はてなキーワード: Jokerとは
ぶっちゃけた話、アカデミー賞にちょっとでも詳しい人間なら「絶対にJOKERは作品賞を取らない」
ということは予想できた。
あの賞はそういう場所だ。
これは圧倒的にマイナス点がつく。その証拠に、アメコミ原作映画はどれだけヒットしようと作品賞の候補になること自体がまれだ。
ブラックパンサーは黒人がメインでほぼキャストが黒人というところが社会的に評価された。
JOKERも社会現象となりさんざん政治的に紙面をにぎわしたからやっと呼ばれた。
はっきり言うが、「アクション映画やアメコミ作品は政治的なメッセージを強烈に発して、ようやくスタートラインのはるか後方に位置される」ぐらいにアカデミー賞は強烈な差別をしてる。
アベンジャーズに至っては、あんなものは遊園地で映画じゃないとまで言われている。とても公平な審査は期待できない。
これ。マジでこれ。
いや、言い方を変えると、「娯楽に徹した娯楽大作はほぼ選ばれない」ということ。
要するに社会派のメッセージを混ぜた小難しくて立派で、いわゆるインテリリベラルが喜びそうな作品が選ばれやすい。
だから、日本の漫画でいうと、ワンピースとかドラゴンボールが選ばれず、微妙な社会派漫画を受賞させるような漫画賞だと思ってくれればよい。
ターミネーター2も、スターウォーズも、地獄の黙示録も、ETも、あの作品もどの作品も取ってない。それどころか呼ばれてすらいねえというあほみたいなことがわんさかある。
JOKERは、アカデミー賞を喜びそうな人間の逆を行く映画だ。要するにアカデミー賞の会員の取り澄ました顔の横っ面をひっぱたく映画だった。
ぶっちゃけアカデミー賞の選考人なんて、「撃ち殺されたテレビ司会者みたいな連中」なので、どう考えても受賞しねえだろうなあと予想してた。
そんなこんなで「つまんねえ」と視聴率が駄々下がりしているわけだ。そりゃ、つまらん映画にばっかり映画賞を与え続けてりゃ本国視聴率は駄々下がりだろうが、いまだにアカデミー賞を面白い映画賞だと思ってる人が外国では多いんだろうなあと思う。
最後になるが、今年の受賞作は「JOKERに受賞させないための受賞おめでとう」という最悪の声と戦う十字架を背負ったなあ。
頑張ってほしい。
もっと言うと、「ヨーロッパやアメリカの白人博士に褒められること」が最終目標。
JOKERで、ホアキン・ラファエル・フェニックスが、白人のテレビ司会者に褒められることを夢想してたけれど、あんな感じ。
多様性多様性、と連呼してるけれど、実際に多様性なんか信じてない。
要は、「自分の頭で考えてるようなふりはしてるが白人の物まねをしてるだけ」だよ。
「欧米では○○だが日本は遅れてる~」と欧米age日本sageの情けないインテリもどき。
媚びてるし、自分たちの文化に誇りを持ってないってことがバレてるからだろう。
BANANAと言って馬鹿にされてる。要するに「外見は黄色いが中身は白い」という最悪のスラングだ。
「日本文化は素晴らしいものでお前らの文化に負けてない」とバンバン自己主張して、バカにされても言い返す奴のほうがよっぽど尊敬を集められるのはどこの世界も一緒だ。
和製リベラル派は結局のところ、自分の文化に自信がないのだと思う。
これは実はネトウヨと同じく、「ネトウヨが自分の考えた妄想の日本」に耽溺するように、「和製リベラル」は妄想の欧米に耽溺してる。
正直同じに見えるのだがどうだろう。
一昨日、好きだった人に振られた。
恋愛は好きになった方が負けという話はあるが、敗北も敗北。自分の存在価値を疑ってかかっちゃうくらいには心をボキボキに折られもう何もわかんなくなってしまった。
