「ぼんやり」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ぼんやりとは

2021-01-13

anond:20210113161135

おっさんぼんやりした口語での指示を上手く解釈してよしなにやってくれるAIがあるわけでもないし

そんなの開発されるまであと100年はかかるんだけど

元V豚杞憂民の頭が致命的に悪くて吐き気がする

https://anond.hatelabo.jp/20210113000118

出演者ファンが観れば楽しめるかもしれないけど、初見視聴者にはイマイチ興味が持てない。結局内輪向けの番組

逆だよ逆!

Vという存在がいることは知ってるけど敬遠してる層に向けての入り口なんだよ、これは!

にじホロのVはライブ配信本丸。だけど一見さんには敷居が高い。だから切り抜き動画が隆盛を極めて切り抜き→V本体ライブ配信動画にたどり着くという導線が存在する。

しかしVも増え、切り抜き動画も膨大になり、なんか盛り上がってるけどついていけないから見ないという層との隔絶はだんだん大きくなってる。だからこそそれを突き崩すために万人が見やすフォーマットを使って、一度に多くのVが見られる環境を作って、顔と名前を覚えてもらう入り口を作った。それが地上波バラエティ模倣番組なんだよ。

にじさんじとホロライブとの比較で言えば、にじさんじ男性受けする男性ライバーが多いことからも明らかなように、ライバーの層がバラエティに富んでる。だからホロライブENの成功を受けて海外進出を焦るのではなく、まずそのバラエティに富んでる点を活かして箱全体で新規層を取りに行く戦略は完全に正しい。ホロライブ海外人気はredditを中心としたmemeの流行する環境に支えられてる面が大きく、一朝一夕で追いつけるものではないし、ここまでホロライブスタンダードになると参入そのものが無理な気さえする。だからこそ次の一手地上波バラエティ模倣番組なんだよ!

こんなもん外からぼんやり見てる人間でも分かる構造なのにそれを「内輪向けの番組」とかどんだけ杞憂民の頭は残念なんだよ! ここ数日元V豚の手によると思しきお気持ち文が増田に上がってるけど、ほんとどれもこれも頭が悪すぎて吐き気がする。お前らみたいに何者にもなれない底辺視野世間は動いてないの。分かったらおとなしくVの二次エロでその粗末なポークビッツでもしごいてろ!

2021-01-12

かつて好きだった人について

※人によっては不快気持ちになるかもしれません ご了承の上お読みください。

初めてその人を見た時私はその人の髪色の所為でその人の存在自体自分の居る場所に妙に不釣り合いなように感じたことを覚えている。

動画サイトで後ろ姿しかたことのないその人は、動画で受ける印象よりも少し若く見えた。髪の毛が短くなっているからだろうか、服の着こなしといいその人は自分に似合う物をそれなりに考えて着てるみたいだった。第一声は「意外と背が高いね」だった気がする。ちょっと立ってみて、と言われて立った私は緊張で少し震えていたと思う。何か吹いてみて、と言われて吹いたのは先輩から事前に渡されていた軽い小曲集の1つだったがそれすらもろくに吹けなかったので内心ものすごく緊張しながら吹き終えた事だけを覚えている。

好きなんだろうか、と思ったのは暑い盛りの夏が終わった時でその頃には私は部活にそれなりに馴染んできていて、それなりに楽器も吹けるようになっていた。

朝練に出るため川沿いを自転車で走っていたときに見えるまだ出たばかりのまばゆい太陽を眺めながらあの人もこの太陽を見ているのだろうか、とかそんなことをふと考えた。もっともその人はいつも練習時間遅刻してくるのだけれど。朝早く起きているのかすら怪しい。でも、そんなところがその人の私から見た好ましいところだった。

先輩方のお別れ会、というものを空き教室でやったことがあり、そのときもその人は遅刻してきた。

お別れ会を進めようにも来ないのだから進めることが出来ない。私たちはその時間の間にペットボトルジュースを何本か開け、持ち寄ったお菓子を紙皿にぶちまけて食べていた。行儀が悪い。

遅れてきたその人を見てようやく揃った、と全員が安堵した。その人を含め1、2年生で合唱なるもの披露したときその人は少し泣いている様に見えた。指揮を振るときしかめったにつけない薄いフレーム眼鏡を少し持ち上げて目頭を軽く指でなぞる仕草は皆が前を向いていたときにこっそり横目で見ていた私だけが気づいていたのだと信じたい。

その泣き方は別れに何度も立ち会ってきたけれどそれにまだ慣れきっていないといった感じだった。

私はその人にも別れの歌がよく聴こえるように一層口を大きく開けて歌った。その日の歌は毎年聴いてる合唱の中で一番良かった、と言われた。それを聞いて私は、来年になったらまたおんなじ事をこの人は言うのだろうと思った。


楽器屋の壁にある演奏会ポスターが貼ってあるのを見つけた。そのポスターにはその人の名前も載っていてその演奏会に出るのだ、という事に気がついた。塾の帰り道、コンビニに寄ってチケットを買った。学生なので安く済んで良かったと思った。

年が明けて、学期始めの前日にスカイツリーのよく見える街までその演奏会を聴きに行った。中は混んでいて客の大半は知り合いの伝手で来ているらしかった。楽器を吹いて参加する事もできるらしく、学生らしき人が楽器を持参してパンフレットの裏に載った譜面を吹いていた。でも、ステージの上を目を凝らしてみてもその人の姿はそこには無かった。

演奏会が終わりホールから出て行こうとするとその人は出口の辺りに居た。一般参加者の人にだけ配布されたバッチか何かを回収する係らしかった。あとでその人のSNSを見ると演奏会のあった日に「ありがとうございました」というメッセージ舞台裏から撮ったらしい写真が添付されていた。その人は理事で、演奏には参加していなかった。


