タワーコントロール)と、飛行機や車両が地上走行する許可を出す地上管制(グランドコントロール)の2つがあります。
本論で、(タワー)とか(グランド)とか書いていますが、それはどちらの管制が指示したのか明示したかったのでそのように記述しています。
前置きが長くなりましたが、今までわかっていることを9つ列挙します。
列挙にあたっては、( )内に次の略号をつけていますが、列挙した事柄をどこから収集したかを示しています。
(1)
ILS Z RWY34R Approachという経路を通っているように思います。着陸まで特に目立つ異変はありません。(F)
(2)
羽田の管制と海保機、JAL機へのやり取りがこの事故原因解明の重要ポイントであることは間違いなさそうです。
各種報道もありますが、鵜呑みにせず、やり取りについて自力で追ってみます。(ネA)
この情報は、特に次の2つの投稿を参考にしています。なお時刻については、1~2秒のずれはあります。
https://www.youtube.com/watch?v=LP1xWcyKBDs
この投稿を基準にして他の投稿等と突き合わせして確認しました。
https://www.youtube.com/watch?v=D8FHnIRwe_M
グランドとの交信があります。わかりやすいのですが一部私の解釈と違う部分もあります。
17:42:29 JA722A, Tokyo Ground Hold short charlie.
17:43:11 Japan Air 516, Continue approach 34R.
(タワーからJAL機へ:34R滑走路へ進入を継続してください)
17:44:13 JA722A, Continue charlie.
17:44:53 JA722A, Contact Tower 124.35.
(グランドから海保機へ:周波数124.35でタワーへコンタクトしてください)
17:45:00 Cleard to land 34R Japan Air 516.
(JAL機からタワーへ:34R滑走路は着陸に支障ありません)
この直前にタワーからJAL機へ着陸許可が出ているはずですが、LiveATCには残っていないようです。
17:45:13 JA722A, Tokyo Tower Good Evening number 1 taxi to holding point charlie 5.
(タワーから海保機へ:JA722A、東京タワーです。こんばんは。ナンバー1(離陸順1位)です。C5地点へ移動し停止してください)
この後のタワーと海保機、JAL機の交信は私が探した範囲では残っていませんでした。
(3)
交信記録については、国土交通省が日本語訳したものを公表したという報道があります。(報)
それによると、17:45:13の交信の後、「滑走路停止位置 C5に向かいます。1番目。ありがとう。」と海保機から返答があったということなのですが、ライブやアーカイブでこの交信を聞いたという人は、私が探した限りいません。私が聞いたアーカイブにもありません。
国土交通省はせっかくATCを公開したのだから、日本語訳だけでなく原文を公開してほしいと思います。
この部分は、海保機がどのような認識をもっていたか理解するうえでとても重要だと思います。
(4)
この後、タワーから海保機に対して、滑走路進入許可(Line up)が行われた交信は見つかりませんでした。(報ネA)
タワーは滑走路進入許可も更にその先の離陸許可(Cleared for takeoff)も行っていないと報道されていますが、信憑性は高いと思います。
一方、海保機側は、滑走路進入許可を得たと認識しているという報道がありました。(報)
事実、滑走路に進入し、そこで待機していたため衝突事故は起こったわけですから、タワーと海保機側で認識の相違があったのはほぼ確からしいと思います。
この部分は推測ですが、ナンバー1(離陸順1位)という表現を誤解したのではないかという指摘があります。(報ネ)
一方、2010年までは「taxi into position and hold (from charlie 5)」という指示が使われていました。この意味は「(C5地点から)滑走路に入り待機せよ」となりますが、これと「taxi to holding point charlie 5」を混同したのではないかと推測する意見もありました。(ネ)
いずれにせよ、なぜタワーと海保機との間に認識相違ができたのかという点はもっと調査が進まないとわからないと思われます。
(5)
海保機は、C滑走路に進入しそこで40秒ほど待機していました。(報ネ)
