はてなキーワード: どんよりとは
目を覚ましたら見知らぬ天井……いやどんよりとした曇天だった。
曇っては居るが雨が降っていなくてよかったね。
まったく困った野郎だぜ、俺ってやつはよ。
なーんつって。
「ここはどこだ?」
人っ子一人いそうにないし、動物の鳴き声も聞こえないし、魔界の生き物的なものも見えない。
そう今、この世界で俺一人っぽい。
「なんてこった!パンナコッター!」
人生というアニメのヒロインが好きな物をいうと元気が出るのを思い出したのでマネしてみました。
ハンバーグー!
そういえば最近テレビでハンバーグ師匠をお見かけしませんね、お元気なんでしょうか。
独りぼっちが耐えられない男、それが俺!
さーどうする俺!そんなことを考えていたらピザーラのピザが食べたくなってきたぜ!
と、どうでもいいこと考えながら、ちんちんブラブラ体操をしてみたりして。
刺激で息子が大きくなったけど、ま、ここどこだかわからないからいいよねみたいな。
「ふーむ。全裸のままだけど、マジここどこだ?」
つづく
1、私の自己紹介
私は現在、東京の大学4年生です。そう、就活真っ盛りの就活生です。しかし、就活真っ盛りなのに、今、私はベトナムに旅行に来ています。しかも2週間も。日本人のベトナムのビザなし滞在期間は15日と定められているのですが、私は15日いっぱいベトナムに滞在する予定です。どうして就活生の私がこの就活の大事な時期にベトナムに滞在するのか?自分でも正直よくわかりません。私がベトナムに滞在する事を決めたのはおよそ1ヶ月前のことです。それまで送っていたマンネリ化している生活から脱却するために、海外旅行を決めたのでした。「海外にしばらく行けば、気持ちがリフレッシュされるっしょ!」そんな軽い気持ちでベトナム滞在を決めたのでした。さて、実際にベトナムにきてどうでしょう?私の現在抱いている感情は「はやく日本に帰りたい」その一点です。就活生というポジションでありながら海外、それも日に日に日焼けにより真っ黒になって行く自分を鏡で見ているうちに、どんどん自分の心も黒くなって行くばかりです。率直にいうと、現在の自分は自暴自棄になっているのだと思います。私は現在日本では自動車教習所に通っており、まだ免許取得をしていないのですが、ベトナムでは免許の提示無しにも簡単にバイクをレンタルし、運転することができます。好奇心があり自暴自棄になっている私には、ここベトナムでバイクを運転する他ありませんでした。ベトナムでの無免許運転は本当は違法です。しかしそんなこと知らず、自分がやりたい、ただその一点でバイクを借り、ただでさえバイクの交通量が異常に多いベトナム、ダナンの街中を、気づけば今までバイクも跨った事さえない自分が乗り回しているのでした。バイクに乗っている間は色んなところを見に行きたい、ただその一点です。警察に捕まったらどうしよう、事故を起こしたらどうしよう、そんな事は頭の片隅にも置かれていませんでした。バイクから降り、ホテルでゆっくりくつろいで夜になればなるほど、「自分はいったいベトナムに来て何をしているのだろう」「こんな適当な判断で適当な生活をしていていいのだろうか」「日本に帰って日焼けをした姿で学校の、そしてアルバイト先の皆んなに会ったらなんと言われるのだろうか」と、どんどんと不安が募ってきます。また、自分は今就活生で、友達はどんどんと希望の会社に内定を手に入れ、大学の単位もすでに取り終え、今の時期は卒業旅行のためのアルバイトに精を尽くしているのですが、自分はどうでしょう。学校にもいかないで、またアルバイトもさぼって海外へ放浪し、自分が本当は今しなければ行けない「学校の単位を取る」「アルバイトに行く」「自動車免許を取得する」といったタスクを消化しきれていません。こんな生活を送っていて良いのでしょうか。と思う一方で、「長期間海外旅行に行くことが出来るのは今しかない」「就職したら自分の好きなように行動できない」などという思いもあり、非常に葛藤しているというのが正直なところです。ベトナムに来て改めて自分自身を見つめ返すと、直さなければ行けない点、直さなくても良い点、両方あると思います。しかし現在の自分は、直さなければ行けない点ばかり深く考え込んでしまい、どんよりとした感情になってしまっています。これはいけないことだと自分で思います。自分にとって最高の状態はどのようなものかというと、学校の単位を取り、アルバイトに行き、自動車免許を取得し、海外旅行に積極的に行き、自分の好きな事を思いっきり楽しむ、これら全てのことをやり遂げる必要があると思います。そのためにはどうすればいいか?それらの内何かを抑え込む必要はあるのか?この事は深く考えるべきことだと思っています。