冬が明け、春になり私には後輩が出来た。今まで2人しか居なかったので後輩が出来るのは素直に嬉しかった。三年の先輩はいないので実質私たちが一番年上だった。

新入生がその人の前で演奏する時期がまたやってきた。去年の自分を見ているようでとても初々しかった、それと同時にもうそこには戻れないさみしさを感じた。もうあの頃には戻れないのだ。泣いたって叫んだって私はもう前に進まなきゃいけなくて、あの子達はきっと自分よりももっと上手くなってそのうち私も追い越されてしまうんだろう、と思った。それが羨ましくて私は新入生の演奏聴くように言われたが練習がしたい、といって断った。後輩に興味の無い人間だとあの人は思ったかもしれない。それでもあの人は頭の片隅でほんの少し思っただけでそのことについては1秒後には忘れているのだろう。

夏になりコンクールの時期がやってきた。コンクールにはそれなりに力を入れている学校で上位大会にもよく出場している学校だった。コンクール以外でも全国大会に参加したことのある、知る人は知る中堅の強豪校だった。

コンクールの結果はとしによってもまちまちだったが私たちの前の代までは連続地区と県は必ず抜けていた。最も中学の時は最後の年しか県を越えた事は無かったので中学と似たようなものだと思った。オーディションは学年問わずほぼ全員強制参加だ。オーディションを真ん中くらいの微妙順位で抜けた私にはなぜかソロが回ってきた。その前のソロコンの順位たまたま一桁台だったからかもしれない、まぐれで良かっただけの順位を当てにされても、と思ったがなんとかその人の期待に応えよう、と思って私はそれなりに全力を尽くした、つもりだった。

結果は予選落ちで、このくらいひどい成績を取ったのは史上2回目らしい、しかもその前は15,6年ほど前のことだ。

コンクール予選の音源を聴いてみたがそこまで特に大きなミスを感じなかった。音圧で耳がおかしくなっていたのかもしれない、とおもったけれど舞台裏で聴いていた友人にはべつに地区落ちするような音楽じゃない、と言われた。スタンドで飲んだタピオカを飲みながらちょっぴり泣いた。帰りの電車でも泣いて、家に帰ってからも2階の自室へつながる階段を上る気力すら湧かなくて、気がついたら床に突っ伏して泣いていた。涙と鼻水がフローリングに滴った。

次の日の反省会ほぼほぼ全員大泣きした後、心機一転音楽室の大掃除をした。空は真っ青で、雲は学校の前にある会社よりも遠くの方に見えた。窓越しにその人と目が合ったとき私は片膝立ちで窓の外をぼんやりと眺めていた。サボっていると思われたんじゃないかと思ってそのイメージ払拭するかのように窓を濡れ布巾の乾いた布巾で一生懸命拭き上げた。一緒に掃除していた後輩に「先輩、落ちないでくださいよー」と言われて自分が窓の縁から落っこちそうになっているのに気がついた。

窓の外側からその人の車が見えたことだけ、私ははっきりと覚えている。

これで終わりです

2021-01-11

1歳無駄にした

私が23歳になったのは、新型コロナウイルス感染日本国内でも確認されてから少し経って、やっとマスクをして歩くことが定着し始めた頃だった。4月自粛期間も家に引きこもっていたし、一年もすれば落ち着くんじゃないかと思っていた。だけど結局、2度目の緊急事態宣言が出されて、また自粛要請されている。そんな中で、私は24歳になる。

23歳は私にとって、大事一年だった。高校生大学生ほどではないけれど、それでも自分若さにはまだそこそこ価値があるはずだ。女の賞味期限は短い。短いスカートを履けるのも、ミュウミュウのマトラッセのバッグが持てるのも、"おばさん"になったらできない。女にはそんなことが沢山ある。17~85歳を対象に行われたイギリス調査結果によると、「一生のうちで一番心が満たされる時は、23歳と69歳」だそうだ。そんな貴重な期間がほぼ1年間無駄にされて、それなのにまだ自粛を求められている。

わたしはまた、24歳を無駄にするんだろうか。"いつかまた"いつもの日常に戻るために、と言われ続けてきた。いつか、と言い続けているうちにわたしはおばさんになってしまうんだろうか。

おばさんになるのは構わない。人は全員歳をとるし、歳をとっても美しい人も沢山いる。でも彼女たちは、若さを十分謳歌したうえでそう在るのだろう。

私は若くて、顔もそこそこ可愛くて、友達も沢山いて、お金も同世代より稼いできた。私だけじゃない。他の全ての若い女性は今が一番若くて、体力もあって、美しい。彼女たちもまた、自分が輝けるはずの時期を、ドブに捨てている。捨てた時間は二度と戻らない。

自粛をしたところで感染者がゼロになるわけではないし、500人程度に抑えると言ってもまた人の活動が再開したらそこから元に戻るのだって時間問題だと思う。わたしバカから詳しいことはわからないけど、そうなったらまた自粛要請するのではないか。そうして自粛を繰り返して、きっといつかわたしはおばあちゃんになってしまうかも。ワクチンができたら大丈夫ということでもないみたいだし。

自分の命を守るために」「自分の大切な人が感染しないために」「医療崩壊を起こさないために」、それらの理由は勿論私の一年なんかよりも大事だと思う。だから自粛をやめようとは思わない。医療従事者の人にも感謝をしている。自粛をやめた人のことも、特に怒ってもいない。