好きだった人は同じバイト先の同僚で、相手の方が年齢は一個上。同じ大学に通い、相手は浪人していたため学年自体は一緒である。
かれこれ2年弱同じバイト先で一緒に働いていたが、今年の8月にようやく連絡先を交換しご飯を食べに行くことに。
向こうの出身が日本海沿岸の県ということもあり、魚料理が美味しく日本酒も豊富な種類揃えられている店を選んだ。
普段バイトをしていても時たま最近のことを話す程度だったので、相手の生活のことや過去のこと、お互いの家庭のことなどを打ち明けながら楽しい時間が過ぎてった。
24時間やってる喫茶店に移動して、相手が追っかけの女性アイドルの話などを話しているうちに終電を逃した。
結局2時近くまで話していたが、さすがに話すことも無くなり始め、店を出てコンビニで缶チューハイを買って深夜徘徊に。周辺をウロウロしたり公園でブランコに乗ったりしながら始発を待って、解散。
自宅に帰りながら、酔いも相まって白昼夢なんじゃないかと思えるくらいの濃密な時間を過ごしていた。この時点でもう完全に相手に惚れていて、ダメだなとか思った記憶がある。
月が経ち、10月になった。
「面白かったです。ただ1人で観ると感想話す相手がすぐ近くにいなくてちょっと寂しいですね。周りも2人とかで来てる人多かったし。」なんて感想が返ってきた。
そうだったんですね。でも僕も1人で観ること多いですよ、なんて話してその場は終わった。
終わったが、恋愛に毒された脳は(なんでそんなこと言うんだ…?)とか考え始め、暗に映画誘ってんじゃないかという結論に至った。そんな訳ないのは分かっているのに。
後日、勇気を振り絞って映画を見に行きませんかと誘い、OKを貰った。大学生くらいなら別に見知った男女で映画観に行くくらい訳ない話ではあるが、恋愛観が終わっているのでこれくらいのことで心臓がはち切れんばかりにバクバクと音を立て、滞ってた全身の血流が良くなるのを感じられるくらいには嬉しかった。
映画の話は割愛する。この日に12月のご飯の約束を取り付けた。
そして一昨日、ご飯に行った。店は前と同じでいいという話になったので前のお店に。
緊張しすぎて思うように会話が弾まない。弾むのは僕の酒のペースだけであり、飲み始めて1時間で日本酒の量は4合を超えた。
とりあえず消化しておきたかった最近の話とか、相手の追ってるアイドルの話とかを肴に食事を楽しみまたあの喫茶店に。
告白の言葉を言い出すにも上手いタイミングや雰囲気を作り出すにはあまりにも話術に乏しく、ただ無為に時間を空費していくばかりであった。「さっきから様子おかしいですけど飲みすぎましたか?」なんて聞かれてしまう始末である。
別にヤケおこした訳ではないが、何かもう今言わなかったらダメなような気がして、伝える。もう何話したのかも覚えてない。まぁ、当然振られる。
思えばずっとこんな人生だった。相手の子は隣で並んでて釣り合わないくらい可愛い。ヒエラルキーの底辺にいるような人間が、下剋上かの如く突撃して行って返り討ちにされるなんてのは至極真っ当な話だ。ヒエラルキーなんて、そんなもの無いと相手は言うが、僕にはあるようにみえる。そんなものに諦めの理由を押しつけても仕方がないが。それでも何とか釣り合うように似合う服買ったり色んなものに興味もって顔出してみたり観てみたり聴いてみたり、会話のレパートリー増やそうと思ってやってきた。でも、そこまでだ。圧倒的に話術に乏しい。面白い話ができない。この文章だって冗長でありふれていて、すぐ読み飽きるだろう。