2、私が目指しているもの
私が目指している本当のものはどのようなことなのでしょうか?自分で考えた結果、簡単にいうとおそらくこういうことだと思います。「自分自身で価値を生み出し、自分自身で稼ぐ力を身につける」結局、自分は周りの環境に揺らぐことなく、自分のやりたいことをどんどんやっていく必要があるのだと思います。そのためには費用と時間が必要となります。先に述べていませんでしたが、私は現在、内定を一社から頂いています。ウェブやアプリ制作会社のシステムエンジニアとして、内定をいただきました。内定の承諾の連絡も済ませました。しかしそれでも、未だに「本当にこれで良いのだろうか」と心のどこかで思ってしまっています。なぜなら、就職したら自分の持つ時間の大半を会社に注がなければいけないから。「やりがいのある仕事なら充実できる」という人もいますが、実際どうでしょう?現在の私の思うところでは、自分自身で稼ぐ力を身に付けることができるのか?という点に対して、会社で働く事に少なからず疑問が生じています。私のようなまだ1回も正社員として働いたことのない人間が言うのもおこがましいことだとは思いますが・・・。ただ、どうでしょう、アルバイトでは基本的に時給で働きますよね。正社員も基本的に固定給で働きますよね。(会社によるかもしれませんが、基本的に。)それって、自分で稼ぐ力が付かなくてもお金がもらえるってことですよね。その様な条件でこの先ずっと生活をしていくと考えたら、正直、恐ろしさを感じています。自分で稼げる様になりたい。私は強くそう思っています。そのためにどうしたら良いか?私なりに色々考えました。ものの転売をして稼ぐ、株やfxをして稼ぐ、アフィリエイトをして稼ぐ、などなど・・・稼ぐ手段にはあらゆる物があると思いますが、私は、形ない0の状態からものを生み出して稼ぎたい、という思いから、自分にとって一番可能性がありそうな文章で稼ぐ、というものに興味を持ちました。文章で稼ぐには、人々を惹きつける魅力ある文章を書かなければいけないと思います。私はこの記事を書くことで、私の文章がどれくらいの人を惹きつけることができるか、自分自身の力試しの様な思いを込めてこの文章を書いています。批判でもなんでも構いません。私の書いたこの記事を読んで、どう思ったか、「駄文」の一言でも結構ですので、何かリアクションを頂けると幸いに思います。自分の集中力が切れてきたので、とりあえずここまでで文章を投稿しようと思います。何かリアクションをいただけたら幸いです。
なんで死にたいなんて思うんだろう。一人夜中にポツンと何もない自室で椅子に座ってぼんやりとしている時、朝目覚めて外に出るまでの三十分間等々。どうしてか死にたいと思う。どうしてかなんて言っているけれど本当はその原因が分かっているような気もしていて、それでも夢みたいになんだかぼんやりとしていて時間が経てば晴天で、低気圧がやってくればまた雨が降ってそんなことを考えての繰り返し。本当はいつも曇りみたいにどんよりしてるけど、何だか仮面を被っていろんな風に頑張ってる。そういう生きづらさがあるのかな。きっとそうだ。
どうして死にたいんだろう。世の中には恵まれているのに死にたいと感じる人が多い。日本では特にそういう人が多いと聞くけど、どうしてだろう。何が不満なんだろう。何が怖いんだろう。何をしたくないんだろう。きっと何かを拒んでいるけど、それを受け入れないといけない環境にいて、そして誰もその気持ちを汲んではくれないんだろう。そして苦しい。認めてもらえない苦しさ。分ってもらう前に順応を指示される暗黙の日本。典型的な善と悪と英雄を作り上げてそれを祭り上げる世界。そしてそれを自分のみならず他者に望む世界。そういう望みあいに疲れてしまったのかもしれない。往々にして人に対して感じる不満は自分への不満だったりする。人に対しての希望もまた自分への希望で。人はそうして互いに自分を押し付けあって、押し売りして生きていかなくちゃいけない。それは特に日本では共通の認識、常識のように何か目に見えない糸でもあるのか、なにか集団的に抱いている希望のようなものがある。それが古き良きと称される至言たるものなのかは分からないが、そこに違和を感じた人間は生きづらい。この際何も正しくなくて何も間違ってないと言えれば、堂々と言えればいいのに。何も区別などしなくて、徳のあるなし、善と悪、あるべき姿あってはならない姿、対立軸なんてなければいいのに。せめてそれを共通の何かではっきりと示すのならそれは法律でもうお腹いっぱいだ。