その間、離陸許可を待っていたと考えられますが、離陸許可を得ようとする交信があったかどうかは明らかになっていません。
また、JAL機にはパイロット3名体制だったと報じられていますが、3名とも滑走路に進入した海保機を視認できていませんでした。
既に夜になっている状況で、多数の灯火が光っている滑走路に、わずかな灯火した持たない航空機が進入しても視認は難しいだろうとは思いますが、検証する必要はありそうです。
(6)
羽田空港には、着陸機が接近する滑走路に別の機体が進入した場合、管制画面に注意喚起をする機能が備わっていました。(報)
もしこの機能が正常に動作していたのであれば、タワーはなぜ海保機の滑走路誤進入に気づけなかったのかという疑問が残ります。
(7)
滑走路に進入しようとする飛行機に誤進入を警告する航空機接近警告灯(REL)というシステムがありますが、羽田空港には導入されていません。(ネ)
代わりに、羽田空港には可変表示型誘導案内灯(VMS)が設置されていますが、C滑走路には設置されていないという情報があります。(ネ)(これはまだ確認できていません。すみません)
両方とも滑走路を横断する飛行機に対する警告を発する灯火システムなので、滑走路横断のないC滑走路には設置する考えがなかったかもしれませんが、離陸着陸の混合運用を行う滑走路についても、警告システムを導入すべきなのではないか、少なくとも検討は行う必要はあるのではないでしょうか。
さらに、先進型地上走行誘導管制システム(A-SMGCS)の研究を促進し、将来的に滑走路誤進入が生じにくいシステムを導入してほしいと思います。
(8)
1/1には羽田と新潟基地の間を4往復、事故の起こった1/2も2往復しています。(報ネF)
もし能登地震が起こっていなかったら、この事故もきっと起こっていなかったでしょう。
犠牲となった乗員のご冥福をお祈りします。
(9)
JAL機の乗客乗員379人、一人も死者を出さずに脱出できたことは奇跡的と思います。(報ネ)
まずは、JALの乗員がしっかりと訓練していたことは賞賛に値すると思います。
・後部ではパイロットとの通信が途絶え、CA自らが判断して扉を開けたこと
・パイロットは最後まで機内に留まり、全員が脱出したことを確認してから降機したこと
また乗客もパニックにならず荷物を取り出すことなく整然と脱出したことも、賞賛に値すると思います。
JAL機側に死者がでなかったことは、本当に不幸中の幸いでした。
ちまたには、海保機を犯人と決めつけ、責任を問う声も上がっているようですが、航空機事故が生じるのはそんな単純な原因ではなく、さまざまな不運が積み重なって起こるということをわかってもらえればと思います。
私は、誕生から幼稚園に入るまで、大分の大空団地(おおぞらだんち)という旧大分空港に隣接した団地で育ちました。
毎日飛行機の離発着を見ていました。飛行機を見るのが大好きでしたし、今でも大好きです。
航空機事故はとてもインパクトの強いものですが、それでも他の乗り物に比べれば安全な乗り物と思います。
そしてその安全は、航空関係者の努力のたまものと思っています。
そんなわけで、ちまたの単純な犯人捜しの声にはとても心を痛めています。
最後に、私は専門家ではないので、できるだけきちんと調査し、正確に記述するように努めましたが、もし誤った認識等があればご指摘ください。
昨日のJALと海保の飛行機衝突事故の話で、母親が「みんな助かって本当に良かったわね〜」と言うたびにもやもやする。
だってみんなは助かってなくて、海保側ほぼみんな助からなかった。モノの被害もあるし全然良くない。
でもまああの状態でJALの乗客乗員が全員避難できたのはたしかに奇跡的で、助かった人が大勢いたのは良かった。彼らの生還を喜ばなかったり、彼らの行動を讃えなかったりしたいわけでは全然ない。
良かったわねぇ〜とお気楽にいえる状況とは思えないときに呑気にされるのが、状況見えてない感じでいらつく。それくらいでいらつくあたり自分がストレス感じてることも自覚してしまって更にムカつく。自分は被災者でも被害者でもないのに。
「正しさ」に脳みそ乗っ取られて、自分の気持ちベースの会話とかできなさそう。
友人との雑談で「Adoの〇〇って曲が良くてさ~」と言われたとき、別に「自分Ado苦手なんだよね~」と言える関係性は普通にあり得ると思うのだが(そしてその上で「なんか言いづらい風潮」を感じてもやもやすることもあると思うのだが)、
どうもブクマカはその手の個別具体の人間関係性への想像力が希薄すぎることが多いように感じる。
全部「“正しさ”に基づくコミュニケーションであれば〇〇すべきである/すべきではない」っていう、すごいフラットというか“他人”相手のコミュニケーションを勝手に前提にしてクソコメつけてくるというか。