相手が前に付き合っていた人とは何で付き合い始めたのか聞かせてもらった。面白かったかららしい。もう殺してくれとしか思えなかった。
きっと、こうやって変に肩肘張らなくても話せるような人と付き合うべきなんだろうと思っている。自然と、相手にとっても自分にとっても面白かったと思えるような。
いまさらながら映画 JOKER を見てきた。すごい映画で衝撃を受けた。
そしてラストシーンの解釈について諸説ありそうなんで、自分の考察を書いておく。激しくネタバレ注意。
暴動のシーンと、ラストの精神病院のシーンは、時系列が連続していない。
素直に見ると「暴動後に逮捕されたアーサーが、精神病院に送られた」となるかもしれない。だがそうするとおかしな点がいくつかある。
例えば、アーサーは少なくとも5人を殺している。そんな凶悪犯に手錠をかけただけで、ソーシャルワーカーが1人で会おうとするだろうか。警備が軽すぎる。
また笑い出す病気についてソーシャルワーカーが知らないのもおかしいし、髪の色も緑ではなく黒に戻っている。
時系列が異なるとすると、どう解釈すればよいのだろうか。
ラストの精神病院にいる男を「アーサーでありジョーカーである」とするのは前述の通り不自然だ。「アーサーでもジョーカーでもない」はやや飛躍しすぎだ。
すると「アーサーではないがジョーカーである」とするのが自然だ。つまりそれまでのお話もアーサーの存在も、全てジョーカーの作り話だ。
そもそもジョーカーは嘘つきだ。ダークナイトでも口の怪我の理由を説明していたが、2回説明してどちらも全く違うものだった。どちらかが正しいというよりは、どちらもデタラメだろう。
「アーサーがジョーカーになるまでの物語」も、そうしたデタラメな作り話の1つだったのだ。
全ては作り話と聞いて、なにか裏切られた気がしなかっただろうか。あれだけ感情移入したアーサーの苦難が作り話だなんて、と。
でもそれはおかしい、そもそもこれは映画なのだから。アメコミヒーローものの映画だ。創作に決まってる。それは観る前からわかっていたはずだ。
もちろんそれも作り手の狙いだろう。
だがラストシーンがなくとも十分面白い映画なのに、なぜそんな仕掛けを入れたのだろうか。
フェイクニュースのように、人間の本能の、ある種のバクを突いた攻撃が増えている。煽情的な言葉で怒りや妬みを誘い、人々を誘導するような攻撃が。
そうした感情への訴えが厄介なのは、理性で理解したとしてもなお影響が残ることだ。「人を殺すのは悪いことだ」と理解していても、証券マンを撃った時にスカッとしなかっただろうか。
人は物語さえあればヴィランにも感情移入してしまう。「アーサーは俺達の物語だ」といとも簡単に手玉に取れてしまう。
だが、物語はわかりやすいが、わかりやすいことが真実なのではない。物語で世界を理解したような気分になっていると、ジョーカーにつけこまれてしまう。
今日もまた新しいジョーカー誕生の物語を思いついた。この物語なら、大衆どもは飛びつくだろう。そうして共感を操れば、面白い遊びができそうだ。最高のジョークだ。
思わず笑っていると、目の前でソーシャルワーカーが怪訝そうな顔をしている。こいつを片付けて、そろそろ病院の外に出る頃合いか。
そう、いま、この時が、ジョーカー誕生の瞬間だ。
最初に見た他人のレビューが安っぽく狂気狂気と書き立てるものばかりで失望した。アーサーは狂ってなんかいない。むしろ最初から最後まで一貫して、彼には完全な判断力があったし、正気だった。
僕が一番好きだったのはゲーリーを逃がすところだ。この映画のそれ以外の全てと釣り合うほどに素晴らしかった。映画史に残る名シーンだと思う。
