あれは15年くらい前だろうか。
当時の文脈では、自意識過剰な女性の逆ギレを半ばあるある的に捉え、その剣幕を誇張して表現することで成り立っているギャグだったと思う。要は揶揄なのである。
コンプライアンス講習を受けているときにふと思い出して、あのギャグは今でも成立するのだろうか、今だったら炎上しそうだなとぼんやり考えていた。あのギャグで笑いものにされていたタイプの女性は、現在は共感され、擁護される存在なのではないだろうか。SNSでめっちゃバズって、関連ハッシュタグが生成され、告発漫画が量産されるのではないだろうか。
おそらく私は、20代女性としての世間的な平均と比べるとセクハラに対して寛容である。デリカシーのない言葉を投げられることもあるが、あしらうか聞き流してしまうタイプだ。そんな私でももちろん、侮辱的な発言や性交渉を強要することはセクハラの域を出ており犯罪だと思う。例えばMeToo運動ではこのような犯罪行為も訴えられていた。確かに黙って見過ごすべきではないし、出すところに出して決着をつけるべきだと感じた。
しかし、お酌をさせられたとか、休日の予定について訊かれたとか、相手に一切悪意がない(ようにみえる)事象についてもセクハラ認定し、女性への抑圧の一つにカウントするのは、あまりにも一方的だし、第一、問題の解決につながらないのではないかと思う。特に、その場では何も言わず、後からセクハラ窓口に投げたり、SNSで拡散して「そういう風潮」を盛り立てるようなパターンは悪質だと思う。そんな地雷みたいな対応を取っていては、ますます孤立し、空気の読めない人だけがずけずけと関わりにくる最悪の環境を自ら生み出すようなものだ。
私は、不快に感じた当人の気持ちを否定するつもりはない。ただ、同じ女性であっても不快に感じるラインは人によって異なるし、世代や生まれ育った環境によって価値観は異なっていて当然だ。まして、生まれた時から男性である人に女性の心の機微を理解するよう求めるのはあまりにも酷だと思う。これも一種のダイバーシティと捉えるべきではないだろうか。
私は、関係性の構築が大切だと思う。普段からまともにコミュニケーションをとっていれば、お互いに、相手が不快に感じるであろうことを予想する判断材料が増えるし、仮にミスを犯しても「今のは嫌でした」と表明できるのではないか。相手の無理解をただ責めるのではなく、自分からのポジティブな働きかけによって、「女性だから気を遣う/遣われる」という窮屈な環境を変えたいと思う。