ただ、毎日、家の中で少しずつ寿命若さを消費していくのが怖い。それならいっそ、死んだ方がマシかもな、とぼんやり思うだけ。

セクハラハラ

「どこ見てんのよ?!」がギャグだった時代が確かにあった。

あれは15年くらい前だろうか。

当時の文脈では、自意識過剰女性逆ギレを半ばあるある的に捉え、その剣幕を誇張して表現することで成り立っているギャグだったと思う。要は揶揄なのである。 

 コンプライアンス講習を受けているときにふと思い出して、あのギャグは今でも成立するのだろうか、今だったら炎上しそうだなとぼんやり考えていた。あのギャグで笑いものにされていたタイプ女性は、現在共感され、擁護される存在なのではないだろうか。SNSめっちゃバズって、関連ハッシュタグが生成され、告発漫画が量産されるのではないだろうか。

 おそらく私は、20代女性としての世間的な平均と比べるとセクハラに対して寛容であるデリカシーのない言葉を投げられることもあるが、あしらうか聞き流してしまタイプだ。そんな私でももちろん、侮辱的な発言性交渉強要することはセクハラの域を出ており犯罪だと思う。例えばMeToo運動ではこのような犯罪行為も訴えられていた。確かに黙って見過ごすべきではないし、出すところに出して決着をつけるべきだと感じた。

 しかし、お酌をさせられたとか、休日の予定について訊かれたとか、相手に一切悪意がない(ようにみえる)事象についてもセクハラ認定し、女性への抑圧の一つにカウントするのは、あまりにも一方的だし、第一問題解決につながらないのではないかと思う。特に、その場では何も言わず、後からセクハラ窓口に投げたり、SNS拡散して「そういう風潮」を盛り立てるようなパターンは悪質だと思う。そんな地雷みたいな対応を取っていては、ますます孤立し、空気の読めない人だけがずけずけと関わりにくる最悪の環境を自ら生み出すようなものだ。

 私は、不快に感じた当人気持ち否定するつもりはない。ただ、同じ女性であっても不快に感じるラインは人によって異なるし、世代や生まれ育った環境によって価値観は異なっていて当然だ。まして、生まれた時から男性である人に女性の心の機微理解するよう求めるのはあまりにも酷だと思う。これも一種ダイバーシティと捉えるべきではないだろうか。

 私は、関係性の構築が大切だと思う。普段からまともにコミュニケーションをとっていれば、お互いに、相手不快に感じるであろうことを予想する判断材料が増えるし、仮にミスを犯しても「今のは嫌でした」と表明できるのではないか相手無理解をただ責めるのではなく、自分からポジティブな働きかけによって、「女性から気を遣う/遣われる」という窮屈な環境を変えたいと思う。

google感染拡大予測によると2月

増田東京に住んでるわけだが、今日の段階でgoogle感染拡大予測2月8日は180以上/1日の死者がでると予測されてるらしい。

感染者は増えてるけど、まだ都内では1桁から10レベルの死者で、「言っても死なないっしょ」ってことろがコロナ対応に対するバラバラ空気を産んでるとは思う。

でも目に見える、行こうと思えば日常的に行ける範囲で1日100人以上の死者が出る毎日になったら、世の中のみんなの心情ってどうなるんだろう。

そして、これは今までの振る舞いをまあまあ当ててきた予測現在地で、個人ぼんやりした予測よりかなり本当にそうなりそうなことで、数字として「結構確立でそういう日が来そうだな」と頭でわかるが、それがどんな心情を自分やみんなに巻き起こすのかちょっと想像がつかない。

パニックにならなうようにしたり、個人としてマイナス感情に飲まれないようにする必要があると思うな。

2021-01-09

ドラえもん児童向けとして扱うことの限界

先日のドラえもんをご覧になった方はいるだろうか?