何だか時々ここにいると具合が悪くなる時がある。ひどく自分が醜く、他が美しく、そこに向かって努力する美徳が目の前にいつもちらついているような、そんな世界を他者から映しだされ垣間見るとき、すごく気分が悪くなり、悲しいようなやるせないような、とてもとても深い深い気持ちになる。
そういう時決まって、久しぶりにつけたテレビのニュースで、なんてことのない交通事故のニュースを見て、「すごい。」と車の衝突による損壊状況に驚く父のわきで、なんだか画面に目を向けるのが苦しくなって、右耳から入ってくる死亡という文字で何だか視線を変に泳がせながら僕はご飯を食べていて、何だかそんなよくある話を急に想像してみたりして、胸の奥がぎゅっと縮んで苦しくなる。いつもロボットみたいに淡々としているくせに。
結局のところ何を置いて生きていけばいいのか僕は分からないのだ。だから僕はいつも当たり障りのない生き方を演じている内に、いつのまにか体のいたるところがオートマチックへと化して、そして最後には正真正銘のロボットになる。
この先の途方もなく長い人生のことを考えると頭が痛くなる。運の悪いことに100歳まで生きてしまったらどうしようか。あと80年も生きなくてはいけないではないか。少なくとも長寿は全く持って僕に健康的じゃない。どうやって人生をやり過ごしていこうかと考えてしまう。
ただ僕にはまだ家族がいて、この世に存命している。そして僕はいつかその恩を返したいが、どう返せばいいだろうか。母や祖母は「あなたが自立して幸せに暮らしてくれればいい」と言ってくれるが、僕には到底、少なくとも後者の部分は主観的には難しいかもしれない。ごめんなさい。でも、お母さんやおばあちゃんたちが生きている間は僕はなるべく恩を返したい。そうなれるように努力してみるよ。
何ができるだろうか。こんなどうしようもない人間に何が出来るんだろうか。それを探すのが生きるということなら、僕にはとても難しい。
「死にたい」と希死念慮をもつひとたちを理解できないという人がいる。そして自殺は絶対悪だと言う人がいる。うちの兄はそうで、実際に自殺をした同僚の葬儀に出席し、泣き崩れる母の姿を見てそう思ったみたいだ。僕の母もまたそれには賛同しているようだった。むしろ僕がそのことを、それだけがすべてではないと言った時に、ものすごい反発を受けてそれ以上は僕も何も言えなかった。母が言った、「自殺してそのあと取り残された人に対して想う気持ちはあんたにはないの?」という言葉に対して、なんと言っても屁理屈になりそうで、伝えられなさそうで、何も言えなかったのだが。僕の中でこういうものの考え方は正直決着をつけたり答えを求めるのはあまり必要だとは思っていないからかもしれない。だからこそ、それを否定する人にたいして、もっと弛緩してと訴えるのもこの件においては難しいことも分かっている。だが、敢えて考えるなら、僕は死にたいと思って自殺をする人に対して想う気持ちも持ってほしいと思った。それは自分がそっち側の人間だからということかもしれない。あるいはまだ他人事で想像の域を出ていないからかもしれない。だが、どうか、自殺した息子に取り残された遺族に対して同情と憐憫の念を持ち、ともに泣き、想像することができるのなら、自殺した本人のことも想像してほしい。何故やめる。なぜみんなそこで思考をやめてしまうのか。いや、そうやってストップをどこかで価値観によって歯止めを聞かせなければ際限がないという不安は分かる。だから人は決めたがる。答えを見つけたがる。だが、それもいいとしても、ただそれはそれとして、そうじゃない、もっと想像をしてほしい。思考をしてほしい。毎日のように流れる死亡者のニュースも、想像も出来ないような場所で起こる悲惨な実態を、綺麗に見えるものの側面を。もっとよく想像してほしい。そしてどうか決めつけないでほしい。そうしたうえで答えが見つかったと思えばそれは運のいいことかもしれないし、悪いことかもしれない。何故ならそれを証明することが恐らく叶わないからだ。自分という人間の人生で正当化してもそれは答えと思っている本人とってしか答えにはならないからだ。