家に二人で訪ねてきた元同僚の片方を滅多刺しにして殺し、もう一人も手にかける——、手にかけるだろうと、そう観客は予想する。しかしアーサーは彼の事は見逃した。行っていいと。しかしドアの鍵が閉まっており、小人症で手が届かない彼が、殺人者である当のアーサーに開けてくれと頼む。アーサーは鍵を開けてやり、彼を送り出す。ただ気紛れに見逃したのではなく、ゲーリーのことは本当に殺すつもりがなかったのだと、ここではダメ押しでそう強く明示して見せているのだ。「優しかったのは君だけだ」と額にキスまでして。
なんて涙ぐましいシーンだろうか。アーサーはただ愛が欲しかっただけだ。誰かに愛されたくて仕方がなかったんだろう。愛されればそれに報いることができる正常な人間だった。正常だからこそ、自分に降りかかった世間の悪意に正しく報いて、彼はジョーカーになったのだ。映画的なレトリックでそれを説明し果せている。この直後に初めて、あの紫のスーツの、お馴染みのジョーカーの姿になり、あの階段を下った。晴れ晴れとダンスを踊りながら。しかしゲーリーとのあの別れの直後だけに、どこか空っぽの乾いた悲しみを感じさせる。
「優しかったのは君だけだ。」アーサーはすべて、ちゃんと言葉にして語っていた。正常な知能と判断力の賜物だ。ウェインを訪ねた時も。金が目的だろうと言われ、違う、そうじゃない、欲しいのは温もりとハグなんだと、言葉にしてちゃんと主張してみせている。しかし、返ってきたのは暴力だった。最後にTV番組に出演した時も、司会者に自分の主張を過不足なく説明している。何もない奴を笑いものにし、足蹴にするとどうなるのか見せてやると。そして銃で撃ち抜いた。
作中の事件を伝えるニュースでは、犯行の動機として「格差」があると触れている。これも良く計算されて織り込まれていたと思う。今この時代に、悪役を主人公としたこの映画が作られたことの必然性がここにある。
証券会社の三人組も、チャップリンの映画を見ているシーンでも、金持ちたちは皆、小綺麗な黒のスーツを着ていたのが印象的だった。これは明らかに意図的なものだ。創作作品一般の「悪者は黒色で表される」という不文律を上手く利用して、アーサーの目から見た世界を描いているのだ。彼にとって上流階級とは自分を疎外し苦しめる悪者でしかなかったから。ここに善悪の相対化が、全くの反転がある。「狂っているのは俺か?それとも世界の方か?」という序盤の問いかけは、敢えてこう言い換えてもいいだろう。「冷酷な殺人鬼とは俺の事か? それはあいつらの方じゃないか。」
小綺麗でピカピカな正義のヒーローが、正しい暴力を振るって悪者を懲らしめる。その昔ヒーローものといえばどれもこんな風だった。単純化されたストーリー。分かりやすい善悪。悪者はボコボコにされて言葉を奪われ抗議することもできない。何故ならその暴力は「正しい」のだから当然だ。
みんなヒーローの方に自分を重ねていた。勿論バットマンを見て育った子供たちも。しかし現代ではこの悪者の側に感情移入する人も多いのではないだろうか。やんごとなき上流階級の人々が、政治的に正しい暴力を振るい、庶民を搾取し痛めつける。この社会にそっくりだ。皆自分が殴られる悪者の方なのだとうっすらと自覚している。小汚い貧乏人には抗議する権利もない。何故ならその暴力は「正しい」からだ。“悪者”は黙って殴られていろと、社会システムが無言で言っている。
誰がやりたくて悪者をやるだろうか。誰が好き好んで罪を犯すだろうかと、今になって分かるのだ。あのピカピカの正義の味方に殴られていた「やられ役」は、生きていく中で仕方なくそうせざるを得なかった「弱者」ではなかったか?