見ていない方のためにざっくりストーリー説明させていただこう。

ジャイアンスネ夫放課後のび太の家を訪ねてくる。

ドラえもんがまだ帰っていないことを伝えると「野球に誘うつもりだったのに」と憤慨し帰っていく。

ドラえもんのび太を探しに出かけ裏山でのび太を見つける。

のび太が裏山の掃除をしているのを見て感激したドラえもんが心の土という道具を貸すと、感情を得た山とのび太はみるみるうちに仲良くなる。

のび太は山にばかり行くようになり、学校ではぼんやりとしていて帰りも遅い。

そんな日が続き見かねたドラえもんが山に言う。

のび太くんのためにのび太くんをこれ以上山にこさせないでくれ。」

山はのび太を突き放す。

ドラえもん「山は本当にのび太くんが好きだったんだね」と微笑む。

のび太は家に帰り、「明日野球に行こう」と決意する。

感動ストーリーとして書かれたものだと思うし、私も感動しそうになった。

でもこのストーリー、これを児童アニメ軽率に感動として扱うにはあまりにも危うくないだろうか。

のび太野球が得意ではないし、ジャイアンのび太いじめている。

野球に行ったとして、十中八九ミスをして殴られるだろう。

のび太にとっての野球に行くというのはいじめられに行くというのと同義だ。

学校だってそうだ。

頭ごなしに叱られ、笑い者にされるだけで適切なケアは受けられない。

勉強ができるようになるためのフォローは受けられず、のび太のなかで“自分は出来ない”という考えだけが積み重なっていく。

学校野球ものび太にとってただただ自己肯定感尊厳剥奪される場所だ。

この話のなかでのび太は逃げ出し、“逃げ出し先”を奪われることでまた元の場所へと戻る。

結局のび太を逃げ出させた原因はなにも変わっていない。

追いやられたから出ていかざるを得なかっただけで何も根本的には解決してない。

のび太別に何も出来ないわけではない。

あやとり射撃も得意だ。それが評価される世界で生きられていないだけだ。

なのにドラえもん世界のび太はだめな奴のままだ。

それだけなら良い。ドラえもんはそれでも面白いから、一作品としてならそれでも構わないのかもしれない。

でもドラえもん児童アニメであるならば私たちは“のび太のような子供”について考えなくてはいけない。

運動も出来ない勉強も出来ない。馬鹿にされるばかりで得意が評価されない。自分は何も出来ない。

児童アニメはそういう子供に「君は何も出来なくなんかない」「仮に何もできなくても君には価値がある」と伝えるものでなくてはならないのではないか

いじめられるような笑われるような理不尽環境からは逃げたって良いと教えるべきものだ。

ようやく見つけた居場所問答無用で取り上げて、辛い環境に向かわざるを得なくすることを美談として流してはいけないのだ。

私はドラえもんが好きだ。

小さい頃から漫画をよんで、毎週アニメをみて育った。

ドラえもんは凄い。ずっと昔に描かれた漫画なのに今の価値観を先読みしてるような話さえある。

藤子F不二夫先生は、常にその時の最新の価値観を追って、噛み砕いて考えて自分価値観として落とし込んで漫画を描いていたんだろうと思う。

ドラえもんは紛れもない傑作だ。

でも、だから、やはり言わなくてはならない。

ドラえもん根底価値観は最早古い。

児童アニメとして、子供に“これが当たり前だよ”と伝えるものとしてはあまりにも厳しい。

作品としての良し悪しの外の話だ。

なまじ子供向けとしての立場確立しているからこその危うさだ。あからさまにエログロのあるアニメは見せないか、見せるにしてもある程度気を使うがドラえもんは皆が無警戒で流してしまう。そういう土壌がある。

もういじめも覗きも犯罪で、廊下にたたせるのは虐待だ。

テストで0点をとり続ける息子にするべきは、頭ごなしに叱らず話を聞くことだ。

のび太はけして駄目な奴じゃないし、辛いときは逃げたって良い。

ドラえもんがそのまま放映されているということは、私たちがそのままだということだ。

停滞してはいけない。与えられるものぼんやりと当たり前として享受し続けるのは愚か者のすることだ。

ドラえもん作品としては素晴らしいが、もう私たち教科書にはなり得ないことを知らなくては。

私たちはいい加減ドラえもんに教えられる段階からさなくてはならないのではないだろうか。

ガラガラ環状線でぐるぐる回り続けたい

音楽聴きながらぼんやりしたい

2021-01-08

中野さらにいっそう無駄に停まる

会社の卓上カレンダー明日の日付を丸で囲んであった。自分でやったはずなのにそれがなんの日だったか思い出せない。隣の席の竹下さんに聞いたら、明日電車が動く日らしかった。完全に忘れていた。

あれから2年も経とうとしているのだから、忘れるにきまっている。もう中野で2年も暮らしていたとは、あまり実感がない。

中野駅はもともと無駄に停車時間が長い駅で、総武線/中央線では最悪の駅として有名だった。最初は2分の停車時間だったのがだんだん長くなっていき、2時間になってから2日に伸びるまではあっという間だった気がする。新宿と自宅のある阿佐ヶ谷の間を通勤で往復するのに丸4日かかるようになった。

中野でこれから2年間停車するというアナウンスが車内で流れたときには、もちろんなんの準備もできていなかった。手持ちの現金もそんなになかったので、電車を降りて駅前ATMで引き出そうとしたら、カードが使えなくなっていた。少しでも節約しようとして駅の周辺で野宿をしたが、パン牛丼を買っているうちにお金はすぐになくなってしまった。

駅の軒下で浮浪児に混じってしゃがんでいたら手配師らしいおじさんが来て、にいさんパンワラやらんか、パンワラと誘われた。何のことかわからなかったけれど、ほかに仕事のあてもないのでついて行った。

連れて行かれた先はコンクリート建物で、ものすごく長い廊下みたいなところにゴザが敷いてあった。そのゴザの上が仕事場だった。上にあおむけに寝転がって、建物の壁から出ている紐を足の指にひっかけて、引っ張る。そうすると車輪が回って、部屋の中に吊り下げてある、のれんみたいな布がファサーっと揺れて、風が起こる。部屋の中にいる人は涼しくなる。これを1日10時間くらい交代でやる。同じ場所には他に4人のパンワラが寝転がっていて、足で紐を引っ張る度にヒュゴゴゴゴ、みたいな音がしていた。

パンワラ仕事をはじめて1か月くらいは腿の筋肉パンパンになってきつかったが、だんだん慣れた。でも2か月で辞めた。研修を終えてもっと時給を上げたかったら鼓膜を破らなくてはいけないといわれたからだ。部屋の中にいる人の話が聞こえないように、パンワラは耳を聞こえなくすることになっていた。

次に入ったのがいまの会社で、ファートというスタートアップだ。最近ようやくネットでも流行りはじめたように、自分おならを保存する特殊な容器を提供して、あとで楽しめるようにするサービスだ。自分が入った当時は、おなら入りの容器を着払いで送ってもらって倉庫に保管するサブスクリプションサービスをはじめたところだった。人は自分おならをあとで嗅ぐことにみんなこれほど興味があるとは、入社するまで知らなかった。サブスクリプションを利用しているのは男女比で4:6ぐらいだった。

自分担当したのは他人おならを購入できるマーケットプレイスローンチだ。AV女優おならが人気があったが、実際には会社で雇ったバイトの人に炒り豆を食べて出してもらったおならを採って送っていた。女優事務所にはライセンス料を払っていた。グレーと言えばグレーなサービスだったけれど、これのおかげで自分は一文無しの状態からアパートを借りて今日まで中野生活できたので、自分にとっては神サービスだった。