思うに人生はやっぱり苦しむことだと思った。それは僕にとっての人生の形で恐らくこれからも昔から抱いてきたようにこの印象は変わらないと思う。どんなに幸運で、幸福で、満たされたと感じてもそれは、一時のものでまたすぐに欲しくなるのが人間だと思っているからだ。結局のところ僕は任げがよく分からないのだ。僕は僕という一人の人間を通してしか人間を語ることはできない。そしてこれは先入観とも価値観ともいってこれは絶対的に取り払うことの出来ない壁だと思っている。一方でこう生きることを運命づけられているという粋な言い方もできるだろうか。つまり、いくら推論をかざしたところで無駄に終わる可能性の方が高いのだ。この手の考えは特にそうだ。企業の会計監査のように正確さを求めるような類ではない。
だからある程度僕は僕として生きていくことを開き直って、仕方ないにしても認めていかなくてはいけない。僕が僕と言う人間の醜さから世界の醜さを見出すような愚かな人間であっても、僕は己を巣食う愚かな人間を自らが救ってやり、時には救われる覚悟も持たくてはいけない。決して足元をすくわれないように。
初めから愚かな人間だからこそ、僕はこう愚かなことを考えているのだと認めてやるのだ。
セカイだとかタシャだとか、ほかのものに何かを求めることははなからやめて、自分が愚か者だということを認めて、いっそ認めず自分だけを頼りに生きたっていい。
生きれれば何よりではないのだろうか。もし、生きれるならそれは何よりだろう。そう言い聞かせていくしかないのだから。僕らには生きていくしか道は残されていないのだから。そうだろう。そうだろう。
最近ずっとお金のことでゲンナリしている。ちゃんとしなければいけないんだけど、考えれば考えるほどなんか頭がどんよりしてくる。
昨日読んでいた小説、パティシエの主人公が後輩の男の子に「原価粗利人件費まできっちり計算してお菓子つくったことある?」って怒っていてこちらまでゲンナリしてしまった。
子供のころ、お金の話題はあまりお上品ではなく人前で話してはいけないことみたいな空気だったのに、大人になるといきなり原価は?利益率は?わたしたちの人件費も経費だよ?みたいな感じになる。わたしの子供のころ受けた教育が悪かったとしてももうすぎてしまったことだしわたしは当人だから善悪の判断ができないのでアーその教育適切じゃなかったなーと思う人がいたら他山の石としてほしいのだけれど、なのでわたしはそういう話がめちゃくちゃ苦手だ。
そういう考え方をするとわたしは極端なのでそれこそ「呼吸するだけでお金がかかる」と思って死にたくなってしまう、多分教育とか空気じゃなくて性格の問題なのだろう。
「お金」に対して「水物」「騙し取られる」「悪い人がたかる」みたいなイメージが強すぎるんだと思う。現代社会で生きているのだからお金についてしっかり考えて管理なり運用なりしなければ生きていけないこと、もういい年なのだからこういう極端なイメージを排除して普通に対応しなきゃいけないこと、どちらもわかっているんだけどどうしてもゲンナリしてしまう。
経済dvの旦那からなんとか離婚して近隣一軒家多め駅近地区の築40年の広くて格安アパートに引っ越し、なんとか仕事しながら幼児と毎日楽しく暮らすこと数年。
お隣のアパートの窓の外(ちょうど我が家の玄関前)に数ヶ月下がっているゴミ袋がずっと気になっていたんだけど、ついに袋内に水が溜まっているのを見て、こりゃあ虫が湧くなぁと思い、挨拶したり敷地内のお花おすそ分けくれたりしていたお隣の大家さんにピンポンしてちょっとそこのゴミ袋気になってるんですけど。。とお話ししたらまさかのギャグ切れ。
そんなことあんたには関係無いでしょう!そんなこと言っていきた人間は初めてだ!おかしいんじゃないの!の一点(でもないか)張り。娘婿(ゴミ袋垂らしてた部屋の主)まで呼び寄せオタクには関係ないよねーー!で喚く喚く。(そいでわかったのはゴミ袋の中身は灯油垂らしたの拭いた新聞紙で本当に数ヶ月忘れてたらしい)
