はてなキーワード: ウィーン大学とは
例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。
そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。
そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、
「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。
最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター」論点を明確にしよう。
DCコミックスのワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。
しかし、イスラム圏のポスターにワンダーウーマンを描けば非難の対象になるだろう。
だから、「あのイラストがエロいかどうか」は、時と場合による。
つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である。
公共のポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。
つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。
外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。
待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。
半裸の男性のカレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。
つまり、公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。
つぎはDだ。表現の自由は、公共のポスターにも適用されうるか。
表現の不自由展は、「芸術作品の表現が、制限される」という点で問題視されていた。
宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。
クリムトがウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。
ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。
職場にヌードポスターを貼るのは、環境型セクハラに該当する、とされる。
Aの論点において「性的なポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境型セクハラに該当するだろう。
つまり、性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。
性的なポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。
最後にFだ。環境が女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いか、である。
これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。
強化しない、強化する、いずれも明確に証拠を提示するのは、とても困難な作業になる。
女性が男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。
よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。
その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。
さて、こうすると、例えば自分の立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。
B「ゾーニングはできていない」
C「医療は許容度が高い」
これは端的に言えば「環境型セクハラで女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現の自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。
自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールのポスター」であればNGとする立場だ。
環境型セクハラに該当する図案の場合、表現の自由よりも子供の教育環境は優先されるべきと考える。
つまり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。
----
さて、長い前フリを読んでくれてありがとう。
JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分の悲劇が喜劇的であることに自覚的になる、悲しい物語だ。
JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。
そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。
アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。
アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分の意志と無関係に笑ってしまうのだ。
劇中には小人症の人物も出てくる。その特性(障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。
現代では、小人症の人物を揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。
同様に、アーサーの症例が精神病として一般に認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。
社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。
たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。
もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。
アーサーがJOKERになったゴッサムシティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスターが掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。
医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、
こんな記事がありまして
https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/01/ceu-tsuihou_a_23606239/
「ノーベル賞受賞者17人を輩出しているハンガリーの名門私立大学院大学・中央ヨーロッパ大学(CEU)は、12月1日、ハンガリー政府との合意に達せず、講座の大部分を新設するウィーンキャンパスに移転することが決まった。」
とのこと。(多分修正されるだろうから確認した期日を記載しておく:2018年12月3日0時です)
主な内容としては、ハンガリー国政府がジェンダー研究を禁止し、それに反発した「中央ヨーロッパ大学」がウィーンに全面移転するとのこと。ものすごいニュースだ。そんなすごい大学が、大学機能を国外移転しちゃうなんて。しかもそんな大学知らないぞ。
ノーベル賞受賞者17人を輩出、って言ったら大変なものだ。日本なら東大が8人、京大が7人、とかのやつだ。この両校を合わせたよりも多いのか!さすが欧州だ。ロシアとかもすごいしね。東欧には知らない超有名校があったのか。。。
世界の大学のそれぞれのノーベル賞受賞者輩出人数とか、真面目に調べたことはなくって、今回初めてこのページを確認してみた。
http://karapaia.com/archives/52158723.html
怪しげなページとは言ってもカラパイアだ。20%くらいは信用できる。
これによると、2014年でこの辺のレベルのノーベル賞受賞者数の大学っていうと、
14人:エコール・ノルマル、ヴュルツブルク大学、フランクフルト大学
18人:エディンバラ大学
一般的にはなんとも感想を言いづらいようなメンツだけれど、知識レベルがイラつく感じで高いようなはてなユーザには親和性の高い(偏見)欧州の古風な大学(とかグランゼコール)と、アメリカの若々しい大学が混じっていることに気づくだろう。端的に言って超有名校だらけで、東大・京大の2倍以上のノーベル賞受賞者を輩出していると聞いてもおかしくは無い。
この人数レベルに比肩する大学、「中央ヨーロッパ大学」だって???驚きである。
まあ、自分なりには見当が付いていて、多分以下の記事中「ノーベル賞受賞者17人を含む500人以上の著名学者がCEUへの支持を表明」を、間違えて捉えたのだと思われる。
https://jp.reuters.com/article/hungary-soros-legislation-idJPKBN17D0M3
「ノーベル賞受賞者17人が支持」と「ノーベル賞受賞者17人を輩出」では、多分アカデミアコミュニティが読んだ時の権威づけレベルが大きく違ってしまう。気をつけてもらいたいものだ。