そんな経緯を思い出しながら、明日電車に乗ることをぼんやり考えているうちに、だるくなってきた。でも明日電車を逃せばまた2年間待たなくてはいけないかもしれない。どうするかもうすこし考えようと思っている。


https://anond.hatelabo.jp/20201226222047

https://anond.hatelabo.jp/20201225104351

2021-01-06

anond:20210106234256

現状無理だろ

今の部屋は狭くて共存できない

1日や2日なら我慢できるが、解除されるまでってぼんやりしてるしなぁ

2021-01-05

anond:20210104183556

趣味小説を読んでいるのだが、

おんなじことをぼんやり考えてたので非常に同感である

・・・電車中吊り広告の有名モールバーゲンセールで、晴れ着の若い女モデルが晴れ着仕様(笑)ながらマスクを装着している写真正月休み明け出勤の昨日に目にして、あっ、やっと、というか、ついに!現実世界マスク生活ありきを受け入れたのだなぁ、と、ぼんやりと、だが、はっきりと、時代歴史が変わったのを感じた。

anond:20210105054519

普通」って平均値を出したいのだろうか。

中央値でないとダメだよなあってぼんやり思た。

普通でないとなんか焦るんだろうか。

anond:20210104183556

通信手段としての固定電話ポケベルケータイスマホとか

コミュニケーション方法としての通話メールlineとか

電車乗るとき有人改札自動券売機Suicaとか

支払い手段としての現金クレカブラックカード等)→おサイフケータイQRペイとか

キャラ付けに使われる細かい描写時代特定されるのよくあるし、コロナ禍のマスクも同じだろ。

ゆうてコロナマスクは2020から2021までの短期的な変化になるだろうからぼんやりとした「現代」を描くだけなら不要だと思うが。

2020年2021年の「今」を描きたいなら、書かないと嘘っぽくなるよな。

2021-01-04

anond:20210104062551

相手善意を断ることは出来ないけれど

離婚を切り出すことは出来るということ?

それなら話の順番が逆かなと思うけれど。

相手からしたらびっくりするだろうね。

相手に不満があるなら(善意の押しつけも不満のひとつですね)

それを相手に伝えて、それで解決しないなら離婚の話ですよね。

離婚から考え始めているのは、それが例え「ぼんやり」としていても、話し合うことを想定していないのは、少し変だなと思いました。

ぼんやり離婚を考えている

まあタイトルの通りなんだけど。

相手に対して許せないものがあるとか何か過失があったとかではない。もちろん私も相手の信頼を失う行為(端的に言うと浮気)をしたわけではない。

ただ、最近離婚しようと切り出したらどうなるかなと考えるようになった。

結婚5年目、子供はいない。知り合ってから4年ほど友人関係が続いて、正式交際してから1年半で結婚したので、妻とは足かけ10年の付き合いになる。

10年の間に色んな思い出があるわけだが、なんとなく夫婦関係が変わってきていて、それが離婚を考えるようになった原因。

妻の態度が悪くなったということではなく、むしろ上げ膳据え膳なんでもやってくれてこども扱いしてくるようになった。

例えば家事なんだが、明文化されていない多数のルールに縛られているように思えて、彼女許可がなければ何もできないような状況になってる。

そして、彼女はこの状況を好ましく思っているようで本来私がやるべき家事も代わりにやってくれた上で「まったく増田君はこどもなんだから」みたいなことを嬉しそうに言って来る。

なぜこんなことになったんだろうな、というのが率直な思い。付き合ってた頃や結婚当初はもっとフラット関係だったはずなのだが。

上にあげた家事の話なんか、「はっきり言えばいいだろ」という話なのだ善意でやってる相手しか相手負担している)に「あなたにやってもらう必要はない」と伝えることのなんと難しいことよ。

このまま行くと60過ぎて仕事リタイアした後本当に何もできないおじさんになってしまうのではないか

知り合いに話すような内容じゃないし、話しても笑われるだけだと思うのでここに書いておく。

はてなの中にも同じような人います

補足:はっきり離婚したいとかそういう話ではないです。ただ死ぬまで一緒にいるんだろうなと思っていた相手にこういう感情を持つようになったので書きました。

2021-01-03

緊急事態宣言っていうけどさ、で?なにすんの?

緊急事態宣言ってなにすんのさ?2週間くらい自粛すんの?

自粛って結局「お願いレベル」だよね?仮に緊急事態宣言を出したとしても、なんかぼんやりした内容で個人企業レベルでどういう活動にすればいいか曖昧で、結局国民自己責任自粛警察頼みになるんじゃないの?

そもそも感染者が急増している原因って調査分析されてんのか?

毎日毎日感染者数を公表するのが政府マスコミ仕事じゃないでしょ?

「先手先手」とか言ってるけど、何を先手としてるのかもはっきりしないし。

結局何をやって良いのか分かんないんでしょ?

自粛要請給付金を貰えるみたいな癖がついてるけど、あれって税金の前借だよ?きっと。

感染者数を抑えたいのなら、緊急事態宣言とか意味不明なことせずにいっそ1ヶ月ほど外出禁止にすればいいじゃん。

経済が止まる?

経済が低迷して困るなら、今まで通りに過ごせばいい。ソコソコ経済回ってるでしょ?

どうせ温かくなったなら季節性のインフルみたいに人数は減るんだし。

その間の感染者はインフルとか季節性の風邪として扱えばいいでしょ。

緊急事態宣言って結局何すのさ?

っていうか、勝負の3週間なんて言ってたけど、何を勝負してたのよ?