そもそもは何にも接点の無い人だったら多分放っておいて我慢した。うちの子にお菓子をくれたり、用事あったら子ども預かるわよ〜(自分の娘は孫を預けるの怖いと言って預からせてくれないのよーとか言ってた…今思えば頼むことが万が一にも無くて良かったが)という交流があるからこそのお願いだぅたのどけど。
なるべく柔らく願いしたのになあ。歳をとるってこうなることなのかな。
豹変ぶりにモヤモヤした。毎週挨拶してても私の顔も認識してないということも。自分の行動のなにが悪かったかさっぱりわからん。。ただどんよりした気持ちが心中を、覆ってる。
会社員生活も6年目に入ると、連休明けを経験するのも6回目になる。自分は「いろいろ経験してきてるし、もう五月病とか関係ないな」とタカをくくっていたのだが、意外と仕事が手に付かない。というか、昨日までそのようなことを意識すらしていなかったような気がする。数年前にいわゆるブラックな働き方をしていて、憂鬱な気持ちが血圧や心拍数や頭痛になって現れることもなくなったのに、なぜかスイッチが入らない。なんなら連休中も仕事をしていたのに。
自分ですらそんなことなのだから、身近な人も同じだ。それはもうすぐ2歳になる娘も例外ではなかった。もう1年以上も通っている保育園の連休明け。いつになく別れ際に粘ることときたら。かわいいなと思いつつ、しがらみや責任と戦う世界にまだ入っていない子供たちですら、休暇ムードから日常に戻ることに抵抗があるのには驚いた(どちらにせよ気の赴くままに動いたり休憩したりできるじゃないかと)。
Facebookの投稿を見ても、同級生の会社経営者が連休明けの従業員の様子に対して、苦言とまではいかないものの思うところを書いていたり、ぼく自身もおそらく例に漏れず五月病だからということにしてドーナツとおかわり自由のコーヒーを手元に置きながら仕事を始めようと思うと、店員さんの接客する声や表情もどこかマイナーキーのような雰囲気を帯びている。つまり少し暗いと感じられる。
飲食店は休暇・休日関係なく営業しているから、会社員とは少しくらい違うのかなと思ったけれど、必ずしもそんなことはないのかもしれない。
ちょっと周囲を見渡すだけでそんな様子なので、日本中どこもかしこも五月病が蔓延しているんじゃないかと思えてくる。
昨日いつも通りの顔をして一緒に定例ミーティングをしたクライアントも、地下鉄の改札横で(ドーナツ屋の店員さんとは違って)普段と変わらず「おはようございます」の大きい声を響かせている駅員さんも、そしておそらくぼくの上司も、妻も、その上司も同僚も、みんなが程度の差はあれ五月病だったとしたら。ポーカーフェイスの巧拙だけの問題な気もしてくる。
生活の一部としての休息とは別に、休暇は必要だと思うけれど、それが終わるたびにみんながどんよりした気持ちになるのは、結局マイナスなんじゃないかとも思う。少なくとも自分自身は仕事の効率が落ちてしまっていて、それが頭で分かっていてもうまく制御できない。恥ずかしながら。
例えばみんなが時期を微妙にずらしながら休暇に入ったり明けたりすれば社会全体が五月病になるのを避けられるのかな、とか思うけれど、日本人のメンタリティ的には「みんな一緒に」休暇に取ったり仕事に戻ったりしないと周囲の人がどうしているのか気になって落ち着かないような気がする。そう考えると、五月病が蔓延することはある種不可避なのか。
水がある。
この水はどこから来たのか。
ずっとずっと昔、地球を形作った隕石の水蒸気が…なんて話は私は理系じゃないのでよくわからない。
しかし、そういった脈々と受け継がれてきた水が今、目の前にあるのだ。
アスファルトの上に点在しているそれは水溜りだし、それがかんかん照りで水蒸気になる。
雨は川になり、湖になり、ひいては水道局が徹底管理した水道水になる。
蛇口をひねった時に、勢いよく流れたそれは私にとって水である。
人類がまだ、洞穴でひっそりと暮らしてる時、岩場の裂け目からにじみ出る雫も水であったし、土色をしたら泥水も水であった。
私は、この瞬間からはい、水ですよ、雨ですよ、いやいや水蒸気ですよ。といったことを延々と考えてしまう。そんな瞬間なんて存在しない。
砂つぶ1つはただの砂つぶだが、いくつ集まったら砂山になるのか?なんて問いがあるけど、そう、瞬間なんてないのだ。
言葉とはその人が感じたことを発声し、明文化したものであって、受け取る人によって全く違う。
クオリアという言葉があるが、私は見る人によって色や味、感じ方は全く違うと思っている。