僕はその後、更に他人の書いたレビューを読んでみて、やはり憤りを禁じ得なかった。
何も持っていないゆとりの無い人間に対して、それなりに足りてる奴が、安全な場所から、もっとこうすれば良かったとか、小人症の男と仲良くすれば良かったのにとか、あまつさえ大して不幸じゃないとか、上から目線の薄っぺらい正論を、自己責任論を披露する。それは正義の味方が「わるもの」を力一杯ぶん殴る構図そのものではないのか。
この映画に共感せずに済むような人たちは、自分がどれだけ恵まれていたかに気付いてない。絶望的に愛情に飢えていて、精神的なゆとりを根こそぎ奪われた人間が、どれだけ不自由でままならないか。それを知らずに済んだ幸運な人たちだ。「こうすれば良かったのに」だと? それができたらああはなってないだろ。「お前は怠けている」とでも言いたいんだろうか。できるならとっくにやっているのに。
「不幸すぎないから共感を生んだのでは」という意見は、少し違うと思った。少しズレている。正確に言うとこれは「福祉の谷間問題」なのだと思う。歩けなくて車椅子とか、目が見えなくて杖をついてるとか。誰の目にも明らかな障害者なら公的な支援を受けられるし、みんなに助けてもらえる。でも微妙な障害だったら? 見た目が普通で症状が分からない、健常者と同じように扱われるのに、しかし健常者ではない。実際には軽微な障害があり、仕事や日常生活で「現に」困っている。困っているのに、誰も助けてくれない。こういうのを福祉の谷間という。発達障害やチックなんかがそうだ。或いはアーサーみたいな、感情が高ぶると笑ってしまうという障害もまさしくそれだった。周りからはそれが障害だと分からないのだ。本人はとても苦しんでいるのに。そして誤解と偏見に満ちた視線のせいで二重に苦しむ事になる。それはこの映画に「大して不幸じゃないじゃん」と言い放った人たちの正にその視線である。ここに地獄がある。
“有色人種なら贔屓してもらえたのに” 白人だから何もない、自分は現に困っているのに、何の手助けも受けられない、ホワイトトラッシュと呼ばれる人たちも、谷間問題という意味では本質的に同じだった。彼らは事実ジョーカーみたいな政治家を支持した——。ドナルド・トランプだ。この映画はこういう人たちの共感を生んだのだと思う。だから社会現象になったのは必然と言えるし、解釈に分断が起こり、理解できる人とできない人とで真っ二つに分かれてしまったのも、必然だったのだろう。
正直、4回見ても分からないところだらけだし、アーサーの笑えないジョークも、認知の歪みも見ててキツイ。でも、最後の自分の血で笑顔を作るところが見たくてリピートしてしまう。
誰でもジョーカーになれるって聞いてたけど、一回もそうは思わなかった。むしろ、理由(精神病とか環境とか)がなければジョーカーは生まれないって感じた。条件がそろえば誰でもジョーカーになる可能性ががあるって意味ならそうだけど、【なれる】って言い方がしっくりこない。
ジョーカーの信者には誰でもなれると思う。でも、ジョーカーにはなれない。
ジョーカーは雲とか台風みたいに【生まれる】ものであって、【なる】ものではないと感じたよ。まあ、一個人の感想としてね。
色々と考察を見たりしたんだけど、
・一番はじめに入院していた理由(カウンセラーが「どうしてか分かる?」って聞いてた)
・アーサーがトイレで踊るシーン
・冷蔵庫に入るシーン
これはどういうことなんだろう?
話題になってるJOKER、予告だけ観た状態で1回目観て色々圧倒され、いろんな方々の評論を読んだあとにもう1回観て気づいたとこを備忘録がてらメモ。核心に触れるネタバレ多数なので未見の方はこの先非推奨です。
槙野さやか氏のこのJOKER評に、自己責任論をふりかざして社会的弱者を踏みにじる無慈悲を見た。
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槙野さやか
「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ 映画『ジョーカー』
https://note.mu/kasa_sora/n/n8554d186e08e
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この映画の主人公は槙野氏の語るような傲慢な人間じゃない。映画を見ればちゃんとわかるが、彼はごく普通の人だ。
なぜ槙野氏はこれほど歪んだ見方をするのか。氏が弱者に対して無慈悲で冷酷だからという以外の理由が見つからない。
「あなたよりもしんどい人はたくさんいる、頑張りが足らない」という理屈で困難にある人を突き放す槙野氏の考え方は無慈悲だ。
弱者がボロアパートでささやかな夢想を抱くのを、傲慢な思い上がりと断じる槙野氏の考え方は無慈悲だ。
困窮した生活保護申請者を窓口で追い返す役所みたいな無慈悲だ。
槙野氏のような他者の無慈悲に踏みにじられ、踏みにじられ続けた弱者はどうなるか、JOKERという映画そのものが答えている。
ちょっと信じがたい誤解釈というか、ほとんどイチャモン感のある感想があったので、ツッコミを自分のツリーに下げておく。
私は元増田だ。
この人のブログは何度か読んでいる。面白く読ませてもらっている。
その人がこんなにも偏ったというか、ほとんど被害妄想では???という感想を書いてアップしていることに、ちょっと背筋が寒くなっている。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
作中で3人のエリート酔っ払いを射殺した件でニュースに出ていたトーマス・ウェインとおんなじようなこと言うてはる。
嘘やろ。あんなおもろいブログ書く人が。こんなにものが見えてへんようなこと言うものなのか。釣りか?