誰か勝負してた奴いる?マジで

2020-12-31

ドチャクソ好みの男

ドチャクソ好みの男(以下ドチャ男)に食われてしまった。

からから声や話し方や言葉遣いなどなど

あらゆるところがドチャクソ好みやねん。

やっぱ好っきゃねん。

キコンやねんけどな。

はい、ここで不快に感じた方は、もう読んではいけません。ごめんなさい。さようなら

叩いても無駄です。


が、最中のことをあんまり憶えてない。もったいね

憶えてないけどもったいねーので思い出しながら書いてみよう。

嘘かもしれない。多分夢だったんだ。


ことの起こりは、友人Pの野郎遺書みたいなLINEを送ってきた夜か。


心配なのもあり、連絡する口実ができたのもあり

共通の友人であるドチャ男にLINE


Pから変なLINE来てない?

明日のPライブのことかな

あ、明日そうだったね。

覗きに行ってみようかな

あ、私も行きたい

じゃ一緒に行きます


(あれ?いきなり会うことになったぞ?)

動揺して動悸がしてあまり眠れなかった。


当日。 突入前に飲みます?とLINE来た

ん?どういうことだ?と思ったもの

それでも良いよ と答え、最寄り駅で待ち合わせ。


ドチャ男は目立つのですぐ見つけて、舞い上がる。

(うっひょーやべーオフライン久しぶりー

 やっぱかっけードチャクソ好みぃー!緊張するーはー!)

とか心の中で叫びつつ、挨拶して

どうしよっかとちょとうろうろしてチェーンの居酒屋へ。


軽く1杯か2杯だと思ってたんだが、最初に4、5杯飲んだよな?

3杯目終わるころ、そろそろ行く?と聞いたら

もう1杯、増田さんと飲むのも滅多にないし

と、延長ありがとうございます

そうだな。2人きりは初めてだよな。


そしてPのいる街へ向かった。

一緒に電車乗るとか緊張するんですけど。

Pに会った話の詳しくは割愛。(スマンP)

なんだかんだ飲んで解散となり、もうベロンベロンベロンになりつつ

帰路につき


今日実はずっと緊張してます

俺もです

そうなんですか

とにかく緊張しすぎて、飲みすぎた。


帰り道も途中まで一緒だった。

もう1杯付き合ってください、と言うので

もちろんオッケーよ、と増田の最寄り駅で降り、トリキへ。



「ずっと言おうと思ってたんだけど」

(なんだなんだ?)と身構えたもの

結婚してるんだよね俺」

「うん。知ってるよ?」

そうなの?知ってた?誰に聞いた?

Pだったかなあ

そうかーあいつかー


この後から記憶がまだらになっている。


ドチャ男くん、終電大丈夫

と言ったような言わなかったような

帰ると思ってたから。


トリキを出たら

キスしていい?とキスされた

ええ?もうしてんじゃんええ?いいの?何してんの?

うっま。キスうまーひえぇビリビリ


送ってくよと言われ、いつのまにか増田宅に着。

あれよあれよと脱がされたようで


一度中断してコンビニ行ったような?

その時ゴム買ったんかな。

そうなのだ増田の家には、ゴムがない。


しかし約●年言うタイミング逃してたことをカミングアウトして

その日になぜそれに反することをする?

なんでやっちゃうんだよ、バカー!!


(トリキのシーンに戻って)

結婚してるんだよね俺。だから、ごめんね」

増田あなたファンです好き好き、とぼんやりはっきり前から言ってた)

「いいえー、今日ありがとう。Pにも会えたし楽しかったね。」

「じゃまたね」

って、バイバイするだろ普通?!


ほんとに手ぇ出されるなんて思ってなかった。

思わないじゃん。あんイケメン

いや見た目だけじゃなくて作品活動もすごい尊敬している人なので

ワイごときまさかなびかないだろうと高を括っていた


酔っぱらってたせいもあるけど、あんなめちゃくちゃいかされたら

そりゃ記憶も飛ぶだろ。

あーもったいないもったいない

せっかくならもっと素面に近い状態でしたかった。


帰ってバタンキューするつもりだったんだ。

いつものひとりで過ごす土曜の夜になるはずだった。



増田さん、中でもいくんだ

俺の周りでそういう人いないよ

などと言ってたけど、そうなんですか (周りって何)

中でいく人は珍しいんだろうか

中でいくほうが良いです


割とSっぽかったな。予想はしてたが。

いや多分両方できる人だろうな。

喋る仕事もしてるほど口が達者な人なので

最中もまー上手いこといじってくるわけだ。

Mなのでビンビンに感じてしまった。

あと本名呼び捨てな。それな

ペンネームを使って活動している時に出会ったので、それで呼ばれている)

ずっちーなー



ドチャ男は行為までドチャクソ好みの男であった。

まいったしまった、いたしてしまった


あれ以来、SNS写真が出てきたり動画が流れてきたりすると

身体が反応してしまうようになった。

タイヘンヘンタイ

2020-12-29

anond:20201228224904

金をかけずお前の思う最低限文化的生活ができてよかったね。

自分新卒ときなんて手取り16万ボーナスなしの零細企業務めで一人暮らしで親の支援なんてほぼなかったがそれでも自分給料だけでMacbook買った上で年100万貯めたぞ。