なんじゃこの服の色のセンス。ダサすぎやろ、って居るけど、その人が感じた最高の色使いであって、自分の目には最低に写っているだけだ。
自分が嫌いな食べ物を、パクパクと食べる人がいるように、そういった感覚というものは全く違ってしまうのだ。
もしかしたら、明日、いや1時間後いや、1秒後でも今生きている瞬間の自分と違うのかもしれない。
これはもう、瞬間恐怖症とでも名付けようか。
わたし。
19歳から7年くらい引きこもりしてて、社会復帰できないと思っていたの。
今の彼が救い出してくれた。
天気は晴れてスカッとしていたり、時にはどんよりしたり、激しく雨が降ったりする
そんな世界へ連れてきてくれた。
自分で自分の事を認めてあげられない自分を 彼は認めてくれた。
少しずつ、いろんなことができるようになり 今では…少しだけ働くことができるようになった。
まだ、たいしたことはできないけれども 一生懸命頑張るつもり。
頑張って 支えてくれた人に元気な姿を見せたいと思っている。
そんな私に
彼は結婚しようと言ってくれた。
私のできることはあまりないけれども 精一杯 できるかぎり 頑張らないように頑張りながら
将来の夢もできた。
私のように社会のレールから外れてしまった人を支えられるようになりたい。
「生きてて良かった。」ではなく「生きているのも悪くないな。」と考えられるような
そんなお手伝いができるような人間になりたい。
全部
4月にインターンの面接に行きました。そこでは社長面接でした。その人は私から一通りの回答を受けた後ひどく馬鹿にしたように話し始めました。私の被害妄想もあるかもしれません。私には大学生特有のキラキラがないと言いました。もっと楽しみで仕方がないという顔でせめて控え室で待っていてくれと言われました。私の背中は丸まっていて、顔もどんよりしていて、おばあちゃんのようだったと言いました。それを聞いて私は仕方がないじゃないかと思いました。だって、私は自分に自信がないのです。いつもビクビクしています。そんな人間がいきなり人生楽しくて仕方ないみたいな顔はできねえと思いました。でも、そんなネガティブな自分をこの短時間で見透かされていてひどく居心地が悪かったです。また、顔が硬いと言われました。すぐに表情が消えると。私は人の顔にはその人の性格が表れると思っています。だからそれを言われた時、特に驚きはしませんでした。でも、自分でもどうしていいか分からなかったで、それを言われたからってすぐに直せるわけはなく、その場で履歴書をつき返され、面接は終わりました。帰りのエレベーターを待っている時、履歴書と持って行った自分の作品のコピーをビリビリに破きました。そうすることでしか自分の心の安定を図れなかったのです。
私は自分の何がいけないかわかっています。ネガティブなことです。また、自分に自信がないこと。でもそれをどう直せばいいのか全くわかりません。いや、わからないというより分かっているのに直せないという方が近い気がします。自分に自信を持つためには成功体験をすればいいとネットで読みました。心の病みたいなHPも読んだりしました。でもそこから全く進まない。自分のどこが悪いか、分かっているのに直せない。だから途方に暮れています。こんなことを人に相談すること自体、よくないことなのではないかと思っていて、今日まで誰にも言えませんでした。いつも一人部屋の中途方に暮れています。
私は実はよく泣きます。一人で部屋にいるとき、無性に悲しくてたまらなくなります。人前で泣くことにもともと抵抗がありましたが、ここ数年はそれがより一層強くなったように感じます。自分の心にいつもぽっかりと穴が空いていてそれが埋まることはありません。埋めてくれるような相手を待っている、という表現が一番合うのでしょうか。誰と話していてもいくら楽しくても、ふと我に返った瞬間、言いようのない寂しさに包まれ、自分ではどうすることもできません。自分には誰か寄りかかれるような人が必要だとは思っているのですが、そんな人私のような人間には見つかるはずもなく困っています。いつも泣きたくてたまらないのに誰の胸も借りられずに一人で泣いているときほど惨めなことはありません。この必要な存在を一番近い言葉で表すのなら彼氏なんだろうと思います。でも別にそうでなくてもふとした時に頼れる相手、男性なら彼氏でなくてもいいのです。同性には埋めてもらえない心の隙間を、埋めてくれる相手をいつも求めてます。