アーサーが父親に夢を見ているというのはある。あるが、所詮空想の範疇であって(それこそ彼の「母親」のように)病的妄想に駆られているわけではない。
後半で自分で言ってたように、彼はただ温かいハグや親しみの笑みをもって自分を受け入れてくれる存在として父親を欲しがっていただけだ。
だからランディから銃を受け取ってしまったのだ。"My son"とかなんとか言って本気で心配してるみたいなそぶりをしてくれたから。
パンフだったかWikipediaだったかによれば、あいつは実際にはものを深く考えてるように見せたいだけで大して後先考えないタイプで、
だからこそ雇い主に対してアーサーを売っちまい、のちの怨みを買うことになるのだが。
ランディといえば例の銃だが、多くのブログや記事で「小児病棟に銃を持ち込んだアーサーの自業自得」という評価を読んだ。
確かにアレはアーサーの失敗ではあったが、小児病棟に銃を持ち込むこと自体はそこまで責められることかどうか、個人的にはずっと疑問に思っている。
だって普通に通りで仕事してるだけで看板かっぱらわれて殴る蹴るされるんだぞ?
そしてその後に「自衛のため、自己防衛のため」といって銃を渡されるんだぞ?
持ち歩くのが当然だろうが。
アーサーが迂闊だったのはあの時あの場面でポロリしたことであって、
ピエロアクトを始める前にカバンにでもしまっときゃ良かったのにという一点だけだ。
そして発達の私としては、物が銃でなく場面が小児病棟でないだけで、
そういう不注意で細かいドジを踏む機会というのは日常では無数にある。
無数にあるからこそ、私は、銃で小児病棟というシチュエーションがそもそも発生しないように、
いろいろと立ち回ったり細かい工夫でしのいだりしている。
それらは今のところ実っている。
実っているが、なぜ実ったかというと、もうこんなの「運」でしかない。
そんなの私には責められない。
責められないから余計やるせないんだ。
大事なところに限ってやらかすタイプの、クビになって当然の、笑えないミス。
ああ、件の感想記事が、読み返せば読み返すほど恐ろしくて仕方がない。
ジョーカー観てきたとあるけれど、目に入ってなかったのでは?というほど誤読(誤観、か?)が多い。
アーサーはその上司を許さない。自分をあざわらう裕福な奴らも許さない。自分の「パパ」じゃなかった有名人も許さない。殺す。バッキュンバッキュンに殺す。そしてジョーカーになる。
アーサーは上司を殺していない。
殺したのは自分に銃をよこしたランディ、銃をくれたくせに我関せずで貫いてアーサーを裏切ったランディだ。
アーサーは笑われたから裕福な奴らを殺したんじゃない。
例の殴る蹴るをおっぱじめられたから殺したんだ。
そしてアーサーが殺したマーレイは、アーサーのスベり倒したライブの映像を彼に無断でテレビ放送し、更にスタジオに呼びさえした。彼を笑い者にするために。
そして、これは私の持論だが、アーサーはジョーカーになってないし、なれないだろやっぱり。あれら全てが事実なら。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに」。
そもそもアーサーに限っては、これは完全にその通りではないか?
幼少期に母親の恋人から虐待を受け、脳及び神経系に外傷を負った。
これさえなければ、もっと違ったルートもありえたんじゃないか、というのは、そんなに高望みだろうか?
アーサーは大人になった今も、日記で割としょうもない初歩スペルを誤字っている(「下ネタは、いづも、ウケる」)。
アーサーはピエロという「笑うのも仕事のうちだろう?by刑事」な仕事に就いている今でさえ、
「お前のことを嫌がる奴もいる。気味が悪いからだby冒頭のピエロ業ボス」。
ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。
他の仕事、あったんかな?