よかったね。私は地方都市手取り14万ボーナスがほんの少しついた程度で実家暮らしだったけど奨学金と学資ローンと車のローンの返済と車の維持費で貯金する余裕なんてなかったよ。ほんの2年くらい前から一人暮らしだけど、昼は社食が安く食べられるおかげでだいぶ食費を抑えて健康を維持できる程度だからお前のすごさがわかるよ。だって自炊しようなんて気全然起きないもん。定時で上がってるのに家に帰ったら疲れ果てて2時間ぐらいぼんやり座ってないと毎日仕事なんてできない自分の体と心が本当に憎いよ。体力がないからだと思って少し運動したら体調崩すしいきなり激しすぎたんだと思ってラジオ体操から始めたって疲れ果てる時間が1時間半になった程度だ。もう少し続けたら弁当を買わずにお前のように節約して自炊して文化的生活が送れるのかな。どのくらい頑張り続ければお前のように金をかけず文化的生活が送れるようになれるかな。疲れ果てて動けないまともな食事にありつけないもっと疲れ果てて動けないなんて負のスパイラルだと自分でも思っているけどそこから抜け出せる方法なんて結局自分を奮い立たせることだろ。どうやって?疲れ果てているのに。今の仕事は楽しくて定時で上がれてボーナスもつくけど疲れ果てているのにどうやって?だから少し金をかけてでもおいしいものを食べて疲れを癒して少しでも体力をつけたいと思っているんだけどそれをせずとも自炊して健康を維持することのできるお前は本当にすごいよ。近くに業務スーパーもないしそもそも大きな冷凍庫だってないし田舎にはウーバーイーツも出前もないし野菜のたくさん入った弁当なんてコンビニに運が良ければあるくらいだから高いなと思いながらコンビニスーパー弁当やそれに野菜の総菜を足したり元気があるときには高上りだと思いながらでも冷凍庫には入らないし冷凍する手間をかけるほど元気ではないか野菜を少量ずつ買ってきてほんの些細なものを作ってそれでどうにか私は私の思う最低限文化的生活を送ってるよ。半端ではない自炊をしているお前は知らないかもしれないけど半端な自炊は安くはないんだよな。だから少食のわりに食費が抑えられない。趣味最近はただでいろいろなもの配信してくれるし楽しめるから学生の頃よりずっと金はかけずに済んでる。それで最近ようやく少し貯金ができるようになってきた。貯金できるようになって思ったのは金があるっていうのは心の余裕が出てくるんだな。知らなかったよ。想像しか知らなかった。少しでも金に余裕があると暑いとき寒いときに冷暖房ケチらずに済む。気温っていうのも健康文化的生活必要ものなんだな。それ以外でも仕事で嫌なことが起こってももし辞めても貯金があるから少しの間がんばれるっていうのはすごく健康文化的思考必要ものだ。ほしいものを買おうかという選択肢が表示されることも大事なことだ。自炊する元気がないのに野菜を足すという選択肢が増えたからどうにか最低限文化的生活を送れているんだよ。お前と違って私は金をかけてどうにか最低限文化的生活が送れる人間なんだ。そういう風に生きてきてしまったのか生まれてきてしまたから仕方がない。

お前は親の支援なしに自分給料だけで貯金出来て文化的生活ができて健康な体があって本当に本当によかったねと私は思うよ。そして本当に本当にうらやましい。お前は本当にすごいやつだし本当に想像力がなくて哀れだ。哀れでいられてうらやましいよ。

2020-12-27

学生時代に住んでた家賃6万2千円の部屋

今住んでる7万6千円の部屋と広さや間取りはほぼ同じなんだけど、

みたいな感じだったからこの1万4千円の差額が"人権"なんだなとぼんやり思う

2020-12-26

 これから書くことは、すべて本当のことです。

嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。

知り合いの大塚くんが、わざわざ電車タクシーを乗り継いで、東京郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。

 とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このとき自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、

「利子はいらんよ。きっと、君はい画家になる」

といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。

 そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくり侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。

 まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓からきれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。

 そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家生活するというのは、彼女生活よりも、はるか地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。

 浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。

「どうした?」

彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコン暖房つけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。

仕事……無くなりました」

お金か?なら僕が」

「いいえ、いりません」

 彼女はぼそりと言いました。言葉が空中で、飽和しました。

「困っているのだろう? 大丈夫。僕は作家だ」

貧乏な人に恵まれるのは、嫌なんです」

 貧乏な人。

 僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。

「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。

彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女なすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。

から僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。

寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。

彼女自殺をしたと知ったのは、その翌日のことでした。

もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。

彼女体重は僕が最後彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパート大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。

過食症ですよ、ご存じですか」

「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。

「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」

 いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。

「ほかにも、死んだ人が?」

「いますよ。伝染病流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」

 一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。

 もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます

寂しい

 この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。

 彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアム人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。

 特にテレビ報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥ものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判タネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。

 一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。

 僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。

 雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています

949。

 この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だってあんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから

「またいつか」という言葉の空しさを知ります

僕は狭い6畳のアパートにいます学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。

若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。

コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たち自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。

そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章ネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まり文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから

 大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。

 みんなと同じ。

 そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナース彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独から、寂しいから、みんな、死んでいくのです。

 みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。

 なんとか、なる。

 そう書いた作家もおりました。みんな同じです。

 みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます

 僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。

 僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。

 みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。

 いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。

 でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。

 経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。

 一般化された苦しみを、言葉に起こしてみました。

 それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。

 僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます

 それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。

都会の端の隅の医療からつぶやき 

都会の端の隅からつぶやき

コロナの影響で報道の通り医療機関はひっ迫している。

今年の所謂年末年始は半分以上勤務予定で、丸一年田舎に帰れていない者の取り留めのないつぶやきである

患者さん(以後患者)は感染予防の意識があるのかないのか、しゃべりにくいという理由で高確率マスクをわざわざ外して話そうとするのを毎回マスクをつけてくださいというのにも疲れてきた。正直あなたのために言っているのではなくこちらを濃厚接触者にしないでほしいという気持ちだけである。個室の患者マスクなしの状態で泡をとばしながら詰め寄られ二重の意味で怖かった。高齢者とはいえ大柄の男性に詰め寄られることがどれだけ怖いか想像してほしい。高齢になればなるほど理性の箍が外れるのか威嚇や恫喝は当たり前で、何度も詰め寄られたり物を投げられた。コロナ患者はベッドを長期間占有するので経営人員が圧迫される。医療機関への例の20万円はまだ…?コロナ病棟に関わる時の緊張は言葉に尽くせない。どこの病院面会謝絶患者ストレスが溜まっているのかスタッフに対する当たりがきつい。そしてすごく絡まれる。病気というストレス要因にさらに負荷がかかっているかしょうがない。