目が覚めた。ええと、今日は水曜日だったか?それとも木曜日?もしかして土曜日?まだ寝てていい?いや、駄目な気がする。
なんだか外が暗い気がして寝床からカーテンをずらして覗いたら、今にも降り出しそうな曇天だった。
もぞもぞと起き出す。今日は自転車はやめておいた方がいいかもな。傘も持って行かないと。
電車で通勤することにして、傘を持って駅へ向かった。あやうく電車に乗り遅れかけるがなんとかセーフ。
ホームへの階段を降りきると同時に入ってきた電車の前の方の車両は割と空いていて、車内には会社の同僚の姿も散見された。
とはいえ近づいて行ってわざわざ声をかけることもないので、軽く会釈だけして空いている座席に座る。
どんよりした天気の影響か、頭がまだ半分寝ているような感じがする。
降車駅が近づいてきて、次降りなきゃな、というところでウトウトしてきて、ハッと気づいたら電車は見慣れない終着駅らしいターミナルに着くところだった。
やっちまった。あと10秒ぐらいだったのに乗り過ごしちまったよ。同僚も起こしてくれてもよかったのに……と思いながらとりあえず下車した。
周囲を見回すと、漢字とハングルが溢れていた。そういえば先ほどから流れているアナウンスもよくわからない言葉なので、どうやら電車で韓国まで来てしまったらしい。
あの路線は韓国まで繋がってたのか、いつも乗っているのに知らなかったなと感心しながら戻れそうな電車を探す。
韓国の朝も、日本と変わらずスーツを着て歩いている人が多い。誰かの鞄が膝の裏をかすめて行った。
ファストファッションのパーカーにチノパンという自分の服装と見比べて、やはり真似できそうもないなと息を吐く。
発車ベルが聞こえて、三番ホームから出る電車が自分が来た方向に向かっていった。
そちらに近づくルートを探しながら歩いていると、案内板に日本・台湾と書かれているのを見つけた。最近の電車は台湾にも繋がっているのか、便利な時代になったものだ。
そのままキョロキョロとあたりを見回していると、ひょっこり現れた友人がヨゥと声をかけてきた。
おっ、なんだお前久しぶりだな、元気か?と聞くと、彼は笑いながら死んでるよ!と返してきた。
そうだそうだお前自殺して死んだもんな、もう7年とか経つんだったか?こうやってちょくちょく顔を合わせるからすぐに忘れてしまう。
ところで日本行きの電車ってどれよ?あっちに書いてあったけど次の次に来るやつらしい、次のは台湾行き。なるほど、あー台湾行ってみてぇなあ!
台湾料理の話をしながら台湾行きの先発列車に乗り込みたくなる気持ちを抑えて見送り、次に来た日本方面行きの電車に乗り込んだ。
しばらく走ると、一両編成の車内の乗客は俺と友人だけになった。友人と他愛もない話をして、貸し切りの車内にすこしはしゃぐ。
「さっき五重の塔があったから、もうそろそろお前んチのあたりだな」と友人。
家の近くに五重の塔なんかあったっけ?でもまあ、多分近いのだろう。
ゆっくり流れる窓の外の景色が、もうだいぶ日本っぽい。あ、このセブンイレブン知ってる。
右に曲がりますヨ、と老婆がアナウンスした後、電車は線路を飛び出して踏切から道路に入っていった。
曲がり角の度にギコギコと前後を繰り返しながら少しずつ曲がって家に近づいていき、やがて自宅の前で停車した。
目を覚ますと、俺はまだベッドの中にいた。
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
てめえら本当にふざけるなよ!
この増田(http://anond.hatelabo.jp/20161021190933)から発生しているトラバツリーで、
いいよ!これが「http://anond.hatelabo.jp/20161022022400」くらいならよぉ!
お答えするが、あの増田では、お互いが黒い感情にふたをするためのある種の共謀関係ていうのを「メインストリーム外での恋愛」だとして話してるの!
でもどんよりしすぎると大本の増田が実践しにくいからキレい目に語ってるのは確かで、こういう意見がでてきてもしょうがないとは思うよ!
ただ脱童貞したら急に語りだす奴のいう言葉とは意味合いが違うから!
実際にはきれいごとじゃなくてさもしいだけだし、さもしいのも意識して、さらに祈るしかないってそういう話だから!
さて問題なのはこいつ「http://anond.hatelabo.jp/20161022171840」
かなりの遅レスになるが、それが正解だと思うぞ。煽りとかじゃなくてガチに。
異性との交際
異性
異性
異性
本気で言ってる?
外見の変化ではなく中身の変化らしいが、奥歯に物が挟まったような物言いだったから、その変化は彼女にとってネガティブな変化だったのだろう。
私は、会話を続けながらも、少しずつ気分がどんよりしていった。
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実際、私が通っていた中高でサラリーマン家庭の子は数えるほどしかいなかった。
彼らの親はほとんどが医師か薬剤師か弁護士か社長だったし、私の父もそうだった。
私たちは、その地方都市では自らは最も幸福な人種であると信じ込んで6年間を過ごした。
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楽しいことも苦しいことも分け合ったし、どんな些細なことも共有した。
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年に1回は2人で海外に行ったし、住んでいるところは離れていたが、3ヶ月に1度は会っていた。
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受ける業界も、企業も、大きく異なったし、学歴フィルターも目の当たりにした。
私は地方都市出身をコンプレックスに思うようになったし、自分がただのお山の大将だったことにも気付いた。
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彼女に初めて「雰囲気が変わった」と言われたのはその頃だった。
彼女の就職活動が上手くいってないことも感じていたし、反面、私のそれは順調そのものだったから、その言葉は上手く躱せた。
私が内定をもらったところは特殊な業界だったし、学歴も早慶以上の人間しかいなかったから、鼻についたのかもしれない。
とにかく、私はその時彼女より余裕があったから、色んなことを飲み込んだ。
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その後、彼女も何とか内定を貰い、私たちはそれぞれ大学を卒業した。
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就職してからは、サービス業で休みが不定期な彼女と、激務な私とでほとんど会うことはなかった。
会っても年末年始に地元に帰省した時に少しお茶する程度だった。
昔みたいに海外旅行に行くどころか、近況を報告する余裕すらなかった。
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なんとこの1年で彼女は彼氏を作り、仕事を辞め、同棲を始め、婚約したらしい。
おめでたいことだ。
そっちはどう?と聞かれるのでありのままを話した。
そこで言われたのが、冒頭の「雰囲気が変わった」というセリフだった。
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私の仕事、地位、彼氏、学歴、貯金、全部、これらは私が死ぬほど努力して手に入れたものだ。
私は今の自分を愛してるし、誇りに思っている。
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「雰囲気が変わった」
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多分彼女と前のように親しくすることはないだろう。
もう生きる場所が違うのだ。
お互いにないものねだりを続けても仕方がないけど、きっと会ってもどんよりするだけだ。
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このブログは彼女に直接言えないヘタレな私からの別れの言葉だ。
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http://anond.hatelabo.jp/20160904003739
どんよりした気分になった。
ハゲ、ニートに該当する29歳の増田だが、確かに行けないなと思った。
ハゲてなく、確実に話せる友人の参加を確認できれば行くことはできるかもしれないが、
帰り道、どうしてもどんよりした気分にはなるだろう。
彼らとの明らかな差の部分の方がより大きなネックなのかもしれないが。)
超絶美男美女に変貌を遂げたならまだしも、スクールカースト底辺とか、
そもそも母校に何の思い入れもない人が同窓会に行ったところで楽しめないのは当前としても、
それなりに楽しい学校生活を送れ、それなりに同級生の顔も思い浮かぶ俺みたいなやつが
同窓会に参加したら、適当に当時の話をしてそれなりに楽しめるはずだと思う。
想像だが、名門校を卒業した人のその後の人生は主にS級の上、中、下に振り分けられ、
A級じゃ恥ずかしすぎて同窓会に参加できなくて、本当におかしくなってしまった数名がCやDに振り分けられる
といったかんじなのではないだろうか。
A~Fまで多様にそろっている。
その中で自信のある連中が同窓会に参加するのは確かにそうだと思う。
そうだと思うが、本来参加すれば楽しめる自信のない俺みたいな連中は
「同窓会に参加する連中の最低ラインはCとかDぐらいの人生を送っているはずで、自分は……」
みたいな妙な計算をしだして、そこから導き出した結果によって参加できないのかな
なんてことを見ていて思った。
いざ、同窓会が始まったら自慢合戦になってしまうとしても、積極的に同窓会に参加できる連中が
参加を決める時は、自慢してやろうなんてことを思わず、単純に旧友に会いたいとか