でも、ラミネートカード戻って来んかったんやで、ゴッサムでは(←確かめるためもあって2回観た)
アーサーが徹底して受動的、「りんご食って寝てる白雪姫」なのは、三分の一くらいは肯定できるが、でもやっぱり悪意ある評価に思える。
まずアーサーはマジでかなり受動的ではあって、例えばコメディアンになりたいという夢自体、母が「人を笑顔にさせる人間になりなさい」と言ったから、という以上の動機はない。
その母の台詞も、おそらく「発作」へのフォローかはたまた「発作」等々に端を発するイジメを受けたアーサーへのフォローに過ぎず、母自身アーサーがコメディアンになれるとは思ってないぽい(入浴介助時「あなた、ちゃんと人を笑わせられる?」)。
もうなんていうか、こんなの呪いに等しい。
もちろん「普通は」これを呪いとは受け取らない。呪いと呼ぶには弱すぎる。
でもアーサーは呪われてしまう、その「将来の夢」にすがってしまう。脳の外傷のせいか、アーサー自身に素質があったのか?それはわからない。
アーサーの、あの受動性。ものを判断するときや、自分でその場で考えて何かするときの、微妙な、ちょっとボンヤリとした感じ。
あれと「発作」のコンボがジョーカールートへのかなり決定的なフラグであるってのはあると思う。アーサーが状況を変えることをものすごく難しくしている。
でも、じゃあ例えば受動態人間であるってことをアーサーが自分で変えられるかっていうと、どう考えてもひとりでは無理で(能動的な生き方の受け皿どころかモデルすらない状況だもの)、というか脳外傷から来るものなら誰がいても無理で、あーこれフラグ折れんわー、ツムツムだなあ、となってしまう。みんな病気が悪いんや。病気と虐待が。
まあそれはそれとしても、アーサーは「与えられる側でなければ気が済まない」んじゃない。気が済むとか済まないの問題じゃないだろう。
そもそもあの状態で、母親の介護放り出して家出してどうする??
メシ風呂が自力不可で「みんなが言ってるって、みんなって誰さ。今日誰と会話したの?」言われるくらい孤立してる母親、
郵便ポストを見に行けない母親をひとり置き去りにしたら逮捕されない??保護者責任遺棄的なやつで。
家出したあと住むところは?
あのエレベーターのイカれたボロ家以外にどっかある??アーサーに貸してもらえる???
それと女を口説くことをそんな冒険ポイントみたいに言いなさんなよ…そういうのもう流行んないんじゃないの。
それにアーサー最大の冒険をカウントしないのはフェアじゃない。
コメディアンとして舞台に立ったじゃないか。ネタ帳携えてでも、妄想に後押しされてでも。
母の話の裏付けを取ろうと、ウェイン邸にもデモ会場の劇場にも病院にも行った(どこまで妄想かはともかく)。結構行動している。
これがアーサーをしてジョーカーに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。彼らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。
もうこの辺に至っては被害妄想入ってませんかね。飛躍がすごくてどうしてそうなった、みたいな話になってるというか。
アーサーが欲しがっていた素晴らしいものというのは、大衆からの賞賛もあるが、最大のものは愛だろう。アホみたいな結論になるが。
愛。親しさ。笑われないこと。爪弾きにされないこと。受け入れられること。その象徴としての賞賛。
一応言っとくけど、「この人に怒りをぶつける人々が欲しがっているもの」が愛だといいたいのではない。そんなことは知らない。
このツリーでは基本ジョーカーあるいはアーサーの話をしているんであって、賞賛が欲しくてネットで他人に突然キレる人のことはわからない。
ああ、それにしても。
確かに、怖い。怖いですわ、これは。
映画としては面白くない、はっきり言って凡作で駄作ではないけど傑作でもない。
主人公はKKOでインセル、主人公の主観で人生の閉塞感や病んでいき自暴自棄になっていく流れが淡々と描写されていく、この閉塞感はかなりリアリティがあって見ていて苦しくなる。
世界中で問題になっている「無敵の人」や「インセル」が非常にタイムリーで社会情勢を表してるということで高評価なんじゃないかと思う。
あとTwitterやインスタならまだしもIMDBとかに感想書く映画オタクはKKOも多いだろうから、そういう共感出来る層には無慈悲に突き刺さる内容で、そういった理由もあり映画の出来に対して過剰なり高評価なのではないかなと思った。
映画としては面白くないが、内容は現実社会に突き刺さってるから、ムーブメントになって社会福祉の重要性が更に周知されて、メンタルヘルスが必要な貧困層や社会から隔絶された人にも必要な治療が受けられるようになっていくと良いなと思ったけど、そこまで面白くないからムーブメントにはならない気がする。
陰キャやインテリの友達とあーだこーだと話をするにはいい映画だが、彼女と見に行ったりする映画ではないことは確か。
映画の内容じゃないけど、JOKERの開場の前にプリキュアが開場していて、プリキュア好きの男の子みたいなのもいて、自分が子供だった20数年前には考えられないことだなと思った。
例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。
そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。
そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、
「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。
最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター」論点を明確にしよう。
DCコミックスのワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。
しかし、イスラム圏のポスターにワンダーウーマンを描けば非難の対象になるだろう。
だから、「あのイラストがエロいかどうか」は、時と場合による。
つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である。
公共のポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。
つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。
外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。
待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。
半裸の男性のカレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。
つまり、公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。
つぎはDだ。表現の自由は、公共のポスターにも適用されうるか。
表現の不自由展は、「芸術作品の表現が、制限される」という点で問題視されていた。
宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。
クリムトがウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。
ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。
職場にヌードポスターを貼るのは、環境型セクハラに該当する、とされる。
Aの論点において「性的なポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境型セクハラに該当するだろう。
つまり、性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。
性的なポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。
最後にFだ。環境が女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いか、である。
これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。
強化しない、強化する、いずれも明確に証拠を提示するのは、とても困難な作業になる。
女性が男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。
よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。
その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。
さて、こうすると、例えば自分の立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。
B「ゾーニングはできていない」
C「医療は許容度が高い」
これは端的に言えば「環境型セクハラで女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現の自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。
自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールのポスター」であればNGとする立場だ。
環境型セクハラに該当する図案の場合、表現の自由よりも子供の教育環境は優先されるべきと考える。
つまり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。
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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう。
JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分の悲劇が喜劇的であることに自覚的になる、悲しい物語だ。
JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。
そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。
アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。
アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分の意志と無関係に笑ってしまうのだ。
劇中には小人症の人物も出てくる。その特性(障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。
現代では、小人症の人物を揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。
同様に、アーサーの症例が精神病として一般に認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。
社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。
たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。
もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。
アーサーがJOKERになったゴッサムシティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスターが掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。
医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、
精神科に月に一度通っており、抗うつ薬と睡眠薬を処方してもらっている20代です。
今私は働いておらず両親と実家で暮らしているのですが、両親は身体障害者です。
両親はひとりっこの自分に健康に育ってほしいと思っててくれたのですが、健康な代わりに精神障害者になってしまいました。
お父さん、お母さんごめんなさい。ありがとう
ドラフト良い選手いっぱい指名できて嬉しかった。順位と成績関係なく阪神ファンは変わらないよ。[大山悠輔]選手頑張ってほしいな
Produce101JAPANに参加している練習生の、[今西正彦]くん。あなたの頑張ってる姿にいつも励まされているよ。向日葵のような笑顔が見たくて応援できる毎日が生きがいなんだ
この2つと大好きな飼い犬のおかげで生きる希望がわいてます。幸せだな
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 50 | 8710 | 174.2 | 66.5 |
01 | 33 | 3450 | 104.5 | 44 |
02 | 43 | 9031 | 210.0 | 42 |
03 | 34 | 3520 | 103.5 | 45.5 |
04 | 9 | 1144 | 127.1 | 80 |
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06 | 19 | 6321 | 332.7 | 59 |
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12 | 101 | 11540 | 114.3 | 36 |
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1日 | 1927 | 155849 | 80.9 | 33 |
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