ただ、前からだけど正直男の人に夢が持てなくなった。女性獰猛な人がいるので性別に限らないけれども。やっぱり筋肉量の差というか物理的な差は大きい。大柄な人を見ると将来介護大変だな…せん妄の時の抑制とか薬剤の調整難しそう…とか思ってしまう。そういえば記憶から抹消していたが、以前男性患者言葉セクハラ受けたことが何回かあったな…。とめどない不快感予後不良患者だということ、こういう心理状況だから言っているんだろうなっていう予測と。でもやっぱり気持ち悪さが渦巻いて、一瞬絶句した後受け流したけど、今思い出してもやっぱり気持ち悪い。今まで誰にも言ったことないけど気持ち悪かったよ。どの接客業にも有り得る話。

医療従事者でも危機意識はばらばらだとは思う。なぜ三世代同居の同僚の方が一人暮らし自分より危機管理が甘いのか(食事等)疑問である自分感染していても自分が一人で苦しむだけだが、あなた感染すれば祖父母を殺す可能性があることに意識が向かないんだろうか。我慢しているから…みたいなことを同僚が前に言っていたが、家族と同居してごはんを食べ、昼は他の職員と一緒にご飯を食べ、年始家族旅行に行くと言っていたあなたのどこが我慢しているんだろうか。なったらなったときに考えるという他の同僚の言葉ボロボロに傷つけられながら一人でご飯を食べる。一般の人の無理解や行動にはそこまで傷つかないが、同職種言葉や態度にはこんなに傷つけられている。クラスタ発生の医療従事者を断る医療機関のどちらの気持ちもわかるから辛い。友達から食事の誘いを断るのにも疲れてきた。

少し前は所謂コロナ鬱だったんだろう、食事が食べられなくなって一か月で5㎏痩せた。体重が10%以上減少するのは正直危険だとはわかっていた。ここまで追い詰められたのは国試の時以来だったと思う。心の中をよくわからない不安が渦巻いて食べ物を見ても食べ物と思えず、ずっと動悸が収まらなかった。寝ることもできないし、這う這うの体でいつも通りの仕事をしていた。同期にも友達にも家族にも誰にも言えなかった。恐慌状態に陥って混乱していた。縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。夜な夜な色んなこと思い出してワーッとなるし、消えたくなる衝動が何回もある。生きたい人がいるとかもっといいことがあるとかそういうことじゃない。自分というものを飲み込んで、思考が覆われて身の置き場がない衝動。今は若さというか理性が衝動ねじ伏せているけど弱った時や理性が働かなくなった時が怖い。家族が死んだときの「もう逝ってしまった」という親の慟哭が耳に残って離れない。自分患者休み明けにいなくなっていることは何度もあった。老いも若きも関係なくあっという間に、少しのことで人は死ぬ。わかっているし、患者の死にももちろんダメージを受けている。それなのに家族というだけで死というものがこんなにもつらい…このダメージは何だろうか。ずっと前に祖父母がなくなったときに親がポツリと呟いたもうこれだけになっちゃったねという言葉が心に迫る。

当直明けのぼんやりした頭でこれを書いている。ずっと今年の頭からため込んできたよしなしごとをどこかに吐き出したかった。これくらいは守秘義務を逸脱しないし個人特定されないと判断する。今年のボーナスは厳しいかもしれない。奨学金家賃も待ってはくれないから働かないと。ほしいのは感謝でも賛辞でも卑下でもなく切実に金や資材だ。いつまで続くのか、そして出会いもないままこのまま独り身なのかはわからないが、だらだら頑張っていきたい。医療の基盤のお金経済活動からまれるので経済を回している皆さんには頭が上がらない。うまく言葉にできないが頑張ってくださいと言いたい。とある団体(グループ)のファンをしているが推しが楽しそうにおいしいものを食べて好きなことをしているのを見て救われている自分もいる。忙しすぎて机の上で突っ伏して寝ていたDrは、途中で何回も電話が鳴って起こされていた。その後食堂スマホドラマを見ながらご飯をかきこんでいる光景を見て好きなドラマをめいいっぱい見てくださいという気持ちになった。現場差し入れというか製品寄付して下さる企業もある。人が生み出すいろいろなモノに支えられている。ありがとう

患者さんにはよくなってほしいし、予後が悪い人には少しでもいい時間を長く過ごしてほしい。自分が接する人は元気になって帰るというより完治しない病気とどうつきあっていくか、そしていつか訪れる最期を楽にするかという人が多い。痛みや苦しみをやわらげてあげて、ご飯を食べられるのならお楽しみレベルの好きなものをたべてもらって、お家が好きなら最期はお家で。家族の心の準備も大事なので少しずつ心づもりをして、家族も本人も穏やかに最期が迎えられるように。

この気持ちは嘘じゃないのに。

また月曜日には笑って普段通り仕事をするのでおやすみなさい。

2020-12-25

anond:20201225114933

僕もよくわからない。友達が亡くなってしまって、寂しい、という話を誰としたらいいのだろう、と今ぼんやり考えてた。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん